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Brain erasing head

備忘録代わりのコピペ保存ブログです。

↓この内容は下記より全文引用しています。
zakzak by 夕刊フジ

【有本香の以毒制毒】
安倍首相VS朝日新聞 “20年戦争”の始まりを探る

2018.7.20

 「平成30年7月豪雨」の被災地では、今日も安否不明の方々の捜索と、復旧作業が続けられている。被災された方々が、いま以上に体調を崩されることのないようにと祈るばかりだ。

朝日新聞
 そんななか、発災から約1週間後、テレビのワイドショーをにぎわしていたのが、自民党が5日夜に開いた懇談会「赤坂自民亭」である。私も民放の一番組に出演して、大勢でこの問題を論じたが、正直、途中で虚しくなった。

 被災地では猛暑のなか、懸命な救助・救援が続けられている。その同じとき、遠く東京のスタジオで、事情もロクに知らない者たちが、偽善の仮面を被って、「政府は被災地に寄り添っていない」とか、「政治家は自覚が足らない」と感情的に言い放つ。

 これつまり、大災害をテレビの「娯楽」にしているのだ。あえてキツイ表現をすると、これは形を変えた「火事場泥棒」みたいなものではないか。出演者の1人であるが、実に後味が悪く、自戒を込めつつ、改めてテレビの怖さ、罪深さを思い知った次第である。

 その数日後、たまたま、お笑いタレントが司会を務めるテレビ番組で、次のように話している映像を見た。

 「昔、えひめ丸の事故ってあったじゃないですか。森さんがゴルフしてたって。あれと一緒じゃないかと思うんですよ」

 彼が言っていたのは、いまから17年前、2001年2月10日に起きた、愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」と、米国の原子力潜水艦の衝突事故の件である。当時の森喜朗首相が事故の一報を受けた後も、ゴルフを続けていたということで大きな批判を浴び、森政権は2カ月後に終焉(しゅうえん)した。

【有本香の以毒制毒】

安倍首相と朝日新聞の因縁は深い

 いま、私の手元に、この事故の翌日の朝刊各紙のコピーがある。将来ある日本の高校生と引率教員らがハワイの海に沈んだ、非常に痛ましい事故。それを全紙が1面トップで報じていた。

 中でも、最も痛烈に1面と中面とで森政権の対応を批判していたのが朝日新聞だ。記事の見出しは、「森首相 一報後もゴルフを続行 官邸で指揮、四時間後」だった。朝日新聞のこの報道が号令となり、その後は連日テレビで、「ゴルフをしていた森けしからん」報道が続いた。

 当の森氏にこのときの状況を聞くと、当時メディアから受けた印象とはまったく違う「真実」が浮かび上がる。だが、それとは別に、この日の朝日新聞の1面には、もう1つ注目すべき記述がある。官房副長官だった「安倍晋三」の名前が複数回、1面に記されているのだ。

【有本香の以毒制毒】  1  - zakzak (1) 官邸の留守番役だったとはいえ、対応の責任者でもない若手政治家の名が、天下の朝日新聞の1面に繰り返し載り、中面では、その行動が見出しにもなっている。なるほど。「安倍vs朝日」の長い戦いの始まりはこのころだったのかと分かった。

 いま、朝日新聞と一部のテレビ番組が17年前をなぞるように「安倍政権たたき」をしている。「豪雨の発災日に『赤坂自民亭』でビールを飲んでいるなど、けしからん」というストーリーで、だ。

 首相批判、政府批判、政治家批判は大いにやればいい。首相と大新聞の対立も構わない。ただし、傷ついた人、弱き人を利用する卑劣なまねはご法度とすべきだ。つくづく、こんな法律が欲しいと思う、今日このごろである。

arimotokaori ■有本香(ありもと・かおり) ジャーナリスト。1962年、奈良市生まれ。東京外国語大学卒業。旅行雑誌の編集長や企業広報を経て独立。国際関係や、日本の政治をテーマに取材・執筆活動を行う。著書・共著に『中国の「日本買収」計画』(ワック)、『リベラルの中国認識が日本を滅ぼす』(産経新聞出版)、『「小池劇場」の真実』(幻冬舎文庫)など多数。






↓この内容は下記より全文引用しています。
産経ニュース
https://www.sankei.com/column/news/180809/clm1808090006-n1.html

【葛城奈海の直球&曲球】
英霊たちの大和魂が求めた「大きな和」

2018.8.9 11:30

 今年も8月15日を迎える。

【葛城奈海の直球&曲球】 昨秋、パラオのペリリュー島を訪れて以来、確信していることがある。戦後の日本を守ってくれたのは、憲法9条でも日米同盟でもなく、先人たちの戦いぶりだと。敵をして畏怖の念を抱かせるほど、先人たちは勇猛果敢に戦い抜いた。こんな人間業(わざ)とは思えない戦いぶりをする日本人とは金輪際戦いたくないと思わせた先人たちの武威にこそ、私たちは守られてきたのだ。

 毎年、秩父神社で『英霊の言乃葉』朗読会を行っているが、英霊たちが自分の家族だけ、自分の国だけの平安・平和を望んでいたわけではなかったことに深く心打たれる。

講演する葛城奈海氏=福岡市中央区→

 「大和魂」と聞けば、特攻隊に象徴されるように鬼神の如く荒(あら)ぶる魂をイメージする人が多いだろう。しかし、「大和」の文字が表すように、その根本には、「大きな和」つまり「万民の幸福」を求める心がある。事実、先人たちは戦前・戦中と統治下にあった国々の人々と兄弟のように睦(むつ)み合い、共存共栄を目指した。特攻隊振武隊隊長・渋谷健一少佐は、幼い愛児に「世界に平和がおとづれて万民太平の幸をうけるまで懸命の勉強をするように」と書き遺(のこ)している。

 和を尊ぶのは、建国から続く日本の理念であろう。が、しかし、それは、いつも柔和でいればよいということではなく、ひとたび、和を脅かす存在が現れたときには、話し合いで解決できなければ、最終的には敢然と戦うことも辞さない、という覚悟に裏打ちされている。一見、相反する性質のこの両者が、表裏一体となったものこそが、大和魂なのではないか。

 多くの同胞を北朝鮮に連れ去られて約40年。戦後日本は、あまりにも荒魂を忘れてしまった。

 特攻隊の生みの親、大西瀧治郎中将は、自決にあたり、遺書にこう綴(つづ)っている。「平時に処し、なおよく特攻精神を堅持し、日本民族の福祉と世界人類の和平のため、最善を尽せよ」

 靖国神社や護国神社に参拝する人の多いこの時期、御霊に安んじていただくためにどうあるべきか、心静かに考えてみたい。

葛城奈海【プロフィル】葛城奈海(かつらぎ・なみ) やおよろずの森代表、防人と歩む会会長、キャスター、俳優。昭和45年東京都出身。東京大農学部卒。自然環境問題・安全保障問題に取り組む。予備役ブルーリボンの会広報部会長、林政審議会委員。著書(共著)に『国防女子が行く』(ビジネス社)。



↓この内容は下記より全文引用しています。
産経WEST
https://www.sankei.com/west/news/180506/wst1805060005-n1.html

昭和天皇・マッカーサー会談の「事実」
敵将を心服させた昭和天皇の御聖徳


2006/06/29

 戦後六十回目の八月十五日が近づくにつれて、自ずと想起されるのは、終戦前後に示された昭和天皇の御聖徳である。昭和生まれの日本人として、記者は「終戦のご聖断」「マッカーサーとのご会見」「終戦後のご巡幸」はしっかりわが子らに伝えたいと常々願っている。言うまでもなく、これらのご行動に脈打つ「捨て身」のご精神により、戦後の日本と日本人は救われたと思うからだ。
  ところが、である。来年から使用される中学校の歴史教科書で、昭和天皇のご事績を記しているのは扶桑社のみである。他の大部分の教科書には、「昭和天皇」のお名前自体が出てこない。お名前は出てきても、悪意が感じられるものもある。

 とりわけ唖然とさせられたのは、東京書籍である。「占領と日本の民主化」という項目に「マッカーサーと昭和天皇」と解説した写真が新たに載っている。腰に手をやって構える開襟シャツにノーネクタイのマッカーサーの隣にモーニング姿で直立不動の昭和天皇が並んでいる、お馴染みの写真である。昭和二十年九月二十七日、天皇が初めてマッカーサーを訪問された際に写されたものだ。

  この写真が当時、全国民に大きなショックを与えたことはよく知られている。これを見た歌人の斎藤茂吉は日記に、「ウヌ!マッカーサーノ野郎」と記し、また内務省は不敬に当たるとして、各新聞に発表を控えさせた(GHQの指令で九月二十九日公表された)。東京書籍の教科書は、肝腎のご会見の中身には何も触れないで、GHQの宣伝臭の強い問題写真だけを掲載したのである。

  一方、扶桑社の教科書は、ご会見の中身をこう記している。「終戦直後、天皇と初めて会見したマッカーサーは、天皇が命乞いをするためにやって来たと思った。ところが、天皇の口から語られた言葉は、『私は、国民が戦争遂行にあたって行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためお訪ねした』というものだった」と。

  さらに、「私は大きい感動にゆすぶられた。(中略)この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした」という『マッカーサー回想記』の有名な一文も載せている。
 かかる重大な史実を扶桑社以外の教科書が記述しない真意は測りかねるが、『マッカーサー回想記』が伝える戦争の「全責任を負う」との天皇のご発言については、その信憑性を疑う向きもあるのは事実である。

