SKE48とエアバスA380超絶推し男のblog

古畑奈和さん、選抜総選挙14位ランクインおめでとうございます!

2017年の秋から暮れにかけ、ボーイング社のお膝元であるアメリカの航空会社から、旅客型のボーイングB747シリーズが退役することになりました。

まず紹介するのは、1970年7月23日に国内線のサンフランシスコ~ホノルル線でボーイングB747-100をデビューさせて以来、実に47年の長きに渡りボーイングB747シリーズを運用してきたユナイテッド航空です。 
同社のボーイングB747シリーズは、デビュー当初は国内幹線専用機という位置付けだったボーイングB747シリーズですが、1983年のシアトル~東京(成田)線開設、1985年のパンアメリカン航空からの太平洋路線譲渡に伴い長距離路線のネットワークが拡充したことで国際線の運用にも進出することになりました。

現在も運用されている最新モデルのボーイングB747-400は、1989年にデビュー。
以来28年間、3度の塗装変更を経て活躍を続けてきました。
1990年代後半の最盛期には、成田国際空港発着の日米路線、アジア路線の主力となっていたほか、ロサンゼルス~ワシントン(ダレス)~ロンドン(ヒースロー)~デリー~香港~ロサンゼルスのルートで運航されていた世界一周便(UA001・002便)にも充当され、「アメリカのフラッグシップ」として揺るぎない地位にあったと言えます。
また、今では全廃されたニューヨーク(ケネディ)発着の東京(成田)線、ロンドン(ヒースロー)線といった長距離路線でも運用されていました。

コンチネンタル航空との合併を機に、2010年から採用されている現行塗装をまとったボーイングB747-400。
合併時点でのコンチネンタル航空の塗装がベースになっています。
ちなみに、コンチネンタル航空も1970年6月26日からごく短期間ですが、国内線でボーイングB747-100を運航していました。
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青色のグラデーションがベースだった1代前の塗装。
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グレーとネイビーブルーの渋い取り合わせだった、2代前の塗装。
この写真を撮影した1999年当時、ユナイテッド航空のボーイングB747-400はサンフランシスコ~大阪(関西)~ソウル(金浦)線、ロサンゼルス~大阪(関西)線で地元の関西国際空港にも毎日飛来していました。
当時高校生だった私は、いつかこのボーイングB747‐400で、機内オーディオの航空無線を聴きながら、アメリカや韓国に旅してみたいと憧れていたものです。
このほか、写真はありませんが、白地にオレンジ・赤・青のストライプが入ったデビュー当時の塗装もお気に入りでした。
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日米路線その他の長距離国際線で幅広く活躍してきたボーイングB747-400でしたが、2000年代に入るとその4発エンジン機故の運航コストが問題視されるようになり、また各部の老朽化が目立つようになりました。
そのため、後継機としてボーイングB787シリーズ、ボーイングB777-300ERが順次導入されることになり、主戦場だったアジア路線からも静かに撤退を始めました。
このうち、サンフランシスコベースの極東アジア路線では2017年に入ってもなおボーイングB747-400の雄姿を目にすることができたわけですが、まず6月14日(日本発基準)を最後にサンフランシスコ~東京(成田)線での、次いで8月2日(台湾発基準)を最後にサンフランシスコ~台北(桃園)線での運航を終了しました。いずれの路線も、翌日からはボーイングB777-300ERでの運用となっています。
写真は、2016年12月に桃園国際空港で見かけたユナイテッド航空のボーイングB747-400。
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そして、残る長距離路線での運用はサンフランシスコ~ソウル(仁川)線(UA893・892便)のみとなったわけですが、同路線での運用も10月29日(韓国発基準)を最後にボーイングB777-300ERに置き換えられることになっています。
正式なラストフライトとなるのは、11月7日に運航されるサンフランシスコ発ホノルル行のUA747便とのこと。
47年前、同社のボーイングB747-100が華々しくデビューを飾ったのと同じ路線で、「747」の便名も誇らしげに、盛大なラストフライトが行われるようです。
CAさんが1970年当時の制服を纏い、これまた当時のメニューを復刻した機内食をサービスするということで、大きな話題になっているUA747便ですが、搭乗券は発売開始からほどなくして売り切れたとのことです。

