Davis, Mike, 2006, The History of the Car Bomb, on TomDispatch - Tomgram: Mike Davis on the History of the Car Bomb.
=マイク・デイヴィス著/井上利男訳,2006,『自動車爆弾の歴史(上)』, on 日刊ベリダ:記事:「自動車爆弾の歴史」(上)貧者の空軍力、ファシストの兵器 マイク・デイヴィス
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Davis, Mike, 2006, "Return to Sender"(Car Bombs, Part 2), on TomDispatch - Tomgram: Mike Davis, "Return to Sender"(Car Bombs, Part 2).
=マイク・デイヴィス著/井上利男訳,2006,『自動車爆弾の歴史(下)』, on 日刊ベリダ: 記事: 「自動車爆弾の歴史」(下)「中世の城壁」に押し込まれたイラクの米兵 ゲリラ戦の「核兵器」として威力増す マイク・デイヴィス

いずれも日本語訳で数日前(このエントリーは2007年1月18日に記入)に読了。
相変わらず、マイク・デイヴィスの筆致がすごい。英語版は適宜参照しましたが、私の英語力は未熟なので、訳文をそのまま引用してあります。
1920年9月に現在では世界の「金融地区」となっているニューヨークのウォール街のブロード通りで、イタリア人アナーキストのマリオ・ブダによって起こされた馬車による「自動車爆弾」から掘り起こし、貧者の空軍力(The Poor Man's Air Force)として、つまりは兵器としての自動車爆弾の歴史を紐解く。
デイヴィスは、自動車爆弾の発明を「ダイナマイト製の復讐天使の極致」であり、「ディファレンス・エンジン(コンピュータの原型)」とも比すべき発明であると述べる。
そして兵器としての自動車爆弾は、ニューヨークを震撼させた後、パレスチナ、サイゴン、アルジェリア、シチリア、パレルモなどに広がる。そして1972年、IRA(アイルランド共和国軍)による改良(亜硝酸アンモニウム燃料油=ANFO)の使用による、破壊力の急激な進歩。さらにはIRAと、ガマア・アル・イスラミア(イスラム原理主義運動の一派)によって1990年代に引き起こされた、ロンドンのシティ、ニューヨークのマンハッタン南端部という世界経済をになう二大中心地への攻撃による、世界的な保険業界の再編が必然的に発生してしまうことを述べるのだ。
また1980年代からアメリカのCIAの特集工作員育成プログラムに、自動車爆弾作成のプログラム化による、兵器としての自動車爆弾の拡散の助長へと繋がる。
デイヴィスの論考によると、CIAにより自動車爆弾の知識を持った工作員が、パキスタン軍統合情報本部へ最先端の情報ならびにテクニックを供与したとのこと。
もともと「貧者の空軍力」として位置づけられていた兵器としての自動車爆弾が、大国・アメリカ主導によって世界に拡散していったと述べられている。

その後、兵器としての自動車爆弾の簡便性、変容することが容易であることなどの理由から世界中に拡散することになる。その代表例が、ペルーであり、アフガニスタン、スリランカ、そしてアメリカ、さらに現在のイラクを含めた、さまざまな紛争地域への波及が広がる。

デイヴィスの筆致は1920年代のウォール街で誕生した自動車爆弾という画期的な「発明」が、20世紀の(戦争・地域紛争・宗教対立の)歴史の中で、どのようなターニングポイントがあるのかを明らかにしながら、兵器としての自動車爆弾とその爆破力・影響力による混乱を、短い論考ながらつぶさに明らかにする。

歴史的なお話の概略はこのぐらいにして、一番興味深かったのは「兵器としての自動車爆弾」そのものについての話であり、イントロダクションに書かれている、「文明の利器」についての言及だった。

デイヴィスは「自動車爆弾を『貧者の空軍力』(The Poor Man's Air Force)であるが『本質的なファシストの兵器』と(an inherently fascist weapon)と位置づけている。
TUP速報によるイントロダクションには"利器"について、興味深い定義がなされている。曰く;
 有益性と簡便性のゆえに、またたく間に広く普及する発明品を、現代文明の“利器”と定義するならば、イラクをはじめ、バリやジャカルタ、オクラホマなど紛争や対立のあるところで広く使われている自動車爆弾もそのひとつにあたる。

まさしくこの「有益性と簡便性」、さらに付け加えるならば、経済的コストの低減さによって、兵器としての自動車爆弾は成立しているといえるかもしれない。

ここでデイヴィスによる「兵器としての自動車爆弾」の定義を引いておこう。
デイヴィス曰く;
These new-generation bombs, requiring only ordinary industrial ingredients and synthetic fertilizer, were cheap to fabricate and astonishingly powerful: they elevated urban terrorism from the artisanal to the industrial level, and made possible sustained blitzes against entire city centers as well as the complete destruction of ferro-concrete skyscrapers and residential blocks.

The car bomb, in other words, suddenly became a semi-strategic weapon that, under certain circumstances, was comparable to airpower in its ability to knock out critical urban nodes and headquarters as well as terrorize the populations of entire cities.
日本語訳では以下の通り;
 この新世代爆弾の製造に必要なのは、ありふれた工業資材と化学肥料だけであり、コストは安上がり、しかも爆発力は驚くほど効き目があった。これが都市テロを職人技から工業レベルに発展させ、鉄筋コンクリート高層ビルや住宅地の完全破壊だけでなく、都市中心部全域に対する持続的な電撃作戦を可能にした。 
 
 つまり、自動車爆弾は、突如として、都市全域の住民を恐怖に落とすだけでなく、条件によっては、都市の重要拠点や中枢に壊滅的打撃を与える能力において空軍力に匹敵する準戦略兵器になった。

さらにデイヴィスは、この「兵器としての自動車爆弾」の特性について5点述べている(ここでは要点のみ言及する)。曰く;
First, vehicle bombs are stealth weapons of surprising power and destructive efficiency.