 その主な原因は、昭和五十年に児島襄氏が公表した「御会見録」である。九月二十七日の会見に同席した通訳官が記したというこの「御会見録」には、マッカーサーが伝えたような天皇のご発言がなかった。もともと児島氏は天皇の戦争責任を否定する立場から、ご発言の信憑性に疑問を発していたのだが、これで児島氏の疑念はいよいよ深まった。

 さらに三年前、それとほぼ同一の「公式記録」を外務省が公開するに至り、マッカーサー発言を「作り話」と否定したり、「天皇はむしろ国民に責任を転嫁しようとした」という声さえ上がる始末となったのだ。

 結論からいえば、天皇が戦争の「全責任を負う」と述べられたのは事実であり、この「捨て身」のご精神によって、戦後の日本と日本人は救われたことは間違いない。

 以下、この歴史的会見における昭和天皇のご発言について、様々な証言を整理・再検証してみたい。

 

◆十年後に明かされた「歴史的事実」

 昭和二十年八月三十日、連合国軍最高司令官ダグラズ・マッカーサー元帥は神奈川県の厚木飛行場に到着した。九月二日、横須賀沖に停泊する米戦艦ミズリー号上で降伏文書の調印が済むと、マッカーサーはGHQ総司令部を横浜から皇居の真向かいに位置する第一生命ビルに移し、占領政策に本格的に着手した。 

 昭和天皇が米国大使館の大使公邸にマッカーサーを初めて訪問されたのは九月二十七日のことである。この会見がもたれるに至った経緯については種々の推測があるが、「天皇御自身の発意であり、マッカーサーの側ではそれを待っていたとばかりに歓迎したというのが実相だった」(小堀桂一郎『昭和天皇』)といってよさそうだ。

 天皇にお供したのは、石渡荘太郎宮内大臣、藤田尚徳侍従長、筧素彦行幸主務官、通訳の奥村勝蔵外務省参事官など六名。が、会見に同席したのは奥村参事官のみだった。

 会見後、奥村は会見の内容についてのメモを作成した。それは、外務省から藤田侍従長のもとへ届けられ、侍従長から天皇へ手渡された。通常であれば、その種の文書は侍従長の元に戻されるが、そのメモは戻されなかった。会見の内容は公表しないというマッカーサーとの約束を守るための措置だったと思われる。

 日本人が会見の内容を初めて知り、深い感動に包まれるのは、それから十年後のことだ。すなわち、「天皇陛下を賛えるマ元帥――新日本産みの親、御自身の運命問題とせず」という読売新聞(昭和三十年九月十四日)に載った寄稿が最初の機会となる。執筆者は、訪米から帰国したばかりの重光葵外務大臣であった。

 重光外相は、安保条約改定に向けてダレス国務長官と会談するために訪米したのであるが、この時マッカーサーを訪ね、約一時間会談した。先の外相の寄稿は、その際のマッカーサーの発言を紹介したものだ。

 次に、その寄稿の一部を紹介したい。重光によれば、マッカーサーは、「私は陛下にお出会いして以来、戦後の日本の幸福に最も貢献した人は天皇陛下なりと断言するに憚らないのである」と述べた後、陛下との初の会見に言及。「どんな態度で、陛下が私に会われるかと好奇心をもってお出会いしました。しかるに実に驚きました。陛下は、まず戦争責任の問題を自ら持ち出され、つぎのようにおっしゃいました。これには実にびっくりさせられました」として、次のような天皇のご発言を紹介したというのである。

 「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。また私は日本の名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題ではない。構わずに総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負います」

 そしてマッカーサーは、このご発言に関する感想をこう述べたという。

 「私は、これを聞いて、興奮の余り、陛下にキスしようとした位です。もし国の罪をあがのうことが出来れば進んで絞首台に上がることを申し出るという、この日本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後ますます高まるばかりでした」

  この天皇のご発言を知らされた重光外相は、次の感想を記している。

 「この歴史的事実は陛下御自身はもちろん宮中からも今日まで少しももらされたことはなかった。それがちょうど十年経った今日当時の敵将占領軍司令官自身の口から語られたのである。私は何というすばらしいことであるかと思った」

 扶桑社の歴史教科書が引用している『マッカーサー回想記』が出版されたのは、それから九年後の昭和三十九年のことである。

 

◆GHQ側の「証言」

 ところで、会見のお供の一人の筧氏は、重光外相の寄稿を読んだ感想を、「十年来の疑問が一瞬に氷解した」と記している。氏の「疑問」とは、会見の前後でのマッカーサーの態度の急激な変化である。会見の時間はわずか三十七分であった。が、「先刻までは傲然とふん反りかえっているように見えた元帥が、まるで侍従長のような、鞠躬如として、とでも申したいように敬虔な態度で、陛下のやや斜めうしろと覚しき位置で現れた」という。会見前後の場の雰囲気を知る当事者として、筧氏は「あの陛下の御言葉を抜きにしては、当初傲然とふんぞり返っていたマッカーサー元帥が、僅か三十数分のあと、あれ程柔和に、敬虔な態度になったことの説明がつかない」(『今上陛下と母宮貞明皇后』)と証言している。これは、マッカーサーが伝えた天皇のご発言を裏付けるいわば状況証拠といえよう。

 とはいえ、むろんこれはマッカーサーの発言を裏付ける決め手とはなり得ない。会見の内容についてGHQ側に記録はない。とすれば、重光外相との面会までに十年の月日が流れており、マッカーサーの記憶を信頼できるのか、やはり疑問なしとしない。また『マッカーサー回想記』については、回想記全体が自己宣伝調で、その信頼性を疑う向きが一部にあるのも事実であろう。

 しかし、幸いにもというべきか、あの会見の直後、マッカーサーはその内容を断片的に複数の側近などに漏らしている。そこには創作が入り込む余地は考えにくい。しかもそれらは大筋で、その後のマッカーサーの発言を裏付けているといってよい。

 例えば会見の時に大使公邸にいたマッカーサーの幕僚の証言だ。軍事秘書のボナ・フェラーズ准将は、会見が行われた九月二十七日に自分の家族に宛てた私信で、天皇が帰られた直後にマッカーサーから聞いた話として、こう伝えているという。

 「マッカーサーは感激しつつこういった。『……天皇は、困惑した様子だったが、言葉を選んでしっかりと話をした』。『天皇は処刑を恐れているのですよ』と私がいうと、マッカーサーは答えた。『そうだな。彼は覚悟ができている。首が飛んでも仕方がないと考えているようだ』」(升味準之助『昭和天皇とその時代』)

 また、会見から一カ月後の十月二十七日、ジョージ・アチソン政治顧問代理は国務省宛てに、マッカーサーから聞いた天皇のご発言について次のように打電した。

 「天皇は握手が終ると、開戦通告の前に真珠湾を攻撃したのは、まったく自分の意図ではなく、東条のトリックにかけられたからである。しかし、それがゆえに責任を回避しようとするつもりはない。天皇は、日本国民の指導者として、臣民のとったあらゆる行動に責任を持つつもりだと述べた」

 この文書を最初にアメリカ国立公文書館で発見した秦郁彦氏は、「決め手と言ってよい文書」「天皇が全戦争責任を負うつもりであったのは明らかである」と指摘する。また氏は、次のような根拠も挙げている。

 「このことは、八月二十九日天皇が木戸内大臣に、『戦争責任者を連合国に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引受けて、退位でもして納める訳には行かないだろうか』(木戸日記)と語ったところや、九月十二日東久邇宮首相が、連合国の追及に先立って、戦争犯罪人を日本側で自主的に処罰する方針を奏上すると、即座に反対して撤回させた事実と首尾一貫してくる」(『裕仁天皇五つの決断』)

 なお、「東条のトリック云々」のご発言にひっかかる向きがあるかもしれないが、秦氏はこう解釈する。

 「天皇がこだわったのもむりはない。東郷外相ですら無通告攻撃に傾いていたのを『事前通告は必ずやるように』と厳命したにもかかわらず、奥村在米大使館書記官のタイプミスで結果的に通告がおくれてしまったのだから、痛恨の思いは誰よりも深かったであろう。

 しかも、この時点では天皇は真相を知らされていなかったので、東条に欺かれたと信じこんでいたのが、言い訳めいた言動になったと思われる」(『文藝春秋』平成16年1月号)

 

◆日本側の二つの「証言」

 次に、ご会見についての日本側の情報を整理してみたい。

 むろん、最も重要なのは、通訳の奥村氏が会見当日に作成したメモである。これについては冒頭で触れたように、まず昭和五十年、「『マッカーサー』元帥トノ御会見録」(以下、会見録と略)なるものが、『文藝春秋』(昭和50年11月号)で児島襄氏によって公表された。そこで児島氏は、資料の入手先を明らかにしないまま、「奥村勝蔵が手記した会見記録は次のとおりである」と記している。

 また平成十四年十月、外務省は第一回天皇・マッカーサー会見の「公式記録」を公開した。先にも記したように、その内容は児島氏が公表した会見録とほぼ同一の内容だった。

 会見録によると、マッカーサーが約二十分、「相当力強き語調」で雄弁をふるった後、陛下が、「この戦争については、自分としては極力これを避けたい考でありましたが、戦争となるの結果を見ましたことは、自分の最も遺憾とする所であります」と述べている。が、マッカーサーが伝えた戦争の「全責任を負う」とのご発言は出てこない。つまり日本側の公的記録によっては、マッカーサーの発言は裏付けられない結果となったのだ。

