この5連休で、二人の実家に帰省しておりました。思えば学生時代は毎年、新勧合宿だったなあと思い出します。

さて、RCさんから埼玉慧日会のご案内を頂いておりますので掲載します。

仏法とのご縁はそれぞれの場所でございますので、それぞれご縁のあるところでご縁にあわれればありがたいなあと思いますけれども、ご縁のある方はぜひ熊谷にもおいでください。


========(以下、RCさんからの投稿文です)========

少し お久しぶりです。
RCです。

次回の 埼玉恵日会の勉強会のお知らせをさせていただきます。

●埼玉恵日会 の勉強会

日時: 6月4日(日曜日)
14:10~17:00

場所: JR熊谷駅 直結 ティアラ21 4階
ハートピア 会議室 2
(熊谷市男女共同参画推進センター)

講師: 阿部 信幾 先生(本願寺派補教 )

参加費:2000円(ご法礼と、会場費に遣わせて頂きます。)です。

勉強会は、今まで通り、質問形式で進めていきますので、先生に お聞きしたいことや、深く教えて頂きたいことが、ありましたら、私に メールで、送ってください。

アドレスは、
rokujinotsudoiアットマークyahoo.co.jp
アットマークは、@に変えた下さい。
です。

頂いた質問は、プリントアウトして、阿部先生に 郵送します。
質問の締め切りは、5月27日(土)までと、させていただきます。

皆さまからの ご質問、ご参加を 心から お待ちしております。
よろしくお願いいたします。


ところで、
「 前回の埼玉恵日会の勉強会のお知らせ」には いろいろなご意見を頂きました。
批判的なご意見に対しての私の対応が 良かったのかどうかはわかりませんが・・・。
結果的には 閲覧してくださった方も増えて、勉強会にも 前々回よりも、多くの方が参加してくださいました。
また、私が「夕食が作れない」などと 愚痴をこぼしたので、心配してくださった方もあったようで、申し訳なく、また 有り難く そして 嬉しく 思っています。

でも、いろいろあっても
南無阿弥陀仏の教えを聞かれる方が 増えたのは
うれしいです。

本当に「南無阿弥陀仏だけで救われる」って
驚きですけど、そうなのですね。

南無阿弥陀仏って すごいですね。

「私たちは南無阿弥陀仏に髪の毛1本ほどが、触れ合っているだけのだ。でも 髪の毛1本ほどが触れ合っていることが 大切なのだ」と ある先生がおっしゃっていました。
南無阿弥陀仏にほんの僅かでも触れるご縁があったことが うれしいです。


先日 都内で ある先生(阿部先生ではない先生です。)のお話しが 印象に残ったので、一部 紹介いたします。
(このお話しに 疑問や 質問などが ありましたら、この先生に直接メールでお尋ねください。私のアドレスに ご連絡を頂ければ、この先生のお寺のホームページのアドレスをお教えいたします。私のアドレスは、rokujinotsudoiアットマークyahoo.co.jp です。アットマークは、@に変えてください。)

以下 ある先生のお話しです。

*親鸞は、家族を捨てる出家仏教 に対して
「家族を捨てるのではなく 、むしろ 家族と共に、そこに在りながら、その中で、『いつでも、どこでも、誰でも』」の在家仏教を 真実としました。
『いつでも、どこでも、誰でも』
これが、真実か、真実でないかを見極める親鸞のルールです。

「『いつでも、どこでも、誰でも』の 仏教は 特別 なことではない。」
これが 聖道門から 批判され、 弾圧 されました。
出家聖道門の仏教は、『いつでも、どこでも、誰でも』という思想は受け入れない。特別な修行をした人でなければダメだとする。

これは、『誰でも』には、なりません。

『する』という仏教では 『いつでも、どこでも、誰でも』の定義には 当てはまらなくなります。

そこから、
『 する 』ではなく
『 being 在る 存在する 』
という世界が広がります。

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お話しの一部分なので、わかり難いかもしれませし、また、誤解を生むかもしれませんが、

『いつでも、どこでも、誰でも』
これが、真実か、真実でないかを見極める親鸞のルールです。

というお話しが、とても印象に残りました。

『いつでも、どこでも、誰でも』が 真実のルール 。本当の救い、本当の宗教ということは、当たり前と言えば 当たり前だと思います。

でも、
誰かさんに「皆さんは、選びに、選びに、選びに、選ばれた方です」なんて 持ち上げられると、「遠く富山まで聴聞に行っている私こそ、いつか必ず救われる」と、親鸞聖人の真実のルール『いつでも、どこでも、誰でも』から 全く外れたことを真実だと思ってしまうのですね。

阿弥陀さまは、
「もう あなたの救いは、完成している。南無阿弥陀仏がその証拠だ。大丈夫 。安心しなさい」っておっしゃっておらるのに。

「 富山の親鸞会の本部会館で、私の話しを聴聞しなさい。そこが 大悲の願船へ乗り換え場所です」なんて 親鸞聖人の教えではない話しです。
私も、親鸞会会員の時は、うっすらと違和感を持ちながらも、そうなのだと思って せっせと 富山まで通いましたが。
「阿弥陀さまの本願には そんな条件は なかった」と、当たり前のことを 当たり前だと 思えたのは、親鸞会を辞めてからでした。

さて、南無阿弥陀仏の教えを聴聞させて頂くことは、人生の土台、私の命を支えているもの を確認するとことのように思います。

阿弥陀さまの願いがあって
私の命が今 ここにあって、
阿弥陀さまの願いが私の命を生かしていてくださり、
阿弥陀さまが私の命を生きていてくださるから
私が南無阿弥陀仏を聞けたのだと思います。

南無阿弥陀仏の教えは、どんなにお聞きしても 「聞き終わった」ってことはない教えだと思います。

なので 「 埼玉恵日会 」是非 ご参加ください。
お待ちしております。

(ご都合がつきましたら、えす様にも 来て頂きたいです。元親鸞会会員の方でしたら、多少遠方でも 仏法聴聞とあらば 、日本全国 外国でも 聴聞されていたかと思います(^-^)v)

南無阿弥陀仏