業界のカタスミで細々と~涙のサンダーロード

家庭とゴルフと福岡を愛する団塊世代の日記です。福岡市出身。世田谷区桜丘在。職業は誰も相談に来ない音楽コンサルタント。 屋号はTHUNDER ROAD。音楽業界44年目。特にレコード会社現場時代は洋楽黄金の80年代。業界の片隅で今だ細々と粘っているオッサンの、ボケ防止を兼ねた音楽業界人生の整理と復習です。想い出は美しく記憶は嘘つき、です。基本テーマは仕事で関わった洋楽昔話ネタとたまにゴルフ話。好きなものは幕末と明治維新。特にジョン万次郎と坂本龍馬。忠臣蔵。秀吉信長の時代。スターウォーズとキャプテンアメリカ&その仲間たち。特にブラック・ウィドウ大好き。そしてやっぱり最後はこの人、ブルース・スプリングスティーン尊敬しています。    

ダウンロード (4)朝からの頑張り虚しく、キャンセルの連絡届かなかったゲスト十名ほど。18時半には、来場者への説明&謝罪のため寺田倉庫に到着。そして無線タクシー10台ほど19時半から待機させてます。右手にはタクシー券も手にしています。もちろん、この準備は来場者対策です。会場では、パーティの為に準備されたケータリング什器などが搬出されてました。その傍ら、我々は来場者を待ち構えてます。

キャンセル連絡が届かず来場されたのは結果、二組3人だった記憶あります。一人は当時売れっ子だった空間プロデューサーの方。彼は格好よくハイヤーで乗り込んできてました。もう一組は有名なアーティスト夫婦で 豪華な車を自ら運転されてました。みなさんスマートな方々で、”はい、分かりました”とUターン。ま、帰るしかないわけです。我々はテキパキとした搬出を脇目に10時近くまで待機し、終了です。さて、呼んでいた無線タクシーは、どうなったか?はい。もちろん社員達が分乗して豪華に帰宅の足となりました。準備三か月に及んだパーティはこういう結末で終わりました。

unnamed (18)パーティ会場内部の写真がないのが残念ですが、この翌年ぐらいにあるアート系の雑誌で”主人公が来なかった幻のパーティ”と題された特集を目にした記憶あります。格好いいソファ・セットやオブジェが置かれていたり、写真は企画会社のスタッフが撮っていたものだと思われます。今それすら手元にないのが残念です。

これが招待状の裏面に記されたパーティ関係会社クレジットです。ご興味ある方PCで拡大して御覧ください。パーティをプロデュースしたのが今でも大人気のブランド・コンサルティング会社CIA。そしてシー・ユー・チェンさん。残念でしたね。

さてパーティはあえなく流れましたが、ミックの東京公演はこれから始まります。我々はイベント事業部ではありません。本来のマーケティング&プロモーション業務が待ってます。来日前からミック側との交渉は成立していましたが、日本で初めての個別の取材も。こういうのは当然担当ディレクターが仕切っていくものですが、なにせ対象はミック様です。沢山のメディア関係者がインタビューしたがっています。ま、会いたがっている、というのが正しい言い方ですね。限られた時間枠ですので、全てにはお答えできません。取材日は東京公演後の24日。それはそれは難易度高い仕切りでした。

そして、いよいよ3月22日23日と東京での公演が始まります。完成したばかりの東京ドーム、こけら落としシリーズの最大ハイライトです。しっつこく何度も書いてますが、22日は私の2回目の結婚記念日です。この日、例の小さな星ANAのSHYBOY CLUBが六本木プリンスホテルにて昼間2回開催されています。

