私の鬱病 闘病記 と 息子の不登校

鬱病になってはや10年目。病院に通うも回復の兆しが見えない毎日。ところがそんな苦闘の日々に小学生の息子の不登校が起こり家族は苦境に陥る。そんな中社会復帰に向けて鬱病と闘う毎日の闘病や心の模様を綴る日記

私と息子の苦しい日々 ‐1‐

かなり長く書けないでいた。鬱がひどかったからもあるし起きているだけでやっとだった。毎日ぐったりしているうちにどんどん月日は過ぎていく。息子は相変わらず不登校のままである。ところが先月の中頃から週に三日位は適応指導教室に通えるようになってきた。

喜ばしいことだが電車に乗って往復一時間の距離を連れて行かねばならないのでかなりきつい。朝起きられないことが多かったのだがこのおかげで這うように起きなければならなくなった。まあ規則正しい生活をするには重要だと思うがかなりしんどい。夕方また迎えに行くまで横になってウトウトしているしかない。

それでも息子が社会との接点を持ち続けてくれることは重要だから頑張らねばならない。いつもの同年代の男女5人くらいと勉強したり遊んだりして一日を過ごしているようだ。友達も出来て交友関係も広がり精神的にも安定するかなと思っている。

先月末運動会が土曜日に有り息子はかなり不安定になっていた。妻が見に連れて行ったり参加を促したりしたようだがかなりきつかったようだ。それから先日は学校公開日になんとこの学校に転校してきて八ヶ月目にして初めて授業に参加できた。びっくりだった。それでもかなり体力的にきつかったとは言っていた。頑張れる力はあるのだがまだうまく活かせてない感じはする。

私の鬱もなかなか根が深い。あと4ヶ月で再発から10年目である。失ったものはあまりに大きすぎて呆然とする。精神的にも経済的にも窮していると言っていだろう。四月から鬱で障害者年金を受給出来ることになりしばし日常のお金には困らないがこれもすぐに給付が終わる。今のままでは働けない。また息子が不登校の今のままでは一人にもできない。問題は山積みである。

息子も小学六年生である。小学三年生から不登校にないもう4年間もまともに学校に行っていない。このままでは中学に進学しても状況は変わらない危険性がある。そうなると小学校の勉強は自宅学習でもなんとか毎日ちょこちょことやるだけでもなんとか間に合ったが内容が高度化するため一人で自学自習するのでは到底追いつかない。また思春期の多感な時期により多くの同世代の子供たちに触れて人間関係構築の基礎を築いてもらいたいと切に望む。自分がその頃の経験で多くを学んだので息子にもその時期にしかできない経験をしてもらいたいと切望するのだ思うに任せない。

私の欝病だが今の街に引っ越してきて新しい医師に受診してから半年鬱病ではな双極性障害と診断が変わった。薬の処方もどんどん変えられ今まで症状が悪化するたびに増えてきた薬だがどんどん減薬してきて相当の量の薬が無駄だったことがわかった。今まで山のように飲んできたのは何だったのと虚しく感じざるを得ない。払ってきた医療費も馬鹿にならない。体にだっていい影響ばかりではなかったはずだ。診察する医師によってこうも対処が変わると何を信じて良いのか分からなくなる。

息子の移動教室(修学旅行のこと)が今週末二泊三日で行われる。行ければいいのだが去年五年生の時にも移動教室があった。軽井沢だった。朝学校まで家族全員で出かけて行けるかどうか試みたが門の陰に隠れてうずくまっていた息子がいた。これはどうにもならないと思ったがバスが門を出るときに最後に精一杯の勇気をもって大型バスに飛び乗った。我慢できなくなったら親が迎えに行くと言う条件があったので思い切れたのかもしれない。

