あさ川進の、宗教と私

浄土真宗親鸞会に所属しながらアウトサイダーだった私(現在は会員でなくなりました)が、宗教(浄土真宗親鸞会)との付き合い方を考えつつ書いている更新頻度が低いブログ(この説明も暫定です)リンクフリーです。なお、投稿文を受け付けております。「【投稿文】」と書かれている記事は、頂いた投稿文です。

カテゴリ : 所感

謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について、真実の教行信証あり。
(教行信証)


しかるに本願力の回向に二種の相あり、一つには往相、二つには還相なり。
(浄土文類聚抄)


往・還の回向は他力に由る。
(正信偈)



浄土真宗ののお話をずっと聞いているとすっかり慣れてしまいかねないのですが、改めて味わいますと、親鸞聖人が「すべて弥陀のひとり働き」と言われたことがなんともありがたく味わわれるのでした。


親鸞聖人は教行信証で「浄土真宗」と書かれているところを浄土文類聚抄では「本願力の回向」と書かれています。もともと親鸞聖人は、自らの宗派という意味合いで浄土真宗を使われていなかったかと思いますので特に違和感はありませんけれども、こんなところからも改めて、浄土真宗は本願力回向の教えであり、他力の教えであるということ、「弥陀のひとり働き」であることが味わわれます。


「弥陀のひとり働き」という言い方をしておりますが、つまるところ回向の主体が阿弥陀仏と言われているわけで、これに慣れ親しんでいると違和感も覚えませんけれども、考えてみますとなかなかそのように言えるということはないように思います。


・・・


学生時代も遠くなりにけり、あまり自分がどうであったかの記憶も定かではありませんが、いくつか思い出したことを書きます。


・・・


大学で宗教っぽい「サークル」に入って話を聞く中で、「信心決定したら、より仏法を聞きたくなる」という話を聞いたことがあります。

大まかに補足しますと、私は当時「人生の目的を達成する」ということは考えていたものの、宗教的な話に用はありませんでした。

そんな私がこのような話を聞いたものですから、「人生の目的を達成して充実感を得てその後の人生を楽しもうというのに、結局法話を聞き続けるというのは面白くないなあ」などと思っていたものでした。


・・・


私は今現在、熊谷市に縁がありますが、学生当時はまったく熊谷に縁がありませんでした。
そんな熊谷市の有名人の一人に、熊谷の蓮生房がいます。

大学の何年生の頃だったか忘れましたが、蓮生房について以下のような話を聞いたことがありました。

細かな話の内容は覚えていませんが、親鸞会の会員さんとおぼしき人が書かれたブログ記事がありましたので、興味のある方はこちらをご参照下さい。(『とどろき』記事の転載のもよう)

ここでは長く書きませんが、このときに「南無阿弥陀仏の縄に縛られて思うままにならぬ幸せ者」ということを聞いたのです。


一応は仏法を聞いていたと言えば聞いていたかも知れませんが、性根はまったく先に述べた通りでしたし、そもそも縄に縛られて幸せなどというような趣味はありません(今もありません)から、そんな話をさもありがたく話す講師部員を見て、ちょっと違う世界の人のように思ったものでした。


・・・


「遊煩悩林現神通」

学生時代、この正信偈の言葉について話があったことがありました。いわく、救われた人は煩悩の林であるこの世界で、自由自在に衆生済度をするのだと。救われた人にとっては、衆生済度は遊びのようなものなのだと。


やはり学生だった私は、「衆生済度が遊びと思えるかはなってみないと分からないが、あまり楽しいとは思えないものだ」と思ったものでした。


・・・


縄に縛られて云々はさておき、先ほど述べたような思いというものは、まさにそこに「自分」が入っている、もっと言えば「自分」しか居ないように思うが故のことだと思い出されます。


自分の努力や工夫、忍耐などによって得られた境涯という名の結果であれば、いわば「報酬」として自分が満足する何かが得られなければ、「努力した甲斐がない」と思ってしまうでしょう。努力の結果、思い通りの人生が開けるものだと独り合点していたところに、「一生涯仏法を聞き続けるのだ」とか、まして次の生でも衆生の救済に励む(というか遊ぶ)のだとか聞かされたら、別にそんなもの要らない、と思ってしまいかねません。


そんなことを考えますと、よくも縁が続いたものだったと思いますし、むしろ自分で求める気を起こしていたら今の「ご縁」はなかったのだろうと味わわれます。


浄土真宗の「教行信証」について言えば、主体はすべて阿弥陀仏でした。そして教行信証が円満した往相の回向、そして還相の回向はまた、阿弥陀仏の一人働きでした。


しかれば、もしは往・もしは還、一事として如来清浄の願心の回向成就したまうところにあらざることあることなきなり。
(浄土文類聚抄)



「すべて弥陀のひとり働き」とは、たとえばどういうことかと味わってみますと、


問題にしていない「苦」を問題にされているのも、
仏法を聞きたいと思わないのに聞かせることも、
仏法が有り難いとも思わないのに縁を持たせることも、
後生のことを心配されているのも、
助からないことを問題にされるのも、
仏法を聞こうとしないのを心配されるのも、
往生一定とされるのも、
臨終後に仏の悟りを開かせるのも、
次の生で、再びこの世で衆生済度させるのも、


みんなみんなということであろうと思います。


・・・


最近、何度か還相回向のお話を聞く機会がありました。

無常というか往生というか、お同行のそのような話もちらほらと聞きます。このブログでご縁深かった方で言えば、ひろしさん、そして嶋田さん。

まあ、娘のこともありましたので、弥陀と娘のことなどを思い出したり考えたり味わったり、そんなこともありました。

往生された同行のことを思い出し、どこかで還相の方として次の生を送られているのかなあと思ったり、ひょっとしたら親鸞会と縁を持たれるのかなと思ったりもしております。


二つに還相の回向と言うは、すなわちこれ利他教化地の益なり。すなわちこれ「必至補処の願」より出でたり。また「一生補処の願」と名づく。また「還相回向の願」と名づくべきなり。『註論』に顕れたり。かるがゆえに願文を出ださず。『論の註』を披くべし。
(教行信証)


その「還相回向の願」を親鸞聖人は、次のように読まれてます。

願に言わく、「設い我仏を得たらんに、他方仏土のもろもろの菩薩衆、我が国に来生して、究竟して必ず一生補処に至らしめん。その本願の自在の所化、衆生のためのゆえに、弘誓の鎧を被て、徳本を積累し、一切を度脱して、諸仏の国に遊び、菩薩の行を修して、十方諸仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して、無上正真の道を立せしめんをば除く。常倫に超出し、諸地の行を現前し、普賢の徳を修習せん。もししからずは正覚を取らじ」


還相回向は浄土に往生して仏のさとりを開いてからということになりますので、本来は「還ってくる」のも「衆生済度する」のも、この世で出来ることではありません。そして、「すべて弥陀のひとり働き」ですから、自分の意思で出来ることでもありません。


とは申せ、利他の行が出来ないとしても御恩報謝の日暮らしが出来るのが、浄土真宗の有り難いところだと思います。御恩報謝の道はそれぞれありましょう。その中で分け隔てなく南無阿弥陀仏を讃歎することもまた有り難いご縁だろうと思います。結局いつもの話になってしまいますが、親鸞会であるとかないとか、捨てるとか拾うとか、拒絶するとか崇拝するとか、そんなこととは関係無い弥陀の本願ですから、還相の方と同じように自由自在に神通を現すとはいきませんけれども、その心を汲んで親鸞会など関係無く、彼我の境目もなく、日々の姿が縁ある人とともに南無阿弥陀仏を喜ぶご縁ともなれば有り難いことだと思います。



あともう一つ。まったく還相回向とは話は変わりますけれども、以前に親鸞会の良いところについて考えてみたことがありました。当時は結局思い当たらず、皆さんに色々ご意見も出して頂いた、そんなことがありました。


