あさ川です。
先日のRCさんに続きまして、わいるどひっぷさんから投稿文を頂きました。わいるどひっぷさんは以前にも投稿文を頂いてます。今回は嶋田さんへのお礼ということで頂きました。


改めて思いますに、やはり熱量なのだろうと思います。私は会員時代に特にご縁はありませんでしたが、勉強会のご縁を頂いて、お話されている途中で南無阿弥陀仏のご縁を喜ばれながら涙を流されていたことを思い出します。


========(以下、わいるどひっぷさんから投稿文です)========


わいるどひっぷです。
嶋田さんがご往生されたこと、RCさんからうかがいました。改めて、私に六字の心を届けて下さったこと、御礼申し上げます。

RCさんが、埼玉で勉強会を開いてくださったこと。
嶋田さんが、講師としていらっしゃったこと。
当時失業中で、なんとなく芯が抜けたような思いで過ごしていたこと。
父が危篤との知らせを受け、当然のように当たり前と思っていたことが、当たり前でないと、はっとさせられたこと。

など。

わたしが、こうしてこうなろうとか人生設計のように予定を立てているところではなく、想定外のところで、全く思いもかけないところから、南無阿弥陀仏をいただきました。

30年前に、故郷の福井で会にご縁があったこと。3年足らずで辞めてしまったこと。嶋田さんのことはその時に存じ上げていました。青年部と学生部とで、特段親しい間柄ではなかったのですが、24年ぶりに埼玉でお会いした時も、私のことは覚えていて下さっていました。

(わたくしの人となりにつきましては、以前の投稿があります。よろしければご参照ください。http://blog.livedoor.jp/skai_as/archives/49231003.html )

東京に出てきてから10年ばかり、独力でお聖教の読解を試みたりしてきましたが、(平成初期の当時は今のように数々のブログはまだ無く)とても飛雲さんのように、あざやかに読み解くことはできませんでした。会についてゆけず、学業もつとまらず、なら一人ででもやるしかない、と思い詰めて、哲学科に入りなおしてそのように過ごしていたのですが、要するに、ただこのままだったら世間的にあまりにもかっこ悪くて、見栄で恰好つけていただけだったように思います。
(また、とくよしみねさんもブログでおっしゃっていましたが、どうしても、会で刷り込まれた先入観で読んでしまい、文面をその通りに受け取ることができなかったです、思い返してみれば。)
会を辞めて東京へ再受験するまで、大学を卒業できないことが恥ずかしくて実家にも帰れず、かといって下宿は学生部の部室兼用なのでそこへも帰れず、あてもなく3カ月ほどぶらぶら過ごしていたころ(よくお金がもったものです)、もうそれもそうしていられなくて、実家に帰ろうと一旦下宿に戻りました。担当の講師は、わたしにご縁のあった谷川秀大講師から別の方に変わっていました。
「どうしていたんだ」「仏法、辞めてはいけないだろう」「後生の一大事がかかっているんだ」一見、励まし、や、仏法の重さを説諭していながらも、受け止めるこちら側としては、それは脅迫です。とりあえずその場から離れるためだけに「はい」とだけ返事して「これからはきちんと求めるよな」と念を押されてその場を離れ、以後二度と会の方々と会うことはありませんでした。
「ここにだけ真実が説かれている」その優越感、裏返しに、ついて行けないものの敗北感、後生の解決がありながらそれを為さないままでいることの閉塞感…要はマインドコントロールの残滓が残っているのでしょうが、辞めたら辞めたで、独りぼっちの感覚でつらいことは変わりませんでした。
10年経ったその後は、仏法のことは「なかったこと」にすることにしました。思い返さないように、見ないようにして過ごしてきました。
それから数年経って、「私の白道」他いろいろなブログを通して、教義の誤りがようやく分かりました。まるで呪縛が解かれたように、ほっとしました。
「私の白道」は、掲載が始まったころから、見ていました。当初は匿名であったのですが、話される地理感覚や、にじみ出るお人柄から、もしかして、と思っていましたが、やはり、嶋田さんでした。ほかのブログと相まって誤りを誤りと知らせ、南無阿弥陀仏をいわれを説かれ、現実に他力はあるのだということ、それを説かれる方はいらっしゃるのだ、ということを、教えて下さいました。また同時に、なんとまっすぐな方なんだろう、と感動もいたしました。

それからまた数年、間違いは間違いであると分かっても、他力の世界があると分かっても、説かれる方がいらっしゃる、と分かっても、相変わらずブログの読者でいるだけ、という状態が続いていました。

そこへ、勤めていた大手受験予備校の、わたしが属する部門が規模縮小となり、そのあおりで人員整理となってしまいました。組織の末端ではありますがその立場なりに築き上げてきたつもりの時空間が、市場の競争原理とはいえあっけなく無くなってしまったこと、自分の居場所がなくなってしまったことが、何と言いようもなく空しく思えました。時を同じくして父危篤の知らせを受け(1カ月ほどなくしてあっという間に亡くなりました)、まわりの出来事が、明日も同じように当然にあると過ごしていたら、そうではなかった。そうやって出来事と年月だけが過ぎて行って、ただ年だけ取った自分がぽつんとあるような、まるで浦島太郎状態のようにに思えました。

RCさんが埼玉で勉強会を開いていらっしゃること。
私の知っているあの嶋田さんが、「私の白道」のあの嶋田さんが、講師でいらっしゃること。

「参加したいのですが」スマホをポチッとしてみました。するかしないかの、ほんのわずかの動作ですが、何年も眺めていただけの自分と、実際にメールするのとでは、気持ちにとても隔たりがありました。どうやら背中を押されたようです。

ほんとうに、ご縁というものは、分からないです。過去の知人や友人など、これまでに知り合った記憶のうっすらとある中で、まさか、20年以上も前の、あの嶋田さんが、私に南無阿弥陀仏を伝えて下さる方だったとは。思いも寄らないご縁でした。学生当時の私が知る嶋田さんも、こちらが襟を正されるような思いがしたものですが「私の白道」の情熱も、実際にお会いしてお話し下さるお人柄も、印象は全然変わりませんでした。

2年前の今ごろ、埼玉の勉強会でR1000さんが六字を喜ばれているのを見て、前年末にいらっしゃったばかりなのに、なんでまた急に? と思っていたら、ほどなく私もお任せの身になりました。翌3月の埼玉勉強会で嶋田さんに「いただけました。ありがとうございました。」と報告できました。「そうか、よかったね。」とおっしゃって下さったのが、思えば、今生最後の機会でした。

南無阿弥陀仏は、わたしから求めて得られたんじゃない、向こうから一方的に、わたしのほうへやって来た。そう思えてなりません。
どうしてわたしが、六字を喜ぶ身でいられるのだろう。不思議といえばありきたりの表現かもしれませんが、そうとしか言えません。
とうに故郷を離れて仏法も見ないようにして暮らしていたところに、その福井から、嶋田さんのほうから、わざわざ六字を届けに来て下さり、お任せの心、いただけましたこと、御礼申し上げます。

お体がすぐれないとは、うすうす存じ上げてはいましたが、わたくしに六字を届けて下さり、届けて下さったと思ったら程なく、往生されました。
二度ほど福井に帰省する機会もあり、道すがら伺いに行くこともできたはずなのに、思いつかずに過ぎやってしまいました。まさか、六字を喜んでいる旨、お伝えしたのが、最後になろうとは、思っていませんでした。

改めて、御礼申し上げます。

南無阿弥陀仏