業界のカタスミで細々と~涙のサンダーロード

家庭とゴルフと福岡を愛する団塊世代の日記です。福岡市出身。世田谷区桜丘在。職業は自称、音楽コンサルタント。屋号はTHUNDER ROAD。いまだ誰も相談に来たことないとです。涙がとまらんとです。音楽業界44年目。特にレコード会社現場時代は洋楽黄金の80年代。業界の片隅で今だ細々と粘っているオヤジの音楽会社員人生の整理と復習です。想い出は美しく記憶は嘘つき、です。基本テーマは仕事で関わった洋楽昔話ネタとたまにゴルフ話。好きなものは幕末と明治維新。特にジョン万次郎と坂本龍馬。忠臣蔵。秀吉信長の時代。スターウォーズとキャプテンアメリカ&その仲間たち。特にブラック・ウィドウに惚れてます。 そしてやっぱり最後はこの人、ブルース・スプリングスティーン。大好きです。    

images (16) 東京公演の何日目か忘れましたが、SONY創始者の盛田さんご夫婦がライブに来場されました。それぞれ別の場所から同じタイミングで黒光りしている豪華なマイバッハが2台、代々木会場のパーキングにはいります。1台でその辺のマンション軽く買えちゃいます。 このくらいの車が2台続けて来ると、さすがに警備のバイト君も、超偉いさんだと分かりパスもへったくれもなく通過させちゃいます。

images (1)これがやたら早い時間に到着しちゃって、ウドーさんスタッフ大慌てです。貴賓室で待ってもらってます。恐縮です。もちろん親会社の一番偉い方なので、うちの会社が対応しないといけませんが、開場時間はるか前でCBSソニーの関係者は私も含めて誰も来ていません。 もっとも揃ったところで一番偉い役職でも部長さんです。

やっと、そのOにし部長が到着し、"モリタさんが来てますよ"と伝えても、まさかグループの総帥の盛田さんがこんなに早く来るわけないし、"へぇ~、どこのモリタだよぉ"ってぐらいのもので、全く意に介しておらず、もうじき到着する、もうかたほうのVIP大賀社長のケアに頭いっぱい状態でした。MR&MRS盛田に大賀さんまで揃っちゃうと、さすがに部長も笑顔ふりまく順番も難しかったんじゃないっすかね。

ダウンロード (22)ま、こんな話はCBSソニーの仲間だけが、へぇそうなんだ、ってくらいのものですが、CBSソニーグループの洋楽ア―ティストで80年代に入って盛田さんが足運んだのって、マイケルかスプリングスティーンぐらいじゃないかと思います。

でね、盛田さん、ライブ後スプリングスティーンとはトイレで一緒になったらしく、連れ〇ョ〇やりながら、こう言いました。"ライブに非常に感動しました。みなさんの作り出す迫力ある音聞いて、新製品のアイデアもらいました"、ですと。翌日に製品開発担当へ指示し、速攻で翌年5月には発売されました。アイデアから1年後の発売、これは異例のスピードです。

重低音を強調した、オーディオ製品"武道館"これがその製品です。商品名なので代々木体育館じゃしまらないし、ビートルズ以降音楽と言えば武道館の方が馴染みます。

7566896 実は発売時には、ウォークマンという名称はつけておらず、その辺のカセット・コーダーとは一線を画しており、付属のヘッドフォンも特に大型の重低音用のものがついてました。続けてオーディオ・ボディ・システムとしての武道館も発売になってます。盛田さん、どれだけ彼らが出した音の迫力に感動してくれたのでしょうか。嬉しいホントの話です。

images (6) 東京での5公演が無事終わって、CBSソニー主催のウェルカム・パーティが銀座ソニービル地下、マキシム・ド・パリにて開催されました。スプリングスティーンにフレンチって似合いませんが、ビリー・ジョエルもそうでしたが、当時のCBSソニーとしておもてなしの最上級は、ここでのディナーです。座ってかしこまって、というのはさすがにやめて、スタンディング・パーティです。

