業界のカタスミで細々と~涙のサンダーロード

大事なものは家庭とゴルフ。出身地福岡LOVEが強い団塊世代の日記です。世田谷区在。”誰も相談に来ない”音楽コンサルタント。個人事業主屋号はTHUNDER ROAD。音楽業界49年目。特にレコード会社若き現場時代は洋楽黄金の80年代。洋楽以外も、音楽出版。名古屋営業所長。国内新人発掘育成。国内アーティストマネージメントなど経験。業界の片隅で今だ細々と粘っているオッサンのボケ防止を兼ねた音楽業界人生の整理と復習ブログ。想い出は美しく記憶は嘘つき。基本テーマは仕事で関わった洋楽昔話ネタとたまにゴルフ話と日常案件。好きなものはブルース・スプリングスティーン。幕末と明治維新。ジョン万次郎と坂本龍馬。忠臣蔵。秀吉信長の時代。スターウォーズとマーヴェルコミック。キャプテンアメリカ&アヴェンジャーズ大好き。特にブラック・ウィドウがお気に入り。    

downloadCBS RECORDS内での絶対的なルールとして、北米以外の各国はCRIという組織を通じて、アーティストに関する情報や取材依頼などを行わねばならないという事です。今回のNEW KIDSの場合、1989年6月に大ブレイクしちゃってツアーが忙しく、レコード会社からの取材のリクエストを受けるヒマないしツアーに集中したい、ということで、日本からの取材依頼も含めてCBSからのリクエストは全て断っていました。

ここまでブレイクすると、レコード会社の収益とアーティスト側との違いが顕著になります。ロンドン交渉エピソード前に、そのあたりを少々、業界外の方への基礎知識講座です。
まず前提として、この時代はまだレコード会社が音楽業界の主役であり、レコードの売り上げが産業の規模を表していました。メーカーですから商品売上がどういうカタチで業界内に分配されていたか、という事です。アーティスト側(事務所)の視点です。

downloadアーティストがレコード会社からもらうお金は、実演家として一枚売れたらナンボの印税です。但し、ほとんどケースでは、アルバム新録音の際には、レコード会社からアドバンス(売れたら発生するだろう推定枚数の印税相当分の前渡金)を受け取り、このお金でマスターテープを制作します。メジャー契約するという事は、このアルバム制作費を出してくれるから、とも言えます。

そしてほとんどのアーティストはアルバム発売と同時にこの新譜のプロモーションを兼ねたツアーにでます。80年代以降はライブとラジオとMTVがヒットをつくっていました。新人で仮に興行的に採算がとれなくても、新譜の宣伝活動は必要ですし、レコード会社も”費用も援助(ツアーサポート)するからツアーに出なさい”とアーティストをプッシュします。と言いつつ、このお金ももらいっぱなしではすみません。これもアドバンスに振替られるのです。

197例えば、アルバム制作費で15万ドル貰って、その後にツアー・サポートとして5万ドル出してもらったとして、合計20万ドルがアドバンスです。この全額がリクープ対象(アルバム契約時の印税率で償却されていきます)ですが、交渉次第では、せめてツアー援助の半分はアドバンスではなく宣伝費(リクープ対象ではない)にしてくれて、残りの2.5万ドルのみを売上からリクープ対象にするなど、交渉の余地はありました。

こういうケースもあります。MV費用として仮に5万ドルの予算を宣伝費として用意してくれたものの、アーティスト側からどうしてもこうして欲しいと要望があり、エクストラで3万ドル必要となると、交渉ですが、このオーバー分の3万ドルをアドバンス対象にするとか,米英の業界では大体が、アドバンスとして処理される場合が普通でした。今は知らんけど。

というわけで、アドバンスの合計次第ですが、実は100万枚セールスのプラチナディスクを獲得したところで、アーティストは、それほどレコード印税で儲かるものではありません。もちろん自作自演系なら作家として別の著作権収入があるので実入りは違います。

