あけましておめでとうございます。ご縁のありました皆さん、ありがとうございました。今年もよろしくお願いします。


予想通り年末の更新ができずに年を越してしまいました。だいたい毎年盆暮れには帰省をしますが、盆に会えなかった実家の祖母に一年ぶりに会いました。すでに90歳は優に過ぎている祖母とは実家を出るまで同居しており、私が実家を出てからも実家におりましたので、盆暮れの帰省の時には毎回会っていました。年齢的にはそろそろかなあと心配していたのですが、ここ最近で急に物忘れが進んだようで、今回は私の顔も忘れてしまっていたようでした。

そんなことに若干寂しさを覚えつつ、そこに南無阿弥陀仏をまた味わっている今日この頃です。


さて、今回はR1000さんから投稿文をいただきました。そういえばもう3年前になりますが、前回に投稿文をいただいたときも年始のご挨拶代わりにした覚えがあります。R1000さんのことをご存じの方もありましょうし、ご存じない方もあろうかと思います。前回と今回を読み比べる方もあるかもしれませんし、それによって思われることがそれぞれにあろうかと思います。

あえて私から何かを言うことは控えますが、一言添えますならば、上手には申せませんけれども、先ほどの祖母の件も含めてまさに南無阿弥陀仏であるなあと味わわれるのであります。


南無阿弥陀仏


=======(以下、R1000さんからの投稿文です)=======

遠くから鐘の音がひとつ、聞こえてきた。
新年に鐘を鳴らす風習なんてあったかなとボンヤリ思いながら、年末から日付や時間の概念が曖昧になった働かない頭で、2019年までとりあえず生き延びた事を知った。
46.8kg。
去年は少なくとも50~53kgあったはずの体重が思ったより落ちていなかったのは、前回の自殺未遂騒動で決定的な溝が出来た父親がいる実家に行き、鍋を少しだけ頂いた影響かもしれない。
それまで口に入れたものは、ミカンと野菜ジュース、喫茶店で飲んだもの、くらいしか記憶にない。
精神科で処方されている薬すら飲まなかった。

発端は昨年末、仕事納めの日に上司に言われたこと。
実の父親をグーで殴れるDQN上司には散々パワハラを受けたけれど、その日の言葉で完全に心が折れた。
忘年会に出席できる状態ではなくなり、翌日の精神科も行かなかった。

眠れない。
元々、上部屋の住民は周囲に気遣うタイプではないけれど、荒々しく閉める扉の音、乱暴に何かを床に置く音。
ドンドンと踵で歩き回る音、ベランダに何かをかけているのか、それが不規則にコトン、コトン、となにかを打つ音。
不定期にドンと床を鳴らす音は深夜3時を過ぎても止まない。
その一つ一つが眠れない頭に鋭く突き刺さり、心臓がビクッと跳ね上がる。
ただ、それすらどうでもいいというか、それどころではない。
立ち上がっても力が入らず、まっすぐ歩く事も難しい。
喫茶店で注文する時も上手く言葉が喋れない。
手が震えて、両手で持たないとコップの水をこぼしそうだ。
家の床を這いながらネコの食事や水の世話をなんとかやっている現状。
「仕事を続けるのはもう無理だ。でも会社を辞めた後、どれほど大変な思いをするかは過去何度も繰り返したからよく分かる。もう40も過ぎたし再就職は今まで以上に厳しいだろう。親に頭を下げて実家に戻ったとしても、居場所がない。どっちみちまた壊れた心をなだめながら職場を探して働かなければならない。もう充分に生きただろう。平均寿命の半分も生きただろう。どっちみちこの先は身体も老いていくばかりだし、健康とは言えない精神を抱えながらもう一回頑張る気力がもうない。お年寄りを見ると、そこまで生きたくない、生きられないと辛くなる。
苦しい。辛い。もう嫌だ。」
水に溺れて苦しむ感じだろうか。窒息して、やがて息絶えるから、まだいい。
息絶えることなく窒息し続ける苦痛。
胸が痛い。痛い痛い。殺してくれ。辛い辛い、苦しい。

知ってる。
20年前からよく知ってる生き地獄。
何度経験しても、決して慣れることのない。
やがて長い夜が明ける。
断片的に眠った際に見た悪夢は数日経った今でも忘れない。
寂寥感しか残らない、辛くて悲しい悪夢。
忘れたい。
年末のいつか、気が付いたら介護用オムツを買っていた。
出来るだけ汚さないように。迷惑かけないように。

