2011年05月10日

住宅設計―住宅建築家の休日―麻布 浜町 感傷的な街歩きの一日

 連休初日 午前中は打合せ行きであった

 打合せの 広尾 は 6年間通った中学高校のあるところだ

お腹もすいたし ぱっとしない空模様に ヨットは明日にしよう なつかしい有栖川宮公園にいってみようときめる

そして 昔の広尾と違ったのは 人 人 人の群れだった

 休日の有栖川宮公園入口の交差点は 歩道を埋め尽くすほどの人の群れ インターナショナルスーパーマーケットは 人と車ではち切れそうなにぎわいである

 公園は 国際色豊かな子供達とそのパパママ達もいて 人 人 でにぎわっている 中高生に戻ったのんびり気分にもなれそうもない


 早々に公園を出ると 目の前は深い緑で中がうかがいしれないドイツ大使館

 コンクリート堀に描かれた明治開国日本の風景の連なりを眺めながら坂道をのぼる

 フランス大使館の塀と建物が現れ 延々と続く

 窓の無い大きなコンクリート打ち放し曲面の迫力ある外壁が視界に迫る現代建築デザインのアラブの大使館があらわれる


 迷路のような小路に入ると そこは個性豊かな小住宅の世界だ

 そのかまえがなんとなくバタ臭く レトロの香りの漂う小さな飲食店や雑貨店になっている住宅もあり その住人を想像出来そうな 個性的な古い車が窮屈そうに坂道にへばりついて収まっているのも微笑ましい

 都心にありながら 閑静 と そしてちょっと歩けば 静かな雑然 が同居するようなこの界隈は 異文化の土地に迷い込んでしまったような不思議な世界だ

 歩くにつれ 道路から見て中が全部見えてしまうようなガラス張りの住宅や アラブの大使館のような道路から見えるところは壁だけの住宅 も現れる 

 単独で見れば素晴らしいものなのであろうその住宅も 敷地の環境次第では その逆になってしまうのではないか と思われるような そんな住宅設計をしてはいけないという己れにとっての反面教師になるような住宅 も見受けられる
 住宅設計は その住宅に与えられた敷地周囲の街並みをしっかりと認識してその設計をおこなわなければならない という当たり前のことを再認識する


 この界隈はまたお寺の多いところだ

 学校の帰りによく遊びによった 同級生が住む大きなお寺

 広々とした本堂 孫悟空になった気分で入った経蔵

 何百人ものきらびやかな僧侶や列席者を集めて執り行われた盛大な晋山式を経て このお寺の住職になった後 若くしてこ麻布界隈写真の世を去ってしまったS君を思い出す


 仙台坂の韓国大使館横に出る

 ここからは地下鉄麻布十番駅まですぐだが仙台坂を介して街の雰囲気が変わってくるのが面白い

 道路が少し広くなり 商店と小マンションの連続になるのがその理由であろうか
 

 麻布十番駅は 昔の 一の橋駅 であり 丘の上の女子校は 我々男子校生にはあこがれの存在であったことを思い出す


 明治座での五月歌舞伎公演の切符を買う予定があったのを思い出し 今からヨットへ行くのはあきらめ 乗った電車で浜町へ行くこととする


 己れの3代前の 木村 は 銀座の歌舞伎座設立にあたっていささかの役割を果たしたのだ という昔話を時折老母から聞かされる

 1世紀以上前の話だ

 当時の役者に用立てたお金の借用証文が残っている という話も 己れの学生時代には聞いていたが その証文を己れが見たことがあるかどうかは覚えていない が 歌舞伎役者もそういう身近な人間くさい存在だったのだ そして3代前の 木村 はどんな人物だったのだろうか などに思いをはせながら 久しぶりに歌舞伎を見てみようと思い立ったのだ


 もりした で乗り換えると一駅で浜町 

 地上へ出るとそこは浜町公園だった

 地下鉄は便利だが この日のような初めての街を訪れる時は そこにいたるまでの街並みの様子を見てゆきながら ということが出来ず あたかも 突然その街にそれまでの目隠しを取去られて放り出されたような有様で 土地の方向感覚をなかなかつかむことが出来ないのが不便だRIMG0002

 数分で明治座に着く頃には 道路幅の広さ その中心に設けられた広い緑道の存在   
 そして祭日の故か人影の少なさ 車の通行の殆ど無いこと ここがあの雑踏の繁華街 日本橋 から至近のところであるのが信じられないほどの気持良い街並みであることが分かってくる

 この広い道路に面する建物RIMG0003は いかにもお金をかけたと思われるようなしょうしゃな中型ビルが多く そのこともここをゆっくりと歩く己れの気持ちを 豊かで穏やかなものにしてくれているようだった


 この後 己れにとっては生まれて初めて訪れることになった 水天宮へ そして人形町へ と 浜町の 静寂 から たちまち 人 人 の雑踏 に移り変ってゆく街歩きとなる 


 関東大震災の火災にあった お寺と墓地の集団移転 の結果 築地から今は杉並に移っている 木村 の菩提寺は さらにその前には 本願寺の寺中寺として この地 浜町 にあったのだそうだ と これも老母が聞かせてくれた話だ
 
 木村 の遠い御先祖様がこの土の下にも眠っていらっしゃるのだろうと思い はからずも何となく感傷的な気持ちで過ごすことになってしまった 予定外アーバントリップの一日であった





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skimura16jp at 15:14コメント(0) 

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