SKE48とエアバスA380超絶推し男のblog

Farewell Cathay Pacific Airways B747-400!1989~2016

2月22日(水)のSKE48の2ndアルバム「革命の丘」リリースに沸いている名古屋ですが、この街の玄関口であるセントレアこと中部国際空港にも、南の親日国から吉報がもたらされました。

タイ国際航空はこのほど、3月1日(水)~25日(土)の期間限定でバンコク(スワンナプーム)~名古屋(中部)線のTG644・645便にエアバスA380を投入すると発表しました。
あくまで期間限定の機材変更という扱いですが、同空港へのエアバスA380の就航は、2016年8月に3日間限定で飛来したシンガポール航空所属機以来2社目ということになりました。このほか、2013年に成田国際空港の滑走路が悪天候だか事故だかで閉鎖された際に、エールフランス所属機が飛来した実績もあります。

ちなみに、TG644・645便のダイヤは以下の通りとなっています。
バンコク(スワンナプーム)005→(TG644便)→730名古屋(中部)
名古屋(中部)1100→(TG645便)→1540バンコク(スワンナプーム)
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エアバスA380はファーストクラス12席、ロイヤルシルククラス(ビジネスクラス)60席、エコノミークラス435席の計507席のコンフィギュレーションです。
現行のボーイングB777-300(ロイヤルシルククラス(ビジネスクラス)34席、エコノミークラス330席)と比べて、大幅な輸送力増強、サービス向上が実現するわけで、これを機に中京圏と東南アジア諸国、さらにはその先のインドやイラン、オセアニア、ヨーロッパの間の移動に、タイ国際航空を利用する人が増えればと思うばかりです。
エアバスA380のロイヤルシルククラス
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エアバスA380の2階エコノミークラス
すでにバンコク(スワンナプーム)発着の東京(成田)線、大阪(関西)線で利用された方も多いかと思いますが、乗り得席として親しまれています。
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2012年10月1日にバンコク(スワンナプーム)~香港線とバンコク(スワンナプーム)~シンガポール線で就航。以来計6機が導入され、バンコクと香港や日本、ヨーロッパを結ぶ幹線ルートで活躍してきたタイ国際航空のエアバスA380ですが、ここにきてちょっとした異変が起きています。

タイ国際航空では、このところ相次ぐテロや不況などで需要減が続いているバンコク(スワンナプーム)~フランクフルト線において、期間限定で機材の小型化を決定。3月1日~6月30日の期間エアバスA380の運用を取り止めることになりました。これにより捻出されたエアバスA380は、バンコク(スワンナプーム)~名古屋(中部)線やバンコク(スワンナプーム)~東京(成田)線での期間限定の機材大型化に転用されることになりました。
バンコク(スワンナプーム)~東京(成田)線では3月26日から6月30日まで、エアバスA380での運航便が通常の1日1往復から2往復に増便され、またバンコク(スワンナプーム)~大阪(関西)線のTG672・673便でも運航が継続されるとアナウンスされています。

バンコク~ヨーロッパ路線の花形だったエアバスA380が、ヨーロッパの情勢不安とタイ人の訪日需要の増加を背景に、日本路線で1日3往復運航され、半ば「日本路線専用機材」となりつつあるわけですが、理由が理由なだけに少々複雑にも思えます。それでも、今回SKE48の都・名古屋に初見参したタイ国際航空のエアバスA380が、タイと日本を結ぶ夢の架け橋としてさらなる活躍を見せてくれることに期待し、今夜は締めくくらせていただきます。

早いもので、今年も最初の2ヶ月が終わろうとしていますが、今日は昨年2016年12月31日に放映された「第67回NHK紅白歌合戦」の雑感を、出演したAKB48の話題を中心に語らせていただこうと思います。

「第67回NHK紅白歌合戦」ではSKE48、NMB48、HKT48と、メジャーデビュー前のNGT48がいずれも落選、AKB48グループからの出演は本店のAKB48のみということになりました。NHK紅白歌合戦にAKB48グループの支店グループがグループ単体で出演しないのは、2011年の「第62回NHK紅白歌合戦」以来5年ぶりでした。

こうして、支店グループの単体での出演が無くなったわけですが、その代わりとでも言うべき位置づけなのかはさておき、この年の紅白歌合戦のAKB48の出演者は、AKB48グループのメンバー全員を対象に投票を行って決めることになりました。投票で上位48人に入ったメンバーが、NHKホールのステージに立てるというわけです。

