あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

カテゴリ : あさ川について

私は、冒頭にも書いています通り、今も浄土真宗親鸞会に所属しています。

2005年の11月に”浅川進”の名前で「親鸞会の本尊論を再考する」(その後、12月に「再再考する」)というブログを書いて、講師部の方とも話をして、閉鎖して、除名という話も出ましたが、どういうわけか除名されずに現在に至っています。

ブログを作った経緯は機会があればまた別途書くことにしますが、この時点で私は、”追い出されるまでは親鸞会をやめない”ことにしました。

”浅川進”は私の本名ではありません(し、私がつけたわけでも無いのです)が、このような経緯から、私が誰かであるということは親鸞会の中では知られています。

今回、”あさ川進”にしたのは、本名ではないことを明確にすることもありますが、世の中に本物の”浅川進さん”がいらっしゃることから、変えた方が良いという判断が働いたことにもよります。

ちなみに私は、(一部はかつて2chにも書きましたが)
”さよなら親鸞会”のぶるうの氏と出身大学が同じ。ついでに出身県も同じ(これは微妙)。
・大学院を修了し、現在は会社員
・10年ほど都内に住んでいたが、現在は北関東にて一人暮らし
です。

おそらく、私を知る人の多くは、以上の事柄で分かるのではないかと思います。

このブログの趣旨は、親鸞会を擁護することでもなければ批判することでもありません。
宗教(というか浄土真宗親鸞会)とつきあっていろいろな思いを抱いている人たちと、宗教について考えていこうということです。

恐らく更新頻度は低いかと思いますが・・・

ご覧頂いている方、さよならも含めてコメント頂いている方、ありがとうございます。
今日はどうしたことか、アクセス数がかなりの数に上っています。


私は以前、親から「おまえは言葉が足りないから、もっと丁寧に話をしないといけない」と言われていました。実際、私もそのことを自覚しています。

それで、ものすごく話が長くなることもあるのですが、そもそも言葉が少ない上に相手が理解しているものだという前提で話す(あるいは書く)ことも少なくないため、誤解を与えることも少なくありません。

改めてそこは反省しなければいけないなと思っています。


本尊論の時は文章を何度も読み直して、なるべくわかりやすくなるように注意して書いたつもりですが、このブログの場合は殆ど見直しをしないので、まとまりがないように思われることもあるかしれません。

そこは、あまり作り込んだ文章ではない手作りな感じがするので、あまり見直しをしないスタイルを続けていこうと思っています。




さて、私が親鸞会を続けていて、なおかつブログを書くという、多くの方からは理解不能と思われることをしているのは、率直に言えば今まで声を上げる場所があまり無かった、親鸞会の中で苦しんでいる人たちも声を上げられる場所を作りたいと思ったからです。

退会してからやればいい、と言われる方もあると思います。

ただ、退会されて批判的なブログを作ったりされている方は、ぶるうの氏をはじめとして多くいらっしゃいます。それをわざわざ私が行う必要は無い、と思っています。

むろん、親鸞会を心から信じて喜んでいる人にはそんな場所を作る必要もないでしょうし、講師部員の方がたくさんのブログを書いています。


批判派・擁護派の方からは恐ろしく中途半端に見えるでしょうが、そういう場も必要では無いか、と考えています。



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私にコメントを頂いております。
どういうわけか書き込みができませんので、暫定的なお返事をここにいたします。ご承知おきください。


廃棄物さん


改めてのお返事、ありがとうございます。
私の立場や考えを理解されるにしろされないにしろ、このような率直な話をお待ちしておりました。本当にありがとうございます。

批判派の方々には理解しにくいのでは無いか、とは思っていましたが、批判派の方々の心の傷を、率直に言えば過小に評価していたと反省しています。

ちなみに、決して平然としておるわけではありません。

色々とおたずね頂いていることもあります。長くなりそうですので今夜はこのくらいとして、命ありましたらまた改めてお返事したく思います。

みなさん、引き続きご覧頂きありがとうございます。また、いろいろなコメントもありがとうございます。コメントに対するお返事はまた改めていたします。


私が大学院を出て就職した年には、支部に移籍が出来ませんでした。ただ、そのときの担当講師の方が非常に話しやすい方で、弥陀の本願の賛嘆を個人的にしていました。ですので、特に移籍の必要を感じていませんでしたが、社会人1年目も終わり頃、移籍することになりました。

幸いにして、といいますか、移籍先の支部の講師の方も話しやすい方でしたので、私はつくづく人に恵まれているなと思います。


学生達に送別会をしてもらうことになっていたのですが、残念ながら仕事が入ってしまい、行けなくなりました。そこで、担当講師の方を通じて学生諸君に宛てた文章を見つけたので、今日はその文章です。

5年以上前のメールですので、情報はいまよりずっと少なかった。自分で知る範囲のことしか書けなかったので、突っ込みどころもあるかしれませんが、ある意味私の今の心境と変わらないような気がしています。当然ながら、実名は伏せております点、ご了承ください。

この日の夜、学生からお礼メールが来ました。その内容を見る限り、おそらくはすべて、講師部員の方に読んで頂いたのだと思っています。


2007年2月10日 午前2時42分*****************
 
S(講師部員) 様

あさ川です。
今日の送別会は仕事でご縁ありませんので、
とりあえず一言お送りします。

だいぶ長くなりました。
あと、若干誤解を生むかもしれないところもあるかしれません。

急ぎだったので、文章が乱雑なのはご容赦下さい。

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今日は送別会を開いてもらいましたが、仕事で参加できず申し訳ない。
いないついでに話をしておきたいことを全部書こうと思いましたがやめておきます。

学生の皆さんは、もうすぐ新入生を迎える季節ですね。
そこで、人生の目的は大切だと話をする。数年前は、目的をはっきりさせて
学生生活を充実させようなどという話をしていたこともありました。
皆さんは、目的がはっきりしていて充実した学生生活を送っているでしょうか。
いろんな人があるかしれません。

今まで見てみると、親鸞会の学生さんは、いざ就職となったときに、
もうバリバリに進路が決まっている人もあるのですが、
結局どういう仕事に就けばいいのかわからないで途方に暮れてしまう人も少なくないよう
な気がしました。
「人生の目的がハッキリする」と言う話を人にしているような人でも、
自分の「どう生きる」は、なかなか難しいのだろうとも思います。

弥陀の本願は、すべての人を相手にされています。
すべての人ということは、どんな人生を送っている人でも
弥陀の本願の目当てになるということです。

自分の命は仏法のために捧げると言って学院に入る人も、
そこまでの覚悟はないけど聴聞のために公務員になるという人も、
自分のやりたい職業で夢を追いかける人も、
なんとなくサラリーマンな人も、
弥陀の本願の対象です。

十方衆生相手の弥陀の本願ということはしつこいくらい聞いていても、
なかなか自分相手とはピンと来ないものです。

親鸞聖人は、「邪見きょう慢の悪衆生、信楽を受持すること甚だ以て難し」と言われます。
一方、蓮如上人は「こころえやすの安心」とも言われています。

私は一年生の時、

「人生の目的達成は『難中の難』とも言われるけど『易中の易』とも言われるのだ」、

という話を先輩から聞いていたのですが、しばらくその意味はさっぱり分かりませんでした。


愚禿抄には

「一難疑情 二易信心」

といわれ

「難者三業修善不真実之心なり 易者如来願力廻向之心なり」

と親鸞聖人は言われています。

弥陀の本願の側からすれば、助かるために私が何をすることもないわけですから易と言われているようです。
にも関わらず、弥陀の本願を疑って掛かって、自分で計らってしまうので難と言われているわけです。

弥陀の本願はすべての人が相手だということは、弥陀の本願に制限はないのですが、
私たちは勝手に「こうしなければ弥陀は助けてくれないだろう」「こうすれば助けてくれるかも」
と、はねつけてしまうのです。

真剣に聞けば聞くほどそうなってしまいます。
ただ、それが行き過ぎると
「自分は弥陀の本願を聞く資格がない」といって、自分で弥陀の本願の対象外と決めつけて
弥陀とのご縁を無くしてしまうとすれば、残念なことです。

自分の問題になってくると、
毎回聴聞に行かないようでは助からんとか、
御報謝は何十万としなければダメで無かろうかとか、
すべての時間を仏法に費やしてこそ求道者だとか、
友人を百人くらい二千畳に連れて行くくらいでちょうど良いとか、
うまいもんに金を使うくらいなら御報謝だとか言ったモードになったりします。

ちなみに私が学生時代というのは、まさにこういう傾向がありました。

ただ、その場合、
そういうことができる人とできない人がいます。

学生時代はともかく、仕事なんか始めた日には必ずしも日曜が空くわけではありませんので
「仕事なんか世間のヒマだ」と投げられる人はともかく、
そうでもない人は、御法座にご縁のないこともあり得るわけです。

できる人しかダメとなると、できない人は弥陀の本願の対象外になってしまいます。
こんなのを弥陀は十方衆生とは言われませんし、親鸞聖人や蓮如上人が「易」と言われるはずもありません。

誤解する人は無いと思いますが、
聴聞がどうでもいいとか、御報謝なんかせんでいいとか、
そんなことを言いたいのではありません。

弥陀はすべての人を対象にされているのに、
自分で勝手に、自分は弥陀に助けてもらえないと思ってしまうのは勿体ないということです。

できないときに、できないと言ってそこでやめてしまうのか、
開き直ってしまうのか、
次の機会に向けて前向きになるか、
それは自分で選択することです。


思い悩むことも今後あるかしれません。
一人で抱えて一人でやめるのもその人の勝手といえば勝手ですが、
愚痴でも言える人がいて、言ってすっきりするなら話をするのも一つの方法です。
その相手が私でもいいです。
・・・

まだ足りないのですが、土曜も仕事なのでこの辺にしておきます。
長くなってしまいましたが、皆さんの仏縁をお念じ申し上げます。

ご覧いただきまして、ありがとうございます。


ライブドアブログには、「ログビューア」という機能があります。
それを見ていて、ふと、

グーグル等の検索エンジンからこのブログに到達される方が少なくない、

ということに気がつきました。 


考えてみれば、批判系ブログも擁護系ブログも、それぞれのスタンスに近いブログへのリンクがあるのですが、私の知る限り、このブログへリンクが貼られているのは


さよなら親鸞会(私の作文)
親鸞会ブログポータル・ナビ

 
くらいでしょうか。(ほかにもあったらごめんなさい)
リンク元が少ないから、検索エンジンを経由してくるのかもしれない、と思いました。(単に検索エンジンから来たほうが早いからかもしれませんね)

