SKE48とエアバスA380超絶推し男のblog

新型コロナウイルス禍の一日も早い終息を願います。がんばろう日本!

タグ:京浜急行電鉄

30代半ばの私たちにとって、関東私鉄を代表する名車だった特急形電車が、36年間の活躍にピリオドを打ちました。
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京浜急行電鉄(以下京急)の看板列車といえば、主に本線・久里浜線の泉岳寺~三崎口間で運転されている快特(快速特急)ですが、この快特用の新型車輌として1982年~1987年にかけ製造されたのが2000形です。
前任の600形(2代目)電車(製造初年1956年)が老朽化していたことに伴い、長距離利用者向けのサービス向上と通勤ラッシュ対策を兼ね備えた後継車として、8両編成×6本、4両編成×6本の総勢72両が投入されました。

車内は両開き2扉オールクロスシート(注)。窓周りが白で、先頭部が流線型という斬新なデザインで登場した2000形は、瞬く間に新生京急のイメージリーダーとなり、1983年に鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞しました。1988年には京急創立90周年を記念し、2011Fが「さわやかギャラリー」号、2041Fが「ファンタジックトレインみらい」号となり、それぞれ特別塗装に塗り替えられました。
(注)運転席の後ろのみロングシート。

また、皇太子・同妃殿下時代の今上天皇・皇后陛下のお召し列車となったり、紀宮さま(黒田清子さん)の学生時代の遠足の際に使用されたりと、皇室ともご縁の深い車輌でした。
先の特別塗装2編成については、1989年に昭和天皇が崩御された時には喪章を付けて運転されたそうです。

その後、1995年からの時速120Km運転開始に伴う改造を経て、後輩の600形(3代目)とともに快特、通勤快特を中心に活躍してきた2000形でしたが、優等列車中心の運用だったことが災いし、気が付けば下回りの老朽化が深刻になっていました。これを受け、1998年から快特用の新型車輌・2100形が登場。2000形は快特・通勤快特・ウイング号(夕ラッシュ時に下りのみ運行される通勤ライナー)の運用をそちらに譲り、3扉ロングシートの一般車に格下げられることになりました。これに伴い、側面窓周りの白帯も1000形(初代)、700形(2代)、800形(注)、1500形といった一般車に準じた窓下の細い白帯に改められています。
(注)2000形の登場までは、800形も側面窓回りが白色で塗装されていました。

格下げ工事は1998~2000年にかけて実施されましたが、車端部のクロスシートと補助椅子、側窓のカーテンはそのまま存置され、快特専用車輌時代の面影を随所に感じることができました。
また、格下げ後もラッシュ時の都営地下鉄浅草線に乗り入れない優等列車、あるいは新逗子~羽田空港(現羽田空港国内線ターミナル)間のエアポート急行といった運用に多く入っており、快特専用車らしい俊足を大いに活かせる職場に恵まれたのは、ある意味幸運だったように思います。

特に、エアポート急行では最晩年まで主力車輌として活躍、私もAKB48のイベントなどで上京した際にたびたびお世話になる機会がありました。
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新しい職場で実直に活躍していた2000形でしたが、足回りはもとより、3扉化改造の影響で車体の老朽化も進んだことなどから、1000形(2代目)の増備に伴い2012年度から廃車が開始されました。
廃車を前に、2011Fは快特専用車時代の窓回り白の塗装に戻され、2013年から運用されていましたが、あいにく撮影する機会はありませんでした。
そして、2018年3月28日限りで最後まで残った2011Fが定期運用を終了。3月25日には事前応募制のさよなら運転を実施し、2000形は36年間の華やかな活躍に幕を下ろしました。

廃車後の2000形についてですが、他社への譲渡の予定は現時点では特になく、結果的に2000形と入れ替わる形で1986年に全廃され、その後高松琴平電鉄に譲渡された600形(2代目)よりも先に鉄道車輌としての使命を終えることになりました。

先輩の600形(2代目)が、製造後60年を経ても高松琴平電鉄1070形として健在なのに対し、あっさり廃車解体となってしまう2000形については若干気の毒な気もします。
それは一旦置いておいて、讃岐路で余生を送る600形(2代目)に一日も長く元気で走ってもらうこと、そして2000形の跡目を継いで京急で活躍する600形(3代目)、2100形、1000形(2代目)のさらなる活躍を願って、今夜は締めくくらせていただきます。

高松琴平電鉄1070形 1999年撮影
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最後になりましたが、京急2000形、今までありがとうございました!

