業界のカタスミで細々と~涙のサンダーロード

家庭とゴルフと福岡を愛する団塊世代の日記です。福岡市出身。世田谷区桜丘在。職業は自称、音楽コンサルタント。屋号はTHUNDER ROAD。(ヒロシです)いまだ誰も相談に来たことないとです。涙がとまらんとです。音楽業界44年目。特にレコード会社現場時代は洋楽黄金の80年代。業界の片隅で今だ細々と粘っているオヤジの音楽会社員人生の整理と復習です。想い出は美しく記憶は嘘つき、です。基本テーマは仕事で関わった洋楽昔話ネタとたまにゴルフ話。好きなものは幕末と明治維新。特にジョン万次郎と坂本龍馬。忠臣蔵。秀吉信長の時代。スターウォーズとキャプテンアメリカ&その仲間たち。特にブラック・ウィドウに惚れてます。 そしてやっぱり最後はこの人、ブルース・スプリングスティーン。大好きです。    

images (10) 先週の4月16日(日曜日)の昼から福岡へ戻り二泊三日。この数か月、毎月戻る度に地元メディアの知人を訪ねたり、新しい業界人と会ったりで自ら忙しい予定で動いていましたが、今回は最初からゆっくりめの予定で戻って来ました。元会社の同僚・後輩で福岡ソフトバンクホークスに務める仲間二人と楽しい時間過ごしたり、中学時代の人生最古の友達と月一の朝食会をやったりでのんびりです。ダウンロード (8)地元音楽メディア&マーケットの勉強では、ユニバーサルMの福岡宣伝の方を紹介してもらい、色々と教えて頂きました。仕事モードでのアポイントはこのひとつだけ。地元で音楽産業に関わっている関係者に会っては、ここ福岡に何があって何が足りないのか、何があればどうなるのか、などを勉強中ということです。自分の小さな経験や人脈が福岡音楽産業のために、なにか貢献できれば嬉しいな、という自己満足かも知れませんが、そこが狙いです。
てなスケジュールで18日火曜日の夕方東京へ戻り、19日水曜日のみ仕事モードで、
20・21日とまたまた遊びモード全開で軽井沢でゴルフです。でね、22日土曜日、つまり昨日ね、ゴルフ入れちゃっていたのですよ。こちらは太平洋御殿場でのG-1レースです。つまり67歳のおっさん、フーゴル3連ちゃんです。大丈夫か肉体は?

lrhh7f00000002ry まずは春の太平洋軽井沢ゴルフ。自分の中では毎年恒例のものです。1プレイに1打のボール・パックということもありますが、この時期の軽井沢はプレ・シーズンでビジター料金も安く、仲間たち誘っていきやすい状況でございます。残念ながら今回は一組だけ。ひとり仲間に品川から世田谷に来てもらい一緒に永福町へ。その後、近場でひとり拾って1台で一体感だしながらテンションあげてGO!宿泊はいつも北軽井沢のリゾートホテル。展望風呂で思いっきりリラックス。パノラマに広がっている浅間山麓見ながらの、このバスタイムが最高です。この景色の為にここに泊まっているぐらいです。このホテル食事も最高です。焼肉の質量ともに充実で言う事ありません。

太平洋軽井沢 言いたい事あるのはこっちですよ。太平洋軽井沢コースの何が好きかというと、リゾーコースですから、コース内にカート乗り入れができる事です。これが結構楽しみでコース内外、山野原駆け巡るのが大好きです。ガキですね、私。これがね、前日の雨によって乗り入れ禁止ですってよ。すっごく落胆でございましたのよ。ここのコース、無茶苦茶広いんすよ。飛ばし屋さんは思いっきりぶっとばせます。そういう巨大なFWでね、カートとは逆方向にいったボールを数本クラブ持って打ち、ダフったあかつきにゃ、またクラブを取りに戻る、そしてそこへ向かう、ゼイゼイ言って大変な運動量です。しかもカートは自動運転じゃないので、必ずそこへ戻らないといけません。ゴルフではコース・マネージメントが大事な要素ですが、この場合はカート・マネージメントですね。どれだけカートに近いところに打っていくかこれが一番です。そういうわけで、私だけの事かも知れませんが、楽しみが半分そがれた中でのプレイでした。