それで参加している間何の連絡もなかったので楽しくやっているのかなと思っていた。ところが今年の四月に、息子と二人で話していたらその時初日の晩に耐えられなくなって帰りたいと先生に行ったらしい。ところが一人で勝手なこと言うなと言って怒られたらしい。それで泣く泣く我慢して参加し続けたから全く楽しくなかったと言い出したので驚いた。妻にもその話をしたら五年生の時の担任の先生に良い感情を持っていなかったようでそういうことも有り得るという感じだった。

転校すると決まりお別れをするとなり息子を送る会をしてくれることになったのだが息子は相変わらず廊下の隅にうずくまり本人不在のままお別れ会は形式的に進み皆のレクレーションタイムが続き担任と副校長から最後にけじめの意味で親に挨拶して欲しいと言われたそうだ。本人不在で本人の存在や意図は全く無視されて形だけの状況が進んでいてとても虚しく怒りも不信感も募ったようだ。そのこともあるので今年の移動教室も無理に行けとはいえないなと感じている。体力的にも精神的にも連日の課外授業には耐えられないだろう。

そのあたりの事は幼い頃からの掛かり付けの精神科医から紹介された児童専門の病院に五月から通っているのだが入院も視野に入れていたが適応指導教室に通えるならまずはその状態を優勢して無理しないペースで維持して行きましょうということで入院は最終手段ということになっている。閉鎖病棟に精神的に問題を抱えている思春期の子供たちに隔離状態置かれて過ごすのはあまりに可哀想である。何とか適応指導教室に通える内はペースをつかみながら進めて一日でも学校に行ける日を目指したい。苦しい日々が続くが希望を失わず前向きな姿勢を崩さずに行きたい。

私と息子の入院 ‐1‐ 

妻が息子の精神科への入院を検討している。小さい頃からの掛かり付けの心療内科の医師から勧められて考えるようになったようだ。私はそもそも反対であるのであるが妻の強い意志に引きづられて今日の日を迎えてしまった。今日は入院も前提にしての診察に高尾の山奥の病院に家族で出かけた。

山奥でかなり静かな環境であるがここに息子を一人でおいておくのは憚られる。診察になり先ず息子だけが20分ほど話を次に我々夫婦が交代で入った。息子は適応指導教室に通って楽しかったらしいことを話していたらしくその気持ちが有り継続できるならその状態を優先して入院するのは見合わせたほうがいいのではとのことだった。

しかし一旦入院したら半年以上は入院しなければならないとのこと。相当長期間になる。親元を離れてそれほど長期間一人で入院させるのは私にはどうしても踏み切れない。いい結果が得られるとも思えない。しかし妻は入院も辞せずという姿勢を崩して居ない。

どうしたものだろうか。妻と息子は立川で遊びに行ってしまった。私は一人でまっすぐ自宅にも戻った。半日外出しただけでかなりぐったりである。久しぶりにブログを書く。ひとりの時間を有意義に過ごす。夕食を待ちながら一人パソコンに向かう。息子の事が気にかかる。

入院は三週間後の様子でまた判断することになった。私としては長期間ひとりにするのは良くないと思うし反対である。なんとか入院しない方向で進めたいと私は思っている。急には息子も変わらないとは思うが入院が効果的とはどうしても思えない。自分も立ち直りたいがしかし家族みんなで良い方向に行けたらいいのだが厳しい現状である。なんとかせねばならない。明日への希望が持てるようになりたい。

私と息子の誕生日 ‐1‐

息子の十二回目の誕生日が来た。前回ブログを更新してから寝たきりが続き息子も自宅から出ることが極端に減り鬱々とした日々を過ごしていた。私はなんとか朝は起きられるようになり生活にメリハリはついてきたが日中もだるく起きている気力がなく終日横になりうとうとする毎日が続いた。

そんな折息子の誕生日が平日でありお祝いがしにくいので先週末品川まで行きランチバイキングをホテルのラウンジで皆で食べて楽しい午後を過ごした。久しぶりに新宿御苑にまで足を伸ばし散策して見た。足腰が衰えていてなかなか厳しかったが楽しく過ごせた。