2018年1月7日よりTOKYO MXテレビほかで放映されている大川ぶくぶさん原作のアニメ「ポプテピピック」。
その風刺たっぷりのストーリーと、三ツ矢雄二さん、神谷明さん、玄田哲章さん、中尾隆聖さんといった大御所声優を起用した週替わりのキャスティングで社会現象になっている作品ですが、このうち2月11日(日・祝)放映の第6話の舞台に、作者である大川さんの郷里・兵庫県西宮市の阪神甲子園球場が登場しました。
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その際、同球場の最寄り駅である阪神電気鉄道(阪神電鉄)の甲子園駅も、「阪球甲子園」駅として登場。
阪急電鉄に甲子園駅は無いですよ、阪急バスならプロ野球開催時に臨時で乗り入れますよというツッコミは置いておいて、元地元民として馴染みの駅が登場する展開に歓喜したものです。
写真は2008年、大規模改築前の甲子園駅
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そして、同駅に乗り入れる阪神電鉄の車輌も描写されていたわけですが、車体塗装と窓枠の形状を見る限り、8000系8523Fのうちもともと試作車として製造された8201F(阪神淡路大震災で6両中3両が廃車)から供出された3両によく似ているように感じました。
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ただ、この車輌の造形には大きな突っ込みどころがありまして、車体塗装と窓枠こそ阪神8000系8523Fの試作車3両に準拠していたものの、前面形状は阪神電鉄の車輌ではなく京浜急行電鉄の800形をコピーしたものでした。
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制作者たちが何故、「ポプテピピック」の作中で阪神電鉄の車輌を完全再現しなかったのかは疑問に感じるところですが、おそらく許諾の問題があったこと、フィクションの作品なので登場する鉄道車輌のフォルムにはそれほどこだわる必要がなかったことが挙げられます
ちなみに1995年の阪神淡路大震災発生直後、多数の車輌が被災し運用上大きな制約を抱えることになった阪神電鉄に対し、京浜急行電鉄が廃車予定の初代1000形の提供を申し出たことがありましたが、ドア位置の違いなどから最終的にお流れになったという出来事がありました。
制作者の方がこの事実を知っていたかどうかは定かではないですが、阪神と京急の間には昔から深い縁があったことは間違いないかと思います。
【写真】京急旧1000形(2009年)

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長くなりましたが阪神淡路大震災の生き証人として、当時の名残のちぐはぐ編成で今日もなお走り続ける阪神8000系8523F。この編成がひょんなことから全国区のアニメに登場、一躍話題となったことは、震災を語り継ぐうえでも一つ大きなことなのではと思います。
震災で廃車になった阪神電車と、その穴埋めに遠く首都圏から駆けつけるはずだった京急初代1000形。
この2つの電車の逸話がこれからも末長く語り継がれることを願って、今夜は締めくくらせていただきます。

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2017年春、全国各地で名車と謳われた鉄道車輌が相次いで引退することになりました。本日からブログのリハビリも兼ねて、そうした車両達に関する特集をいくつかお届けしようと思います。

記念すべき第一弾は、千葉ニュータウン鉄道の9000形電車。世にも珍しい住宅・都市整備公団の鉄道車輌として生を受け、流転の末東京国際(羽田)空港に乗り入れる特急列車にまで出世するという数奇な運命をたどった車輌です。
千葉ニュータウン鉄道9000形は、33年前の1984年3月19日、住宅・都市整備公団が現在の北総鉄道北総線の一部区間にあたる小室~千葉ニュータウン中央間を開業させた際に6両編成×2本デビューしました。
当時の形式名は住宅・都市整備公団2000形。千葉ニュータウンをはじめとする大都市圏のニュータウン開発を担ってきた住宅・都市整備公団が、自前でニュータウンへのアクセスとなる鉄道を開業させ、さらに車輌まで用意するという出来事は、当時鉄道ファンのあいだで大きな話題になったといいます。