それでも、いつ印税が入って来るの?です。リードシングルがヒットし、アルバムも大売れし速攻でアドバンスのリクープ枚数を越えたとしても、レコード会社からの印税が入ってくるのは、随分と先の事です。そもそも一般的な印税計算のシメが3か月に一回で支払いはさらにそれから3か月後となると、初回分で大成功してリクープ枚数クリアしたとしても、発生した印税が振り込まれるのは早くて半年先。へたする1年先かもしれません。

downloadアドバンスは、”ヒットすれば元は取れる。だから期待して印税分の金は先に払っておく”です。金は出すけど、あげっぱなしじゃなく、出世払いで戻しなさいね、ってことです。でも成功しなくても、お金を返す必要はありません。ここが借金とは違うところです。この場合はレコード会社が不良債権として処理するのです。

downloadアドバンスの説明が長くなりましたが、それに引き換え、ツアー・ビジネス(興行)はキャッシュ・フローの日銭の世界ですし、現金主義。こっちはアーティスト(マネージメント事務所)の独壇場です。まずは興行代金は地元プロモーターとの契約で、その日のうちに回収できます。この頃の契約金の一般的な支払い方としては、契約時に三分の一。幕開ける前(連ちゃんだったら初日)に三分の一。終わって三分の一、とかこういう支払われ方ではなかったと思います。

downloadいまどきは分かりませんが、ミュージッシャンやクルー達にも週給でサラリー払う必要があったので現金は必要でした。そういうわけで、開闢以来興行ビジネスは現金主義ですから、金を管理するマネージャーは頑丈な金庫みたいなゼロのハリーバートンのアタッシュケースを使う人多かったはずです。水没しても水漏れしない超密閉型でした。長いツアーだと経理担当を帯同し、行く先々で銀行に預けていく必要もありますね。

downloadそれにしても一番巨額なのが、ライブ当日に売れたグッズのお金です。今時のライブ即売は、キャッシュレス化が進んでいると思いますが、当時はバリバリに現金の世界ですし、売上金はその日に入金しますし、基本的に洋の東西同じで、当時の興行は日銭ビジネスで現金が飛び交う世界でした。

キャッシュフロー的にはツアーさえ出れば、アーティスト&マネージメント事務所は、なんとかなるってものでした。ブレイクした時のグッズの売り上げ含めて一日のビジネスを体験すると、レコードのプロモ―ションの為(印税)に時間を割くのは後回しになっても当然かもしれません。







downloadCBS RECORDS INT'L(以下CRI)からは、”ツアーで忙しいからアーティストは一切の取材をうけない”との返事。”おめぇ、どこまで交渉したんだよ”といいたいところですが、こちらも大人しく引き下がるつもりもありません。

CRIのスタッフは売り上げに責任持ってないので”取材やってくんないだから仕方ないもんね”で済まされても、こちらは洋楽部門の売り上げとアーティストのブレイクに責任あるし、”そうですか。じゃ仕方ないね”では済まされません。どげんかせんといかんのです。

31このグループに関して、我々もそうですが、彼等も日本チームに対して特別な想いがありました。世界各国のCBS、どこもが彼等をピックアップしてない時期に、日本だけはプライオリティにしてプロモ来日をさせたほど。どこでも売れてない時期に一生懸命に汗流していた我が日本チ―ムに対して極めて好意的な感情がありました。

事務所社長でマネージャーでもあるディック・スコットは元モータウン出身でジャクソン5やシュープリームスのマネージャーもやっていたような昔堅気の業界人。義理人情に厚く、初来日時にも、我々の動きについて、”勇気をもらった”と深く感謝を込めて握手を交わしていました。彼等との信頼関係の深さについては自信がありました。

41そういうわけで、CBS経由はラチあかない、となると”直接会って訴えよう”と禁断の直接交渉に臨むことにしたのです。直接会えば絶対に理解してくれるという自信があったので、マネ―ジメント事務所およびメンバーの協力を取り付けるために、ロンドンへ出張を決断。とは言え、これは”掟破り”です。部門長自ら後先考えずに、まずはNEW KIDSの取材協力のため、確信犯でのルール破りすることにしたのです。


imagesCRI側へは事前に”アーティストは日本については初期の頃から深く感謝してるし、日本のためなら話聞いてくれるはずだ”、などの情報を与えていましたが、なにせ窓口はあのJュリアンです。

