久しぶりの更新ですけれども、最近はPCの調子が悪いという言い訳をしながらPCをめったに起動しなくなったため、メールのお返事を滞らせてしまっておりました。そのようなわけでご迷惑をおかけした方が何人かありましたが、この場でもお詫びします。


さて、10日もすればもう12月だなあと思い始めた今日この頃ですが、先日RCさんからご案内のあった今年最後の埼玉慧日会も、あと二週間を切りました。


その阿部先生のお寺の報恩講と、落成慶讃法要とが22,23日にあるとのことです。せっかくなのでご縁あればと思いますが、毎年この時期は夫婦で滋賀に行くため残念ながらご縁ありません。たまに「体が2つあればなあ」と思うことがありますが、今回まさにそのような心持ちです。なんだかんだ、様々につけて思う通りにはいかないものです。


そんなことをしばらく考えています。そしてふと、学生時代のことと親鸞会のことを思い出しましたので、いつものようにとりとめもない話を書きます。


学生時代、平日は学業とアルバイト優先で過ごしておりましたが、休日ともなればだいたい親鸞会の行事が入りまして、行事がある時は参加するのが日常でした。特に予定が無いときは問題ないのですが、予定が重なる時がままあり、その時は都度都度、どちらを優先するかということを考えていたのは、私だけではないと思います。


私の場合、冠婚葬祭はもれなくそちらを優先させていましたが、それ以外は基本的に親鸞会の法話が優先になっていたような記憶があります。とはいえ、大学院二年には学業その他が優先になっていましたが。(その辺の経緯は微妙に過去に書いていた気がします)


そんなことを思い出しますと、親鸞会に所属して親鸞会の行事に努めて参加しようと頑張っている方は、常に「親鸞会の重し」があるように思われました。私がどれほど「努めて」いたかは脇におきましょう。

「親鸞会の重し」によって、親鸞会を中心に優先順位が決まっていく、価値観や判断の基準が決まっていく。そうなりますと、たとえば休日の過ごし方も、「親鸞会の行事に参加するか、別の用事を済ますか」ならまだしも、常に「親鸞会の行事に参加するか、親鸞会の活動をするか」などとなりますと、その方は「親鸞会の重し」によって抑えられているのを通り越してしまっていると言えるかも知れません。


私はこれまで、親鸞会の退会を積極的に勧めたことはありませんし、今のところそれは変わりませんが、もし「親鸞会の重し」に気付き、それが心の重しと感じてている方があるとすれば、親鸞会との距離を広げてみるのが良いとは思っています。それは、親鸞会に籍を置いているいないにかかわらず、です。(すでに解放されている方には、いわゆる「釈迦になんとか」ですが)


思いますに、たとえば休日の過ごし方にしても、平日の過ごし方にしても、お金の使い道にしても、親鸞会の何かが選択肢に強く残っているうちはなかなか親鸞会から心が離れませんが、親鸞会もへったくれもなくなってくると、親鸞会と距離が広がって「親鸞会の重し」が取れてくると思います。


私は大学二年の時に親鸞会に対する優先順位が若干変わりまして、その翌年には親鸞会の行事への積極性が弥陀の本願とは何の関係も無いと味わわれるようにはなりましたが、一応親鸞会に在籍している間はだいたい、用事の無い時は親鸞会の行事に出ていました。

そういう意味では、私も親鸞会を離れる(自発的では無かったですが)までは若干にせよ重しがあったのかもしれません。私としては何ら悲壮感の無いものではありましたが。


ともあれ、重しが無くなると、たとえば法話にしても選択肢がたくさんあることが分かります。


法話案内


親鸞会の行事に参加するかどうか、ではなく、あっちの寺に行こうかこっちの寺に行こうか、と迷う場面も出てきます。冒頭書きました今週の件もそのようなものだと思います。


以前誰かが書いていましたが、色んな先生の法話を聞くという聞き方もあり、特定の先生の話を続けて聞くという聞き方もあります。特定の先生の話を聞くと言っても、兵隊が上官に服従するような関係性では勿論ありません。どちらの聞き方もあると思います。


もっとも、今まで「親鸞会の重し」を抱えていらした方が、いきなりその重しを取り払うことが難しいということも分かります。


これまで、選択肢の最低一つに「親鸞会」があるというのは、ある意味楽なことです。困ったら「親鸞会」を選ぶことで手持ち無沙汰になる心配が無いからです。


もちろん、数ある選択肢の一つに「親鸞会」が出てくることは否定しません。


とはいえ、その方が親鸞会に入会された時に何を求めていたかを考えた時、親鸞会自体が目的では無いとすれば、目的ではない親鸞会にあらゆる場面で囚われていることが求めていた姿なのかどうか、ということを考えたくなるのでした。



では自分はどうなのかということですが、親鸞会はどうでも良くなりました。とはいえ、いろいろなご縁がありますのでブログも細々と続けていこうかなと思っている次第です。


どうも論旨が一貫してないように思いますが、

南無阿弥陀仏