SKE48とエアバスA380超絶推し男のblog

新型コロナウイルス禍の一日も早い終息を願います。がんばろう日本!

タグ:103系

昨年2019年3月16日のJRグループダイヤ改正では、全国各地で車輌や列車の新旧交代が見られたわけですが、これに合わせる形でJR西日本の和歌山・奈良エリアのローカル列車にも久々の新型車輌がお目見えしました。

JR西日本は和歌山線・桜井線及び紀勢本線和歌山市~紀伊田辺間で使用している国鉄型車輌を置き換えるため、広島エリアで運用している227系に改良を加えた227系1000番台を吹田総合車両所日根野支所新在家派出所に配置し、2019年3月16日ダイヤ改正より運用を開始しました。

和歌山線橋本駅にて
IMG_4431
広島エリアの227系0番台が転換クロスシートを装備しているのに対し、和歌山・奈良エリアの227系1000番台は前任の吹田総合車両所日根野支所新在家派出所所属105系と同じオールロングシートを採用しています。
IMG_4387
側面の種別・行先表示器についても、227系0番台同様フルカラーLEDのものが採用されました。
関西エリアの利用者には323系、225系5100番台、同100番台でもお馴染みのアイテムです。
IMG_4321
乗降用ドアは、半自動機能付きとなっています。
IMG_4413
和歌山線・桜井線に最新型の電車が入るのはおそらく史上初めてとあり、227系1000番台の導入にあたっては主要駅で大々的な広告キャンペーンが張られました。
写真は和歌山駅にて撮影
IMG_4845
また、それまで活躍してきた105系4扉車、117系といった車輌に半自動ドアが装備されていなかったため、半自動ドアの使用方法についての説明も各駅に掲示されました。
高田駅にて
IMG_5175
105系の車内にも、227系1000番台の導入を告知する広告が掲出されました。
IMG_4356
ちなみに現在、和歌山線の和歌山~五条間ではICカードの利用が不可となっていますが、2020年3月14日からは同区間においても車載端末を介してのICカードの利用が解禁されることになっており、227系1000番台のドア横にはカバーを掛けられた状態の車載端末が準備されていました。
IMG_4393
この227系1000番台の導入に伴い、和歌山線・紀勢本線(和歌山~紀伊田辺間)で運用されていた日根野電車区所属の117系、和歌山線・紀勢本線(和歌山~紀伊田辺間)・桜井線で運用されていた105系4扉車は順次置き換えられることとなり、まずは117系が2019年3月15日限りで引退、残る105系4扉車についても2019年9月29日までに順次運用から退くことになりました。
2019年3月16日ダイヤ改正から同年9月29日まで目にすることのできた、227系1000番台と105系4扉車の並び。
粉河駅にて
IMG_4404
この105系4扉車ですが、もともとは1984年の奈良線・和歌山線五条~和歌山間・紀勢本線和歌山市~和歌山間電化に合わせて、それまで首都圏の常磐緩行線で使用されていた営団地下鉄(現東京メトロ)千代田線乗り入れ用の103系0番台・1000番台(製造初年1970年)を改造のうえ105系に編入した車輌でした。
代々木上原駅停車中の103系1000番台
(1980年代に私の義父が撮影)
IMG_20191003_0002
改造当初の105系ですが、古社寺の多い沿線に因んでかクリーム色に赤帯の塗装で登場、「春日色」の電車として20数年にわたり親しまれることになりました。
もともと新車として製造され、1981年に宇部・小野田・福塩線に投入された105系0番台とは側面扉の枚数や前面形状に大きな差異がありました。
【側面扉】
105系0番台・・・片側3ヶ所、103系からの編入車・・・片側4ヶ所
【前面形状】
105系0番台・・・同時期に製造された103系1000番台(福岡市営地下鉄直通用)と共通
103系からの編入車・・・103系1000番台そのままの先頭車と、0番台に準じた形状の運転台を設置した中間車からの改造先頭車が存在。

写真は種車である103系1000番台そのままの前面形状で活躍していた編成。
2019年の引退まで、「地下鉄顔」の愛称で親しまれました。
IMG_20171002_0014
こちらは紀伊田辺駅で撮影した、中間車改造の先頭車を繋いだ編成。
2001~2004年頃は、当時まだトイレの設備がなかった105系4扉車が紀勢本線紀伊田辺~新宮間の長距離普通列車の運用で活躍していました。トイレなしオールロングシートの元地下鉄直通用電車で行く紀伊半島の鈍行旅行も、今となっては良い思い出です。
IMG_20180105_0011
103系からの改造から35年。
この間、運用線区並びに区間の変更、さらには2009~2016年にかけて実施された塗色変更(「春日色」→和歌山地区地域統一色(青緑色))など幾多の変化がありましたが、4扉の105系は通勤通学の足として、青春18きっぷ利用の鈍行旅行者の足として、幅広く活躍を続けてきました。