 しかし一方、日本側にもマッカーサーの発言を裏付ける重要な情報がある。奥村氏のメモを天皇に届けた藤田侍従長が記した回想録である。職掌上、そのメモに目を通した同侍従長は、昭和三十六年十月、当時の記憶に基づき、陛下のご発言の内容を公表した。問題のメモについて、同侍従長は「宮内省の用箋に五枚ほどあったと思う」と述べ、陛下は次の意味のことをマ元帥に伝えたと記している。

 「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼等には責任はない。
 私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」

 この天皇のご発言に続けて、同侍従長は、「一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝になると、この天真の流露はマ元帥を強く感動させたようだ」と述べ、次のようなマッカーサーの発言を記している。

 「かつて、戦い敗れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終ったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これ総て陛下のお力添えである。これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わねばならぬことは多い。どうか、よろしくお願い致したい」(『侍従長の回想』)

 先に見たマッカーサーの発言では、天皇が日本国民のために「連合国の援助」をお願いしたことについては触れていない。しかし高田万亀子氏によれば、天皇が「自分はどうなってもいいが、国民を食わせてやってくれ」という発言をなされたという事実を、マッカーサーも雑談の中で語っているという(「昭和天皇についての二つの新証言」)。

 このように、藤田侍従長の回想とマッカーサー側の発言とは、肝腎の部分でほぼ一致するのである。

 

◆「重大さを顧慮し削除した」

 以上の事実が示唆しているのは、奥村氏の手になる会見録は二種類あるということであろう。事実、昭和天皇の元に届けられたものと、外務省が保管したものと二種類の会見録があるのではないかとの推測が専門家の間でもささやかれてきた。

 例えば升味氏は、「奥村は、それ(「全責任を負う」とのご発言)を御会見録に記した。吉田外相は、それを二九日侍従長に送った。それから奥村は、自分の手控えから肝腎の部分を削除した。……削られたのは、外務省の保存記録かもしれない」(前掲書)との推測を記している。

 そして、その後、平成十四年八月五日付朝日新聞は、この推測を傍証する重大な文書を紹介した。それは、奥村氏の後任通訳を務めた元外交官の松井明氏が記した「天皇の通訳」と題する文書である。その文書で松井氏は、こう記している。

 「天皇が一切の戦争責任を一身に負われる旨の発言は、通訳に当られた奥村氏に依れば余りの重大さを顧慮し記録から削除したが、マ元帥が滔々と戦争哲学を語った直後に述べられたとのことである」

 この松井証言については、「松井がいつどの時点でどういう形で彼から聞いたのかが不明確であるし、機密保持を前提としていた『記録』から、なぜあえて『削除』する必要があったのか疑問とせざるをえない」(豊下楢彦氏)との指摘もある。

 しかし、こうした疑問に対して秦氏は、「東京裁判を控えて『天皇有罪の証拠』とされかねないこのくだりを、奥村があえて削除したのは当然と私は考える」と述べている。

 以上、マッカーサー側と日本側の情報を検討してきたが、昭和天皇の「全責任発言」はまぎれもない事実と結論付けてよいのではなかろうか。

 

◆国家国民を救った捨て身の御精神

 ところで、この歴史的会見の意義を、例えば高橋紘氏は、「『知日派』の総帥は、いまやマッカーサーであった」との象徴的な言葉で評している。どういうことかといえば、当時のマッカーサーには軍事秘書として、日本文化に造詣が深かったボナ・フェラーズ准将、副官には歌舞伎役者の口真似までできる日本通のフォービアン・バワーズなどの知日派軍人が仕えていた。だが九月二十七日を機に、マッカーサーが突如として知日派米国人の最たる存在になったということだ。そして、このことは、その後の占領政策にきわめて重要な影響を及ぼすことになるのである。

 当時、天皇制をめぐって米国務省内では議論が続いており、昭和二十年十月二十二日のSWNCC(国務・陸・海軍三省調整委員会)の会議では、マッカーサーに対し、天皇に戦争責任があるかどうか証拠を収集せよ、との電報を打つことが承認された。これに対してマッカーサーは翌二十一年一月二十五日、アイゼンハワー陸軍参謀総長に対し、次のような回答の手紙を送ったという。

 「過去一〇年間、天皇は日本の政治決断に大きく関与した明白な証拠となるものはなかった。天皇は日本国民を統合する象徴である。天皇制を破壊すれば日本も崩壊する。……(もし天皇を裁けば)行政は停止し、ゲリラ戦が各地で起こり共産主義の組織的活動が生まれる。これには一〇〇万人の軍隊と数十万人の行政官と戦時補給体制が必要である」(高橋紘『象徴天皇』)

 この手紙を高橋氏は、「天皇の終戦直後の働き」の「結実」とみなしている。つまり、天皇との会見などを通してマッカーサーが抱くに至った天皇へのプラスの認識が、先のマッカーサーの判断をもたらしたというのである。これによって天皇は戦争犯罪人としての不当な訴追を免れ、戦後も天皇制が――象徴という不本意な形にしろ――維持されることになったといえる。そのことが戦後の日本の復興と安定に寄与した意義は計り知れず大きい。

 むろん、こうしたマッカーサーの対応の背景には、占領政策を成功させるために天皇の力を政略的に利用しようとする意図があったともいえよう。しかしマッカーサー回想記などのその後の発言を踏まえれば、マッカーサーが「心から天皇に心服し」、「九月二十七日の会見を以て、彼の対天皇関係は、初めに敬愛ありき、とでも言うべき鋳型が出来てしまった」(小堀氏・前掲書)ことも、また否定できない事実というべきなのである。

 そして、マッカーサーと昭和天皇との間に「初めに敬愛ありき」とでもいうべき鋳型が出来たことにより、実は戦後の多数の日本人の命が救われたともいえるのである。その点については、当時の農林大臣であった松村謙三氏の『三代回顧録』に詳しく書き留められている。ここではその要点のみを記しておく。

 終戦直後の日本は食糧事情の悪化に直面しており、昭和二十年十二月頃、天皇は松村氏に対して、「多数の餓死者を出すようなことはどうしても自分にはたえがたい」と述べられ、皇室の御物の目録を氏に渡され、「これを代償としてアメリカに渡し、食糧にかえて国民の飢餓を一日でもしのぐようにしたい」と伝えられた。

 そこで当時の幣原首相がマッカーサーを訪ね、御物の目録を差し出すと、非常に感動したマッカーサーは、「自分が現在の任務についている以上は、断じて日本の国民の中に餓死者を出すようなことはさせぬ。かならず食糧を本国から移入する方法を講ずる」と請け合ったという。

 松村氏は記している。「これまで責任者の私はもちろん、総理大臣、外務大臣がお百度を踏んで、文字どおり一生懸命に懇請したが、けっして承諾の色を見せなかったのに、陛下の国民を思うお心持ち打たれて、即刻、〝絶対に餓死者を出さぬから、陛下も御安心されるように……〟というのだ。……それからはどんどんアメリカ本国からの食糧が移入され、日本の食糧危機はようやく解除されたのであった」と。

 これは、やはり「捨て身」のご精神によって敵将を心服せしめた昭和天皇の御聖徳の賜物というしかない。(日本政策研究センター研究員 小坂実)


↓この内容は下記より全文引用しています。
Skeltia_vergber on the Web
http://blog.livedoor.jp/skeltia_vergber/archives/51543955.html

杉田水脈著『「LGBT」支援の度が過ぎる』を全文書き起こす(転載歓迎)
2018年07月22日11:58

きっかけはこのツイート。

尾辻かな子さんのツイート---杉田水脈自民党衆議院議員-

尾辻かな子@otsujikanako
 杉田水脈自民党衆議院議員の雑誌「新潮45」への記事。LGBTのカップルは生産性がないので税金を投入することの是非があると。LGBTも納税者であることは指摘しておきたい。当たり前のことだが、すべての人は生きていること、その事自体に価値がある。

18:16 - 2018年7月18日
15,411
13,128人がこの話題について話しています


 で指摘された杉田水脈議員がレスを返していた。
そうなんですよね。ちゃんと新潮45を購入して全文を読んでから批判していただきたいです。雑誌の一部だけ写メ撮ってSNSに流すとか、営業妨害では?と思ってしまいます。これをきっかけに買っていただけると嬉しいですが?? https://t.co/iaU5khgU38

? 杉田 水脈 (@miosugita) 2018年7月18日


 じゃあ、全文確認してみましょう。

新潮45 2018年08月号    本   通販   Amazon新潮45 2018年08月号
新潮45 2018年08月号 [雑誌]
新潮社
2018-07-18
に収録されている。杉田水脈著『「LGBT」支援の度が過ぎる』
57-60.『新潮45』2018年8月号。

