あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

カテゴリ : 雑感

早いものでもう12月ということで、今日は埼玉恵日会の日です。今回は熊谷ではなく大宮駅近傍ですので、東京方面の方は近くなるかと思います。


さて、11/28が親鸞聖人ご命日ということで、11月から1月は報恩講シーズンだと思います。私がよく行くお寺ではいずれも11月に報恩講が行われますので、日程がかぶってしまったり休みがとれなかったりということもありますが、今回はカレンダーの関係もあって、不完全にしろ3カ所でご縁がありました。親鸞会ではだいたい11月だったのが、ここしばらくは10月の三連休あたりに組まれることが多いようです。


埼玉恵日会にしても、お寺の行事にしろ、親鸞会と縁のあった方を見かけることが多いです。ちなみに、現役の会員さんもいらっしゃいます。最近の親鸞会のことはよく分かりませんけれども、親鸞会の会員さんの中で、なかなか親鸞会一筋で良いのかと思われる方などありましたら、この報恩講シーズンのご縁に、お寺の法話を聞かれるのもよろしいかと思います。いくつかご縁にあってみて、やはり親鸞会が良いと思われれば親鸞会中心に戻られるでしょうし、お寺が良いと思われればお寺で聞かれるご縁が増えるでしょうから、いずれでもよろしいかと思います。


ちなみに、私の知る限りでは親鸞会を退会された方の場合、華光会やお西の話を聞かれる方が多いのですが、私はお東のご縁が比較的多いです。ご縁の問題もありますから、導入としてはいずれでも良いと思います。


ただ、もし「信心決定のために何をしたら良いのか」ということでToDoを聞きたいと思って真宗の法話を聞きに行かれますと、おそらくそんなことを説明してくれる人は無いでしょうから、当てが外れるかと思います。その場合、少なくないご縁で質問する機会はあると思いますので、よく質問されるのが良いかと思います。


なお、注意点としまして、お寺によっては事前に連絡せずに行くと不思議な顔をされるケースがあるということがあります。その場合でも、追い返されることはまず無いでしょう。初めての場合は大きなお寺の公開講座などが入りやすいと思います。


レスポンスは悪いですが、私にご連絡いただいたら、私が知る範囲のご縁をお知らせすることも可能ですし、いろんなブロガーの方がいらっしゃいますので、連絡先を公開されている中ででご自分に合うと思われる方にご連絡なさるのもよろしいかと思います。


もちろん、それ以外にも法話のご縁から遠ざかっていて、そろそろ久しぶりに聞きたいと思われる方にも良いご縁だと思います。


細々に信心のみぞをさらえて、弥陀の法水をながせといえる事ありげに候う。
(蓮如上人御文 2-1)



溝浚え


南無阿弥陀仏

遅ればせながら、親鸞会の親会員の会費が5000円になったらしいということを知りました。そして、例の映画(血染めの恩徳讃のリメイクとおぼしきもの)の、ブルーレイとDVDが15000円以上で販売(どうもお布施の記念品扱いのようですが)されたらしいということも知りました。

思い出すのは、親鸞聖人アニメのDVDが出ようとしてた時のことです。

後輩の一人が、「ビデオじゃなくてDVDなら買いたい」と言っていました。なぜかと聞けば、「ビデオは1本15000円で高いけど、DVDなら安いから」とのことでした。確かに一般で売られているDVDは3000円くらいでした。当時、DVDの価格がいくらになるかは分かっていませんでしたが、私は「DVDだからといって安くなるとは限らない」と話をしました。親鸞会なら、間違いなくDVDだから安くするなどということはしないだろうと思っていたからでした。

果たして、親鸞会経験者の皆さんならご存じの通り、DVDもVHS版と変わらない値段で販売されました。

一般的な感覚ですと、ブルーレイとDVDの抱き合わせとは言え15000円は高いのですが、親鸞聖人アニメ時代を思うと、親鸞会も幾分良心的になったなあと思ってしまった私は、随分毒されているような気がしました。


前回の記事は、本文中にある通りメッセージをいただいたことから出発していたのですが、肝心のメッセージ内容をお出しすることができなかったので、いつも以上に脈絡の無い文章になってしまったなあと思いながら更新してしまいました。