「地下鉄顔」のクハ105-3を先頭にしたSW013編成。
橋本駅にて
IMG_5295
105系の4扉車には、種車である103系から引き継いだ戸袋窓を存置した編成が多かったのですが、こちらのSW003編成のように延命工事で戸袋窓を塞いだ車輌も少数ながらありました。
IMG_4856
和歌山駅での紀勢本線、橋本駅での南海高野線との並びも良い絵になっていたと思います。
IMG_6506
IMG_4858
IMG_5407
IMG_5408
105系4扉車の妻面には、国鉄103系として製造された証である製造会社・製造年入りの銘板、そして103系から105系に改造された証である改造工場・改造年入りの銘板が貼り付けられており、波乱万丈の履歴を現代に語り継いでいました。
クモハ105-510(旧モハ103-1024)
IMG_4502
クハ104-508(旧モハ102-1011)
IMG_4337
ところで、和歌山線岩出駅では2020年3月竣工をめどにバリアフリー化工事を実施していますが、この告知ポスターにも105系の写真が使用されていました。
言うまでもないことですが、この工事が竣工する頃には同線から105系の姿は消えている予定です。
IMG_4370
今回の和歌山線・桜井線の車輌置き換えにより、JR西日本の和歌山エリアから105系は完全に消えたと思いきや、実はそうではありません。
紀勢本線の紀伊田辺~新宮間では、岡山電車区から転属した105系3扉車が運用されています。
こちらは製造初年1981年と、105系4扉車よりは比較的新しく、なおかつ大規模なリニューアル工事を受けているためしばらくは安泰と思われます。
また、この3扉車が検査入りしている時は、105系4扉車のうち稼動状態で残された集中冷房装置搭載編成が代走することになっており、運が良ければ和歌山県南部で名車103系1000番台の生き残り・105系4扉車を目にすることができるはずです。
IMG_2294
奈良線・和歌山線五条~和歌山間・紀勢本線和歌山市~和歌山間の電化から35年間地道に走り続け、2019年10月26日のさよなら運転を最後に和歌山線・桜井線から完全撤退した105系4扉車。
その活躍は決して派手ではありませんでしたが、デビューから10数年間首都圏の通勤路線で活躍、残りの35年間近畿地方のローカル線で地域の生活を支えた仕事ぶりは永遠に記憶されてしかるべきかと思います。長くなりましたが、105系4扉車、長きに渡る首都圏と関西での活躍お疲れ様でした。

さて、105系4扉車に続き、2020年3月14日のダイヤ改正では阪和線・紀勢本線の日根野~紀伊田辺間で余生を送る吹田総合車両所日根野支所の113系も227系1000番台に置き換えられることが決定しています。
こちらについても後日記事を起こそうと思いますので、しばしお待ちのほどよろしくお願いします。
IMG_2296

3月17日(土)のJRグループダイヤ改正で、関西地区で最大のトピックとなったのが、阪和線羽衣支線(鳳~東羽衣間)で活躍を続けていた吹田総合車両所日根野支所(旧日根野電車区)所属の103系の引退でした。
名車103系が大阪府内から完全に姿を消すということで、昨年12月にダイヤ改正のプレスリリースが出るや否や、同支線には毎日多くの鉄道ファンが乗り納め・撮り納めに訪れました。

私も、3月11日(日)に夫婦で羽衣支線を訪問。思い出の詰まった水色の103系に別れを告げました。

当日は、天下茶屋から南海本線の電車で羽衣駅に乗り付け、そこから徒歩で東羽衣駅へ。
IMG_8067
高架のホームに上がるとほぼ同時に、多くの同業者たちのカメラによる出迎えを受けながら、14時57分発の鳳行きが入線してきました。
羽衣支線で使用されていた103系3編成は、いずれも3両編成でした。
IMG_8068 - コピー
この日羽衣支線の運用に入っていたのは。HL102編成。
編成表は以下のとおりです。
鳳←クモハ103-2503+モハ102‐396+クハ103-162→東羽衣
IMG_8082
IMG_8075
あまり103系については詳しくない私ですが、先頭車が両方とも初期型の低運転台車で、さらに側面では戸袋窓こそ埋められてしまったものの、昔ながらの非ユニット式側窓を残したHL102編成の姿にいたく感銘を受けたものです。
IMG_8076
IMG_8077
IMG_8080
IMG_8083
吹田総合車両所日根野支所所属を表す、「近ヒネ」の所属区名表記。
国鉄時代の1970年代に同支所が鳳電車区日根野支所として発足して以来、長年見慣れた「ヒネ」区名表記とスカイブルーの塗装の組み合わせも、やがて過去のものになろうとしています。
IMG_8071
HL102編成の車内には、JR西日本の社員の方が撮影した阪和線運用の103系電車の写真、そして1977年以来41年に及んだ羽衣支線での103系電車の活躍をねぎらう手製のメッセージボードが掲示されていました。社員の方々の粋な計らいに、心の中がほっこりしたものです。
IMG_8084
IMG_8072
HL102編成の車内。
ついこの間まで、大阪環状線、桜島線(JRゆめ咲線)、関西本線(大和路線)、おおさか東線といった大阪府内の各線で当たり前のように味わえたこの空間も、今ではとても希少価値の高いものになってしまいました。

IMG_8087
HL102編成の側ドア。
リニューアル工事で、オリジナルのものとは大きく異なる化粧板付きの新品に置き換えられてしまったのが、少々惜しい気がします。
もっとも、この化粧板付きのドアも希少価値が高いので、それはそれで記録に値するようにも思いました。
IMG_8073
製造時から空調完備の鉄道車輌が当たり前になった今となっては、若干物珍しい印象も受けるJR西日本のロゴ入り扇風機。
IMG_8086
編成中唯一の中間車・モハ102-396の製造銘板。
「神戸 川崎重工 昭和45年」の文字があり、今年で製造から48年になるとのこと。
よくぞここまで生き存えたと、拍手で讃えたい気持ちです。
IMG_8088
車内掲示の車番プレートは、何らかの事情があったのかとは思いますが、ステッカータイプに置き換えられていました。
IMG_8089
IMG_8090
IMG_8091
約3分の乗車時間で、鳳駅の羽衣支線専用ホーム(5番ホーム)に到着。
ここでも多くの同業者さんらとともに、最後の最後まで写真撮影を楽しみました。