今ひとつ思い当たるのが、熱心に「聞法」していた、ということ。


もちろん、聞法の目的が全く違うとか、喜びと言うにはほど遠く苦痛であったとか、そもそも聞「法」ではないとか、特に親鸞会経験者で親鸞会から離れた方はいろいろ思うところがあろうかと思います。

そういった方全員のことは分かりかねますので私は自分のことを書くのですが、弥陀の本願とのご縁でもありましたし、また「熱心な聞法」ということからすれば(形の上では)親鸞会は素晴らしいものがあったと思います。また、これも形式的なものかしれませんが、仏法大事に思うことに関しても、親鸞会の人は一生懸命だったと思います。(対象が仏法に向いてないのではないかと思われる方もあるかしれませんが)


もう一つの「還」は、そんな熱心さに思い出し、その大事に思う「思い」に「還」っても良いのではないか、そんな意味も込めてみました。


当時を思い出しますと、毎週のように富山の親鸞会館に通っていた時期もありました。

教学も頑張ってました。

お聖教も下に置いてまたがないように気を遣ってました。


当時は自分自身のために、自分自身に幸せがかえってくると思って、自分自身が助かるためにしていたことでした。南無阿弥陀仏はそんなことを求めてはいませんでしたし、頑張る必要も無い教えでした。

ただ、南無阿弥陀仏との縁を喜ぶようになった、といって仏法とのご縁が遠ざかってしまう方もあります。それは残念に思います。


先ほど、学生時代に「救われた人は余計に仏法が聞きたくなる」と聞いた時のことを書きました。結局あれは、南無阿弥陀仏(もっとも、当時は「人生の目的」としか思っていませんでしたが)を努力の対価としか思っていなかったということでした。

そんな私ですのでえらそうなことは言えませんけれども、聞法を大切に、仏法を大切に思っていたはずの時の思いに「還」る、

それもまたご縁の形ではなかろうか、と味わわれます。



昨年は教行信証と歎異抄のご文を出して本文は何も書きませんでした。それはそれで良いかとも思ったのですが、「なんとコメントしたら良いか分からない」と言われた方もありましたので、まとまってませんが文章を書きました。

今回の漢字は何にしようか、と思った時に二つの候補がありました。一つは、昨年も書こうと思っていた文字、もう一つは先週ふっと思いついた文字。どっちもあまりまとまらなかったのですが、今回は先週の味わいを元に(だいぶ変わりましたが)書きました。


南無阿弥陀仏

~~~~~~~~~~~~

改めてご説明しますと、毎年2/26には●「親鸞会」と題した記事を書いてきました。

卒「親鸞会」
超「親鸞会」
忘「親鸞会」
転「親鸞会」
離「親鸞会」

そして今回は、「還」親鸞会 と題しました。


今回、カギ括弧の位置が変わりましたことについては思うところはありますが、なかなか文章になりませんでしたので、皆さんそれぞれに味わっていただければよろしいかと思います。


他のブログでは、いわゆる「聖典」の言葉に対しては現代語訳や解説などを載せる場合が多いのですが、当ブログは私の味わいを載せるだけにしております。現代語訳や意味をご所望の方は、他の方の書かれたブログや書物等でお調べ下さい。

四十九日どころか二ヶ月以上経ったので今更ではありますが、先日娘を見送りました。先月、先々月もブログの更新自体はありましたが、考えてみますと私が書いた記事は三ヶ月前までさかのぼることに気がつきました。そろそろ次の記事を書こうと思っていたところで、娘が亡くなったということもあってブログを書く気も失せていたのですが、なんとか頂いた投稿文でブログが続いたということで、ありがたいことです。


さて、正確に言うと娘は生まれてくる前になくなった、いわゆる死産ですので戸籍上は特に何も残りません。残っていませんけれども、私(と妻)の娘には違いないですので、娘と書きます。もう1~2ヶ月で生まれるであろうというところまで育ってくれましたので、出てきた時には小さい赤ん坊の姿で出てきました。


死産の場合、親の立場からしてみれば多くの場合子供が亡くなったことに違いないのですけれども、外から見たらまだ生まれてきていない状態ですので、いわゆる戸籍がある方が亡くなった場合と比べても、感じ方の隔たりは大きいのだろうと思います。先ほど、ブログを書く気が失せたと書きましたけれども、実際には娘が腹の中に来る前のところからダラダラと思い出話を書いていました。書いていましたが、書いてそれを公開するのもいかがなものかと思いましたので、今回は別のことを書くことにしました。


****

事情により、妊娠中の妻は二回転院をして、最終的には救急車で(家から二時間ほど離れた病院へ)運ばれていきました。入院病棟は様々な患者さんがありまして、病院というのは苦しいところの代名詞かも知れないと思ったものでしたが、産婦人科の場合は赤ちゃんの泣き声が聞こえる、面会者の顔もどこか明るい、そんな感じもしておりました。無事に生まれてきてくれたら良いなと思ったものでした。


入院期間がそれなりに長かったので、妻は大部屋に入院していました。個室も多い病院だったのですが、ある日、名札の無い個室に入院患者さんが入っているのが見えました。半日から一日ほど経っても名札がありませんでした。勝手に入っているわけではないのでしょうが、名札が間に合わないのかしらと思ったものでした。一ヶ月ほど後、その部屋に泣き腫らした妻が移動していました。このとき私は、その個室の意味を知りました。


喜びの裏には、見えない悲しみ苦しみがあるものだ、とつくづく思いました。

****

娘が「生まれて」きた後、身長と体重を量るからといって引き取られていき、しばらくして娘の体を妻と一緒に洗いました。その後、用意していた短肌着に着替えさせました。娘が生まれたのだなあという感慨がありました。ただ、室内は静かでした。娘の体はすでに冷たかったです。


しばらくして葬儀業者が来て、「ご遺体を霊安室に運びます」と言われました。ご遺体、という言葉を聞いて、そして白い布が掛けられた娘の体を見て、ああ娘は亡くなったのだと現実に戻りました。

一緒に霊安室の前に来て、「最後にだっこしますか?」と聞かれました。いや、最後なんていきなり言わないでくれと思いながらだっこしましたが、初めての経験でしたのでよく分からないまま霊安室に運ばれる娘を見送りました。妻の所に戻ったら、だっこが出来なかったと言われました。(数日後にだっこできました)

****


まず娘について思ったことは、娘は妻の腹の中で南無阿弥陀仏を聞いてくれただろうと。

娘が亡くなったということについての意味付けは、私にとっては味わいとなりますけれども、それこそ亡くなった端は、

 「人身受け難し」を教えてくれたのだろうか

と思ってみたり、

 諸行無常、老少不定ということを教えてくれたのだろうか

と味わってみたりしたものでした。
それはそれでもっともらしいとも言えるかしれませんが、どうも落ち着かない日々が続きました。


なんとなく他の味わいも出てきたのですが、なかなかそれがうまく言葉になりませんでした。なんとなく言葉になりかけたときに、こんな言葉を教えてくれた方がありました。


見諦所断の法を断ずがゆえに、心大きに歓喜す。たとい睡眠し懶堕なれども二十九有に至らず。一毛をもって百分となして、一分の毛をもって大海の水を分かち取るがごときは、二三渧の苦すでに滅せんがごとし。大海の水は余の未だ滅せざる者のごとし。二三渧のごとき心、大きに歓喜せん。菩薩もかくのごとし。初地を得已るを「如来の家に生まる」と名づく。一切天・龍・夜叉・乾達婆 乃至 声聞・辟支仏等、共に供養し恭敬するところなり。何をもってのゆえに。この家、過咎あることなし。かるがゆえに世間道を転じて出世間道に入る。ただ仏を楽敬すれば四功徳処を得、六波羅蜜の果報を得ん。滋味、もろもろの仏種を断たざるがゆえに、心大きに歓喜す。この菩薩所有の余の苦は、二三の水渧のごとし。百千億劫に阿耨多羅三藐三菩提を得といえども、無始生死の苦においては、二三の水渧のごとし。滅すべきところの苦は大海の水のごとし。このゆえにこの地を名づけて「歓喜」とす。
(教行信証行巻)



行巻と書きましたが、正確には『十住毘婆沙論』の入初地品からの引用です。初地の菩薩について書かれたところですが、ここを引かれて無明が破られるということについて聞かせてもらいました。

大まかに言いますと、根本の無明が断ぜられたということは、私の側から見れば大海のうちのわずか二三滴の水が滅せられた程度にしか思われずに煩悩の苦しみはほとんど残っているが、弥陀の側から見れば根本の無明を断ずることでほとんどの苦しみが取り除かれ、後に残る苦しみは大海のうちのわずか二三滴程度なのだ、というように受け取りました。私の自覚がどうか、ということと弥陀の側から見たところでは、大きな隔たりがあるようです。



「娘は妻の腹の中で南無阿弥陀仏を聞いたのであろうか」

そのことは、私にとっては「弥陀と娘の話」なのであって弥陀次第なのですが、そんなことを言うと何か冷たい感じがしなくもないと感じられる方があるか知れません。


私の味わいとしては、自分が救われるかどうかあるいは救われたかどうかが気になるほどに、その「救い」にしがみつく傾向があるように思われます。仮に「救われた」のであれば、「救われた」という思いにしがみつく、と言って良いのかもしれません。

その思いが他人に向けば、その当人が救われたのかどうかが気になる、その当人が「救われた」かどうかで浮きもし、沈みもするとも言えましょう。


南無阿弥陀仏との縁は私の計らうところではありませんし、救われたとか救われないとかいうことも私が決める話でもありませんので、それが私でない人のこととすれば、なおさら私がどうこう口を挟む問題ではないのだろうと思うのです。


「腹の中で南無阿弥陀仏」という話をした時、「数え年は、腹の中に宿った時から人生が始まっているからそのように数えるのだと聞きました」「人間界の時間の長さに関係無く、南無阿弥陀仏を聞けた人は本当の長寿だと聞きました」という話を教えて下さった方がありました。

娘が腹の中で南無阿弥陀仏を聞き、称えていたかどうかは弥陀と娘のみが知るところでしょうが、娘のことについて味わうならば、

 南無阿弥陀仏との縁は私の思いに関係無く、弥陀からの一方的なお慈悲の南無阿弥陀仏

ということを改めて味わわせてもらったこと、もっと言えば、

 自らの「救い」から手を離したら南無阿弥陀仏

なのだということ。


ちょっとはまとまったかと思って書いていたらやっぱりまとまってませんでしたが、娘も弥陀と共に南無阿弥陀仏というのが、今の味わいです。


もっといっぱい「だっこ」をしたかった、とか

高い高いをしてやりたかった、とか

せめて「おぎゃー」という名の南無阿弥陀仏の泣き声を聞きたかった、とか


毎日、そんなことを思わない日はありませんけれども。


あとは、娘が特に支障なく出てきてくれたので、妻が無事に退院できたことがありがたいことでした。

南無阿弥陀仏

ここをもって、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依りて、久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る、善本・徳本の真門に回入して、ひとえに難思往生の心を発しき。しかるにいま特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり、速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う。果遂の誓い、良に由あるかな。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。
(教行信証化土巻)


善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。
(歎異抄後序)



南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏



~~~~~~補足~~~~~~

改めてご説明しますと、毎年2/26には●「親鸞会」と題した記事を書いてきました。

卒「親鸞会」
超「親鸞会」
忘「親鸞会」
転「親鸞会」
今回は、 離「親鸞会」 と題しました。

いろいろ考えた結果、やはり南無阿弥陀仏だなあということで、今回はこのような形式にしました。

他のブログでは、いわゆる「聖典」の言葉に対しては現代語訳や解説などを載せる場合が多いのですが、当ブログは私の味わいを載せるだけにしております。現代語訳をご所望の方は、他の方の書かれたブログや書物等でお調べ下さい。

先週、居間の蛍光灯が切れました。週末に切れていたなら、ホームセンターで買ってくるなどできたのですが、あいにく週の初めに切れてしまったのと、基本的に居間に居ることがほとんどで不便なため、ネット通販で購入しました。何しろ私は、ホームセンターや電気屋が開いている時間には家に居ないからでした。


翌日に届くというオプションサービスを指定したのですが、翌日に届かずに翌々日に届きました。ネット通販のページを見ても、届かなかった日に届くことになっているだけでした。


淳心房さんとやりとりを続けていたこともありましたし、ビジネス雑誌などでも物流がネット通販の増加で逼迫しているという話は見聞きしていましたので、物流業者に文句を言うことはしませんでしたが、ものによっては文句を言っていたかも知れません。今日は、そのことで思ったことを書きます。



通販で注文して手元に届くまでには、通販業者が客ごとに商品を在庫から取り出して梱包して、それを物流業者が引き取って、仕分けして、そして手元まで運ぶ、と、大まかに言うだけでもこれだけの手数が掛かります。これも一言で済ませていますが、結構な人手が掛かっているはずです。


最近では送料無料だとか、翌日あるいは当日配送といったサービスも当たり前のようになっているのですっかり麻痺した感がありますが、大変な労力を用いて手元に届けられているのだと思います。しかし、荷物を受け取る側からすれば、荷物が目的であって荷物がどうやって届けられるかについて気にする人はほとんどいないでしょうから、当たり前だとすら思うことも無く過ごしてしまうように思います。


存在感がきわめて薄い(というか無い)ことを「空気」というスラングがありますが、空気だって本来は無ければ大変なことです。しかし、空気があることについて感謝している人は私も含めてほとんど見受けられませんし、そもそも空気に意識を向ける人さえ希な気がします。


もちろん中には、そういう人たちに思いをいたして感謝の言葉を述べる方もあるという話は聞きますが。


さて、

弥陀が五劫の思惟によって南無阿弥陀仏をこさえて私に回向して下された、南無阿弥陀仏とたまには口にもし、文字にもするわけですが、どれほどのご苦労かということに、どこまで思いをいたしているかと思いますと、まったくといって良いほどであるなあ、と思います。


また、南無阿弥陀仏だけでなく、その南無阿弥陀仏を喜ぶご縁ともなった様々な有情無情のおかげに対する感謝、ともなりますと、もはやまさに「空気」のような扱いでは無かろうか。


そんなことを思いながら、蛍光灯を取り替えたのでした。
そうしたら、昼光色にしなければいけないところを電球色を買ってしまっていたため、色が違うと妻から文句を言われてしまいました。



ところで話は変わりますが、荷物の話から無理矢理、南無阿弥陀仏を味わってみます。荷物の話にたとえるのはどうかという話については、「たとえ話とはそういうものだ」ということで話を進めます。


通販で商品を購入して自分の手元に届けてもらう、といったときに手元に届くのは、当たり前ですが基本的には自分が注文したものです。基本的には自分が欲しいと思ったもののはずです。


それとは別に、頼みもしないのに手元に届くものも多々あります。ダイレクトメールとかダイレクトメールとかダイレクトメールとか。まあダイレクトメールだけでは味気ないので、時節柄、お歳暮ということにしましょう。お歳暮は、送ってくださる方が自分に喜んでもらえるように考えて選ばれたものが届く、ということにしておきます。


しかしながらお歳暮の場合、必ずしも自分がほしいものが届くとは限りません。


南無阿弥陀仏のお話を聞いて、他力信心を「いただく」と言って、「ものをもらう」ということではないと理解はしていても、漠然と、「自分が○○した結果、このような信心がえられる」といったようなことを思ってしまうかも知れません。「私」が何かをすることで、「私」が考えているような心になる、ということです。