ダウンロード宣伝スタッフ達の動きですが、19日夜には寺田倉庫で最終準備中でした。そして20日の朝からパーティ・キャンセル電話のため緊急集合かけられヘロヘロ。夜は夜で寺田倉庫での後始末。21日は休むまもなくANAイベントの仕込み。そしてこの日も朝からANAイベントやって夜はミックの東京ドームにゲスト案内です。いやぁ、ほんとご苦労様でした。疲弊も極致です。こういう流れで夏にあの最多退職者を出したKIRIN DRY GIGS が開催されてます。爆発するって。

imagesミックの東京公演始まる前にドーム楽屋にて、ミックから直々パーティ企画のお礼とキャンセルのお詫びを受けました。もちろんTつみさんだけね。マネージャーのトニー・キングから”ミックが呼んでるからTリー来たら教えてくれ”とね。
”はい。私は?””君はいらない””はい、わかりました”。

その代わり、終わった後トニーからクレームを食らっちゃいます。こういうのは私にです。”観客席の最前列の連中はなんで、座りっぱなしで盛り上がらないんだ。ミックがとても不快だと。”と。”いや、そんなことレコード会社に言われても、私は分かりません。席の販売は我々は関知してないし、こういうのは主催者側に言ってちょうだい”と。

ミックは仮に5万人のスタジアムで49,999人がノッていても1人でもノッテってない客見つけたら、ひどく落ち込みます。それほど繊細なアーティストです。ステージの端から端まで走り、観客を盛り上げようと熱唱してるのに、どこかのスーツ姿のおっさん達が座ったまま腕組んでいる姿は許せなかったのでしょうね。これはいかんよね。失礼な事です。でも、これで私が叱られるって、どーなの?

images (1)この日、この後に続くこけら落としシリーズでドームをつかう予定のアーティスト達みなさんも、会場下見を兼ねて来場してました。美空ひばりさんもその一人。彼女は4月11日にあの不死鳥リサイタルを行ってます。翌日のスポーツ新聞にのった彼女のコメントに私ひっくり返りました。

”ミック、パンチが効いてよかったわ”
なんて新鮮な表現でしょうか。そしてやや上からの発言です。さすが女王様です。それにしてもこの後、何度か、この”パンチが効いてる”という表現使わせて頂きました。






images3月19日の大阪公演がキャンセルされて即、大阪の会場から東京のTつみ部長へ第一報入れました。パーティ前夜の最終チェックもあり、横尾忠則さんの作品の搬入もあり、主要な関係者と寺田倉庫に集まってます。既に石油ストーブは20数基。天気ぐずつきの予報を受け、ビニール傘も二百本ほど搬入されています。

携帯電話なき時代です。会社に伝言残します。これを受けTつみさんはUドー社長と連絡をとり合いキャンセルを決めました。辛かったはずですが、この二日後から始まる東京公演を考慮すると仕方ありません。準備に三か月かけたTつみさん乾坤一擲のパーティはこれにて終了です。

後から聞いた話ですが、Tつみさんの決定後の動きは、さすがというものだったらしいです。パーティ前夜という事もあり、現地には企画プロデュースした会社他主要な関係者は揃っていました。搬入にきたばかりのトラックはそのまま返され、速攻で翌日搬入予定分のキャンセル連絡を入れ、既に搬入された什器などの搬出連絡など、撤収作業をテキパキと指示をだしていました。うまくいけばキャンセル料だけで済むかもしれません。

Tつみさん以上に、パーティをプロデュースしてくれた企画会社の関係者も忸怩たる思いだったはずです。誰が悪いというわけじゃなく、、あ、ミックか。Tつみさん達は寺田倉庫を企画会社にまかせ、会社へすっ飛んで戻ります。パーティ参加者へのキャンセル連絡の準備をしなければいけません。

images (1)さて、ここから、怒涛の日曜日朝が始まります。このキャンセル電話のために、CBSソニー洋楽部員達は翌日朝9時に全員集合の号令がかかります。調べてみると、1988年3月19日は土曜日。20,21日と連休です。ブログにお付き合いしてくれている方、お忘れじゃないと思いますが、この同じタイミングで小さい星のANAはプロモーションの為既に東京に到着しています。

六本木プリンスホテルでのSHYBOY CLUBは明後日の22日開催です。ANA関係以外の部員が19日夜の内に連絡をうけ、20日朝3連休の中日ですが会社集合しています。 私はその晩のうちに大阪から戻り、帰宅後に奥さんからこの伝言を聞かされました。