長らく憧れの存在だったものの、ついぞ乗る機会のなかった日米路線の花形であるユナイテッド航空のボーイングB747-400。
テロ事件やそれに伴う航空不況、さらには双発機の台頭を乗り越えての、波乱万丈の28年の活躍に今一度拍手を送りたいものです。
そして、後継機のボーイングB777・B787シリーズに、ボーイングB747シリーズの熱い想いが受け継がれることを願って、今夜は締めくくらせていただきます。

1980年代後半から2000年代にかけて、長距離国際線で幅を利かせていた「小兵のランナー」が、ひっそりと日本発着路線から姿を消しました。

現在、イスラマバード~北京(首都)~東京(成田)線(注)を週2往復運航しているパキスタン国際航空ですが、この路線では1990年代より長らくエアバスA310が用いられていました。
2000年代に入り、イスラマバードやカラチ、ラホールを発着する欧米路線に最新鋭のボーイングB777シリーズが順次投入されるようになってからも、北京(首都)・東京(成田)線など大半のアジア路線は旧態依然としたエアバスA310のまま据え置かれ、設備やサービスの陳腐化が取り沙汰されていました。

(注)同路線の便名はPK852・853便となっており、ラホール~イスラマバード間の国内便にも同一の便名が付与されています。ただし、国内区間の使用機材はエアバスA320-200となっています。

気が付けば、旅客機ファンの間で、「パキスタン国際航空はエアバスA310に寿命が来た時点で、日本路線を含む極東アジア路線を全廃するのでは」という噂話まで流れるほどの状況でした。事実、日本とパキスタンの間の移動需要は、2001年アメリカ同時多発テロの前後からのパキスタンの国情悪化を境に減少傾向にありますし、北京(首都)・東京(成田)線と似たようなポジションで、同じくエアバスA310で運航されていたラホール~イスラマバード~バンコク(スワンナプーム)~香港線は、2013年冬ダイヤで廃止されています。

また、経済制裁による新機材導入の凍結という特殊な事情があったにせよ、古豪ボーイングB747SPでテヘラン~北京(首都)~東京(成田)線を運航していたイラン航空が、2011年に北京(首都)~東京(成田)間の以遠権区間を廃止したことも、パキスタン国際航空の日本撤退説に信憑性を与えることになりました。

そのようななか、パキスタン国際航空は2016年暮れ、2017年の年明けからイスラマバード~北京(首都)~東京(成田)線の使用機材をエアバスA310からボーイングB777-200ER(下の写真)に置き換える旨を発表しました。
エアバスA310が完全引退するための措置ということのようですが、今回随分思い切った機材変更が実現したことで、同路線は当面は現状通りのダイヤで運航が継続されることになりそうです。
全席モニター付きの新鋭大型機が投入されたとはいえ、機内エンターテイメントや食事などが飛躍的に充実したというわけではなさそうですが、日本とパキスタンを行き来する旅行者、東京~北京間の以遠権区間を利用したいという旅客機ファンにとっては、パキスタン国際航空の日本路線が存続しただけでも充分に朗報かと思います。
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さて、このエアバスA310は、エアバス社にとってエアバスA300シリーズに次いで2機種目のジェット旅客機で、1983年に短中距離仕様のエアバスA310-200が、1985年に航続距離を伸ばしたエアバスA310-300が路線就航しました。

日本の航空会社はライバル機種であるボーイングB767シリーズを導入したため、エアバスA310シリーズを導入することはありませんでしたが、パキスタン国際航空のほかシンガポール航空、中国民航(現在は分割民営化され、中国国際航空・中国東方航空・中国南方航空などに)、アエロフロート、オーストリア航空(現撤退、2018年に日本路線再開予定)、ターキッシュエアラインズ(旧トルコ航空)、ビーマン・バングラデシュ航空(現撤退)、エア・カレドニア・インターナショナルといった航空会社が日本路線にエアバスA310-300を投入していました。
このうち、シンガポール航空は現在は存在しないシンガポール~仙台線、シンガポール~広島線といった地方路線拡大の尖兵としてエアバスA310-300を運用していました。また、オーストリア航空とターキッシュエアラインズは、1989年に長年の悲願だった日本路線を開設する際に、揃ってこのエアバスA310-300を充当しました。
当初、オーストリア航空のウィーン~東京(成田)線はモスクワ(シェレメチェボ)経由、ターキッシュエアラインズのイスタンブール(アタテュルク)~東京(成田)線はドバイ・バンコク(ドンムアン)経由でしたが、手頃なサイズで航続距離の長いエアバスA310-300は、その経済的なスペックを以て両路線の地固めに貢献し、その後の需要拡大と増便に向け道筋を付けました。

