昭和30年代の地方私鉄を代表する、名車の誉れ高いロマンスカーが、人知れず最期の時を迎えました。
福井鉄道が福武線の急行電車用の車輌として、1960~1962年にかけて日本車輌製造で2両連接×3編成を製造した200形電車。
福井鉄道では初めてとなる平行カルダン駆動の下回りに、セミクロスシートの内装というスペックは、当時の大手私鉄の電車と比べても遜色のない高いレベルのもので、福井市と武生市(現越前市)を結ぶ急行電車にふさわしい存在でした。

2006年4月、前年に廃止された岐阜県内の名古屋鉄道(名鉄)岐阜市内線・揖斐線・田神線・美濃町線から、床面の低い路面電車タイプの車輌が大量に転入、それまで活躍してきた床面の高い普通鉄道タイプの車輌の大半が置き換えられることになりましたが、この200形電車については全長15m×2両という大柄な車体サイズを活かして、ラッシュ時を中心に引き続き運用されることになりました。
以来数年間、202F編成は福井鉄道の新標準色に塗り替えられ、また203F編成(下の写真)は往年の急行塗装に塗り替えられるなどしましたが、昭和30年代の地方私鉄のロマンスカーの生き残りとして変わらず元気な姿を見せていました。

しかし、製造から50年以上が経過していたこと、さらに福武線とえちぜん鉄道三国芦原線との相互直通運転計画が具体化していたことなどから、200形電車の置換えが決定しました。

こうして、2012年よりえちぜん鉄道三国芦原線への相互直通運転に対応した超低床電車・F1000形電車の導入が始まり、それと入れ替わる形で200形電車や600・610形電車(元名古屋市営地下鉄名城線1100・1200形電車)といった普通鉄道タイプの車輌は姿を消すことになりました。
2015年に201F編成と202F編成が相次いで運用を離脱し、同年10月以降は独り203F編成のみがラッシュ時を中心に運用されるのみとなりました。

この203F編成も、2016年2月限りで運用を離脱し、以降は北府駅(福井県越前市)構内の車両基地で野ざらしの状態になりました。北府駅での留置が始まってから5ヶ月後の同年7月には全般検査の期限が切れ、法的に営業運転をさせることができない状況となり、事実上の引退を迎えることになりました。

私が初めて福井鉄道を訪れたのは2007年1月。当時200形電車はすでにラッシュ時中心の運用となっており、あいにく乗車することは叶いませんでした。
その後も、いつか機会があれば200形電車の乗車・撮影を楽しみたいなとかねて思っていたわけですが、諸事情によりなかなか実現に至りませんでした。
ようやく2016年8月、9年ぶりの再訪を果たした時には、すでに200形は203F編成のみが残る状況でした。
運用離脱から半年が経過した203F編成は、北府駅の留置線で錆び付いた痛々しい姿を晒していました。
もう1年、いや2年早く訪れることができなかったものかと悔やまれてならない限りです。
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ただ、運用を離脱したとはいえ、戦後の福井鉄道を代表する功労車である200形電車は今も崇高な存在として扱われているようで、福武線起点の越前武生駅には、200形電車のデビュー当時のパンフレットや近年発売された各種のグッズが展示されていました。
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富士山麓電気鉄道(現富士急行)3100形、秩父鉄道300系、長野電鉄2000系といった、同時代に日本車輌製造で造られた地方私鉄向けのロマンスカーは、すでに軒並み現役を退いており、孤軍奮闘していた福井鉄道200形電車は鉄道ファンの間で絶大な人気を誇っていたわけですが、それだけにさよなら運転その他のイベントをせずあっけなく引退してしまったことについては、各方面から惜しむ声が相次いでいます。

しかし、福井空襲と福井地震を乗り越えて高度経済成長を迎えた戦後の福井平野で、都市間輸送・通勤通学輸送の主力となり、地域の発展を支えた名車200形電車の功績は末永く語り継がれるべきものであり、唯一現存する203F編成については、越前市が2020年度以降に北府駅で整備を計画している鉄道博物館で保存されることが内定しているといいます。3~4年後、往年の姿に蘇った203F編成に再会できることを、首を長くして待ちたいものです。

余談ですが、私が新婚旅行中のシンガポール航空機内で鑑賞した映画の一つが、広瀬すずさん主演、天海祐希さん、柳ゆり菜さんら出演の「チア☆ダン~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~」でしたが、この作品の舞台も福井市でした。今後、この映画と福井鉄道やえちぜん鉄道がコラボする機会があればと思っていたりします。