そういいながら今日も脈絡の無い文章を書きますが(いつものことですが)、タイトルを「雑感」と付けたのは、いくらかの言い訳であるとお捉え下さい。


さてもう一つ、埼玉県といいますか熊谷近辺だけの現象なのか、全国的な現象なのか分かりませんが、ここ一年くらい、駅の入り口でチラシを配っている宗教団体の皆さんが見られます。

親鸞会とは比較にならないくらいの規模の団体ですので、運動員の皆さんも多かろうと思うのですが、数日にいっぺんは見かけます。

見かけた当初、彼らは特段名乗るわけでも無くチラシを配っていましたが、新聞を配っていた時期は、「安倍政権のことが書かれています」とか「もりかけ問題のことが書かれています」などと言っていました。

私は見かけた当初、宗教団体だと推測しつつ(どの宗教団体かまでは分かりませんでしたが)チラシをもらいまして、「やはりなかなか宗教団体を名乗るというのは抵抗があるのかなあ」と思ったものでした。(その後、新聞ももらったりしたのですが、宗教嫌いの妻に注意されたので、それ以降もらうのはやめました)

ところが、もりかけ問題が盛り上がらなくなった頃から、彼らは自分たちの宗教団体を大声で名乗るようになりました。みんなで「堂々と名乗るべきだ」と思ったのかどうか分かりませんけれども、とにかく名乗るようになりました。

もっとも、ごく最初の頃は手に取る人もあったチラシですが、さすがにずっと見かけるからか、手に取る人は見なくなりました。


私は親鸞会からは無関係の人扱いされているらしいので、無関係で良いのですが、彼らを見るたびに親鸞会の、特に学生会員を思い出します。

親鸞会であることを隠して勧誘することについては批判が多いです。一時は早めに名乗った時期もありましたが、ちらし配りやら声かけやらで親鸞会を名乗ることはまずありませんでした。今はどうなのでしょうか。

私は学生時代、自分の大学では声かけやちらし配りなどを全くやりませんでしたが、他大学へ行ってせっせと声かけしていました。その時ももちろん、親鸞会などとはいいませんでした。仏教です、くらいのことは場合により言っていましたが。

時代によっては名乗っていたこともあったかもしれません。ただ、ここ20年ほどは少なくとも勧誘時に名乗っていないと思います。

どんな思いだったでしょうか。

相手の仏縁を念じてでしょうか。

私の場合は単純な話、「名乗るのが恥ずかし」かったからです。残念ながら、宗教団体に入ることイコール人生を投げ捨てることだという人生観で大学生になっていた私にとって、親鸞会との付き合いは人生を投げ捨てる営みであったので、その心持ちは大学を出るまでありました。ついでに言うと、本願寺シリーズの文章に始まるメンタリティも、私の感覚では随分恥ずかしいものでした。ある意味、南無阿弥陀仏とのご縁を喜んでからは抵抗感が薄らぎましたが、学生時代は「一緒にしないでくれ」とさえ思っていたものでした。

あと付け加えるとすれば、相手が親鸞会に入会する必要は無いと思っていた、ということもありました。仏法とのご縁があるなら、親鸞会でなくてもよいと思っていたのでした。


そういう御託を並べても詮無いことですが、宗教団体であることを駅前で声を張り上げて名乗るご婦人たちの姿を見て、親鸞会であることに誇りがあるならば、堂々とすれば良かったのだよなと思ったものでした。

なお、先に述べた通り、私は親鸞会に誇りなど持ち合わせては居ませんでした。現役の会員さんからしたら、随分みっともない奴だなあと思われるでしょうが、それゆえに今の状態があるのかもしれません。
現在の私は親鸞会からは無関係の人ということになっているようですが、そんな立場で「誇りがあるならば堂々とすれば良いのに」と申してみました。他人事であることは否定しません。

ただ、誇りを持てるものがあれば、それは有り難いことだと思います。

実は私の中で最近ちょっとというかそれなりに面白い事象がありました。といってもそう思っているのは私だけで、妻とすらそんな話はしておりません。たいした話ではないのでさっさと書きますと、丸一日このブログの存在が頭からすっぽり抜けた日があったということでした。

私はブログの更新こそサボりまくってますが、毎日往復5時間にも及ぶ通勤時間やら移動時間やらがあるおかげで、実はその中でブログのあれやこれやと思い煩う時間が、大なり小なり毎日存在していました。それが今月のある日、すぽっと丸一日以上忘れてしまっていたことがあったのでした。