私も2000年8月に、一度だけエア・インディア所属のエアバスA310-300に搭乗したことがあります。
搭乗した区間は、大阪(関西)~香港~デリー~ムンバイ線の大阪(関西)~デリー間。まだ関西国際空港が開港しておらず、大阪国際(伊丹)空港に国際線が乗り入れていた時代から続いている伝統の路線です。
この当時は、現在ほどインドの航空会社のサービスレベルのレベルが高くなく、往路便の出発が3時間以上遅れるという体たらくでした。さらに言うと、小さな機体なので巡航中の揺れは相当大きく、さらに個人用モニターというような文明的な装置は存在せず、一部の座席では機内オーディオすら満足に聴けないフライトでしたが、それでも楽しい思い出は多かったように記憶しています。
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まず、供食サービスについてですが、大阪出発時と香港出発時に、ウェルカムドリンクとしてエコノミークラスの乗客全員に紙パック入りの美味しいマンゴージュースが配られたました。これに加え、大阪発のAI319便では日本食の機内食も選択でき、メインの銀鱈の焼き物がまた美味しかったです。香港から先の区間では、本場のインドカレーを選択してみましたが、さすがインドのナショナルフラッグキャリアとあり味のレベルは高かったように思います。

機内エンターテイメントに目を移すと、機内誌掲載の番組表にはJ-POPのチャンネルがあり、安室奈美恵さんやhiro(島袋寛子)さんの楽曲が収録されていると記載されていましたが、システムの都合なのか聴くことができませんでした。仕方がないので、洋楽のチャンネルでCardigansの「lovefool」を聴いて心を慰めたものです。

この他、経由地の香港の夜景や、香港国際空港で目にしたアンセット・オーストラリア航空(倒産)のボーイングB747-400シドニー五輪特別塗装機なども、深く思い出に残りました。

以遠権区間の大阪(関西)~香港間のみの利用も可能だったため、関西国際空港から手軽にエアバスA310に搭乗できる貴重な路線として、長らく親しまれていたエア・インディアの大阪(関西)~香港~デリー線(注2)ですが、この路線も2013年に最新鋭のボーイングB787-8に置き換えられてしまいました。
全席個人モニター付きで、インテリアも大きく近代化されたボーイングB787-8が大阪と香港、デリーの間を週3往復飛んでいる現在の状況からすれば、機体のサイズが小さく、インテリアや機内エンターテイメント設備も陳腐化していたエアバスA310が片道10時間近くをかけて週2往復飛んでいた10数年前のことが俄かに信じられない思いです。

それでも、よく遅れる、機内が狭苦しい、サービスが悪いと陰口を叩かれながらも、大阪と香港やインドを行き来する旅行者やビジネスマン、京阪神地方に数多く居住する印僑たちにとってかけがえのない足として活躍していたエア・インディアのエアバスA310-300の存在は、今もなお多くの人々の心の中で生き続けているものと思います。
(注2)デリー~ムンバイ間の運航は現在は廃止。

最後になりましたが、長年にわたり日本と中国、香港、西アジア諸国、ヨーロッパ、ニューカレドニアの間を結んで活躍した各社のエアバスA310シリーズの労をねぎらって、締めくくらせていただきます。
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戦後の日本では他に例のなかった、「電力会社が運営する鉄道路線」が、思いもよらぬ形で廃止されることになりました。
長野県大町市の扇沢駅と富山県中新川郡立山町の黒部ダム駅の間6.1Kmを結び、「立山黒部アルペンルート」の一部を構成していた関西電力の関電トンネルトロリーバス。
このほど、同路線の車輌が、2018年度の運行を最後に従来のトロリーバスから最新鋭の充電式電気バスに置き換えられることが決定しました。車輌の老朽化、環境問題への配慮、運行・保守にかかる経済性の向上などが理由だそうですが、それに伴い同路線は地方鉄道法の適用対象である無軌条電車(トロリーバス)ではなくなってしまうため、鉄道路線としては廃止になってしまうことになったわけです。
すでに、同社は国土交通省の北陸信越運輸局に同路線の廃止届を提出しており、2018年11月30日の運行を最後に同路線は法的に鉄道ではなくなる見通しです。