今日は息子の誕生日当日。朝精神科の病院に入院させることを妻が提案して息子が激しく抵抗して泣いているので膠着状態が続いたが数ヶ月ぶりに適応指導教室に行くことにして妻と息子は出かけて行った。夕方迎えに行くと楽しそうに皆に手品を見せて遊んでいる息子の姿を見つけた。なんとかこれが続いてくれるといいのだが。

二人で肩を並べて無言で帰路に着く。自宅に戻り寛いでいると妻が早く帰ってくるという。誕生日のケーキを買って来るので準備をして待った。ロウソクに明かりを灯しハッピーバースデーの歌を歌いお祝いをした。息子が嬉しそうに明かりを吹き消すのを見て少しホッとする。

学校に行けないことを除けば元気で極々普通の小学生である。しかしもう3年以上まともに学校に通っていないので通常の授業もうけていないし人間関係も学べていないと思う。このままでは心の発達が未熟なまま社会にでなければならないことに有り適応が難しくなることを恐る。

このままの状態で中学まで行ってしまうとずるずる不登校のままで行ってしまう気がする。最も恐るところである。この一年なんとか頑張って一歩踏み出してくれるように導かなければならない。年齢を重ねるのを手放しに喜べず複雑な気持ちで見守っている。

街を歩いて小さな子供を見ると息子の幼い頃のことをしばしば思い出す。あの頃は少なくとも息子のことで悩みはなかった。あの頃に戻れたらとふと思うこともあるが それは自分自身がうつ病いかかり10年もの時間を無為に過ごしてしまったことへの後悔の念もある。なんとか這い上がりたいとは思うもののどうしようもない。苦しい日々が続く。明日が見えない。暗澹たる気持ちであるが息子には明るい希望に満ちた日々を生きて行ってもらいたい。次の誕生日まで良い一年になるといいのだが。

私と長い鬱の日々 ‐1‐

長く横臥して寝込んでいてブログどころではなかった。全く地獄の日々だった。ひたすら寝て一日を過ごし朝も昼も夜もない全く時間がぐちゃぐちゃな時間を過ごして半月経ってしまった。その間にも息子は相変わらず学校に行けず家でゴロゴロしている。実家は母が倒れてようやく落ち着きを取り戻しつつある。GWには家族を連れて帰りたかったがいろいろ大変そうなので帰らずにいた。

全くひどい日々だった。出来たことといえば昔読んだ司馬遼太郎のエッセイなどを読み返すことくらいで眠りの合間に読書をして何とか正気を保っていた。苦しい日々が続いている。どうしたらいいのか分からない。現実逃避の様にひたすら寝ている。息子の面倒も見切れずひとりにしていることが多くて情けない。

歯も抜いて片側でしか物を噛めないほどに歯がなくて生活に不便している。ものを食べても美味しくなく辛い。年の割に歯がなくて悲しい。ヒゲも頭髪も白髪がすごくてかなり老化がすすんで居る気がする。気分的に老け込んでいてもう人生が終わってしまったような気がして一人呆然としてしまう。

将来になんの希望も見いだせないでいる。こんな夫や父親を持って家族が可哀想だなと思う。全く情けない限りだ。先日の休みに久しぶりに家族で奥多摩にハイキングに行った。みんなで魚釣りをして釣った魚を食べたり散歩したりして過ごした。楽しかったが日頃寝たきり生活をしているので体がついていかず足腰の衰えをしみじみと感じた。 

今日は家族は妻の実家に帰省している。一人取り残されて飲まず食わずで寝続けた。夜起き出してTVを見ながら食事をなんとか詰め込みぼんやり過ごす。実家の母の様態や姉の抗癌剤治療の進展も気になるが自分のことで精一杯でどうにもできない。とにかく苦しい。それに尽きる。なんとか救いがないものかと祈る様な気持ちだが期待は薄い。精神の安定を図るだけでも精一杯だ。なんとか生活を立て直さねばならない。とにかく苦しい。誰か助けて。