住宅・都市整備公団が発注・導入した最初の鉄道車輌という記念すべき存在になった2000形ですが、全長18mのスキンステンレス車体を装備した斬新なスタイルで登場しました。天井近くまで伸びた前面窓からは、ほぼ同世代にあたる阪神電鉄の8000系量産車(1984年登場)、南海電鉄の9000系(1985年登場)など、関東の通勤電車であるにも関わらず関西私鉄チックな雰囲気が漂う印象です。
主要な機器は、直通先の北総開発鉄道(現北総鉄道北総線)の7000形電車(1979~2007年)と揃えられ、界磁チョッパ制御や回生ブレーキなどが採用されました。そして、車体も足回りも、開業当初から相互直通運転を行っていた北総開発鉄道と新京成電鉄、将来的に直通が予定されていた京成電鉄、都営地下鉄浅草線、京浜急行電鉄(京急)の規格に準拠した仕様でした。

デビュー7年後の1991年3月31日、北総開発鉄道の新鎌ヶ谷~京成高砂間が延伸開業。これにより2000形も京成高砂から先、京成電鉄の本線と押上線、都営浅草線を経て京急逗子線の新逗子まで乗り入れるようになりました。直通運転の開始に備え、1990年のうちに中間増備車2両×2本が製造され、2000形は8両編成×2本の陣容にパワーアップしました。合わせて、京急の要請で、制御車だった先頭車の電動車化、一部中間電動車の付随車化も実施されています。
また、新京成電鉄と北総開発鉄道、住宅・都市整備公団の3社のみの運用だった頃は、普通電車にしか充当されていませんでしたが、この直通運転開始とともに、京急線内で急行電車としても使われるようになりました。
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ただ、ここで問題がひとつ発生しました。すでに京急には2000形という快特用のロマンスカーが存在し、住宅・都市整備公団2000形と車輌番号の重複が発生したのです。すると、万が一のトラブルを避ける必要が出てきたということで、1994年に住宅・都市整備公団2000形は「9000形」に改番されました。
もっとも、この手の車輌番号の重複は、開業当時から1992年まで相互直通運転を実施していた新京成電鉄に2000形が在籍していたころにもあったわけですが、その頃は何も問題にならなかったようです。

その後、住宅・都市整備公団は1999年10月1日に都市基盤整備公団に改称、9000形の所属事業者名も変わりました。さらに2004年7月1日に同公団が独立行政法人都市再生機構に改組された際に、同公団の鉄道部門は千葉ニュータウン鉄道として独立することになりました。時を同じくして、千葉ニュータウン鉄道の保有する小室~印旛日本医大間については、北総鉄道(2004年7月1日に北総開発鉄道から改称)に列車の運行、線路の保守、旅客営業を委託しているという実態に即し、同社の路線とまとめて「北総鉄道北総線」として扱われるようになっています。
写真は2004年から貼り付けられている「北総鉄道」のロゴ。
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また、2001年9月15日のダイヤ改正以降は当時の北総開発鉄道・都市基盤整備公団でも特急電車の運転が始まり、さらに2012年10月21日のダイヤ改正で京急空港線の快特の本数が大幅に増えて以降は、9000形をはじめとする千葉ニュータウン鉄道や北総鉄道の車両が快特や特急として運用されることが日常的になりました。千葉ニュータウン中央と松戸の間をのんびり普通電車として往来していた2000形改め9000形は、いつしか大出世を遂げ、「私鉄特急」の仲間入りを果たしたのです。
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流転の人生を歩んだ9000形ですが、製造後30年を経て車体の老朽化が進み、2013年に京成3000形(2代目)ベースの9200形と入れ替わる形で9008F編成が勇退しました。残る9018F編成も、2017年3月21日より京成3700形をリースした9800形が導入されるのに先立ち、前日3月20日のラストランイベントを最後に現役を退きました。