この1年間で「LGBT」(L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダー)がどれだけ報道されてきたのか。新聞検索で調べてみますと、朝日新聞が260件、読売新聞が159件、毎日新聞が300件、産経新聞が73件ありました(7月8日現在)。キーワード検索ですから、その全てがLGBTの詳しい報道ではないにしても、おおよその傾向が分かるではないでしょうか。
 朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、違和感を覚えざるをません。発行部数から言ったら、朝日新聞の影響の大きさは否めないでしょう。
 最近の報道の背後にうかがわれるのは、彼ら彼女らの権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方です。
 しかし、LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません。多くの人にとっても同じではないでしょうか。
 そもそも日本には、同性愛の人たちに対して、「非国民だ!」という風潮はありません。一方で、キリスト教社会やイスラム教社会では、同性愛が禁止されてきたので、白い目で見られてきました。時には迫害され、命に関わるようなこともありました。それに比べて、日本の社会では歴史を紐解いても、そのような迫害の歴史はありませんでした。むしろ、寛容な社会だったことが窺えます。
 どうしても日本のマスメディアは、欧米がこうしているから日本も見習うべきだ、という論調が目立つのですが、欧米と日本とでは、そもそも社会構造が違うのです。
 LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。
 これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません。LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが、生きづらさに関わっています。そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか。
 リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはず。「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。
 例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

 LGBとTを一緒にするな

 ここまで私もLGBTという表現を使ってきましたが、そもそもLGBTと一括りにすることが自体がおかしいと思っています。T(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害なので、これは分けて考えるべきです。自分の脳が認識している性と、自分の体が一致しないというのは、つらいでしょう。性転換手術にも保険が利くようにしたり、いかに医療行為として充実させて行くのか、それは政治家としても考えていいことなのかもしれません。
 一方、LGBは性的嗜好の話です。以前にも書いたことがありますが、私は中高一貫の女子校で、まわりに男性はいませんでした。女子校では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。
 朝日新聞の記事で「高校生、1割が性的少数者」という記事がありました(3月17日付、大阪朝刊)。三重県の男女共同参画センターが高校生1万人を調査したところ、LGBTは281人で、自分は男女いずれでもないと感じているXジェンダーが508人。Q(クエスチョニング=性的指向の定まっていない人)が214人いて、合わせて1003人の性的少数者がいたというものです。それこそ世の中やメディアがLGBTと騒ぐから、「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。調査の対象は思春期の不安定な時期ですから、社会の枠組みへの抵抗もあるでしょう。
 最近の報道でよく目にするのは、学校の制服問題です。例えば、「多様性、選べる制服」(3月25日づけ、大阪朝刊)。多様な性に対応するために、LGBT向けに自由に制服が選択できるというものです。女子向けのスラックスを採用している学校もあるようです。こうした試みも「自分が認識した性に合った制服を着るのはいいこと」として報道されています。では、トイレはどうなるのでしょうか。自分が認識した性に合ったトイレを使用することがいいことになるのでしょうか。
 実際にオバマ政権下では2016年に、「公立学校においてトランスジェンダーの子供や児童が“心の性”に応じてトイレや更衣室を使えるようにする」という通達を出しました。先ほども触れたように、トランスジェンダーは障害ですが、保守的なアメリカでは大混乱になりました。
 トランプ政権になって、この通達は撤回されています。しかし、保守派とリベラル派の間で激しい論争が続いているようです。Tに適用されたら、LやGにも適用される可能性だってあります。自分の好きな性別のトイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱です。
 最近はLGBTに加えて、Qとか、I(インターセクシャル=性の未分化の人や両性具有の人)とか、P(パンセクシャル=全性愛者、性別の認識なしに人を愛する人)とか、もうわけが分かりません。なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう。
 オーストラリアやニュージーランド、ドイツ、デンマークなどでは、パスポートの性別欄を男性でも女性でもない「X」とすることができます。LGBT先進国のタイでは18種類の性別があると言いますし、SNSのフェイスブック・アメリカ版では58種類の性別が用意されています。もう冗談のようなことが本当に起きているのです。
 多様性を受けいれて、様々な性的指向も認めよということになると、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころか、ペット婚、機械と結婚させろという声が出てくるかもしれません。現実に海外では、そういう人たちが出てきています。どんどん例外を認めてあげようとなると、歯止めが効かなくなります。
 「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねません。朝日新聞が「LGBT」を報道する意味があるのでしょうか。むしろ冷静に批判してしかるべきではないかと思います。
 「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません。
 


 書き起こし、終了。







↓この内容は下記より全文引用しています。
好書好日
https://book.asahi.com/article/11648363?ref=chiezou

【 書評 】
対外宣伝活動、鋭敏な時代感覚

2018.06.08

日露戦争と日本在外公館の“外国新聞操縦”日露戦争と日本在外公館の“外国新聞操縦”
著者:松村 正義
出版社:成文社
ジャンル:社会・時事・政治・行政

価格:4104円 
ISBN: 9784915730825 
発売日: 
サイズ: 22cm/326p

極東の小国日本が大国ロシアに勝利するために採った外交手段のひとつ“外国新聞操縦”。現在では使われなくなったこの用語の内実に迫り、世界中の日本の在外公館で行われた広報外交の…

評者:保阪正康 / 朝日新聞掲載:2011年02月27日

日露戦争と日本在外公館の“外国新聞操縦” [著]松村正義

 外国新聞操縦という耳慣れない語は、明治時代の外務省で用いられた「対外宣伝活動に関する用語」なのだという。この用語を軸にして、日露戦争下で日本の外務省は世界各国にある在外公館にどのような世論工作を命じたか、それを受けて各国の大使や公使などは自らの活動を本省にどう報告したのか。それを残された史料をもとに分析したのが本書である。
 著者は日露戦争研究の第一人者だが、膨大な史料を読みこなしてまとめられただけにその訴求点は深く、そして幅広く目配りされている。読後の感想は、二つの発見と三つの驚きに尽きる。二つの発見とは当時の人材の層の厚さとその時代感覚の鋭敏さである。小村寿太郎外相を発信源に、イギリスの林董や知英派の末松謙澄、フランスの本野一郎、アメリカの高平小五郎、派遣特使の金子堅太郎などの人材が、日本がいかにロシアとの和平を望んでいたか、しかしロシアの横暴さが軍事行動の発動につながったとの見解を積極的に各国世論に訴えていく。各人の動きには困難をはね返す強い使命感がある。オーストリア・ハンガリー帝国駐在の公使牧野伸顕などは黄禍論の拡大を懸念、それを抑えるためにハンガリーの学者に反黄禍論をドイツ語で執筆させて書にして各界に配布している。このような時代感覚が日本に対する好イメージにつながったのだ。
 三つの驚きとは、親日的世論を醸成させるために新聞社への支援、買収を厭(いと)わなかったこと(オーストリア公使館では1600万円を使用)、旅順陥落など戦況の推移につれ各国世論も微妙に変化したこと(親露国フランスの新聞論調が好例)、小国日本の大国ロシアへの挑戦が各国の人々に好意的に見られていたこと(スペインでは義勇兵志願や食料品援助の申し出)があげられる。日露戦争下の広報外交は大局において成功したが、この成功体験の表面だけを見て、傲岸不遜(ごうがんふそん)で謀略重視、「領土拡大への侵略戦争」を目指した次の時代は先達の謙虚さも鋭敏さも失ったとの見方には納得させられる。
 評・保阪正康(ノンフィクション作家)
    *
 成文社・3990円/まつむら・まさよし 28年生まれ。元外務省職員。日露戦争研究会会長。

保阪正康保阪正康(ほさかまさやす)
ノンフィクション作家
 1939年生まれ。著書に『五・一五事件 橘孝三郎と愛郷塾の軌跡』『東條英機と天皇の時代』『昭和陸軍の研究』『吉田茂という逆説』『ナショナリズムの昭和』など。個人誌「昭和史講座」を中心とする昭和史研究で菊池寛賞。



↓この内容は下記より全文引用しています。
産経WEST
https://www.sankei.com/west/news/180506/wst1805060005-n1.html

【メガプレミアム】

韓国才女「親日を責める国、ばかばかしい」「吉田証言のようなことがあったら朝鮮の男は黙ってみていない」


2018年5月6日

 私は米ボストンに住む韓国人の友が何人かいる。

 彼らは日本統治時代に、ある年齢まで日本語教育を受けているので日本語ができる。皆85歳以上ながら、朝鮮戦争後、韓国最高峰のソウル大学を卒業して、学問のため米国留学をした。

 去年の夏、85歳で亡くなったHさんは日本の文化、文学をこよなく愛し、日本各地を訪れ、就眠前はベッドで百人一首を読むことを常としていた。

 彼女が受けた日本語教育は、終戦の12歳で終わっていても、きれいな昔の日本語だった。

 ソウル大学を卒業した後、米国の大学院で生物化学を修めた才媛。頭脳明晰(めいせき)とは、彼女そのものだった。

 その上、記憶力が抜群ときているので彼女から聞く昔の思い出話は、楽しく興味深いものだった。

 亡くなる月まで日本から文芸春秋を取り寄せ、日本の世情に精通するだけでなく、ニューヨーク・タイムズなども購読する教養にあふれた最愛の友人の1人だった。

 慰安婦問題に関しても、彼女は、自分の人生経験を基にして怜悧(れいり)に韓国を見つめ、このように話をしていた。


■挺身隊になれることを楽しみにしていた

慰安婦プレート Hさん「女子挺身隊とだまして慰安婦にさせたと言っていますが、12、13歳の私たち生徒は、15歳になるのを楽しみにしていたのですよ」

 「どうしてですか」

 Hさん「15歳になれば女子挺身隊に入れるからですよ。だって、戦争末期には、お国のためと、学校の授業もほとんどなくって雲母を一枚一枚剥がす仕事ばかりさせられていました」