ということで、当時のCBSソニー会長でSONYの大賀社長も出席してくれました。でもね、このパーティでの写真が一枚もないのですよ。当時から見た覚えありません。ひょっとしたら、撮影禁止だったからかも知れませんね。こういうのジョンは優しく、バーバラ・カーさん厳しいです。いいじゃん、撮らせたって、ねぇ?ってか。

赤坂のホテルからバス1台に来日ジンガイ全員のせて銀座に集合です。一行40名ぐらいかな?こういう時でも当然ですが、ボスは仲良くみんなと一緒に乗ってきます。座るのは、大体ツアーの時ガイドさんが座る席ね。運転手さんのすぐ脇です。

imageパーティと言っても、仕切りはディスクの授与とスピーチくらいのものですね。大将にUSAアルバムのプラチナ・ディスク授与しましたが、なにせ本国じゃ1000万枚だしね、ちと盛り上がりにかけますね。また彼にはSONYのカセットコーダーの最高機種プロ仕様のTC-D5Mをプレゼント。Eストリートメンバーとジョン、バーバラにはUSAでは取り扱ってない新しいウォークマンを贈呈です。

images (12) そしてツアー全員にツアー・パーカー(フード付きプルオーバー)をプレゼントです。(写真は単なるイメージです)背中にBORN IN THE USA 1985 JAPAN TOUR とかそういう国名入りのものは特にガイジンさんは喜びます。でもね、当時は国内の製造会社、2Lとか3Lなどなかった時代です。スタッフ達超大型な奴もいますが、彼らの事は知ったことではありませんが、スプリングスティーンとメンバーさえ体サイズあえば、いいってものです。

こういう時、ジンガイ達の作法として、その場で着てあげる、って事します。でかいやつが苦しそうにピッチピチに着てくれました。 みんないい人ばかりです。
ちなみに大賀社長も着てくれようとしましたが、頭でかくてはいらなかったです。

大賀社長からみなさんへの歓迎の挨拶とプレゼントの贈呈のお返しとして、みんながブルースに"スピーチ、スピーチ"とはやしたて、返答を求めています。 ガイジン・チームを代表してブルースがスピーチしました。"初めての東洋の国日本で、初日のステージあがるまで緊張していました。観衆の熱い声援が自分を安心させリラックスさせてくれました。本当に嬉しかった。日本のファンはマナーもいいし最高です。必ず戻ってきます。"と、本人の口から、緊張していたこと語っていました。社交辞令も含めて素晴らしい大人の挨拶でしたが、私が嬉しかったのはその前段階です。

images (34)仲間に促されマイクに向かいつつ、"WHERE IS MY GUITAR?"って照れながら言いつつ"Well,I GOT THE GUITAR, I LEARNED HOW TO MAKE IT TALK"って、サンダーロードの歌詞の一部をしゃべるのですよ。 とっさに出たと思いますが、もちろんジンガイ仲間には大うけ。私、"あれ?このフレーズ知ってるぞ"これに鳥肌もんの感激です。そういう事知らなくても、こういうスピーチ求められた時に、しゃれたフレーズですよね。このパーティで一番覚えていた出来事です。

ガイジンども相手にスピーチする機会は、もう二度とありませんがスプリングスティーン好きそうな奴に一度使ってみたいフレーズですね。



彼は、どこへ行ってもそうなんですが自分がこの地に来た証を欲しがっています。これは見方を変えれば、行く先々での自分のファンとの出会いをとても大事にしている、という事です。たまたま出会ったファンから、この曲を演奏してください、とリクエストもらうとなんとかやってあげようとする。全て同じ思いからの事です。願いを叶えてあげる。その彼(彼女)の心に自分が来た証を刻む事ができる。ホント、誠実で優しい男です。

images (66)DANCING IN THE DARKの曲途中でファンをステージに引っ張りあげる事も、同じ意味です。ショーとしての演出も去ることながら、これは熱心に来てくれているファンに対する彼からのお礼ですし、その彼女の心に入りたがっているからです。この曲は定位置として2部はじまってCOVER MEに次ぐ2曲目です。スプリングスティーンは1部の間に、ステージフロントに目を光らせています。

