私のところにはほとんど情報が入ってきませんから最近の親鸞会のことはよく分かりませんけれども、私が居た時でさえ(大)学生は相当に少なくなっていたので、新たに親鸞会に入るという方も少なくなっているように思います。ただ、以前に聞いた話でSNSでの勧誘も活発化?しているという話も聞きますから、以前のように大学入学時に勧誘されて、夏合宿の頃に入会という流れ(私は入りませんでしたが)は変わってきているのでしょう。


そういえばそもそも親鸞会に入るメリットってなんだろう、とふと思いましたので、今回はその関係の話を書こうと思いました。以前に何本か、「ご家族の方向け(仮)」の記事を書いていたのですが、一応その流れで、どちらかと言えば会員の経験がおありでない方向けの記事です。


まあ、結論から言えば「メリットは無いこともない」という平凡なものですし、批判的な皆さんにおいては「入会なんて検討の余地すら無い」のではないかと思うのですが、あえてそれをこれからダラダラ書きます。




漠然と「親鸞会のメリット」を考えてみたところで、そもそも人によって感じるメリットは違うであろうと思いましたので、そもそも親鸞会に何を求めていたかを考えますと、私の場合、

「人生の目的をさっさと達成するためのもの」

でした。人によって程度は異なるかも知れませんが、親鸞会が「なぜ生きるの答え」をアピールして勧誘していることを考えますと、だいたい他の方もその辺のことを(少なくとも入会当時は)求めていらしたのだろうと思います。「金儲け」や「出世のための勉強」はお門違いでしょうから。


私の学生時代を思い出しますと、周りのだいたいの学生は、親鸞会の入会案内を受けたらすぐに入会してしまっていました。私は宗教団体のメンバーになるのが嫌で何度か断っていたので、すぐに入会するような心理状態が(正直なところ)よく理解できないのですが、やむなく入会に至った心持ちを思い出しますと、もはやメリットデメリットを検討しての結果ではなく「手詰まり感を覚えたから」でしたので、ひょっとしたらすぐに入会した多くの皆さんもそんな感じだったのかなあと思いました。


ちなみに、こういう思考に至らしめる過程をマインドコントロールというそうですが、それはまた機会があったら書きます。


だいたい、通常しないような選択をする場合は、あまり理屈っぽく考えられないのですが、目の前に親鸞会の入会のようなイベントがちらついている場合には、入会するにしてもきちんと考えた方が良いかと思います。


とりあえず(是非は置いといて)考えられそうな「メリット」を挙げてみます。
(厳密に言うと包含関係と見られるものもありますが)


・信心決定(=「人生の目的達成」)の近道になる
・仏教を深く学べる
・「高森先生のご法話のご縁」が増える
・友人が増え、生きがいが得られる
・御名号本尊を頂ける



そして、親鸞会に入会したらこうなる、ということも挙げてみます。


・入会金や会費等が発生する
・誓約書を書かされる
・様々なお布施の案内が来るようになる
・先輩会員が入会前ほど親切に構ってくれなくなる


親鸞会経験者の皆さんからの「こういうこともあるよ」の情報等頂ければまた有り難いのですが、いったんは上記挙げた内容を少し詳しく見ていきたいと思います。



<「メリット」の内容>

●信心決定の近道になる、について


まずもって、親鸞会の入会が直接「信心決定の近道」になることはありません。この点については、入会勧誘レベルで先輩会員や講師部員の人が言うケースはあるかもしれませんが、少なくとも現在は親鸞会でも公式には言っていないはずです。


いかに不信なりとも、聴聞を心に入れて申さば、御慈悲にて候うあいだ、信をうべきなり。ただ、仏法は、聴聞にきわまることなりと云々
(蓮如上人御一代記聞書 193)


ここをもって『大経』に言わく、諸有衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心回向したまえり。かの国に生まれんと願ずれば、すなわち往生を得、不退転に住せんと、と。

(中略)

「聞」と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心あることなし。これを「聞」と曰うなり。「信心」と言うは、すなわち本願力回向の信心なり。
(教行信証信巻)