 「何に使うのですか」

 Hさん「さぁ、子供ですから考えたこともなく、言われるがまましていましたけど、何でも飛行機の電気関係とか聞いたことがあります」

<右画像>韓国に吉田清治氏が建てた謝罪碑(上)と、その上に貼り付けられ、その後剥がされた石板(下)=2017年7月、天安市の国立墓地「望郷の丘」

 「でもですよ、慰安婦にさせられるのでしたら、私たち(上流階級の子女らが集まった)淑明女学校の女子は、あのように挺身隊に憧れませんよ」

 「吉田清治って、希代の嘘つきですよ。作り話に乗せられて、済州島では200人余りの若い女性たちを暴力でトラックに積み込み慰安婦にさせたと書いた日本のA新聞社もどうかしていますよ」

 「その記事のせいで(間違った情報が)世界に広まったのでしょう?。そんなことがあったら、朝鮮の男たちは黙ってみていませんよ」

 「特に済州島の男たちは荒いのですから、命をかけて戦いますよ。A新聞は、大スクープ!と飛びついたのでしょうけど、ジャーナリストたるもの、記事にする前に冷静に調査しなければいけません。本人の素性も調べていないようですね。ばかげた話です」

 「慰安婦は、今の世の中を基準にして考えてはいけません。あの時代は、人権なんてありませんよ。特に女性は。日本だって金のため親は娘を売りました。当時は、それが悪ではなかったのです。村々を回って親から娘を買っていた女衒(ぜげん)は朝鮮人だったのですよ」

■日本人はなぜ捏造(ねつぞう)を信じたのか
 
 私「女衒は朝鮮人だったのですか」

 Hさん「だってそうでしょう。田舎の貧しい朝鮮の親たちは日本語を話せないのですから。私の母親は一応、両班(特権身分の階級)の出ですが、『女に学問は不要』といった当時の朝鮮ですから、日本語を話せないだけでなく、ハングルの文字も読めませんでした」

 「父は小学校から大学まで日本語教育を受けていますし、朝鮮殖産銀行に勤めていましたから日本人と変わりなく話しました」

 吉田氏は韓国に石碑を建て、その前で土下座をし、「許してください」などと謝罪したそうだ。

 私は、Hさんのために大高未貴氏(著)の「父の謝罪碑を撤去します」を購入し、手渡した。

 同書を読み終えたHさんは、「どうしてこんな(吉田氏の)捏造話を信じたのでしょうね。日本人は、もっと賢い民族のはずです」と私に問いかけてきた。そして、こうも語った。

 Hさん「本当にばかげた話なのですけど、自殺をした廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の下で親日財産没収法が決まって、朝鮮総督府が設立した朝鮮殖産銀行に亡くなった父が勤めていたことで、私たちは親日(という扱い)となっていたのです。それで長女の私に統治時代に築いた財産を没収するって手紙がきたのですよ」

盧武鉉
2009年5月、国民葬のため韓国南部・金海市を出発する盧武鉉前大統領の霊柩車=ソウル(AP)

 「このために韓国政府は特別機関を作って、全世界に散らばっている親日といわれる子孫を探し出すのですから。こんな愚かな手紙を出すお金があれば、北朝鮮への防衛費に使ったら良いのです」

 「それでどうしたのですか」

 Hさん「破って捨てました。もう何年もたちますが何も言ってきません。政府も忘れているのでしょう」

 「あの慰安婦像だってそうですよ。どう見たって12、13歳の少女です。そんな歳で慰安婦なんてあり得ません。日本人が怒れば怒るほど彼らは喜ぶんです。ほっとけば、今にほこりを被りますよ」

■デモには北が入り込んでいる?
 
 いろいろな話を聞かせてくれるHさんに私が「韓国の話をするときには、『ばか』の言葉がたくさん出てきますね」と語りかけると、「だって本当のことを言えば、親日と責める国ですもの。ばかばかしい…」と真面目に答えるのが印象的だった。

 去年、韓国で広がったキャンドルデモをテレビで2人で見ているとき、Hさんの分析に考えさせられた。

 Hさん「このデモには北朝鮮からの人間が相当入り込んでいると思います」

 「どうしてですか」

 Hさん「日本人と違って、韓国の人間は一致団結ができない民族なのです。この短期間にキャンドルやビラ、そして、そろいの上着などを民衆が団結して用意できるはずがありません。北朝鮮の人間は長年の間、命令に従うことに慣らされています。これだけ韓国民が同じ行動ができるのは、北朝鮮からの指導者が統率しているはずです。民衆が気づいていないだけです」

 「協力できない民族なのですか」

 Hさん「こんなことわざがあります。『日本人と朝鮮人が1体1で戦えば体の大きい朝鮮人が勝つ。2対2では日本人が勝つ』。それは、日本人の協力し合う民族性からです。朝鮮民族は、2人になれば、お互いに大将になりたがってけんかが始まります」

 このことわざは、私が釜山に住んでいるときにも、家のお手伝いさんから聞いたことがある。

 Hさんには「これほど日本を愛してくれる貴方に対して、日本の首相に一筆礼状を出すようにお願いしなければいけませんね」と冗談を言ったものだ。

 私が彼女にしてあげられなかった唯一の心残りは、彼女が日本統治時代に教えを受けた日本人教師の家族を探せなかったことだ。

 終戦で日本人教員が引き上げる前日、学校の講堂に集まった女生徒たちに、先生1人ひとりが別れのあいさつをしたという。

 最後に、彼女が最も尊敬をする男性教師は「立派な朝鮮女子たれ!」と大きく涙声で言ったそうだ。

 「果たして期待に沿える朝鮮女子になれたのかどうか分かりませんが、せめて先生のご家族に、あの時の立派な言葉を伝えたいものです」とHさんから聞いていたからだ。

 力を尽くしたが、ついに探すことはできなかった。

(中略)
◆       ◆

【プロフィル】新田多美子(Tamiko Arata) 大分県津久見市生まれ。72歳。1983年に米ボストンに移住し、日本などからの留学者向けに住居の手配、生活用品の買い物、車購入と自動車保険など生活の立ち上げサービスの仕事をしている。

 現在は、がん治療を受けながら働く毎日。治療では、スイスのロッシュ社による新薬の免疫チェックポイント阻害剤「アテゾリズマブ」を使っている。日本ではまだ認可が下りていない。早く認可が出た米国で、実際の治療を通して知見が得られている最新治療を受けることを聞いた私の回りの日本医師たちは、口をそろえたように「幸運だ」と言う。

 日本が恋しいわけではないが、誰よりも日本を愛し誇りに思う。ボストンから見る日本や、少し変わった日常の出来事などをコラムにし、日本ではまだ認可されていない最新のがん治療の様子も紹介していきます。

(2018年1月7日掲載)

↓この内容は下記より全文引用しています。
衆議院議員 あだち康史 Official Website
http://adachiyasushi.jp/?p=6855

「安倍主犯」という捏造された“物語” -財務省と会計検査院こそ「改革の本丸」-

2018年3月13日

足立康史 @adachiyasushi さん   Twitter1.詐欺事件であっても疑獄事件ではない森友学園

本日午前8時から2時間にわたり、財務省理財局、国交省航空局、会計検査院の3者からヒアリングを行い、森友学園事件の大きな枠組みが分かってきました。朝日新聞は、あくまでも昭恵夫人の関与を背景に財務省が公文書を改ざんしたという偏向ストーリーを拡散し続けていますが、事実は相当異なります。

朝日新聞の偏向ストーリーでは、まず昭恵夫人の関与が物語の中心にあり、それを隠蔽するために政治主導で公文書が改ざんされた、となります。しかし実際は、国有地払い下げ自体は違法でもないし、昭恵夫人の関与も名誉校長としての形式的なものに過ぎず、政治家の要求も近財はゼロ回答で退けています。

つまり、昨日公表された財務省の調査結果と今朝のヒアリングから分かったことは、森友学園事件が、籠池夫妻による詐欺事件ではあり得ても、政治家による疑獄事件ではない、ということです。財務省理財局と近畿財務局によるスーパースペシャル忖度はあったけれど、手続きはしっかりと踏んでいたのです。

2.国民をバカにする財務省は解体し歳入庁創設を

ところが財務省理財局は、昨年2月17日の衆院予算委で安倍総理が「私や妻が関係していたら首相も国会議員も辞める」と啖呵を切ったのを受けて、佐川理財局長の答弁が極度の守りに入り、それに合わせて、昨年2月下旬から4月にかけて、あろうことか、決裁文書の方を改ざんしてしまったというのです。

絶対に看過できない酷い行政です。今般の財務省スキャンダルで佐川氏は、国会と国民をあなどり、虚偽答弁を繰り返し、「答弁に合わせて」(麻生財務相)決裁文書を書き換えたというのです。こんな官僚の暴走が許されるような行政機構では、国民が安心して生活を委ねることなど出来るわけがありません。

日本維新の会は、既に歳入庁設置法案、公文書管理強化法案を国会に提出していますが、国民を騙すことが出来ると思えるまでに増長した財務省の体質を根本から改革するためには、この際、歳入と歳出とを機能分離し、社会保険を併せた歳入庁の創設に踏み切るべきです。公文書管理も大胆に強化すべきです。