ゴルフの内容ですが、ま、どん底からの脱出傾向にあるのは嬉しい限りですが、4月にレッスン場変わったばかり。まだ3回しか行ってませんが、新しいコーチにヤイのやいの言われ始めます。これがどうなることやらです。到着日の木曜日はお約束の1・5ラウンド。まぁ、疲れまひたよ。こうふぁんはかららの疲れがひろくてよれよれになり軸もぶれぶれでひた。体力のナサ、つーか年齢を実感。金曜日は1ラウンド終了後即出で帰京です。明るい時間に帰宅。運転手さんお苦労様でした。 

020 そして昨日土曜日はまた5時半起床で御殿場の戦いに挑みます。はっきり言って、体が乳酸だらけで動き悪いまくりです。乳酸菌だらけなら、とんでもない免疫力を誇るスーパーヒューマンですかね。筋肉カチカチやで。こちらはG-1レースで総ニギリです。十分に気を付けないといけません。メンツは大作曲家のKわぐち先生。Iながきさん。そしてTにさん。それぞれ、ハンディをハーフ2個、4個、7個あげてます。先週はC万近い大勝利でしたが、今回はやばそうです。案の上、午前中は1勝2敗でニアピンもオリンピックもとれず苦戦。後半はひとり抜けて3人勝負でしたが、なんとか2勝でき17番でチップインをきめてダイヤモンドをゲット。ニアピンs全て流れた事に救われれ、これでギリギリ勝ち負けゼロで終了です。ふぅ。あぶなかったぜぃ。  スコアは地味に47+48=95 短いパット はずしまくりすてぃです・

005 さすがに3連戦は無理ですね。軽井沢がカート乗り入れであることを信じて疑わなかったので、土曜日もお付き合いしたのですが、疲労回復するわけないですね。
ドライバーの感じが戻って来ました。飛距離はたまにすごいのがでますが、タマにです。でもひと頃より安定モードでてきました。これが一番の収穫です。
次のゴルフは28日横浜。29日御殿場。あれ?また連ちゃんだ。これで4月の9ラウンド終了。そして連休中は5月2日の江南コースのみ。こちらNむらさんが研修生連れてきます。これが楽しみです。
 

先日、仲間と集まって30年ほど前の記憶の引き出しを開けて一生懸命引っ張り出そうとしました。いもずる式に色々と懐かしい思い出話の蘇りを期待したのですが、これが大してでないっすよ。みんな一生懸命やってなかったのかなぁ?とつっこみたくもなりました。とは言え、いくつか鮮明に思い出したものもあります。そんな雑談小話から、、。

ダウンロード (32) ブルース・スプリングスティーンのBORN TO RUN発売時、アメリカCBSはジャーナリスト、ジョン・ランドウがボストンのreal paperに書いたライブ評での"私はロックンロールの未来を見た。その人の名前はブルース・スプリングスティーン"、この言葉をキャンペーンのメイン・コピーにして、全メディアをプロモーションしたとのこと。日本でも、この"ロックンロールの未来"というコピーはとても有名ですし、我々もよく使います。洋楽ファンの中では彼の事を指す言葉として周知の事実だと思います。

ダウンロード (31) 1980年 RIVER発売の頃、私はFMラジオ、TV,新聞担当していました。第一弾のハングリー・ハート発売時のラジオ・キャンペーンの話です。ラジオ局に乗り込んで、制作マン達に、ノベルティーとしてクソ安いオペラグラスを配っています。もちろん、野球観戦やコンサートで使ってくださいね、っていう優しい気持ちなわけありません。倍率も低く、いまなら100均で売ってそうな無茶苦茶チープなシロモノでした。ラジオ宣伝マンの一人が、ある言葉が書かれたプラカードもって局の廊下の端に立ちます。 images もう一人の仲間が番組制作マンを呼び出し、このオペラグラスを渡します。そして、これを使ってプラカードにかかれた文字を読んでもらいます。"見えますよね?ロックンロールの未来が"って。一緒に付いていた担当のRょうさん、"さすがに、恥ずかしいからやめようぜ、これ"。結局、AMラジオだけ、たった一日だけのキャンペーンでした。普通に、ロックンロールの未来が見えるオペラグラスです、と言って配って終わりです。