私と息子の新学期 ‐1‐

息子の新学期が始まって一週間以上経つ。初日は難なく行けたがそれ以降はぴたりと行けなくなってしまった。同時に私も鬱が酷く終日寝込んでいる状態で息子に何もしてやれなかった。春から多難である。これからどうなるのか先が見えずとても不安である。

新学期になっても相変わらず全く学校に行けないでいる。打つ手がない状態である。担任が昨年度と同じなのが唯一の救いである。変わらずに週一に家庭訪問に足を運んでくれて(まあ学校から自宅が極めて近いカラとは思うが)話すだけでも息子の気分や受け止め方持ちが違うと思う。

私はといえば気力なく寝込んでいる日々が続いた。もう十年である。いつになったらこの頭の中の闇は消えてくれるのだろうか。気分が晴れないことが多すぎる。少しも先に進めないまま十年前と同じ日々を過ごしている。自分の人生はこのまま終わってしまうのかと思うとやるせなさすぎる。

35歳から45歳までの10年間は一体何だったのだろう。多額の医療費かけて投薬やカウンセリングを続けてきたがついに回復せずに来た。なけなしの貯金も使い果たし無一文になった。今は妻に依存したひもの生活である。人間としても尊厳を奪われて這いつくばって生きている日々だ。生きる目標も希望も失って絶望と死の淵にいる。
 
先週初めに四国の実家の姪っ子が高校に入学するのでお祝いの言葉をかけるべく連絡した。久しぶりに言葉を電話で交わした。しかし進路が希望のものではなく辛い思いをしているようだ。お金がないからというのが一番の理由である。また姉が乳がんと戦っている。抗癌剤治療でかなり苦しいたたかいをしいられているようである。厳しいだろうなあと思う。

また実家にも久しく連絡していなかったので電話したらたまたま親父が出て病院にいて母がデイケアに行っていて気分が悪くなり帰宅してから救急車で最寄りの病院に運ばれていていろいろ検査を受けて点滴を受けているという状態だった。しばらく父と話して場所が病院だけに早めにきりあげた。

故郷の家族は皆何かしらの病にとりつかれて苦しんでいる。神仏に祈るも効き目はない。地道に懸命に生きてきたのになんと報われないことの多いことか。自分自身のことで精一杯のところに息子の不登校、そして実家の家族の病気と気が重いことが多すぎる。気鬱な春である。何か明るい兆しがないのか?精神的にきつ過ぎる。

今週は歯の治療も進めていて奥歯をまた抜歯した。どんどん自分の歯がなくなる。また入れ歯になりそうだ。うつできついところに歯を抜かれてまたさらにダメージがある。医療費がかかるので内科には4ヶ月行って居ない。まずいとは思うのだがなかなか行けないでいる。今月中になんとかしなければと考えている。お金が掛かって仕方がない。なんとかこの苦境を乗り越えたい。希望はあると信じたい。



★今日の『一日一楽』;

◆鬱の谷間、読書をして息子と会話ができ生きている実感を感じられて良かった。

私と息子の春休み ‐5‐

花見が続いていたがやはり無理がたたったのか起き上がれない日が続いた。昼前には起き出せるがかなりきつい。息子はその間はTV見たりゲームしたりして過ごしていた。それでも週末にはイングリッシュ・キャンプという英会話のキャンプに出かける。その準備などもしていた。

そんな朝からサッカーをしに妻の出勤とともに家を出たのだが、先日息子の心療内科で入院加療が必要と判断された事を妻が息子に話してしまったらしい。相当ショックを受けたようでかなり不安定になっているから迎えにいってくれと電話があり息子のそばに駆けつけた。しかし息子は私の姿を見るやいなやうずくまって泣き出し「来ないで!」というのだった。

しばらく様子を見たがどうしようもないのでひとりにして考えさせたほうがいいと判断し一人公園に残し帰宅した。ごろりと横になりウトウトしていたら1時間ほどして戻ってきた。妻が話した内容には触れずに何事もなかったかのようにいつものようにのんびりと過ごした。