苦しみで満たされた空っぽな頭でも常に考えていたことは、猫のこと。
昨年9月に保護猫の里親になった。
5歳の子で、名前はお天気ちゃん。
保護猫カフェの中で、唯一、赤いシュシュを首に巻かれていた。
老夫婦に飼われていたけれど、お婆さんが亡くなっておじいさんも体調が悪くなって飼えなくなったからここへ来た。
人懐っこくて膝にも乗ってくるけれど、突然変わった環境に適応出来ないのか不安定で、触ると突然噛んだり引っかいたりするから。
それで、3年くらい引き取り手もなくここにいた。
ネコ達との集団生活が出来ないのか、いつも隅っこにひとり。他の猫に追いかけられてる時もあった。
別室にあるニャントイレは猫たちのオシッコやうんちの匂いも強烈なのに、トイレに囲まれて丸まってる姿が痛々しかった。
しばらくカフェに通っているうちに、天ちゃんが気になって仕方なくなった。
最初にカフェを訪れて赤いシュシュの子の説明を受けた時、「この子だけはないわー」と思ったのに。
自分が人間社会に適応出来ないから、その姿を投影したのだろうか。
哀れみ、もなかったと言ったら多分嘘になる。
でも、今は天ちゃんが本当に愛おしくて、かわいくて仕方ない。
死ぬ時も天ちゃんまで巻き込まないように、そればっか考えてた。
二つのどんぶりに水をたっぷり溜めて。
ごはんも普段の容器の他に餌袋を二つ開けて床に置く。
万が一も考えて、水道の蛇口を少し開けておく。
中途半端な状態で発見されて後遺症だけ残るのは最悪だけど、天ちゃんが保護される時間は最短であるようにする為の段取り。
その他色々。
独り身が里親になる場合、万が一の為にこのカフェでは保証人が必要で。
母と姉がなってくれた。
実家には既に猫がいるし、親も高齢だ。
二匹とも他の猫との暮らしには向いていないだろう。
姉夫婦は持ち家だし、姪っ子たちも猫は好きだから、申し訳ないけど天ちゃんをよろしくお願いします。
今更ながら、自分のアホさ加減にうんざりした。
適当な気持ちで里親になったつもりはなかったけれど、俺に命を預かる資格なんてなかった。
少し考えれば分かったことなのに。
姉に対する申し訳ない気持ち。
それ以上に天ちゃんと別れるのが辛い。
でもどうしようもない。
辛い。
でも、どっちみち先のない俺に飼われるよりは、安定した環境、人間の元で暮らした方が天ちゃんにとってもいいだろう。
だけど、俺と同じような気持ちで天ちゃんを愛してくれるだろうか。
ネコは繊細な生き物だから気を付けるべきところはたくさんあるけれど、食べ物やトイレの事など、気を付けて世話してくれるだろうか。
まとまりようのない思考の無限ループ。
ごめん、天ちゃん。
別れるのは辛いけど、もう無理だ。
綺麗なキジトラ模様の、ちょっとだけ臆病な性格の、かけがえのない天ちゃん。
本当にごめん。
部屋の扉を閉めて鏡に向かう。
ふと、「これは違うんじゃないか」と初めて思った。
天ちゃんはそれで幸せなんだろうか。
自分より姉一家に飼われる方がいいと思っていたが、天ちゃんはそれで幸せなんだろうか。
久しぶりに安定剤と眠剤を飲んだお陰か、その日、長い夜は来なかった。

翌日、久々に抗鬱剤と安定剤を飲んで、考えるより先に保護猫カフェに足が向いていた。
ノムさん。
身体のどこかにタトゥーがあるって言ってたけど、誰よりも保護猫の事を考えてる、お世話になってるお姉さん。
仕事始めの前日に予約した、爪切り講座。
多分、俺が天ちゃんの爪を切れない事を知ったオーナーが企画してくれたんだと思う。
このオーナーとは会った事がないけれど、同じ敷地内で保護猫たちの為に年末年始なくトリマーとして頑張ってる。
保護猫たちと心中する覚悟で始めたらしい。
ネコエイズを始め、様々な病気の猫たちの医療費だけで大変だろう。
それでも野良猫の不妊治療の活動を最近始めたり。
人見知りで凹みやすいけど立ち直るのも早い、とはノムさんの弁。
多忙な中の講座開催なのに、今の自分には行けるか分からない旨を正直に伝えた。
自分の過去から最近の状態まで色々話した。
会話内容はロクに覚えてないけれど、「俺だから、天ちゃんを託した」と言ってくれたのは覚えてる。
いつでも相談しに来て、とも。

その足で実家に何となく向かった。
もう二度と来ることはないと思っていたのに。
母親には「調子が悪くて、食欲がない」とだけ伝えた。
そして少しだけ料理を頂いて、姪っ子たちと遊んで帰った。
インフルエンザで実家には来ていなかった姉から、温かい内容のメールをもらった。
親戚付き合いの悪い弟、と思われてたみたいだけど、弱ってた俺は苦しい胸の内を返信したからだと思う。
学生時代に自分で作りあげた、両親との壁。
それ以降、作り続けた周囲との壁。
少しだけど、崩れてきた感じがする。
人は、特に俺みたいな人間はひとりでは生きられない。
そう思った。

人生の苦悩は果てしなく、何も見えないくらい真っ暗だ。
これからどうなるのか、どうすべきか、全く分からない。
ただ、俺は里親失格だったけど、一度家族として受けいれた以上、天ちゃんが幸せな一生を終えるまではなんとかしたいと思う。
それでもどうにもならないかもしれない。
阿弥陀さまと出遇った方が、自らこの世を去ったという話もちょっと前に聞いた。
金子みすゞさんもその中のひとりなんだろう、と根拠なく思う。
その人の寿命は、肉体に限った事ではないのかもしれない。

ずっと、お仏壇にむかう心の余裕もなかった。
苦しすぎて、お念仏も出なかった。
ただ、ギリギリ死の間際になっても後生への不安はなかった。

仏教の目的は、生死流転からの出離。
生まれては死に、生まれては死にを永遠に繰り返す以上の苦悩はないと、今思う。
自殺者の大半は男性で、その中でも40代の比率が最も高いらしい。
正に俺がそうだから、分かるような気がする。
今が辛すぎる人に、正論は届かないと思う。
生きろ。死ぬな。とはとても言えないけど、誰かに頼ってほしいです。
頼れる人がいない辛さ、苦しみを思うと胸が張り裂けそうになるけれど。
自分がその相手になれればとも思うけど、今は全くそんな余裕がなくて申し訳ない。

こっちが忘れても決してこちらを忘れずにいて下さる阿弥陀さま。
いちど収め取ったら決して捨てられない阿弥陀さま。
南無阿弥陀仏の、本当の価値なんて最後まで分からないけれど、俺には南無阿弥陀仏と天ちゃんだけです。

薬の効果が切れてきたのか、辛くなってきた。
まともな文章になってないけど、あえて今を書き残したいと思い投稿させて頂きました。

なんまんだぶ
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