jpeg そして、同じRIVERからのシングル、I WANNA MARRY YOU  のキャンペーンです。この時は、アルバム発売後に一旦アーティスト担当になってます。担当者のRょうさんが管理職になって担当アーティストを持たなくなったのか、洋楽にもう一つ部門ができてそっちへいったのか、記憶も定かではありません。ま、任命されたわけですよ。なったとは言え、アルバムの最初からやってないと担当と言われても気合いもはいりませんし、誰にどう売ってやろうかなどワクワクするマーケティング業務の大半は終わっています。仕事としては、シングルカット時に、編成会議にかけ発売準備のための社内資料つくるとか商品をつくるなどの作業的な事になりがちです。

unnamed (3) このシングル発売タイミングでのプロモーションとして、キャンペーン・ガールにウェディングドレス着せて番組制作マンたちとの記念撮影しました。 ま、タイトル通りの直球キャンペーンです。こればっかり、と言っちゃなんですが、ま、きれいな女の事と一緒に写真撮ってもらう、ってのは結構多かったかもしれません。可愛い女のコが来ると、みなさんゴキゲンになります。いまはそうでもないと思いますが、放送局って当時は男社会でしたね。もちろん各局に女性の制作マンもいらっしゃたのですが、メディアは圧倒的に漢の世界でございます。 たまたま私も一緒に撮っちゃったというポラロイドです。この写真が残っていたので、このキャンペーン思い出しただけですね。惚れちゃいそうなキャンペーン・ガールでした。彼女もいまは60歳ぐらいか、きっと。

そしてオマケにもうひとつ。
ダウンロード (33)1982年 グラミー主要賞5冠のTOTO IV ~聖なる剣~の担当者はMすこさんでした。この時代のAORを語るに外せないバンドでありアルバムですね。いまでも、日本で大人気。現在はメンバー全員肥満系。全員グラサンの写真じゃルカサーとペイチの区別もつかなくなってます。楽器もって初めてそれぞれを識別できるほどですね。でね、担当のMすこさん、ローマ数字のIVとVI をよく間違えては TOTO 4 が 6になってました。また、当時のアルバム新譜資料では普通の事でしたが、収録曲の脇に勝手にエアプレイ推薦曲と言ってマークをつけてました。ラジオ制作マンに、選曲するならこの曲がいいよ、ってアピールです。このアルバム10曲収録です。Mすこさん半分の5曲にマークつけてました。そして凄いのは、このあとにカットされたシングル、ホールド・ユーバックも、全米NO1になったアフリカも、大ヒット曲ロザーナも彼の推薦曲にはいってなかったのです。どんだ~け。ちゃんちゃん。

ダウンロード (15) そして、ロザーナ・キャンペーンです。Mすこさんは認めたくなかった曲でしょうが、残念ながらバンドを代表するヒット曲になってます。このヒットの陰に漬物あり、です。 野沢菜配りました。  images (23) リフの"ロザーナ、ロザーナ"ってとこが"ノザーワナ、ノザーワナ"って聞こえたのでそうしただけでございます。ま、一押しのシングルの時は、必ず何かやってますね。もの配るか、女と写真撮るか。 
それにしてもこれ空耳アワーってか。 


ダウンロード このサントラ盤を売るというのは目的の第一で、結果超特大ホームランで大成功しました。とは言え、我々はアーティストをデヴェロップさせることがそもそも本職です。この企画がスタートの時から、このことだけは頭の中にずっとありました。私がフットルース担当になったのは、その前にケニーロギンズの担当だったからです。ケニーはこのプロジェクト時点でも、それなりのファンもいて高い人気をもっていましたが、決してブレイクはしていません。
この機会を最大限に捉えてアーティスト・ケニーロギンズを大きくしないといけません。これが私の本筋のミッションです。 ケニーを男にする。


images 一番の問題はこれでした。CBSからサプライされたフットルースのビデオクリップは ほぼ足元のステップと映画のダンス・シーンのみ。ケニーの顔が全くでてないのですよ。これは、まずいです。いくらこの曲がヒットしても主人公は映画でありその主題曲です。ビューティフル・サンデーという曲は誰でも知っていても、オリジナルのダニエル・ブーンの名前はなかなか出て来ません。(ま、日本では田中星児さんですけど、、)ケニーを主役にして、彼の顔カタチや歌う姿をはさみこんだフットルース映像が必要です。このヒットの流れにのって、ケニーを有名人にする。これが重要な使命です。