IMG_8095
5番ホームでは、3月17日(土)のダイヤ改正で羽衣支線の使用車両が片側4ドアの103系3両編成から片側3ドアの223・225系4両編成に置き換えられるのに合わせ、乗車位置表記の修正作業が行われている様子でした。
目張りで隠されているのが、223・225系用の乗車位置表示とみられます。
IMG_8099
その夜、南海高師浜線を乗り潰すべく、再び東羽衣に戻る際にもHL102編成のお世話になりました。
黒い夜空に、103系のスカイブルー塗装がよく映えています。
IMG_8105
IMG_8103
羽衣支線で103系の運用が始まったのは1977年3月27日、それまで活躍していた旧型国電を置き換えてのことでした。
写真は1999年1月2日 鳳駅5番線ホームにて
3両編成の103系はその後約19年間、細部のリニューアルこそ行われたものの、ほぼ変わらない姿で羽衣支線での運用を続けました。
IMG_20171002_0015
なお、1987年7月1日から1995年までは、クモニ143形荷物電車を改造した123系が羽衣支線で運用されていました。混雑時には、103系との併結運用も見られました。
阪和線での運用終了後、この123系は中国地方に活躍の場を移すことになります。
写真は岡山電車区所属時代の2000年4月23日、茶屋町駅にて撮影
当時は宇野線の茶屋町~宇野間を中心に運用されていました。
IMG_20171202_0002
2002年からは下関地域鉄道部(現下関総合車両所)に転属、宇部・小野田線で使用されています。
2017年3月4日 宇部新川にて
IMG_2577
そして、2018年3月17日ダイヤ改正から、羽衣支線の車輌は阪和線の本線で使用されている223・225系の4両編成に統一されることになりました。
初日となる17日は最新鋭の225系5100番台が運用されたところですが、今後どのようなバリエーションの車輌が同支線に入線するかが注目されます。
写真は関空・紀州路快速として運用中の225系5000番台。
IMG_0352
今回、羽衣支線から103系が撤退したことに伴い、大阪府内のJR線からは同系列で運用される列車が消滅しました。
1968年以来50年に及んだ阪和線における103系の活躍が幕を閉じたのは、鉄道ファンとして寂しい限りですが、京阪神都市圏では奈良線、山陽本線和田岬支線、加古川線、播但線で引き続き103系が活躍します。これら各線の103系が1日でも長く元気な姿を見せ続ける事を願って、今夜は締めくくらせていただきます。

去る10月3日(火)を以て、大阪環状線と桜島線から103系電車(吹田総合車両所森ノ宮支所所属)が引退しました。
1969年以来48年の長きにわたり、大阪の街をぐるぐる回り続けたオレンジ色の103系電車の引退に、鉄道ファンもマスコミも大いに沸いたのは記憶に新しいところと思います。

管理人自身は、このところ大阪環状線を利用する機会がほとんどなく、また2016年12月24日に後継となる323系電車が登場して以降、大阪環状線・桜島線において103系電車の運用が急激に減っていたこともあり、103系電車のお名残乗車、撮影を楽しむ機会はほとんどありませんでした。
さらに、そもそも323系電車が登場する以前の大阪環状線・桜島線において、103系電車は「いつでも乗れるし、いつでも撮れる車輌」だったわけで、若き日の私はこれを良いことに、不覚にも大阪環状線・桜島線の103系電車をほとんど撮影していませんでした。後悔先に立たずとはよく言いますが、まさにそのとおりでした。

そんなわけで、公開できる写真はあまりないですが、今日は大阪環状線・桜島線ほか関西圏の103系の懐かしい写真のなかから選りすぐりの作品を一挙公開させていただきます。