親鸞会で話を聞いているとよく出てくるこれらのご文にありますように、信心決定は自分で頑張った結果得られるものではなく「お慈悲によって」でありますから、親鸞会に入るとか入らないとか、お金をいっぱい遣うとか遣わないとか、そういったことによって左右されるものではありません。なおかつ仏願の生起本末は、親鸞会の会員にならないと聞けないという性質のものでもありませんから、「信心決定の近道」という点は「親鸞会入会のメリット」とはならないかと思います。



●仏教を深く学べる

親鸞会には「教学聖典」なるものがありまして、ご文の引用が「?」と思える部分もありますがお聖教のご文を覚えるきっかけにはなるかと思います。

ただ、(最近そんなこと言う人はいないでしょうが)「これ(教学聖典)を覚えれば、本願寺の学者よりも教学力が身につく」などと本気で思ったら大恥かきますので注意した方がよろしいかと思います。

仏教を深く学ぶ、という観点だけで言えば、大きな書店に色々な本も売られていますし、本が高いということであればネットでも詳しい方がいろいろいらっしゃいますから、そこで学ぶことも出来ます。

どうしても教学聖典が良いということでしたら、別に親鸞会の会員でなくても購入できたはずですので、親鸞会館に行った際に購入すればよく、必ずしも親鸞会に入会しなければ学べないというわけではありません。



●「高森先生のご法話のご縁」が増える

私が学生時代には、会員の中でも教学聖典の丸暗記に成功した人だけが受講できる「教学講義」なるご縁がありました。しかしながら、数年前に無くなってしまいました。

会員さんの中でも特定の条件を満たした人だけが参加できる「ご縁」は、「ご法話」に限らず存在しますが、出来たり消えたりしているので最近はあるのかどうなのか、私には分かりません。なお、講師部員対象の講師部会議などは、聞くところによると昔から今に至るまであるようです。


そういう意味で言いますと、親鸞会に入会することで「高森先生との(ご法話に限らない)ご縁」が増えるのは間違いないですが、ただ会員かそうでないかの違いだけで差が生じることはあまり無いです。限定された「ご縁」にあうためには、たとえば先に述べたような「教学聖典の丸暗記に成功」だとか、「●●円以上のお布施」といった条件が別途必要なことが多いように思います。


「高森先生のご法話のご縁」に拘る場合、別途条件が追加で必要だとしても「親鸞会に入会するメリット」は感じられると思います。ただ、蓮如上人は次のように言われています。


帰するところの弥陀をすてて、ただ善知識ばかりを本とすべきこと、おおきなるあやまりなりとこころうべきものなり。
(御文2-11)




●友人が増える

「親鸞会会員の」を頭に付ければこれはその通りだと思います。ただ、親鸞会は人の入れ替わりがそれなりに激しいために、増えた友人全てが何十年の友人となるかといえば、まず望み薄だと思います。


だいたい友人になったら、会をやめたとか続けているだとか、そんなことはあまり関係無いようにも思うのですが、こと親鸞会に関して言えば、離れる際に人間関係も切れてしまうことが少なくないです。

と言いますのは、経験上、親鸞会を離れる時に円満に離れられるケースが殆ど見られないからです。ふつう、会というのは入るのもやめるのも自由で、親鸞会も一応そのようになっているはずなのですが、やめようとする際に強く説得されるだとか、人(引き留める側の会員さん)によっては自宅突撃などトラブルになりかねないほどのことが行われるために、勢いやめる側も

・徹底的に争う
・徹底的に無視する
・トラブルを未然に防ぐために気付かれないようフェードアウト 等

といった対処を迫られるがゆえに、親鸞会の中と外に分かれた時に人間関係が終焉を迎えることが少なくないように思います。
もちろん例外もありますし、最近は若干ましになったかもしれませんが、劇的に改善しているという話は聞かれません。


ですので、友人を増やすことを第一義に親鸞会の入会を検討することは、まったくお勧めできません。



●御名号本尊が

私が学生時代、先輩がやたら入会を勧めてきた内容として「親鸞聖人御真筆の御名号が頂ける」ということがありました。これは、当時においては正しかったのですが現在は状況が変わっています。


