業界のカタスミで細々と~涙のサンダーロード

家庭とゴルフと福岡を愛する団塊世代の日記です。福岡市出身。世田谷区桜丘在。誰も相談に来ない音楽コンサルタント。フリーランスの個人事業主屋号はTHUNDER ROAD。音楽業界45年目。特にレコード会社現場時代は洋楽黄金の80年代。業界の片隅で今だ細々と粘っているオッサンの、ボケ防止を兼ねた音楽業界人生の整理と復習です。想い出は美しく記憶は嘘つき。基本テーマは仕事で関わった洋楽昔話ネタとたまにゴルフ話。好きなものはブルース・スプリングスティーン。幕末と明治維新。特にジョン万次郎と坂本龍馬。忠臣蔵。秀吉信長の時代。スターウォーズとマーヴェルコミック。キャプテンアメリカ&アヴェンジャーズ大好き。中でも一番はブラック・ウィドウ。    

FM東京Tだ社長のエアプレイ至上命令とか出ちゃって、秋から怒涛のアプレイが始まりました。通常の大プッシュものでしたら、シングルヒットを狙うわけですから、楽曲をひとつに絞り込んでいくものです。とは言え、ウィリーに関してはそんなの滅相もありませんし、必要ありません。そもそもFM東京の場合は1曲に絞り込んだヘヴィ・エアプレイなぞ、なかなか難しい状況にありました。

images (33)こちらとしては”スタンダード楽曲を歌う渋くて味わい深い大人のシンガー”がいますよ、というアーティストの紹介とその人気づくりが主たる目的です。宣伝的にも”アーティストとアルバムのクォリティを伝えてくれるメディアがFM放送”という捉え方もしてました。幾つかのアルバムから数曲ピックアップして、かけまくってもらったものです。それにしても、あれ?このジャケット写真、モロ・カントリーじゃん、Sげとさん、コンセプトどうなってるの?話が違うって。


images (68)スターダスト、モナリザなど年末までかかりまくりでした。かけてる方も聴いてる方もそろそろお腹いっぱい状態です。そこへタイミングよく待望の新譜が届きました。アルバム”枯葉~ハーバーライト”1月発売です。リード楽曲はそのまんまハーバーライト。売るべき商品登場です。これでキャンペーンに柱ができました。実際新譜がないと、やりづらいものです。ちょいポイントずれますが、そもそもレコード会社の流通システムは、新譜新譜と続く事でうまく回るようになってますし、マグロの回遊性と同じで新譜が途切れると非常に不具合出てきます。これはまた別の機会にでも。

images (11)さ、こうなったら新曲”ハーバーライト”に絞り込んで一発かまそうぜ、となるところでしょうが、そうはいかないのです。色々あるんです。まずこの当時はFMエア・チェックの時代でもあり、FM放送とFM誌が共存しています。そのため番組内容と選曲を告知する番宣という呼ばれるシステム?がありました。FM誌が掲載している番組表に向け、何が特集されどういう曲がかかるのか、の情報を局の担当者は番組制作関係者から集め、とりまとめて出版社側にサプライしています。


images (37)images (36)FM誌は月2回の発行でしたので、番組制作者も月2回番宣に体合わせます。そして局担当者は集められた選曲表を見つつ、ある作業も行ってました。ま、言ってみれば”FMらしい健全な曲が健全なバランスで選曲されているか”のチェックですね。この80年代初頭は、まだFMとはこうあるべきだ、とか、うるさい音楽はダメだ、とか何かと制約残っていたかと思います。

(↑隔週なのに週刊FMってこれ如何に)検閲というと言い過ぎですが、エアプレイ調整です。ひとつの曲が一日に集中する場合とか、エアプレイが連続するとか、そういう場合には、行政指導を入れる事ありました。要するに偏りを修正しつつ、同じ曲が1日に何回も、とか1週間にやたら沢山かからないように調整します。