【1998年10月の大阪環状線103系】
世間が横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)の38年ぶり日本一に沸いていたころ、大阪環状線・桜島線の普通電車は、快速電車用の221系電車・223系0番台による間合い運用を除き、全て103系電車で運行されていました。
写真はクハ103-533を先頭とする原型に近い状態の8両編成。
当時、大阪環状線の103系電車のなかには、製造後40年以上使用するための大規模リニューアル工事(通称N40改造)が施された編成が登場してはいましたが、このクハ103‐533号車のような原型に近い形態の車輌もまだまだ多数健在でした。
IMG_20171002_0006
【関西本線(大和路線)で区間快速の運用に就くオレンジ色の103系】
吹田総合車両所森ノ宮支所(2012年まで森ノ宮電車区)所属のオレンジ色の103系ですが、朝夕ラッシュ時を中心に関西本線(大和路線)JR難波~加茂間でも大阪環状線直通の快速電車、線内で完結する快速・普通電車に用いられることが多々ありました。
写真は2007年7月、久宝寺駅で撮影したクハ103-844ほか8両編成による、関西本線の区間快速JR難波行き。
IMG_0223
【USJ関連の特別塗装編成もありました】
2001年3月31日、桜島線沿線にユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)が開園。
それまで都会の中のローカル線というポジションだった桜島線は、一大テーマパークへのアクセス路線として一躍注目される存在となりました。
USJの開園に合わせ、JR西日本では桜島線に「JRゆめ咲線」という愛称を付与するとともに、アクセス駅として安治川口~桜島間にユニバーサルシティ駅を新設しましたが、さらにテーマパーク気分を盛り上げるべく、桜島線用の103系電車の6両編成×4本にUSJに因んだラッピングを施しました。
写真はクハ103-840ほか6両編成の「ウッディー・ウッドペッカー」号。
2012年春までに惜しまれつつ姿を消しましたが、大阪環状線・桜島線では現在も201系電車のUSJラッピング編成が運行されています。
IMG_6606
【有終の美を飾ったラッピング編成「OSAKA POWER LOOP」号】
長らくオレンジ色の103系電車と201系電車の牙城だった大阪環状線ですが、JR西日本は2013年3月13日に中期経営計画のなかで「大阪環状線改造プロジェクト」を発表、同線のハード・ソフト両面でのイメージアップが図られることになりました。
このプロジェクトの一環として、大阪環状線には久々の新車となる323系電車が投入され、103系電車と201系電車を全車置き換えることになりました。
しかし、323系電車の導入は2016年度からということで、それまでの間は103系電車・201系電車にももうしばらくご奉公していただかないといけない状況でした。
323系電車が完成するまでの繋ぎというわけではないのでしょうが、2014年6月1日、「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として103系電車のLA3編成(8両編成)によるラッピング電車「OSAKA POWER LOOP」号が登場。沿線の風景や名所、祭事をイメージしたイラストを纏って活躍を開始しました。
この「OSAKA POWER LOOP」号は、その後大阪環状線・桜島線から103系電車が完全撤退する直前の2017年9月7日まで定期運用され、鉄道ファンを喜ばせました。
IMG_2431
IMG_2432
【オレンジ色の103系との最後の別れ】
私がオレンジ色の103系電車を最後に目にしたのは、7月20日(木)のこと。
夫婦でクラシックのコンサートを鑑賞する際に降り立った大阪城公園駅で、最後までオレンジ色の塗装で残った103系LA4編成(8両編成)を目撃しました。
この段階では、運用に入らず住処の吹田総合車両所森ノ宮支所で休んでいる日も多かったLA4編成ですが、最後に一目見られただけでも嬉しかったものです。
IMG_20171102_210558
【福知山線近代化の立役者、カナリア色の103系】
近年の大阪環状線で活躍していた103系電車の中には、国鉄末期の1981年4月1日の福知山線塚口~宝塚間電化開業に伴い、宮原電車区(現網干総合車両所宮原支所)に新製配置されたグループがいました。
103系のなかでも後期車に属するこのグループは、関西地区の国鉄線では初めてとなるカナリア色の塗装でデビュー。東海道本線・福知山線の大阪~宝塚間の普通電車として運用されました。
その後、電化区間の延長や東海道本線(JR神戸・京都線、京阪神緩行線)への直通区間の拡大に伴い、運用範囲は東海道本線・福知山線(JR宝塚線)の京都~尼崎~新三田間に伸びました。
ただ、1997年3月8日のJR東西線開業を境に、それまで大阪~新三田間の折り返し列車を中心に運用されていたカナリア色の103系は、東海道本線普通電車の運用中心にシフトすることになりました。
これに伴い、カナリア色の103系は誤乗防止のため、順次東海道本線の201系に準じたスカイブルーに塗り替えられ、2003年に福知山線・東海道本線の運用から撤退するまでこのまま運用されました。
写真は1996年4月に塚口駅で撮影した、カナリア色103系による普通新三田行き。
IMG_20171003_0001 - コピー
【盲腸線も103系】
阪和線羽衣支線(羽衣線、鳳~東羽衣間)、山陽本線和田岬支線(和田岬線、兵庫~和田岬間)といった一駅だけの電化支線でも、103系電車が活躍していました。
1999年1月、鳳駅で発車を待つ羽衣支線の東羽衣行き。
当時は日根野電車区の原型に近い103系(3両編成)が運用されていた羽衣支線ですが、同線にもそのうち223系や225系が投入され、103系を淘汰するとの噂があります。
IMG_20171002_0015
和田岬線でも、2001年7月1日の電化以来網干総合車両所明石支所所属の原型に近い103系(6両編成)が運用されています。
こちらは近々、日根野電車区から転属したN40改造施工済みの103系に置き換えられることになっています。
IMG_3392
以上、関西圏の103系電車の懐かしい写真をいくつか公開させていただきました。
大阪環状線・桜島線からの撤退後も、奈良線、関西本線、和歌山線、桜井線、阪和線羽衣支線、山陽本線和田岬支線、加古川線、播但線で現役を続ける予定の103系電車ですが、今後もまだまだ引き続き無事故で頑張ってくれることを願って、今夜は締めくくらせていただきます。

今日は、昨年の振り返り企画の続編ということで、2016年5月3日に開館直後の京都鉄道博物館(京都市下京区)を訪問してきた時の写真をいくつか公開させていただきます。