3.職責を果たさない会計検査院は国会の附属機関に

今朝のヒアリングで明らかとなった最も重要な点は、会計検査院の機能不全です。参院予算委からの要請を受けて会計検査院が検査を本格化させたのは昨年3月6日ですが、4月26日に会計検査院は(財務省が提出した改ざん後の決裁文書の他に)国交省航空局から改ざん前の決裁文書を入手していたのです。

今年に入って検察あるいは理財局が朝日新聞にリークする、その遥か以前の昨年4月26日の時点で、会計検査院は、2種類の決裁文書を入手していたのです。即座に財務省本省に問い合わせたようですが、手元にある決裁文書の不正を完全に見逃し、佐川理財局長主導の隠蔽に事実上加担してしまったのです。

会計検査院は、国会にも裁判所にも属さず内閣からも独立した憲法上の機関(憲法90条)として国の会計を検査し監督するのが任務ですが、その職責を全く果たしていないことが分かったのです。この際、米国会計検査院(GAO)のように議会に附属する機関にする等の抜本改革が必要ではないでしょうか。

4.「昭恵夫人が関与」「安倍総理が主犯」という“物語”

森友事件は様々な問題を提起していますが、朝日新聞はじめマスコミや立憲民主党はじめ野党6党のように「昭恵夫人の関与」という“物語”を捏造すべきではありません。昭恵夫人が籠池被告に利用され理財局がスーパー忖度したのは事実でも、昭恵夫人が積極的に動いた証拠は、終ぞ見つかっていないのです。

大事なことは、1)昭恵夫人を忖度しスーパースペシャル契約を締結した財務省の裁量の大きさであり、2)昨年2月の安倍総理答弁を機に総理をスーパー忖度した佐川氏が公文書の改ざんまでやってのけた事実であり、更には3)昨年4月に2種類の決裁文書という不正を見逃した会計検査院の機能不全です。

本日午後の野党6党ヒアリングで希望の山井和則議員は「安倍総理が主犯」と酷いレッテル貼りを繰り返しました。彼ら彼女らが財務省改革や会計検査院改革ではなく政局に拘泥し続けるのであれば、私は、やっぱり野党6党は、国民が大事なのではなく、国政の混乱にしか関心ないのだと断じざるを得ません。




↓この内容は下記より全文引用しています。
売国奴のその名に恥じない辻元清美:酒たまねぎやホームページ
http://www.tamanegiya.com/kako/tujimotokiyomibaikokudo.html

「アダルトショップ」主催イベントで講演した「辻元清美センセイ」

週刊新潮 平成17(2005)年10月13日号 p.30~31

cabc719a みごと捲土重来を果たし、再び赤絨毯を踏んで早や2週間・・・。辻元清美代議士(45)の選んだ「初仕事」のテーマは護憲でも郵政でもなく、りっしんべんの方の「セイジ」だった。
アダルトショップ主催の女性イベントで講演した彼女は、フェミニストの熱気に当てられて、御推奨する「大人のオモチャ」に直筆でサイン。オークションに掛けたのだという。
「じゃあ、オークションを開始しまーす。5000円からでーすー」
と、声を張り上げた女性司会者に、
「5500円!」
と、たちまち女性客の一人が応じたのが初値。
 女性司会者が、
「もともと、これは定価6000円の商品なんですよ!」
 と、断りをいれると、即座に
「6000円!」
「6500円!」
「7000円!」
と、値がグングン、つり上がって行く。
 10月1日午後8時30分ー。
 渋谷のライブハウスで行われていた女性限定のイベント「女祭」の一幕である。 休憩時間のオークションに出品されたのは、鮮やかなパープルの色合いをした巨大なバイブレーターだった・・・・・。 
 しかもこのイベントのメインゲスト、辻元清美代議士が油性マジックで書いた「直筆サイン入り」という大変な希少価値を持つ素晴らしい一品だったのだ。 
 結局、20代から50代と思しき女性まで3~4人が競り合い、
「7500円でいいですかー」
 という司会者の声にすかさず、
「8000円」
 との応札がり、「辻元清美サイン入り」バイブは、定価プラス2000円で落札されたのである。 
 むろんこれは日本に1本しかない超レア物だ。普通の政治家なら品性や教養が邪魔して、なかなかサインできないことを鑑みれば、世界的にも珍しい宝物と言えなくもない。 
 それがわずか2000円程度のプレミアでは残念なことこの上ないのだが、それはともかく、彼女は何を考えて、色紙や自身の出版物ではなく、バイブレーターにサインして、競りにかけたのか。 
 その経緯をご説明するためには、この「女祭」というイベントについて少々触れなければならない。
 午後6時ー。 
 入場料6000円の「女祭」には100人ほどの客が詰め掛けていた。
 主催者は南青山にある女性専用のセックスグッズ店「ラブピースクラブ」で、そのオーナーはフェミニズム運動の世界では名の知れた北原みのり氏(34)である。 
 辻元代議士以外のゲストも笹野貞子・元参議院議員の娘でレズビアンを告白した歌手、笹野満ちる氏(37)や、70年代にデビューしたものの「レイプフィーリング」という曲で放送禁止処分をうけたブルース歌手の小林万里子氏(51)・・・・・。いずれも筋金入りの「女権拡張運動家」といって差し支えあるまい。  
 バイト先の先輩に強引に誘われて「女祭」を訪れた女子大生がいう。
 「20代、30代の女性が半分ぐらいでしたけど、化粧ッ気のないすっぴんの方がほとんど。 髪が短くて、メガネをかけてた小太りの人が多かったかな。ネルシャツをズボンの中にしまって、靴はニューバランスのスニーカーというファッションが主流でした」 
 秋葉原で見かける「アキバ系カジュアル」の女性版ということらしい。 
  
 女子大生が続ける。
 「すごく驚いたのは、トークショーやライブの盛り上がり方は普通じゃないんです。ゲストの人が〝女性が男性に虐げられている〟という主旨の発言をすると、 〝そうだー〟とか〝ふざけるなー〟とか会場のあちこちから一斉に叫ぶ声と拍手が聞こえてきて・・・・強烈な連帯感と仲間意識が伝わってきました・・・・」 

 特に小林万里子氏が、「女は便所 男の便所」という歌詞の「便所ブルース」を歌ったときや、笹野みちる氏が「性差別」の歌を熱唱したときには、会場全体が異様な熱気に包まれたという。 



 興行的には大成功を収めたイベントだったわけだが、この席で、辻元代議士はどんな話をしたのか、といえば、一時間以上も関西弁で話し続けたそうだ。 
「週刊新潮来てへんやろな」
 と前置きした上で、
「小泉さんってマッチョやで。単なるマッチョ男」
「私の政策の柱はピースでフェアでフェミ」
「私の事件、メディアによる2次被害、3次被害みたいなのを今もやられてるからね」 
「国会議員って言うのは、国民の生命と財産を守るといわれてるけど、私はそんなつもりでなってへん。
私は国家の枠をいかに崩壊させるかっていう役割の国壊議員や」 ・・・・・
 今でも、三年前の春、本誌の記事が秘書給与詐取事件の発火点になったことがトラウマのご様子。だが、さすがに聴衆の心を掴むのは上手で、万雷の拍手を浴びたの だ。
 実際、聞いていた30代の参加者は、
「感動したー。ほんとに良かった。だってムカツクのはさ、男社会だよね。偏見だよね。ほんとムカつくよー、男は・・・・。 私たちは性のオモチャじゃないんだから・・・。辻元さんにはほんとっ、総理になってもらいたいよっ」
 しかしながら辻元代議士は、本来、この会場の聴衆ほどには「男性嫌い」というわけでは全くない。 
 場合によっては、妻子ある辣腕弁護士と手をつないでラブラブデートをしていたことは、2年前にグラビアページで報じた通りである。 
 幸い今回の聴衆はその件をすっかりお忘れだったようで、20年ほど前に流行ったラディカルな雰囲気の中、 辻元代議士は、会場で展示販売されていたセックスグッズの中から、自分の推奨するバイブレーターを選び、楽屋でサインしたのである。 
 この件について、翌日、別のイベント会場にいた辻元代議士に伺うと、本紙記者の名刺を目にした瞬間、顔面が蒼白になり
「こっ、こっ、国会の事務所を通してください」
 の一言だけだった。 
 ちなみに、「天空のように澄み切った透明度の高いスカイブルーの政党である」
 という素晴らしく爽やかな前文から始まる社民党の党則には、「党員たる品位を汚す行為を行った場合」は処分の対象になることが明記されている。 バイブレーターにサインして喜ぶ代議士を見て、引退した土井たか子前党首はどんな心境だろうか。


またまた“アイムソーリー”辻元清美議員 バイブ事件

2005年10月7日 東京スポーツ

支持者ら猛反発!!「ウチら恥ずかしい」

東京スポーツ2005年10月7日“郵政総選挙”からもうすぐ一ヶ月。またまた政界が面白いことになってきた。社民党の辻元巨見衆院議員(45)の「サイン入りバイブ」が週刊誌にスッパ抜かれ、支持者たちから大ひんしゅくを買っている。一方、自民党の鬼っ子・杉村太蔵クン(26)をめぐり、なぜか大仁田参院議員(47)と党執行部がバトルに突入した。

