昨年9月5日の記事で詳しく報告したように、一昨年3月11日に発生した東日本大震災では、宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地も被災し、同基地に配備されていた航空機28機が、津波の直撃を受けて海水に浸かったり、津波に流されて建物に突っ込むなどして使用不能な状態に陥りました。
使用不能になったこれら28機の中には、同基地の第21飛行隊に配備されていた18機のF-2Bも含まれており、比較的被害が軽微であった一部の機体は修復される事になったものの、残念ながら被災した機体の過半数は修復不可能と判断され、廃棄される事になりました。

このニュースを聞いて、「津波が基地に到達するまでに、せめて何機かだけでも、離陸させてその場から退避させる事はできなかったのか?」という疑問を持った方は少なくなかったと思います。
実際、私もこのニュースを初めて聞いた時は、そう思いました。
私は前回の記事(今月4日の記事)で、有川浩さんの『空飛ぶ広報室』という小説を紹介しましたが、その作品の中で、この疑問に対する具体的な回答が明確に書かれていました。
ちょっと長くなりますが、以下に、その回答となる部分(帝都テレビのニュース番組ディレクターであった稲葉リカが、震災後に松島基地を訪れるくだりの一部)を転載させて頂きます。
特に、自衛隊に批判的な方はしっかりと刮目して(笑)、読んで下さい!
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受付の入っている庁舎は、リカの背丈ほどの高さに赤いテープでラインが引いてあった。
『津波ライン』と書かれたそのラインのところまで水が来たのだという。
見渡すと、敷地内の植木があちこち赤く立ち枯れている。津波の海水で枯れたのだろう。
「あれも当然浸かったわけですよね」
リカは中庭に置いてある尖頭器のモニュメントを指差した。津波ラインに従えば、コクピットの辺りまですっかり沈んだことになる。
「モニュメントだけで済んだらよかったんですけどね」
空井はそう言って頭を掻いた。
「駐機場にF-2や救難ジェットがぷかぷかですよ。そのまま格納庫に突っ込んじゃって…」
機首や尾翼を建物に突っ込んで擱座している航空機の映像は、帝都テレビの報道特番でも放送している。
「津波が来る前に何機かでも飛ばすことはできなかったんでしょうか」
尋ねたリカに空井が振り向いた。目尻に笑みがにじんでいる。
リカが何故それを訊くのか分かっている顔だった。
「広報班長が手ぐすね引いて待ち構えてます。その質問もぶつけてやってください。― 持って帰ってください、あの日の僕らを」
顎を強く引いて頷いた。そのためにここに来た。
庁舎の一つに案内され、会議室に通された。「待ち構えて」いたのは鼻の下に髭を立てた熟年の幹部自衛官だ。空井の直属の上司に当たる広報班長その人である。
( 中 略 )
やがて話が被災時のことに向かった。
航空機が水没している駐機場や、泥を被って擱座したF-2など、被災時の写真がスライドに映される。報道にも資料映像として提供され、何度も放送されたものだ。
「津波が到達するまで一時間ほどありましたが、その前に飛ばせなかったんですか?」
ぶつけてやってください、と言われたとおりにぶつけた。
「当日の状況をご存じない方はそう仰るんですが…」
髭の広報班長はもどかしそうに顔をしかめた。
「当時は絶え間なく余震が続いていました。揺れている間は隊員たちも安全確保が必要ですし、事故があってはいけませんから機材を動かすこともできません。また、基地そのものがあれほどの地震に見舞われたとあっては、滑走路を総点検しないと飛行機を上げることなどできません。全長二七〇〇mもある滑走路を総点検するには最低三十分はかかります。更にすべての航空機をプリフライトチェックしてタキシーアウトさせるわけですから…」
リカの知識レベルを逸脱しそうになった説明を、空井が横から引き取った。
