あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

カテゴリ : 雑感

またしても自分で記事を書かずに月日が過ぎようとしておりますが、その間にもいくつもの投稿文をいただいてブログが続いているので、なんとなく投稿文主体のブログになっているのではないかと思ったりしております。いいかげん自分の文章を書いたらどうかというつっこみを自分自身でしているのですが、書かない日数が長くなると、内容的にはたいしたことないものについてさえ文章を書くことのハードルが上がってしまう今日この頃でもあります。


さて、今回のタイトルはご覧の通りで、ブログのタイトルの右半分です。内容としては「弥陀の本願と私」とか「南無阿弥陀仏と私」とか付けたかったのかなあと振り返りつつ、「宗教と私」になりました。ブログの開設は時間が無い中でのほぼ思いつきレベルの流れでしたが、タイトルで悩んだ記憶はありませんでしたから、自然と出てきたタイトルだったかと思います。

当初は投稿文を掲載するという発想は当然無かったので考慮の埒外でしたが、投稿文を始めるにあたっては弥陀の本願をともに讃歎したい、という趣旨を持っていました。それを踏まえつつさらに「宗教と私」というタイトルから、南無阿弥陀仏の讃歎だけでなしに例えば親鸞会であったり、あるいは他宗・他宗教の方であっても、宗教をかすがいとして投稿文をいただくというのもありがたいご縁ではなかろうかと、一人思っておりました。そんなことを書いた年頭の話もありました

もっとも、ブログを始めた経緯や私の交際範囲、あるいはブログの読者層の兼ね合いもありまして、投稿文はRCさんを最初として、ほぼ私とは面識のある方ないしはブログ上でご縁の合った方からいただいて、今に至っています。それは大変にありがたいこととして、一方では、さらには親鸞会の人だったり他の宗教の人など、様々な方から投稿文をいただけるようになったら、などと思ったりもしておりました。


そんな折、おそらくは私と面識のなかったであろう方からメールをいただきました。私にとっては唐突に感じたのですが、掲載希望とのことでしたので掲載を予定しております。


気がつけば、このブログも6周年を迎えていました。

最近はあまり書いていませんが、それでもブログのことを考えますと思い出される方は両手でもまったく足りません。全然更新していなくてもページビューはおおむね100を超えていることを考えますと、いかに多くの方に支えていただいているのかということを思います。


6周年からは日が経ってしまいましたが、ご縁のあったみなさん、ありがとうございました。


もうすぐ出ますので、今日はこれくらいとします。

先日、読者の方とお話しする機会がありました。今ではすっかり更新が滞っているこのブログですが、それでも400本くらいの記事があります。なんとその方は、しばらく前にこのブログの存在を知ってから全てお読みになった、とのことでした。ありがたいことです。


親鸞会関係のブログの中でも、このブログは「教義系」など体系だったテーマがあるわけではない(私は一人、「味わい系」と言うことにしています)ので、全部読むのは相当に大変な作業だったろうと思いますが、どうも教義系は難しく感じられる方でも、このブログであれば読めるということがあるようです。いずれにせよ、その方にとっては良いご縁になったとのことでしたので、ブログを書いている人間としてはありがたいなあと思ったものでした。



そういえば、来週の土日(12,13日)は親鸞会で降誕会の予定とのことです。とある元会員さんに教えていただいたことですが、今回は北陸で新聞広告も打っているようです。「おそらく最後になるであろう講演会」だと会員さんから案内があったとも聞きました。


本当に最後なのかどうかは分かりませんけれども、年齢的なことを考えれば不自然ではないのかもしれません。それはさておき今回は、「最後」というフレーズを聴いて学生時代のことを思い出しました。


私にとっては、学生時代の親鸞会における「最後のご縁」には二つのの意味合いがあったように思います。


いつも最後のご縁だと思って聞きなさい、とかそういったことを先輩だの講師部員だのが毎度のように話をしていたのを聞いて、「最後のご縁」だと力んでいたこと。まずはこれが思い出されます。