休憩時間に、ほらあのコだよ、って特徴伝えられ、彼のパーソナル・アシスタントJim McDuffieがやってきて、指さされたらステージに上がってね、と声かけます。それにしてもボス、1部であれ?日本語通じないな、とやや焦りながらもダンシングで一緒に踊る子探し、その特徴をスタッフに伝えているのです。器用ですね。

JIM,彼の名前はツアー・パンフにもありますが、クレジットはpersonal。これは、ま”付き人”ですね。身近な事のお手伝いする人ですが、日本の音楽業界ではこういう職種もおしなべてマネージャーと言ってしまうので、偉いのか偉くないのか何をやっている人なのかいまひとつ不明な事ありますよね。こういう業界のクレジットも時間を経てアメリカン・スタンダードに向かっているはずです。
images (65)選ばれたコによると結構ギリギリのタイミングで声かけられた、との事。確かに、あんまり早目だと、冷静になってしり込みする場合もありますし、それを知った周りも含め、嫉妬交じりで何か意外なトラブルの元になったりするかも知れません。ファンなら是非一緒に踊りたいですしね。

それにしても、堂々と気後れせずにブルースと踊っていたナデシコ達の姿に驚きです。この光景もよぉく覚えています。誰か嬉しさと緊張で卒倒しなかったけ? そして、毎日のように来て同じ席で応援してくれるファンの子を楽屋に呼んで、”ありがとう”とハグしてくれたりと、こういう優しさ、ほんと今思い出しても涙ぐんでしまいます。

東京のコートニー・コックス5名中4名様は、ファンクラブのシンジケートで、お名前確認できました。Cはるさん。Rりこさん。Yきこさん。Fみこさん。これ最高の思い出でしたね。映像も写真も何にも証拠残ってないでしょうから、せめて32年後の今、ここに名前書いておきますね。ってか。それにしてもファンクラブのつながり凄いですね。スプリングスティーンへの愛情が強い分だけ、横の絆も相当強いです。これ、私も感じます。こういうのが宗教なんですね。
ダウンロード (31)時間軸が前後しますが、ファンとの出会いのお話もうひとつ。バンドは終了後の混乱を避けるために、舞台からそのまま車に向かいます。大阪城ホール最終日には、”毎日熱い応援ありがとう”の意味を込めて、最前列にいた二人の少年をちょっと早目に出口通路に待たせておいて、自分が使ったハーモニカやピックを記念にプレゼントしました。

彼らも感動して泣きながら抱き付いて離れようとしません。これ私の目の前で起きています。こちらももらい泣きしたくらいで、本人たちの証拠になるように、翌年発売されたライブBOX”THE LIVE"のライナーノーツ内で、この出来事しっかりと書いてあげました。
いいよね、ファンって。私も大ファンですが、ホテルで出迎えた時から仕事モードのスィッチ入ってますので、飛びつくチャンスはいくらでもありましたが、さすがに出来なかったです。あったりまえ、ってか。。
50874これ後日談があります。これから20年後の2005年かな、BORN TO RUN発売30周年での SPECIAL VERSION発売を記念してファンイベントが古巣SMEで行われました。ずっと対訳お願いしている三浦久や五十嵐正さんに混じって私も乱入したのですが、この会場にその時の少年が絶対いるんじゃないかなと思って、このネタをあえて話したら、会場から手があがって、”あ、それ僕です”って。やはりね。彼の名前はKばやしさんですって。それにしてもファンクラブ・シンジケイトって何でも分かっちゃうのね、感心しました。(ファンとの出会い②は、また次の機会に書きますね)