それでも翌日になると二人で外出した際に「お母さんからに入院したらと言われた」「最低3ヶ月だって」と自分から言い出した。そして入院する気があるのか聞くと「そのつもりだ」という。大人の私でも抵抗感がある入院である。子供の患者などはそうはいないはずである。サッカーもできずに過ごしたら帰って来ても居場所がないと思わざるをえない。得るものより失うものの方が多いと思われるのだが親が言うからそうしたほうがいいと思うのかそれとも自分でも切羽詰まっているのか。

週末のイングリッシュ・キャンプに向けて準備をしている姿を見ると学校に行けない以外は至って普通の活発な明るい息子である。金曜日には登校日があったが元気に出かけて行って午前中お掃除したり始業式・入学式の準備に学校に行けた。本当に久しぶりに登校できた。授業でなければそれほど抵抗なく行けるのかな?とも思うがそれもその時次第である。来週からはどうなるかは予想がつかない。

昨日千葉の君津にイングリッシュキャンプに行ったが楽しめていかなあと心配である。私は息子がいなくなって気持ちの張りを失い再び寝込んでしまった。今晩遅くには戻ってくる。それを思い夢と現実の混在した不可思議なまどろみの世界からようやく抜け出てブログを書いている。妻も自由な時間を得て友人と会ったりして一人の時間を楽しんでいるようだ。明日は2週間ぶりに心療内科だ。この苦闘の日々を話してこれからの生活を少しでも立て直したい。息子の登校も心配だ。春になり新しい展開が始まるようで少々緊張しながら夕暮れを待つ。


★今日の『一日一楽』;

◆鬱の落ち込みからようやく這い出した。息子のことばかり考えている。元気な笑顔を見るのが楽しみである。集中してブログを書けてすこしきもち少し気持が落ち着いているのが嬉しい。

私と息子の春休み ‐4‐

花見が続いていたがやはり無理がたたったのか起き上がれない日が続いた。昼前には起き出せるがかなりきつい。息子はその間はTV見たりゲームしたりして過ごしていた。それでも週末にはイングリッシュ・キャンプという英会話のキャンプに出かける。その準備などもしていた。

そんな朝からサッカーをしに妻の出勤とともに家を出たのだが、先日息子の心療内科で入院加療が必要と判断された事を妻が息子に話してしまったらしい。相当ショックを受けたようでかなり不安定になっているから迎えにいってくれと電話があり息子のそばに駆けつけた。しかし息子は私の姿を見るやいなやうずくまって泣き出し「来ないで!」というのだった。

しばらく様子を見たがどうしようもないのでひとりにして考えさせたほうがいいと判断し一人公園に残し帰宅した。ごろりと横になりウトウトしていたら1時間ほどして戻ってきた。妻が話した内容には触れずに何事もなかったかのようにいつものようにのんびりと過ごした。

それでも翌日になると二人で外出した際に「お母さんからに入院したらと言われた」「最低3ヶ月だって」と自分から言い出した。そして入院する気があるのか聞くと「そのつもりだ」という。大人の私でも抵抗感がある入院である。子供の患者などはそうはいないはずである。サッカーもできずに過ごしたら帰って来ても居場所がないと思わざるをえない。得るものより失うものの方が多いと思われるのだが親が言うからそうしたほうがいいと思うのかそれとも自分でも切羽詰まっているのか。

週末のイングリッシュ・キャンプに向けて準備をしている姿を見ると学校に行けない以外は至って普通の活発な明るい息子である。金曜日には登校日があったが元気に出かけて行って午前中お掃除したり始業式・入学式の準備に学校に行けた。本当に久しぶりに登校できた。授業でなければそれほど抵抗なく行けるのかな?とも思うがそれもその時次第である。来週からはどうなるかは予想がつかない。

