毎日新聞』の記事より。本Blogでは初めての訃報関連エントリー。
この人のことを取り上げるにあたり、「訃報」というのはやりきれない。
引用にあたり、いつもの通り1行空きは削除、数字英数は半角英数に変更してあります。
訃報:永沢光雄さん47歳=ノンフィクションライター
 永沢光雄さん47歳(ながさわ・みつお=ノンフィクションライター、作家)1日、肝機能不全のため死去。葬儀は5日午前10時、東京都新宿区新宿2の15の20の正受院。自宅は非公表。喪主は妻恵(めぐみ)さん。
 性風俗やスポーツをテーマにしたインタビューで知られ、著書に「AV女優」などがある。02年に下咽頭(いんとう)がんの手術で声帯を切除。05年に自身の闘病をつづった「声をなくして」を出版した。
毎日新聞 2006年11月2日 11時18分
私が永沢光雄さんのことを知ったのはおそらく1996年に出版された彼の代名詞といえる、このインタビュー集です。Amazonのサイトには文春文庫版しかないですが、私が手に取ったのは、ビレッジセンターのハードカバー版です。

永沢光雄,1996=1999,『AV女優』ビレッジセンター出版=文春文庫.

私が大学で卒業論文でアダルトビデオについて書こうと思った直接のきっかけは、中原美佑であり夕樹舞子である。だがそのことを具体的に取りかかろうと決めたのは、永沢さんの本を読んだことがきっかけになっている。理論的支柱となるのは、阿部嘉昭さんのこの本です。

阿部嘉昭,1998,『AV原論』関西学院大学出版会.


具体的なきっかけは、中原美佑のデビュー作に集約されているけれど、80年代は「AV女優」になることは一大決心が必要な人生のメルクマールになるものであり、ある程度主体的な選択によって自らスティグマを刻印させられるものであったが、今は求人広告誌で二束三文の値段で買いたたかれている現在のAV業界を彼はどのように観ていたのだろうか?
私はAVという名称が1983年前後にできた頃の様子を知らないし、具体的に調べたのは1996年にデビューした『小室友里』からである。
ちょうどその前後に永沢光雄さんは、アダルトビデオ専門誌で、インタビューイとインタビューアの関係性を越えて、「話を聞くこと」、そして「話を書くこと」を実践したフィールドワーカーだったのかもしれないと今思う。
自分自身が、とある街に関連する人々に話を聞くとき、インタビューの難しさとおもしろさを日々痛感させられるのだが、彼のように素直に相づちを打ち、テープレコーダーに記録させることの作業ができるのだろうか?不安になる。
それにしても、自分の興味本位で、AV女優に対するインタビューの比較文学をしたいと思っている最中にこの訃報。
そして私自身が、他者の話を聞き、物語にしていくときに、必然的に自らの話を混入させ、書く私を意識しながら書くことの重要性を教えてくれたのは永沢光雄さんであり、東良美季さんの作品に触れてからだということを痛感させられる。
心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
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