業界のカタスミで細々と~涙のサンダーロード

家庭とゴルフと福岡を愛する団塊世代の日記です。福岡市出身。世田谷区桜丘在。誰も相談に来ない音楽コンサルタント。フリーランスの個人事業主屋号はTHUNDER ROAD。音楽業界45年目。特にレコード会社現場時代は洋楽黄金の80年代。業界の片隅で今だ細々と粘っているオッサンの、ボケ防止を兼ねた音楽業界人生の整理と復習です。想い出は美しく記憶は嘘つき。基本テーマは仕事で関わった洋楽昔話ネタとたまにゴルフ話。好きなものはブルース・スプリングスティーン。幕末と明治維新。特にジョン万次郎と坂本龍馬。忠臣蔵。秀吉信長の時代。スターウォーズとマーヴェルコミック。キャプテンアメリカ&アヴェンジャーズ大好き。中でも一番はブラック・ウィドウ。    

images (5)実際、アメリカでも微妙なヒット状況の中で、こちらの担当が発売直前に替わり、急遽プライオリティに昇格。とはいえ4月21日発売です。Hらのさんが急遽、LAに向かったのも、実は彼女の売り出し方の路線変更が決まり、そっち系の素材確保で撮影に行ったという事です。左のUSオリジナルのアーティストっぽいイメージよりは、分かり易く美人アイドル系で行きましょう、ってところになったわけです。

これって、NEW KIDSでも同じ悩みもってました。もし発売決定のタイミングで、アメリカNO1などの大ヒットあれば、絶対そのままオリジナルで攻めているはずです。余計な日本型マーケティングは時間とお金かかること分かっていましたが、NEW KIDSと違って、ティファニーとデビー・ギブソンの大ヒットがつくったアイドル・ポップのフォローウィンドがあり、この風にのせようとしたわけです。

ダウンロード (3)ダウンロード (4)この路線変更を象徴的に表すジャケットが2種存在します。どちらも”ときめきヴァージンラブ”ですが、左のモノトーン系が上のUSシングルに合わせた日本の第一弾CDシングルです。この制作に入ってる時は、まだ路線が決まっておらず、そのまま制作にはいったものだと思われます。

右の明るいマルティカものは、この楽曲のリミックスが数トラック収録されたマキシ・シングルで、すぐ後に発売されています。新しいフォトが間に合った5月中旬以降からは、グラフィック系はこのテの日本型マルティカで攻めています。下の写真もそうです。そして遅ればせながら、4月下旬からゴールデン・ウィークにかけて、いよいよ大々的な規模での海外取材が実行される事になりました。

images (37)5月18日に二十歳の誕生日を迎える彼女のちょっと早目のバースデイという企画も入れて、全国からメディア関係者、ジャーナリスト12,13名ほどの取材陣を送り込んでいます。福岡からMついさんや大阪からHろさん、名古屋のOかざきさん、仙台からIたばしさん、となると札幌からも誰かいたはずですね。Tかせさん?ジャーナリストのAまちゃん、Kたなかさん、Gろうちゃん、Oもりさん、Mちこ先生他後数名。誰がいたか参加された方に記憶を呼び起こしてもらいました。

パスポートの記録によれば私の出国が弾丸出張から戻って19日後の4月24日。帰国が5月12日。マルティカの後、フロリダで行われたCBSコンベンションに参加してるので、19日間という結構な長期出張になってます。24日出発という事は、取材は4月26,27日あたりだったのかも知れません。会場選びには2年ほど前に会社を辞めてLAへ移っていたYずさんにも協力してもらいました。

ママパパが歌った”夢のカリフォルニア”は60年代の事で、89年当時の我々日本人にとって、とっくに”夢”ではなくなってました。とは言え、新しい文化、映画&音楽を生み出す、この地に対しては、いつでも憬れやリスペクトがありました。私なんぞは九州出身の田舎者だったので、アメリカ文化に感化されまくり、特に西海岸への憧憬は強く、独身時代には毎年夏と冬休みにはLAに遊びに行く、といった具合でした。