厳密に言えば地元での部会もしかり、日々のおつとめもしかりなのでしょうが、もっぱら力んでいたのは親鸞会館での法話や教学講義でした。

一年生の頃、入会もしていなかった頃は特に力んでいたような気がしますが、回を重ねるごとに恒例行事となっていき、やがては会費種別を上げるなどの方法を用いるようになっていった思い出があります。どう聞けば、とかどうすれば、などと力んでいたように思いますが、ほかの学生が向かっていた「破邪顕正」にはまったく向かわなかったのが、私の一つの特徴かも知れません。


もう一つの最後、これは文字通り当時は最後だと思っていたのですが、例の本尊論の準備をしながら迎えていた報恩講でした。たまたま正本堂ができた時期が重なったのですが、追い出される気満々の私は「最後のご奉公」ということで、学生のくせに10万円の会費を出して福徳会員になりました。

こういう言い方をすると不快に思われる方もあるか知れませんが、半分はネタで半分は「力み」でした。

親鸞会を追い出されるつもりではいましたが、当時は親鸞会で信心決定の望みを捨てては居ませんでしたので、つまるところ福徳会員になったということも、「いかに自分が”最後のご縁”として真剣に聞けるか」の自分なりに考えた具体的な方法論であったというわけです。


ということで、二つと言いながら結局は同じところに行きつくわけですが、今にして思いますと、学生時代は色んな形をとりながらも力んでいたなあと思い出されます。


とあるお話で、「仏法は阿弥陀様が私を助ける話を聞くのであって、私が助かる方法を聞くのではない」という趣旨のお話を聞いた記憶があります。とすれば、学生時代の私は「私の助かる方法」を聞こうとして、「私が(自分で考えた)助かりそうな方法の実践」をしていたと言えましょう。

いろんなブログでいろんな方が言われてますように、「私→弥陀」ではなくして「弥陀→私」であるわけですが、どうしても私にフォーカスしてしまうのは、努力の積み重ねによって自らの道を開こうとする考えの延長で捉えていたからかもしれません。


そんなことを考えつつ、親鸞会館に若干の懐かしみを覚えたのでした。


私は大学院の二年まで学生時代を過ごしましたので親鸞会としては五年あまり、就職から親鸞会を追い出されるまでが八年弱でした。就職して間もなく南無阿弥陀仏とのご縁に恵まれましたが、親鸞会を追い出されるまでは概ね親鸞会でしか話を聞いてませんでしたので、この十三年間はほとんど親鸞会法話との付き合いでした。

そういう意味からすると、私の親鸞会時代は南無阿弥陀仏とのご縁を喜びながらの時間のほうが長かったわけで、実際のところは親鸞会に苦しめられたとかなんだとかいう思いはほとんどありません。もっとも、就職してからは金を遣うのを控えたとは言ってもそれなりの金は費やしていましたので、別のことに使っていたらという思いはありますが。


ですので、「最後」なら行ってみようかなあと思わなくもないのですが、土曜日に仕事が入っているとか、そもそも追い出された時に「親鸞会館に来るなと言われていた」とか、そんな理由で今のところご縁無いかなあ、とフラフラしております。


ここは人それぞれあると思います。さんざん苦しめられたから「二度と見たくも無い」という方もあるでしょうし、人生の多くを費やしてきた往時を思い出して「久しぶりに行ってみようか」という気持ちになる方もあるかしれません。


親鸞会的には6月の予定もホームページには出ているようですので、講義のようなものは続けるのかも知れません。実際のところは分かりませんけれども、「最後」というフレーズで、久々に学生時代を思い出したのでした。




今日は埼玉恵日会です。今日の熊谷は真夏日の予想ですが、今日の会場は建物から出る必要が無いので、そこまで暑くないかと思います。直前ではありますがご縁のある方は熊谷においでください。


さて、先月はRCさんから投稿文を頂いておりましたが、私は自分で記事を書いていなかったので、自分で記事を書くのはおよそ2ヶ月ぶりのようです。なんだか、RCさんはじめ投稿文を下さる方でこのブログは続いているような気がしないわけでもありませんが、こんな感じで続いていくかと思います。