京都鉄道博物館は、2016年4月29日にもとの梅小路蒸気機関車館(1972年10月10日開館、2015年8月30日閉館)に新築の展示棟を組み合わせる形で開館しました。
そのため、梅小路蒸気機関車館の顔だった旧山陰本線二条駅舎(移築)や扇形機関庫も、引き続きミュージアムショップ並びに展示棟として供用されます。
IMG_2499
IMG_2501
蒸気機関車の動態保存をはじめとする、古今東西の実物車輌の展示保存で人気を集めている同館ですが、車輌以外の実物資料も充実しています。
こちらは、関西本線のトンネルから切り出した明治時代の私鉄・関西鉄道の社紋。
現在の関西本線や草津線などの母体となった鉄道会社で、大阪、京都、滋賀、奈良、和歌山、三重、愛知の2府4県にまたがる広大な路線網を有していました。
IMG_2502
ここからは、京都鉄道博物館として増築された展示棟の保存車輌の写真を中心にお伝えします。
プロムナードで出迎えてくれた、C62形蒸気機関車C62-26号機(1948年川崎車輛製)
東海道本線、山陽本線、東北本線、常磐線などで特急列車を牽引した大型の蒸気機関車で、引退後は大阪環状線弁天町駅(大阪市港区)最寄りの交通科学博物館(旧交通科学館、1962年1月21日開館、2014年4月6日閉館)で大切に保存されていました。
この京都鉄道博物館は、先述の梅小路蒸気機関車館に、閉館となった交通科学博物館の後継施設を併設したという位置付けになっており、保存車輌のうちC62-26号機や奥に映っている80系電車など計16両は交通科学博物館から陸路で移送されています。
IMG_2508
そして、今回見たかった車輌の一つがこちら。
0系新幹線電車のトップナンバーである22-1号車、35-1号車、16-1号車、21-1号車(いずれも1964年日本車輌製造製)、計4両です。
もともと交通科学博物館で屋内保存されていたこの4両ですが、京都鉄道博物館では同じ屋根付きでも太陽の光が届く場所に保存され、移設に当たって丁寧にお化粧直しもされ晴れやかな表情でした。
IMG_2510
車内には、デビュー当時の転換クロスシートも残されています。
つい20年ほど前まで、0系新幹線電車の座席と言えば転換クロスシートが当たり前でした。
IMG_2513
もう1つじっくり鑑賞したかった車輌が、こちら。
103系通勤型電車の量産型トップナンバー車である、クハ103-1号車(1964年日本車輌製造製)。
山手線、大阪環状線、阪和線と渡り歩き、2011年まで現役で運用された後、吹田総合車両所での保管を経て京都鉄道博物館の開館とともに展示公開が始まりました。
塗装は引退時のスカイブルー(阪和線色)から大阪環状線時代のオレンジ色に戻されており、またJRマークも消されましたが、車体の形状はJR西日本承継後に延命工事を受けた後のままとなっており、保存車輌の展示公開に当たっての復元や時代考証の難しさを感じさせられたものです。
なお、京都鉄道博物館の保存車輌については、美しさを保った状態で保存するため、その大半が車内立ち入り禁止となっていますが、このクハ103-1号車や0系新幹線電車の22-1号車など一部の車輌については車内が公開されています。
IMG_2543
妻面に取り付けられた、「日本国有鉄道」と「東京 日本車輌 昭和39年」の銘板。
復元展示には難しさが伴うわけですが、自分が慣れ親しんだ車輌がいざ保存されるとなるとやはり嬉しいものです。
IMG_2528
ここからは、トワイライトプラザの保存車輌の解説に移ります。
左がEF58形直流電気機関車EF58-150号機(1958年東京芝浦電気(東芝)製)
右がEF81形交直流電気機関車EF81-103号機(1974年日立製作所製)
前者は最晩年はお召し列車牽引用の茶色塗装で運用され、イベント列車の牽引で活躍していましたが2009年に引退。青色ベースの一般色に戻されました。
後者は現役末期同様、寝台特急「トワイライトエクスプレス」の専用塗装で保存されています。
なお、同館には「トワイライトエクスプレス」の客車も2両保存されています。
IMG_2544
こちらは「トワイライトエクスプレス」の食堂車である、スシ24形スシ24-1号車(1972年近畿車輌製)。
このほか、個室A寝台車であるスロネフ25形スロネフ25-501号車(1975年富士重工業製)も保存されています。
IMG_2576
そして、ここからは本館の保存車輌のなかからいくつかご紹介させていただきます。
489系特急形電車クハ489-1号車(1971年東急車輛製造製)
北陸本線の特急「白山」、「雷鳥」などで活躍した車輌で、2016年5月時点では特急「雷鳥」号の運転開始当初に使用されていた文字のみのヘッドマークを装備しており、側面の表示幕も特急「雷鳥」号のものとなっていました。
今後、展示替え等に合わせて、どのような列車のヘッドマークが掲出されるか気になるところです。
IMG_2547
一番左は500系新幹線電車521-1号車(1996年川崎重工業製)、その右は583系特急型電車クハネ581-35号車(1968年日立製作所製)。
前者は東海道・山陽新幹線の「のぞみ」号で、後者は東海道・北陸・信越本線の急行「きたぐに」号でお世話になった車輌ですが、開館直後で人が多かったことなどからじっくり撮影することができませんでした。
IMG_2549
EF52形電気機関車EF52-1号機(1928年日立製作所製)
首都圏の東海道本線向けに製造され、戦後は阪和線で活躍した電気機関車です。こちらももともとは、交通科学博物館に展示されていました。
IMG_2555
本館には実物車輌の他、交通科学博物館から移管されたとみられる明治時代の駅員の制服、開業当時の新橋停車場と1号蒸気機関車の模型、古文書や古写真など貴重な資料が数多く保存されていました。
交通科学博物館からの移管品といえば、2階では阪急2000系、南海20001系「こうや」号など、昭和30年代を代表する関西私鉄の名車の模型が公開されているようです。
京都鉄道博物館の計画が発表された当初、一部メディアでは、「JR西日本のみならず競合相手の関西私鉄各社に関する展示も充実させる」という旨が報じられていたわけで、日ごろ阪急電鉄や阪神電気鉄道など私鉄を愛でている鉄道ファンとしては、今後何らかの機会にすでに引退した古典車輌だけではなく、現在活躍中の車輌の模型も展示するなど、関西私鉄関係の展示も充実してくれればと思うばかりです。
IMG_2552
IMG_2553
時代がぐっと下がり、1956年11月19日の東海道本線全線電化完成当時の特急「つばめ」のヘッドマークと、特急形電車に取り付けられていた「JNR(日本国有鉄道)」マーク。1957年から順次製造された101系(旧モハ90系)通勤型電車の模型。
IMG_2557
IMG_2558
貨物列車用の車輌も保存されています。
ヨ5000形車掌車5008号車(1959年川崎車輌製)
宇都宮貨物ターミナルから移設された車輌で、1959~1969年の間東京・汐留~大阪・梅田間で運転されていたコンテナ特急「たから」号の塗装に戻されて展示されています。
「たから」号として運用されるヨ5000形の白黒写真は、子どもの頃から何度か目にする機会がありましたが、実物を目にするのは今日が初めてということで感激することしきりでした。
ちなみに、ヨ5000形をはじめとする車掌車の中には、廃車後北海道などの無人駅の駅舎として転用されたものも少なくありません。
IMG_2562
100系新幹線電車122-5003号車(1989年日立製作所製)
言わずと知れた、2階建て新幹線100系の先頭車両で、東海道・山陽新幹線の「グランドひかり」や山陽新幹線の「こだま」号として活躍。2012年の引退後博多総合車両所での保管を経て、京都鉄道博物館に移ってきました。
IMG_2560
そして、注目の車輌はまだまだあります。
EF66形直流電気機関車のEF66-35号機(1974年川崎重工業・東洋電機製造製)とDD51形ディーゼル機関車756号機(1972年日立製作所製)
ブルートレインの牽引用としてもお馴染みだったこの2両の機関車は、一段高い位置に固定されており、1階レベルから床下の構造を覗けるため人気を集めていました。
IMG_2565
IMG_2568
こちらも一見実物に見えますが、実物の鉄道車輌に似せて作られたモックアップです。
東海道本線の特急「こだま」号などで活躍した151系特急電車の先頭車・クハ151形先頭部のモックアップで、交通科学博物館から移設されました。
IMG_2567
現役の車輌のモックアップも。
北陸新幹線W7系電車のグランクラス。
いつかはこのグランクラスで、北陸周りで首都圏に出かけてみたいものです。
IMG_2572
既存の梅小路蒸気機関車館部分には、引き続き20両の蒸気機関車が保存されており、一部は動態保存されています。
左から順番に、D51形蒸気機関車D51-1号機(1936年川崎車輛製)、C55形蒸気機関車C55-1号機(1935年川崎車輛製)、C58形蒸気機関車C58-1号機(1938年汽車製造(現川崎重工業)製)。
C58-1号機には、晩年のお召し列車牽引時の装飾が復元されています。
IMG_2577
C62形蒸気機関車C62-1号機(1948年日立製作所製)とB20形蒸気機関車B20-10号機(1947年立山重工業製)。
日本を代表する蒸気機関車の一つであるC62形は、この京都鉄道博物館では計3両が保存されています。
このうち、C62-2号機については自走可能な状態で保存されています。
IMG_2578
左から順番に、C11形蒸気機関車C11-64号機(1935年川崎車輌製)、9600形蒸気機関車9633号機(1914年川崎造船所製)、1070形蒸気機関車1080号機(1902年イギリス・ダブス社製)。
大井川鉄道などでの保存運転でお馴染みのC11形のほか、明治、大正期の古典派蒸気機関車も保存されています。

