この2021年1月17日(日)で、1995年1月17日(火)午前5時46分に発生した阪神淡路大震災から26年を迎えました。
6434名の方の尊い命が奪われ、激震と火災で兵庫県阪神間を中心に広い地域で慣れ親しんだ街並みが失われたあの日、私は小学校5年生でした。
兵庫県阪神間の東の端に位置する私の育った街も、震源からそう遠くなかったため、あの朝は今まで経験したことのない大きな揺れに襲われました。
家それ自体にも、家族の身にも、さして大きな被害はなかったのですが、小学校は休校に。
目の前のテレビは阪神高速神戸線の倒壊現場や、御影付近で横転した阪神8000系、神戸市長田区内の大火災を次々に映し出してはいましたが、最初のうちはこれらの被害を現実のものとして受け止められなかったように思います。
それでも、夕方になり、テレビが犠牲になられた方々の名前を伝えたり、地震発生から半日以上過ぎてもなお燃え続ける街の様子を映す頃には、これらの光景が全て現実に起きたものであること、そして自分と同じ年頃の子どもたちを含め多くの人々の生命や生活が一瞬にして断ち切られてしまったことを否応なしに感じさせられました。
今日は、あの震災で大きな被害を受け解体され、26年の歳月をかけてようやく再建されたある名建築のことについて、少しですがお話させていただきます。
阪急神戸線の神戸三宮駅(2013年12月21日に三宮駅から改称)には、1936年4月1日の開業当時から駅ビルが存在しました。
駅ビルの正式名称は「神戸阪急ビル」。西館と東館とが存在しました。
このうち、西館は神戸高速鉄道東西線(現阪急神戸高速線・1968年4月7日開業)の建設に合わせ高架下部分を残し1960年代初頭に解体されました。一方の東館は、阪急百貨店や映画館、阪急交通社、喫茶店などが入居し、長年にわたり神戸のランドマークとして親しまれていました。
在りし日の神戸阪急ビル東館(1/150スケール模型)
ビル上の広告、高架橋上の117系新快速、山陽3050系、阪急8000系から推察するに、時代設定は1990年代前半と見られます。
2016年 阪急百貨店での鉄道模型フェスティバルで撮影
しかし、阪神淡路大震災では神戸阪急ビル東館は5階部分が地上に崩落、またビル全体に大きな亀裂が入るという壊滅的な被害を受け、同年夏までに阪急神戸線の高架橋・ホーム部分を除いて取り壊されました。
開業2年後の阪神大水害での水没、9年後の神戸大空襲での一部焼損といった被害を乗り越えた建築物としても知られ、そして神戸っ子の誇りだった神戸阪急ビル東館。
今もなお、この名建築が一瞬の揺れで永遠に失われてしまったことを惜しむ声は後を絶たないです。
2016年春、阪急神戸線の神戸市内高架延伸線(王子公園~神戸三宮間)が開業80周年を迎えた際に、神戸線の一部編成の梅田(現大阪梅田)寄り先頭車に掲出されたヘッドマークに、神戸阪急ビル東館の図柄が採用されたほどでした。
さて、阪急三宮(現神戸三宮)駅は、震災2ヶ月後の1995年3月16日の神戸線王子公園~三宮間運転再開時とともに営業を再開しましたが、それに遅れること9ヶ月、同年12月2日に神戸阪急ビル東館の仮設ビルが完成しました。
この仮設ビルは当初5年間の暫定使用の予定で建設された建物ですが、その後の長期化した不況やそれに伴う阪急電鉄の経営方針の変更などで、入居テナントとの契約更新を繰り返しつつ2016年1月まで駅ビルとして供用されることになりました。
事実上本設建築になっていた頃の、神戸阪急ビル東館仮設ビル。
2013年12月撮影
しかし、2015年暮れになり、長年にわたりペンディングされていた神戸阪急ビル東館の再建計画がようやく具体化、翌春には阪急阪神ホールディングスから正式なリリースがあり、2021年竣工の予定で地上29階建て、地下3階建ての神戸阪急ビル東館(2代目)が建設されることになりました。
2021年1月時点で、同ビルには阪急阪神ホテルズのホテル「remm」やスーパーマーケット「阪急オアシス」、そして神戸市の産学交流拠点「ANCHOR 神戸」の入居が決まっています。
しかも、リリースに掲載された完成イメージバースによると、神戸阪急ビル東館(2代目)の低層階は、震災まであった先代のビルのデザインを再現したものになるようで、神戸っ子や鉄道ファンからは期待の声が上がりました。
それから4年を経た2020年夏頃、神戸阪急ビル東館(2代目)の工事は着実に進み、外観がほぼ完成した状態になりました。
新型コロナウイルス感染症の拡大が割合落ち着いていた2020年5~8月にかけ、何度か三宮を訪れる機会に恵まれたわけですが、その際にJR三ノ宮駅上りホームから神戸阪急ビル東館(2代目)を撮影することができました。
阪急7000系の特急大阪梅田行き。
先代のビルがあった時代を知っている車輌ですが、近年のリニューアル工事で先頭車両の顔つきが若干変わりました。
先代のビルがあった頃は短い6両編成で、新開地から先山陽電鉄本線の須磨浦公園まで特急や普通として乗り入れていました。
神戸三宮駅東側で折り返す、山陽3050系アルミカーの普通山陽姫路行き。
阪神淡路大震災当時は阪急神戸線の六甲駅まで乗り入れていた山陽電車も、1998年2月15日のダイヤ改正以降は阪急三宮(現神戸三宮)以東の阪急神戸線には乗り入れなくなりました。
こちらは2021年内の引退が発表されている、山陽3000系3030Fの復刻塗装編成。
神戸阪急ビル東館(2代目)、内装も阪神間モダニズムを象徴する先代のビルのイメージを踏襲しており、今春のグランドオープンが待たれるところです。
今回再建される神戸阪急ビル東館(2代目)ですが、低層部については先代のビルの意匠を受け継いだとはいうものの、先代のビルにあった線路をまたぐアーチの再現は諸事情により実現せず、また窓の寸法や壁の色も先代のビルとは若干異なっています。
ワルシャワやフランクフルト、ウィーンといったヨーロッパの大都市の歴史的建造物が、第二次世界大戦により大きな被害を受けたものの壁のヒビ1本に至るまで忠実に再建された例などを考えると、個人的には、神戸阪急ビル東館(2代目)もあともう少し先代のビルに近いデザインにする余地がなかったのかというように思うこともあります。
それでも、紆余曲折を乗り越え、当初の予定より若干時間こそかかりましたが、昔からの場所に、神戸市民の心の拠り所とでもいうべき駅ビルが再建されること自体は計り知れない意義を持つ出来事であり、神戸の街が真の復興に近づくための大きな一歩になるということは、多くの人が認めるところではないかと思います。
長くなりましたが、阪神淡路大震災から26年。
時の経つのは早いもので、震災後に生まれた子どもたちが大学や大学院を卒業したり、また結婚して家庭を築いているわけですが、被災地では今なお多くの人が失った家族や友人のことを想い、そしてあの日負った心や身体の傷と向き合って暮らしています。大きな被害を受けた地域での再開発事業や区画整理事業も、順調に進んだ地域とそうでない地域があり、また、震災後に人口が増えた地域もあれば、人口の減少が加速している地域もあります。
まだまだ解決しないといけない課題が多い状況ですが、今一度亡くなられた6434名の方々のご冥福をお祈りするとともに、被災地が新型コロナウイルスとの戦いにも克ち、真の復興に向けてさらに進むことを願って結びとさせていただきます。