さて、スプリングスティーンがみんなに感動を与えている時、私はジョン・ランドウに軽く突っ込まれていました。東京三日目の夜に戻ります。2部のレパートリーにROSALITAが久しぶりに登場した時にね。

images (59)発売から10か月。アメリカではすでに1000万枚以上売れていたはずです。日本でも50万枚に近づいてました。でも、世界2位のマーケットでの、この数字に不満なんですね、彼は。でね、軽い気持ちだったはずでが、”なんで日本では、もっと売れないの?”と担当の私はつっこまれました。結構、私カチ~ンとしますよね。ま、とは言えその時は、申し訳ないって雰囲気出しながらヘイコラしながら喋っているはずですが、私ファンを代表して反撃に出ます。

”あのねジョンさん。何言ってんの、あなたね、スプリングスティーンを理解させたくても、レコード盤には彼の魅力が入りきれないでしょ。ライブを体験して彼が何ものであるか初めて分かるんでしょ。あなただってそうだったでしょ? 今回が初めての来日ですよ。日本国民今まで一度も見たことないし、英語も通じないって、言ってるのに50万枚近いセールスよ。しかも今回見れた日本人はやっと8万人だけ。たった8万人。一回も来たことなく言葉も通じない国なのによく売れてると思いませんか?熱いファンのお陰だよ。”と、まじにノンストップのラッパー状態です。デビューから1,2枚目のブルース並みの言葉の洪水です。

ダウンロード (10)”アメリカ人は今まで何百万人が見ていますか?ヨーロッパだって行ってんじゃないの。ツアーの度に来てくれたら、みんな彼の事理解するわけですよ。彼の事を好きになってくれるですのよ。取材だって、説得してやらせてくださいよ。そしたら、もっともっと彼の事理解できるし、アルバム売れますよ。だからまず絶対来なきゃダメ!”てな感じで、来日公演の必要性で逆襲しておきました。

それにしても、スプリングスティーンはツアーの度に、オーストラリア・ニュージーランドまで来てるのに、日本には来てくれません。毎回、複数の大手興行会社が交渉にはいっていますが、全然決まりませんね。とても悲しい事ですね。もちろん会場の都合や金銭的な条件などいろいろハードルがあるはずですが、大体のスーパースター達の来日が実現しているわけですよ。なにがイヤなんでしょね。日本に行かなきゃいけない、と思わせる理由みたいなもの作るしかないのかな、、。なにか大型のチャリティとかNO NUKES JAPANとか。それとて、本人の耳に届いて初めて判断されることですしね。



映画公開までにアルバムを売ると言ったって、つまるところは、これに収録されている曲をどれだけのヒット曲に仕上げるか、そして何枚のヒットシングルを生み出せるかが勝負です。ベストヒットUSA、やなんちゃってですがMTVも始まってます。これとてラジオで回って油が浸りきっていると効果が倍増です。宣伝のメインはまだラジオです。週替わりでステーション・キャンペーンもやりました。

yjimage (2)その販促グッズを決めるに3~4人で四谷にあったスーパー、セイフ―とか丸正に行って生活用品売り場をパトロール。商品名がTOPの手頃な商品を探し求め買い漁った事覚えています。文房具や洗剤、日用品の中にTOPという文字がはいってりゃOKです。後に4アイテムぐらいに絞って、各50個ぐらいずつ購入。週替わりのTOPグッズもってラジオ局回りました。この商品のTOPという文字の後に、特別に作ったGUNという文字シールを貼っていきます。ま、最初からTOP GUN とするのではなく、シャレね。

images (1)でね、この話この前盛り上がったのですよ。私はすっかり忘れていたのですが、Oさかさんが、ライオン油脂に飛び込んで宣伝部長に掛け合い、TOPBOYというミント入りシャンプー400本を無償でもらい受けてきました。当時頑張ってタダでゲットしてきたのに、上司の私は褒めてくれなかった、と31年後の先日責められました。確かに、このシャンプー自宅でも使ってました。Hゆる、えらい!遅い?
一生懸命ネット上で探しました。これだね、ミントの風だって。この広告もパッケージも鈴木英人さんで、見事な80年代ものですね。