ちなみに、少なくとも今月に入ってから親鸞会関係のブログはまったく確認していませんでしたので、実は浦島太郎状態です(久しぶりに少しだけ読んでたら、ほっこりしたのとひでえなあという感想が別々に出てきましたが)。一ヶ月ほど更新していないこともありまして、そろそろと久しぶりにPCを起動したところ、これまた久しぶりにメッセージをいただいていたことに気付きました。

メッセージは5日にいただいていたので、ほぼ一週間放置していたことになるわけですが、連絡先が無いのでお返事ができません。ブログにてお返事ということも考えたのですが、「頂いたメッセージ及びその他の情報を、投稿者の同意無くあさ川が第三者に見せることはありません」と書いている以上はそういうことも好ましくないかと思いますので、お返事という体裁は取らずに違うこと(雑感)を書きます。
メッセージをくださった方がもし何かやりとりを希望されるようでしたら、改めてメッセージなりコメントなりをいただければと思います。



このブログをお読みになっている方の多くは、浄土真宗親鸞会という宗教団体に何かしら関連のあった方だと思います。何かしら関連があったといっても程度の問題がありまして、私のように会員歴がある方もあれば、私の妻のように会員歴の無い方もあると思います。

そして、会員歴のある方も大きく二つあって、今現在も会員である方と、私のようにすでに会員でない方とあるでしょう。

今現在会員である方も、やはり程度がありまして、バリバリの方から今すぐにでもやめてしまいたい方、あるいはかつての私のように何らかの思惑があって会員を続けている方、様々だと思います。

で、すでに会員でない方にもいろいろあろうかと思います。


ここで、会員でない方を「浄土真宗との関わり」で考えた場合、乱暴に分けると二つに分かれるかと思います。親鸞会を離れて浄土真宗の教えを聞いている方と、浄土真宗からいったん離れている方。

交際の幅が恐ろしく狭い私の場合、元会員さんとのご縁はたいがい真宗のご縁だったりしますので、浄土真宗の教えを聞いているという方との接点が必然的に多くなるのですが、絶対数でいえばおそらく「いったん離れている方」が多いのではないかと思います。

いったん離れている方にもいろいろあることは承知の上で、あえて二つに分けるとすると、宗教自体に懲りてしまって宗教から離れた生き方をする方と、別の宗教に入信する方。


今回、メッセージをいただいた方は、おそらくこの「宗教自体に懲りてしまって宗教から離れた生き方をする」ことを選んだという方だろうと思いました。

私も学生時代以前からそういうことを志向しておりましたのでその気持ちは分かります。そういう観点で見ると、宗教的解決というのがものすごく安易に見えたり、自分とは隔絶された心境(自分とは違う世界のような話)に思えたりするものです。

そんなふうに思いますと、蓮如上人が「南無阿弥陀仏は往生定まりたる証拠」と言われたという話を聞いてももはや理解の範疇に無いというようになるでしょう。もはや浄土真宗の聖教自体がまったく権威を持ちません。

自分で確認できることでなければ信用がならないとする立場と、その反対の立場とでは話が噛み合わないのも無理ないです。


先ほど私は「いったん離れている方」と、あえて「いったん」を付けたのは、上記のことも含めてすべてご縁であると味わっているからです。今は離れていてもやがてご縁のある方もあるでしょうし、その反対の方もあるでしょうし、ずっとご縁のない方も、ずっとご縁のある方もあるでしょう。それらすべてはご縁なのだと味わっています。


親鸞会で痛い目を見て、親鸞会を否定するあまりにいろんなものを否定したくなるという方もあるようです。そうして親鸞会を否定し続けることが親鸞会の影響から離れることだと思われているのかもしれません。ただ、私が思いますに、親鸞会を強く否定すればするほど、親鸞会に強く入れ込んでいる方同様に、親鸞会の影響を強く受けているように見えます。(目的を持って意図的に批判をしているブロガーの皆さんは除きますが)

私から見れば、親鸞会を否定するために親鸞会的(に見えるよう)なあらゆるものに目くじらを立てるとすれば、いわゆる「バリ会員」と同じくらいに親鸞会的です。


そこの感じ方には個人差があるでしょうが、親鸞会なんてどうでもいいというか、忘れるまでいかなくても(忘れても)いいのですが人生の肥やしになるくらいになれば良いのではと思いました。


