30代半ばの私たちにとって、関東私鉄を代表する名車だった特急形電車が、36年間の活躍にピリオドを打ちました。
京浜急行電鉄(以下京急)の看板列車といえば、主に本線・久里浜線の泉岳寺~三崎口間で運転されている快特(快速特急)ですが、この快特用の新型車輌として1982年~1987年にかけ製造されたのが2000形です。
前任の600形(2代目)電車(製造初年1956年)が老朽化していたことに伴い、長距離利用者向けのサービス向上と通勤ラッシュ対策を兼ね備えた後継車として、8両編成×6本、4両編成×6本の総勢72両が投入されました。
車内は両開き2扉オールクロスシート(注)。窓周りが白で、先頭部が流線型という斬新なデザインで登場した2000形は、瞬く間に新生京急のイメージリーダーとなり、1983年に鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞しました。1988年には京急創立90周年を記念し、2011Fが「さわやかギャラリー」号、2041Fが「ファンタジックトレインみらい」号となり、それぞれ特別塗装に塗り替えられました。
(注)運転席の後ろのみロングシート。
また、皇太子・同妃殿下時代の今上天皇・皇后陛下のお召し列車となったり、紀宮さま(黒田清子さん)の学生時代の遠足の際に使用されたりと、皇室ともご縁の深い車輌でした。
先の特別塗装2編成については、1989年に昭和天皇が崩御された時には喪章を付けて運転されたそうです。
その後、1995年からの時速120Km運転開始に伴う改造を経て、後輩の600形(3代目)とともに快特、通勤快特を中心に活躍してきた2000形でしたが、優等列車中心の運用だったことが災いし、気が付けば下回りの老朽化が深刻になっていました。これを受け、1998年から快特用の新型車輌・2100形が登場。2000形は快特・通勤快特・ウイング号(夕ラッシュ時に下りのみ運行される通勤ライナー)の運用をそちらに譲り、3扉ロングシートの一般車に格下げられることになりました。これに伴い、側面窓周りの白帯も1000形(初代)、700形(2代)、800形(注)、1500形といった一般車に準じた窓下の細い白帯に改められています。
(注)2000形の登場までは、800形も側面窓回りが白色で塗装されていました。
格下げ工事は1998~2000年にかけて実施されましたが、車端部のクロスシートと補助椅子、側窓のカーテンはそのまま存置され、快特専用車輌時代の面影を随所に感じることができました。
また、格下げ後もラッシュ時の都営地下鉄浅草線に乗り入れない優等列車、あるいは新逗子~羽田空港(現羽田空港国内線ターミナル)間のエアポート急行といった運用に多く入っており、快特専用車らしい俊足を大いに活かせる職場に恵まれたのは、ある意味幸運だったように思います。
特に、エアポート急行では最晩年まで主力車輌として活躍、私もAKB48のイベントなどで上京した際にたびたびお世話になる機会がありました。
新しい職場で実直に活躍していた2000形でしたが、足回りはもとより、3扉化改造の影響で車体の老朽化も進んだことなどから、1000形(2代目)の増備に伴い2012年度から廃車が開始されました。
廃車を前に、2011Fは快特専用車時代の窓回り白の塗装に戻され、2013年から運用されていましたが、あいにく撮影する機会はありませんでした。
そして、2018年3月28日限りで最後まで残った2011Fが定期運用を終了。3月25日には事前応募制のさよなら運転を実施し、2000形は36年間の華やかな活躍に幕を下ろしました。
廃車後の2000形についてですが、他社への譲渡の予定は現時点では特になく、結果的に2000形と入れ替わる形で1986年に全廃され、その後高松琴平電鉄に譲渡された600形(2代目)よりも先に鉄道車輌としての使命を終えることになりました。
先輩の600形(2代目)が、製造後60年を経ても高松琴平電鉄1070形として健在なのに対し、あっさり廃車解体となってしまう2000形については若干気の毒な気もします。
それは一旦置いておいて、讃岐路で余生を送る600形(2代目)に一日も長く元気で走ってもらうこと、そして2000形の跡目を継いで京急で活躍する600形(3代目)、2100形、1000形(2代目)のさらなる活躍を願って、今夜は締めくくらせていただきます。
高松琴平電鉄1070形 1999年撮影
最後になりましたが、京急2000形、今までありがとうございました!