ダウンロード (2)映画会社との最初の会議では彼らにインパクト与えました。音楽は先行していますので、こちらは何かと準備万端で臨んでいます。我ら6名かなTOPGUNの格好に身をそろえ、勢ぞろいして映画会社の会議室へ乗り込んだっすよ。marukawa7_2181500010
TOPGUNのキャップ、真っ白な半袖のミリタリィシャツを来てね。勝手に盛り上がり用に作ったTOPGUNパスまで胸から下げて.そこにレイバンのグラサンかけて完璧にトム・クルーズになりきっています。

unnamed (7)この格好で会議室へ乗り込んだので映画関係者、最初は何がなんだか分からずキョトンとしてましたが、一拍おいて大うけでした。全体宣伝会議の盛り上げです。後日、同じ格好で同じように会社の編成会議に乗り込んだら、全員シ~ンとドン引きしちゃって雰囲気最悪でした。こういう時って、内輪が一番冷たいですね。

時代の変化、という意味では、いまでは常識の範疇に入る事ですが、この映画あたりからマーチャンダイジングの権利が明確になってきました。TOPGUNに関するマーチャンの権利は、日本ではある大手の映像関連会社が持ってました。海外TV番組買い付けや映像版権獲得などをやってる有名な会社でした。

この頃のレコード会社の習慣として、アーティストものは当然として、映画ものならサントラ盤発売しているレコード会社は、宣伝用ならば勝手に販促物を作れると思っています。メディア向けのものなので、その数はたかが知れてますし、非売品でもあります。そういうレベルでロゴマークやタイトル使う権利は自分のところに属してるだろう、ぐらいの考え方によるものです。
unnamed (4)もしグッズが必要な場合は権利元の、この会社に相談しないといけません。求めるものが既製であるならば先方からは、当然買って下さいですし、なければ自分ちで作りたいので相談させてください、となります。ちなみに我々が会議で着用したキャップやこのピンバッジなどは当然グッズを購入したものです。作ると高いしね。

でね、営業部にも販促物は必要です。通常はお店向けのものなので、制作部と合同でマーチャングッズを購入していました。でもね、こういう大型商品の場合は営業キャンペーンをはりますし当然、各エリア毎の営業所対抗で競わせています。公開前には予定通り50万枚売れてましたので、公開後のミリオン目指す追撃キャンペーン始まります。

download実は、いまTOPGUNアルバム買えば、これが当たる、とかの購買促進のモノ付け企画が展開されていたのですよ。それ用にと営業本部から各営業所宛てに大量に何種類かのグッズ、もちろんTOPGUNロゴ入りのステッカー、缶バッジとか、ボールペンとかそういう簡単なものですが、色々とアイテムを提供しています。これがユーザー・キャンペーンの景品になっていました。店頭でスピードくじで当たるともらえる。つまり消費者の手に直接わたるものです。販促物の域を遥かに越えています。じゃ~ん、これがね、権利会社の知るところになったのね。やばいよヤバイ。

こちらもさすがに営業店頭キャンペーンのグッズまでは把握しておりません。権利会社からつっこまれて調べてみると、出てくるわ出てくるわで、幾種類ものTOPGUNって文字が入ったグッズが大量にありやした。ま、コンサート会場のテキヤさんが売ってる非合法のグッズと同じようなものですね。先方には無断で作ったこと平謝りで、その数を精査して権利相当分の使用料払う事で許してくれました。知らなかったのごめんね、って感じでペナルティは課せられず穏便に処理してくれました。

downloadでもね、先方は優しかったのですが、社内は厳しかったです。OにしさんからTつみさんに部長が変わってすぐの出来事だったので、アッシがTつみさんにエラク叱られましたのよ。また法務部からもヤイのヤイのと言われました。

会社的には私のミスという事でございます。可哀想って思いませんか、みなさん?そうだと思う方はぜひコメントを。

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