この日の夜8時にパーティは始まります。夕方までにはみなさんにパーティ中止の旨伝えねばなりません。平日ならば会社や日常業務関係で連絡もスムーズなはずですが、これが生憎の3連休。ミックのキャンセル事は当日夜のニュースでも報道されていました。翌朝のスポーツ新聞では大々的に取り上げられてましたし、ワイド番組でも格好のネタになってます。

招待状にはテレフォンサービスも洋楽部の電話番号も記載されていましたので、これによってパーティ開催の確認の連絡がはいるのではないか、という期待もありました。ただね、招待客に選ばれた方って、日常的に芸能ニュースとかスポーツ新聞とあまり接点がない方が多かったのか、こちらへの問い合わせ電話は期待したほどではなかった記憶あります。

ダウンロード (2)当時は個人情報の概念も薄い時代です。104サービスを軸にNTT電話帳から芸能界紳士録。はたまたデザイン室からのクリエイター名鑑など使って番号探索です。広告業界のプランナーやコピーライターの場合は、まさに当時109INT'Lにいた現Tレ朝MのTミーの自宅に電話して、彼らの仲間の中でのネットワークで探索&伝言お願いしていたはずですね。それはそれは大変な作業でした。
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images (2)日曜日の朝っぱらから、個人の自宅へ電話するわけですから、もらった方も迷惑な話です。招待客当事者ならば問題ありませんが、判明しない番号の場合はこういうテレフォン・ショッキング状態になります。招待客Aさんの連絡先を知りたい。こちらで電話番号が分かっている人の中から、同じ職種の方とかきっとAさんの事を知ってるかもしれない、と思う人を見つけ出して尋ねます。全く知らないと言われたら、どなたか知ってそうな方ご存知ありませんか、と粘ります。

images (5)実に仕事で近しい人ですら、年賀状のやりとりでもしてない限り、自宅の電話番号となると意外と知らないものです。このミック事で何度か勝手にブログに登場させちゃっている当時LFのIりえさんもその一人。日常的に我々と深い付き合いがあったにもかかわらず、彼の自宅に到達するまで時間かかっていました。しかも LFは主催会社のひとつだったにも拘わらずです。
あれ?Tのしちゃん、ライブ・キャンセルのニュース聞いて、パーティどうかな、と思わなかったの?問い合わせの番号も書いてあったのに、って、30年前の事のツッコミです。

彼はパーティの為に新調したスーツをそろそろ着ようかな的な時間帯たったらしいです。例のキャジュアル・シックね。これカジュアル・シックじゃありません。キャジュアルね。この言い方もなんだか欧米化されちゃって感じ悪いですね。物議を醸してました。

ま、それはともかく、皆さんに連絡しなければ、とても失礼にあたります。それでもギリギリまで努力しても、伝える事ができなかったゲストが十名前後。もう時間的にも、もはやこれまで。半分の社員達にはお疲れ様で帰宅許可がでます。Tつみさん以下当事者の制作宣伝系の我々は、現地で来場者の待ち構え体制に入ります。

戦いの場は、寺田倉庫に移りました。

3月19日 ミック・ジャガー大阪公演は、開始直前キャンセルになりました。ミック自身も、この時ファンへの謝罪の中で語ってましたが、自分の体調不良でショーをキャンセルするのは、これが人生初めての事ですと。万全の体制で仕事に向かうプロフェッショナルなミックとしては、大阪で初めてヌカッタわけです。

ダウンロード (3) 3月15,16日と二日間無事ライブを終え、17日はオフ。問題はこの日の行動ですね。この日、知人である高名な日本人アーティストに教えてもらい、奈良の山奥にある古いお寺を訪ねました。ハイヤーではなく、何故かウドーのベテラン・ツアマネ、Tぁっくの運転するレンタカーに乗って行ったのです。ミックがそれを希望したのです。それにしても搭乗者保険はどうしたのでしょうか?もし何かあったら普通の補償じゃ、おさまりません。