私がFM担当していた70年代後半は、一日1回で1週間で7回オンエアでマックスとか、そういう感じでした。と言いつつ80年代頭はどうだったのか、急に弱気になりました。もうそんなことはなかった?このブログ、FM関係者見ていたら教えてください。
後には、FM放送でのヘヴィエアプレイがヒット曲をうむ、という時代を向かえますが、この頃は、まだそういう単語すら知らない時代でした。

images (8)商品としては、この1月新譜のLPとCDを軸に、2月には、かってLPのみだった、スターダスト、モナリザの2作品のCDを発売。そして来日公演直後の4月には、LPではありますが高音質で高価格帯のマスターサウンドとして、モナリザ、スターダスト、青い影、ハーバーライトを発売しています。時代的にまだCDは黎明期でしたが、機会をとらえては積極的にCDにて再発しています。またアナログ盤で再発行う場合は、このMSシリーズを多用していたと思われます。(上から2枚目ジャケットの黒帯はそのMSシリ―ズものです)

unnamed (38)前後しますが来日中に、TVCMの撮影も行われました。SげとNりの二人がEPICで仕掛けたフリオに関してはSONYではなく、挑戦的にPANASONICへ持ち込み大成功しています。街の電器屋店頭にフリオの立て看板ありました。今度はSONYもきっちりCMに起用してくれました。SONY オーディオコンポLIBERTYです。音楽は”ハーバーライト”。まさに、来日公演で大きな話題を集めた直後からCMはスタートしています。

CBSソニーがウィリーネルソンを大々的にプロモーションしてる事で、アメリカのステーションが会社に取材に来た事もありました。そりゃそうですね。極めてアメリカ的なアーティストを日本の会社が仕掛けている、という事です。逆なら、アメリカのメジャーなレコード会社が、日本の演歌歌手を大きく売り出そうとしてたら、日本のメディアも、なんでなんで?って取材に行くに決まってます。

日本公演の日程は1984年2月22・23日東京・日本武道館。24日大阪フェスティバルホール25ニチ大阪厚生年金会館。28日名古屋市民会館。

この来日公演と滞在中の仕込みで最後の仕上げにはいります。日本公演に先駆けて夜のヒットスタジオもブッキングされています。なにやら、事件の雰囲気が、、、。








ダウンロード (57)落としどころになる来日公演も確定し、次は音の露出確保に動きます。FM東京をどう巻き込めるか、です。言い方悪いっすね。”いかに御協力頂けるか”、の交渉ですね。ここは、コンサート・プロモーターのKョード―東京SんぺいさんとSげとさん、部長のOにしさんら数人でFM東京へ乗り込んでいきます。あ、これも言い方ダメですね。まだ西新宿KDDIビル(当時はKDDビル)31FにあったFM東京を訪れさせて頂いた,という事です。この頃、FM東京ね。TFMじゃなかったっす。

当時のTだ社長と直談判。”いま何故ウィリー・ネルソンなのか”を熱く語り上げ、社長以下幹部を説得。こういう、今なぜ?的なプレゼンテーション資料、Sげとさんは作成する事、得意でした。ま、要するに強引なでっちあげです。こういうのは、全て我々の思い込みと妄想で動いています。パッションです。ひとを動かすって、そういう事です。

ダウンロード (55)このプレゼン資料見てませんが、想像できます。きっとこんな感じですよ。勝手な推測ですみません。
”世の中はOOな文化の流れがあり、この一翼をメディアは担っている。特にFM放送の台頭によって音楽文化のすそ野が広がり、新しいFMカルチャーを創出している。TVに対するカウンターカルチャーでもあるし、FM放送はますます影響力をもつはずだ。新しい文化は新しいメディアによって作られる。CBSソニー洋楽としては、特にFMと一緒にマーケットを作りだしたい。一緒にヒット曲を生み出しましょう。”
てなヨイショ的なプレゼンをもって、来日公演まで一緒に歩むことになったはずです。

images (31)スタートは10月頃。秋の夜長とFM放送。流れるのは味わいあるウィリーの渋い歌声。オンエア曲は名曲”スターダスト”。てな図式が浮かびます。我が心のジョージア、モナリザ、とほんと、長い間よくかかってました。当時のCBSソニーの自社番サントリー・ミュージック・スコープでもエンディング・テーマは来日までウィリー・ネルソンでした。