京浜急行電鉄(以下京急)の看板列車といえば、主に本線・久里浜線の泉岳寺~三崎口間で運転されている快特(快速特急)ですが、この快特用の新型車輌として1982年~1987年にかけ製造されたのが2000形です。
前任の600形(2代目)電車(製造初年1956年)が老朽化していたことに伴い、長距離利用者向けのサービス向上と通勤ラッシュ対策を兼ね備えた後継車として、8両編成×6本、4両編成×6本の総勢72両が投入されました。
車内は両開き2扉オールクロスシート(注)。窓周りが白で、先頭部が流線型という斬新なデザインで登場した2000形は、瞬く間に新生京急のイメージリーダーとなり、1983年に鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞しました。1988年には京急創立90周年を記念し、2011Fが「さわやかギャラリー」号、2041Fが「ファンタジックトレインみらい」号となり、それぞれ特別塗装に塗り替えられました。
(注)運転席の後ろのみロングシート。
また、皇太子・同妃殿下時代の今上天皇・皇后陛下のお召し列車となったり、紀宮さま(黒田清子さん)の学生時代の遠足の際に使用されたりと、皇室ともご縁の深い車輌でした。
先の特別塗装2編成については、1989年に昭和天皇が崩御された時には喪章を付けて運転されたそうです。
その後、1995年からの時速120Km運転開始に伴う改造を経て、後輩の600形(3代目)とともに快特、通勤快特を中心に活躍してきた2000形でしたが、優等列車中心の運用だったことが災いし、気が付けば下回りの老朽化が深刻になっていました。これを受け、1998年から快特用の新型車輌・2100形が登場。2000形は快特・通勤快特・ウイング号(夕ラッシュ時に下りのみ運行される通勤ライナー)の運用をそちらに譲り、3扉ロングシートの一般車に格下げられることになりました。これに伴い、側面窓周りの白帯も1000形(初代)、700形(2代)、800形(注)、1500形といった一般車に準じた窓下の細い白帯に改められています。
(注)2000形の登場までは、800形も側面窓回りが白色で塗装されていました。
格下げ工事は1998~2000年にかけて実施されましたが、車端部のクロスシートと補助椅子、側窓のカーテンはそのまま存置され、快特専用車輌時代の面影を随所に感じることができました。
また、格下げ後もラッシュ時の都営地下鉄浅草線に乗り入れない優等列車、あるいは新逗子~羽田空港(現羽田空港国内線ターミナル)間のエアポート急行といった運用に多く入っており、快特専用車らしい俊足を大いに活かせる職場に恵まれたのは、ある意味幸運だったように思います。
特に、エアポート急行では最晩年まで主力車輌として活躍、私もAKB48のイベントなどで上京した際にたびたびお世話になる機会がありました。
新しい職場で実直に活躍していた2000形でしたが、足回りはもとより、3扉化改造の影響で車体の老朽化も進んだことなどから、1000形(2代目)の増備に伴い2012年度から廃車が開始されました。
廃車を前に、2011Fは快特専用車時代の窓回り白の塗装に戻され、2013年から運用されていましたが、あいにく撮影する機会はありませんでした。
そして、2018年3月28日限りで最後まで残った2011Fが定期運用を終了。3月25日には事前応募制のさよなら運転を実施し、2000形は36年間の華やかな活躍に幕を下ろしました。
廃車後の2000形についてですが、他社への譲渡の予定は現時点では特になく、結果的に2000形と入れ替わる形で1986年に全廃され、その後高松琴平電鉄に譲渡された600形(2代目)よりも先に鉄道車輌としての使命を終えることになりました。
先輩の600形(2代目)が、製造後60年を経ても高松琴平電鉄1070形として健在なのに対し、あっさり廃車解体となってしまう2000形については若干気の毒な気もします。
それは一旦置いておいて、讃岐路で余生を送る600形(2代目)に一日も長く元気で走ってもらうこと、そして2000形の跡目を継いで京急で活躍する600形(3代目)、2100形、1000形(2代目)のさらなる活躍を願って、今夜は締めくくらせていただきます。
高松琴平電鉄1070形 1999年撮影
最後になりましたが、京急2000形、今までありがとうございました!