自分の行動によって自分が期待した結果を得るということですから、先の話でたとえるなら、自分で注文した商品を自分で受け取るようなものです。


他力信心は、「不可思議不可称不可説」などと言われますように、そもそも「私」の期待の埒外ですから、自分が期待しているような信心ではありません。


荷物にたとえるのもどうかと思いながら無理矢理たとえますと、自分の思いとは無関係にすでに手元に届けられているのが南無阿弥陀仏でありましょう。


ところが、そもそも届けられていることを想定もしてませんし、自分が期待しているようなものでもない、ということでほったらかしにしてしまう。届いていることに全く気付いていないかも知れませんし、気付いてはいるけど無視しているのかも知れません。そして、自分がほしいものの到着をひたすら待っている。しかし、なかなか自分の思い通りに届かないので、業者に文句を言っている。


なんとなく、そんな絵を思い浮かべたのでした。


如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情をすてずして 廻向を首としたまいて 大悲心をば成就せり
(正像末和讃)



「先手の法」とか、「私が願うより先に願われている」とか、先哲はいろいろな表現をされています。

淳心房さんが荷物の話をされましたので、便乗してみました。荷物と言えば罪業の話のほうがしっくりくるのかもしれませんが。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

先日、淳心房さんのブログの記事に、私は珍しくコメントしました。


まさに「おまかせ~」ですね。

おまかせということは、(私の力は一切役立たないので)おまかせした結果はそのまま受け入れるということで、思う通りの結果にならなかったらどうするんだという不安があったりすると、おまかせするのはなかなか難しいかも知れないなあと思いながら、
歎異抄の、「総じてもって存知せざるなり」のお言葉が味わわれました。

南無阿弥陀仏



その私のコメントに、お返事を頂いていました。


そんな不安もありますね。あと「どうまかせたら・・・」と悩む人も(´・ω・`)
元々地獄だから阿弥陀さまのお連れ下さる先が地獄でも受け入れるしかないですよね。
歎異抄の「総じてもって存知せざるなり」は言葉通り「本当に何も知らない」「法然聖人より承りしみ教えを我も信じ人にも教え聞かせているだけだ」ということですね。私も全くもって同じです。



私の漠然としたコメントの心をくみ取って頂いて、私も同じ味わいであるなあと思いながら、さらにお返事しようと思ったのですが、そのことだけ書いても仕方ないかなあと思っているうちに日が経ってしまいました。


さて、そんなコメントをしながらふと思い出したのが、今日の話題です。
前にも同じようなことを書いた気がするのですが、忘れてしまったのでもう一回書きます。


淳心房さんが以前に紹介された、「お坊さんのつぶやき部屋」というサイトに、庄松同行の「おかみそり」のエピソードが紹介されています。


これ


全部引用するとちょっと長いので、途中からちょっと引用します。


そして庄松さんは取り次ぎ役について本寂上人の前にやってきました。
そこで庄松さんは礼儀作法も知らないので、べったりあぐらをかいて座ると本寂上人から、「今、我が衣の袖を引っ張ったのはそなたであったか」
庄松「へぇ、おらであった」
本寂「何と思う心から引っ張った」
庄松「赤い衣を着ていても、赤い衣で地獄逃れることならぬで、後生の覚悟はようかと思うていうた」
本寂「さぁその心持ちが聞きたいため汝を呼んだ。敬ってくれる人は沢山あれど、後生の意見をしてくれるものは汝一人じゃ。よく意見してくれた。併し汝は信をいただいたか」
庄松「へぇ頂きました」
本寂「其の得られたすがたを一言もうせ」
庄松「なんともない」
本寂「それで後生の覚悟はよいか」
庄松「それは阿弥陀さまに聞いたら早うわかる。我の仕事じゃなし。我に聞いたとてわかるものか」
本寂上人は、庄松さんの答えを聞いて満足し、「弥陀を頼むというもそれより他はない。多くは我が機をたのみてならぬ。お前は正直な男じゃ。今日は兄弟の杯をするぞよ」と申され、その日に一緒に酒を飲み交わし、その日以来、庄松さんは本寂上人のことを「あにき、あにき」と慕われたそうであります。



親鸞会で似たような話を聞いた記憶があったのですが、なんか違うなあと思いました。思い出してみると、『白道燃ゆ』に紹介されていました。


法主の前に出た庄松は、ベッタリ、その場に胡座をかいた。そして「オレに何か用か」と不敵な笑みを漏らした。
「なぜ、ワシの法衣を引っ張って、あのようなことを言ったのか、汝の心意を申し述べよ」の法主に対して、庄松は、
「アニキ、赤い衣では地獄はのがれられんぞ。信心決定しておらぬと絶対助からんぞ。今晩出て行く後生の覚悟はよいか、と尋ねたのじゃ」と喝破した。
その時、法主は合掌し、
「ワシを生き仏と敬うてくれる者は多いが、ワシの後生を案じてくれたのは、お前一人じゃ」と喜んだと伝記にはある。
「それでは、お前は信心決定できたか」の法主の問いに庄松は、
「ハイ、信心頂きました。幸せ者でござる」と、キッパリ答えている。
法主はいたく感激して、その場で手をとりあい、庄松と兄弟の盃を交わしたという。
庄松の叫びは、決して法主のみに問われたものではない。我々の胸を叩いて、
「今宵出て行く、後生の覚悟はよいか」と今もなお、庄松は叫び続けていることを忘れてはならない。
我々は一人一人、この庄松の問いに答えなければならない。彼の問いには、代弁も許されなければ、受け売りの知識も意味をなさない。
かくて庄松は、明治四年、七十三歳で大往生を遂げたのである。



描写が違うのは性格上の問題として片付けるとしても、分かりやすいところで全然違うのは最後の部分です。
(本寂上人が庄松に尋ねていることなど、いろいろ違うのですが)

『白道燃ゆ』では、「ハイ、信心頂きました。幸せ者でござる」で終わっているのに対して、「お坊さんのつぶやき部屋」で紹介されているエピソードは、


本寂「其の得られたすがたを一言もうせ」
庄松「なんともない」
本寂「それで後生の覚悟はよいか」
庄松「それは阿弥陀さまに聞いたら早うわかる。我の仕事じゃなし。我に聞いたとてわかるものか」
本寂上人は、庄松さんの答えを聞いて満足し、「弥陀を頼むというもそれより他はない。多くは我が機をたのみてならぬ。お前は正直な男じゃ。今日は兄弟の杯をするぞよ」と申され~



と続いています。

この庄松の、「なんともない」の部分がなんとも味わい深く思うのですが、
「我の仕事じゃなし。我に聞いたとてわかるものか」の部分、この部分が冒頭の「総じてもって存知せざるなり」のお言葉に通ずるのでは無かろうか、と思ったのでした。


『白道燃ゆ』のように途中で切ってしまうと、信心そして後生の覚悟ということが、自らの確信をベースにしてしまうような気がします。それが、「知り過ぎた、知らん」に繋がっているのかも知れませんが、「知り過ぎた、知らん」では、弥陀の仕事を我がものにしてしまうことになるのではなかろうか、と思いました。もう少しオブラートをはがして言いますと、親鸞会の発する自力臭は、こういったところにも表れているように思ったものでした。


「阿弥陀さまに聞いたら早うわかる。我の仕事じゃなし。」
「弥陀を頼むというもそれより他はない。多くは我が機をたのみてならぬ。」


ここまできちんと入れてほしかったですね。


先日ご案内したとくよしみねさんの勉強会は、ご本人のブログによると大変多くの方がご縁あったようです。RCさんの勉強会は、9/18です。
南無阿弥陀仏とのご縁、ありがたいものだと思います。