先日、ずいぶん前の記事について個別にご質問を頂いておりました。お返事は個別に差し上げましたが、せっかくなのでその記事を読み返して思ったことを少し書きます。


当該の記事はこれです。


5年半前の記事だったことを、日付を見て思い出すくらい時系列についてはあやふやで、400本くらいの記事があってしかも体系だったブログでもありませんから、自分で何を書いたのか忘れてしまっていることも少なくありませんが、この記事に関して言えば書いたことは覚えていましたし、元となった文章を書いたことも覚えています。


元となった文章を書いた2005年当時、私は大学院の二年生でした。ちょうど同じ大学の先輩というか友人というか、そういう人が退会したことを知りまして、自分でもいろいろ調べつつやりとりもしていた時のことでした。


当時のことを書くと長くなる気がするので今日は書きませんが、例の本尊論ブログの文章をこしらえつつ、ネタとなる文章を書きためていた中の一つが、今回の文章でした。


当時と言いますか親鸞会時代の私は、ほぼ一貫して地元の行事にも親鸞会館にも通い続けていました。それは、本尊論ブログを書く前も書いた後も、弥陀の本願喜ぶ前も喜んだ後も、変わりませんでした。


私は一貫して幹部にはなりませんでしたし、手を挙げることもしませんでした。しかしながら、学生時代は長いことバス係という名の会計に近いことをやっていました。


私のいた大学は、大規模ではないもののそこそこ会員がいましたが、大学院に入ってもしぶとく行き続けたのは私だけでした。おおかたは4年間で大学を出たら就職してしまっていたこともありましたが、そのようなわけで、私は大学3年生の頃から最高学年であり続けました。


しかも、地元の行事にも親鸞会館にも一応行っていましたので、いつも顔を合わせる学生からすれば私一人若干年が離れていたこともあり、見事に先輩扱いされてはいました。


一方、内面の私は、就職先は決まったが研究のネタがなかなか定まらずに悶々としながら、自分の人生がなんとなく決まったようで鬱々していたところに、親鸞会ネタの記事を書く機会を得て鬱々した気分が吹き飛んでいたのでした。


ちょうとそんな頃、書いた文章でした。




若干の誇張等はあるにせよ、当時を思い出すと、そこまで間違ったことは書いていないと思います。それは、親鸞会の学友部の実態がそうだったからというよりも、少なくとも私自身にはそのように映っていたということです。


いっぽう、その後の学友部は、急速に変化していきました。少なくとも私にはそのように見えました。


私は支部に移ってからも親鸞会館で学生に会いにいっていましたので、それこそ追い出される少し前までは若干なりと学生とは接点がありました。そこで聞いた話は、文章で書いたものとは随分異なっているようでした。


あの文章を書いた当時、私には学友部員が兵隊のようにもロボットのようにも見えていました。真実開顕の先兵ともいうべき「純粋な」学生を、大方の講師部員も求めていたように見えましたし、熱心な学友部員もそうあるべきだと思っているように見えました。講師部員は、幹部学生でなくとも、先輩ともなれば厳しくなり、ついていけない者は淘汰される、その雰囲気が一応は残っていたように思います。


2005年といえば、「私はなぜ親鸞会をやめたのか」が公開された時です。それまでもちらほらネットでは2ちゃんねるを中心に批判的な声が上がっていましたが、おおむねネット対策が功を奏していました。


以前にも書いたかどうか分かりませんが、「なぜやめ」が公開された当時に批判ブログが乱立した原因を作った一人が私でした。


一応あの当時は親鸞会も頑張ってネット対策を続けていましたが、退会者が増える流れが加速して、今も続く教義批判ブログが出たことによって流れが決定的になった、と記憶しています。


ちなみに私は、2005年当時は熱心にネタ文章を書いたりしておりましたが、「さよなら親鸞会」が出始めるあたりには傍観者に戻っていました。


そういう流れがあったからか分かりませんが、私が支部に移ってからの学生は、少なくとも話を聞く限りではほとんど講師部員から厳しいことも言われなかったようですし、私から見たら「聴聞のご縁」に対する思い入れも随分隔たりがありました。


