業界のカタスミで細々と~涙のサンダーロード

大事なものは家庭とゴルフ。出身地福岡LOVEが強い団塊世代の日記です。世田谷区在。”誰も相談に来ない”音楽コンサルタント。個人事業主屋号はTHUNDER ROAD。音楽業界48年目。特にレコード会社若き現場時代は洋楽黄金の80年代。洋楽以外も、音楽出版。名古屋営業所長。国内新人発掘育成。国内アーティストマネージメントなど経験。業界の片隅で今だ細々と粘っているオッサンのボケ防止を兼ねた音楽業界人生の整理と復習ブログ。想い出は美しく記憶は嘘つき。基本テーマは仕事で関わった洋楽昔話ネタとたまにゴルフ話と日常案件。好きなものはブルース・スプリングスティーン。幕末と明治維新。ジョン万次郎と坂本龍馬。忠臣蔵。秀吉信長の時代。スターウォーズとマーヴェルコミック。キャプテンアメリカ&アヴェンジャーズ大好き。    

downloadリスニング・セッションの日時は1986年4月30日。サンフランシスコのハードロック・カフェ。地元有名DJのMCでニール・ショーンのギター贈呈セレモニーをきっかけにイベントはスタート。と言っても、そこはアメリカンでヤンキーたちの仕切りです。え,こういう感じなの?と言いたくなるような飲んで騒いでいるだけの単なるパーティでした。

日本でたまに実施していた新譜試聴会のように、スタジオに関係者集めて、いい音響環境でじっくり音楽を聴く、なんてことはなく、実にアルバムの音楽はこのパーティのBGMとして会場の天井スピーカーから流れているだけでした。

43ネットでこのアルバムのアメリカでの発売日を調べたら、4月21日ですと。日本での発売日が6月1日。左の写真がファーストシングル”BE GOOD YOURSELF/トゥ・ユア・セルフ”のラジオ用プロモ盤ですが、これが5月21日発売で、アルバムが6月1日だと明記されてます。これで分かりました。この輸入盤対策真っただ中の時期に、なぜにここまでずれているのか分かりませんが、日本は一か月ちょい遅れています。

という事は、この出張前には私は既に新譜の音を聴いているということですね、きっと。セッション始まっても、ざわついていた会場が鎮まる瞬間は一秒もありません。ま、その後もアメリカでこのテのモノに参加しましたが、パーティとなると仕切りもなく、ただ飲んで喋りまくっているだけのです。

downloadそして、はるばる持ち込んだハンディカムの活躍や如何に、ですが、なにしろ世界初ですから、まだまだ改善点ばかりです。ズームがありません。これは席がちょっと遠いと使えません。しかも室内照明だと明るさ足りません。仕方ないですね。そういう時代です。でも何といっても一番大きな問題はバッテリィでした。

ポータブルがウリですからこれが一番大事かも知れません。チャージャーはかさばるので持って行かず、黒い塊みたいな重いバッテリィを2本、フルチャージして持ち込みました。当時で1本で30分録画できたはずですが、出発前に自宅でチャージし使ったのは、その二日後。結構放電していました。2本合わせても20分程度しか録画できなかったのではなかったかな、と記憶しています。

会場の模様に加え、地元DJ達に新譜やバンドについてのコメントなども撮ったのですが、画質は暗くダメ。音声だけでも使えないかと思っても、場内の騒がしさに加えて、全編BGMが重なって全く使いものになりません。帰国してこの映像観た時は、結構ガックシでした。

download因みに今作”RAISED ON RADIO~時を駆けて”は、そのタイトルで分かるように、ラジオとツアーで今のポジションを作ってきた彼等だけに、ラジオに対するリスペクトをこめたものになってます。これにさかのぼる事3年前、前作”フロンティアーズ”からのヒット・シングル”セパレイトウェイズ”のMVでは、そのチープさに思わずのけぞりましたし、バンドの黒歴史になってます。

