ひたちなか海浜鉄道湊線は、常磐線の勝田駅と阿字ヶ浦駅(いずれも茨城県ひたちなか市)の間14.3Kmを結ぶ非電化のローカル線です。長らく茨城交通湊線の名で、地域の足として親しまれてきたこの路線ですが、慢性的な赤字体質に苦しんでおり、一時は廃線話が取り沙汰されるまでになっていました。しかし、ひたちなか市と沿線住民の鉄路存続に賭ける情熱は熱いもので、同市が出資した第三セクター会社・ひたちなか海浜鉄道が湊線の運営を引き継ぐことが決定、2008年4月1日より新たなスタートを切ったところです。

このひたちなか海浜鉄道湊線では、つい一昔前まで旧国鉄のキハ10系列、キハ20系列、廃線になった北海道のローカル私鉄で活躍していた国鉄キハ22系のコピー車輌など、種々雑多な旧型気動車が活躍していました。
近年は自社発注のキハ3710形、キハ37100形、兵庫県の三木鉄道(2008年廃止)から譲り受けたミキ300形といった新型車輌の導入により、これらの旧型気動車は大きくその数を減らしましたが、2015年4月時点でキハ22形(222)、キハ20形(205)、キハ2000形(2004、2005)が残存し、活躍を続けています。

今や全国的に希少価値の高くなったキハ20系列というわけで、これらの車輌は日本中の鉄道ファンから人気を集めてきたわけですが、その一方で冷房装置がないこと、老朽化が進んでいることなどから、新車への置き換えが急務になっていました。

そんなとき、ひたちなか海浜鉄道が白羽の矢を立てたのがJR東海のキハ11形100・200番台(写真のクリーム色の車輌)でした。
1988~93年にかけて新潟鐵工所(現新潟トランシス)とJR東海名古屋工場で製造された同車は、経年こそ比較的新しかったものの、2015年3月14日のダイヤ改正で、使用線区だった高山本線・太多線に武豊線電化で逐われたキハ75形・キハ25形が転入したことにより、活躍の場を失っていました。かねてからキハ20系列の後継車を探していたひたちなか海浜鉄道にとって、自社のエースキハ3710形と同じ新潟鐵工所製で、基本設計も共通、さらに車齢も20年前後と比較的新しいキハ11形は、まさに願ったりかなったりの良い出物だったわけです。
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今回のキハ11形3両の導入に伴い、ひたちなか海浜鉄道は悲願の車輌冷房化率100%を達成することになるわけですが、それはすなわち長年にわたり活躍してきたキハ20系列の勇退を意味するものでもあります。
このうち、キハ22形のキハ222号車については、6年前の2009年3月8日(日)にひたちなか海浜鉄道を訪問した時に乗車していますので、その時の写真を紹介させていただきます。
キハ222号車は、既に廃車された僚車のキハ221、キハ223と同様、1970年に廃線となった北海道の羽幌炭礦鉄道(築別~築別炭鉱間・16.6Km)から移籍してきた車輌です。製造年は1962年で、築別から羽幌まで国鉄羽幌線(1987年廃止)に乗り入れる必要があったこともあり、当時の国鉄の最新鋭気動車だったキハ22形と同一の仕様で製造されました。
塗装についてですが、茨城交通移籍後しばらくの間は羽幌炭礦鉄道の塗装で使用されたものの、1983年ごろに茨城交通の標準色に塗り替えられたそうです。さらに2000年代に入ると、クリーム色と青の旧国鉄気動車色への塗装変更が行われ、2015年現在もこの塗装でイベント時に使用されています。

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時代を感じさせる木張りの床材が敷き詰められ、寒冷地仕様の二重窓がずらりと並んだ車内。
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今回のキハ11形導入に伴い、ひたちなか海浜鉄道では元羽幌炭礦鉄道のキハ22形キハ222号車、元留萠鉄道(1971年廃止、恵比島~昭和間)のキハ2000形2004号車、2005号車の勇退が噂されており、ややもすると北海道の炭鉱鉄道で使用された実績のある車輌が営業線上から全廃されてしまうのではと言われています。
日本の高度経済成長を支えた北海道の炭鉱町の貴重な足として活躍したこれらの車輌が、仮にこのまま解体されてしまうとなると、我々は貴重な産業遺産を失ってしまうことになりかねません。鉄道ファン兼歴史家のはしくれとしては、これら3両のうち1両でも、北海道に里帰りさせて現地で保存するか、北海道への移送が無理ならば茨城県をはじめとする首都圏で保存することは何とかできないものかと切に思うものです。
ひたちなか海浜鉄道のキハ20系列の引退後がどのようになるかはまだ不透明ですが、その長年に渡る活躍に今一度大きな拍手を送るとともに、偉大なる先輩方からバトンを受け継ぐ新鋭キハ11形の活躍に大いに期待を寄せたいところです。