さてこんどの記事は、もともと一ヶ月以上前に書きかけていた話をしばらくほったらかしにしてましたので、続きを書き加えたものです。


小学生時代、夏は町内会でナガシマスパーランドに行くことが恒例行事となっていました。ナガシマスパーランドと言っても、名古屋近辺以外の方はあまりご存じで無いかも知れませんが、名古屋近辺の方で知らない方は無いであろうレジャー施設です。ジャンボ海水プールと絶叫マシーンと温泉が有名です。

ナガシマスパーランドへは、貸し切りバスで行ってました。伊勢湾岸自動車道など無い時代でしたから、国道23号をずっと走っていました。最後に木曽川を渡り、しばらくすると到着したのでした。その木曽川を渡るたび、何百メートルと続く川面を眺めながら、「大きな川だなあ」「もっと大きい川はあるのかしらん」などと思っていた小学生がそこにいました。


そんな小学生が「川幅日本一」と聞いたら、どういう光景を想像したかは、きっとお分かりになるでしょう。しかし、木曽川以上に長い川の存在は知ったものの、川幅の広い川はどこだか分からずに年を取ったのでした。



「川幅日本一」は、埼玉県にありました。海無し県の埼玉を流れる荒川でした。
(吉見町~鴻巣市をまたぐ御成橋付近)


一般に下流に行くほど川幅は広くなり、流れも穏やかになるということは、小中学生時代の理科で習うことです。そういう意味では、荒川の河口まで数十キロメートルの距離がある埼玉県に「川幅日本一」があることは意外のようにも思えました。


さて、その川幅日本一の場所を、実はそれと知る前にバスで通ったことがあったのでした。
しかしどうしたことか、まるで印象に残ってませんでした。寝ていたわけではありませんでした。夜だったのでよく分からなかっただけかもしれません。

そんなことを考えて再び通ったとき、理由がはっきり分かりました。


(吉見側から)見えた光景は、


・「川幅日本一」の標識
・延々と続く河川敷
・集落
・信号機(交差点)
・バス停
・田畑
・水面
・「川幅日本一」の標識


映像をご覧頂ければ、なんとなく言いたいことはお分かりになると思います。

参考


大きな川というと、木曽川の河口みたいに延々と水面が続くものだとばかり思っていた人間にとって、川のど真ん中に集落があるとか、ましてや信号交差点があるなどということは想像できないことでした。川を渡る途中の映像を一瞬見たところで、川を渡る途中であることを認識することは難しいでしょう。いわゆる水面は、鴻巣側に僅かに見えるだけで、水面の幅だけ見たら100メートルも無いかしれません。

ちなみに、ドライブがてら妻を連れて御成橋を通りましたが、川幅日本一のところとは認識できない様子でした。

しかしながら、私が認めようが認めなかろうが、荒川の御成橋付近(正確に言うと御成橋よりやや上流側のようです)が国土交通省によって「川幅日本一」と確認されているわけなのでした。


さて、

阿弥陀仏の、むかし法蔵比丘たりしとき、衆生仏にならずはわれも正覚ならじとちかいましますとき、その正覚すでに成じたまいしすがたこそ、いまの南無阿弥陀仏なりと、こころうべし。これすなわちわれらが往生のさだまりたる証拠なり。されば他力の信心獲得すというも、ただこの六字のこころなりと落居すべきものなり。
(御文4-8)

と蓮如上人は言われています。


「南無阿弥陀仏が往生定まった証拠だ」と聞いても、特段認識にも上らないし実感も湧かないし、「で?」となる方もあるかしれません。「絶対他力」と聞いても、やはり自分が実感できなければ、と思ってしまうのでしょうか。「驚天動地の体験」などと聞かされ続けていたら、なおさらそう思ってしまうとしても無理は無いと思います。


自分がそのように思えるとか思えないとか、そういうことを基準にできるならば、誰も「不可思議不可称不可説」などとは言わないでしょう。


先ほどの「川幅日本一」は国土交通省がそのように認定したわけですが、川幅の定義に基づいたものであって「自分が認める」とか「認められない」とか「そんなふうに思えない」とかいう話とは違います。私が「とても川幅日本一とは思えない」と言ったところで、さしたる意味はありません。


ここをもって如来、一切苦悩の衆生海を悲憫して、不可思議兆載永劫において、菩薩の行を行じたまいし時、三業の所修、一念・一刹那も清浄ならざることなし、真心ならざることなし。如来、清浄の真心をもって、円融無碍・不可思議・不可称・不可説の至徳を成就したまえり。如来の至心をもって、諸有の一切煩悩・悪業・邪智の群生海に回施したまえり。すなわちこれ利他の真心を彰す。かるがゆえに、疑蓋雑わることなし。この至心はすなわちこれ至徳の尊号をその体とせるなり。
(教行信証信巻)



南無阿弥陀仏は弥陀の本願成就のすがたですから、「認める」とか「認めない」とか「実感が湧く」とか「実感が湧かない」とか、そんなこととは関係ありません。


このように味わいますと、『蓮如上人御一代記聞書』の、


「心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、こころえたるなり。弥陀の御たすけあるべきことのとうとさよと思うが、心得たるなり。少しも、心得たると思うことは、あるまじきことなり」


がまた味わわれるのでした。

今回で3回目になりますが、日曜日は日帰りで大阪の八尾に行ってきました。昨年までは5日間、今年は短縮されましたがそれでも3日間(5日まで)行われている仏教文化講座でした。


今回は、真宗史の第一人者の方、とのことでした。おつとめを入れて2時間でしたので、正味一時間半くらいのご縁でした。惜しむらくはICレコーダの電池が切れてしまったため、音声を残すことができなかったことです。
演題も「真宗史との歩み」というもので、文献や絵像・名号本尊のお話など、知識としても興味深いお話でしたが、それらを通して先師のお心を味わうという点では、味わい深いお話でした。


いずれ機会があれば振り返るという話をしておきながら、そのまま時間が過ぎることが今まで多かったのでそういうことは申しませんけれども、色々味わわせて頂いた中から、最後のお話を簡単に紹介します。



今回のタイトルを見て、「慶喜一念相応後」のことだろうと思われた方は少なくないと思いますが、これは北海道の寺に残っている平仮名正信偈の一部分だそうです。


明治時代の初め頃だったか分かりませんが、北海道の開拓ということで北海道の地に行き、そこで働いて食べて寝ての繰り返しの毎日を送っていた人たち。そんな繰り返しの生活を送っていた人たちが「救われる道」に出合った。平仮名くらいしか知らず、漢字を全くと言って良いほど知らない、そんな人が、耳で聞いた正信偈を一生懸命書き留めたもの。「年」は本当は「念」と書くべきだが、そんなことは重要では無い。僅かに知っていた漢字をそこに書いたもの。貧しい中、食べて寝ての繰り返しの中で「救われる私」を懸命に生きていった、そのような人たちによって、この浄土真宗の教えは伝えられてきた。


だいたい、最後はこのような趣旨のお話でした。


小難しいことを理解しなければ救われないような、そんな思いに駆られる人もあるかしれません。これだけ聞いて聞けてないとすれば、何かまだ分かっていないことがあるはずだ、と。
南無阿弥陀仏の心が聞けてない、ということはあるかしれませんが、それは知識や理解の話ではない、ということは、そもそも親鸞聖人や蓮如上人が、どのような人に向けて南無阿弥陀仏の心を伝えて行かれたかを考えれば頷けるのではないでしょうか。


真宗史の大家と言われる先生が、このような誰とも知らない人の平仮名正信偈について、「本当に価値あるもの」という趣旨のことを言われたことが、私にとってはたいへん味わい深く有り難く聞こえたのでした。