IMG_5357ラジオ育ちですし、”自分たちの楽曲には映像をつけたくない、聴いた人がイメージすればいいんだ”とMTV登場時から映像化について批判的な立場をとっていた彼等ですが、世の情勢とCBSからの圧力にまけて、イヤイヤつくったのが、あの倉庫の脇でイヤイヤ歌っているつーだけの映像でしたね。
担当の私もさすがにフォローできなかったです。そういう彼等ですが、既にMTV隆盛のこの時期に、あえて”ラジオ育ち”というタイトルをつけるあたりは、まだ素直じゃなかったというわけですね。

downloadこのアルバムからリズム隊のロス・ヴァロリィとスティーブ・スミスが脱退しています。ニールとジョナサンそしてスティーブ・ペリーの幹部3人だけがジャーニーとしてクレジット。

ロック・アルバムというより、スティーブの存在がより増したAOR的なヴォーカル・アルバムという出来でした。前作2枚がモンスター・セールスを記録していたので、これに比べるとちょっと地味な評価をうけますが、本国では数枚のシングルヒットもでていますが、3年のブランクは大きく日本での受け方も、いまひとつでした。左からシングルカットの順です。

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このアルバムでの全米ツアーも、スティーブの体調やメンバー間の問題もあり、4か月しかできず、この作品をもって、アメリカンNO1バンドの称号をもっていたジャーニーは活動停止となりました。






421986年6月1日JOURNEYの3年ぶりの新譜”RAISED ON RADIO~時を駆けて”が発売されました。これに先駆けて地元のメディア向けにリスニング・セッションがサンフランシスコで開催される事となりました。
このために私は海外出張したのですが、実はこの時点で私は小チーム、と言ってもCBSのメインストリームものには変わりありませんが、直接商品制作する立場ではなく、アーティスト担当を後輩にまかせチームの仕切りをやっていました。

download実は、この85年後半から86年中の1年半は、アメリカCBSの低迷もあり、加えて開闢以来洋楽一筋のOにし部長のややマンネリ気分(すんません)もあり、実に半年ごとに社内シフトが変化していました。
人事異動と組織変更を繰り返し、その都度、商品の制作宣伝まで一貫して行う数人の小チームがいくつも誕生したり、かと思うと制作と宣伝の従来型2チームの組織編成に戻ったりと、めまぐるしく変わっていました。ま、落ち着かなかったですね。(結果翌年1月の人事異動で新しい部長を迎えました。)

つまりこのアルバムの時、ジャーニーのアーティスト担当は、YずNやさんに代わっていたのですが、彼女はまだ私から代わったばかりで、マネージーメント関係者やメンバーに全く面識ありません。そういうわけで、彼等と懇意にしている私が出張に行く事になりました。

downloadでもね、私、新婚旅行から4月3日に戻ってきたばかりで、しかも出来立てホヤホヤの用賀の新しいマンションと呼ぶにはせこいアパートに引っ越ししたばかり。ばかりばかりです。そうなんですよ。結婚式&新婚旅行前にアパートは完成していなかったので、帰国した翌々日に引っ越しというあわただしいスケジュールになってました。

部屋の片付けもこの連休でやっとできるかな、と思ってた矢先に、サンフランシスコへ行け、となったのです。もろ連休期間中です。そういう意味では日常の仕事に一切影響を与えず、出張したことすら仲間は気付いてくれないという、きわめて刹那的なものでした。

images新譜の宣伝素材のためにも、このイベントの映像を抑えたくてSONYに連絡。急遽出発前日に、この前年9月に発売されたばかりの8ミリ・ビデオ・ハンディカムを借りに行きました。左の写真ですが、まさに箱ですね。この時代ですから、出張に携行できるポータブルなビデオ機器はまだ会社の備品にもなってない時代です。でもね、結果は次回お話しますが、ちと残念なものでした。

こういう行程です。4月29日に出国して同日着。29/30日と滞在して5月1日に出発し2日成田着。二泊四日。行先はサンフランシスコ。車は成田の民間業者預けですね。

downloadイベントの前日に空港に到着して、ジャーニー・マネージメントオフィスを訪問。ホテルはどこを利用したのか皆目記憶ありません。リスニング・セッションの会場は、サンフランシスコのハードロック・カフェ。調べてみるとロケーションはフィッシャーマンズワーフにあるとの事。