もっともそれは、私が「親鸞会を離れるまでの心の揺らぎ」や「親鸞会をやめた後の苦しみ」のプロセスを経ていない※が為に言えることなのかも知れません。


なお、親鸞会は人生に対してまじめな皆さんを浄土真宗から遠ざける事例があまりに多いというようには思っておりますので、親鸞会の擁護をする気はございません。


最近はどうも雑になっているきらいもありますが
なんまんだぶ




※補足

ブログには再三書いていることですが、大ざっぱに言えば「親鸞会に入った当初の目的はすでにに達せられていていたので、それから親鸞会を追い出されるまでの約7年間はどちらでも良い状態であった」ということです。

今日は埼玉恵日会の日です。昨日もしれっと最高気温が30度を超えた熊谷でしたが、今日も日差しが強くてすでに30度を超えているようです。もっとも、今回の会場は駅直結の会場とのことですので、そこまで暑さは感じないかも知れません。


仏法とのご縁のたびに思い出すのが、蓮如上人のこの御文です。


細々に信心のみぞをさらえて、弥陀の法水をながせといえる事ありげに候う。
(蓮如上人御文 2-1)



ちょっとずれますが、今日は暑いので、熊谷がどれくらい暑いのかという話を書いてみます。

熊谷に気象台があるおかげで、予想最高気温の上位で名前が出る常連で、熊谷といえば暑いという単語が真っ先に紐付くという人も多かろうと思います。実際、今年も最高気温を更新しましたし、10年くらい前にも山形の記録を更新していました。ついでにいえば、6,7,9月の最高気温も熊谷が1番です。

そんなわけで、熊谷が暑いというのはその通りなのですが、たとえば40度を観測したという観点で見ると、熊谷が40度以上を観測したのは過去100年あまりで2回だけです。そのいずれも最高気温を更新した記録のために目立っているようです。


これ


40度以上を2回観測と言えば、同じ埼玉でも熊谷ほど暑いイメージが無い越谷も2回でした。意外?にも40度以上を先に観測したのは越谷でした。
ちなみに、10年くらい前に熊谷と同じ日に最高気温を更新した岐阜県の多治見は、40度以上を6回観測しています。

いずれも暑いには違いないと思いますけれども、こういう見方をすると熊谷の暑さも単純に暑い以外の見方ができるような気がしました。


自分で南無阿弥陀仏を味わうのもありがたいのですが、お聴聞を通して自分が味わっている以上の味わいができるというところも、仏法とのご縁がありがたいものであるゆえんだなあと思います。


まとまってませんが

南無阿弥陀仏

8月はお盆だったこともありまして、先日久しぶりに阿部先生のお寺の定例に行きました。最近の私はあまりいろんなところに行かなくなって、だいたい数カ所の決まったところに行くくらいになってしまいました。

阿部先生のお寺の西福寺に行くとき、私は昼食として近くのうどん屋で食事をします。気に入って行っている店は2カ所ありますが、今回はそのうちの一カ所に行きました。

普段はそれほど混雑していない店なのですが、たまたま混雑していまして、相席してくれと言われました。そのテーブルで、久しぶりに会うお同行が座っていました。


以前も明らかに同じようなことを書いたのですが、そんなことがあったのでまた書きます。


以前に、「あう」ことについて便宜上以下のような分類をしていました。

①AはBを目当てにあいに行った。BはAに予期せずあった。
②AとBは互いに予期せずにあった。


今回の私は、うどん屋で「あう」ことについては予期していませんでしたし、おそらく彼にとってもそれは予期していなかったでしょうから、そうすると②の「あい方」と言えるでしょう。

この予期しない「あう」ということを、親鸞聖人は「遇う」といった表現でなされています。前回も引用しましたが、また引用してみます。


「遇はまうあふといふ、まうあふとまふすは、本願力を信ずるなり。」
とあり、『教行信証』の総序にも「遇い難くして今遇うことをえたり」とあり、正信念仏掲の「一生造悪値弘誓」を念仏正信偈には「遇弘誓」となっている。遇のまうあうは目上の人から目下の人に向う場合に使われる用語といわれ、しかも全く予期しないあい方である。それは自らの予想し、求めている方向にないからである。
(稲城選恵著 『他力信心の特色』)