・・・


今回の記事と直接は関係ありませんが、今回のお話の中で蓮如上人の摂取論について話が出た際、蓮如上人の絵像の話が出ました。その中で、


「蓮如上人が絵像を描かれたということと、”木像よりは絵像、絵像よりは名号”という御一代記聞書の言葉について」


という話が少しありましたので、私はどういうお話があるのかと気になってしまいました。
先日、私が書いた本尊の話の中でも、蓮如上人が絵像を描かれたという史実と御一代記聞書のお言葉の整合性については、結局あのような書き方しかしませんでした。蓮如上人の本尊観が変わったからだとか、信者の信仰が深くなったからだとか、あれを書いた当時にもいろいろ間接的に意見を頂いた中で、自分なりにも推測することはあったのですが、結局それを証明する文献が手元に無かったので書きませんでした。

そんなこともあったので私は随分興味をそそられましたが、時間的なこともあってか、あるいはそこまで詳しく話をする必要も無かったのか、非常にあっさりした内容でした。


・蓮如上人の絵像は、一次史料である。(絵像の考証についてのお話もありましたが、割愛)
・御一代記聞書は、実悟が伝聞を元に編纂した二次、三次の史料である。


だいたい、こんなような内容だったと記憶しています。

かるがゆえに知りぬ。円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なりと。(教行信証総序)


先日お話しした元会員さんが、こんなことを話してくれました。これまで、親鸞会の会員であったということをなるべく隠していたのだが、誰でも彼でもというわけでは無いけれども、少しずつカミングアウトするようになった、と。

また、別の元会員さんは、いろいろ不審があって親鸞会を離れたが、親鸞会に出逢ったからこそ仏法を聞こうという気持ちにさせてもらったという点だけは感謝している、ということをいわれてました。


そのことを聞いた私は、少し嬉しくなりました。


別に親鸞会が良いとかいう話ではありませんけれども、それまで否定的に捉えていたものに対して違った見方が出来るようになった、といえるのだろうと思いました。いわば心の転換、とでもいいましょうか。もっともこれは、自力がひっくり返って他力になった、ということでは必ずしもないわけですが。


嬉しくなった、と言いますのは、私がブログを始めた頃は、なかなかそんな方が見られなかったからでした。全く無かったということではないのでしょうが、親鸞会を肯定的に見ているように思ってしまうのか、親鸞会との縁があったので弥陀の本願とのご縁もありました、などと書いた時には随分批判する人があったものでした。


私自身は、やはり外から見ていると酷いところしか見えない親鸞会に対しては穏やかならぬ思いもありますし、わざわざ親鸞会と縁の無い方に、かつての関わりをアピールしようという気持ちもさらさら起きません。

起きませんけれども、親鸞会との縁が無ければ今のご縁も無かったなあとは思うのでした。


・・・

弥陀智願の広海に 凡夫善悪の心水も
帰入しぬればすなわちに 大悲心とぞ転ずなる
 (正像末和讃)


南無阿弥陀仏を作られた阿弥陀仏の本願を、よく海にたとえられます。海は大きいとか広いとか、深いとかいう話はよく聞いた記憶がありますが、「転ずる」はたらきがあるのだ、とも言われています。


「海」と言うは、久遠よりこのかた、凡聖所修の雑修雑善の川水を転じ、逆謗闡提恒沙無明の海水を転じて、本願大悲智慧真実恒沙万徳の大宝海水と成る、これを海のごときに喩うるなり。良に知りぬ、経に説きて「煩悩の氷解けて功徳の水と成る」と言えるがごとし (行巻)


親鸞会を離れた方も、今も親鸞会を続けている方も、それぞれにいろいろな思いがあったのだろうと思います。
親鸞会にいたときに抱いていた思いとは、どんな思いだったでしょうか。


なんだかんだ教学が無いと信仰は進まないだろう、とか

とにかく悪をやめて善いことをたくさんし続けなければ助からないだろう、とか

南無阿弥陀仏と称えないよりは称えた方が良いのだろう、とか

救われた人はなんだかんだで大変わりするのだろう、とか

なんとか地獄行きから逃れたい、とか

お金をたくさん出した方が良いだろう、とか

家族の反対など仏法に比べたらものの数では無い、とか

親鸞会以外に真実は無い、とか


人によって色々なことを思っていたのだろうと思います。私に関して言いますと、下の2つは学生時代も含めて全く無かったのですが、


人生の目的と聞いて、自分の力で、自分の努力で幸せになろうとしていたこと、
弥陀の本願と聞いて有り難いと思ったり思わなかったり思わなかったり思わなかったりしたこと、
他力全託と聞いても何かを差し挟もうとばかり思っていたこと、

こんなことは思ったりしていました。



親鸞聖人の言葉を振り返りますと、「凡夫善悪の心水」、あるいは「凡聖所修の雑修雑善の川水」「逆謗闡提恒沙無明の海水」と表されていますが、そういったあれやこれやもすべて転じてしまう南無阿弥陀仏であると味わわれます。


そうしますと、まだ南無阿弥陀仏を頂いてないから転じるとか言われてもピンとこない、と言われる方もあるかしれません。
南無阿弥陀仏と聞いても称えても、なんだか遠くにあって掴もうとしてもどんどん遠ざかる、というような思いを抱かれる方もあるのかもしれません。


ここをもって、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って、久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る、善本・徳本の真門に回入して、ひとえに難思往生の心を発しき。しかるにいま特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり、速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う。果遂の誓い、良に由あるかな。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。 (化土巻)


この三願転入のご文、『浄土真宗辞典』には、


(前略)
第十九願(自力諸行往生=要門)・第二十願(自力念仏往生=真門)の方便の教えを経て、第十八願(他力念仏往生=弘願)の真実の教えへと導かれていった親鸞の求道の歴程のこと
(中略)
これによって、方便の教えを捨てて、弘願真実の教えに帰すべきことが明らかにされる。


と説明されています。
いろんなブロガーの方が色々詳しく解説されていたと思いますから、解説はそちらを参照頂ければ良いかと思いますが、前者に書かれてある「親鸞の求道の歴程」を自らの力で歩もうとしますと、「掴もうとしてもどんどん遠ざかる」思いになってしまうのでは無いでしょうか。

自らの力で歩もうとする、というのは、例えば、先ほど出てきたこととかぶるかも知れませんが、


何が何でも富山に行って聞かなければ十九願の道を進めない、とか

お布施は多く出した方が十九願の道を早く進める、とか

おつとめで念仏を多く称えないと二十願に行けない、とか

力一杯やって刀折れ矢尽きたときに十八願に行けるのだろう、とか


そんなことと言い換えても良いかもしれません。

他力ということは、自力が入る余地はありませんから、自分で何かを用意したり、足したり、力んだりする必要が無いということです。これもよく出すご文ですが、


律宗の用欽の云わく、法難を説く中に、良にこの法をもって凡を転じて聖と成すこと、掌を反すがごとくなるをや。大きにこれ易かるべきがゆえに、おおよそ浅き衆生は、多く疑惑を生ぜん。すなわち『大本』(大経)に「易往而無人」と云えり。かるがゆえに知りぬ、難信なり、と。 (信巻)


シンプルなことを複雑に考えてしまいがちな「私」、
ありのままがありのままに聞こえない「私」、
どこの団体に所属しているかとか、どの先生から聞いているかとか、教義的な理解度が高いとか低いとか、行いの善し悪しとか、人徳の有る無しとか、心の純粋さとか、どうしてもそんな価値基準から離れきれない「私」、

そんな「私」だからこそ、南無阿弥陀仏とのご縁によって「転ずる」ことがあるのだと味わわれます。


・・・


親鸞会の中とか外とか、そういったこととは全く関係無く、南無阿弥陀仏とのご縁を喜ばれている方もあり、そうでない方もあるかと思います。喜ばれている方といっても、かつて親鸞会との縁があった方の中で、親鸞会に対してどのような思いを持たれているかということは、これまたいろいろあります。


