あさ川です。ここ2~3週間で、滋賀に行ってみたり埼玉恵日会にご縁があったりと、それはそれでいろいろ味わうところもあるのですが、記事を出すまでには至っていません。そんな折に、RCさんから投稿文を頂きました。


RCさんと私も、不思議のご縁と言えば不思議のご縁ですが、同じ支部に居たものの、同じ支部に居た時はあまりご縁がありませんでした。たまたま私の携帯電話の番号を登録されていたことが、今のこのようなご縁に繋がっています。

阿部先生とのご縁はあまり深くはないのですが、大阪八尾の光蓮寺の仏教文化講座にて最初にお話を聞いたのが、阿部先生のお話でした。またお話を聞いてみたいなと思いながらご縁が無かったところに、ふとご自坊が大間々であることを見つけて足を運び、それとは全く別のところで埼玉恵日会というご縁を頂いて今に至ると。

埼玉の勉強会と言えば、嶋田さんとのご縁ですが、嶋田さんと私とのご縁も勉強会を通じてのことでした。会員時代はまったく面識がありませんでした。


ほかにも、様々な有り難いご縁を頂いて今に至っておるということを、改めて最近味わっております。仏法とのご縁が薄くなると、どうしても日々の生活に埋もれてしまうのでありました。


さて、前置きが長くなりましたが、来年の埼玉恵日会のご案内や先日のお話の内容も含めて投稿文を頂いておりますので、掲載します。


========(以下、RCさんから投稿文です)========

こんにちは。
RCです。

12月3日(日)に、あさ川様にも ご出席いただき、今年最後の埼玉恵日会が 無事に終了しました。
今回の埼玉恵日会には、初めてご参加の方が、4名もお越し下さり、私も 本年最後の埼玉恵日会を 本当に有り難い気持ちで、締めくくることが出来ました。

埼玉恵日会に ご参加くださる皆様、支えてくださる皆様、見守ってくださる皆様のおかげさまです。
心から、感謝しております。
ありがとうございます。

( 皆さま、南無阿弥陀仏 から 現れてくださっているご縁の方々だと思います(o^^o))

*さて、来年の埼玉恵日会の予定が 決まりましたので、ご案内させていただきます。

【2018年 埼玉恵日会 年間予定】

2月18日(日)14時〜17時
4月22日(日)14時〜17時
6月23日(土)14時〜17時
8月5日(日)14時〜17時
10月7日(日)14時〜17時
12月2日(日)14時〜17時

︎2月18日(日)埼玉恵日会の場所は、
『熊谷ロイヤルホテルすずき』の会議室 です。
(熊谷ロイヤルホテルすずきは、JR熊谷駅 南口 徒歩2分の場所です)
いつも開催している熊谷ティアラ21の会議ではないので、ご注意願います️

日にちが近づいたら、再度 お知らせいたします。

4月以降の開催場所は 未定ですが、
出来たら 熊谷ティアラ21 の 会議室で開催したいと 考えております。

○それから講師をしてくださっている阿部先生から
*「この集まりは、お聖教のお言葉に添って、親鸞聖人のお言葉を確認し、理解を深める会ですから、お聖教をお持ちください。」とのお話しが ありました。
次回からは、お手持ちのお聖教をご持参くださいますよう お願いいたします。

親鸞会で使っていたものでも、本願寺出版のものでも、大谷派のものでも いいかと思います。

よろしくお願い いたします。

それから、
◉12月3日の埼玉恵日会のお話しの中の一部を
書かせて頂きます。
そう言えば、以前に 「 自力、他力」という言葉について、たくさんコメントを 頂きましたが、もしかしたら、今度も文章を読んで、疑問を持たれる方が いらっしゃるかもしれません。
そういうことも、また ご縁だと思うので、疑問や 質問や ご意見が、ありましたら、埼玉恵日会へお寄せください。
遠方で 参加が難しい方も、質問文を頂ければ、私が 会で 質問し、お答えの内容を お伝えいたします。
よろしくお願い いたします。

私のアドレスは、
rokujinotsudoiアットマークyahoo.co.jp
です。
アットマークは、@に変えてください。

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【埼玉恵日会でのお話し】

︎(自力の宗教のお話し)
自力の宗教の 特色は、自分ひとりでだけが 気持ちよくなっているということです。
それは、お酒を飲んで酔っ払って 気持ちがいいのと同じです。
自力の宗教では、皆 救われていますが、それはお酒で酔っ払って、現実逃避しているのと同じです。宗教によって 現実から逃避しているだけです。
現実を生きているわけではありません。

自力心は 人間の心です。
他力心は 如来の心です。
自力は、どこまで行っても、私のはからい であり、人間の心です。
人間は いろんなものを生み出しますが、一番多いのは 妄想です。
人間の心は、妄想を生み出す。その妄想を 自分が信じて、人に教えている者がいる。
これが大方の宗教です。
これは 現実逃避です。本人は 現実を生きているつもりでも、朝から 酒を飲んで 酔っ払っている人と同じです。
自力心が見せる妄想に、自分が毒されて、自分も 妄想を信じ込んで 人にも説いて信じ込ませている。そうやって 集団で 妄想している。
お金を集める宗教は、大方 皆そうです。

︎(本願成就のお話し)
「本願が成就した」ということは、「どんな世界にいる者のところにも、南無阿弥陀仏の名号となって届きますよとういう本願が成就した」ということです。
だから、その本願が 成就したおかげによって、私たちは 南無阿弥陀仏の名号を聞いているのです。
逆の言い方をしたら、「南無阿弥陀仏の名号」が聞こえている」ということは、「本願が成就した」ということだから、その 本願成就に、これから 私が付け加えなければならないものは、一つもありません。という話しが 浄土真宗です。