そうすると、前回の記事を書く以前と同じ味わいということになるかもしれませんが、一つ言うなれば、私は「西福寺に行けば彼に会えるかも知れない」という期待を持っていたということでした。そういう意味では前回と同じ話になるのですが、「あった」のは寺ではなくてうどん屋でした。


AとBで並べるとわけが分からなくなるので並べませんけれども、今回も弥陀と私の話として強引に味わうならば、


・私は弥陀に(このようにすれば)「あえる」だろうという期待を持っていた。しかし、思いがけないところで「あった」
 弥陀は私が目当てであった


前回のAとBの話は、「私の立場から見た」場合に①と②は同じでした。いわば「弥陀の立場から見た」(であろう)違いを書いていまして、ついでに言えば「私」の作為も問題にしていませんでした。

そういえば、南無阿弥陀仏を喜ぶ前、というとおおむね学生時代の話になるのですが、ああすればどうかこうすればどうかという思いから離れなかったというのは、まさに自力心全開だったといえるでしょうか。ついでに言えば、弥陀の本願にあう(というより私にとっては「人生の目的達成」でしたが)ということの結果としては、また想像する結果があったものでした。

現在から見れば、確かに望んでいたとおり以前の定義に於ける「人生の目的達成」したのでしょうが、それは学生時代の想像とは全く異なることでした。結局のところ、「自らの予想し、求めている方向に」無かったからでした。



今回の話も、総体から言えば特段目新しい話でも何でも無いのでしょうが、ふとそのような味わいがありましたので、このように書いてみました。


ああ、弘誓の強縁、多生にも値いがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽*150せられなば、かえってまた曠劫を径歴せん。誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。
(総序)

またしても自分で記事を書かずに月日が過ぎようとしておりますが、その間にもいくつもの投稿文をいただいてブログが続いているので、なんとなく投稿文主体のブログになっているのではないかと思ったりしております。いいかげん自分の文章を書いたらどうかというつっこみを自分自身でしているのですが、書かない日数が長くなると、内容的にはたいしたことないものについてさえ文章を書くことのハードルが上がってしまう今日この頃でもあります。


さて、今回のタイトルはご覧の通りで、ブログのタイトルの右半分です。内容としては「弥陀の本願と私」とか「南無阿弥陀仏と私」とか付けたかったのかなあと振り返りつつ、「宗教と私」になりました。ブログの開設は時間が無い中でのほぼ思いつきレベルの流れでしたが、タイトルで悩んだ記憶はありませんでしたから、自然と出てきたタイトルだったかと思います。

当初は投稿文を掲載するという発想は当然無かったので考慮の埒外でしたが、投稿文を始めるにあたっては弥陀の本願をともに讃歎したい、という趣旨を持っていました。それを踏まえつつさらに「宗教と私」というタイトルから、南無阿弥陀仏の讃歎だけでなしに例えば親鸞会であったり、あるいは他宗・他宗教の方であっても、宗教をかすがいとして投稿文をいただくというのもありがたいご縁ではなかろうかと、一人思っておりました。そんなことを書いた年頭の話もありました

もっとも、ブログを始めた経緯や私の交際範囲、あるいはブログの読者層の兼ね合いもありまして、投稿文はRCさんを最初として、ほぼ私とは面識のある方ないしはブログ上でご縁の合った方からいただいて、今に至っています。それは大変にありがたいこととして、一方では、さらには親鸞会の人だったり他の宗教の人など、様々な方から投稿文をいただけるようになったら、などと思ったりもしておりました。


そんな折、おそらくは私と面識のなかったであろう方からメールをいただきました。私にとっては唐突に感じたのですが、掲載希望とのことでしたので掲載を予定しております。


気がつけば、このブログも6周年を迎えていました。

最近はあまり書いていませんが、それでもブログのことを考えますと思い出される方は両手でもまったく足りません。全然更新していなくてもページビューはおおむね100を超えていることを考えますと、いかに多くの方に支えていただいているのかということを思います。


6周年からは日が経ってしまいましたが、ご縁のあったみなさん、ありがとうございました。


もうすぐ出ますので、今日はこれくらいとします。

先日、読者の方とお話しする機会がありました。今ではすっかり更新が滞っているこのブログですが、それでも400本くらいの記事があります。なんとその方は、しばらく前にこのブログの存在を知ってから全てお読みになった、とのことでした。ありがたいことです。


