捨てられた昨日

「ねぇ、いっちゃん、今日はこれからみんなと飲み会あるけど、どうするの?」
会場の出口で紅白饅頭を貰い、外へ出て、久しぶりの外の空気を深く吸い込んでいると、優が足元のヒールを眺めながら尋ねてきた。
「夜勤明けで眠いし、特に会いたい人も居ないし・・・俺に会いたい人も居ないだろうし、今日もバイト入ってるから帰るよ」
我慢していたあくびが、でてきてしまった。手のひらで口を押さえていると、優は少し悲しげに、そっかぁ、と答えた。
「や、たぶんね、いっちゃんはまだお酒飲めないし、バイトも最近忙しそうだから出ないとは思ってたけどね、・・・私は久しぶりにご飯一緒に食べたかったな」
言葉が終わるにつれ、段々と小さくなっていった。ポンと頭を手のひらで叩くと、ぐしゃぐしゃと髪を乱すように撫でた。
「あっ、またそれ。髪結ってなくて本当によかった!いっちゃんそういうの見境なくしそうだもん」
「ご飯ならまたいつでも食べられるだろ。大学だって同じなんだから、学食でも会える。元気ないのはお前らしくないって」
「そ、そうだけどー」
「あっ、いたいたー!優ー!」
「優探したよ、このやろー、また遅刻したんでしょー!」
振袖を来た女性二人組が群衆をかき分けてこちらへ向かってくる。面識はないけれど、確か優の友人の中の二人だったはずだ。
「ご、ごめんなさい、起きたは起きたんだけど会場間違えちゃって・・・」
「もう優相変わらず遅刻魔だなーって・・・あれ・・・」
「瀬之本・・・君?」
こちらへたどり着くなり優へ文句を言ってたかと思うと、俺がいることに気がつき、二人は驚いた顔をした。
「はい。お二人は・・・古賀のご友人ですよね」
「そ、そうですっ、瀬之本君、あの、今日は飲み会に来るんですよね?あたし瀬之本君と1度お話してみたくって・・・」
「あっ、ずるい!あたしも、瀬之本君と飲みたいんですー!」
「あたし高1のときに同じクラスだったんだけど覚えてる?」
「あたしは部活が一緒だったんだけど覚えてるよね?」
二人は自分の言いたいことを、こちらの返事を待たずに次々と口にする。まるで争うかのように。優はそんな二人の様子に慌ててはいるが、何分小柄なもので、止めようにも間に入ろうにも無理だった。
ー正直、面倒臭いな。内心、苛つきを覚える。
「鈴木さんは確か体育大会の実行委員会に入ってましたよね。あの時は練習で1日疲れたあとに、話し合いをするなんて本当に疲れましたね」
「田中さんは夏休みの間にオーストラリアにホームステイに行ったんでしたよね。コアラが意外と臭くてショックだったって言って、落ち込んでましたね」
1人1人顔を見て、記憶をたどり、微笑みながら答える。わざわざ思い返すような良い思い出はなくとも、今でも思い出せるような良くない思い出はたくさんある。二人とも、今と変わらず同じようにピーチクパーチクと喚いて愚痴を言っていたはずだ。
「やだー!瀬之本君って記憶すごくないですか!?」
「ホント、よく覚えてますよね!!」
ーすごくうるさかったから、忘れようにも忘れられないよ。そんな言葉がつい出そうになる。
「今日の飲み会ですが・・・僕はアルバイトが入ってて行けないんです。久しぶりにみんなと飲みたいなって思ってたんですけどそうもいかなくて。って言ってもまだ未成年だから飲めないんですけどね」