 そういう意味では、非常に閉じたブログなのですが、決して少なくない皆さんの閲覧に支えられております。

スタンスが微妙なだけに、どちらからもまったくお呼びがかかりませんので(苦笑)リンク元は限られますが、 引き続きよろしくお願いします。
 


前置きが長くなりました。
といっても、今日の作文はそれほど長くならないと思います。 
今回は、親鸞会とはあまり関係ありません。


今日、ある方にお返事を書いていました。


今まで、私のブログを隅々までご覧になった方がいらっしゃるかはわかりませんが、そこかしこに、弥陀の本願とやる善については関係がない、ということが書かれていたかと思います。


今日もまた、そんなお返事を書いていました。


ブログを書くようになって、いろいろな人とやりとりをするようになりました。


一方で今まで、私が本尊論をやめて、弥陀の本願を喜ぶようになって、その時々で何を考えて生きてきたか。

その時々に書いていたメールを見て、思い出します。


そのひとつが、以前に書いた、学生宛のこのメールです。 


すでに5年半経ちますが、改めて読んでみると、今このブログの中身やコメント として書いていることと、ほとんど変わっていないことに気がつきます。


進歩がない、といえるかもしれませんし、ある意味一貫している、といえるかもしれません。
 
私自身は、特に気をつけていたわけではありませんが、変わっていないことに対しては肯定的に受け止めています。 


逆にそれが、このブログ(というか、あさ川)のわかりにくさなのかもしれない、とも思いましたが。

先回の座談会の話がまだ途中ではありますが、今日は少し違う話にしようかと思います。


このブログのタイトルは、「あさ川の、宗教と私」ですが、私は親鸞会の会員ということもあり、また実質的に親鸞会が唯一の宗教団体との付き合いということもあり、ブログのネタもほとんどが親鸞会であるため、「親鸞会と私」ではないかという指摘もいただきました。


ブログのタイトルに「親鸞会」の文字を使わなかったのは、二つの理由がありました。 



一つは、親鸞会という枠を取り払いたかったからです。親鸞会という枠の中だけで話をしたくなかった、もっと言えば、弥陀の本願と親鸞会を切り離したかったから、ということです。


と書くと、そもそも親鸞会にいるということ自体が矛盾しているではないか、と思われるかもしれません。


 これについては、今までもコメント等で述べてきたことではありますが、あまり整理して書いていなかったと思いますので機会があればまた書きたいと思います。

 


もう一つは、私が7年近く前に書いた「親鸞会の本尊論を再考する」についての出来事がきっかけです。




今もあるのかどうか知りませんが、「親鸞会の本尊論を再考する」はデュオブログで作成されました。
これは、私が本文を書いたのですが、ブログ開設は人任せだったからです。


時系列がどうであったかは忘れましたが、その後しばらくして、ライブドアブログにも開設して、そのときにタイトルを、『親鸞会会員の「親鸞会の本尊論を再考する」』に変えました。


あまり深い考えは無かったのですが、当時聞きかじった知識で、「タイトルにキーワードをたくさん入れると検索エンジンの上位に入りやすくなる」というものがあったため、単純に「親鸞会」の文字を増やしたわけです。 



そして、「再再考する」を公開とほぼ同時にメール送信して名乗り出て・・・・と色々あった後で、K玉先生とこの件について話をすることになりました。


K玉先生は、私がブログのタイトルを  『親鸞会会員の「親鸞会の本尊論を再考する」』 に変更したことについて、

「君がタイトルを変えたのは、”親鸞会の会員がこのようなことを書いている”とアピールして混乱させるためだろう」

というような話をされました。


先に書いたとおり、私は単純に検索エンジン対策で”親鸞会”の文字を増やしただけだったので、「たいした考えはありません」と申し上げたのですが、


「君のことだ。そんな単純な理由では無いはずだ」


というようなことを言われ、いえいえ、いやいや、というやりとりをすることになりました。



ある意味、私を評価されているからとも言えるのですが、 こんなことを言われたのはK玉先生だけでした。

正直なところ、ずいぶん警戒されていたのだなと思いましたが、少なくとも私がどう見られていたのかが分かりました。 



よくよく考えたら、 、『親鸞会会員の「親鸞会の本尊論を再考する」』 というタイトルと今回のタイトルに親鸞会の文字を入れたものは、まったく受ける印象が異なるものなので、二つ目の理由は直接当てはまらないかもしれません。

 
ただ、元々中立の立場に近いところでブログを書こうと思っていたこともあり、親鸞会の文字を入れて要らぬ警戒をされてもいけないと思いましたので、このタイトルに落ち着きました。





余談ですが、K玉先生とは最近ご縁がありません。ご縁がありませんが、私は個人的に、K玉先生は親鸞会の講師部員の中では一番業が近いような気がしています。 業が近いという表現が合っているのか分かりませんが、性質が似ているといいますか、本性が近いといいますか、なぜか分かりませんがそんな気がしています。これは、親しみやすいとか気が合うとかいう意味ではありません。

ちなみに、私とK玉先生の両方をご存じの方は、K玉先生を含めて誰もそんなことは思われないと思います。表面上の共通点は眼鏡をかけた日本人である、ということくらいですし、性格も違うと思いますので。

コメント欄で以前の続きの話が再び盛り上がりを見せています。以前に私が書き込んで盛り下げてしまったようですので、今回は書き込まないようにと思います。


以前に、テレビ座談会などの名称が変わる、というお話をしましたが、今日改めてどのように変わるかを聞いてきました。


・二千畳座談会     ⇒ 二千畳テレビ講演
・日曜のテレビ座談会 ⇒ テレビ講演
・平日のテレビ座談会 ⇒ 特別テレビ座談会 


だそうです。座談会から講演と名前が変わっているとおり、この二つの行事では基本的に質問のご縁は無くなるようです。やはり質問を受けるというのは負担が大きいのでしょう。


さて、「若者は未来を語り、老人は過去を語る」 と言われるわけですが、今日は少し、過去のメールを見ていました(何かを探していたのですが、何を探していたか忘れてしまいました)。


その中で、私が 「学生部(学友部)について」 書いた文章がありました。 

2005年の9月、今から7年以上前のことです。


本尊論を書いて親鸞会を追い出された時のための、ネタ文章の一つとして書いたものでした。結局私は親鸞会の会員のままでいますので、特に表には出なかったものです。


内容としては、親鸞会の学生部であった人から見たら特別なんてことのない文章だと思うのですが、当時現役の学生会員として書いた文章としては、結構変だと思います。変と言いますか、他人目線の文章だと思います。


このブログの文章を書くのに、たいした文章でも無いのに毎日30分~1時間くらいかかりながら書いているのですが、当時この文章を書いた時は書きたいことを書き殴っていたので、全体でも1~2時間掛かっていないと思います(推敲なし)。 本尊論ブログの文章も、推敲前の文章は2~3時間で書き上げましたので、どちらかというと私は、こういう文章を書く方が得意なようです。


当時勢いで書いて推敲も内容の精査もしていないものなので、 内容の突っ込みどころがあったり、誤字が見られたりしますが、私が学生時代に学友部をどういう目で見ていたか、改めて思いを馳せました。

どちらかというと評論系で他人目線で書いているので、内容には若干の誇張が見られたりもするのですが、当時の状態から見てどうであったか、お読みになった皆さんはどうお感じになるか。

「こんなひどいことは無いよ」
「もっとひどかった」
「こんな感じだった」
「でたらめだ、的外れだ」
「やっぱりあさ川はおかしい」

いろいろあると思います。


そして、今は少なくともそうあってほしくないのですが、現在はどうだろうか、とも思うのです。 
 


「この五重の義成就せずは、往生はかなうべからずとみえたり。されば善知識というは、阿弥陀仏に帰命せよといえるつかいなり。宿善開発して、善知識にあわずは往生はかなうべからざるなり。しかれども、帰するところの弥陀をすてて、ただ善知識ばかりを本とすべきこと、おおきなるあやまりなりとこころうべきものなり。」
(御文2-11)
 

ちなみに、この文章は「常体」で書いています。気分を害されましたら失礼しました。
なお、文章が中途半端なのは、これ以降書いていないからです。


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さて、本稿では浄土真宗親鸞会(以下、親鸞会)の学生部について述べる。


<1>学生部とは
学生部は、親鸞会を組織する会員のうち大学生が所属する。以前は学生部と言っていたが現在では学友部と呼ばれている。
親鸞会学友部は、関東(東京を中心とする)・関西(大阪・京都・神戸を中心とする)・東海(名古屋・岐阜)の三大都市圏及び北陸(富山・金沢)に存在し、東は筑波から西は岡山までの範囲に集まっている。近頃は教勢拡大に熱心で、学友部のない東北や九州へも学友部員を送り込んで布教活動に勤しんでいる。

学友部は、全国の学生を統括する学友部長を頂点とし、各ブロックの幹事及びそれ以外の専任講師によって統括されている。その下は学生で、部長・班長・平部員という構造である。基本的には大学ごとで一つの地区を構成するが、人材不足の大学ではその地区の有力大学(東大・早大・京大・阪大・名大など)から学生が派遣され、部長などに任命されるケースも多い。
会の性質上、各大学の専任講師や部長などは「会長先生から任命されている」ことになっており、上司の命令は会長先生の命令と読み替えられる。すなわち上司への反抗は会長先生(無二の善知識)への反抗ということになる。そのため、上司に対して反抗しないこと、服従することが暗黙の了解となる。

ここで、「会長先生」ということについて説明しておかねばなるまい。
親鸞会の教義をここで詳しく論ずる余裕はないが簡単に言うと、
 「私たち人間は例外なく死んだら必ず無間地獄に堕ちる『後生の一大事』を抱えている。
  その一大事の解決は親鸞聖人の教え勧められた弥陀の本願を聞くより無い。これが人生の目的である。
  弥陀の本願を聞かせていただくには、善知識会長先生のお話を聞かせていただくより無い」
  (※無間地獄とは、苦しみの休まる間のない激しい苦しみを未来永劫と言っても良いくらい
    長時間受け続ける地獄のこと)
というものである。善知識とは「正しく仏教を教えてくださる先生」のことであり、親鸞会においては高森会長を指す。
親鸞会では、善知識は「全因縁」と呼ばれ、善知識の導きなしでは絶対に助からないと言われている。
親鸞聖人の末灯抄の
  「善知識をおろかに思い師を誹る者をば誹法の者と申すなり」
の言葉を根拠に、善知識(=会長先生)に対する反抗は無間地獄に堕ちる「謗法の者」と教えられる。