ダウンロード (36)ま、そういうわけでLA出身のマルティカのキャラクターに、さらに西海岸の自由な気風や革新性のイメージを合体させたくて、シャレオツなプールサイド・パーティを企画しました。しかも夕暮れスタートで夜景を見ながら、という事で屋上プール希望です。我々日本人から見れば、憬れの情景、と言いつつ、これは明らかに私のコンプレックスによるものですが、この演出が実現できるホテル、BEL AGE HOTELをYずさんが見つけてくれました。

sunsetCdロケーションはハリウッドとビバリィヒルズの中間に位置するWEST HOLLYWOOD。サンセット大通りから一本入ってますが、まさにTVシリーズ、サンセット77で有名なサンセットストリップにあたる、メインエリアです。この頃、まだあったのかどうか忘れましたが、有名なディーン・マーティンのレストランDINO'Sなども近く、タワーレコード、レインボウ、ロキシー、ウィスキー・ア・ゴーゴーなど有名なライブハウスなどもありバリバリ、音楽業界の香りがする地区でした。

ダウンロード (39)近くのHOTEL MONDRIANやLE PARC も同系列で部屋も全室スィートです。ここは立地が高台ですからシティヴュー側は、この写真のように、キレイな街の夜景も見ごたえありました。映画で登場するLAの夜景と言うと、絶対これでしたね。

この出張ですっかり気に入って、以降、数年間LAでの定宿にしていました。ワーナーに転職した2000年に久しぶりに利用しましたが、予約しようにも名前も変わっていて探すのが大変でした。経営者も新しくなりチープなコンセプトになったかのようで、当時のゴージャスなシャレオツな面影もなく極めて残念な、寂しいもの感じました。

ダウンロード取材に先駆けて、その前日夕方にパーティ実施です。パーティ参加者ですが、日本人チームは取材陣に加えて、CBSソニー海外研修をかねた営業マン達、Tけのさん、Sおさん、Yまぐちさん、Sずきさんの4名。そして私とHらのさん。うちの渉外スタッフ誰かいなかったかな?そしてSONY現地駐在のIしかわさんと、カメラマンのOいださん。

ジンガイ側はマルティカのマネージメント関係者として弁護士ピーターと女優の彼女。そしてマルティカのママ。CBS RECORDSから国際部のスタッフ数名、そして西海岸地区のプロモーションマンやセールスマン、たまたまNYから出張で来ていたCBS宣伝の総責任者マークベニッシュ。地元ラジオDJなど、合わせて総勢40名ぐらいでした。




ダウンロード (5)ま、そんなこんなで4月上旬、LA弾丸出張です。マルティカはUSオリジナル・イメージはこのジャケットカバーが表す様な感じですが、日本ではアイドル路線で攻めるために、そっち系の写真撮影を行う必要がありました。ここで、知り合った弁護士、ピーター・ロペスが今回の主人公です。名前から分かるように、メキシカン系アメリカ人です。UCLA卒業.。当時マルティカもそうですが、チーチ&チョンなどヒスパニック系のアーティストをクライアントに持ってました。

後にはジェニファー・ロペス、アンドレア・ボッチェリ、マイケル・ブーブレ、イーグルスやマイケル・ジャクソンまでを顧客にもち、音楽だけでなくハリウッド映画制作にも係わるほど、ショービジネス界でも超高名なる弁護士へと昇っています。ま、そういう事で、将来、彼は色々な闇とも付き合わざるを得なかった訳ですよね、きっと。ちょっと意味深に、、。

ダウンロード (33)彼とは同世代だという事もあり、この弾丸出張の効果もあり仲良くさせてもらいました。以降LA出張の時は連絡をし、彼の婚約者も一緒に食事をとるほど仲良くお付き合いしてました。彼がハネムーン兼ねたアジア出張の時も東京で会ってます。婚約者の彼女はTV女優。と紹介され名前きいても出演した番組名THE DUKES OF HAZZARD きいても、すぐには分からなかったのですが、ドラマの内容聞いて、完璧に思い出しました。


images (60)アッ、”爆発、デューク!”だ。フジTVで日曜日朝やってました。(調べてみるとUSでは79年から85年まで放送。日本では後に深夜枠に移っていますが、いつまで放送されていたか不明です)アクション系アメリカン・コメディです。デュークファミリィ従妹同士3人主役の一員、じゃじゃ馬ムスメ、デイジー・デユーク役。女優のキャサリン・バッハでした。彼女は、この当たり役で、いまでもDAISY DUKEと呼ばれているようです。

この写真見れば一目瞭然。いかにも脳天気なヤンキーどもが大好きな女性のタイプです。つまりは我々日本人男子にとって、あこがれでもあるけど、最もビビってしまうスペックの持ち主です。金髪青眼超絶肉体高身長。大きい女性好きな私でも、立ち向かう勇気はありません。シッポありませんが、巻いてコソコソ逃げるだけです。