弥陀の本願、南無阿弥陀仏からすれば、私の側に何も求められてはいませんので、当然にあの文章の如くである必要は微塵もありません。あの当時も今も、そのようなあり方を批判的に冷たい目線で見ていた私ではありましたが、いっぽう、今の学生の、「私から見たら緩いように見える」最近の状態をなんとなく物足りなく思ってしまったという、矛盾した思いがあるなあ、と思ったものでした。


と、ここまで書いて、あさ川はひどいなあと思われた方もあろうかと思います。だからこその南無阿弥陀仏だろうと味わっております。


南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

もうすぐ日が変わってしまう時間帯ですが、明日18日は埼玉恵日会の日です。東京から見ると熊谷はそれなりに距離がありますが、ご縁ありましたら熊谷までお越し下さい。


私が阿部先生と最初にご縁があったのは、このブログにもずいぶん前に書きましたが大阪の八尾でした。光蓮寺の仏教文化講座で、またご縁あるといいなあと思いつつ時が経った頃にふとご自坊を訪ねに大間々まで行って何もせずに帰ってきたのも良い思い出でしたが、こうして熊谷でご縁があるのも不思議なありがたいことだと思っています。


さて、更新頻度が低いのは最近では毎度のことではありますけれども、これまた今更感が強いお話をしますと、山も山さんの脱会ブログでずいぶん前に紹介された親鸞会ホームページ更新の件について、(実は以前にも見ていたのですが)私も改めてちょっとホームページを覗いてみました。


月並みな印象としましては、顔が見えるようになったなあというものでした。

以前のホームページは、あれはあれで親鸞会だなあと思いながら見ていたのであまり意識はしていませんでしたが、親鸞会のことを説明しているようでしていない状態ではなかったかなあと思いました。


そういえば、私が最後に親鸞会の講師の方とお話しした時に、親鸞会は開かれた存在になってほしいと言いましたが、ひとまずホームページを見ますとそういう感じになったなあと思いました。

入会のページを見ますと、きちんと入学金(入会金)は5万円だとか、会費は親会員なら3千円だとかいうことも書いてありました。さすがに1燈会員以上の話は見当たりませんでしたが、法話等でお布施のご縁があるなどといったことも書いてありました。

別に特筆すべき内容でもないのでしょうが、そういうところに目が行ってしまったあたり、私の親鸞会に対する印象を物語っているように思いました。

山も山さんも触れられていた通り、行事の日程も公開されているので、行きたい人が行けるようになっているのかもしれません。バーコード管理を今もやっているのかは分かりませんけれども。


そういえば、入会者に「祝・仏縁セット」が贈呈されるとのことですが、最近は「『御文章』の本」や「勤行CD」も贈呈対象になっているのですね。


YouTubeにあるチャンネルに講座風景もアップされているようですが、欲を言えば親鸞会館の法話も聞けるようになるとかしてもらうと、もっと開いた親鸞会になるのではないかなあと思った次第です。



そういえば、私がよく聞きに行く講座のお話で、弥陀の本願はすべての人に開かれているのに善鸞はきわめて狭い個人的なものにしてしまった、という趣旨のお話を以前に聞いた記憶があります。

そういうことで言えば、どこそこでしか聞けないとか、あの先生からしか聞けないという話もないわけですから、まあホームページでもそんなことは言ってませんので、いつもと違う先生から聞くご縁というのもありがたいのではなかろうかと思います。

南無阿弥陀仏

そもそも、今度一七か日報恩講のあいだにおいて、多屋内方もそのほかの人も、大略信心を決定し給えるよしきこえたり。めでたく本望これにすぐべからず。さりながら、そのままうちすて候えば、信心もうせ候うべし。細々に信心のみぞをさらえて、弥陀の法水をながせといえる事ありげに候う。

(蓮如上人御文 2-1)



一月も過ぎ去ろうとしておりますので、そろそろ自分の文章を書こうかなと思っていたところ、RCさんから埼玉恵日会のご案内をいただきました。定期的に投稿文を頂けることをありがたく思いつつ、あまりに自分の文章を書かずにいるのもどうかと思いましたので、少しだけ書きまして、後ほどRCさんの投稿文を掲載したいと思います。