よって、上司への反抗はすなわち会長先生への反抗になるということは、
自らそのような罪を作るということになり、彼らにとってとんでもない悪だということである。
彼らが上司に従うというのも、言うとおりにするというのも、ここから来ている。

さて、「会長先生への反抗は、自ら無間地獄に堕ちる罪を作る恐ろしい行い」という趣旨のことを述べたが、誤解を与えかねないので補足しておく。
先ほど少し述べたが、親鸞会の教義上、我々全ての人間は「死んだら無間地獄に堕ちる」存在であり、「誹法の者」なのである。すなわち、「会長先生に反抗したから」地獄に堕ちるのではなく、我々がすでにそれに見合うような悪業を作っている(悪いことをしている)から地獄に堕ちるのだと言われる。
(※釈迦が、全ての人は「必堕無間」だと説かれている、と説明される)

それではなぜ、上司に対する反抗を極端に恐れるのかというと、「善知識を軽んじているようでは弥陀の本願は聞けない」と言われるからである。すなわち、救われるための絶対条件が善知識に対する純粋さだということが言外に含まれる。「善知識」を尊く思うこと、純粋であることが求められるのだ。
また学生特有の真摯さが、学友部特有の「純粋な求道者」という雰囲気作りを担っている、といえよう。




<2>活動について
学友部に限ったことではなく、学友部以外でも当てはまるのだが
親鸞会で絶対的に求められるのが「聴聞」ということである。聴聞とは、仏教の話を聞かせていただくことであり、善知識会長先生のお話を聞かせていただくこと、である。仏教の話と言っても誰の話でも良いわけではなく、「正しく仏教を説かれる先生(=善知識)のお話」を聞かなければ救われない、と言われる。その善知識が会長先生、ということである。よって、高森会長の法話会には全国の学生が大挙して押し寄せる。
学友部員にとって会長先生は絶対無二の善知識であり、その法話会に参加しないことなど考えられないのである。

「聴聞」が最高の善であり、人生の目的達成のための必要条件と言われるが、普段は地元で活動するため、「部会」への参加も求められる。部会とは、担当の講師部員が行う法話会のことである。
これも「聴聞」と位置づけられている。

救いの法を聞かせていただく聴聞、ということは他の真宗教団でも行われているようだが、親鸞会に特徴的な活動は、「破邪顕正」と呼ばれる熱烈な布教活動である。

その他、親鸞会は善の勧めに熱心であり、「勤行」や「六度万行(=六波羅蜜)」も積極的に勧められる。




<3>恩について
親鸞会を語る上で重要なファクタの一つとなるであろうことに、「恩」の教えがある。
別にこれも親鸞会に限ったことではないが、会長先生への熱烈な報恩活動の源泉となっている。

「恩を知らない者は畜生にも劣る」と言われ、恩の教えは通仏教的なものと教えられ、知恩、感恩、報恩を勧められている。すなわち、恩を知ること、感じること、報いようと最大限の努力をすることである。
恩を受けている対象には勿論親や兄弟なども入るが、まず最初に挙げられるのが弥陀(阿弥陀如来)のご恩、次いで善知識のご恩が挙げられる。そして両親や先生などの恩などが数えられる。
ここで善知識と言われているのは、まず親鸞聖人、蓮如上人が数えられるが、学生でもある程度のレベルまで達すると、この善知識は会長先生という認識で話がなされるようになる。

そして、「いかに会長先生が私たち学生に対して御心を掛けてくださっているか」が盛んに説かれるようになる。
例を挙げると、
・本来ならば大変なお疲れで、休まれて当然のところを毎月何度もご縁を設けてくださる
・身を削られて現在の教行信証と言うべき『なぜ生きる』をご執筆下された
・青年部や婦人部のご法話は無くなったが、学生大会という勝縁は学生のために毎年設けてくださっている
・学生には特に御心を掛けられて、部室をあり得ないくらいたくさん設けてくださっている
・顕真会館(親鸞会館本館隣の建物)は先生お一人で全て出して建てて下された
などである。
すると、純粋な学友部員は会長先生に対して大変な恩を感じ、このご恩に報いなければという気持ちが起きる。
そのご恩に報いる道は、先生がもっとも願っていられる御心、その御心を一人でも多くの人に伝えることだと
使命感に燃え、破邪顕正の闘士となるのである。




<4>破邪顕正とは
破邪顕正は、親鸞会を語る上では欠くべからざる言葉であり、親鸞会会員の使命ともされていることである。
会員聖則(現在は親鸞学徒聖則という)の三つ目に、
「我ら親鸞学徒は破邪顕正することを使命と致します」とある。

では、破邪顕正とは何か。
「邪を破り正を顕かにする」ということであるが、ここで「邪」とされているのは、親鸞聖人の教えに反する教えを意味する。すなわち、親鸞会での破邪顕正は、「親鸞聖人のみ教えを全ての人に徹底すること」なのであるが、その親鸞聖人の教えとは親鸞会においては「会長先生の教えてくださる親鸞聖人のみ教え」ということになる。ゆえに、「仏教原理主義者のように、自説に固執している」と見る向きもある。

実際に親鸞会の「破邪顕正」の歴史としてやり玉に挙がった教団で代表的なものは、創価学会と西本願寺であろう。
特に昭和50年代あたりにこれらの教団との激しい法論が繰り広げられた。

創価学会はともかく、西本願寺は同じ親鸞聖人を宗祖とする教団であるが、「浄土真宗衰退の原因は本願寺にあり」と、次々と法論を仕掛けた。これらの詳細は親鸞会発行の『どちらがウソか』『本願寺の体質を問う』『本願寺なぜ答えぬ』、そして『法戦』などにも記されている。

初期の頃は、宿善論の他にも本尊論や救いの時期など論争点は色々あったが、本願寺が『現代の教学問題』を発行して親鸞会に反論した際に宿善論に的を絞って攻撃した。幾らかのやりとりがなされた後、本願寺が返答しなくなったことをもって、親鸞会は「本願寺が屈服した」として、現在に至っている。
現在では「親鸞会は無碍の一道」と自称するなど、真実の教えの前に「邪」は悉く破れ去ったと学生には宣伝している。
その結果、学友部員はなおさら「親鸞会は真実の教えを弘める唯一の集まりであり、会長先生こそ真実を説ききられる方」との思いを強くし、「破邪顕正」に邁進しているのである。
 

★「真宗では名号が一番よい」について

率直に言いますが、「真宗では名号が一番良い」と蓮如上人が言われているのは、私もその通りだと思います。

しかしながら、
せっかく蓮如上人が懇切丁寧に、

「木像よりは絵像、絵像よりは名号」

と比較相対し、優劣可否をつけられて、

「だから真宗の御本尊は、名号が一番よい」

と教えておられるのに、それでも、この人は、

「木像絵像でもよいのだ」とするワケですね。

これだけでもう、なにをか言わんや、というべきでしょう。
【反論サイト(1)】
と批判しています。

「木像絵像でもよい」と私が言っていると断定して、それを批判しているのですから、当然この方の主張は 「木像絵像は絶対ダメだ」ということになるのでしょう。

いったい、「木像よりは絵像、絵像よりは名号」をどのように読めば「木像も絵像も絶対ダメだ」と読めるのでしょうか。是非ともご教示願いたいと思います。

この文証は、形像本尊すべてを排斥されたという根拠になり得るのでしょうか。
もし排斥された根拠になるとすれば、その蓮如上人が形像本尊を下付されたのはなぜか、説明していただきたい
と思います。


また、
蓮如上人が、

「真宗では名号が一番よいのだ」

と言われたお言葉であるということを、ハッキリと認めながら、どうして、ブログまで作って「本尊は名号でなくてもいいのだ」と、これほどまでに強弁しなければならないのか。

蓮如上人が、「他流の本尊だ」と言われている「絵像や木像」に、どうして「それでもいいじゃないか」「ダメとは言われてないだろう」などと固執するのか。

蓮如上人の仰せに従う気が、はじめからないようです。
【反論サイト(1)】
反論サイトを立ち上げるくらいですので、当然私の文章はよく読まれたことと思いますが、この方は本当によく読まれたのでしょうか。読まれているならば、なぜこんな批判の言葉が出てくるのか、理解に苦しみます。

私がそんな疑問を起こしたのも、

「名号が一番良い」

と言われた蓮如上人が

「他流の本尊」

と言われている木像を、あの「山科本願寺に本尊」として据えられた


という文証があったからです。だから、「差し支えないのではないか」と尋ねたのです。「ダメ」なものを蓮如上人はわざわざ本尊とされたのでしょうか

あるいは、蓮如上人は間違い者だという主張だと理解すれば良いのでしょうか。



★「本願寺のご本尊は教義安心と無関係」について
(「現代の教学問題」の引用の後)

こんな発言を「墓穴を掘った」というのでしょう。

よく読んでみると、本願寺は、こう言っています。

『蓮如上人御一代記聞書』の文は、安心の立場よりの訓戒であって、起行門における礼拝の対象を論じたものではない。

安心の立場からの訓戒だから、礼拝の対象である本尊とは関係ない、ということです。つまり、「本願寺の御本尊は、教義安心とは無関係」

ということなのでしょう。

びっくり仰天、本願寺の無安心ぶりは、ここでも明らかです。

それにしても、このことはすでに、親鸞会の『どちらがウソか』で指摘されているのですから、本願寺にしてみれば、隠蔽しておきたい失態であったにちがいありません。それなのに、教義安心に無頓着な者がブログまで造って、また衆目の前に晒してしまった。これが今回の「再考」ブログの構図でしょう。
【反論サイト(2)】
なぜかここでも本願寺の関係者という前提で批判されています。勝手に思いこまれるのは結構ですが、同じ会員として第三者の失礼にはならないようにしていただきたいものです。

