前回に続きで。


撒いたものを順繰りに回収していきます。
4:3を採用しなければならなかったのはトーキー前のフィルムや
VHSの印象を引っ張って来た方が呪いの説得力につながりやすい、
からです。

今の時代では多くの情報が比較的安易に得られる結果、オカルトと
いうものの必要性が薄れてきているように感じられます。
オカルトとはまず事象があり、現場感覚では存在するなにかが、
その原因が不明だったりメカニズムがブラックボックスである
という場合に生み出されるものであると考えると筋が通ります。


テクノロジー的に考えて、なにをどうやっているのかイマイチ
掴めない、という環境にこそオカルトは生まれる。そこが
あけすけになってしまえばオカルトは存在意義を失っていくのです。

そこで、現代的な環境よりも古い環境で作られたもののような
印象操作をするために4:3でサイレント演出を採用しているという
面もあります。
・・・というのは結果論ですが。


■■■■■■■■ここまでは半ば嘘を含む■■■■■■■■

実は真実としては、ロケ地である公園の隣には巨人軍の練習グランドが
ありましてですね。さらに当日は強風吹き荒れたため、ショットによって
木々のざわめきの音が全く変わってしまって音の編集がしにくいという。
加えてセリフもスムーズではない部分がちらほら。

「…フルボイス、やめてもいいかな、これ」

悩んだあげくに聞いてみたところ、よきようにしてくださいとの
許可がおりました。ありがたい。


…因果関係は逆でした。
かくして。セリフをもう一度見返して厳選に厳選を重ね、文字数を
減らすべく必要最小単位まで削りました。
削る段階で判断基準とするのは民俗学的配慮です。先述のように
オカルトにおける説得力というのは、その成立過程と文化的背景が
ポイントとなります。

なので、脚本の時点で清二は無学無信心の印象にして、逆に
山賊の頭目には「愛」というキリスト教圏的イメージの強い単語を
使用させて対立軸にしました。

呪いというものは、フィクションにおいては呪う方と呪われる方、
そのどちらからもその実在性を信じてもらう必要があります。
例えば、
「呪いなんてあるわけがないんだ!」
と言っている人物が呪われるというストーリー展開の場合は
「あるわけないんだ!」
というのがむしろ逆に呪いを信じている証拠となるセリフの様に
配置する必要があります。あるかも知れないと思っているから
否定するのです。
なぜそうしなければならないかというと、呪いのメカニズムは
ブラックボックスであり、それは「呪う方」が起こしているのか
「呪われる方」が起こしているのか断定できずどちらの可能性も
立てておくのがより確からしいからです。

呪いというのは宗教的です。その背景には信仰がある。
現世への死者の介入の可能性を信じる者が呪いをかけるし、
死者の介入の可能性を信じる者が呪いにかかる。果たして
死の淵でその想いが残るのか、もしくは生きている者がその
想いを作りあげて現実上に再現してしまうのか。


ここら辺のちょっとした配慮が民俗学的な説得力につながります。
なぜならば、地域や人によってなんとなく信じている説が違うからです。
どちらでも捉えられるようにしておくというのが重要。
説得力を高めることにつながります。

そういった理由もあるので、酒盛りのシーンでは頭目と山賊に
献杯をさせています。呪いの現象を引き起こしているのは鈴子という
ストーリーですが、そうとは言い切れない部分をわずかに残すことで
物語的な広い視野とオカルトの説得力につながると私は考えています。

で、セリフの詰めを進めていきまして。今回の動画となったわけです。




はてさて。
今回もオールEDIUSで作業しました。
メインビジュアルがフォトショだったので、レイヤー分けする
部分だけはPhotoshopですが。

自分たちは予算的にもあまり時間はかけられないので、
所謂コンポジットにあたるものは極力せずに編集アプリ上で
完了出来る範囲でほとんどの作業を完了させます。

さっと作業出来るというのは自分たちには重要なことです。

そんなこんなで。