全てのご縁に対して感謝の念が絶えない方もあるでしょうし、とにかく親鸞会だけには感謝の念など持ちようが無いといわれる方もあるでしょう。それは、それぞれの方の性格の違いもありましょうし、活動の熱心さや思い入れの違いにもよるでしょう。


別に無理に感謝の念を持つ必要はありませんけれども、信未信問わず、南無阿弥陀仏とのご縁に対する喜びが、そこに至るまでのご縁に対しての喜びへと転じるならば、これまた有り難いご縁となるのではないかと思うのでした。


しかれば、大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転ず (行巻)





~~~~~~補足~~~~~~

最近このブログをご覧になる方が増えてきましたので、改めてご説明しますと、毎年2/26には●「親鸞会」と題した記事を書いてきました。

・卒「親鸞会」
・超「親鸞会」
・忘「親鸞会」
そして今回は、転「親鸞会」と題しました。

他のブログでは、いわゆる「聖典」の言葉に対しては現代語訳や解説などを載せる場合が多いのですが、当ブログは私の味わいを載せるだけにしております。現代語訳をご所望の方は、他の方の書かれたブログや書物等でお調べ下さい。

日をまたいでしまったので日曜日が「おととい」になってしまいました。一昨日はRCさん主催の嶋田さんを囲んでの勉強会、昨日はまた別の信心沙汰の集まりに行ってきました。そのときに、お花を頂きました。ありがとうございました。ご縁のあった皆さん、ありがとうございました。


嶋田さんの勉強会はまた後日に別途あるかと思いますが、私の味わいを少し。

最初に「おとりつぎ」の話がありました。ちょうど先日、似た内容のコメントを頂いていたこともありまして、感慨深く味わわれました。「教える」でなく「お伝えする」、そして共に南無阿弥陀仏をいただく、ということでした。



話は変わりますが、前回の記事を載せた後、妻が記事を見て「そんな非常識だと思っている団体なのに、なぜ離れなかったのかが不思議で仕方ない」と言いました。言われてみれば確かに、その当時「やめる」という選択肢は頭に無かったと記憶しています。ただ、そのことがあって今があるのだと、改めて味わわれたのでした。



さて、くだらない思い出話をしばらく披露しておりましたが、今日はふと思ったことを書きます。「またくだらない話を」と思われるだろうと予想しまして、その通りですとあらかじめお断りしておきます。


愚愚流さんから頂いたコメントのお返事をしているときに、ふと思い出したことがありました。


自分中心、弥陀中心というところで、、、、。

善の実践(雑毒の善)をするならば、知らされるのは、「雑毒の善はできる」ということでしょう。臨終までやれば、人間は雑毒の善なら死ぬまでやり抜ける、とわかるのでしょう。だからと言って真実の善には何の関係もないので真実の善の実践をしなければ、真実の善ができるか否かはわからないのではないでしょうか。



この内容と直接関係無いのですが、「自分は善ができない者だと知らされるには、どうすれば良いのか」と考えていた学生時代を思い出しました。


私は学生時代に、10万円出して「福徳会員」になったことがありました。だいぶ前に(福徳会員)バッジの話をしたような記憶がありますが、そのときのことです。

「前に行けば行くほど、お金を使えば使うほど、真剣に聞こうという心になる」と、どこかの講師部員やら先輩やらが言っていたこともあり、また、最後のご奉公だという気持ちで一ヶ月だけ福徳会員になりました。

で、確かに一番前の島で、壇上の顔もよく見える位置で聞けたのですが、結局雑念やら眠気やらとの格闘で、「自分は金を積んでも真剣に聞けない」ということが分かりました。


こういうことを思い出しながら、「善が出来ない自分と知らされる」とはどういうことかと考えたのでした。


さっきの私の話で言えば、分かったことは「10万円使っても真剣にはなれませんでした」ということです。

ここで、「だったら、100万円使えば真剣になれるのではないか」と考えたら、おそらく無限ループに嵌まります。100万円の次は、200万円か1000万円か分かりませんが、上へ上へと目が向く限りは際限が無くなるからです。実際には先に財力の壁にぶち当たる気がしますが。

だからといって、「(10万円で駄目だったので、)自分はいくらお金を積んでも真剣にはなれません」と結論づけたとして、果たしてその通りなのか、違うならばいくらだったらそう言えるのか、という問題があります。


そんなことを考えながら、よく分からないお返事をしました。


善の実践の話としましては、そうですね。人間のやる善が雑毒の善だと言われている中でやる善は、当然に「雑毒の善」になろうかと思います。そこで「真実の善ができない自分が知らされ」ることは、真実の善の定義をした上での実践できるかどうかという話になると思いますが、「人間のやる善は皆、雑毒の善といわれるのだ」とかいう話を聞いた記憶があります。こうなると、知識レベルにおいて「真実の善は出来ない」と認識した上でなおかつそれ以上の確認を要すると考えるのはナンセンスだという考えもあるのではないかと思いますね。



私の記憶なのであまりアテにはできませんが、かつて親鸞会の中で「人間のやる善は皆、雑毒の善といわれるもので、真実の善は一つもない」という趣旨の話があったような気がします。

仮に無かったとしても、親鸞聖人のこのお言葉は教学聖典に「人間は、真実の善のできないもの」として紹介されています。ご存じの方もあるかと思います。


一切凡小一切時の中に、貪愛の心常に能く善心を汚し、瞋憎の心常に能く法財を焼く。急作・急修して頭燃を灸うが如くすれども、衆て「雑毒・雑修の善」と名け、また「虚仮・諂偽の行」と名く。「真実の業」と名けざるなり。この虚仮・雑毒の善を以て、無量光明土に生ぜんと欲す、これ必ず不可なり。(教行信証信巻)


ということは、「教学」をやっていれば「人間は、真実の善のできないもの」という知識が存在しているはずです。


"知った分かったは観念の遊戯だ、実地に体験しなければ本当に出来るか出来ないか分からないではないか”と言われる方があるか知れません。

観念の遊戯と言われるのは勝手ですが、その方は、「出来ないことはほとんど明らか」と思えることであっても全部「実地に体験しなければ」と言って果たしてやるのでしょうか。


たとえば、時速100kmで走るダンプカーを、道具も使わずに片手で止められるか。

私はやったことも計算したこともありませんが、潰されるか跳ね飛ばされるかして「出来ないであろう」と想像します。だからこんなことは端からやる気はありません。出来る人もあるか知れませんが、私は「出来無いであろうと想像するからやらない」です。


“そんな極端で無意味な例は戯論だ” と言うなら言うでも構いませんが、「極端で無意味」と「妥当性があり意味がある」の線引きはどこでするのでしょうか。


お釈迦さまの、ハトとワシの話(両方を生かすために自らを犠牲にされた話)のように、自分を抛つことができるのであれば素晴らしい善だと思います。果たしてどれだけの方がそれを出来るでしょうか。あるいはそもそもやろうとされるでしょうか。


お返事をしながら、ふとそのようなことを考えていたのでした。


一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして、清浄の心なし。虚仮諂偽にして真実の心なし。ここをもって如来、一切苦悩の衆生海を悲憫して、不可思議兆載永劫において、菩薩の行を行じたまいし時、三業の所修、一念・一刹那も清浄ならざることなし、真心ならざることなし。如来、清浄の真心をもって、円融無碍・不可思議・不可称・不可説の至徳を成就したまえり。如来の至心をもって、諸有の一切煩悩・悪業・邪智の群生海に回施したまえり。すなわちこれ利他の真心を彰す。かるがゆえに、疑蓋雑わることなし。この至心はすなわちこれ至徳の尊号をその体とせるなり。
(教行信証信巻)