投票は12月8日(木)から20日(月)まで、データ放送とスマートフォンアプリで実施されました。
テレビ1台、スマートフォン1台につき1票という制限のもと行われた厳正な投票の末、12月29日夜にNHK総合で放映された「Road to 紅白 スペシャル」で48名のメンバーが発表されました。
48名の内訳は、AKB48が17名、SKE48が6名、NMB48・HKT48が各11名、NGT48が3名でした。
私の神推しである古畑奈和さん、宮脇咲良さん、田島芽瑠さん、朝長美桜さん、薮下柊さんも、厳しい選挙戦を勝ち抜き、「紅白選抜」に選出されています。
ただ、栄えある選抜に選ばれた48名のうち、HKT48の田中美久さんと矢吹奈子さんはまだ15歳とあり、放送時間の関係で出場を見合わせざるを得ない状況でした。結局、AKB48の出番には田中さんと矢吹さんに代わり、それぞれ投票で49位・50位だったSKE48の北川綾巴さん、惣田紗莉渚さんが出演されることになり、田中さんと矢吹さんは出演可能な時間帯に、紅組・天童よしみさんのバックダンサーとして参加されることになりました。

48名+繰り上げ出演の2名のリストはこちら(フリー百科事典ウィキペディア様)

そして迎えた12月31日22時ごろ、NHKホールの舞台にAKB48グループの選抜メンバー48名が登場、1曲目の「RIVER」を熱唱しました。古畑さん、宮脇さん、田島さん、朝長さんはもちろんのこと、卒業前最後の紅白歌合戦となった薮下さんと上西恵さん、薮下さんの相方である渋谷凪咲さん、NMB48随一の個性派メンバーとして人気の木下百花さんの姿もすぐに確認できました。今回の「紅白選抜」ではNMB48のメンバーが数多く選出されており、選抜常連や次世代エースに混じり、木下さんや市川美織さんといった名バイプレーヤーの選出に多くのファンが熱狂しました。

2曲目の「君はメロディー」は選抜48名のうち、上位の16名のみによる披露となったわけですが、曲間に順位の発表が行われました。古畑さんは40位、田島さんは31位、薮下さんは21位、朝長さんは20位と、惜しくも2曲目に残ることはできなかったのですが、この上位16名の発表で大きな奇跡が起きました。

5位の宮脇さん、4位の渡辺麻友さんといった超選抜メンバーに混じり、10位に市川さん、6位に吉田朱里さんとNMB48のメンバーが呼ばれたのです。
2014年の組閣でAKB48からNMB48に完全移籍して以降、AKB48の選抜に入ったことのなかった市川さん、そもそもAKB48のシングル表題曲に参加したことのなかった吉田さんのまさかの上位進出に、多くのNMB48ファンが驚き、拍手喝采しました。
あとで分かったことですが、市川さんも吉田さんも、Youtubeでの動画配信で特に女性層を中心に厚い支持を受けており、このことが功を奏して、事実上「1人1~数票」制の紅白選抜選挙で空前の快進撃を果たすことができたのではと言われています。このほか、久しくAKB48のシングル選抜や選抜総選挙ランカーから遠ざかっていたものの、バラエティ番組での仕事ぶりが評価された大家志津香さんも、12位で2曲目に残ることができました。
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そして、AKB48やHKT48の超選抜メンバーを差し置き、市川さんと吉田さんが2曲目に残ったということは、この時点で1位はもしかしてと期待されたファンの方が多いかと思いますが、やはりやってくれました。
紅白選抜の第1位に輝いたのは、NMB48の絶対的エース・山本彩さん。獲得票数は41990票、2位のHKT48・指原莉乃さんに7743票という大差をつけての勝利でした。
1人あたりの投票数に制限が設けられていない選抜総選挙では、指原さんの厚い壁を破ることは難しかった山本さんですが、今回の事実上「1人1~数票」制での投票では悲願の1位を獲得し、実人気の高さを改めて証明する結果となりました。
加えて、ギターや歌の才能、お城巡り、犬、プロ野球などの多趣味ぶり、異性同性問わず惚れ込んでしまうルックス、握手会での神対応、そして一昨年のNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」のテーマ曲「365日の紙飛行機」のセンターなど、お茶の間を虜にする要素の多さが、山本さんへの得票が集中する決め手になったと思われます。