残念そうにため息をついて首に手をやる。
「えーっ、そうなんですか?」
「せっかく飲めると思ったのに残念ですー!」
「ほ、ほらっ、そろそろ美容室行って着替えなきゃでしょ?早く行かないと混んじゃうよ!」
優が一生懸命、合間をぬって割り込み、二人をぐいぐいと押す。
「あ、ホントホント!残念だけど行こっかー!」
「そだねー、優またメールするから!今度は瀬之本君も一緒に飲みに行こ!」
「わかった、わかったからー」
更にぐいぐいと押すと、ようやく2人は、手を振ってどこかへと消えていった。
「はぁ・・・ごめんね。騒がしくて。あとで合流しようと思ってたんだけどね、成人式で興奮しちゃってる感じ」
「まぁ・・・優が悪いわけじゃないよ。成人式で浮かれるのも、仕方ないことなんじゃないか」
「それにしてもいっちゃんは・・・」
じとっとした目で、優が俺を見る。
「なんだよ」
「愛想良すぎ。この裏表やろー。私にも優しくして。あれぐらい」
「十分優しくしてると思うけどな。昨日も朝早いからって、夜勤明けにモーニングコールしましたけど」
「『起きろよ。じゃあな』だけだった〜、もっと優しく起こしてよ〜」
優が俺の声真似をする。なぜか腕組みまで。思わず笑ってしまう。
「優しく言ったら早く起きれるなら、ずっとそうしてるって。それになにその腕組み」
「私のいっちゃんのイメージ」
「・・・そうか、俺はそういうイメージか」
「『お二人とも、振袖がよくお似合いですよ』」
優が、右手をあごにやり、左腕の上に右肘を置く。心なしかキリッとした表情をしている。
「もうやらんでいい。それにそんなこと言ってないし、やってない」
「会心の出来だったのに」
「似てるのかすら判断できん・・・あ」
上着のポケットに入れておいた携帯電話が震えている。見ると、祖父からだった。優に、ごめん、と頭を下げるとすぐさま通話ボタンを押して耳に当てる。
『樹、いまどこにおるんか、もう式はとっくに終わっとろう』
また迎えに来てるのか・・・そう思い、内心ため息をつく。
「ごめん、式はさっき終わったんだけど、友達と話してた。出口の噴水の側だよ。じいちゃんはどこにいる?駐車場?」
『駐車場におる。飲み会なんぞでらんやろ。こっち来い』
ー元々、飲み会なんてでないけど。また決めつけか。慣れてはいるけど。
「うん。出ない。すぐ行くから。じゃあ」
プツっと通話終了ボタンを押して、上着のポケットへと携帯電話を戻す。
「・・・そういうわけだから、今日はもう帰る。飲み会もいいけど、程々にしとけよ。親御さんたちに心配かけない程度にな」
「うん。わかった気をつける。また学校でね」
優は、にっこりと笑って手を振る。優はなにも言わない。初めこそ祖父の過干渉、過保護に驚いてはいたけれど、みんなのように、おかしいだとか、心配だとかは言わない。それを言われても俺はどうすることもできなかったし、心配だと言っても俺の負担になるだけだと、優は分かっているんだと思う。
気にすることは、気にする人をまた気にするということが増えてしまうだけだ。
薄情だと思う人もいるかもしれない。でも自然に受け入れてくれる、ただそれだけで俺は楽だった。

