次回の埼玉慧日会は二週間後ですが、無事にご縁があるとすればまた一つ年を取るのだなあと思っている今日この頃です。


先日、バスに乗っておりますと一人のご婦人がありました。私はバスに乗る際、大概最後部の座席に座るのですが、そのご婦人は私から見て二つほど前の、詰めれば二人座れる座席の窓側に座っていたのでした。

最近のバスは、座席の通路側にも捕まり棒があります。ご婦人は、降りるバス停が近づいたのか、座席の通路側に移動して捕まり棒に捕まり、そしてもう一方の手を窓側に伸ばして、窓にある押しボタンを押したのでした。


このとき、私は一瞬「おや?」と思いました。実にご婦人が掴んでいた捕まり棒にも押しボタンがあったからです。しかも、ご婦人の手の僅かに15cmほど上にあったのでした。

しかしながらご婦人がわざわざ窓側に手を伸ばしたのは、おそらく近くのボタンに気がつかなかったからなのだろう、と思ったのでした。


もっとも気がつかないのも無理は無く、ボタンはご婦人の目線から考えれば上にあり、斜め上を見なければ視界に入らないと思われる位置にありました。


押しボタンが見つからずに探して遠くのボタンを押したら、実は案外近くにボタンがあったというのは路線バスのあるあるのような気がしますが、これがいわゆる盲点というのでしょう。


・近いものが案外見えていない
・見えているようで見えていない


視点を変えてみれば、あるいは少し離れた立場から見れば、案外造作も無く見えることなのかも知れません。
こんなことを考えて私はなぜか、観無量寿経を思い出したのでした。


汝いま知れりやいなや、阿弥陀仏、此を去りたまうこと遠からず。


阿弥陀仏は南無阿弥陀仏として目にもし、耳にもしているのでしょうが、見えているようで見えていなかった、聞こえているようで聞いていなかった、ただ超絶不思議な「何か」が阿弥陀仏なのだろうと勝手に思っていた、

そんな学生時代を思い出したのでした。


南無阿弥陀仏