ステージ上で自ら順位を告げられ、思わず涙ぐむ山本さんを見ていると、こちらも胸が熱くなってきました。
2017年もNMB48にとって、AKB48グループにとって、素晴らしい1年になりますように。
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このほかにも、西野カナさんのウェディングソング「Dear Bride」やRADWIMPSの「前前前世(original ver)」、広島東洋カープの黒田博樹投手(引退、背番号15)とのエピソードを交えて歌唱された福山雅治さんの「少年」など、2016年の第67回NHK紅白歌合戦は思い出に残る曲目が多かったように思います。

話題をAKB48に戻しますが、今回の紅白選抜の投票は、メンバーたちにとってはあくまで通過点に過ぎないわけで、今年の選抜総選挙、あるいは今後紅白歌合戦をはじめとする別の投票企画でこれまで積み重ねてきたものを改めて問われることになると思います。AKB48グループのメンバー全員が、悔いのないようしっかり自分の得意分野で活動を続け、成長し続けることを願って、今夜は締めくくらせていただきます。

その1(外観写真・乗船口付近)はこちら (Vol1)

今日は、函館港の青函連絡船保存施設「函館市青函連絡船記念館摩周丸」で一般公開されている青函連絡船の「摩周丸」(2代目)(1965~88年就航)の特集第2弾として、船内の写真を中心にお届けします。
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船内のあちこちには、青函連絡船についての貴重な資料や精巧な模型が数多く展示されていました。
写真は、桟橋から船内の車両甲板に貨車を積み込む際使用されていた可動橋の模型。
線路、車輌は、㈱タカラトミーの「プラレール」が使用されています。
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1枚目の写真でご紹介した客室案内図もそうですが、「摩周丸」の客室内には現役時代に使用されていたアイテムが数多く残されていました。
写真は、「船舶位置自動表示装置」。
妙に手作り感が漂うアイテムだなと思ったら、それもそのはず。
この装置、「八甲田丸」で三等通信士をされていた渡辺久義さんが作った試作品をもとに組み立てられたものだそうです。
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沿線の主要なスポットが、赤ランプで表示されるようになっていました。
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客室内に掲示されていた「北海道・本州主要列車時刻表」は、国鉄最後の大規模ダイヤ改正となった1986年11月1日改正の際のものでした。
この頃の北海道の鉄道は、赤字による路線の廃止こそありましたが、ある意味では31年後の現在よりも活気があったように思います。
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「摩周丸」の普通船室には、椅子席とカーペット席がありました。
写真は3階甲板に設置された、椅子席で使用されていた座席。
当時の在来線のキハ82系、481系といった特急形車輌の普通車に設置されていたものに準拠しています。
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こちらはグリーン指定席の座席。
当時の在来線特急形車輌のグリーン席よりもゆったりした仕様で、1席あたり1基の読書灯が備え付けられていました。
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青森港~函館港間の所要時間は約4時間、しかも夜行便も存在したわけで、青函連絡船の多くの船には寝台室が設けられていました。
寝台室に入って来た乗客たちを出迎えたのが、この「飾り毛布」です。
青森港・函館港で乗客が乗り込む前の折り返し時間を利用し、ボーイさんが四季折々のデザインに毛布をセッティングしてくれたわけですが、1964年に新型船(「摩周丸」(2代目)の姉妹船である「津軽丸」(2代目))が就航し、折り返しにかかる時間が短縮された煽りを受けて姿を消しました。
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記念乗車券や乗船証明書の数々。
乗船証明書は、青函連絡船の定期運航最終日となった1988年3月13日の乗船客に配布されたもので、各船船長の署名がありました。
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「摩周丸」(2代目)の1/100模型。
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ちなみに「摩周丸」(初代)はこのような船でした。
太平洋戦争中の空襲で壊滅状態となった青函連絡船を再建するため、当時の運輸省がGHQの許可を得て1948年に建造した大型の車載客船で、1964年まで使用されました。
ちなみに、1954年9月26日に台風による沈没事故を起こした「洞爺丸」は、この「摩周丸」(初代)と同型の一番船として1947年に就航した船です。「洞爺丸」と「摩周丸」(初代)、「羊蹄丸」(初代)、「大雪丸」(初代)は、「洞爺丸」型と総称されていました。
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船員さんの制服コレクション。
一番左が船長の、右から2番目が船客掛(ボーイ)の、そして中央の女性用制服が「マリンガール」の制服です。
