親と一緒に死んでしまえば良かったのに

81年目の終戦記念日。

「親と一緒に死んでしまえば良かったのに」

私が大学を卒業して勤務した茨城県の児童養護施設は戦後間もない昭和22年、上野駅地下道の戦争孤児を収容することから始まった施設です。

開設当初入所していた人たちに、その当時の話を聞く機会が何度もありました。

また、東京の児童養護施設勤務時代は戦争孤児に関する展示や遺物に接す機会が多々ありました。

その中で出てくる話が

「親と一緒に死んでしまえば良かったのに」

という言葉です。

親を失った子供たちの多くは親戚等に引き取られましたが、誰もが生きることに必死の時代、親戚の子と言っても面倒を見る余裕がない時代でした。引き取られた家で虐待や実の子との差別を受けして家出したり再び浮浪児になったケースも多数見受けられました。

81年前の終戦、そしてその後続いた苦難の時代を思い起こす日です。

 

「戦争を知らないやつが出てきて日本の中核になったと時怖いなあ」(田中角栄)

「軍備拡張」「軍事費〇パーセント」声高に叫ぶ政治家や評論家は後方で安泰。

兵士として役に立たない人や子ども、高齢者、障がい者が悲惨な目に合うのが戦争。

戦後81年、祈る日、心に刻む日。

 

沖縄戦を生き抜いた子どもたちはどうなった? 失った家族、孤児院で衰弱死...

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1354394.html

 

8月14日深夜に発生した事件

8月14日深夜から15日にかけて日本人が日本人に向かて銃器を手に起こした、すなわち降伏(ボツダム宣言受諾)を阻止しようとした一部の陸軍省将校と近衛師団参謀が引き起こしたクーデター事件。

このことも忘れてはならない終戦前後の事柄の一つ

 

宮城事件研究室(入口)

https://web.archive.org/web/20130128193608/http://www42.tok2.com/home/moijan/kyuujoujiken/index.html

 2026.08.14宮城事件

ランドセル地蔵尊

11年前の8月、八王子市にある浄土宗東原山相即寺のランドセル地蔵尊に行ってまいりました。

太平洋戦争終戦間近の昭和20年7月8日、東京品川の原国民学校四年生であった神尾明治君が、疎開先の元八王子隣保館保育園で米軍飛行機P51の機銃掃射で銃弾を受けて、明治君は「お兄ちゃん、痛いよー」と言いながら幼い命を落としました。悲報を聞いて品川から駆けつけた母親は、愛し子の死を悲しみ、形見のランドセルを明治君の面影に似た相即寺の地蔵尊に背負わせたのだそうです。母親も半年後、病気のために亡くなっています。しばらくして、児童文学作家古世古先生が「家出ねこのナゾ」を書かれて後、初めて真相が判明したそうです。毎年6月23日、7月8日、8月8日だけ御開帳されます。

81年が経過し、現在はそのお地蔵様の隣に当時のランドセルがそのまま置かれています。

「戦(いくさ)とは人と人が殺し合うことだよ、大人とか子供とか、男とか女とか関係なく」そう教えてくれた、沖縄で出会った戦争体験者の言葉を改めて噛み締めています。

 2026.08.10-2








2026.08.10-1

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