冒頭挙げました蓮如上人のお言葉、学生時代の私は御文章の繰り読みをしていた頃にこの部分を読んで、ここに信心が失せると書いてあるじゃないかと一人攻撃をしていたものでした。


そういえば南無阿弥陀仏を喜ばれる方の中にも、続けて仏法とのご縁を持ち続ける方と、そうでない方があるように思います。

信心決定信心決定と、ないものを獲得するかのごとく「求めて」いたとすると、求めていたものが求まったので、もういいやとなるのかもしれません。


南無阿弥陀仏が消え失せるとかそういったことではありませんけれども、個人的にはそこで仏法とのご縁が遠ざかるというのも勿体ないように思います。蓮如上人が言われているように、信心の溝浚え、というのかはともかく、聞法のご縁なり仏法の本を読むご縁なりお同行と話をするご縁なり、月に一回でもあると、ありがたいご縁だと思います。


かくいう私は、最近仏教書を読むご縁も無く勿体ない感じですが、法話ないしは勉強会のご縁は僅かでも持ちたいなあと思っております。

そういう意味では、近い場所でご縁があるというのは大変にありがたいご縁だなと思います。
人それぞれ、近い遠いはあるかと思いますが、せっかく南無阿弥陀仏とのご縁があったとすれば、何らかの形で仏法とのご縁が続くと、これまたありがたいなと思います。


今月聞いたお話でおもしろいなと思いましたのは、「聞法が大事と言われるが、えてして我々は”聞話”になってしまっている」というものでした。ご縁があれば味わいを書きたいなと思いつつ、今日はこれまでとします。


南無阿弥陀仏

気がつけば大晦日ということで、今年も相変わらず実感の無い年末を過ごしております。最近はブログの更新もすっかり滞ってしまって、更新しないのがデフォルトになってしまっているように思いますが、そんなブログにも懲りずにご覧いただいている皆さん、そして投稿文を頂いたRCさんにわいるどひっぷさん、ありがとうございました。行く年のお礼とともに、来る年もご縁ありましたらよろしくお願いします。


さて、RCさんからお礼の投稿文をいただきましたが、それはこの後に載せようかと思いまして(連投)、一応大晦日くらい自分の記事を簡単に書こうと思います。いつも以上に雑駁な内容であることはあらかじめお断りしておきます。


今年も様々な方とご縁ありましたし、色々なことがありましたが、そういえば淳心房さんとお会いしたのは今年だったのかと、淳心房さんのブログを読んで改めて思い出しました。実は以前から面識はあったのですが、真偽検証の淳心房さんがどなたかということは、宗教問題の件があるまで私の中でずっと未確定情報でした。ご本人が触れられてないので書いていいのか分からないといいつつ書いてしまいますと、実際は学生時代に面識があったのですが、それほど話をしたこともありませんでしたので良いご縁でありました。

ご本人はご家庭の事情もあってあまり聴聞ができないと仰ってますが、今年も書かれたたくさんの記事を読みますと、たいへんにご縁深い方だなあとしみじみ思います。南無阿弥陀仏を喜ばれる方にもいろいろありますが、その中でも大変聞法心が強い方なのだなあと思いながらおります。


淳心房さんのブログでも触れられていましたが、私も埼玉恵日会には何度かご縁ありまして、そのたびに阿部先生がお話しになるのが「御恩報謝」ということでした。日々を忙しくしておりますと、なかなか仏法聞くご縁にもあわずに過ぎてしまいますが、たまに南無阿弥陀仏のお話を聞いて「御恩報謝」と聞かせてもらいますと、しみじみ「おかげさまで」と思うのでありました。そういうことも含めまして、仏法のお話を聞くご縁というのは有り難いなあということをしみじみ思った年でもありました。



さて話はまったく変わりますが、最近の私は「ありがた屋」が加速しているのか分かりませんけれども、娘の姿に南無阿弥陀仏、妻の実家の犬にも南無阿弥陀仏、とっちらかったお話聞いて南無阿弥陀仏と味わっている今日この頃です。その辺を言語化したいと思いつつも果たせず年が過ぎようとしておりますが、きっと年が改めっても変わらないんじゃないかと思いつつ、わんこの話を書こうと思いながら時間の都合により今年の私の文章はこれまでとしたいと思います。