実際、彼のチームは日本だけのために動いているわけでなく、イギリスやドイツなど各国からの取材依頼も交渉しなければいけません。つまりブレイクしてようがしてまいが各国間のバランスもあるし、CRIスタッフの個人的な思惑も混じり、日本からのリクエストを優先的にやっているとは思えません。

仮に”我々なら説得できる自信があるから、直接交渉をやらせてくれ”とCRIに了解を求めたところで、プライドが高く、自分の仕事の領域について縄張り意識最優先のジンガイが了解するはずもありません。結果、売れればみんなハッピーなんだからいいじゃないか、という日本的な考えは彼等にはありません。

私、現場のディレクター時代から、アーティスト折衝事ではルール破りギリギリのところで攻めていくタイプでした。取材のリクエストをCRIへ依頼してうまくいかない時は、(アーティストが作家でもあるシンガー、ソング&ライターであるならば)サブパブリシングの権利(音楽著作権)を持っている日本の音楽出版社から本国の契約先の出版社に”作家(アーティスト)”のプロモ―ションとして、取材依頼をトライしたこともありました。

downloadCRI担当者が断られた日本メディアの取材リクエストを、こちら側(音楽出版)のルートで受けてくれて、CRIのスタッフが顔つぶされたと思ったとしても、”アーティスト”としてはやらなくても、”作家”として音楽出版社からの取材を受けている事なので、こちらは知ったことではありません。

ということで、部門長になったとはいえ、まだその当時のクセがありましたし、なにかしらの方法(抜け道?)を見つける事は得意な方でした。ルール破りは問題ですが、売上に対する責任を持っている以上、個人的にはあまり抵抗がなかったし、そういう事に構ってる場合ではありませんでした。

こちらひたすら直撃あるのみ。ニューキッズのスケジュールを探ると、5月11・12・13日と三日連続でのロンドン・アリーナ公演。急遽、海外渉外担当のHなこ連れて、ロンドン公演中のマネージメントチームと直談判することにしました。

download5月10日に出国し、ANAでロンドン郊外のガトウィック空港へ。私この時40歳。実はアメリカかぶれでしたので、この歳でイギリスは初めて。なんとバイリンHなこも初めて。笑い話あります。イギリストーシロのふたりとも、ANAが到着したのはヒースロー空港と疑ってません。事前に最低限の予備知識すら準備してなかったくらい急な出張でした。

628タクシーのって市内に向かう時に、凄い田舎だし、ホテルまで1時間かかるぞと言われ、おかしいなそんなに遠いんだ、とか二人でそういう会話を交わしていたら、察した運ちゃんが、”お前たちはガトウィック空港に着いたんだよ”と諭すように説明してくれたのです。これが31回目の海外渡航でしたが、イギリスビギナーまるだしでした。





歴史的なローリング・ストーンズの初来日公演で明けた1990年です。1月に新任の部門長に就いた直後に彼等の初来日公演を迎えていたのですが、Tつみ部長、Nなか次長の上司二人が同時に異動しています。前任部長がやろうとした形跡もありつつ、ちょっと中途半端な組織のまま、この歴史的大騒動に対応せざるを得なかったのです。

downloadそういうわけで、ストーンズ事が落ち着いた後は、部門責任者としての組織再編など大至急事がありましたが、この社内事とは別に本職のマーケティング案件ごとは、こちらがどうあれ動いてます。
もちろん90年にはいってからの新譜もありますが、前任者時代から仕掛けているプライオリティ・アーティストは、関わってきた自分としても、なんとかせんといかんぞ、です。特にニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックとANAの2つは決着つけないと心の落ち着きありません。

download前者はプライオリティに決めたのが1988年末ですから、実質宣伝期間は1年と数か月ですが年度的には2年越しの3年目に入ります。このアイドルグループを無名時代から世界に先駆けて、真っ先にピックアップした日本チームでしたが、後追いの本国アメリカでは89年に既に大ブレイクを果たしていました。皮肉なことに、我が日本はいまだ不発。なんとかしたい、と心から思っていました。ホント意地ですね。