FM番組関係者の現場は大変だったと思います。Tだ社長からの全局エアプレイ至上命令なぞでちゃって、局内の上から下までウィリー漬けになりました。その頃のFM番組制作していた皆さん、いまさらですが、ゴメンね、ってか。実際FMのリスナー的にもイヤとなるほど耳にしたはずです。

images (22)また翌年の来日公演時には、特番として大阪公演の模様をライブ放送しています。生放送でのライブ中継です。これは関係者全員痺れますよね。もちろん何度も打ち合わせをし、タイミングだけは百万回くらいくどくお願いしていたはずです。それでも心配ですよね。でもそこは大人です。CM終わりでびったりにウィリーの演奏が始まったそうです。担当DのBばさん、本当に安心したでしょうね。リスペクトに変りました。

images (35)戦略に基づいて、ウィリーを新しくする紹介する写真や周辺情報のため、US取材もおこなれています。担当のSげとさん、Oにし部長、ジャーナリストのSずき先生、フォトグラファーのWリアムHイムズ。そしてCBSのJュリアン・Sピロで、テキサス・オースティンを訪ねています。


images (2)現地でのライブを取材し、ウィリーが所有しているプライベート・ゴルフ場。そしてそこにあるプール付き録音スタジオなど取材。男が憬れるものを手にしています。まさにアメリカン・ドリーム的な写真や情報を、日本のリーマン向けや大人の男たちの雑誌に掲載してもらいます。どうだ、格好いいだろう、って、

images (34)彼のスーパーぶりを数値でも表現します。彼は大金持ちです。所有している数カ所の別荘やゴルフ場、(会員ではなくオーナーですよ)の土地全て合わせると、九州と同じ広さになる、という記事も出ました。これはエーカーと平米の換算ミスで、そうなったらしいのですが、所詮パブリシティとはこういうものです。これくらいハッタリがないと使ってもらえません。出しちゃったもの勝ちです。(これイメージ写真です)

ダウンロード (25)週刊現代や他マガジンハウス系男性週刊誌を軸にアメリカンドリームを成し遂げたスーパー・スターのライフスタイルや、男のあこがれやロマンを刺激するかのようなグラビア&記事は話題を呼び、この記事を見た他メディアから幾つか取材がはいりました。狙いはまさにこれ。この写真の様なイキフンものです。ま、80年代当時流行ったAORを思わせるイメージです。これネットに転がってました。プロモ用のパンフレット?ライナーノーツかな?

ウィリ-・ネルソンの来日公演は1984年2月末。このタイミングはベストだったと思います。前年秋から全面協力体制にあったFM東京も、さすがにヘロヘロ気味になってましたが、最終着地点が2月末の来日ですから、頑張れるというものです。FM番組制作関係者の気持ちとしては、ゴール間近でムチ入れられる競走馬の心境だったのかもしれません。

ダウンロード (58)ダウンロード (59)そしてCBSソニー洋楽部門の1984年前半はと言うと、私の担当案件で恐縮っすが3月スタートのフットルース。6月のBORN IN THE USAと2大プライオリティを抱えてました。自分で言うか!

特にフットルースは夏の映画公開まで毎月シングルカット攻勢を続けるという長丁場でしたし、スプリングスティーンにしても”誰もが知ってるヒット曲”をつくらねばなりません。制作マンとしての私はウィリーには1ミリもタッチしてませんが、宣伝部隊は全作品に係わってますし、大型の新譜をそれぞれバッティングさせないようにメディアに取り上げてもらわねばなりません。

そういう意味でも2月末までに大きな仕掛のウィリー終えて良かったですね、と大きなお世話のいまさらジローですが、あらためてそう思います。(ウィリー物語、もうちょっと続きます)
















images (15)我々レコード会社は音楽がいいからやろうぜ、って事が基本中の基本ではありますが、新人でも中堅アーティストでも、本気でまだブレイクしていないものを狙う時は、決断の前にクリアしないといけない諸条件あります。プライオリティ案件は投資です。大量の宣伝費をぶちこむわけですし、スタッフも時間とられます。お金と体力の投下に相応しいかどうかを確認しておく必要があるというものです。

ダウンロード (53)まずはアーティストとCBSの契約がどうなっているのか確認する事は大事です。せっかくブレイク成功しても、次の新譜は違うレーベルから、ではガッカリです。次もサプライされる保証がないといけません。中堅どころの場合は、バック・カタログはどこまで揃っているのかも大事な事です。当時はそういう時代でした。

ヒットがでると、過去作品も売れたものです。そういうユーザーが洋楽マーケットを支えていました。ここは大事なポイントでグロスの売り上げに関係します。ちなみに当時の洋楽部門の年間バジェットが100億円とするなら、その40%はカタログ(旧譜)がつくっていました。洋楽ユーザー様様でした。