南無阿弥陀仏

久しぶりの更新ですけれども、最近はPCの調子が悪いという言い訳をしながらPCをめったに起動しなくなったため、メールのお返事を滞らせてしまっておりました。そのようなわけでご迷惑をおかけした方が何人かありましたが、この場でもお詫びします。


さて、10日もすればもう12月だなあと思い始めた今日この頃ですが、先日RCさんからご案内のあった今年最後の埼玉慧日会も、あと二週間を切りました。


その阿部先生のお寺の報恩講と、落成慶讃法要とが22,23日にあるとのことです。せっかくなのでご縁あればと思いますが、毎年この時期は夫婦で滋賀に行くため残念ながらご縁ありません。たまに「体が2つあればなあ」と思うことがありますが、今回まさにそのような心持ちです。なんだかんだ、様々につけて思う通りにはいかないものです。


そんなことをしばらく考えています。そしてふと、学生時代のことと親鸞会のことを思い出しましたので、いつものようにとりとめもない話を書きます。


学生時代、平日は学業とアルバイト優先で過ごしておりましたが、休日ともなればだいたい親鸞会の行事が入りまして、行事がある時は参加するのが日常でした。特に予定が無いときは問題ないのですが、予定が重なる時がままあり、その時は都度都度、どちらを優先するかということを考えていたのは、私だけではないと思います。


私の場合、冠婚葬祭はもれなくそちらを優先させていましたが、それ以外は基本的に親鸞会の法話が優先になっていたような記憶があります。とはいえ、大学院二年には学業その他が優先になっていましたが。(その辺の経緯は微妙に過去に書いていた気がします)


そんなことを思い出しますと、親鸞会に所属して親鸞会の行事に努めて参加しようと頑張っている方は、常に「親鸞会の重し」があるように思われました。私がどれほど「努めて」いたかは脇におきましょう。

「親鸞会の重し」によって、親鸞会を中心に優先順位が決まっていく、価値観や判断の基準が決まっていく。そうなりますと、たとえば休日の過ごし方も、「親鸞会の行事に参加するか、別の用事を済ますか」ならまだしも、常に「親鸞会の行事に参加するか、親鸞会の活動をするか」などとなりますと、その方は「親鸞会の重し」によって抑えられているのを通り越してしまっていると言えるかも知れません。


私はこれまで、親鸞会の退会を積極的に勧めたことはありませんし、今のところそれは変わりませんが、もし「親鸞会の重し」に気付き、それが心の重しと感じてている方があるとすれば、親鸞会との距離を広げてみるのが良いとは思っています。それは、親鸞会に籍を置いているいないにかかわらず、です。(すでに解放されている方には、いわゆる「釈迦になんとか」ですが)


思いますに、たとえば休日の過ごし方にしても、平日の過ごし方にしても、お金の使い道にしても、親鸞会の何かが選択肢に強く残っているうちはなかなか親鸞会から心が離れませんが、親鸞会もへったくれもなくなってくると、親鸞会と距離が広がって「親鸞会の重し」が取れてくると思います。


私は大学二年の時に親鸞会に対する優先順位が若干変わりまして、その翌年には親鸞会の行事への積極性が弥陀の本願とは何の関係も無いと味わわれるようにはなりましたが、一応親鸞会に在籍している間はだいたい、用事の無い時は親鸞会の行事に出ていました。

そういう意味では、私も親鸞会を離れる(自発的では無かったですが)までは若干にせよ重しがあったのかもしれません。私としては何ら悲壮感の無いものではありましたが。


ともあれ、重しが無くなると、たとえば法話にしても選択肢がたくさんあることが分かります。


法話案内


親鸞会の行事に参加するかどうか、ではなく、あっちの寺に行こうかこっちの寺に行こうか、と迷う場面も出てきます。冒頭書きました今週の件もそのようなものだと思います。


以前誰かが書いていましたが、色んな先生の法話を聞くという聞き方もあり、特定の先生の話を続けて聞くという聞き方もあります。特定の先生の話を聞くと言っても、兵隊が上官に服従するような関係性では勿論ありません。どちらの聞き方もあると思います。