IMG_2583
そしてこちらが、動態保存されているC62形蒸気機関車C62-2号機(1948年日立製作所製)。
「オハテ321-1」、「オハテフ310-1」なる2両の専用客車を従え、「SLスチーム号」として構内の展示運転線(往復1Km)で運転されています。
IMG_2580
ちなみに私のお気に入りの蒸気機関車は、このD51-1号機です。
幼い頃、亡くなった祖父に連れられて前身の梅小路蒸気機関車館を訪れた際、ダイキャスト製のD51形蒸気機関車の模型を買ってもらったことが今でも忘れられません。

IMG_2586
旧梅小路蒸気機関車館には、蒸気機関車以外の車輌も僅かですが保存されていました。
そのうちの1両が、50系客車のオハフ50-68号車。
京都鉄道博物館としての新装オープンに合わせたのかどうかは分かりませんが、綺麗にお化粧直しされたうえで引き続き休憩室として使用されています。
IMG_2591
ところで、京都鉄道博物館のある梅小路公園には、知る人ぞ知るもう1つの鉄道保存施設があります。
2014年にオープンした、「市電ひろば」。
1978年に惜しまれつつ廃止された京都市電の車輌4両(500形505号車、700形703号車、800形890号車、1600形1650号車)を展示し、カフェや売店、休憩所として再利用しています。
また、このほか公園内には2両の京都市電(900形935号車、2000形2001号車)が保存され、案内所などとして使用されているほか、リチウムイオン電池動力に改造された狭軌1形27号車が動態保存されており、路面電車好きにはたまらない空間になっています。
IMG_2498
IMG_2497
梅小路公園には、このほか京都水族館もあり、乗り物好きにとっても、生き物好きにとっても、とても1日では回りきれないぐらいの魅惑の空間が広がっています。
昨年5月の訪問時には時間の関係で観足りなかった部分も多かったのですが、今後また時間のある時に京都鉄道博物館、市電ひろば、京都水族館をじっくり見学したいところです。