私は親鸞会の会員ですので当然『どちらがウソか』は読んでいます。もちろん「本願寺の本尊は教義安心と無関係」と批判していることも知っています。

ここの部分では、私はあえて引用するに留めました。『どちらがウソか』の批判を承知の上での、親鸞会に対する愛情表現でした。

なぜ、今更ここぞとばかりに非難しているのでしょうか。
なぜこれほど力を入れて私を貶める必要があるのでしょうか。


もっとほかに回答すべき内容はあるはずではありませんか。


もっとも、私が本願寺関係者と誤解されても仕方ない事情はあります。だからといって、私を本願寺の者と断定し貶める理由にはならないのではないでしょうか。


さて、この後の「真宗の本尊は名号」の根拠は、平成5年の顕正新聞でも掲載された話です。本願寺新報にどのように書かれていたのかは分かりませんが、顕正新聞には次の通り紹介されています。
 十日毎発行の「本願寺新報」一月十日号、信仰の質問コーナーに、千葉県、一門徒の次のような質問が掲載された。
「真宗の本尊についてご教示下さい。なぜお名号を本尊とするのですか」
 回答者は、武蔵野女子大講師の山崎龍明氏。
「浄土真宗は南無阿弥陀仏にはじまり、南無阿弥陀仏に終わる宗旨であるといってよい」「一般に本尊といえば、形にあらわした形像本尊が中心、それ以外は考えられなかった。しかし、親鸞聖人は名号をもってご本尊にされた。この意義は大変大きなものがある」
【顕正新聞平成5年3月1日号】
いったいどのように読めば「本願寺がこれまでの主張をかなぐり捨てた」と読めるのか、教えていただきたいものです。

ただでさえ、本願寺の中には親鸞会結成以前から親鸞会のような「名号本尊論」を唱えている学者はあった
のです。「本願寺がこれまでの主張をかなぐり捨てた」というのも疑問ですが、「覚醒を促してきた親鸞会の主張が、どうにか本願寺にも届いた」因果関係も不明です。



★「本願寺の実態」について

ここのページでは、執拗なまでに本願寺非難を繰り返しております。おそらくは私を本願寺関係者と断じてのことでしょう。実際、本ブログに対する直接の反論はありません。

しかし、せっかくですので一点だけ指摘しておきます。

ただ、機関紙上でハッキリと、「真宗の本尊は名号なり」と発表しているのに、12年経った今もなお、全国どこへ行っても名号を御本尊として安置している寺もなければ、御門徒もおりません。
【反論サイト(3)】
よく親鸞会で出される話です。これは本当の話なのでしょうか。

私は、ある本願寺と縁の深い会員の方にお聞きしたことがあります。そのとき、「わずかながら名号を本尊にしている寺もある」と言われていました。二度、念押ししたので間違いないのでしょう。

果たして上の発言は、全国二万か寺、二千万門徒と言われる浄土真宗の東西本願寺、そのすべてを調べ尽くした上での発言なのでしょうか。


お尋ねします。

本願寺の寺はすべて形像本尊を本尊としており、門徒もすべて形像本尊を本尊としているという明確な根拠はあるのでしょうか。
さもなくば、本願寺を擁護するわけではありませんが、批判のための批判とも成りかねません。



★「あとは時間の問題でしょう」について

取り急ぎ私の見解を述べます。
こんな現実も、「再考」ブログの制作者は「知っている」のでしょうが、臆面もなく、こう言っています。
親鸞会の方々に質問したいと思います。
これら善知識方のなされたことを見るに、御本尊は、木像や絵像でも差し支えないと思われるのですがいかがでしょうか。

(「再考」ブログ 最後に より)


「善知識方は、御本尊は名号が『一番良い』と教え勧められました」

と断言している同じ人間の口から、どうしてこんな「珍問」が出てくるのか、理解に苦しみます。
【反論サイト(4)】
本願寺の末寺すべてが名号本尊でない現実などは「知りません」。
私の主張は矛盾していないはずなのに、なにゆえ「珍問」と仰るのか理解に苦しみます。

「名号が一番良い」と「木像絵像は差し支えないのではないか」ということの、いったいどこが矛盾していると仰るのでしょうか。

「名号以外ダメだ」と「木像絵像でも差し支えない」であるならば矛盾していると言われても仕方ありません。

私は、「ダメということはないのではないか」という意味で、「差し支えないのではないか」とお尋ねしているのです。

それは、

覚如上人が形像本尊を下付されたこと、

蓮如上人も形像本尊を下付されたこと、
木像を山科本願寺の阿弥陀堂に安置されたこと、


善知識とまでは言われませんが、
存覚上人も「いづれも弥陀一仏の体なりとしりて、ふかく帰敬したてまつるべきなり」と仰っているということ。

これらの善知識方のなされたことから「差し支えないのではないか」の尋ねたのです。


もしも、「ダメ」であると仰るならば、これら覚如上人や蓮如上人らは間違い者であり、悪知識となります。


今一度お尋ねします。

これら善知識方のなされたことを見るに、御本尊は、木像や絵像でも差し支えないと思われるのですがいかがでしょうか。



次に、
山科本願寺に木像本尊を据えられた蓮如上人や、形像本尊を下付された覚如上人は大間違い者だと言われるのでしょうか。
(「再考」ブログ 最後に より)

にも、お答えしておきましょう。
【同】
と書かれているので期待して読ませていただきましたが、
「現代の教学問題」に、「そのようなこと」をあれこれ述べて、「だから御本尊はどれでもよいのだ」と結論づけていた本願寺さんが、11年後、自らの機関紙に、その主張をかなぐりすてて、

「浄土真宗は南無阿弥陀仏にはじまり、南無阿弥陀仏に終わる宗旨であるといってよい」
「一般に本尊といえば、形にあらわした形像本尊が中心、それ以外は考えられなかった。しかし、親鸞聖人は名号をもってご本尊にされた。この意義は大変大きなものがある」
「親鸞聖人が名号本尊にされたのは、み教えの本質にかかわる理由があった」

と訂正されたことは、先にお話ししました。

どうしても聞きたければ、同じ質問を、「本願寺新報」の発行責任者にしてみるか、あるいは、こう書いている、龍谷大学名誉教授、千葉乗隆氏にお尋ねしてみたらよいでしょう。

「親鸞は、造形の阿弥陀仏が人びとを芸術的美の世界にとどめ、宗教的真実の境地に到達させ得ないことを考慮して、美を媒介としてではなく、宗教の本質そのものを直接に人びとに示そうとして、名号を本尊とした」
(図解雑学「浄土真宗」)
【同】
と突き放されてしまいました。これではまるで答えになっていません。


この方は何を仰りたいのでしょうか。


「親鸞聖人は名号を本尊とされた」

と二回繰り返されています。私は、

「山科本願寺に木像本尊を据えられた蓮如上人や、形像本尊を下付された覚如上人は大間違い者だと言われるのでしょうか」

と尋ねていますので、

「蓮如上人も覚如上人も親鸞聖人のなされた通りしていないから大間違い者だ」


とでも仰りたいのでしょうか。本当にこれがこの人の主張なのでしょうか。

だとすれば大変です。親鸞会で今まで教えられたことの多くは間違いということになります。


ではいったい、答えは何だったのでしょうか。
「千葉乗隆名誉教授に聞いてくれ」ということなのでしょうか。これではあまりに無責任です。

そもそも、その千葉名誉教授が『図解雑学 浄土真宗』に、
親鸞は名号を本尊としたが、従来の絵画や木彫の阿弥陀仏像の礼拝を拒否したのではない。
(中略)
親鸞が名号を本尊とするようになったのは、現存する遺品から推測すると80歳代以後のことかもしれない。

・・・

蓮如は、当初は無碍光本尊(十字名号)を浄土真宗の本尊として用い、木像、絵像などの礼拝を拒否した。「蓮如は無碍光流の邪義を説いている」と非難する比叡山の僧兵に本願寺を破却されて以後は、無碍光本尊の授与を中止し、白紙に六字・九字・十字の名号を書き、本尊として授けた。その中でも六字名号が特に多かった。その後、門徒の強い要望により絵像の本尊も授けるようになった。さらに寺が建てられると木像の阿弥陀仏像を安置することになった。
【いずれも『図解雑学 浄土真宗』】
と書いているのは先日提示したとおりです。
確かに「み教えの根本に関わる理由があった」のでしょうし、「宗教の本質を直接人々に示そう」とされたのでしょう。それ自体を否定しているわけではありません。

「親鸞聖人は名号を本尊とされた」が、「親鸞聖人は形像本尊の礼拝を拒否されたわけではなく、蓮如上人も形像本尊を下付されて寺に木像を安置された」とこの本に書かれているから、質問をしているのです。 ちゃんとお読みになったのでしょうか。疑問に思わずにいられません。



再度お尋ねします。


山科本願寺に木像本尊を据えられた蓮如上人や、形像本尊を下付された覚如上人は大間違い者だと言われるのでしょうか。


そして、最後に
本願寺さんの「本音」や「実態」はどうあれ、「真宗本尊論」の、「教義上」の決着は、すでについていることなのです。まともな学者さんなら、分かっていることです。あなたが知らないだけです。こういう人物をおっちょこちょいと言うのでしょうね。


あとは、本願寺自身が、どのようにして「親鸞聖人の教え」の通りにしたがってゆくか。
「実態」を「正しい教義」に合わせてゆくか、どうかにかかっているのです。
「浄土真宗の正しい御本尊は御名号である」
「それなのに、本願寺はじめ末寺は、いまだに木像本尊に固執している」

この現実をどうするか。

要は、本願寺のメンツと、時間の問題ということでしょう。
【反論サイト(4)】
と結んでいます。


「真宗本尊論」の、「教義上」の決着がすでについているということがこの人の主張なのは分かりましたが、この反論サイトからはどのように決着が付いたのか、そのことが全く読み取れませんでしたので、

どのように決着がついているのか。また、
私が今まで質問してきた内容はどのように答えられるのか。


明快な回答をお願いしたいと思います。
なにぶん、ずっと親鸞会でお話を聞いておりますので、難しい言葉は分かりません。学生の私にも分かるように、ご教示ください。


決着がすでに付いているのならば、回答するのはたやすいことではありませんか。なにゆえ私を本願寺の人間と決めつけ非難する必要があったのか、理解に苦しみます。

重ねてお願いします。
都合の良いところだけ切り取って反論するのではなく誠意ある回答を、
親鸞会としての責任が明確な回答を、期待しております。

私が、「親鸞会の本尊論を再考する」というブログを公開してからしばらく経ちました。それに対して、親鸞会の会員の方(と思われる人)の反論サイト(以下、単に「反論サイト」と呼びます)ができました。