大人のオモチャに直筆サインしていた

 涙の国政復帰を果たした辻元議員に「バイブ騒動」が持ち上がり支援者をあきれ返らせている。女性議員がバイブで騒動を起こすなんて前代未聞だ。このスキャンダルを報じたのは「週刊新潮」今週号。記事によると、辻元議員は今月1日に都内で開かれたフェミニズムの会合に出席、催しの中のオークションに出品されたバイブレーターに直筆サインをしたというものだ。このバイブは辻元サインのおかげ?で定価より2000円高く落札されたと書かれてある。

 辻元議員を良く知る関係者は「会合の主催者でアダルトグッズ・ショップのオーナーでもある女性と辻元議員はかねてから親交が深かった。選挙戦の際には女性が辻元議員の応援演説をしていた。二人とも男社会に対抗する激しいフェミニストですから共感しあっているようです。辻元議員は女性について『彼女の言ってることには大賛成や』とよく話していましたよ」と明かした。
 この記事に怒ったのが地元・大阪の後援者、支持者だ。ある女性後援者は「女性の地位向上とバイブにサインをするのはどう考えても結びつかない。国会議員がすることとは思えへん」と断罪。
 辻元議員に投票したという40代の主婦は「太蔵といい、この話といい腹立つわ。当選するまでは土下座せんばかりなのに、当選したら好き勝手にハシャギ回ってる。ウチらはバイブなんて恥ずかしくて見たこともないのに・・・。そんなことやってる場合じゃないでしょ!」と憤慨した。
 これに対し、社民党は「現在のところ処罰することはない」とコメント。辻元事務所は「記事の内容が本来のものと違い、だいぶ捻じ曲げられていた」と週刊誌側に非があると主張している。
 選挙前の殊勝な態度からは考えられられないハシャギっぷり。辻元議員、今度は支援者たちに「ソーリー、ソーリー」と頭を下げなければならない!?

↓この内容は下記より全文引用しています。
東洋経済ONLINE
http://toyokeizai.net/articles/-/157274

慰安婦問題は韓国の理性なき民族主義を煽る
台湾人から見た近隣国の大きな「誤り」は何か

朱 立熙 : 台湾・知韓文化協会 執行長
2017年02月08日

東洋経済オンライン   経済ニュースの新基準 数年前に台湾駐在で韓国の外交官が私に連絡をしてきた。「『台湾人慰安婦』と会いたいのだが、手配してくれないか」というのだ。私は不思議に思った。しかし、私は彼のために関係団体と連絡を取り、台湾人慰安婦の実情を理解したうえで、彼にこう回答した。台湾と韓国の慰安婦の状況は異なっている、そして台湾人慰安婦を再び傷つけないため、また不必要な「反韓」「反日」の風潮を引き起こさないためにも、できればこの敏感なテーマには触れないほうがよい――と。彼は私の提案を受け入れ、慰安婦訪問を断念した。

 彼がなぜ慰安婦訪問を考えたのか、私には見当がつく。韓国政府の政策に合わせて、外交官の彼は業績を上げようとしたのだ。ただし、台湾の慰安婦問題は、韓国の場合とは大きく異なる。韓国はこの問題を政治的な道具とし、反日という民意を操作して、国家政策の後ろ盾にしようとしているのは明らか。だが台湾では、慰安婦問題どころか、反日の世論操作ですら、まったく人々の興味を引かないものなのである。

 私は個人的にこれまで、韓国の慰安婦の問題とは距離を取り続けてきた。というのも、この問題は非常に複雑であり、韓国の友人と理性的な討論ができないからである。ましてや、台湾が日本と韓国の間の第三者としての立場で論述を行うなど、根本的にできないためだ。

歴史教科書で火を噴いた日本批判

 実は、個人的な経験から言えば、私自身は日韓の積年の怨恨による直接の被害者ともいえる。1982年に私は韓国・延世大学史学科の大学院で韓国近代史を専攻していた。もともと第三者として、そして同じ日本の植民地だった、台湾国民としての立場と共感から、日韓の怨恨を分析しようと考えていた。

 が、不幸なことにその年、日本の「歴史教科書歪曲事件」が発生した。韓国のメディアは連日、猛烈な日本批判に明け暮れた。韓国の新聞はすべて、多くの紙面を割いてこの問題に関するさまざまなテーマを設定し、細大漏らさず報道した。私の修士論文の材料は、ここにいくらでも転がっていた。この問題はその後15年間も続くことになる。

 当時、強烈な反日民族主義の社会的な雰囲気の中、私は公平客観的な第三者として、日韓の怨恨を分析することは無理だと感じた。そこで研究継続を断念し、大学院を中退して台湾に帰ることを選んだ。その後、2003年に台湾の出版社から『韓国史』を執筆・出版。これでようやく歴史学から逃げ出したという無念を晴らすことになったのだが……。

 この『韓国史』は、台湾における韓流ブームのおかげで売れ続け、現在まで4刷と刷りを重ねた。本書の第2刷を出した際、台湾でも教鞭を執ったことのある大阪大学名誉教授の濱島敦俊氏が、本書で取り上げた日本による朝鮮での土地調査事業の部分で、韓国の観点からすると間違った論述があるとの指摘を受けた。それを受け、経済史が専門でソウル大学の李栄薫教授が書いた、『大韓民国の物語―解放前後史の再認識』という本を引っ張り出したのである。

 そこでようやく、1955年に韓国の学者で東京大学にいた李在茂氏が論文上で、「日本が朝鮮で朝鮮総督府の調査事業を利用して全国の農地の40%を強制的に占拠した」と、捏造していたことを突き止めた。ソウル大の李教授はこれに「歴史学者が作り出した物語だが、その後、繰り返し引用されたことで常識として定着してしまった」と批判している。

 いわゆる旧日本軍従軍慰安婦の実情を研究した、韓国・世宗大学の朴裕河教授の著書『帝国の慰安婦』を読んでも、韓国の歴史においてこれと同じような脈絡を発見する。「挺身隊=慰安婦=少女」。過去、偏った論述が繰り返し引用されることで、逆に常識として定着してしまう。韓国人は戦後、民族の自尊心を修復するために歴史を改ざんしてきたのだが、かえって日本が歴史を改ざんしたと批判している。台湾のことわざで、「亀がスッポンをしっぽがないと笑い、スッポンは亀を首が短いと笑う」ということわざがあるが、日本でいえば「五十歩百歩」だろう。

韓国人が賠償を請求すべき対象は誰か

 振り返ると慰安婦問題は、終戦から50年後の1990年代半ばになって韓国で大きく取り扱われるようになり、日韓外交の足かせとなってきた。その1つの重要なカギとなるのは、1965年に朴正熙政権が日本との間で「日韓基本条約」を調印し国交を正常化した際、すでに民間個人の請求権を包括的に解決していたことを、韓国側が無視したことにある。

 韓国人によるこの種の不合理な要求、さらに外交協定の法律的効果を認めないやり方は、台湾人という第三者の立場から見た場合、韓国人は考えや行動が変わりやすい性格だと感じるし、国際的にも「韓国人は信用できない」と一部で見られがちな原因となっている。

 筆者自身の意見ではあるが、慰安婦の賠償請求で、韓国人は明らかに請求対象を間違えている。彼らは、朴槿惠政権(大統領自身は職務停止中)が彼女の父親である朴正熙元大統領の犯した誤りを清算し、韓国政府が自ら、被害者の慰安婦に国家賠償をするよう求めるべきだ。しかし、韓国の一部の団体はそれをせず、日本に恥をかかせようと国内外に大きな声をあげている。これはやりすぎといえる。

 ここ数年、私は台湾各地で「韓国を知ろう」と題する巡回講演を行っているが、しばしば聴衆から、韓国人は信用がないことに関する質問を受ける。私はこれに対して、いつも1つの例を挙げて説明している。世界各国の銀行はいずれも台湾に支店を開設しているが、韓国の銀行だけはほぼ開設していない。なぜか。「信用」は銀行の最も重要な命であり、信用のない銀行にカネを預ける人などいないからだ。

 台湾の商業銀行大手3行、つまり彰化、華南、第一の各行は、いずれも100年の歴史を持つ老舗。老舗のブランドは信用の保証だ。ところが、韓国の銀行は合併・改名を繰り返し、私が韓国に留学していた1980年代の多くの銀行は、現在ではもう名前がなくなった。それに代わって私が聞くのは、以前は聞いたことのない「国民」、「ウリ」(われわれという意味の韓国語)、「ハナ」(1つという意味)といった銀行名である。

 変わりやすく、しかも変わり方が非常に早い。これが外国人にとって韓国人を信用しづらい主要な原因になっている。2009年に私は、ある韓国の銀行が台湾に派遣してきた先遣隊の銀行員2人にレクチャーし、「台湾人の韓国観」を分析してみせたことがある。彼らは台湾にまず支店を開設した後、中国大陸の巨大市場を開拓することを希望していた。だが、私の分析を聞いた後、間もなく彼らは台湾から撤退していった。

 以上は私が自ら経験した事例である。ここで再び日韓の怨恨の問題に話を戻そう。慰安婦問題の本当の根源は、日本帝国による朝鮮の植民地統治にある。もし、さらに歴史を遡るならば、「日韓併合」(1910年)は両国が正式に調印した条約に基づくものだが、強制的に調印させられた不平等条約と主張できるかもしれない。が、それから半世紀後の日韓基本条約においては、自ら請求権を放棄したことを否定できないだろう。

日韓基本条約で請求権は放棄済み

 この問題全体のカギは過去の朴正熙政権にある。彼は1961年、国軍の一介の少将から政変を起こして政権を掌握したが、カネがなければ政治はできない。急いでカネが必要という状況の下、早急に日本と国交を樹立し、日本側から賠償金を獲得することを望んだ。