私は生粋の関西人ですが、上京するたび、東京国際(羽田)空港から京急・都営浅草線直通電車を利用する機会の多い身です。そのため、この9000形にも2008年以降都合3度も乗車する機会がありました。なかでも、最後まで残った9018F編成には、昨年12月に日本橋での用事を済ませて帰阪のため東京国際空港に向かう際、そして今年3月に東京国際空港から都心のホテルに向かう際に乗車する機会に恵まれました。
特に、前者の際は、「元公団車輌の快特運用」という、幼少時に読んだ子ども向け鉄道図鑑に載っていたデビュー当時の「公団の電車」の姿を記憶している者としては一度は乗っておきたかった列車に乗れたわけで、まさに感無量だったものです。

ほぼ時を同じくして、9000形の跡目を継いだ9200形や9800形にも出会う機会がありました。
東京国際空港に着いたら、昔馴染みの9000形が出迎えてくれるということはもうないわけですが、後継の9200形と9800形が東京国際空港と都心、下町、千葉ニュータウンを結ぶ役割をしっかり果たしてくれる事を願って締めくくらせていただきます。

最後になりましたが、千葉ニュータウン鉄道9000形、住宅・都市整備公団2000形時代以来33年間のお勤めお疲れ様でした!そしてありがとうございました!

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兒玉遥さんや宮脇咲良さん、田島芽瑠さん、朝長美桜さんといった10代の人気メンバーが揃い、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのHKT48。
そのHKT48が、このほど3月より「HKT48モノレール派宣言」と銘打ち、東京モノレールとコラボレーション企画を行うことになりました。
1月26日(日)に東京都文京区の東京ドームシティホールで開催された「AKB48リクエストアワーセットリストベスト200」の席上で、兒玉さん、宮脇さん、田島さん、朝長さん、指原莉乃さん、穴井千尋さん、森保まどかさんのメンバー7名が出席して華々しくプレス発表が行われたこの企画、果たしてどのようなものなのでしょうか。

プレス発表によると、今回のキャンペーンではテレビCMをはじめとする東京モノレールの広告へのHKT48の起用、そして指原さんによる車内アナウンスの実施といった企画が予定されているとのことです。特に3月5日から首都圏でオンエア予定のテレビCMと、指原さんによる車内アナウンスには鉄道ファン兼HKT48ファンの注目が集まっていると聞きます。4月5日にはさいたまスーパーアリーナでHKT48のコンサートが開催されるわけですが、あわよくばその行き帰りに羽田空港~浜松町間で東京モノレールを利用する際に、指原さんのアナウンスを聞くことができないかと期待しているところです。

振り返ると、HKT48は昨年にも九州観光推進機構による「空行け!九州キャンペーン」のイメージキャラクターに起用され、九州発着の国内航空路線のPRに一役買ったばかりです。国内航空や羽田空港のアクセス鉄道のPRには、九州から東京への移動に基本的に飛行機を利用しており、しかも若くて美しい彼女たち以外に適役となるキャラクターはそうそういなかったのではと思います。つまるところは、HKT48はまさに九州発着の国内線や東京モノレールのイメージキャラクターにうってつけな存在なのではというわけです。

先の東京オリンピックが開催された1964年に、日本最初の本格的な都市モノレールとして開業した東京モノレールですが、近年は京浜急行電鉄との激しい競合に晒され、日本のモノレールとしては唯一の存在である快速列車を運行したり、親会社のJR東日本とコラボしたディスカウント切符を販売するなどの対抗策に出ています。今回、HKT48のメンバーを広告に起用することで、AKB48グループのファンのみならず、一人でも多くの羽田空港利用者が東京モノレールを選んでくれたらと思うばかりです。

余談ですが、東京モノレールは1000形車両の一部に開業当時の100形車輛の復刻塗装(上の写真)、1970~90年代に活躍した500形車輛の復刻塗装、1989年の1000形デビュー当時の復刻塗装を施し、モノレール浜松町~羽田空港第2ビル間で運用しています。
HKT48ファンの方、鉄道ファンの方、旅客機ファンの方は機会があれば、今年で開業50周年を迎える東京モノレールをぜひ訪問してみてください。