残念なことに、私のことを最初からいきなり「本願寺の関係者」と決めつけ、始終その前提に立って議論を展開しているように見受けられます。

先日も申しましたが、私は親鸞会の会員であり、関連サイトは私の制作したものではありません。このような誤解が生じたのは、私の側にも原因はあります。しかしそれが、反論サイトに見られるような非難を正当化する根拠にはなり得ないと考えております。


率直に言って、この反論サイトはいくつも疑問を抱かずにいられない箇所があります。



それでは、ご覧ください。


親鸞会の本尊論を再再考する(「再考するを読んで」を読んで)

<目次>
●サイト公開手法の疑問
●「浅川=本願寺」 決めつけの疑問
●浅川に対する非難
●無視された疑問
●「真宗では名号が一番よい」について
●「本願寺のご本尊は教義安心と無関係」について
●「本願寺の実態」について
●「あとは時間の問題でしょう」について


■参考リンク
・親鸞会の本尊論を再考する(元のブログ)
・親鸞聖人が、御名号を本尊となされた根拠はあるのか(親鸞会公式サイト)
・親鸞会は本当に本願寺に勝ったのか
・私はなぜ親鸞会をやめたのか
・続・私はなぜ親鸞会をやめたのか
・なぜ私は親鸞会をやめたのか|反響集


履歴
2005/12/11 開設
2005/12/15 親鸞会の本尊論を再再考する を掲載
2005/12/31 リンク追加などコンテンツ再編




★サイト公開手法の疑問

反論サイトは、掲示板へのリンクも貼られずダミーと思われるようなブログを経由して私のページにトラックバックしてきました。いったいなぜこのような回りくどい方法を取ったのでしょうか。

浅川のブログを公開した翌日に、既に件のブログが(記事もなく放置された状態で)開設されていたという事実は、何を物語るのでしょうか。

また、反論サイトにはメールアドレスなどの一切の連絡手段が書いてありません。制作者にはどのように連絡を取ればよいのでしょうか。
ブログならコメントすることができます。きちんとしたサイトを作って頂いたことには感謝いたしますが、それならば、連絡先くらい記しておいていただきたいものです。



★「浅川=本願寺」 決めつけの疑問

私は先日、ある会員様のご質問に対し「私は本願寺の者ではありません」と明言いたしました。にも関わらず、反論サイトでは
これは本願寺の学者さんか、それに近い関係の方のブログのようですね。
【反論サイト「はじめに」】
と断定されています。本当にこの程度の内容で「学者」だとでも思われたのでしょうか。だとすれば、本願寺の学者も随分低く見られたものだと同情の念すらわいてきます。


しかも、
それにしても、かなりレベルダウンしたのでしょうか。

「本尊論を再考する」などと構えた割には、取るに足らない内容であるのは残念ですが、これを縁として、一人でも本当の親鸞聖人の教えに触れ、仏縁を慶ばれる身となられれば、お粗末な「本尊論」も浮かばれるというものでしょう。
【同】
と言われています。
「かなりレベルダウンした」のは「その通り」です。私は親鸞聖人の教えを学び始めてからそれほど経っていない在家の一学生なのですから。

「取るに足らない内容」と仰るなら、なぜ私が質問していることに正面からお答えいただけないのでしょうか。

そもそも、なぜこうも私に対して執拗に攻撃的な言葉を浴びせる必要があったのでしょうか。



★浅川に対する非難
せっかく蓮如上人が懇切丁寧に、

「木像よりは絵像、絵像よりは名号」

と比較相対し、優劣可否をつけられて、

「だから真宗の御本尊は、名号が一番よい」

と教えておられるのに、それでも、この人は、

「木像絵像でもよいのだ」とするワケですね。

これだけでもう、なにをか言わんや、というべきでしょう。

蓮如上人が、

「真宗では名号が一番よいのだ」

と言われたお言葉であるということを、ハッキリと認めながら、どうして、ブログまで作って「本尊は名号でなくてもいいのだ」と、これほどまでに強弁しなければならないのか。

蓮如上人が、「他流の本尊だ」と言われている「絵像や木像」に、どうして「それでもいいじゃないか」「ダメとは言われてないだろう」などと固執するのか。

蓮如上人の仰せに従う気が、はじめからないようです。
【反論サイト(1)】
こんな発言を「墓穴を掘った」というのでしょう。
(中略)

安心の立場からの訓戒だから、礼拝の対象である本尊とは関係ない、ということです。つまり、 「本願寺の御本尊は、教義安心とは無関係」

ということなのでしょう。

びっくり仰天、本願寺の無安心ぶりは、ここでも明らかです。

それにしても、このことはすでに、親鸞会の『どちらがウソか』で指摘されているのですから、本願寺にしてみれば、隠蔽しておきたい失態であったにちがいありません。それなのに、教義安心に無頓着な者がブログまで造って、また衆目の前に晒してしまった。これが今回の「再考」ブログの構図でしょう。
【同(2)】
それでも、これまでの「現代の教学問題」の邪説を、言葉だけでも翻した点は大きな前進とも言えるでしょう。
(ところが、この「再考」ブログは、本願寺自らが捨てた「現代の教学問題」の主張を、切って貼っただけ。問題外ですね)
【同】
本願寺さんの「本音」や「実態」はどうあれ、「真宗本尊論」の、「教義上」の決着は、すでについていることなのです。まともな学者さんなら、分かっていることです。あなたが知らないだけです。こういう人物をおっちょこちょいと言うのでしょうね。

あとは、本願寺自身が、どのようにして「親鸞聖人の教え」の通りにしたがってゆくか。
「実態」を「正しい教義」に合わせてゆくか、どうかにかかっているのです。
「浄土真宗の正しい御本尊は御名号である」
「それなのに、本願寺はじめ末寺は、いまだに木像本尊に固執している」

この現実をどうするか。

要は、本願寺のメンツと、時間の問題ということでしょう。
【同(4)】
以上はいずれも反論サイトからの抜粋です。
なぜか私が本願寺の関係者との前提の元に非難されています。


しかも、最後の方は殆ど本ブログへの感想や反論・回答と言うよりも本願寺批判と言った方が正しい構成となっています。

この方の本願寺に対する怒りは分かりました。しかし論点をずらさないでいただきたいと思います。

是非とも私の提示した疑問に答えていただきたいのです。



★無視された疑問

まず、私が疑問を呈したにも関わらず完全に無視された項目について、再度確認します。中には明確に質問とは示してなかったものもありますので、これを機会に明確に質問を致します。


(全編を通して)
・親鸞聖人も蓮如上人も「名号のみを本尊とされた」ことについて明確な根拠はあるのか

(「親鸞聖人は一生涯名号を本尊とされたのか」より)
・親鸞聖人が法然上人のお弟子になられたときに、形像本尊を勧められていた法然上人の教えに反して形像本尊を排斥されたと言えるのか

(「改邪鈔について」より)
・親鸞会が、「親鸞聖人の名号本尊の根拠」としている覚如上人の改邪抄のお言葉は、明確な根拠となり得るのか
・形像本尊を下付された覚如上人は、「名号のみを教え勧めていかれた親鸞聖人」に反しているのか


(「親鸞会への本尊における疑問」より)
・親鸞会が、退会時に本尊を会員から回収するのは、親鸞聖人のお心から離れているのではないか

(「おわりに」より)
・『弁述名体抄』に「(形像も名号も)いづれも弥陀一仏の体なりとしりて、ふかく帰敬したてまつるべきなり」と仰っている存覚上人は外道邪教徒か
・山科本願寺に木像を据えられ、御門徒に絵像を下付された蓮如上人は真実を説かれなかった方なのか



是非とも明快な回答をいただきたいものです。

★「木像よりは絵像、絵像よりは名号」の真意

では、『聞書』で「木像よりは絵像、絵像よりは名号」と教えられた蓮如上人がなぜ、木像本尊を礼拝されたのか、という問題があります。これについて、『現代の教学問題・本尊について』では次のように考察しています 。
この問題については、既に古今の学者が種々論考されるところである。しかし、先に見てきたように、他流の本尊安置の理由は、「往生極楽のこころざしあらむ人は、来迎引接の形像をつくりたてまつる」ところにあったことは明白である。
広く法然門下において親鸞教学の特質は、この臨終来迎の否定であり、現生正定聚の主張であったことは周知のことである。そして宗祖の臨終来迎否定、現生正定聚論の基盤は名号大行説にある。よって『蓮如上人御一代記聞書』の文は、形像を本尊として臨終来迎を願い求めることに対する安心の立場よりの訓誡であって、起行門における礼拝の対象を論じたものではないと伺うのが適切であろう
【現代の教学問題・本尊について p103】

★親鸞聖人は一生涯名号のみを本尊とされたのか
宗祖の礼拝の対象としての本尊を考えてみるのに、現在確認されている資料では名号本尊のみしか残っていないことは学者の指摘するところである。
【現代の教学問題・本尊について p104】
親鸞聖人が作られた本尊は、現存するものはすべて名号本尊であることは本願寺も認めています。しかし、この事実を一生涯名号のみを本尊とされた証拠とするのは早計です。
親鸞は名号を本尊としたが、従来の絵画や木彫の阿弥陀仏像の礼拝を拒否したのではない。
(中略)
親鸞が名号を本尊とするようになったのは、現存する遺品から推測すると80歳代以後のことかもしれない
【図解雑学浄土真宗 p88】
種々の分類を試みたが、ここで更に重要な問題は、(イ)宗祖の名号本尊御染筆の年代が同年代に集中していて、そのほとんどが真宗高田派に蔵せられていること。(ロ)名号には、「愚禿親鸞敬信尊号」とあり、裏書は「方便法身尊号」とある二点であろう。
(イ)の問題は、善鸞義絶の問題と、それに伴う下野高田門弟の上洛とに関係する広範囲の問題になるであろう。
【現代の教学問題・本尊について p111】
名号本尊の最初は宗祖であり、宗祖は名号を本尊とされた事実は明瞭である。だからといって、高森親鸞会の主張するごとく、

親鸞聖人がそれまで寺院などで本尊としていた弥陀三尊の絵画などを、すべて捨て去り、ただ名号を御本尊となされた

との断定は、論理の飛躍と暴言であって、歴史的考察の無視である。
義門師は『尊号真像銘文講説』に、

祖師御時代には、もっぱら九字・十字・六字のであったことはもちろんなれども、絵像や木像は一体も無かったとは云ふべからず。木辺の本山の縁起をみれば、祖師聖人木仏御安置あり、又京西洞院松原大善寺に踏出の弥陀と申して、片足先へ出して在す弥陀あり、これも聖人の御安置なり。