昨日千葉の君津にイングリッシュキャンプに行ったが楽しめていかなあと心配である。私は息子がいなくなって気持ちの張りを失い再び寝込んでしまった。今晩遅くには戻ってくる。それを思い夢と現実の混在した不可思議なまどろみの世界からようやく抜け出てブログを書いている。妻も自由な時間を得て友人と会ったりして一人の時間を楽しんでいるようだ。明日は2週間ぶりに心療内科だ。この苦闘の日々を話してこれからの生活を少しでも立て直したい。息子の登校も心配だ。春になり新しい展開が始まるようで少々緊張しながら夕暮れを待つ。


私と息子の春休み ‐3‐

今週は少しだけ気分が良かった。先週末は鬱が酷く寝込んでしまっていた。しかしお天気も良く春の陽気に誘われてか起きられるようになった。自分のしたいこともあるのだが息子と過ごす時間を大事にし日々過ごした。毎日サッカーしたりお花見したりしてのんびりと息子と過ごした。

いろいろ話ができた。いま思うことや感じていることや引っ越す前のことや思い出話をしたり、息子の未来についていろいろ話し成長の過程で経験するであろう課題なども自分はどうだったかという事を示したりして結構親密に話すことが久しぶりにできた。恋の話などもして息子とこれからくるであろう未来に関して取り留めなく話した。

そんな日が二日ほど続いて4月1日には妻が休みを取って3人で久しぶりにお出かけする事になった。長年診てもらっている診療内科に行きそれから高円寺のWCCFのサッカーゲームのできるカフェに行きそれから花見にでも行くかなという感じだった。

しかし、息子が激しく心療内科に行くことを拒絶しどうにもならなくなり妻だけが一人で話に行き、私と息子だけが高円寺にむかった。ゲームをしてお茶していた妻からメールが来て心療内科では入院を勧められたらしい。それ程むすこの状況が差し迫っているのかと驚いた。学校に行けない以外は問題がない。きちんと自己主張もできるし初めての環境でもすぐに馴染める。学校となるとなぜか拒絶してしまう。どうしてかわからない、息子ももう学校に行く努力するのに疲れたと行っていたらしい。

それから高円寺で妻と合流してお昼ご飯を食べてから国立にむかった。駅前から桜並木のトンネルである。2時間ばかりウロウロしたが私はかなり疲れてきており足が痛くて途中から散策を抜けて一人で路傍に腰掛けて休んでいた。息子は疲れてイライラしている自分にちょっと困った顔でいた。帰宅してみんなで一休みした。この3日で相当息子に付き合った。春からの新学年にも不安の色は隠しきれないが元気は元気である。このままの勢いで突入してくれるといいのだが。


★今日の『一日一楽』;

◆息子と沢山コミュニケーションを取れて自分も少し元気になれていい週の前半を飾れた。

私と息子の春休み ‐2‐

私は相変わらず鬱が酷い。薬の減量もかなり進んできているが抗鬱剤も抗不安薬もほとんど夜寝る前に飲むくらいで日中の薬は効いていないようだ。血液検査でも効くまで血中濃度を上げられておらず効果は期待できないようだ。毎日とても憂鬱な日々が続いている。朝は起きられないし午後かなり遅くまで寝込んでいる。何もする気が起きない。

それでも妻が息子のワークショップを入れてきたりしてかなり精神的にきついのに勘弁してくれという感じだったが息子が行く気があるので泣く泣く了承して行くことになった。本郷4丁目にある塾で行われる考え方のワークショップで人に教えることで身につくということだった。

理解するにインプットだけではなくアウトプットすることだった。最近本を読んで学んでいて自分もアウトプットすることが大事だとしみじみ感じている。身につかなくて自分のものにならないなと思っていたので息子にも役に立つだろと感じた。いい感じの環境であったので期待していた。本郷三丁目は通っていた心療内科が有り息子にはなれた町並みではある。