親鸞会関係のブログの中でも、このブログは「教義系」など体系だったテーマがあるわけではない(私は一人、「味わい系」と言うことにしています)ので、全部読むのは相当に大変な作業だったろうと思いますが、どうも教義系は難しく感じられる方でも、このブログであれば読めるということがあるようです。いずれにせよ、その方にとっては良いご縁になったとのことでしたので、ブログを書いている人間としてはありがたいなあと思ったものでした。



そういえば、来週の土日(12,13日)は親鸞会で降誕会の予定とのことです。とある元会員さんに教えていただいたことですが、今回は北陸で新聞広告も打っているようです。「おそらく最後になるであろう講演会」だと会員さんから案内があったとも聞きました。


本当に最後なのかどうかは分かりませんけれども、年齢的なことを考えれば不自然ではないのかもしれません。それはさておき今回は、「最後」というフレーズを聴いて学生時代のことを思い出しました。


私にとっては、学生時代の親鸞会における「最後のご縁」には二つのの意味合いがあったように思います。


いつも最後のご縁だと思って聞きなさい、とかそういったことを先輩だの講師部員だのが毎度のように話をしていたのを聞いて、「最後のご縁」だと力んでいたこと。まずはこれが思い出されます。

厳密に言えば地元での部会もしかり、日々のおつとめもしかりなのでしょうが、もっぱら力んでいたのは親鸞会館での法話や教学講義でした。

一年生の頃、入会もしていなかった頃は特に力んでいたような気がしますが、回を重ねるごとに恒例行事となっていき、やがては会費種別を上げるなどの方法を用いるようになっていった思い出があります。どう聞けば、とかどうすれば、などと力んでいたように思いますが、ほかの学生が向かっていた「破邪顕正」にはまったく向かわなかったのが、私の一つの特徴かも知れません。


もう一つの最後、これは文字通り当時は最後だと思っていたのですが、例の本尊論の準備をしながら迎えていた報恩講でした。たまたま正本堂ができた時期が重なったのですが、追い出される気満々の私は「最後のご奉公」ということで、学生のくせに10万円の会費を出して福徳会員になりました。

こういう言い方をすると不快に思われる方もあるか知れませんが、半分はネタで半分は「力み」でした。

親鸞会を追い出されるつもりではいましたが、当時は親鸞会で信心決定の望みを捨てては居ませんでしたので、つまるところ福徳会員になったということも、「いかに自分が”最後のご縁”として真剣に聞けるか」の自分なりに考えた具体的な方法論であったというわけです。


ということで、二つと言いながら結局は同じところに行きつくわけですが、今にして思いますと、学生時代は色んな形をとりながらも力んでいたなあと思い出されます。


とあるお話で、「仏法は阿弥陀様が私を助ける話を聞くのであって、私が助かる方法を聞くのではない」という趣旨のお話を聞いた記憶があります。とすれば、学生時代の私は「私の助かる方法」を聞こうとして、「私が(自分で考えた)助かりそうな方法の実践」をしていたと言えましょう。

いろんなブログでいろんな方が言われてますように、「私→弥陀」ではなくして「弥陀→私」であるわけですが、どうしても私にフォーカスしてしまうのは、努力の積み重ねによって自らの道を開こうとする考えの延長で捉えていたからかもしれません。


そんなことを考えつつ、親鸞会館に若干の懐かしみを覚えたのでした。


私は大学院の二年まで学生時代を過ごしましたので親鸞会としては五年あまり、就職から親鸞会を追い出されるまでが八年弱でした。就職して間もなく南無阿弥陀仏とのご縁に恵まれましたが、親鸞会を追い出されるまでは概ね親鸞会でしか話を聞いてませんでしたので、この十三年間はほとんど親鸞会法話との付き合いでした。

そういう意味からすると、私の親鸞会時代は南無阿弥陀仏とのご縁を喜びながらの時間のほうが長かったわけで、実際のところは親鸞会に苦しめられたとかなんだとかいう思いはほとんどありません。もっとも、就職してからは金を遣うのを控えたとは言ってもそれなりの金は費やしていましたので、別のことに使っていたらという思いはありますが。


ですので、「最後」なら行ってみようかなあと思わなくもないのですが、土曜日に仕事が入っているとか、そもそも追い出された時に「親鸞会館に来るなと言われていた」とか、そんな理由で今のところご縁無いかなあ、とフラフラしております。