IMG_0109
IMG_0104
大阪市内の中心部を、大阪~西九条~新今宮~天王寺~京橋~大阪のルート(全長21.7Km)で一周する大阪環状線は、大阪市内の重要な交通機関として、そして京都市内や大阪市内と関西国際空港、和歌山県、大阪市内と奈良県を結ぶ大幹線の一部として親しまれています。
同線の列車のうち、同線内で完結する普通電車と桜島線(JRゆめ咲線)(西九条~桜島間4.1Km)への直通電車は、原則として国鉄時代に製造された103系電車、201系電車で運用されていますが、このたび12月24日(土)より新型車輌・323系電車が戦列に加わりました。

大阪環状線と桜島線の普通電車に新形式の車輌が投入されるのは、他線に直通する快速電車用の221系・223系電車の臨時運用、間合い運用を除けば、2005年12月15日に投入が始まった201系電車以来11年ぶり、純粋な新車としては1969年より投入された103系電車以来実に47年(注)ぶりのこととあり、当日はクリスマスイブにもかかわらず、多くの鉄道ファンが沿線に集結しました。

記念すべき初列車は京橋16時09分発の内回り線の普通1473列車となり、その後深夜まで内回り線で10周少々運用されたわけですが、私も上手いことスケジュールの調整を付けて、営業運転開始初日に323系電車に乗車することができましたので、その際に撮影した写真をお届けさせていただきます。

大阪駅ノースゲートビルディングの2階に飾られた、323系のデビューをPRする巨大オブジェ。
323系電車をイメージしてデザインされたスニーカーと、「323」と記されたキロポストがご愛嬌です。
IMG_0017
JR西日本とYourReebokのコラボで生み出された323系電車をモチーフにしたスニーカーは、見るからにカッコいいわけですが、何とこのスニーカー、323系電車のデビューを記念して実施されるキャンペーンに応募された方のなかから、抽選で「323」人にプレゼントされるとのこと。応募期間は12月23日(金・祝)~2017年1月4日(水)までだそうですが、かなりの競争率になるのは必至だと思います。
【参考サイト】JR西日本のニュースリリース(2016年12月16日付)
IMG_0018
私たちは、323系電車にとって初日3周目の運用となる大阪17時46分発の内回り線普通1497列車に狙いを定め、大阪駅の1番ホームに上がりました。
案の定、初列車となる1473列車と2周目の1485列車に多くのお客さんが殺到したようで、1497列車は7分遅れで運転されていました。
ちなみに、大阪環状線ではこれまで片側3扉の221系電車、223系電車と、片側4扉の103系電車、201系電車が運用されており、前者の乗車位置は「△」印で、後者の乗車位置は「○」印で案内されてきました。この日から新たに仲間に加わった323系電車も片側3扉なので、当然乗車位置も「△」印で案内されます。
これまでの大阪環状線では、221系電車・223系電車の数少ない間合い運用、臨時運用を除き、片側3扉の電車が線内完結の普通電車の運用に入ることはなかなかなかったわけで、「普通 環状」なのに乗車位置が「△」印というのに若干の違和感を覚えたものです。もっとも、今後323系の運用が増えれば、じきにそうした違和感は無くなるようにも思います。
IMG_0028
17時53分、定刻より8分遅れて、323系LS01編成の普通1497列車が大阪駅1番ホームに入線しました。
1961年の全通から今年で55年。大阪環状線の新たな時代の幕開けです。
IMG_0035
ちなみに、この時大阪駅1番ホームの福島寄り先端には、見物客による雑踏事故を防ぐためロープが張られていました。
IMG_0027
私たちが乗車したのは、3号車(モハ322-4)でした。
ちなみに、4号車(モハ322-3)は女性専用車で、戸袋部分とドア上の幕板にピンク色のラッピングが施されていました。女性専用車に区別のため派手なラッピングを施すというのは、同じく大阪市内を代表する鉄道路線である大阪市営地下鉄御堂筋線に倣ったのかもしれません。
【参考】323系電車の編成表(関西編成表wiki様)
所属車輌基地は、全て吹田総合車両所森ノ宮支所(旧森ノ宮電車区)、製造メーカーは近畿車輛㈱(注2)となっています。
IMG_0039
この日はクリスマスイブということで、側面の種別・行先表示器にはフルカラーLEDでクリスマスツリーのイラストと路線記号の「O」が交互に表示されていました。
去る9月、プロ野球セ・リーグの広島東洋カープが25年ぶりのリーグ優勝を果たした直後しばらくの間、広島地区の227系電車の側面種別・行先表示器に同チームのマスコット「カープ坊や」のイラストが表示された時も思いましたが、近年のフルカラーLEDの進歩は目覚ましいものがあります。今後は323系電車の側面種別・行先表示器にも、トラッキーやバファローブル、バファローベルが表示される日が来るのでしょうか。
※写真は天王寺駅で撮影
IMG_0062
モハ322-4の車内。
吊り手は先行して登場した225系、227系、207系更新車、221系更新車と同様、黄色のものが設置されていました。
IMG_0041
ドア上にはLCD式の液晶モニターが、各2基ずつ設置されていました。
向かって左側のモニターには路線図と次の停車駅に関する案内、右側のモニターには広告が表示されています。
なお、車内放送は同線を走っている関空快速・紀州路快速(223系・225系)と同様、日本語・英語の自動放送となっていました。
IMG_0042
車内は323系電車のPR広告で埋め尽くされていました。
通天閣、大阪ステーションシティ、大阪城、あべのハルカスといった大阪の名所の中を、スニーカーに擬せられた323系が歩むイラストは、新海誠さんの映像作品を想起させる写実的かつ明るいものでした。
IMG_0045
モハ322-4の車番プレート。
IMG_0067
323系の目玉の一つが、関西の通勤電車としては史上初(注3)となる車内Wi-fiの設備です。
あくまで訪日外国人向けのサービスとなっているようですが、ログインページにアクセスし、メールアドレスを登録すれば理論上は居住地や国籍に関係なく利用することが可能な様子です。
車内Wi-fiの設備は、近年日本でも主に首都圏の空港アクセス鉄道や特急列車、東海道新幹線(N700系)に順次導入されているわけですが、今回の323系での採用を機に他の路線や列車にも順次波及し、ひいては訪日外国人のみならず日本在住者にも気軽に使えるツールになればと思うばかりです。
IMG_0071
天王寺で普通1497列車を一旦下車した私たちは、夕食の後、19時39分発の普通1533列車に乗車。
京橋経由大阪までですが、本日2度目となる323系電車を楽しむことになりました。
なお、途中どこかで時間調整を行ったのか、普通1533列車は定刻通りに天王寺駅を発車することができました。
写真は323系電車のロングシート。
321系電車や207系電車といった先輩の通勤型電車と同様、緑色のモケットが採用されています。
IMG_0048
そして、座席の裾とドア横には、頑丈そうな黄色の掴み棒が取り付けられていました。
この掴み棒は227系や207系更新車でも採用実績のあるもので、忘れてはならない2005年4月25日の福知山線脱線衝突事故を教訓に、万が一の事態でも乗客の衝撃を和らげるために設置されたものです。
あのような悲惨な事故が今後二度と繰り返されないこと、そして今後の鉄道がより安全かつ快適な存在になることを改めて願うばかりです。
IMG_0070
車内妻面の貫通路上にも、ドア上と同様2面のLCD式液晶モニターが設置されており、左側で路線図と次駅に関する情報、右側で広告を放映していました。
なお、左側のモニターは日本語(漢字、ひらがな)、英語、中国語、韓国語の4ヶ国語表記でした。
IMG_0064
IMG_0066
IMG_0072
IMG_0068
IMG_0063
この日は混雑が激しく、また大荷物を抱えてもいたので先頭車輌や編成写真の撮影は断念。
本日26日(月)に改めて出直しました。
大阪駅2番ホームに停車中の323系LS03編成による外回り線普通電車。
IMG_0105
側面と前面に入った大阪環状線のロゴマークと、側面に入った「OSAKA LOOP LINE」のロゴタイプ、ラインカラーであるオレンジ色の帯、大型化されたピクトグラムからは、次世代の大阪環状線の主力車両、そして大阪の顔としての意気込みが伝わってくるかのようでした。