もっとも、今まで「親鸞会の重し」を抱えていらした方が、いきなりその重しを取り払うことが難しいということも分かります。


これまで、選択肢の最低一つに「親鸞会」があるというのは、ある意味楽なことです。困ったら「親鸞会」を選ぶことで手持ち無沙汰になる心配が無いからです。


もちろん、数ある選択肢の一つに「親鸞会」が出てくることは否定しません。


とはいえ、その方が親鸞会に入会された時に何を求めていたかを考えた時、親鸞会自体が目的では無いとすれば、目的ではない親鸞会にあらゆる場面で囚われていることが求めていた姿なのかどうか、ということを考えたくなるのでした。



では自分はどうなのかということですが、親鸞会はどうでも良くなりました。とはいえ、いろいろなご縁がありますのでブログも細々と続けていこうかなと思っている次第です。


どうも論旨が一貫してないように思いますが、

南無阿弥陀仏

前回の記事に関連しまして、あたたかいコメントあるいは個別のメール、メッセージなど何人かの方から頂きました。ありがとうございます。

ちなみにR1000さんからのコメントについてお返事ができていなかったのは、先日書いたお返事にある通りで、しばらくブログも見ておらずPCも起動していなかったからでした。すいません。


なお、今更ではありますが、以前RCさんと一緒に投稿文を頂いていた嶋田さんが「あなたの白道」を書かれていますのでご紹介します。嶋田さんの現状はご本人が書かれているのでここでは触れませんけれども、様々な方が関わって作られたブログであると伺っております。

「あなたの白道」


せっかくですので、当ブログに頂いた投稿文のうち、もっとも反響のあった第4回のリンクも貼ります。

第4回



さて、まったく話は変わりますが、前回の記事に関連してこのような言葉を頂きました。(ありがとうございました)


仏教の言葉はこういうとき厳しいです。
とにかく心と体に気を付けてください。奥さんを大事にしてください。



確かにそうだなあ、と思いながらお返事しました。仏教の言葉を癒しだとか活力源だとかいうように捉える方もあるかしれませんが、本来仏教の言葉というのはまともに受け取ったらとても厳しくて聞けたものではなかろうか、と思ったのでした。


親鸞会の顕正新聞やら弁論大会やら体験発表やらで、身内の「ご不幸」が縁となって仏法とのご縁を持たれた方のお話はよく聞きました。別段親鸞会に限らず、私が行く寺にもそのような方がいらっしゃいます。ちなみにここで言う「ご不幸」は一般的な意味合いとご理解下さい。

弁論大会やら体験発表やらでそのような方のお話を聞きます中に、身内の「ご不幸」を「弥陀のご方便」というような表現がしばしば見られた事を思い出します。そのような方を見て、ご縁のある方だなあという思いもありましたが、自分だったらそのようには思えないなあという思いも、当時はありました。

ちなみに今もそのような思いはあまり変わらず、娘が亡くなったことについて「ご方便」という味わいが皆無というわけでもありませんが、「仏縁ということだったら娘を殺さないでくれ」という思いの方が強かったりします。


娘を火葬場で見送る際、私がよく行く寺の副住職が来てくれました。実は友人の坊さんを呼ぼうかという思いも頭をかすめたのですが、忙しい中滋賀から呼びつけるのも申し訳ないなという思いもありまして、結局当人には未だに直接話が出来ないまま日が経ってしまいました。来月に行った時にでも話をしようかと思いますが。

それで、その際に寺からリーフレットやらなにやら色々もらったのですが、その中に法語カレンダーのようなものもありました。これは、初七日から七七日まで一週間単位でめくっていくもので、法語や妙好人の言葉などが並んでいたものです。そのカレンダーを仏壇に飾っていたのですが、それについて妻が

「責められているようでつらい」

と頻りに言っていました。私も実際は「そう思うだろうな」と思いながらもご縁だからと飾っていたのですが、つらい時に仏教の言葉を正面から受け取ると、尚更厳しく感じるのだろうと思ったのでした。このとき私は、妻が仏法を聞く気を無くしてしまうのではないかと少し心配になったのですが、仏法を聞く気については以前と変わらなそうだったので安心しました。