1980年から乗務が開始された「マリンガール」は、夏の観光シーズンに観光案内などのサービスを行いました。
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左は「摩周丸」(2代目)の同型船である「八甲田丸」(左)と、右は1957~66年に就航していた「十和田丸」(初代)の模型。
「十和田丸」は1966年に2代目の新型船にその名を譲り、自身は車両渡船「石狩丸」(2代目)に改造されたうえで1977年まで活躍しました。
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4階甲板の無線通信室や操舵室も、当時の機器がそのまま残された状態で公開されていました。
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操舵室から眺めた函館港と函館山。
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操舵室に設置された記念撮影用のパネルは、現役当時に客室に設置されていたものでしょうか。
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4階甲板の「摩周丸ギャラリー」では、「洞爺丸」ほか5隻の青函連絡船が沈没、「洞爺丸」だけで乗員・乗客1155名、5隻合計で乗員・乗客1430名が死亡または行方不明となった1954年9月26日の「洞爺丸台風(台風15号)」に関する特別展を行っていました。
21世紀の現在、日本国内でここまで多数の犠牲者を出す海難事故は起こっておらず、また北海道新幹線で安全かつ快適に本州と北海道を行き来できるようになったわけですが、その背景に尊い命が多数奪われた63年前の大災害があったことを、今一度認識することが必要なように思います。
展示物の中には、当時の全国紙や北海道新聞のスクラップ各1ヶ月分があり、食い入るように見入ってしまいました。洞爺丸台風で犠牲になられた方のご冥福を謹んでお祈りします。
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「洞爺丸」の1/100模型。
先述したように、1947年就航の当時としては最新鋭の客船で、事故の1ヶ月前の1954年8月7日には北海道国体に向かう昭和天皇のお召し船に選ばれたばかりでした。
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「洞爺丸ギャラリー」の一角には、「升席」と呼ばれて親しまれた普通席のカーペット席区画が復元されていました。現在でも中長距離のフェリーでたまに目にする客室です。
このカーペット区画で身体を伸ばして寛ぎ、たまたま知り合った行きずりの同船者と語り明かす時間は、私服のひと時だったように思います。
なお、実際は「摩周丸」(2代目)の現役当時、この場所にカーペット席は設置されていなかったそうです。
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船員関係の展示も充実しており、紐結びのモデルが紹介されていました。
昔々、ボーイスカウトにいたことがあったのですが、いつまで経っても碌に紐結びを覚えられなかったことをつい思い出してしまったものです。
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「摩周丸ギャラリー」には、1987年当時のJR北海道の全駅の駅名標を掲載したポスターが保存されていました。
名寄本線(1989年5月1日廃止)や池北線(1989年6月4日北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線に転換、2006年4月21日廃止)など、乗らないうちに廃止されてしまった路線も多数掲載されています。
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船尾から函館駅方向を眺めたスナップ。
この位置には自動車の搭載区画があったようです。
あまり知られていないことですが、末期の青函連絡船は貨車の他、小規模ながら乗用車の輸送も取り扱っていました。
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下船時に撮影した船尾と可動橋。
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辛うじて青函連絡船が運航されていた時代に生を受けながら、当時は親の仕事が忙しく、また妹や弟が生まれて間もなかったということもあり、ついぞ一度も乗船することができなかった現在30代の私ですが、2014年の旅行の際に「摩周丸」(2代目)を見学し、栄光と郷愁の時代を追体験できたのは重畳至極なことでした。
カーペット席でお酒片手に語り明かしたり、食堂で海峡ラーメンを食べたりといった体験ができないのは残念ですが、新幹線や旅客機であっという間に移動できるようになった代償として失われた古き良き旅の世界を、後世に語り継いでいきたいものだと思います。
今年で建造から53年を迎え、メンテナンスの問題などにも直面している「摩周丸」(2代目)ですが、僚船の「八甲田丸」同様、青函連絡船の生き証人としていつまでもその姿を留めてくれることを願うばかりです。

そして、青函連絡船・青函トンネルに代表される幾多の先人の努力とともに守られてきて、北海道の、いや日本の経済発展において欠かせない役割を果たしてきた北海道の鉄道網が、昨今の難局を乗り越えて復活する日が訪れることを願って、今夜は締めくくらせていただきます。

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