Second, they are extraordinarily cheap: 40 or 50 people can be massacred with a stolen car and maybe $400 of fertilizer and bootlegged electronics.

Third, car bombings are operationally simple to organize.

Fourth, like even the ‘smartest' of aerial bombs, car bombs are inherently indiscriminate: "Collateral damage" is virtually inevitable. If the logic of an attack is to slaughter innocents and sow panic in the widest circle, to operate a "strategy of tension," or just demoralize a society, car bombs are ideal.

Fifth, car bombs are highly anonymous and leave minimal forensic evidence.
日本語訳では以下の通り;
1.車両爆弾は、驚くべき威力と破壊効率を備えた隠密兵器である。
2.車両爆弾は桁外れに安価であり、盗難車と400ドル相当の肥料、それに闇市場の電子機器が揃えば、40人や50人の人たちが殺される。
3.自動車爆弾攻撃を準備するのは、作戦として簡単である。
4.“最高照準精度”の空襲爆弾でさえも同じだが、自動車爆弾は本質的に無差別攻撃手段であり、“付随的[または、巻き添え]被害”はどうしても避けられない。攻撃の論理が、“緊張戦略”を遂行するために、または単に社会を混乱させるために、無辜の民を殺傷し、最大範囲にまでパニックを広げることであれば、自動車爆弾は理想的である。
5.自動車爆弾は匿名性に優れ、最少限の司法証拠しか遺さない。

とある。
この定義で、私は地球上で起こる自動車爆弾について全くといっていいほど無知である。
それでも別の話を思い出す。それももちろんマイク・デイヴィスの著作に由来するが、鳥インフルエンザについてである。
もちろん「自動車爆弾」と「鳥インフルエンザ」というのは全く異なるものであるが、簡便性と拡大の圧倒的な広がり、さらに"Collateral damage=付随的被害"というものを考えたときに、どうしてもその話が浮かんでしまう。もちろん、「イラク戦争」という「戦争」というものかどうかそもそも議論の分かれる出来事において、アメリカ軍の司令官が、『民間人の犠牲者』ではなく「付随的被害」というタームを堂々と口にしたことを思い出す。
作戦における「付随的被害」というものは、自動車爆弾を仕掛ける側にしても仕掛ける側にしても想定されていない。それはトマホークミサイルが誰を殺傷するか、ミサイルそのものはわからないのと同じだ。ミサイルの着弾点に、結婚式の花婿と花嫁がいることもあるし、独裁者がいることもあるように。
そして、別の話に展開すれば、恒常的にそのような危険がある可能性がある地域、たとえば11年前の東京にしろ、6年前のニューヨークにしろ、どこであれその『戦争』なり『紛争」なりが起こってしまったところで暮らす人々にとって、"Collateral damage=付随的被害"といわれて、殺傷される可能性があるということだ。さらに天災ということにおいて言えば、11年前の阪神地区に淡路島、2年前の「ニューオーリンズで置き去りにされた者たち」、スマトラ地震の後の津波によってなくなった人々は、"Collateral damage=付随的被害"となるのだろうか?
私は必ずしも"Collateral damage=付随的被害"とは思わない。

私が、ネット上にこのような言葉を書き残すことだけをしているという批判を受けると思う。
自分自身は安全な立場にいつつ、好き勝って、好きな作家の言葉を借りて、言いたいことを言い散らかしているとも。言われることは覚悟している。だが自分自身になにができるのだろうか?
さらになにもできないということを思い知らされるかもしれない。
それは『貧者の想像力』として常にどこかで胸の中に残しておきたい。
トリアージという言葉で、黒、赤、黄、緑と、私なり、私以外の他者すべてがカテゴライズされることのないように。それぐらいしかできないことを自覚しなければ、私はならないだろう。

最後に、私の立ち位置は、デイヴィスの論考から引用すれば、「高度に要塞され、警備された」場所であり、狙撃手による防護壁がある場所であることを確認しておこう。
自分自身は「グリーン・ゾーン」"Green Zone"にいるということを確認しなければ。
そしてその場所からすぐ壁を隔てた先の「レッド・ゾーン」"Red Zone"があることも。
デイヴィス曰く;
In this kingdom of the car bomb, the occupiers have withdrawn almost completely into their own forbidden city, the "Green Zone," and their well-fortified and protected military bases....
Outside the Green Zone, of course, is the ‘Red Zone' where ordinary Iraqis can be randomly and unexpectedly blown to bits by car bombers or strafed by American helicopters.
 この自動車爆弾の王国にあって、占領者たちは、自分たちだけの禁断の都市“グリーン・ゾーン”や、高度に要塞化され、警護された軍事基地にほぼ全面的に引きこもってしまった。(中略)
 グリーン・ゾーンの外側は、もちろん“レッド・ゾーン”であり、一般イラク国民は、行き当たりばったり、予期もできずに、自動車爆弾に吹きとばされたり、米軍ヘリに掃射されたりしている。
Mike Davisの近著ならびに、近刊は以下の通り。
Indefensible Space: The Architecture of the National Insecurity State
The Monster at Our Door: The Global Threat of the Avian Flu
Planet Of Slums