あの御名号本尊は親鸞聖人の筆跡の通りだろうとは思いますが、唯一現存している六字名号の写真と見比べるとスッキリしすぎています。ネット上では「貼り合わせ」と指摘されている代物ですが、今回その部分は考えません。


当時(私が大学生の頃)、「御下付」と言っていた通り「頂けるもの」という認識だったのですが、しばらくしてからなぜか「貸与」に変わって、退会等のときには返却するという誓約書を書くことになりました。


そういうわけで、親鸞会に居る間は御名号本尊が手元にあるわけですが、あくまで貸与ということであって、いつまた話が変わるか知れたものではありません。


御名号本尊が貸与されることを目当てに親鸞会の入会を検討される方はまず無いでしょうが、御本尊に関して言えばお寺に行けば求めることは出来ます。私の家の仏壇にある、親鸞会の携帯用御本尊と同じくらいの大きさの十字名号は、1万3000円でした。(脇掛という扱いですが)
お仏壇屋でも求めることは出来ると思います。



<入会した後>

私が知っている時代の話で言いますと、入会金は5万円(学生なら2万円)です。会費はいくつか種類がありまして、毎月3千円(学生は2千円)から100万円までの種類があります。

参考
※10年ほど前の記事ですが、私が親鸞会から追い出された3年程前も変わってませんでした。


月に10万円以上の会費を出しますと、普通の会員バッジではなく丸い会員バッジにグレードアップします。しかし、会費が少なくなると返却する羽目になります


会費以外にも、法話等のご縁の時にはお布施が募られます。親鸞会館での法話の場合、受付で一万円札を出すと、何も言わなければ5千円戻って来ました。もちろん、お布施は本人の志次第ですので、5千円である必要はありません。「お気持ちで」と言って千円札一枚を出そうが百円玉であろうが構わないと言えば構わないでしょう。

全く出さない(受付に行かない)人も、私が居た当時はありましたが、そういう方は名札で分かるようになっていました。最近はまたシステムが変わっているという話も聞きますので、現在どうなっているか、詳細は分かりませんが。


あと、先ほど御名号本尊のところで述べた通り、「退会した時には御本尊を返却します」という趣旨の誓約書を書きます。なぜか入会後一回では無く、思い出したように不定期に書くようにいわれます。


あと、親鸞会で顕著なのは、様々なお布施です。「ご著書」が出版されるたび、各地の会館が建てられるたび、同朋の里の建物が増えるたび、その他親鸞会に大きな設備(アニメバスとか)が入るたび、お布施の機会が訪れます。各お布施で大金を出しますと、表彰されたり懇親の機会が得られたりしますが、懇親の際もお金が掛かったりすることがあるのはご愛敬です。


先に紹介したサイトにお金の話が出ていますが、ある程度熱心な会員さんの場合、年間に100万円以上お布施に費やしたりします。


あと、これは私がなんとなく感じていたことでもあり、また、退会された年配のとある元会員さんが仰っていたことでもありますが、入会前は色々親切にもしてくれ、熱心に話しもしてくれていた先輩会員さんが、入会してある程度安定して親鸞会館に参詣したりすると、安心したかのように放っておかれるようになります。個人差があるのかもしれませんが、釣った魚にえさはやらないを地で行くような扱いを受けるという話は、ままあったように思います。(個人の感想)



さて、親鸞会の入会を検討される場合にメリットを検討してみると、メリットが全くないこともないですけれども、親鸞会に入会しなければ得られないような大きなメリットがあるかと言われると、微妙だなあということになるかと思います。ここで、そのようなメリット等を考えるまでもなく、親鸞会に入会しなければ魂が救われないように思われている方があるとしますと、まさにマインドコントロールの中にある可能性がありますので、それはそれでよく検討された方が良いかと思います。


親鸞会に入会して、やめていかれた方の中で少なくない方が大変な後悔をされていますが、一方で、必要な縁だったとあじわっていられる方もあります。どちらに転んだにしてもそれは結果論ですから、どうしても親鸞会に入会したいと思われる方を私は止めませんけれども、強いて親鸞会の入会を勧めようとは思わないのでありました。


いずれにせよ、南無阿弥陀仏とのご縁にあわれれば、有り難いご縁だなと思う次第です。


南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