ダウンロード (34)私こういう明るく軽い,いかにもアメリカ的なドラマは大好きでしたので、彼女の事が分かった時は、興奮しました。オレンジ色のダッジ・チャレンジャーが突っ走り、パトカーとのカーチェイスものです。よぉく見てましたよ。私が思い出し、食事の席が盛り上がって、ホントよかったです。

音楽のアーティストに関しては仕事柄、スーパースターに会う機会もあり、これに興奮するという事も、あまりない年齢になってましたが、女優さんとなればこれはまた別ですね。映像と役柄で脳に刷り込まれている分だけ、会った時のインパクトが強いのかも知れません。

二人は共に有名人なのでネット上に写真が沢山ありました。彼等は私が初めて会った数年後に結婚しています。ということで、これはその頃のモノだと思います。

それにしても、我々日本人には昔のアメリカ映画とかドラマって完璧に邦題でしか記憶ありません。ジンガイどもと昔好きだった映画や音楽の話で盛り上がる事よくありました。そういう時、音楽はまあなんとかなりますが、映画に関しては、原タイトル知っておかないと、なかなか大変なものありました。洋楽で我々が付けた邦題以上に、映画やドラマの場合は、オリジナルとかけ離れている事があります。例えば”俺たちに明日はない””愛と青春の旅立ち””恋人たちの予感”とかすぐには原題でてきません。特にラブ・ロマンスものは邦題でイメージ膨らませますから、極端に遠いところにいっちゃってます。

images (66)このピーターとの付き合いで忘れられないのが、TVCM交渉の時です。時系列的には89年の後半戦、第3弾シングル I FEEL THE EARTH  MOVE キャロル・キングの名曲のカバー、”空が落ちてくる”のタイミングですが、パイオニア・プライベートB7というミニコンポのキャラ出演の話をTVタイアップ広告代理店担当のNかやまさんが、とってきてくれました。

当然ジンガイ達は高いギャラを言ってくるものです。特に弁護士にとってはこのギャラのパーセンテージこそが彼の大事な収入源ですから、結構高い金額がオファーされていました。

金額は全く忘れましたが、会社から、しどろもどろながらピーターに国際電話かけ、”今起きている交渉案件、早いとこ決めたい。だから安くして”と頼んだ事、鮮明に覚えています。電話しなくてもTVCMは、決まっていたのかもしれませんが、早く確定させたく、”このTVCMが決まれば、マルティカはさらにヒットして、次にはもっとでかいビジネスをもたらすはずだから、今回は安くしてね”と。
彼からしてみれば、私が余計なお世話しているわけで、後から思えば本当に申し訳なかったな、と思いますが、結構リーズナブルな金額でOKしてくれた優しい弁護士でした。

ま、代理店はスポンサーに対して、値引きしてくれたなんて言う必要もなく、さらに上乗せして請求しているはずでね。












ま、そういう部内的な事情でワンテンポ遅れて、一気にプライオリティにあがったマルティカです。となると、初回である程度は大きな数字をお店にいれておかねばなりません。でも発売決定会議は終わってるし、3000枚クラスの低い数字で受注もスタートしています。

images (55)当時CDショップの店頭は販売の現場であると同時に重要なメディアでした。50万枚以上を売るスーパースター級は別にして、押し玉の新人や中堅どころでは、半年間で売りたい目標枚数の、大体40~50%は初回分として店頭にはいってないと不安でしたし、目標達成にも苦しいものありました。

お店もメーカーと一蓮托生です。こちらの気持ちを汲んで、無理して注文だしてくれる店も少なくありません。そもそもいい時代でした。沢山とっていれば、さらに捌かせなきゃいけません。平積みにしたり、ポスターなど店頭POPでお客さんにアピールします。誰も在庫を増やしたくありませんし、返品はもっとヤです。

images (36)後追いで洋楽部のプライオリティに決まったマルティカ。担当Dも変わってYしだHらの同期で盛り上がり営業部へプッシュ。実は、この頃アメリカでは既に、2ndシングルのトイ・ソルジャーのラジオエアプレイが好調になってきました。営業部HQもこちらの要望に応えてくれて、セールスは再受注で大変ですが、アルバム初回目標を1万枚にあげてくれました。パチパチパチ。

我々凡人はこの無理じぃな状況も分かっているので”(本音は大満足でも)じゃ、ま、いいかぁ”ってな具合で、妥協しがちなジャマイカ人になってしまいますが、Tつみさんにはそういう単語はありませんし、彼のプライオリティに1万枚という数字はありません。現場同士の話じゃ、ラチあきまへん。大将、自ら動きます。