そもそも、「私」が浄土往生できるような種まきが出来ないので「如来」がすべて用意されて「私」に与えて下さるのだ、と言われています。至徳の尊号、南無阿弥陀仏は全部弥陀の一人働き、私が頑張って善をすることも、善が間にあわないと泣くことも求められてはいません。



「阿弥陀には へだつる心は なけれども 蓋ある水に 月は宿らじ」


と聞いたことがありますけれども、南無阿弥陀仏の月を宿らせないのは弥陀の問題では無く自分の問題だといわれます。善が出来ない自分と知らされるまで善をしよう、という心もまた、水に蓋する心ではなかろうかと味わうのでありました。

近頃、思うところがありまして過去の記事(所感カテゴリ)を読んでました。書き始めた当初は、親鸞会以外でほとんどというより全く話を聞いたことがなかった私でしたが、読者の皆さんからのご縁もありまして、今では様々なご縁に恵まれています。そんな私が、当初どういうことを書いていたのかと思って読んでいたのですが、なんだか最初からずっと、書いてることは変わってないなあと改めて思った次第です。

最近、長い文章が書けなくなりました。


さて前回、RCさんより勉強会の報告がありました。その中で、勉強会にいらした「わいるどひっぷ」さんという方からのコメントがありました。
その中で、「厳しい活動についてゆけず、逃げるようにして辞めてしまいました」という文を見まして、あることを思い出しました。


過去、私のブログにも書いたことがありましたが、私が大学一年生のときに大変お世話になった先輩は、大学卒業後に、「自分は求める資格がない」と言って去って行ったと聞きました。


私は学生時代、「なんとなく負けたような気がする」のが嫌で、親鸞会をやめずに続けていました。


10年あまり前、2ちゃんねるでは、親鸞会が言っていた「人生の敗残者」という言葉による罵り合いが行われていました。


本来、弥陀の本願を聞くとか南無阿弥陀仏を頂くとか信心決定とかということは、全部阿弥陀仏の一人働きでありますから、勝利とか敗北とか、そんな性質のものではありません。にも関わらず、親鸞会で聞いていると、なぜか勝ち負けの次元に落とし込まれるような思いになってしまうことがあるように思います。


親鸞会の過去の出版物を見ると、それは親鸞会の問題であると思えます。


順境に甘えて真実の生を忘れて仏法を求めねば、そのまま奈落だし、逆境に発奮して真実の仏法を求めて大信心を獲得すれば、たちまち人生の勝利者になるからである

我々真宗人は、群賊悪獣の戦線に立って真実の戦いに、その骨を埋めるのである。
それは、この世のどんな闘争よりも激しく、苦しいものなのだ。しかし、破邪なくして顕正なく、突撃なくして勝利はない

この闘争に打ち勝つ者こそ、人生の勝利者になれるのだ。ここで倒れては、唄の文句じゃないけれど「娑婆へ出て来た、甲斐はない」し、朝に飛んで、夕に死ぬ、かげろうと等しくなる。
 初心を常に忘れず、どんなに苦しくとも、淋しくとも、群賊悪獣にだまされず、裏切り者は斬り捨てて、卑怯者よ去らば去れ、倒れた法友の屍を踏み越えて、真実の勝利に向かってバク進するのだ。たった独りになっても

(以上『白道燃ゆ』)


青年は一般に気短な傾向があるから始めは騎虎の勢いで求めるが、やがて尻切れトンボになりやすい。後生の一大事から出発したものは最後の勝利を克ちとるが、一時の感情で信心の境地に憧れたり名聞利養の為にする聞法は絶対に続かない
(会報3集)


すでに親鸞聖人のきびしい三重廃立あり、覚如上人の、『改邪鈔』がある。蓮如上人も『御文章』に「わが信心は他人の信心は如何あるらんという信心の沙汰をすべし」と、至るところに大いに信心の沙汰をせよと御勧化になっている。破邪なくして顕正なく、突撃なくして勝利はない
(会報5集)


親鸞会は「人生の目的」を布教していますが、その「人生の目的」は「信心決定すること」と定義しています。
上記の会報5集の文脈は微妙ですが、それ以外はいずれも「信心決定すること」を指していると言って良いでしょう。(違ってたらお知らせ下さい)

弥陀の一人働きを、あたかも自らの手でつかむように表現しているわけです。


だからなのか分かりませんが、やたらと勝敗に拘っているように見えます。「信心一異の諍論」の結末をこう表現しています。


「ここに面々、舌を巻き口を閉じて止みにけり」と、『御伝鈔』にありますように、またしても、親鸞聖人に勝利の凱歌があがりました。
(こんなことが知りたい2)


もう挙げませんけれども、こういう「教え」に触れていたからなのか、受け取る会員さんの側も同じように表現している箇所が、特に昭和時代の顕正新聞には見られました。



「人生の目的達成」を「勝利」と表現しているつもりなのでしょうが、これが「信心決定」だったり「南無阿弥陀仏をいただく」だったりしますと、「勝利」という表現は馴染みません。他者と比較して優勝劣敗が決まるものであれば、「勝利」という表現が出てくるのでしょうが、他力信心は他者と比較するものではないからです。

そもそも、親鸞会自らが「絶対の幸福」と表現しています。「絶対」なのになぜそこに優勝劣敗が生まれてくるのでしょうか。


私の学生時代を思い出しますと、私の場合、「負けたような気が」していたのは一種のレースのようなものだと思っていたからでした。一本のレールに乗ってゴールまでたどり着けば勝利、レールから外れてしまうのが負け、といった具合です。つまるところ、親鸞会で聞き続けることが「負けない」ことだと思っていたと言えると思います。


親鸞会がどうして「勝利」などと表現しているのか、まさか正信偈の「広大勝解者」の意味を取り違えているからというわけでもないでしょうけど、「勝利」の表現には南無阿弥陀仏のはたらきを自らの手柄にしてしまうような自力の臭みも覚えます。


さて弥陀如来と申はかゝる我らこときのあさましき女人のためにをこし給へる本願なれは まことに仏智の不思議と信して我身はわろきいたつらものなりとおもひつめてふかく如来に帰入する心をもつへし さてこの信する心も念する心も弥陀如来の御方便よりをこさしむるものなりとおもふへし かやうにこゝろうるをすなはち他力の信心をえたる人とはいふなり
(御文章2-1)


ここまで書いて結局何を書きたかったのかと言いますと、親鸞会のレールから外れることが「負け」でもなんでも無いということです。もとより勝ち負けもないことについて、後ろめたさを感じたり敗北感を味わったりする必要は無いということです。


今回、わいるどひっぷさんは、親鸞会から離れたところにまた、南無阿弥陀仏を聞くご縁がありました。もし、浄土真宗を聞くご縁があって、そのご縁が続いている方の中で、特に会員さんで、活動についていくのがしんどいなどということがあるようでしたら、親鸞会の活動についていける人だけの南無阿弥陀仏ではないと申し上げたい。いや、むしろついていけない方のためといっても良いかしれません。


弥陀の本願は「摂取不捨の真言」ともいわれます。


十方微塵世界の  念仏の衆生をみそなわし  摂取してすてざれば  阿弥陀となづけたてまつる
(浄土和讃)


その「摂取」の意味として

・ ひとたびとりて長く捨てぬなり
・摂はものの逃ぐるを追わえ取るなり
・摂はおさめとる、取るは迎えとる

といわれています。


陽気・陰気とてあり。されば、陽気をうくる花は、はやくひらくなり。陰気とて、日陰の花は、おそくさくなり。かように、宿善も遅速あり。されば、已今当の往生あり。弥陀の光明にあいて、はやくひらくる人もあり。遅くひらくる人もあり。とにかくに、信・不信、ともに、仏法を心に入れて、聴聞申すべきなりと云々 已今当の事、前々住上人、仰せられ候うと云々 「きのうあらわす人もあり。きょうあらわす人もあり。あすあらわす人もあり」と、仰せられしと云々
(蓮如上人御一代記聞書 309)


ご縁はそれぞれにあるかと思いますが、早い遅いの違いはあっても花開くのだと、蓮如上人はいわれています。

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