221004249後者のANAはデビューの”シャイボーイ”出したのが87年12月。88年3月のミックジャガー初来日のタイミングでプロモ来日させ六本木プリンスホテルでコンベンションを開催。そして、なぜだか89年ではなく、この1990年の東京音楽祭TMFへのエントリーになってました。

実は彼女には前任Tつみ部長のマーキングがはいりまくりで、私個人にもチームにもニュー・キッズほどの熱いものはなかったかもしれませんが意地だけです。TMFエントリーまでの経緯については定かではありませんが、デビューから幾つかのメディアや人を巻き込んでいた事もあり、なんとか格好つけなければいけない感じでしたし、きっかけを音楽祭に求めたという事です。前任部長時代に大量宣伝費投下したものの結果だせなかったので、自分の時にはなんとかしなければ、と思ってました。

ダウンロードそういう5月にニューキッズの新譜、STEP BY STEPの音が到着。6月発売が見えてきました。アルバムの出来も非常によく、勝負をかけるシングル曲もありました。これで日本でも遅ればせながらブレイクさせられるぞと営業ともども盛り上がり、数々の取材依頼をCBS経由でアーティスト側に投げるものの、なんとCBSからは”ツアーで忙しすぎて一切の取材をうけない”とつれない返事。

”いやいや勘弁してよ”ですが、さすがにアーティスト本人の協力がないと、大きなパブリシティはとれませんし、ブレイクに向けそれは絶対必要な事です。我々が相対していたCBSスタッフは悪名高きJュリアンでしたので、彼がどこまで動いたのかは大きな疑問ですし、面倒くさい交渉はせずに、自分の判断だけでそういう返事を寄こした事も考えられました。
もちろん社会現象化したほどの大ブレイクですから、誰も交渉できない、誰も話をできないというアンタッチャブル状態であったかも知れません。

download基本的には我々のCBSアーティストに関する情報や取材の依頼は、全て北米以外の国に対する情報サプライ・サービス組織として存在するCBS RECORDS INTERNATIONAL(CRI)を通じて行われますし、行われなければいけません。これが社内的な絶対的なルールでした。

因みにSONYがCBSレコーズを買収したのは1988年です。日本は親会社に近い存在ではありましたが、単なるCBSアフィリエイツの一員でしたし、SONY MUSICにネーミングが変わるのもこの翌年の事です。

つまり我々の仕事のカギは、NYやLAにいるCRIのスタッフの動きにかかっているとも言えるのです。日本が提案する企画のレベルもさることながら、彼等がアーティスト側をうまく説得してくれないと、こちらもその余波を喰らって取材は出来ないし、なにかと写真素材やインタビュー素材なども満足に入手できなくなるというものです。つまりがメディアに乗せる材料がない。露出ができない。ヒットがでない、となるのです。

imagesニューキッズはそもそもデビュー以来CBSの動きでブレイクしたというよりは、マネージメント事務所の自分達の動きによってファンを拡大してきた、という想いが事務所側にありました。ブレイク前にプライオリティにもしなかったCBSレコーズに対して決して良いイメージを持ってなかったのです。

そういうわけで、ブレイクしたから急にCBSから取材やらしてくれ、と言っても、そうそう簡単にOKくれるわけでなし、実際ツアーで忙しく、メンバーの意向や発言も大きくなりCRIからのリクエストも拒否られていたと思われます。

でもね、日本チームは彼らの無名時代からプライオリティとして、プロモ来日もさせ事務所&メンバー達とのコミュニケイションや信頼については密かなる自信がありました。CRIに言われるまま、”彼らが取材うけてくれないから仕方ないもんね”と座して死を待つ状況、なんてありえないのです。アーティストからの協力を取り付けるために、なんとかしないといかんのです。



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