「通常状態の航空機は、電源を入れて飛行前点検を行わないと離陸できません。それから滑走路に移動するとなると、全航空機がエプロンを出るだけでも二、三十分かかるでしょうね」
アラート待機なら緊急発進指令に応じて五分で離陸する態勢を取っているが、松島基地に所属しているのは実戦部隊ではなくF-2の教育隊である。
救難隊のヘリなら垂直離着陸できるので上げられたのではないか、という批判もあったが、当日は予定されていた訓練が中止になるほどの悪天候で、スタンバイしている救難機はなかった。
仮にスタンバイしている機があったとしても、救難ジェットの主翼がしなって地面に着くほど激しい揺れに見舞われたとあっては、通常よりも綿密な機体点検が必要だ。
「そして、津波は地震発生から三十分ほどで到達するという警報が出ていました」
三十分で津波が来るという警報が出た中、三十分かかる滑走路の点検に隊員を駆り出す選択はあり得ない。
結果的に津波が来たのは一時間後だが、それはそれこそ結果論に過ぎない。
ここは資料映像にナレーションを重ねたほうが説得力が出るな、と構成を思い浮かべつつメモを取る。庁舎の屋上に隊員が避難している記録映像が空自広報から提供されている。
「当時の基地指令が人命優先を即断して避難指示を出したからこそ、松島基地は勤務中の隊員に一人の犠牲者も出さずに済んだのです」
津波の後、泥を被って擱座したF-2の映像は何度もテレビ画面を賑わした。もしも航空機を離陸させることに執着していたら、F-2の代わりに泥を被って倒れていたのは隊員たちだったのかもしれない。航空機は離陸直前まで整備員が立ち会っていなければならない運用手順だ。
「松島基地はその後、無事だった隊員を全投入して災害救助活動に乗り出しました」
ふとよぎった違和感がそのまま口を衝いて出た。
「松島基地も被災しているのに、ですか」
すると広報班長の口元が緩んだ。
「そこに気づいてくださる方は稀です」
柔らかな示唆に思わずリカの目線は下がった。松島基地の自衛官たちが被災者として扱われていた報道など今まであっただろうか。少なくとも帝都テレビのニュースでは見かけたことがない。F-2が流された、救難ジェットが流された、甚大な損害が出たとそちらばかりを喧伝していた。
基地が完全に水没するような被害を受けてさえ、自分たちは自衛官である彼らに被災者の資格を認めていないのだと今さらのように気づかされた。
「しかし、我々は自衛官ですから。どんな状況にあっても支援する側に回るのは当然の義務です。被災したことは同じでも、我々は有事の訓練を受けております」
「でも…隊員にもこちらに家族のある方がいるでしょう。心配じゃないんですか」
尋ねたリカに、広報班長は「もちろん心配です」と頷いた。愚問だったと顔が火照る。
「ですが、自衛官はみんな妻や子に言い聞かせていると思いますよ。もし何かあっても俺は家にいないから何とかやってくれ、とね。それが自衛官と所帯を持つということです」
大きな災害があったとき、一家の大黒柱は被災地へ急行する。たとえ家族が同じ被災地にいたとしても、見知らぬ他人を助ける任務を優先するのだ。
( 中 略 )
途中で車を停めてしばらく休み、空井がリカを案内したのは格納庫だった。
中央でぴたりと合わさるはずの扉が歪み、隙間が空いている。
「地震でレールが歪んでしまって、これ以上は閉まらないんです。あの日も…」
整備員がせめて格納庫の扉だけでも閉めて逃げようとしたが、閉めきらずにやむなく避難した。
「隙間から水が流れ込んで、飛行機がぷかぷか浮いちゃって…格納庫の中で押し合いへし合いになったようで、全機が破損してました」
彼らがギリギリまで最善を尽くそうとした痕跡はいくらでもある。ただ報道されていないだけだ。取材に来る者が彼らの思いを汲み上げていない。派手な映像だけをかき集めて去っていく。
「…ごめんなさい」
いたたまれなくなって俯いた。
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自衛隊の皆様方には、ただただ、頭が下がります!