ここは人それぞれあると思います。さんざん苦しめられたから「二度と見たくも無い」という方もあるでしょうし、人生の多くを費やしてきた往時を思い出して「久しぶりに行ってみようか」という気持ちになる方もあるかしれません。


親鸞会的には6月の予定もホームページには出ているようですので、講義のようなものは続けるのかも知れません。実際のところは分かりませんけれども、「最後」というフレーズで、久々に学生時代を思い出したのでした。




今日は埼玉恵日会です。今日の熊谷は真夏日の予想ですが、今日の会場は建物から出る必要が無いので、そこまで暑くないかと思います。直前ではありますがご縁のある方は熊谷においでください。


さて、先月はRCさんから投稿文を頂いておりましたが、私は自分で記事を書いていなかったので、自分で記事を書くのはおよそ2ヶ月ぶりのようです。なんだか、RCさんはじめ投稿文を下さる方でこのブログは続いているような気がしないわけでもありませんが、こんな感じで続いていくかと思います。


先日、ずいぶん前の記事について個別にご質問を頂いておりました。お返事は個別に差し上げましたが、せっかくなのでその記事を読み返して思ったことを少し書きます。


当該の記事はこれです。


5年半前の記事だったことを、日付を見て思い出すくらい時系列についてはあやふやで、400本くらいの記事があってしかも体系だったブログでもありませんから、自分で何を書いたのか忘れてしまっていることも少なくありませんが、この記事に関して言えば書いたことは覚えていましたし、元となった文章を書いたことも覚えています。


元となった文章を書いた2005年当時、私は大学院の二年生でした。ちょうど同じ大学の先輩というか友人というか、そういう人が退会したことを知りまして、自分でもいろいろ調べつつやりとりもしていた時のことでした。


当時のことを書くと長くなる気がするので今日は書きませんが、例の本尊論ブログの文章をこしらえつつ、ネタとなる文章を書きためていた中の一つが、今回の文章でした。


当時と言いますか親鸞会時代の私は、ほぼ一貫して地元の行事にも親鸞会館にも通い続けていました。それは、本尊論ブログを書く前も書いた後も、弥陀の本願喜ぶ前も喜んだ後も、変わりませんでした。


私は一貫して幹部にはなりませんでしたし、手を挙げることもしませんでした。しかしながら、学生時代は長いことバス係という名の会計に近いことをやっていました。


私のいた大学は、大規模ではないもののそこそこ会員がいましたが、大学院に入ってもしぶとく行き続けたのは私だけでした。おおかたは4年間で大学を出たら就職してしまっていたこともありましたが、そのようなわけで、私は大学3年生の頃から最高学年であり続けました。


しかも、地元の行事にも親鸞会館にも一応行っていましたので、いつも顔を合わせる学生からすれば私一人若干年が離れていたこともあり、見事に先輩扱いされてはいました。


一方、内面の私は、就職先は決まったが研究のネタがなかなか定まらずに悶々としながら、自分の人生がなんとなく決まったようで鬱々していたところに、親鸞会ネタの記事を書く機会を得て鬱々した気分が吹き飛んでいたのでした。


ちょうとそんな頃、書いた文章でした。




若干の誇張等はあるにせよ、当時を思い出すと、そこまで間違ったことは書いていないと思います。それは、親鸞会の学友部の実態がそうだったからというよりも、少なくとも私自身にはそのように映っていたということです。


いっぽう、その後の学友部は、急速に変化していきました。少なくとも私にはそのように見えました。


私は支部に移ってからも親鸞会館で学生に会いにいっていましたので、それこそ追い出される少し前までは若干なりと学生とは接点がありました。そこで聞いた話は、文章で書いたものとは随分異なっているようでした。


あの文章を書いた当時、私には学友部員が兵隊のようにもロボットのようにも見えていました。真実開顕の先兵ともいうべき「純粋な」学生を、大方の講師部員も求めていたように見えましたし、熱心な学友部員もそうあるべきだと思っているように見えました。講師部員は、幹部学生でなくとも、先輩ともなれば厳しくなり、ついていけない者は淘汰される、その雰囲気が一応は残っていたように思います。