帰りの車中、何時に終わると行っていたから待っていたが一向にでてこないから連絡した、何故すぐにでてこないんだ、何故終わったなら終わったで連絡をしてこないんだ、などの説教をのらりくらりと適当にかわしていた。
何時と言ったって予定だから変わるよ。式が終わったら友人と話すぐらいするよ。今日は終わったらそのまま帰るっていったから、来てるとは思わなかった。
どう答えても、祖父は納得しない。自分で迎えに来ておいて、待たせたと怒られても、どうしようもない。
女ならまだしも、男なのに、祖父が俺に固執するのには訳があった。俺は母親に、そっくりな顔で産まれてきた。14年前、祖父も俺も知らない男と、どこかへと失踪してしまった母親に。

今日というのは、昨日どんな感情をもってあがいたとしても訪れる。
楽しみでも、悲しくても、平等に。
明日というのは、今日どんな感情をもってあがいたとしても訪れる。
辛くても、心待ちにしていても、平等に。残酷に。

どこからともなく、誰かや、また知らない誰か、一度は学校で見かけたことのあるような人の会話の端々が、ぽつぽつと漏れて、ざわめきを産みだしていた。
誰かに声を掛けるわけでもなく、掛けられるわけでもなく、会場の前へ前へと進んでいった。広いとはいえ、その広い会場にやがてはたくさんの人間が集まる。
想像するだけでなんだか胸が詰まりそうで、せめて真ん中ではなく最前列を陣取ってやろうと考えた。最前列は教室でも、講義室でも、好かれはしない場所だ。
成人式は、地元の大きなホールで行われた。
いつかテレビで見たような、市長の長ったらしい挨拶や、有志による実行委員会の、催し物。
母校に行き、メッセージを貰うという、何処にでもあるようなビデオが流れる。
卒業して何年も経つというのに、未だに同じ学校に居るとは、驚きだ。
それとも、わざわざ学校に呼んだのだろうか。そうだとしたら、さぞ大変だったろうー。
在学中は新任だった若い女性教師が結婚していたことを知り、会場がざわつく。厳しくて鬼だと言われていた生活指導の男性教師が、すっかり老いてデレデレの笑顔でその腕に孫を抱いている姿を見て、会場が笑いに包まれる。
そんな雰囲気の中、ビデオを楽しむのでもなく、ただ、実行委員会の苦労だけを想像していた。
中学、高校と特に不自由を感じたことはなく、普通に過ごし、普通に卒業した。ただそのかわり、これといって思い返すような楽しい思い出もない。
ただ、あぁ、こんな先生も居たなぁと思い出すだけだ。
ビデオが終わると、最後に「大人としての役割、義務」の話を説明され、中学生の時に1度見たような、税金を説明するビデオが流れる。会場からは、「またお説教かよー」「早く飲み会行きてーな」などという文句の声がちらほらと聞こえる。既に成人してお酒を飲んでいるような者もいるだろうが、それとはまた違い、成人式のあとの飲み会というのは格別なのだろう。自分はまだ未成年なのでお酒は飲めない。飲み会に参加するつもりもない。ただ、早くこの退屈な空間から解放されたいという気持ちだけは同じだった。
そもそも成人式にでるつもりもなかったのだ。しかし、アルバイト先の店長から、「特に楽しいことがあるわけでも、特別なことがあるわけでもないけど、成人式だけは出ておいて損はないと思うよ」との勧めがあって、では出てみようか、となった次第で、それに加えて夜勤明けで、眠気も非常に辛い。
終われば速攻帰って布団へ潜り込みたい。布団を想像したらあくびがでそうになったが、流石に最前列であくびをする勇気はなく、こらえた。

「いっちゃん」
「ねぇ、いっちゃんてば」
あれから、ずっとぼーっとしていたのだろう。不意に肩を叩かれ、驚く。
「!、あ、ごめん、終わってたん……え」
ふに。振り返ると、ピンと立った人差し指で頬を押された。古典的な悪戯に引っかかってしまった。
「引っかかったー。珍しいね。いっちゃんがぼーっとしてるなんて。一番前に居たからすぐ見つかったよ。式、もう終わったよ。出口で紅白饅頭配ってるよ。貰いに行こ」
綺麗な長い黒髪が、こちらを覗きこむと同時にさらりと流れる。周りはほぼ全員と言っていいほど、振袖に加えて髪を上へ結っているというのに、この子はスーツ姿で髪はそのまま下ろしている。普通に、皆と同じように振袖を着て、めかしこむものだとばかり思っていたので、少しばかりじっと見ていると、ニコニコと優しげに微笑んで、俺の顔の前で手のひらを振る。
「なに?寝惚けてるの?それとも・・・スーツ姿、かっこよくて見とれちゃった?」
「あ、いや悪い。夜勤明けで眠くて・・・それに優、振袖着てないんだなと思って。てっきり着てくるものだとばかり」
「うーん、着たかったんだけどね!お姉ちゃんのはサイズが合うわけないし、レンタルでも結構高いし、なにより」
はぁ、と優はため息をついた。
「なにより?」
「朝すっごい早起きしてから美容室へ行かなきゃならないの」
「・・・優には無理だな」
思わず苦笑いしてしまう。優は小学生のころから有名な遅刻魔だった。普通の授業だけでなく、運動会や遠足でさえも遅刻した。
家が近所であることから、担任から迎えにいってから登校してもらえないかというお願いをされたこともあった。
しかし優は、果てしなく寝起きが悪く、起きてもしばらく経たないと支度を始めない。どうにか急かして支度が終わり学校へ向かうと、一時間目が終わろうとしていた。
それからはさすがに担任からのお願いはなくなったが、なんとなく気になり、起こすだけ起こして自分だけ先に登校するというシステムができあがった。流石に高校に入ってからは、目覚ましで起きるようにはなったが、未だに早起きだけは苦手なようだった。
「でしょう。それに、終わってからまた美容室へ行かなきゃいけないの」
「それはまた・・・面倒臭がりの優にはとても無理な話だ」
立ち上がり、優の頭を手のひらでポンと叩く。いつまでもここにいるわけにはいかないなと歩き出すと、後ろから優がついてくる。
「でしょう?」
隣へやってきて、にへっと優が笑う。
「褒めてないんだけど」
「私は都合のいい頭と耳を持ってるの」
優は、得意気にニコニコと笑う。
「それは俺も欲しいね」
「いっちゃんにも分けてあげるね」
「分けられるものなのか」

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