大プッシュするという事は、積極的にメディアに動いてもらいます。となると、アーティスト側の協力がないと始まりません。つまり彼等US関係者は日本のマーケットに関してどう思っているのか?とても重要なポイントです。アメリカで売れてるからいいや、てなアーティストはなかなか真剣に、こちらからのリクエストに応えてくれません。日本でも売れたい、と本気で思っているかどうか大事なポイントです。

大型宣伝費を投入して大きく売り出そうとする際には、アーティストのポテンシャリティや作品のクオリティで判断されるのは当然ですが、他にもこういう周辺条件も加味したうえでピックアップされるものです。こうしてウィリー・ネルソンが選ばれています。

images (20)さて、宣伝戦略的に最終的には日本国内にご本人が登場しない限り、なかなか大きなものにはなりません。プロモーション来日が無理ならば、日本公演です。となるとブレイクのハイライトは即日完売会場満杯のコンサートです。この落としどころを先に確定させておかないと、戦略プランを作りにくいものになります。

という事で、この企画は最初からコンサート・プロモーターである、Kョードー東京さんと歩調を合わせています。ヒットに向けて橋頭保が組めるパートナーとして重要な存在です。ウィリーに関しては音楽のタイプから、この会社でした。Sんぺいさんの登場ね。彼等はエージェント経由でアーティストの予定を確認しつつ、日本の会場押さえを検討します。希望のタイミングならベストですが、こればかりはウィリーの予定と会場の空き状況に体を合わせるしかありません。

ダウンロード (41)結果1984年2月武道館2DAYSを確保できました。ロングランのゴールですし、本人稼働の大型露出が狙えます。これで、いよいよ具体的な戦略・戦術設計図が完成します。竜の眼に墨が入るってとこですね。イメージするのは、ウィリーに大声援を送っている武道館満杯の観客達。ま、こういうのは妄想とか思い込みとか、そういう仮説の世界です。

正月はさんでいるので、時系列的には、PHAZE①10月~12月秋口から仕掛けて年末を迎えPHZ②1月~2月末。年明けから日本公演に向けて突っ走り、PHZ③3月~4月公演の話題や来日滞在中の本人稼働での大型TVやメディアでの露出をもって、一気に大爆発。とまぁ、こんな感じですね。これは別にHOP/STEP/JUMPでも、1・2・3でも構いません。

ダウンロード (52)いつ武道館公演が確定したのか分かりませんが、2月来日で動いていて、急遽6月に延期になったとしても、その時はPHZ②として1月~3月の継続企画考えつつ、PHZ③を4月~6月の来日公演盛り上げ期間にして、PHZ④来日滞在中の大型メディア稼働とその後、という風に、コンサートの日程によって、プランを3段階でも4段階でも柔軟に修正できるというものです。各PHZに戦略コンセプトを当て込むと、紹介・理解・期待・爆発、こんな感じですかね。

あるプロジェクトでひたすら忙しくしている時にありがちなのが、今我々はどの辺を走っているの?後どのくらい走ったら何がどうなるの?と全貌が分からない時、不安に陥りがちです。宣伝戦略の設計図を持っていればGPSにもなりますし、緊急事態が起きた時にも、落ち着いて修正できるというものです。オリジナルの青写真がないと、修正すらできません。

とまぁ、以上は、すんません、一般論として私が勝手に推測して書いているだけです。とは言え、さすがに当事者たち二人、SげとさんとNなかさん達からも直接話聞きネタ仕入れています。35年前の事思い出してもらっています。それに尾ひれ付けて、書いております。

ダウンロード (25)簡単にはこういう戦略です。”カントリー色を消して、スタンダード楽曲を唄う男のシンガー” を作りあげる事です。”主力ターゲットは大人の男”。アーティスト写真としてはベタなカントリー&ウェスタン姿は避けるという事。またアメリカン・ドリームを成し遂げたライフスタイルをあらわし、あこがれの男の姿を刷り込んでいく、という事です。

流す楽曲は、”スターダスト””我が心のジョージア、”モナリザ” に絞り込んでFM東京ネットワークとの全面的なガッツリ体制をとる。FM誌などの音楽誌の稼働は当然だが、特に一般男性誌として、週刊現代、そして平凡パンチかポパイ、週プレあたり?に、ウィリーのライフスタイルを表現してもらう、という事でした。アメリカンなんでポパイかな、、、部会かっ!





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