関電トンネルトロリーバスは、関西電力黒部川第四発電所(いわゆる黒部ダム)の工事用道路として、1958年に貫通した関電トンネル(全長5.4Km)を活用し、1964年8月1日に開業した路線です。
以来1990年代の車両置換えを経て、53年に渡り多くの観光客や登山者に親しまれてきました。
ちなみに、1964年当時は東京都、川崎市、横浜市、京都市、大阪市といった国内の大都市にも、市営のトロリーバスが存在し、市民の足として使われていました。しかし、一般のディーゼルバスと比べて建設や運行、保守にコストがかかること、交通渋滞の原因を作っているとされたことなどが災いし、路面電車と運命を共にする形で廃止が進められました。最後まで残っていた横浜市営トロリーバスも、1972年3月31日限りで全線廃止となり、それ以降はこの関電トンネルトロリーバスが日本唯一のトロリーバスということになりました。

私も、2009年8月に立山黒部アルペンルートを旅行した際に、扇沢から黒部ダムまで関電トンネルトロリーバスに乗車しました。
車輌は1993~1996年に製造された300形。
一見すると、一般の路線バスと何ら変わらないサイズ・内装の車体に、電車と同じVVVFインバータ制御のモーター音という組み合わせが、新鮮であり、ユーモラスでもある印象でした。
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扇沢駅付近の700mは地上区間となっており、トロリーバス特有の架線設備をじっくり観察することができます。
この架線設備、終電設備の存在こそが、トロリーバスが「一般乗合旅客自動車」ではなく「無軌条電車」である所以です。
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終点の黒部ダム駅はトンネルの中ですが、出口の先にはご覧の通り黒部ダムの絶景が広がっています。
7年の長い歳月と当時の金額で513億円という工費をかけて完成した黒部ダムですが、難航した建設工事のさなかでは171名の尊い生命が失われています。
現在の私たちが享受している安定した電力供給、豊かな生活は、こうした先人の尊い犠牲があって初めてもたらされたものであり、今一度感謝の気持ちを持たねばと思います。
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今回の関電トンネルトロリーバスの廃止により、日本からトロリーバスは全てなくなってしまうのでしょうか。
いや、決してそういうことはありません。
立山黒部アルペンルートには関電トンネルトロリーバスのほか、立山黒部貫光の無軌条電車線(立山トンネルトロリーバス)という路線が存在します。
大観峰~室堂(富山県中新川郡立山町)間3.7Kmを、立山トンネル経由で結ぶこの路線は、1971年の開業当初は一般のディーゼルバスで運行されていましたが、排気ガスの問題が深刻化したため、1996年4月23日の運行からトロリーバスに転換されたものです。
こちらについては、現時点で置き換えの計画は特になく、関電トンネルトロリーバスの廃止後もしばらくは名実とともに日本唯一のトロリーバスとして元気に走り続けてくれそうです。
2018年シーズンの関電トンネルトロリーバスでは、長年に亘って活躍したトロリーバスの有終の美を飾るべく、さまざまなイベントが企画されているそうですが、それと合わせてこの立山トンネルトロリーバスも楽しんでいただければと思います。
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なお、国外にまで目を向ければ、中国やロシア、オーストリアやハンガリーといったヨーロッパ諸国など世界各国でまだまだトロリーバスが現役の都市交通として活躍しています。私も一度、オーストリアのザルツブルクでトロリーバスを利用する機会がありましたが、立山黒部アルペンルートではなく、現役の都市交通として活躍している海外のトロリーバスに乗られるのもお勧めです。
写真は、ハンガリーの首都・ブダペストを走るトロリーバス。
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