電車での往復とワークショップの時間に待ち続けてかなり大変だった。息子は学校に相変わらず行けないでいる。しかし勉強が嫌いなわけではなく知識欲はあるのだ。また初対面の相手にでも臆することなく自分の意見を堂々ということがで自己主張はしっかりできるのではある。なぜ学校に行けないのかわからないなとこの3年ずっと考えている。息子も疑問に感じているのだろうが結論は出ない気はする。

寝込んでいることが多くて足腰が弱っている。電車で一時間強立っているだけでぐったりである。それでいて夜は寝られない。うつらうつらが続いて朝方寝るの繰り返しでかなりきつい。まるで気力がなく死にそうである。今週は息子の相手もできず寝てばかりで相手もできず食事も作ってやれないことがあったりした。全く情けない。

今日はサッカーの練習と6年生を送る会に参加して0時前に戻ってきた。いつもの元気な笑顔で戻ってきてくれた。心配しながらも起き出してアフィリエイトの勉強をしながら待っていた。戻るなり4月1日朝一で高円寺のWCCFのサッカーゲームができるカフェに行こうと言っていた。この体調で行けるか不安であるが約束したからなんとかしないといけないとなと思っている。

短い春休み。新学年に息子も親も不安一杯である。話し合いもしなければならないが出来るだけ楽しく春休み過ごさせてやりたい。私も欝克服になんとか頑張りたいが頑張ってどうなるものでもない。薬の調整も進めて早くこの泥沼にはまりこんだ様な気分から抜け出したい。今は先が見えないで身悶えしているが這い出せるか。良い春にしていきたい。

あまり気張らずに気楽に自分を追い詰めずに進んでいきたい。希望を失わずに親子家族で前進して行きたい。お花見にはいけるかな?明日は日曜でみんなで出かけられるのに生憎の雨。来週は少し活動的に過ごせるといいのだが。息子とのんびりとして過ごそう。心穏やかに居られるのが大事だ。心機一転新たな道を行きたい。


★今日の『一日一楽』;

◆少しではあるが起き上がり活動できた。回復の兆しが少し見えてきた気がする。希望は捨てない姿勢は崩さないでいようと思える自分に少し嬉しい。

私と息子の春休み ‐1‐

先日修了式を迎えて五年生を終えた。修了式も学校に行ったが体育館に入れず涙を流し「頑張っていないのに修了式に出る資格はない」と言って頭を抱えていたらしい。自宅まで先生に来て頂いて成績表を手渡してもらった。妻も合わせて早く帰ってきていて3人で先生を迎えた。

息子は学校に引っ越してきてからこの4ヶ月まともにでられた日は二日くらいしかない。しかしそれでもテストを自宅でやっていてそれを基準に評価可能な所はしてくれた。多くの評価できないとされて車線で表記されているものもたくさんあるがそれでもたくさん丸をもらって嬉しそうな息子だった。

それから妻と息子で食事を作った。息子は昆布と鰹節から出汁を取るところから味噌汁を作り皆で夕食を食べた。その後妻と息子は近所のショッピングモールに出かけていき中々帰ってこなかった。私には声もかけずにふたりででかけていったので結構不愉快だった。しかしそのまま早く寝ないと明日は本郷に息子がワークショップに参加するので同伴せねばならずすぐに寝たかったが夜通しウトウトしてよく寝られなかった。あすが不安だ。

息子の五年生はほとんど学校に行かずに済んでしまったがしかし彼は彼なりに苦しんで努力していたと思う。自己嫌悪を苦しまずにいいところを伸ばして自然に過ごして欲しいと思うのであるがなかなか難しい。精神科にも相変わらず通っているが苦しみは去ることなくまた希望も見えないのに薬は増やされて長く通って薬を飲んでいるのに学校に行けないのはどうして?もう薬は嫌だ、と泣き一時大変だった。どうなっていくのだろうか。このまま新年度を迎えるのは不味い。春休みにできることをしたいし皆で話し合いたいと思う。皆で前進したい。



★今日の『一日一楽』;

◆外の空気が春めいてきて気分良く息子と散歩出来た。
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