業界のカタスミで細々と~涙のサンダーロード

大事なものは家庭とゴルフ。出身地福岡LOVEが強い団塊世代の日記です。世田谷区在。”誰も相談に来ない”音楽コンサルタント。個人事業主屋号はTHUNDER ROAD。音楽業界50年。特にレコード会社若き現場時代は洋楽黄金の80年代。洋楽以外も、音楽出版。名古屋営業所長。国内新人発掘育成。国内アーティストマネージメントなど経験。業界の片隅で今だ細々と粘っているオッサンのボケ防止を兼ねた音楽業界人生の整理と復習ブログ。想い出は美しく記憶は嘘つき。基本テーマは仕事で関わった洋楽昔話ネタとたまにゴルフ話と日常案件。好きなものはブルース・スプリングスティーン。幕末と明治維新。ジョン万次郎と坂本龍馬。忠臣蔵。秀吉信長の時代。スターウォーズとマーヴェルコミック。キャプテンアメリカ&アヴェンジャーズ大好き。特にブラック・ウィドウがお気に入り。    

昨年10月半ば以降、自分のホームとしていたブログをお休みして、知人の勧めもありNOTEへ投稿しています。といっても、さほど頻度高くありませんし、こちらでアップしていたものの焼き直しVERSIONです。

どちらにしても不特定多数の方が目にするものですが、ブログの方は友人知人がメイン。NOTEのほうは、見ず知らずの方ばかりなので、どうなんだろうかという、ちょっと好奇心まじりの緊張感もあり、いまは新鮮な気持ちで古い話を書き直しているところです。

イメージ的にはセカンドハウスを借りたので、いまはそちらが楽しいので住んでる、という感じです。とは言え、ホームは、”業界のカタスミで細々と~涙のサンダーロード”ですから、近いうちにこちらに戻ってきます。


ちなみに、NOTEはこちらです。ハンドルネームは”skywalkerいちきゅうごーまる” で店だしてます。

https://note.com/kikukikukikuno

このポラロイドの彼女は、デンマークのシンガー・ソング&ライターのアンヌ・ドゥ―ルト・ミキルセン。右はマネージャーさんですね。ダンナさんかな?
担当はこのテの大人しめの大人の音楽が得意なMせさん。このポラのシチュエーションの事は全く覚えてませんが、来日中に社内で取材しているとか、そういう合間に部門に降りてきて、私と談笑している、そういうシーンですかね。

IMG_2880部門長時代の事は、自分が当事者として痛い目にあったり、逆にエキサイティングな気持ちを味わう機会が少なかったので、どーしても記憶もおぼろげです。彼女の事、関係者に確認しないでネットで情報探しながら書いているので、間違いあったらごめんなさい。

基本がアメリカCBSもの、つまり米COLUMBIAレーベルのプロダクツのCBSソニー洋楽ですの、ヨーロッパ系はほとんど我々にはサプライされません。そのヨーロッパのアーティストが本国でCOLUMBIAレーベルだろうが EPICレーベルだろうが、CBS契約ならば、それは全て日本ではEPICソニーの案件になってしまいます。

ヨーロッパのアーティストがアメリカCOLUMBIAレーベルと契約してくれない限り、我々はサードパーティ契約でこっち系のアーティスト・ロースターを強化していくしか方法はなかったです。同時期に手掛けていたフランスのクレモンティーヌもそういう意味で日本単独契約でした。

ダウンロード彼女のアルバムですが、1989年に本国で1986年に発売された作品からの日本盤が発売され、日本へお初の紹介。タイトルはもちろんそのまま直球で”アンヌ・ドゥ―ルト・ミキルセン”。後ろ姿のジャケットがMせさんのナイスなセンスですね。奥ゆかしくて彼女の世界観を表しています。