2005年といえば、「私はなぜ親鸞会をやめたのか」が公開された時です。それまでもちらほらネットでは2ちゃんねるを中心に批判的な声が上がっていましたが、おおむねネット対策が功を奏していました。


以前にも書いたかどうか分かりませんが、「なぜやめ」が公開された当時に批判ブログが乱立した原因を作った一人が私でした。


一応あの当時は親鸞会も頑張ってネット対策を続けていましたが、退会者が増える流れが加速して、今も続く教義批判ブログが出たことによって流れが決定的になった、と記憶しています。


ちなみに私は、2005年当時は熱心にネタ文章を書いたりしておりましたが、「さよなら親鸞会」が出始めるあたりには傍観者に戻っていました。


そういう流れがあったからか分かりませんが、私が支部に移ってからの学生は、少なくとも話を聞く限りではほとんど講師部員から厳しいことも言われなかったようですし、私から見たら「聴聞のご縁」に対する思い入れも随分隔たりがありました。


弥陀の本願、南無阿弥陀仏からすれば、私の側に何も求められてはいませんので、当然にあの文章の如くである必要は微塵もありません。あの当時も今も、そのようなあり方を批判的に冷たい目線で見ていた私ではありましたが、いっぽう、今の学生の、「私から見たら緩いように見える」最近の状態をなんとなく物足りなく思ってしまったという、矛盾した思いがあるなあ、と思ったものでした。


と、ここまで書いて、あさ川はひどいなあと思われた方もあろうかと思います。だからこその南無阿弥陀仏だろうと味わっております。


南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

もうすぐ日が変わってしまう時間帯ですが、明日18日は埼玉恵日会の日です。東京から見ると熊谷はそれなりに距離がありますが、ご縁ありましたら熊谷までお越し下さい。


私が阿部先生と最初にご縁があったのは、このブログにもずいぶん前に書きましたが大阪の八尾でした。光蓮寺の仏教文化講座で、またご縁あるといいなあと思いつつ時が経った頃にふとご自坊を訪ねに大間々まで行って何もせずに帰ってきたのも良い思い出でしたが、こうして熊谷でご縁があるのも不思議なありがたいことだと思っています。


さて、更新頻度が低いのは最近では毎度のことではありますけれども、これまた今更感が強いお話をしますと、山も山さんの脱会ブログでずいぶん前に紹介された親鸞会ホームページ更新の件について、(実は以前にも見ていたのですが)私も改めてちょっとホームページを覗いてみました。


月並みな印象としましては、顔が見えるようになったなあというものでした。

以前のホームページは、あれはあれで親鸞会だなあと思いながら見ていたのであまり意識はしていませんでしたが、親鸞会のことを説明しているようでしていない状態ではなかったかなあと思いました。


そういえば、私が最後に親鸞会の講師の方とお話しした時に、親鸞会は開かれた存在になってほしいと言いましたが、ひとまずホームページを見ますとそういう感じになったなあと思いました。

入会のページを見ますと、きちんと入学金(入会金)は5万円だとか、会費は親会員なら3千円だとかいうことも書いてありました。さすがに1燈会員以上の話は見当たりませんでしたが、法話等でお布施のご縁があるなどといったことも書いてありました。

別に特筆すべき内容でもないのでしょうが、そういうところに目が行ってしまったあたり、私の親鸞会に対する印象を物語っているように思いました。

山も山さんも触れられていた通り、行事の日程も公開されているので、行きたい人が行けるようになっているのかもしれません。バーコード管理を今もやっているのかは分かりませんけれども。


そういえば、入会者に「祝・仏縁セット」が贈呈されるとのことですが、最近は「『御文章』の本」や「勤行CD」も贈呈対象になっているのですね。


YouTubeにあるチャンネルに講座風景もアップされているようですが、欲を言えば親鸞会館の法話も聞けるようになるとかしてもらうと、もっと開いた親鸞会になるのではないかなあと思った次第です。



そういえば、私がよく聞きに行く講座のお話で、弥陀の本願はすべての人に開かれているのに善鸞はきわめて狭い個人的なものにしてしまった、という趣旨のお話を以前に聞いた記憶があります。

そういうことで言えば、どこそこでしか聞けないとか、あの先生からしか聞けないという話もないわけですから、まあホームページでもそんなことは言ってませんので、いつもと違う先生から聞くご縁というのもありがたいのではなかろうかと思います。

南無阿弥陀仏

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