”Flight report of All Nippon Airways flight 26(Osaka Itami(ITM)-Tokyo Haneda(HND)) Boeing B777-200(JA702A) 20 Apr 2013”

今日も一昨日に引き続き、4月20日(土)に都内で開かれた友人の結婚式に参列した際に利用した乗り物に因んだ小ネタをお送りします。
4月20日(土)、東京への往路には、大阪国際(伊丹)空港13時発のANA26便東京国際(羽田)空港行きを利用しました。
機材はボーイングB777-200(機体番号JA702A)。かつては国際線仕様のシートテレビ付き座席を搭載し、成田国際空港(当時は新東京国際空港)からバンコク・ドンムアン国際空港経由でデリーやムンバイ、クアラルンプールにまで足を伸ばしていましたが、数年前からは活躍の場を国内線に移している機体です。ちなみに、国内線へコンバートされる際に、座席も国内線仕様のものに載せ換えられています。さらに、昨年からボーイングB777の国内線仕様機では、プレミアムクラスの座席取り換えが進められており、このJA702A号機のプレミアムクラスも、昨年納入された最新型のボーイングB777-200(JA741A以降の機体)に載せられているものと同一仕様に一新されました。
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機内誌「翼の王国」2013年4月号と、昼食用に伊丹空港の売店で調達した海苔巻き。
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飲み物は海苔巻きに合わせて、冷たい緑茶にしました。
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ボーイングB777-200の安全のしおり。
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羽田空港には13時57分到着。ここでまさかのサプライズ!どうやら到着直前にゲート変更が行われたようで、私を乗せたANA26便は4月8日(月)にオープンしたばかりの73番スポットの前で停止しました。
そもそも伊丹空港から羽田空港に到着するANA便は、たいてい手荷物受取場や東京モノレール・京浜急行の改札口に近い第2ターミナルビル中央の50番台後半から60番台前半のスポットに着くことが多いわけで、今日の到着ゲート変更は極めて異例な展開でした。あとで知ったところによると、この日ANA26便で伊丹から到着したJA702A号機は折り返し15時15分発松山行きのANA593便に投入されたとのこと。つまりこのゲート変更は、そもそも羽田~伊丹間の単純往復で使うはずの機体を、急遽羽田~松山線に投入したという偶然故に生まれたサプライズだったようです。
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到着ロビーまでの歩く距離が若干増えたとはいえ、ANAユーザーでもまだまだ使った人は少ないであろう73番スポットに降り立ったわけで、少し得した気分でした。
ちなみにこの73番スポットですが、1998年から2002年までチャイナエアラインが、2000年から2002年までエバー航空が、2003年から2010年までJAL、ANA、大韓航空、アシアナ航空が、2007年から2010年まで中国東方航空、上海航空がそれぞれ使用していた旧国際線ターミナルビルの跡地に建設されたものです。羽田からのソウル(金浦)便や台北便、上海(虹橋)便が発着していた狭いターミナルと言えば通りがいいでしょう。
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第1ターミナル内のカプセルホテル「FIRST CABIN」に荷物を置いた後、京浜急行空港線のアクセス特急成田空港行きで結婚式会場へ向かいます。
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車両は京浜急行600形の第7編成。品川方の先頭車である607‐8号車の運転室背後のクロスシートを確保。直通先の都営地下鉄浅草線日本橋駅までかぶりつきを楽しみました。
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東京メトロ銀座線某駅近くの式場でお祝いした後、日本橋で学生時代の友人と2人だけの二次会。
ここから宿泊地の羽田空港に戻る際に乗ったのが、北総鉄道7300形7311Fによる急行羽田空港行きでした。
この7311Fには、翌日開催される北総鉄道主催のイベント「ほくそう春まつり」をPRするヘッドマークが付いていました。
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今回は友人の結婚式に伴う短期滞在でしたが、鉄道、飛行機、アイドル全てにおいて刺激的な街東京に、また近いうち日を改めて遊びに行きたいところです。

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