ダウンロード (5) そのお寺の住職がなんとイギリス人です。(上や右の写真も全てイメージです。勝手にすんません)元から知的レベルが高く今回の来日で日本文化への興味も高まったミックとしては、同胞が何故にこの地で、その職に就いているのか、いたく好奇心が刺激されたようです。カーナビはない時代。Tぁっくも少ない情報と地図を片手に不慣れな道での運転ですが、なんとか無事に辿り着きました。彼らは意気投合。訪問者がミック・ジャガーですからね。そりゃ、驚きますし感動しますよね。

短い滞在のつもりが、瞑想したり習字を体験したりと大盛り上がり。お堂でJAZZ聴きながら夕食も一緒にとってます。メニューはシャブシャブね。ホントです。Tぁっくが肉買いに外出したらしいです。盛り上がりついでに、ミックはここに泊っていくと、言い出しました。 

ここです。3月の寒い夜。暖房器具もロクに揃ってない山寺です。でも、ミックがそういう言うなら"はい、わかりました"です。もちろん、大事な主人公を一人にはできません。何かあったらそりゃ大変です。でもね、残念ながら寝具がワンセットしかなかったのですね。やむを得ず、Tぁっくは一人で帰り、翌朝ミックを迎えに 戻ってます。その日(18日)のライブは何事もなく終えてますが、前夜の寒さがミックの体に変調を与え始めたのですね。19日、サウンドチェックの段階でギヴ・アップでした。

そしてスタッフ達のプロフェショナルな動きによって大過なく、この日のうちに振替公演日まで発表できた、という見事な神対応。最後の名古屋公演の後の日程で、大阪城ホールのブッキング状態を調べました。この中で唯一のチャンス日が28日です。この日は3月29,31日とコンサートを行うバンドのゲネプロ日にあたってます。バンド名はTOネットO‐ク。 

さっそくブッキングしているイベンターからマネージメント会社とアーティスト本人達と連絡がとれ交渉はテキパキと進みます。これ奇跡ですよね。携帯電話がない時代です。イベンターからマネージメント会社まではともかくも、事務所社長やらメンバーやらとみんなの確認とるまでに時間がかかるはずです。実は、ここにも奇跡を支える事がありました。

ダウンロード (15)彼らのライブ記録を調べて判明です。KISS JAPAN DANCING DYNA-MIX ARENA TOUR として日本全国ツアー中。ミックがキャンセルしたこの19日、バンドは名古屋レインボーホールでライブでした。つまり彼らもまた、サウンドチェックを終え、ショーが始まる前であり重要な関係者が全員揃っていました。話は早いです。ウドー関係者からの連絡を受け、この大阪城ホールでのゲネプロを取りやめ、ミックの為に譲ってくれたのですね。

このキャンセルした19日公演はそのまんま28日に振替が決定したのです。めでたしめでたし。 あれ?彼らは大阪でのゲネプロは何処でやったのかな??ミックがやった万博ホールだったりして。 

images (3) ミュージシャン達のスケジュール調整はさほど問題ではなかったはずです。これとて、本国でスタジオの仕事がはいっていたところで、ミック様のサポートですし、ギャラはずむ、って言われると誰もNOなんて言いません。そもそも最初から、不慮のキャンセルに対してのギャランティや振替公演のケースなどは、ばっちり契約書にはいってるはずです。ここは分厚い契約書の世界です。

全てが短時間の中で解決できたからこその奇跡ですね。当然ですが、TOネットO-クのメンバー、ミックからライブ招待をうけ、直接お礼を言われたらしいです。これはこれで光栄な事ですし嬉しいですね。 この時代のJ-POPアーティストは、そのほとんどが洋楽の洗礼を受けているはずです。そういうミュージシャン達にとって、ミック・ジャガーの存在は、好き嫌いを超越した、まさに皇帝のような位置づけだと思います。

こっちはメデタシメデタシですが、キャンセルした日はあの寺田倉庫パーティの前日です。あぶなし、パーティ!?






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