IMG_0106
今回、大阪環状線約半世紀ぶりの純新車、それも専用車輌としてデビューした323系は、2013年3月13日にJR西日本の中期経営計画のなかで発表された「大阪環状線改造プロジェクト」の一環で生まれました。
大阪環状線を「行ってみたい」、「乗ってみたい」線区に改良、ハード・ソフト両面でイメージアップを図り、利用者の増加、ひいては大阪の活性化に繋げようというこのプロジェクトでは、これまでにご当地発車メロディの導入、駅の改装と商業施設の開設、103系ラッピング電車「OSAKA POWER LOOP」の運転などが実施されましたが、これら一連の施策の総仕上げとして、2016~18年度にかけて同線と桜島線の普通電車(他線直通の快速電車とその間合い運用の電車除く)が全て323系に置き換えられることになった次第です。
なお、駅の改良から商業施設の新設、地域との連係、新型車輌の開発までがトータルプランニングされ、323系の開発に結実したというプロセスが評価され、「323系と大阪環状線改造プロジェクト」は2016年度グッドデザイン賞を受賞しています。

今後、323系の増備に伴い、1969年以来大阪環状線・桜島線の顔として活躍してきた103系電車と、1983年に東海道・山陽本線に登場、2005年より大阪環状線・桜島線に転属した201系電車は順次置き換えられ、廃車もしくは他線に転属という形になります。首都圏の中央線、青梅線、五日市線、富士急行線からは2010年までに姿を消し、関西に残るのみとなっていたオレンジ色一色の通勤電車も、あと2年程度の内に姿を消すことが確実になったわけで、早めの記録、乗車をお勧めしたいところです。
IMG_0223
IMG_0646
また、現在201系LB6編成、LB15編成に施されているユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)のラッピングも、現段階では詳細は発表されていませんが、201系の廃車もしくは転属以降は323系の一部編成に引き継がれる可能性があるのではと推測されます。
IMG_0022
大阪を代表する都市鉄道でありながら、長年に渡り他線の中古車両が主力になっていた大阪環状線にとって、約半世紀ぶりの新車、そして史上初の専属車輌となる323系電車の登場は願ってもいない朗報でした。
103系・201系といった国鉄時代の名車が姿を消すことは惜しまれますし、ドア数が103系・201系の片側4ヶ所から3ヶ所に減り、混雑時に対応できるのか気になる面もありますが、323系電車が大阪に住む人々、および他地方や他国から来られる人々に末永く愛される存在になることを願って、締めくくらせていただきます。
来年は、323系電車で京セラドーム大阪に通う機会が増えますように!

(注)一部報道では、103系の増備車が投入された1971年以来45年ぶりとするものもあります。
(注2)2017年度からは川崎重工業㈱製の編成も登場予定。
(注3)快速用車輌も含めると、2016年登場の関空快速、紀州路快速用の225系5100番台も車内Wi-fiを装備しています。

↑このページのトップヘ