当時営業HQ販売推進責任者はTけうちさん。彼と交渉です。とはいえ、前回お伝えしたように、マジにいまさらジローだという状況下にも拘わらず、営業としては1万枚という数字に修正してくれています。TつみさんVS Tけうちさん、侃々諤々&喧々囂々です。どちらが正しい意味なのか調べることもなく二つ書いてますが、激論になりました。

①無理してくれて1万枚にしてくれた事は感謝する。でも少ない。申し訳ないけど、うちのプライオリティなんだから数字5万枚にしてくれない?②いやいや1万にしたことすらセールスに無理ジィしてるのに、5万なんてあり得ないですよ。③いや、こういうのは最初から5万枚ぐらいでいかないと意味がない。それぐらいすぐ売れるタマだ。④それはできません。こっちの事も分かってください

ダウンロード (31)⑤ガオォ~。アメリカも当たり始めてきたんだよ。頼む、これだけ言ってんだから。5月に大々的な海外取材やって6月来日させて&コンベンション。夜ヒットにも出すからさ。すごい宣伝費ぶっこむからさ、頼むよガォ~。⑥だから1万枚にしたんですよ。これだけの枚数が店にはいっていれば、すぐには品切れになりません。バックでも速攻対応しますから。私を揺らすのはやめてください。


ダウンロード (30)⑦俺を信用できねぇのか。頼むよ。初回が勝負なんだよ、こういうの。ガォ~⑧そういう事じゃないんですよ。ダ~メ。⑨これだけ頼んでいるのに、なんだよその態度。⑩ダメだもんね。⑪なんだと~、BURRRRNNnnnn! 

HM/HRじゃないよ。Tつみさん、ミーティングブースを仕切っているパテーションをゲンコツで殴りました。手から血飛んでます。血が付いた肉片が壁面に残っています。そして捨て台詞です⑬これが俺の気合だ~覚えとけ 、、⑭、、、、。(シ~ン)

ダウンロード (29)てなやりとりがありました。私は運悪く(?)そこに同席してなかったのですが、いたかのような雰囲気だけは出してます。当時は有名な出来事でいまだに一部のスタッフの中ではマルティカ=血ぬられたボードとして伝説になってます。ま、洋楽部長と販推部長とで、初回の数字を巡って、こんな熱いやりとりが交わされたわけというです。妥協を許さない気概気迫気合、ホント凄い方でした。

発売は4月でしたが、5月上旬のメディア陣派遣の海外取材そして6月プロモ来日。コンヴェンションも開催。ここで取材攻勢をかけ大型TV番組出演。彼女の露出ピークは6月という事で発売から2カ月で、追いついた、という感じです。セールスマンへの指示がどういうカタチで出されたのか覚えていませんが、こちらの希望の5万枚と営業が付けた1万枚の間をとって結局は、やや現実的な折衷案として3万枚にしてくれました。

この数字を
ヤマ場としている6月までの間に、お店に入れる、という事で対応してくれました。とはいえ、さほど案ずる事もなく、トイ・ソルジャー全米NO1のヒットもあり、自然なバックオーダーとして消化された記憶あります。NEW KIDSよりは、遥かにスムーズなスタート切れました。記憶は美しいものです。これ読んでいる営業のスタッフいたら教えて?マルティカは、最初からうまくいったよね?

ま、お店からすれば、割合お腹いっぱいでイヤヤと言うのに、さらに食事に付きあわされ、吐きそうなくらいお腹パンパンだったけど、あれ?意外と消化がよくて、小腹すいちゃって、お代わりしたくなっちゃった、という感じっすね。

images (59)4月上旬Hらのさんの素材撮りLA出張のタイミングに、NEW KIDSプロモ来日中を抜け出して、私が1泊3日の弾丸出張しました。この時、マルティカだけでなく、彼女の家族や弁護士に会い、こちらのやる気を伝えた、という事です。そのためだけにLAに来てくれた、という事は、彼らを驚かせ喜ばせています。

これで一気に彼等の心を掴みました。コミュニケ―ション・ルートが確立し、後の様々な交渉をスムーズに運ばせてくれることになりました。この時出会った弁護士ピーター・ロペスとは、これ以降仲良くなりますが、後にはイーグルス、ジェニファーロペス、マイケル・ジャクソンなどをクライアントにもつ、業界でも高名な弁護士になっていきました。彼の事は次回でも。

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