今日は埼玉恵日会です。今日の熊谷は真夏日の予想ですが、今日の会場は建物から出る必要が無いので、そこまで暑くないかと思います。直前ではありますがご縁のある方は熊谷においでください。


さて、先月はRCさんから投稿文を頂いておりましたが、私は自分で記事を書いていなかったので、自分で記事を書くのはおよそ2ヶ月ぶりのようです。なんだか、RCさんはじめ投稿文を下さる方でこのブログは続いているような気がしないわけでもありませんが、こんな感じで続いていくかと思います。


先日、ずいぶん前の記事について個別にご質問を頂いておりました。お返事は個別に差し上げましたが、せっかくなのでその記事を読み返して思ったことを少し書きます。


当該の記事はこれです。


5年半前の記事だったことを、日付を見て思い出すくらい時系列についてはあやふやで、400本くらいの記事があってしかも体系だったブログでもありませんから、自分で何を書いたのか忘れてしまっていることも少なくありませんが、この記事に関して言えば書いたことは覚えていましたし、元となった文章を書いたことも覚えています。


元となった文章を書いた2005年当時、私は大学院の二年生でした。ちょうど同じ大学の先輩というか友人というか、そういう人が退会したことを知りまして、自分でもいろいろ調べつつやりとりもしていた時のことでした。


当時のことを書くと長くなる気がするので今日は書きませんが、例の本尊論ブログの文章をこしらえつつ、ネタとなる文章を書きためていた中の一つが、今回の文章でした。


当時と言いますか親鸞会時代の私は、ほぼ一貫して地元の行事にも親鸞会館にも通い続けていました。それは、本尊論ブログを書く前も書いた後も、弥陀の本願喜ぶ前も喜んだ後も、変わりませんでした。


私は一貫して幹部にはなりませんでしたし、手を挙げることもしませんでした。しかしながら、学生時代は長いことバス係という名の会計に近いことをやっていました。


私のいた大学は、大規模ではないもののそこそこ会員がいましたが、大学院に入ってもしぶとく行き続けたのは私だけでした。おおかたは4年間で大学を出たら就職してしまっていたこともありましたが、そのようなわけで、私は大学3年生の頃から最高学年であり続けました。


しかも、地元の行事にも親鸞会館にも一応行っていましたので、いつも顔を合わせる学生からすれば私一人若干年が離れていたこともあり、見事に先輩扱いされてはいました。


一方、内面の私は、就職先は決まったが研究のネタがなかなか定まらずに悶々としながら、自分の人生がなんとなく決まったようで鬱々していたところに、親鸞会ネタの記事を書く機会を得て鬱々した気分が吹き飛んでいたのでした。


ちょうとそんな頃、書いた文章でした。




若干の誇張等はあるにせよ、当時を思い出すと、そこまで間違ったことは書いていないと思います。それは、親鸞会の学友部の実態がそうだったからというよりも、少なくとも私自身にはそのように映っていたということです。


いっぽう、その後の学友部は、急速に変化していきました。少なくとも私にはそのように見えました。


私は支部に移ってからも親鸞会館で学生に会いにいっていましたので、それこそ追い出される少し前までは若干なりと学生とは接点がありました。そこで聞いた話は、文章で書いたものとは随分異なっているようでした。


あの文章を書いた当時、私には学友部員が兵隊のようにもロボットのようにも見えていました。真実開顕の先兵ともいうべき「純粋な」学生を、大方の講師部員も求めていたように見えましたし、熱心な学友部員もそうあるべきだと思っているように見えました。講師部員は、幹部学生でなくとも、先輩ともなれば厳しくなり、ついていけない者は淘汰される、その雰囲気が一応は残っていたように思います。


2005年といえば、「私はなぜ親鸞会をやめたのか」が公開された時です。それまでもちらほらネットでは2ちゃんねるを中心に批判的な声が上がっていましたが、おおむねネット対策が功を奏していました。


以前にも書いたかどうか分かりませんが、「なぜやめ」が公開された当時に批判ブログが乱立した原因を作った一人が私でした。


一応あの当時は親鸞会も頑張ってネット対策を続けていましたが、退会者が増える流れが加速して、今も続く教義批判ブログが出たことによって流れが決定的になった、と記憶しています。


ちなみに私は、2005年当時は熱心にネタ文章を書いたりしておりましたが、「さよなら親鸞会」が出始めるあたりには傍観者に戻っていました。


そういう流れがあったからか分かりませんが、私が支部に移ってからの学生は、少なくとも話を聞く限りではほとんど講師部員から厳しいことも言われなかったようですし、私から見たら「聴聞のご縁」に対する思い入れも随分隔たりがありました。


弥陀の本願、南無阿弥陀仏からすれば、私の側に何も求められてはいませんので、当然にあの文章の如くである必要は微塵もありません。あの当時も今も、そのようなあり方を批判的に冷たい目線で見ていた私ではありましたが、いっぽう、今の学生の、「私から見たら緩いように見える」最近の状態をなんとなく物足りなく思ってしまったという、矛盾した思いがあるなあ、と思ったものでした。


と、ここまで書いて、あさ川はひどいなあと思われた方もあろうかと思います。だからこその南無阿弥陀仏だろうと味わっております。


南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