遅ればせながら、親鸞会の親会員の会費が5000円になったらしいということを知りました。そして、例の映画(血染めの恩徳讃のリメイクとおぼしきもの)の、ブルーレイとDVDが15000円以上で販売(どうもお布施の記念品扱いのようですが)されたらしいということも知りました。

思い出すのは、親鸞聖人アニメのDVDが出ようとしてた時のことです。

後輩の一人が、「ビデオじゃなくてDVDなら買いたい」と言っていました。なぜかと聞けば、「ビデオは1本15000円で高いけど、DVDなら安いから」とのことでした。確かに一般で売られているDVDは3000円くらいでした。当時、DVDの価格がいくらになるかは分かっていませんでしたが、私は「DVDだからといって安くなるとは限らない」と話をしました。親鸞会なら、間違いなくDVDだから安くするなどということはしないだろうと思っていたからでした。

果たして、親鸞会経験者の皆さんならご存じの通り、DVDもVHS版と変わらない値段で販売されました。

一般的な感覚ですと、ブルーレイとDVDの抱き合わせとは言え15000円は高いのですが、親鸞聖人アニメ時代を思うと、親鸞会も幾分良心的になったなあと思ってしまった私は、随分毒されているような気がしました。


前回の記事は、本文中にある通りメッセージをいただいたことから出発していたのですが、肝心のメッセージ内容をお出しすることができなかったので、いつも以上に脈絡の無い文章になってしまったなあと思いながら更新してしまいました。

そういいながら今日も脈絡の無い文章を書きますが(いつものことですが)、タイトルを「雑感」と付けたのは、いくらかの言い訳であるとお捉え下さい。


さてもう一つ、埼玉県といいますか熊谷近辺だけの現象なのか、全国的な現象なのか分かりませんが、ここ一年くらい、駅の入り口でチラシを配っている宗教団体の皆さんが見られます。

親鸞会とは比較にならないくらいの規模の団体ですので、運動員の皆さんも多かろうと思うのですが、数日にいっぺんは見かけます。

見かけた当初、彼らは特段名乗るわけでも無くチラシを配っていましたが、新聞を配っていた時期は、「安倍政権のことが書かれています」とか「もりかけ問題のことが書かれています」などと言っていました。

私は見かけた当初、宗教団体だと推測しつつ(どの宗教団体かまでは分かりませんでしたが)チラシをもらいまして、「やはりなかなか宗教団体を名乗るというのは抵抗があるのかなあ」と思ったものでした。(その後、新聞ももらったりしたのですが、宗教嫌いの妻に注意されたので、それ以降もらうのはやめました)

ところが、もりかけ問題が盛り上がらなくなった頃から、彼らは自分たちの宗教団体を大声で名乗るようになりました。みんなで「堂々と名乗るべきだ」と思ったのかどうか分かりませんけれども、とにかく名乗るようになりました。

もっとも、ごく最初の頃は手に取る人もあったチラシですが、さすがにずっと見かけるからか、手に取る人は見なくなりました。


私は親鸞会からは無関係の人扱いされているらしいので、無関係で良いのですが、彼らを見るたびに親鸞会の、特に学生会員を思い出します。

親鸞会であることを隠して勧誘することについては批判が多いです。一時は早めに名乗った時期もありましたが、ちらし配りやら声かけやらで親鸞会を名乗ることはまずありませんでした。今はどうなのでしょうか。

私は学生時代、自分の大学では声かけやちらし配りなどを全くやりませんでしたが、他大学へ行ってせっせと声かけしていました。その時ももちろん、親鸞会などとはいいませんでした。仏教です、くらいのことは場合により言っていましたが。

時代によっては名乗っていたこともあったかもしれません。ただ、ここ20年ほどは少なくとも勧誘時に名乗っていないと思います。

どんな思いだったでしょうか。

相手の仏縁を念じてでしょうか。

私の場合は単純な話、「名乗るのが恥ずかし」かったからです。残念ながら、宗教団体に入ることイコール人生を投げ捨てることだという人生観で大学生になっていた私にとって、親鸞会との付き合いは人生を投げ捨てる営みであったので、その心持ちは大学を出るまでありました。ついでに言うと、本願寺シリーズの文章に始まるメンタリティも、私の感覚では随分恥ずかしいものでした。ある意味、南無阿弥陀仏とのご縁を喜んでからは抵抗感が薄らぎましたが、学生時代は「一緒にしないでくれ」とさえ思っていたものでした。

あと付け加えるとすれば、相手が親鸞会に入会する必要は無いと思っていた、ということもありました。仏法とのご縁があるなら、親鸞会でなくてもよいと思っていたのでした。


そういう御託を並べても詮無いことですが、宗教団体であることを駅前で声を張り上げて名乗るご婦人たちの姿を見て、親鸞会であることに誇りがあるならば、堂々とすれば良かったのだよなと思ったものでした。

なお、先に述べた通り、私は親鸞会に誇りなど持ち合わせては居ませんでした。現役の会員さんからしたら、随分みっともない奴だなあと思われるでしょうが、それゆえに今の状態があるのかもしれません。
現在の私は親鸞会からは無関係の人ということになっているようですが、そんな立場で「誇りがあるならば堂々とすれば良いのに」と申してみました。他人事であることは否定しません。

ただ、誇りを持てるものがあれば、それは有り難いことだと思います。