︎(南無阿弥陀仏のおはたらきのお話し)
「阿弥陀さまのはたらきが、はたらいているいる」「南無阿弥陀仏の六字の名号が聞こえている」って いうことは、「誰一人として、極楽に生まれられない者がいなくなった。」ということです。もっと ハッキリ言ってしまえば、「誰も地獄に堕ちない時代がきた」ということです。
本願が成就して、南無阿弥陀仏が ここに聞こえている、南無阿弥陀仏のおはたらきがあるっていうことは、誰も地獄に堕ちない時代がきたということではないですか?
その時代の幕開けが、「南無阿弥陀仏」の六字の名号では ないですか?
「南無阿弥陀仏」の六字の名号が聞こえたということは、その時代が始まったということでしょ。阿弥陀さまは、はたらいているのですから。
なのに、お浄土に生まれない人がいる原因は、そのおはたらきを跳ねつけているからです。
はねつけるというのは、具体的には、
「私が何かすることで、助かろうとすること」です。 それと、もう一つは、「お念仏をしないこと」です。
阿弥陀さまのはたらきは、念仏となってはたらくのです。
「阿弥陀さまのはたらきにおまかせをする」ということは、「お念仏をしなかった人が、お念仏を申す者に なった」ということです。
これが、阿弥陀さまのはたらきにまかせている姿です。
そういうはたらきが あるのに、念仏しないということは、そのはたらきを跳ねつけているのです。
だから、「念仏しない人は、お浄土に参りませんよ」と法然上人は、おっしゃっているのです。
それは 「 念仏を交換条件 」として言っているのでは なく、「あなたは、阿弥陀さまにまかせてないでしょ?」ということです。
念仏しない人は、阿弥陀さまに まかせていない人です。
阿弥陀さまのはたらきの中にいるのに、お浄土に参らない人の原因は、・念仏をしないということであり、・自力のはからい(私が、何事かすることで、お浄土に参ろうとしていること)で、 浄土に往生しようとすることです。
どちらも はからい であり、自力の心 です。

大無量寿経のお説教では、
もう 私たちは、阿弥陀さまのはたらきの中にいるのだから、地獄に堕ちる人は、一人もいませんよ。と、お釈迦さまが お話しされたのです。

だから、大無量寿経のお説教を聞いた人が、みんな喜んで 帰ったのです。
「 阿弥陀さまがはたらいてくださっているという本願成就」、「南無阿弥陀仏のいわれ」を聞いて、「有り難いお話しを聞かせて頂いてよかった、よかった」と 喜び、それ以降は、ご恩報謝の日暮しをするようになった。

これが浄土真宗です。

浄土真宗の日暮しは、ご恩報謝しかありません。
「ご恩報謝」というのは 「 他のご恩によって生かされている」というところから出ています。
「 ご恩報謝 」とは、他のご恩に気づくということです。
「どうやって生きていったらいいのですか?」と聞く人がいますが、
「どうやって生きていったらいいのか?」よりも、「どういう風に生かされているか」を まず 聞いたらいいです。
どういう風に生かされているか と言ったら、大いに生かされていますね。
お米を食べるのも、お米を作ってくれる人がいなければ食べられません。
電車で帰るのも、運転してくれる人がいなけ帰れません。
こういう おかげさまで、私の生活が成り立っています。そのご恩にどうやって報いていくかというのはことです。
それが、自分の職業ではないですか。
「働く」を「はたを、楽にする」と言った妙好人がいます。それが、ご恩報謝です。
皆さんのおかげで、楽をさせていただいているのですから、私もはたを、楽にする。これがご恩報謝です。
これが浄土真宗の日暮しです。

「あなた、一生懸命、よく仕事をするね。」と言われて
「だって、おかげさまですものね。」という人の中に暮らしたいか?
「だって、仕事しなければ、喰えないじゃないですか」という人の中で暮らしたいのか?
どっちで暮らしたいですか。

「だって おかげさまですものね。」という人の中で、暮らしたいなら、自分が一番最初に、そのことに気がつかないといけないでしょう。
そして、「 おかげさまです。」と暮らしいる姿が、「教人信」なのです。
仏教を喜んでいる姿が、そのまま 「教人信」なのです。
「自信」が、そのまま 「教人信」です。
「自信」というのは、おかげさまに気づくことです。

今まで、考えもしなかった、「南無阿弥陀仏のいわれ」を聞いたら、「ああ、おかげさまでした。もう 仏さまのはたらきが 届いていたのですね。そういうことでしたか。有り難いなー」と気づいたら、届いているものは もっと他にも あったのです。
日々の日暮しは、私が努力して 生きてきたのではなく、周りの努力によって、生かされてきたのではないですか。
これに気づいて、そのご恩に報いていく生活をさせていただきましょう という、お互いが、お互いのはたらく姿に手を合わせながら、感謝し合いながら、「ありがとうね。」と言いながら、暮らす世の中に暮らしたいのなら、まず、自分 自らが そういう生活を始めなかったら、そういう世の中は来ないのではないですか。

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お話しされた言葉を、文章にしたので、わかりにくいところもあるかと 思いますが。
お聞きしたことを、お伝え出来たらと、思って 文章にしました。

南無阿弥陀仏のおはたらきに、すっぽり包まれている私なのだと 思います。
本当は、ずっと、そうだったのに、教えて頂いて、やっとそのことに気づけました。
南無阿弥陀仏の教えに出遇えたことで、今も、過去も、未来も、全部 丸ごと 救われるのですね。

南無阿弥陀仏