と述べているが、もちろん木辺の縁起も、大善寺のそれも、歴史的考証を欠き信憑するに足りるものではない。 しかし、すでに注意されているごとく、常陸稲田の草庵の本尊は聖徳太子であったとされ、下野高田は現に一光三尊の阿弥陀仏像が安置されている如来堂である。宗祖が寄寓されていた場所に、すでに安置されていた本尊を排捨して、名号本尊をもってされたとは推考できない。更にいえば、、恩師法然上人の礼拝の対象とされていた形像本尊を宗祖は礼拝されなかったとは想像しがたいことである
(中略)
名号本尊は先に資料に挙げたごとく、いずれも宗祖晩年に依用されたものであり、先にも一言したごとく歴史的背景を考慮に入れて考えねばならぬ問題である。
【現代の教学問題・本尊について p113-114】
親鸞聖人が書き残された名号本尊で現存するのは、いずれも親鸞聖人83歳~84歳の頃のものです。従って、晩年に名号本尊を書かれ、依用されていたことは確実といえます。しかし、だからといって一生涯名号のみを本尊とされたと断言するのは早計ではないでしょうか。

すでに指摘されているように、親鸞聖人が法然上人のお弟子になられたときに、形像本尊を勧められていた法然上人の教えに反して形像本尊を排斥されたと言えるのでしょうか


★本尊論についての本願寺への批判

『どちらがウソか』に代表されるとおり親鸞会は、本尊論を本願寺批判の代表的なものの一つとして、現在に至るまで変わることなく批判しています。では、どのようなことを言っているのでしょうか。

然るに、現今の浄土真宗の道俗は、何を御本尊としているだろうか。真宗の本山だと言っている東西本願寺からして、この親鸞聖人や蓮如上人の御教えを踏みにじって、木像を本尊としている始末。
ウソだと思う者は、京都へ行って見てきたらよい。 本願寺が、最も大切な御本尊に就いて、このような邪道を平気で行っている状態であるから、各末寺も、みんな木像を本尊として、平気で他流の真似をしている。 皆さんの近くの、真宗の寺の本堂をのぞけば明らかだ。このように本山始め末寺が、親鸞聖人や蓮如上人のみ教えに反したことを、白昼堂々とやっているのだから、門徒の人達が仏壇の中に木像や絵像を安置して、得意になっているのは当然だ。
一匹の馬が狂えば、千匹の馬が狂う。こんな真実の御教えを知ったら、心ある人々は、どんなに驚くことであろう。ではどうして、こんなに明らかに教示なされている、極めて大切なことが、公然と踏みにじられ、金ピカの大きな仏像を仰々しく飾りたてているのか。それは、金ピカでおどさないと愚衆どもが有り難がらないし、おさい銭に響くからに外ならない。結局、真実の信心が獲得されていないからである。こんなことでは、親鸞聖人が、それまで寺院などで用いられていた、弥陀三尊の絵図などを、総て撤去して、ただ六字の御名号を本尊となされた重大な意は、全く無視され蹂躙されているのだから、一事が万事、みな狂ってくるのは当然である。
何しろ、現今の本願寺集団は根底から、狂ってしまっている。病なら、こうこうに達している。
【白道燃ゆ】
種々の文献をあさり四十数頁に亘って論述して漸く本願寺の引き出した結論は、
「親鸞聖人は名号ばかりを御本尊になされたことは明らかな事実であるが、木像も絵像も名号も同じで変わらないのだから、木像を本尊にしていても間違いではないのだ」
というものでありました。
まさに泰山鳴動してネズミ一匹の風情でありました。
では、木像も絵像も名号も同じだから、木像を本尊としていても悪くはないのだという一匹のネズミを追い出す為に、なぜ本願寺はこんなにまで苦慮しなければならないのでしょうか。
それは明らかに間違っている現実を、そのままにしておいて何とかそれを正当化しなければならぬという歴史的苦悩を背負っているからです。この無理非道を押し通そうとする本願寺の弁明が、如何に苦渋に充ちたまやかしであるかということは、親鸞聖人が名号のみを御本尊となされ、門弟達にもおすすめになったという親鸞会の主張を全面的に容認する文章を、本願寺は四回も記述せざるを得なかったという事実と、その親鸞聖人を祖師と仰ぐ本願寺と、末寺のすべてが木像を本尊としているという現実を指摘するだけで充分であります。
【こんなことが知りたい3】
現今の本願寺等は真実の仏法をネジ曲げて他流の者達の好む木像を本尊として公然と親鸞聖人や蓮如上人の御教示に違反しているのだから、すでに本願寺等は浄土真宗ではないのである。それどころか盗人たけだけしく親鸞聖人や蓮如上人の御教示の通り、御名号を本尊としている親鸞会を攻撃し、罵倒しているのだから呆れるではないか。ここに至って末法も極まれりと云わざるを得ない。
【顕正新聞 昭和48年3月20日号】
○次回作発表
 今度の京都取材旅行で、次の作品は「本願寺沈没」に決定です。

  (中略)
○本願寺再興三ヶ年計画
初年度 本尊を木像から絵像に
二年度 本尊を絵像から名号に
三年度 善知識を募集 
【顕正新聞 昭和49年3月20日号】
本願寺には、だが、依然重大な誤りがいくつか残っている。
その一つに仏教で最も大切な、根本に尊ぶべき御本尊について、親鸞・覚如・蓮如上人に背いているのだ。ご三方とも、正しい御本尊は御名号と明示され、木像、絵像を本尊とする者を他流だと戒めておられる。
「他流には名号よりは絵像、絵像よりは木像というなり。当流には木像よりは絵像、絵像よりは名号というなり」
(蓮如上人御一代記聞書)

木像本尊の本願寺は他流である。蓮如上人の遺徳を偲び、五百回忌法要を平成十年に執行しようとしながら、御本尊からこれでは、蓮如上人を悲しませるばかりである。
【顕正新聞 平成4年3月1日号】
そのほかにも、まだまだたくさんあります。
また、これは直接本願寺を批判しているわけではありませんが、
◎ある人
 御本尊は、その人の信仰によって名号でも絵像でも木像でも、一つに固執する必要はない。
◎親鸞会の会員
 親鸞聖人や蓮如上人の御教示を公然と否定する者を、外道邪教徒と言うのです。
【顕正一口メモB】
ともあり、最近は本願寺と名指しすることはあまりなく、
「他流には『名号よりは絵像、絵像よりは木像』というなり。当流には『木像よりは絵像、絵像よりは名号』というなり」(蓮如上人)
浄土真宗の正しい御本尊は名号であることを、ズバリご教示なされたお言葉である。ところが、この蓮如上人の明快なご教導が、ある立場の人々には何とも都合が悪い。言うまでもなく、木像本尊に固執している者たちである。
御名号本尊こそ当流であることは、お聖教や、その他の根拠から明白である。また、親鸞聖人も蓮如上人も、生涯、御名号のみを本尊とされたことは、歴史的事実であるから、彼らもそれは認めざるをえない。しかし、自分たちはそれと真っ向から反する他流の本尊をあがめているのだから、どうしようもないのだ。必死に抗弁する彼らは、「本願成就文に『聞其名号、信心歓喜』とあるように、名号を最上位とし、主とする」と言いながら、でも結局は、名号も絵像も木像も同じだから、本尊はどれでもいい、という従来の主張を繰り返すばかり。どれでもいいものを蓮如上人が、当流と他流で、分けて教えられるものか。
また彼らは、「名号と絵像、木像を切り離すこと自体が誤っている」「これを別々のように思うのは、救いの法が分かっていない」などと驚くべき放言もしている。それでは、名号、絵像、木像を明確に切り離し、別々に教えられた蓮如上人が異安心ということになるではないか。己を正当化するためなら、弥陀の願心を説き明かされた釈尊の本願成就文さえも覆し、善知識の明快なご教示をも蹂躙して恥じない。そんな他流の者たちの消滅は、 もはや時間の問題であろう。
いよいよ正本堂落慶が目前に迫った。この壮挙に参加できる親鸞学徒の、何と幸せなことか。浄土真宗滅亡寸前のまさにこの時、我々はこの世に生を受けた。そして、親鸞聖人のみ教えを全世界に宣布するという、崇高稀有な大事業を、高森先生とともに成就せんとしているのだ。二十四畳から始まった親鸞学徒の小さな渦は、やがて急流、激流となり、浄土真宗の流れを変えた。本会の歴史こそが正当な真宗史であることは、教えの正当性からすでに明らかであったが、それが今、世界に比類なき二千畳の法城完成によって、誰の目にも、明白になったのである。
 無上仏のお力以外にない。
【顕正新聞 平成17年5月1日号】
などとも言われます。
最近は、世界最大の畳敷き空間を持つ正本堂落慶なども相まって、「浄土真宗の流れを変えた。本会の歴史こそが正当な真宗史であることは、教えの正当性からすでに明らか」と、はなはだ意気軒昂です。