ちなみに私が妻ほどに感じなかったのは、私の他人事気質の性質によるものだと思います。それがいいとは思いませんし、「衆生苦悩我苦悩」の如来のこころとはまったくかけ離れているようにも思いますが、結果的にはこのような状態で今に至りました。


仏縁は様々なご縁によって結ばれます。その中でも「身内の不幸」は、いわゆるまったくの他人の死よりも身近に感じる分、自分により近い問題として捉えられ、それによってご縁を結ばれる方も少なくないでしょう。


いっぽう、仏教の言葉は遠慮がない分、厳しく感じられるものだと思います。そしてそれゆえに仏法を撥ね付けてしまうこともあるのではなかろうか、今回私はそのように思いました。


私の場合は幸いにと言いますか、娘の死と前後して仏法を聞く気に特段大きな変化は今のところありませんでした。無常を縁として聞法心なり御恩報謝の心なりが強まればご方便ともなったのかもしれませんが、それが私の性根なのだろうとも思います。とりあえずは逆側に触れなかっただけありがたいと思う私については、いろいろ思われる方もあろうかと思いますが、


ただ一つ言えることは、厳しい仏教の言葉を正面から受けられないような、そんな私が助かるのだとしたら、性根にも根性にも求道心も、一切条件を付けない南無阿弥陀仏より無いのだろうということでした。

もし南無阿弥陀仏の救いを求めてなお救いにあえないと思われている方があるとすれば、私が書いたところで説得力はありませんけれども、南無阿弥陀仏だから心配いりません。もっとも、素直にそのように思えれば苦労しないといわれるのかもしれませんけれど、それはまた機会があれば書くかも知れませんし、書かないかも知れません。



ところで先ほど、「仏縁ということだったら娘を殺さないでくれ」と書いておいてこういうのも変ですが、一方で亡き娘の姿が南無阿弥陀仏とも味わわれる今日この頃です。


南無阿弥陀仏

次回の埼玉慧日会は二週間後ですが、無事にご縁があるとすればまた一つ年を取るのだなあと思っている今日この頃です。


先日、バスに乗っておりますと一人のご婦人がありました。私はバスに乗る際、大概最後部の座席に座るのですが、そのご婦人は私から見て二つほど前の、詰めれば二人座れる座席の窓側に座っていたのでした。

最近のバスは、座席の通路側にも捕まり棒があります。ご婦人は、降りるバス停が近づいたのか、座席の通路側に移動して捕まり棒に捕まり、そしてもう一方の手を窓側に伸ばして、窓にある押しボタンを押したのでした。


このとき、私は一瞬「おや?」と思いました。実にご婦人が掴んでいた捕まり棒にも押しボタンがあったからです。しかも、ご婦人の手の僅かに15cmほど上にあったのでした。

しかしながらご婦人がわざわざ窓側に手を伸ばしたのは、おそらく近くのボタンに気がつかなかったからなのだろう、と思ったのでした。


もっとも気がつかないのも無理は無く、ボタンはご婦人の目線から考えれば上にあり、斜め上を見なければ視界に入らないと思われる位置にありました。


押しボタンが見つからずに探して遠くのボタンを押したら、実は案外近くにボタンがあったというのは路線バスのあるあるのような気がしますが、これがいわゆる盲点というのでしょう。


・近いものが案外見えていない
・見えているようで見えていない


視点を変えてみれば、あるいは少し離れた立場から見れば、案外造作も無く見えることなのかも知れません。
こんなことを考えて私はなぜか、観無量寿経を思い出したのでした。


汝いま知れりやいなや、阿弥陀仏、此を去りたまうこと遠からず。


阿弥陀仏は南無阿弥陀仏として目にもし、耳にもしているのでしょうが、見えているようで見えていなかった、聞こえているようで聞いていなかった、ただ超絶不思議な「何か」が阿弥陀仏なのだろうと勝手に思っていた、

そんな学生時代を思い出したのでした。


南無阿弥陀仏

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