これを受けて89年にプロモーション来日しています。代官山のデンマーク大使館で記者会見&パーティを行った事覚えています。と言ってもやったということだけが、、。

彼女との出会いが誰かの紹介なのか、我々が契約に至った経緯は当時私は、王道COLUMBIA専門で門外漢だったので分かりませんが、部長はTつみさん時代。彼は、特に新しいシャレ系かつパルコ文化系に力入れており、そういうセクションもつくってましたので、プロダクツを有識者通じて探しまくっていたのかもしれません。また、彼女の著作権、日本におけるサブ・パブリッシングは渡辺出版。後年ユーズMで知り合ったKまべTろうさんが、彼女のプロモやってました、と言ってたのでひょっとしたら、ヨーロッパに強いこの音楽出版社からの紹介だったのかも、です。

1990年に私が部門長になった年に、彼女の初日本公演が実現し、東京横浜名古屋大阪でライブ。この時ですね、このポラロイドは。アンヌさんは考え込んで首傾げてるし、私も微妙な表情してる、面白いショットです。


先日からNOTEにも投稿し始めています。もっとも、以前こっちで書いていた懐かし話のリメイク版で、現在は二拠点生活(笑)しています。音楽に関しての真面目な奴は向こうで、そうでもないエピソードや極めてプライベートのゴルフや旅行などのヨタ話は、こちらかな、と、思っています。こちらはずっと毎週日曜日にアップすることで頑張ってましたので、できるだけこのリズムは続けるつもりですが、たまにお休みでるかもしれません。その時はお許しください。

FullSizeRenderいつの旅行だったのかは不明ですがこういうところに来てるという事は、二、三回目かのLA旅行時だと思います。

LAには幾つも格好ビーチがありますが、これは多分サンタモニカだと思います。70年代後半か80年代初頭です。
日本でも大流行の西海岸文化は、この辺りから発生しています。まさに私もLAかぶれでしたが、この時期、ローラースケートがアメリカ西海岸で大流行りしていました。スケボーが流行る前の時代です。

当時LAには年に二回ほど遊びにいってましたが、観光旅行というよりただモーテルに泊まってそこに住んでいるかのように、ブラブラしているだけでした。気が向いたらあちこちのビーチまでドライブしたりと今思うと自分は何をやっていたのかと呆れるほど、ハリウッドやウェストウッドの街で時間をつぶしていただけでした。
ビーチで偶然発見したこの看板、レンタルもやっていそうなローラースケート店のこのUNITED SKATES OF AMERICAに、思わずニヤついたのですよ。それだけです。

imagesローラースケート大流行りの時代ということは、これの映画でも分かりますね。1980年ELOの音楽制作で、オリビア・ニュートン・ジョンの”ザナドゥ XANADU”の映画公開があり、大ヒットしました。映画の内容は記憶もおぼろげですが、ミューズ役のオリビアがローラースケートを履いて歌っていた姿だけ覚えています。
このアルバム、あらためて調べて分かりましたが、片面がオリビア・サイド。もう片面がELOサイドになっていたのですね。ELOはJETレーベルで担当はMらかみTいち君でした。

downloadこの発売時、私はまだ宣伝でFM、TVなど担当していたはずです。なにせ他社のオリビア・ニュートン・ジョンの曲をプロモーションするってことが妙に新鮮だったことは覚えています。

振り返るに、1977年”サタデイ・ナイト・フィーヴァー”から始まり、1980年の、この”ザナドゥ”そして1983年”フラッシュダンス”から翌年の”フットルース””ストリート・オブ・ファイア”2年後の”トップガン”などロックムーヴィーは他にも沢山ありますが、音楽産業と映画産業がもっとも近づいた時期だったということですね。

1981年にMTVが登場し、映画があたってサントラ盤が売れる、という今までの常識を覆す新しい流れが誕生しました。映画があたり主題歌、挿入歌もヒットして、映画はさらに当たり、サントラ盤もさらに売れる、というシナジーがうまれました。そういう時代の先駆け的な”ザナドゥ”でした。

それにしてもLA好きで西海岸憧れてましたね。私の軽佻浮薄な時代です。












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