「親鸞会は親鸞聖人の教えられたとおりにしているが、本願寺はしていない」と言いたいのでしょう。

なるほど、確かに親鸞聖人も蓮如上人も御名号を本尊とされましたが、「生涯御名号のみ」であったかどうかは今までお話ししてきたとおりです。

ところで、親鸞会は親鸞聖人の教えられたとおりのことを忠実に行っているのでしょうか。


★親鸞会への本尊における疑問
一 弟子・同行をあらそひ、本尊・聖教を奪ひとること、しかるべからざるよしの事。  常陸の国新堤の信楽坊、聖人の御前にて、法文の義理ゆゑに、仰せをもちゐまうさざるによりて、突鼻にあづかりて本国に下向のきざみ、御弟子蓮位房申されていはく、「信楽房の、御門弟の儀をはなれて下国のうへは、 あづけわたさるるところの本尊・聖教をめしかへさるべくや候ふらん」と。
「なかんづくに、釈親鸞と外題のしたにあそばされたる聖教おほし、御門下をはなれたてまつるうへは、さだめて仰崇の儀なからんか」と云々。
聖人の仰せにいはく、「本尊・聖教をとりかへすこと、はなはだしかるべからざることなり。そのゆゑは親鸞は弟子一人ももたず、なにごとををしへて弟子といふべきぞや。みな如来の御弟子なればみなともに同行なり。念仏往生の信心をうることは、釈迦・弥陀二尊の御方便として発起すとみえたれば、まつたく親鸞が授けたるにあらず。当世たがひに違逆のとき、本尊・聖教をとりかへし、つくるところの房号をとりかへし、信心をとりかへすなんどいふこと、国中に繁昌と云々、かへすがへすしかるべからず。本尊・聖教は、衆生利益の方便なれば、親鸞がむつびをすてて他の門室に入るといふとも、わたくしに自専すべからず。如来の教法は総じて流通物なればなり。
しかるに親鸞が名字ののりたるを、法師にくければ袈裟さへの風情にいとひおもふによりて、たとひかの聖教を山野にすつといふとも、そのところの有情群類、かの聖教にすくはれてことごとくその益をうべし。しからば衆生利益の本懐、そのとき満足すべし。凡夫の執するところの財宝のごとくに、とりかへすといふ義あるべからざるなり。よくよくこころうべし」と仰せありき。
【口伝鈔】
一 談議かくるとなづけて、同行・知識に矛盾のとき、あがむるところの本尊・聖教を奪ひ取りたてまつる、いはれなき事。
 右、祖師親鸞聖人御在世のむかし、ある御直弟御示誨のむねを領解したてまつらざるあまり、忿結して貴前をしりぞきてすなはち東関に下国のとき、ある常随の一人の御門弟、「この仁に授けらるるところの聖教の外題に聖人の御名をのせられたるあり、すみやかにめしかへさるべきをや」と[云々]。ときに祖師の仰せにいはく、「本尊・聖教は衆生利益の方便なり、わたくしに凡夫自専すべきにあらず、いかでかたやすく世間の財宝なんどのやうにせめかへしたてまつるべきや。釈親鸞といふ自名のりたるを、〈法師にくければ袈裟さへ〉の風情に、いかなる山野にもすぐさぬ聖教をすてたてまつるべきにや。たとひしかりといふとも親鸞まつたくいたむところにあらず、すべからくよろこぶべきにたれり。そのゆゑはかの聖教をすてたてまつるところの有情蠢蠢の類にいたるまで、かれにすくはれたてまつりて苦海の沈没をまぬかるべし。ゆめゆめこの義あるべからざることなり」と仰せごとありけり。そのうへは末学としていかでか新義を骨張せんや、よろしく停止すべし。
【改邪鈔】
覚如上人の口伝鈔や改邪鈔に、このようなご教導があります。
あるとき、弟子の一人が親鸞聖人の元を離れていったとき、親鸞聖人からいただいた本尊や聖教も一緒に持って行ってしまったので、取り返しましょう、と蓮位房が言ったとき、親鸞聖人は「はなはだしかるべからず」と仰って取り返されなかった、とあります。

覚如上人の著作ではありますが、親鸞聖人のなされたことの記録と言われていますので、親鸞聖人のご教示 と言っても差し支えないでしょう。
実質的には弟子だった者が離れていっても、親鸞聖人は「弟子一人も持たず」を貫かれ、本尊や聖教を返せなどとは言われなかったのです

現在の親鸞会において、退会した人に対し、親鸞会の書物を回収したり返すよう求めたりするなどということはありません。
しかし、入会時に下付された御名号本尊は、親鸞会に返却しなければなりません。下付されたと同時に、そのような誓約書を書くことになっています。

会を離れた人間に御名号本尊を持たせてはとんでもない罪を作らせる、ということなのかもしれません。
しかし親鸞聖人が、「親鸞まつたくいたむところにあらず」と言われ、「たとえ山野に捨てられても、そこにいる虫や動物の仏縁になるだろう」と仰って回収されなかった精神からは遠く離れているように思われます。そう感じるのは、私だけでしょうか。


★最後に

では最後にもう少しだけ、親鸞会の批判について考えたいと思います。
◎ある人
御本尊は、その人の信仰によって名号でも絵像でも木像でも、一つに固執する必要はない。
◎親鸞会の会員
親鸞聖人や蓮如上人の御教示を公然と否定する者を、外道邪教徒と言うのです。
【顕正一口メモB】

浄土真宗の御本尊は、名号でも、絵像でも、木像でも、どちらでもよいのだというようないい加減なものでもなければ、時代によって変わったり、人に応じて替えたりするものでは断じてありません。
【どちらがウソか ほか】
このことについて存覚上人は『弁述名体鈔』に
しかれども凡夫はまどひふかく、さとりやすくなきゆへに、あさきによらずば、ふかきをしるべからず。方便をはなれては、真実をさとるべからざれば、ふかきもあさきも、みな如来の善巧、真実も方便も、ともに行者の依怙なり。このゆへに、あるひは形像を図し、あるいひは文字をあらはして、真仮ともにしめし、梵漢ならべて存するなり。いづれも弥陀一仏の体なりとしりて、ふかく帰敬したてまつるべきなり。
と仰っているということですが、これも外道邪教徒と言われるのでしょうか。
もし言われるのであれば、存覚上人の著作を引用された箇所は全部削除せねばなりませんし、親鸞会の重視する教学のためのテキスト、『教学聖典』にも存覚上人のご文が出ておりますから、全会員に告知しなければならないでしょう。
また、ある弁論大会では、こういう弁論もありました。

高森先生は仰います。 「もっとも尊ぶべきご本尊から狂えば、当然教えも狂ってくる。木像を本尊にしている本願寺に、真実が説けるはずがない。まず、ご本尊から正さなければ」と
【第136回弁論大会 ある女性講師部員の弁論】
木像を本尊にしている者に、真実が説けるはずがないということでしょうか。もしそうならば、晩年の蓮如上人は真実を説かれなかったのでしょうか

私は、名号本尊を礼拝することが悪いというつもりは全くありません。それが親鸞聖人や蓮如上人の教え勧めていかれたことだからです。しかし、だからといって、これらの事実をふまえたときに、名号のみを正しい本尊とし、形像本尊を廃すべきと主張する親鸞会が果たして正しいのかといえば、疑問に思わざるを得ないのです。
このように親鸞会の教義については、無条件に正しいとするのではなくしっかりと研究し、検討を重ねていく余地があるのではないでしょうか

親鸞会の方々に質問したいと思います。

これら善知識方のなされたことを見るに、御本尊は、木像や絵像でも差し支えないと思われるのですがいかがでしょうか。
それとも、山科本願寺に木像本尊を据えられた蓮如上人や、形像本尊を下付された覚如上人は大間違い者だと言われるのでしょうか

親鸞会の歴史を語る上で、本願寺との論争は避けられません。
本尊論については、親鸞会が本願寺批判の最重要項目の一つに挙げていたほどでありました。

その親鸞会側の批判に対し、本願寺は『現代の教学問題』の本尊についての項目(山田行雄著)で反論を行いました。 しかし、親鸞会側は『現代の教学問題・本尊について』には明確な反論をしていません。

ここでは、本尊についての親鸞会の主張が全面的に正しいかどうかの考察を、親鸞会側の出版物や『現代の教学問題』などの引用を通して行います。 (以下の文章は元ブログの転載のままですが、出典の箇所は括弧を変えて右詰めに変更しております。文章自体の改変はありません)

それでは、どうぞご覧下さい。

☆親鸞会から反論サイトらしきものができておりました。 反論サイトはこちら

親鸞会の本尊論を再考する 目次
・親鸞会の本尊論を再考する/はじめに
・改邪鈔について
・蓮如上人御一代記聞書について
・蓮如上人は名号以外本尊にされなかったのか
・「木像よりは絵像、絵像よりは名号」の真意
・親鸞聖人は一生涯名号のみを本尊とされたのか
・本尊論についての本願寺への批判
・親鸞会への本尊における疑問
・最後に

参考リンク
親鸞会は本当に本願寺に勝ったのか
私はなぜ親鸞会をやめたのか
続・私はなぜ親鸞会をやめたのか
なぜ私は親鸞会をやめたのか|反響集



★親鸞会の本尊論を再考する/はじめに
事実、親鸞聖人も蓮如上人も名号しか御本尊として礼拝しておられず、私たちにも名号を御本尊とせよと教え勧められました。
【親鸞会発行 どちらがウソかp5-6】
親鸞聖人がそれまで寺院などで本尊としていた弥陀三尊の絵画などを、すべて捨て去り、ただ名号を御本尊となされた、その重大な意味も全く踏みにじられてしまいます。
【どちらがウソかp8-9】
事実、親鸞聖人も蓮如上人も、御名号しか御本尊として礼拝しておられず、我々にも、「御名号を御本尊とせよ」と教え勧めらたのだ。 (中略) だからこそ聖人は、「木像、絵像を廃して御名号本尊とせよ」とご教示になったのである。
【親鸞会発行 顕正新聞 平成17年9月15日号】
親鸞会の、本尊における主張は以前から一貫しています。

要約すると、
・親鸞聖人は名号のみを本尊とされ、絵像や木像は排斥された
・そのためにそれまで掲げられていた弥陀三尊の絵像などもすべて捨て去り、名号本尊を徹底された
・蓮如上人も親鸞聖人同様、名号のみを本尊にされ、絵像や木像は廃された
となります。

親鸞会は、「真宗の正しい御本尊は名号本尊であり、名号本尊でなければならない」と主張しています。

なお、親鸞会の言う名号本尊とは「南無阿弥陀仏」の六字名号のことを指し、これを同会では「正御本尊」として礼拝の対象としています。 本尊とは、どの宗教においてもとても大切なものです。もちろん、真宗でも大切な意味をもちます。
御本尊とは、読んで字の如く、根本に尊ぶべきものであり宗教、特に仏教では最も重要な意味を持つものであることが、何人も認めるところであります。 されば浄土真宗の御本尊は、名号でも、絵像でも、木像でも、どちらでもよいのだというようないい加減なものでもなければ、時代によって変わったり、人に応じて替えたりするものでは断じてありません。 (中略) 浄土真宗親鸞会は、生涯名号のみを御本尊とし、真宗の正しい御本尊は名号であることを教え、名号本尊を固く守られた親鸞聖人や蓮如上人に順って、浄土真宗の御本尊は名号でなければならぬと固く守ります。
【どちらがウソか】
宗教において信者の礼拝の対象としての本尊は重要な意義をもつ。 (中略) 真宗において、礼拝の対象となる本尊は阿弥陀仏の名号であり、形像である。 (中略) 名号が仏心の表象であれば、形像もまた仏心の顕現に他ならぬのであり、両者の間に優劣・可否を論ずるものではない。
【本願寺発行 現代の教学問題・本尊について】
ここで、本尊における親鸞会と本願寺の主張の違いは、
・親鸞会=名号本尊でなければいけない。形像本尊(絵像、木像)は真宗ではない
・本願寺=名号本尊も形像本尊もそれぞれに意味があるのだから優劣可否を論じるものではない
に集約されます。