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CBS RECORDS INT'L(WEST)のシャーリーブルックスへコンタクト。日本ではアーティスト人気は顔が命。久月っか!ケニーは笑顔が素敵なので、彼のそういう顔カタチをアピールして、この映画をきっかけにブレイクさせたい、と。日本の主旨を十分に理解してくれマネージメントに交渉です。快諾を得る事できました。4月にサンタバーバラにあるケニーのビーチハウスでのシューティングが決まりました。映像制作はLAのNいとうAイチ君の制作会社へ発注。同時にこのタイミングでメディア数人LA取材に送り込み関連アーティストの取材を行います。こちらには宣伝からひとり付き添い同行です。

私は先乗りしてケニーのシューティングにアテンドです。映像撮るとは言っても、大した予算も時間もかけれませんし、仮に予算があって立派なもの創ったところで、それを彼及びCBSがオフィシャルなものと認めるわけがないですよね。こちら側のオファーも、既存のクリップにケニーが歌っている姿をパーツ・パーツで差し込むだけだけと説明しています。顔カタチを追加編集するだけです。

search サンタバーバラはカリフォルニア屈指の高級な街です。LAのウエストウッドあたりから、西北へサンタモニカ、マリブを抜けてパシフィック・コーストハイウェイで左にずっと太平洋見ながら90分ほどの快適なドライブです。朝シャーリーにホテルで拾ってもらい、朝マックみたいなもの仲良く一緒に食べながら向かいます。

海辺に小ぶりなスタジオかねたセカンドハウスありました。小ぶりとは言え、スペイン風のこじゃれた造りでもちろんプールもバスケットコートもついてます。スタジオからはビーチ直結。太平洋でございます。もうこのまま掃除でもなんでもやらせてもらいますので、住み込みさせてください的な絵に描いた様な、夢のカリフォルニア満載でした。撮影部隊もすでに到着しています。

images スタジオでギター弾きながら何回か歌ってもらったり、ビーチをジョギングしてもらったり優しいケニーはなんでもやってくれました。昼前から休憩はさみながら夕方近くまで、ホント全面協力でした。感謝です。ま、イメージ的にはカリフォルニア中のセレブが集まるサンタバーバラに住んでいるケニーロギンズ。青い空と爽やかな風=ケニーの優しい笑顔と音楽。それが狙いでした。
 
ま、こうやってフットルースのヒットを利用して、ケニーロギンスの知名度をあげておき、彼自身のオリジナル・アルバム発売の時には、いままでよりも高い位置からスタートできるようにしたかったのです。帰国後速攻で編集しフットルース・オリジナル・クリップとは別に、このケニー特別版を積極的にプロモーションします。歌ってる"私がケニーです、こんな顔しています、よろしくお見知りおきを"、をアピールです。でも、ぶっちゃけ使用頻度は圧倒的にオリジナル版でしたね。この新しい映像を追加配布したものの、差し替えるところまではいきません。しかもね、大至急の編集で、残念ながら出来はいまひとつでした。クリップ黎明期でもあり、こちらのアイデアも未熟でした。反省です。今ごろ言うなって、ってか。

imgres この時の一番の想い出は、ジャーナリストのAまちゃんにLAまで来てもらってデニース・ウィリアムスなどの取材やってもらってますが、取材がなかったオフの日の事。私はCBSで打ち合わせがあり、どうしても彼と一緒の行動はできません。CBSへ向かう途中、彼をウェストウッドの中古レコード店で落としています。ここはUCLAの学生街で安全ですし、ホテルも徒歩で15分くらいのところです。疲れたらお先に帰っていてね、でした。ま、 一応帰りに店覗く事にしてましたが、 ダウンロード (26) こちらの用事が3時間近くになってしまったのですよ。さすがにもうその店にはいないだろって思いつつも、念の為立ち寄ってみると、ぬわんといましたよ。エサ箱から一枚一枚LP出して凝視している姿を発見ですよ。さすが音楽評論家です。お~、こわ。黙々と3時間、隅から隅まで一枚づつ。店員も呆れてんじゃなかったのかな、ね、Aまちゃん?
彼には、公開中のフットルースも見てもらいました。"私先に東京に帰るけど、映画見といてね"って。テキトーやね、私も。

ケニーのアーティスト・デヴェロップメント、あまりにもアルバムがウルトラセールスでしたので、判断は微妙です。でも担当者としては後悔はありません。翌年発売された、次作VOX HUMANAは今までの中で、一番高いイニシャルからスタートできました。

 それにしても、ケニーの家や収録中のショットなど沢山撮ったはずですが、何処に行ったのやらです。33年前の出来事でした。(フットルースの回 おしまい)

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