ジャスト35年前の記憶ですが、どう海馬を絞り込んでも、フィッシャーマンズワーフにあったとは思えません。このサンフランシスコ店の歴史まで調べ上げてみました。分かりました。やはり2002年にヴァンネス通り(もちょっと街の真ん中)からここに移転していました。1984年に世界で6番目。アメリカでは3番目の店としてオープンしています。ちなみに、この店、日本への上陸年代をググってみると驚きました。なんと1983年7月には世界4号店として六本木に登場してたのですね。サンフランシスコより早いっす。

146そして当日、会場に西海岸のラジオ関係者が大勢集まり、日本のメディア関係者は、LA在のFMレコパルのコレスポンデンスMりもとさんのみ。彼にも声かけたらわざわざ来てくれました。彼は優しいキャラで私がプライベートでのLA旅行の際もマメに遊びに付き合ってくれるほど。

メンバーはニール・ショーンひとりがバンドを代表して参加。フロント・ヴォーカルのスティーブ・ペリーの存在がグループを大ブレイクさせた事は、誰しもが認めるところ。とはいえ、ジャーニーというバンドはネーミングの所有権も含めてニール・ショーンのグループなんです。そもそもスティーブはセレモニーは大嫌いですし、こういう場面ではニール代表取締役の登場となるのです。

リスニングセッション始まる前から参加者は酒と食事でワイワイと盛り上がってます。式次第的には、地元有名DJが進行MC務めて、ニールを紹介し、カフェへのギター贈呈式。そして待望の新譜の紹介、という流れです。

イベント始まりました。







IMG_5299この洋楽昔話もかれこれ4年ほど。過去に担当したアーティストやプロダクツのエピソードなど書いてきてますが、よく覚えているね?記憶力イイね、とか言われます。決してそういうわけではなく、思い出すきっかけがいくつかあるからです。

一番はたまに昔の会社の洋楽部門に訪問しては、当時の発売カタログをチェックして自分の担当プロダクツの発売日を確認させてもらってます。これはこれに伴う記憶を強く蘇らせてくれます。

そして、今は便利な時代です。ネットには来日公演の来歴がアップされています。この商品発売日と並んで来日情報は拠り所として大きな役割を果たしています。そして海外ネタの時は、なによりパスポートの渡航記録が大活躍します。

no title洋楽部長時代、92年のある海外出張時、10時間以上も飛行機の中にいるわけですからヒマまくりです。そして何故だか私のパスポートは新旧2冊綴じられていたのですが、時間つぶしで、この2冊分に記されている出入国のスタンプを整理したことがありました。

この機内のヒマつぶしが今随分と役に立っています。私、この渡航の目的が何であったかをメモを残していたのです。これも、ある意味奇跡ですが、つまり今から40年前の渡航記録でも、このメモつくった10年前の出来事ですから、結構正確なはずです。このメモには92年9月の渡航までが記録されていました。

IMG_5301ちなみに、この77年に発行されたパスポートは紺色でしたが、とじられた2冊目(82年発行)は新しい赤色。なんで2冊くっついていたのでしょうかね。1冊目に査証スタンプがあったからなのかな、、。ちなみにこの時代、アメリカ入国にはまだビザが必要でした。、、。

アーティストの過去ライブ情報もセットリスト付きでアップされている時代ですから、このパスポート記録と、ライブ記録の照らし合わせで、おぼろげな記憶がクリアになるのです。いわゆる、現代用語で余り好きじゃありませんが、ギャグで使っていますが、いわゆる“エビデンス”があると、この時の情景や同席同行していた仲間の顔などが浮かび始め、記憶が続々とつながってくるというものです。空いていたジグゾーパズルのコマが埋まっていく感じですね。

IMG_5300てな事で、次からは、ちょこちょこ、この出入国記録をベースに想い出話をアップしていこうと思います。とは言え、過去の海外ネタは全てこの裏付けのモノで、結局は同じような内容になってしまうかもしれませんが、そこはお許しください。

記憶の入り方が変わると、また別の回路が働き、新しい事実(妄想かも)を引っ張りだすかもしれません。

ということで、次回は1986年4月29日から5月2日の連休中の出張の話です。ジャーニーが新譜を作りました。”RAISED ON RADIO~時を駆けて”発表にともない、リスニング・セッションがサンフランシスコで行われることになったのです。まさに35年前の今頃の出来事です。新婚旅行から戻って数週間。しかもやっと休めると思った連休に海外出張行かされたのです。





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