本尊論については、一部「親鸞会は本当に本願寺に勝ったのか」でも明らかですが、ここではもう少し細かく考えていきたいと思います。



★改邪鈔について 


親鸞聖人が名号のみを本尊とされた根拠として、いくつかの文証を提示しています。ここではまず、改邪鈔の以下の文証について考えます。
本尊なおもて『観経』所説の十三定善の第八の像観よりいでたる丈六八尺随機現の形像をば、祖師あながちに御庶幾御依用にあらず。天親論主の礼拝門の論文、すなわち「帰命尽十方無碍光如来」をもって、真宗の御本尊とあがめましましき。いわんや、その余の人形において、あにかきあがめましますべしや。
【改邪鈔2】
親鸞会では、この文証が「名号本尊の根拠」として教えられているところでもあります。 ここで問題となるのが、「祖師あながちに御庶幾御依用にあらず」の「あながちに・・・あらず」の解釈です。
親鸞会の主張は、「聖人は決して・・・されなかった」(完全否定)と解釈するものです。
親鸞会「あなたは初歩的な古文の文法も知らんのか。『あながちに』の意味は古語辞典を引くと三通りある。 (一)形容動詞としての意味--適切ではない。度を超している。 (二)否定文の副詞としての意味--決して、絶対に (三)反語文の副詞としての意味--必ずしも 改邪鈔の場合は『祖師あながちに御庶幾御依用にあらず』と『ず』で終わっている否定文の中に使われている副詞だから、『決して』とか『絶対』の意味になる。だからこの御文は『親鸞聖人(祖師)は(木像、絵像を)決して請い願われたことも用いられたこともなかった』という意味なのだ。(後略)」
【親鸞会発行 法戦4 p103】
一方、本願寺側の主張は以下の通りです。
この「あながち・・・にあらず」の国語学的用法は、「あながち」+「ず」であって、「あながち」自体を否定することを意味する。だから「必ずしも・・・でない」とか「一概には・・・でない」と解釈すべきであり、いわゆる部分否定である。よって『改邪鈔』の「祖師あながち御庶幾御依用にあらず」とは、「宗祖は必ずしも御庶幾御依用ではなかった」との意であり、高森親鸞会の主張のごとく「宗祖は必ず御庶幾御依用ではなかった」と完全否定の解釈はなり立たない。『改邪鈔』のこの条での完全否定は、「その余の人形」を礼拝の対象とすることである。
【現代の教学問題・本尊について p89】
私は、色々な古語辞典を漁ってみましたが、殆どは
あながち【強ち】 (副)(下に打ち消しの語を伴う) (1)一概に。まんざら。必ずしも。 (2)決して。むやみに。 (形動ナリ) (4)必ずしも。
【三省堂 大辞林】
あながち【強ち】 (形動ナリ)むやみだ。あまりだ。 (副)打ち消しの語を伴って「必ずしも・・・でない」の意を表わす -に【強ちに】 (副)(打ち消しの文に用いる)むりに。しいて。進んで
【旺文社 古語辞典】
の類似です。これらの古語辞典を読む限りにおいては、どちらの意味にも取れそうですが、部分否定とするのが妥当とも言えそうです。
しかも、『現代語訳 親鸞全集』(講談社版)には、この部分の現代語訳として、
『観経』に説いている十三定善の第八像観にもとづいてつくられた丈六八尺の随機現(機に応じて現れる)の仏像は、本尊であるのに祖師はかならずしもご利用なさらず、天親論主(インドにおける真宗二代目の教祖)の礼拝門の論文すなわち「帰命尽十方無礙光如来」をもって真宗のご本尊とあがめられていたのである。ましてそれ以外の像など、どうして描いたりあがめたりする必要があろう。やめるがよい。
【現代語訳 親鸞全集(講談社版)】
と書いています。以上のことから、このような文証をもって、確たる証拠とすることは難しいのではないでしょうか。
また、親鸞会が親鸞聖人以来の善知識として挙げている『改邪鈔』の著者である覚如上人自身は、形像本尊(絵像や木像)を禁じていたどころか、
また、覚如上人自身が形像本尊を門弟に下付されていた事実を示すものとして、顕誓師の『反故裏書』には、 覚如上人の御時乗専法師(中略)覚如上人にしたがひ奉り、絵像の本尊・『報恩講式』・『口伝鈔』・『改邪鈔』・『安心決定鈔』等の聖教をのぞみ申され、真俗につけてたぐひなき御門弟なり。丹波六人部に毫摂寺といふ寺をはじめ給ひ、すなわちかの御影像をすへ奉り云々(『真宗全』三-九八○) と記録されているのである。
【現代の教学問題・本尊についてp91-92】
とあり、絵像や木像を門弟に下付していたとあります。
覚如上人ほどの善知識が、果たして「名号本尊のみを教え進めていかれた」親鸞聖人の教えに背くことをなされたのでしょうか



★蓮如上人御一代記聞書について


親鸞会は改邪鈔の他に『弁述名体鈔』や『慕帰絵詞』から文証を出しており、本願寺の『現代の教学問題・本尊について』で考察されていますが、長くなりますので省略します。
次には、親鸞会がもっとも強力でわかりやすい根拠として挙げている
他流には、名号よりは絵像、絵像よりは木像というなり 当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号というなり
【蓮如上人御一代記聞書】
について考えていきます。 そもそも、この文証についての親鸞会の解説でさえ、
「他流には、名号よりは絵像、絵像よりは木像というなり。当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号というなり」 と記されている。 これは、蓮如上人が浄土真宗の正しい御本尊を明示なされた御言葉である。 即ち、真実の仏法が分からない他流の者達は、御名号(南無阿弥陀仏のこと)よりは絵像がよい、という。また、絵像よりは金ピカの木像が、もっともよいと木像を本尊としているが、それは、本当の仏法が分からない連中のやっていることだ。 親鸞聖人は、それとは全く反対に、金ピカの木像よりは絵像の方がましだ。 絵像よりも御名号を本尊とするのが最も正しい。
【白道燃ゆ】
とあり、比較相対で論じています。
つまりこの文証は、「真宗では木像<絵像<名号であるから名号が一番良い」ということで、「名号が一番良いのだ」とは言われているものの、「木像や絵像ではダメだ」とする文証とは言えないのではないでしょうか。
それはさておき、蓮如上人自身は親鸞会の主張通り、木像や絵像を排斥されて名号のみを本尊とされたのでしょうか



★蓮如上人は名号以外本尊にされなかったのか
蓮如上人の本尊は、具体的には、蓮如上人が発願建立された山科本願寺の阿弥陀堂の本尊であろう 。 文明十五年八月二十八日のご文に、 阿弥陀堂の仏壇(中略)いくほどなくして出来せり。則まづ本尊を六月十五日にすえ奉りけり。 と述べられ、山科本願寺の阿弥陀堂の本尊は文明十四年六月十五日に「すえ奉」られたとある。平尾興栄氏も注意されたごとく、このすえ奉られた本尊が、形像本尊であったか名号本尊であったかは、「据える」とある表現からも推察されるが、実悟師の『山科御坊之事並其時代事』に阿弥陀堂の荘厳を記するに、 木像本尊 安阿作 如今。左方北太子絵像 讃如常蓮如御筆・六高僧御影。右南法然聖人一尊御影 讃如常蓮如御筆 両方共に三具足、燈台あり。 とあり、ここに木像本尊(安阿作)とある。明らかに蓮如聖人は形像本尊を礼拝の対象として安置されていたことは歴史的事実である。
【現代の教学問題・本尊について p100-101】
これは、『山科御坊之事並其時代事』に
仮御坊たちて、無程御影堂たちて、また本堂とてなくては如何とて、やがて阿弥陀堂も立ましましけり。三間四面に、四方は小縁、東方の前には六尺の縁也。向はさましやうししとみのことくに常に諸堂のごとし。左右の脇は唐さま、これ又諸堂のごとし。さまにほり物ありけり名失念。木像本尊 安阿作 如今。左方北太子絵像 讃如常蓮如御筆・六高僧御影。右南法然聖人一尊御影 讃如常蓮如御筆両方共に三具足、燈台あり。
と続く文証です。山科本願寺建立当初の様子がありありと分かります。 蓮如上人自身が、山科本願寺の阿弥陀堂(すなわち本堂)の御本尊を木像にされていたという事実が記されています。つまり、「蓮如上人も一生涯名号のみを本尊とされた」とは言えないということです。
また、蓮如上人自らが形像本尊を本尊とされていただけでなく、門弟にも下付されていた事実も記されています。
蓮如は、当初は無碍光本尊(十字名号)を浄土真宗の本尊として用い、木像、絵像などの礼拝を拒否した。「蓮如は無碍光流の邪義を説いている」と非難する比叡山の僧兵に本願寺を破却されて以後は、無碍光本尊の授与を中止し、白紙に六字・九字・十字の名号を書き、本尊として授けた。その中でも六字名号が特に多かった。その後、門徒の強い要望により絵像の本尊も授けるようになった。さらに寺が建てられると木像の阿弥陀仏像を安置することになった
【図解雑学・浄土真宗 p96】
更に蓮如上人は形像本尊の下付もなされていた事実がある。その事実のなか、二、三挙げてみよう。 (一)京都府北桑田郡美山町南 福正寺蔵                大谷本願寺 釈 蓮如(華押)           長享三蔵乙四月月二十八日    方便法身尊形丹波国桑田郡知井里南村                願主 釈 浄頓 (中略) 右のごとき事実を踏まえたとき、『蓮如上人御一代記聞書』の文は、蓮如上人が名号本尊のみを勧められたものと見ることは、はたして妥当であろうか。
【現代の教学問題・本尊】
以上から、「蓮如上人も一生涯名号のみを本尊とされ、勧めていかれた」という親鸞会の主張は、果たして根拠があってのことなのでしょうか。もしこれらを否定して主張を通すのであれば、山科本願寺の阿弥陀堂の本尊が名号であることを証明する文証を提示しなければならないでしょう。

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