 さらに北朝鮮という存在も考慮。個人の請求権を放棄したのである。このことは理解可能な理由であり、しかも韓国人自身の問題だ。それを50年後、「敵国をつくりだす」ため、そして国民の愛国主義を鼓舞するため、慰安婦問題を繰り返し持ち出すことは、道理に反している。

 もう1つ、個人的な経験から述べたい。

 前述のように私は1980年代初めに韓国に留学した。当時は、全斗煥氏が1979年にクーデターで政権を掌握し、間もなかった。彼も朴正熙氏と同じように急いでカネを作る必要から、日本を再び”ATM”(自動現金預払機)として利用。全大統領は盧信永国務総理(首相)を日本に派遣し借款交渉を行った。最初に提示した金額は100億ドル、当時のレートで約1兆円だが、これは日本を驚かせた。当時の借款の理由は「韓国は共産勢力の日本への脅威に対抗する第一線に立っている。だから日本が防衛費用を分担するのは当然」というものだったからだ。

 その後は40億ドルでこの借款の話がまとまったが、うち、いくらが全氏個人のポケットに入ったのかは、私が好奇心を持ち続けているミステリーだ。このように国交樹立の際、自分の政府が放棄した請求権を50年後にもなって再び激しく追求するというのは、韓国人を信用できないことを証明することになっていないだろうか。

 信用という問題だけでなく、私は45年間にわたって、韓国問題とその民族性を研究して得た、個人的な結論がある。韓国の人は「恨(ハン)」が根っこにあり、「敵がいなければ生きていけない」ことだ。前者は、困難な地理的位置によって、周辺の列強から虐げられる悲劇の歴史が絶えず繰り返されたために、形成されたということ。後者は、敵をつくって恨を解消する必要があり、国家と国民がさらに上を目指すための原動力になっているということである。このため、時に非理性的である。

 慰安婦の問題については、多くの韓国人が真相を深くは理解してはおらず、メディアと一部の社会運動団体による扇動の下、反日への盲従を始めているのだと、私は確信している。韓国人のこのような激烈な愛国主義を見るにつけて、私は非常に幼稚さを感じる。

 かつて、「日韓中歴史共同研究委員会」の日本側の学者チームが台北を訪れ、台湾の歴史学者と座談会を開いたことがあった。私は第三者の立場から、韓国で政府と民間団体が発動している反日の風潮は、根本的に国内用の政治意図であり、反日に名を借りた民族主義による民心団結を鼓吹している、と発言した。この発言に対し、日本の学者はいずれも驚きの表情を見せたと同時に、私の見方に意外性と喜びを感じていたようにみえた。

慰安婦なら韓中が手を結べるはずが・・・

 私は、戦後すでに50年、60年、70年を経て、韓国人はなぜ反日を続け、さらに慰安婦問題で抗議しているのだろうか、と疑問に感じていた。特に戦後70周年、かつ日韓国交回復50周年を迎えた2015年以降、両国関係は慰安婦問題によって、逆に最悪の時期に入っている。私は、朴槿惠大統領が中国の天安門で習近平国家主席と一緒に閲兵している姿を見て、ついにその理由がわかった。もともと、慰安婦問題は中国と共有することができるテーマであり、さらに進んで「中国と手を結んで反日を行う」ための絶好の題材だったのである。

韓国は自分たちが日米安保を主軸とする、自由民主主義の陣営に立っていることを忘れ、「事大主義」(対中国従属政策)によって市場を獲得するため、無条件で中国と手を結ぼうとした。その後、韓国政府が10億円で慰安婦問題を解決する約束を受け入れ、さらには米国による高高度防衛ミサイル(THAAD)の配備を受け入れたことで、中国は烈火のごとく韓国に怒り、もともとの「事大」によって獲得した中国との友好関係は完全に無に帰したのである。同時に、韓国国内で慰安婦問題によって激化させられた愛国主義は、このような「虎頭蛇尾」(最初は立派でも結果は尻すぼみに終わってしまう)のお粗末な結果を、受け入れられなかった。

 だからこそ慰安婦問題は韓国人をますます熱くした。これはソウルの日本大使館前に2011年12月に設置された「平和少女像」と絶対的な関係がある。2016年末には釜山の日本総領事館前にも設置され、日本は大使と総領事を一時帰国させて抗議中だ。

 韓国のこうした手法は台湾人が使う「抬棺抗議」(棺桶を担いで抗議する)と同じである。

 たとえば、医療事故で亡くなった患者の遺族が理不尽さを正すために、棺桶を持って病院側に抗議する。その棺桶に人はいない。とはいえ、あまりの抗議に病院は合理的な理由があっても、賠償してしまう。事故がなぜ起きたか、再発を防ぐにはどうしたらいいか、という今後につながる対策はなおざりにされたまま、被害者側は賠償を受け取って終わりにしてしまう、という意味だ。

ただし、台湾人が棺桶を担ぐのは、普通は1回だけ。もし、長期間、棺桶を他人の家の前に置くとすれば、こうした過激な抗議方法は、近隣中から不満を招くことになる。慰安婦像が韓国全体の民族主義の高まりを引き起こしたことは、いかなる外国人であっても第三者の立場で見れば、「やりすぎだ」と感じるはずである。

ネット時代、若い世代は立ち上がる

 2016年10月に発生した、「キャンドルデモ」と呼ばれる反・朴槿惠政権の運動をきっかけに、韓国の若い世代は立ち上がった。これは1987年6月の韓国民主化につながった民主抗争の状況とよく似ている。異なるのは民主化時代の抗争方式が今、より文明的で平和的になっていることだ。

 1990年代末から始まる前民主化時代と異なり、21世紀のインターネット時代の民主化時代には、情報が大量かつ急速に伝わる。どのようなうそも隠せない。国家が作り上げたうそも遅かれ早かれ、看破されることになるだろう。

 ネット民主化時代の新・韓国人にとって、より必要なことは、真相の探究によって事実を明確に理解し、平和で理性的な「民族主義」を再建することだ。そうでなければ、周辺国家との衝突と対立は、いつまでも終わることがないだろう。



※元記事のコメント欄より
慰安婦問題は韓国の理性なき民族主義を煽る   (コメント欄)




↓この内容は下記より全文引用しています。
朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/02/15/2018021501052.html

【萬物相】韓国人の恥ずべき習性
2018/02/18 05:03

2018021501036_0 韓国人の恥ずべき習性を風刺したことわざに「かめの中のカニ」というものがある。かめに何匹かのカニを入れると、互いに先に外に出ようと暴れ回る。しかし結局は1匹も外に出られない。下にいるカニが先にはい上がろうとするカニを引きずり落とすからだ。

 一人の中国人が風呂敷包みを持って外国の空港に降り立つと、10人の中国人が集まり少しずつ金を出し合って店を出させるという。次に別の中国人がやって来ると、今度は11人が同じように支援する。これに対して韓国人は一人が移民にやって来ると10人が来て全てを剥ぎ取る。次に別の韓国人が来ると今度は11人がやって来て同じことをする。以前海外に住むある韓国人から聞いた話だ。

【萬物相】韓国人の恥ずべき習性-Chosun online 朝鮮日報 英国には「金持ちになりたければ金持ちに昼飯をおごれ」ということわざがあるそうだ。しかし韓国では「いとこが土地を買えば腹が痛い」という。「腹が痛い」とは嫉妬に狂うことを意味する。われわれは世の中に放り出された時に、自分で成功することよりもまずは同業者や隣人を踏みにじろうとする。政治がそのような世界になったのはずいぶん前のことだが、周囲のちょっとした日常もこれと変わらない。相手をだますことや侮辱すること程度なら全くためらわない。数年前、京畿道のある製パン店で「ネズミが出た」とネットで大騒ぎになった。実はこれもライバル店が広めたうそだった。

 京畿道水原市のある大学前では、二つのインターネットカフェが文字通り「命懸けの競争」をしていることが話題になっている。一方が「1時間500ウォン(約50円)、ラーメン500ウォン」で客を集めようとしたところ、もう一方が「1時間300ウォン(約30円)、ラーメン300ウォン」を打ち出した。双方の社長はかつて一緒に店を出そうとしたほど仲が良かった。ところが今は「お前が死ぬまでネットカフェの料金は無料にする」段階にまで行き着いた。「性犯罪者もネットカフェができるのか」といった個人攻撃とも言える横断幕も平気で掲げる。どちらも間違いなく赤字のはずだが、それでも関係ない。重要なことは相手を引きずり落とすことだ。しかし影響でそれ以外の店も結局廃業に追い込まれるだろう。

 ある夏の暑い日、ライオンとイノシシが水場で鉢合わせした。どちらが先に水を飲むかでけんかになり、いつしか死ぬか生きるかの争いになった。双方が一息ついていると、ハゲタカの群れが先に死んだ方を食べようと遠くから見守っていた。ライオンとイノシシは「ハゲタカの餌になるよりも、互いに友人になった方がいいな」と互いに話し合った。イソップ物語に出てくる話だ。韓国人は内輪で命懸けで相争い、結局は異民族の支配を受けるというつらい経験を味わった。ところが「それでも韓国人には共生の能力が足りない」と思わざるを得ないときが多々ある。

金泰翼(キム・テイク)論説委員

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