気が付けば高齢者

いつの間にか高齢者と呼ばれる年齢!

先日、NHKのBSで小津安二郎の作品を放送していました。

お茶漬けの味、早春、東京暮色の3本です。

それぞれ、1952、56、57年の作品です。

私は高齢者なので、これら小津作品ってずっと以前から見ていておかしくないのですが、初見です。以前やはりNHKで放送されたアラン・ドロンの太陽がいっぱいとか冒険者たちは見ているのですが、小津作品は見ていない。

私たちの年代だと西洋かぶれがあり、日本の作品よりヨーロッパの作品。東京湾より地中海。そう言った意識があるので、小津よりアラン・ドロンという面もあるのでしょうが、馬鹿が戦車でやってくるとか若大将シリーズなどは見ているし、浜美枝さんと宝田明さんのアクション映画もかすかに記憶している。あの映画、車は確かコロナだった。カッコいいという言葉はこうした映画に対して使うんだろうな。

さて、小津作品。
笑い転げるコメディーでもなく、カッコいいアクションでもない地味な世界、低いアングルから見る日本家屋の内側、見上げる煙突や駅舎。これって、私自身がガキの頃見た東京の街です。

1952年から57年は、私が生まれた前後の年です。
映画の中でも語られていますが、戦争がまだ身近だった時代です。同時にもはや戦後ではないという言葉に象徴される高度成長に向かう時代でした。

今では、とても考えられないのですが、小津の映画に出てくる工場や東京湾エリア、煙突から黒い煙がもうもうと上がり、いかにも健康に悪い大気だと想像できます。
でも、これが、あの時代の風景なのです。

一体あれは、なんだったのだろう?
と、言う風景が頭の隅に残っています。

その一つがどぶです。
イトミミズがうようようごめき、子供の感性からしてもいかにも不衛生といったよどんだ水がありました。東京のど真ん中にですよ!

私がガキの頃ですから、これら小津作品から数年たっている東京なのですが、それでも、小学校の屋上から眺める景色には、もうもうと煙を吐くお化け煙突が遠望でき、晴れにも関わらずかすんだ空のもと常磐線が走っていました。

今なら公害、環境汚染としか言いようがないのですが、小津作品に見えるもうもうと黒煙を吐く煙突は、ある意味、その後の高度成長に続くエネルギーというかパワーを感じさえします。

こういうことって決していいことじゃないんだけど、これもありだよな。しようがないじゃない。


この切なさ!

見たら絶対に大泣き。
予想はしていたが、本当に涙を流してしまった。

冒険者たち [DVD]
アラン・ドロン
アミューズソフトエンタテインメント
2011-12-09


冒頭、レティシアが出てきたところですでにうるうる。
レティシアがローランに一緒に生きたいというところでおろおろ。
大泣きしてしまったのは、レティシアの水葬。
ローランがマヌーに「レティシアはお前と一緒に生きたいと言ってたぞ」
マヌーは死に際に「嘘つき:マントゥール」

アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ、セルジュ・レジアニ。
名優をそろえたのに加え、ジョアンナ・シムカス

ジョアンナ・シムカス
ある意味、女優として、この映画本。
その1本が映画の歴史の中でレジェンドを作った。

そして、監督のロベール・アンリコ
あらゆるシーンの抒情性は何なのだろう!?

1967年の作品です。

中学校から高校のころの友人のおすすめの映画でした。
私自身、相当若いころに初めて見て、その後も何回か見ていると思います。テレビがアナログの時代にも見たかもしれません。
繰り返し見た映画を数十年たってまた見る。

映画は今(2018年)から50年以上前の作品です。
決してクリアとは言えない映像。
アクションシーンも少々チャチかもしれない。

でも、言えることは、昔、この映画を見ておいてよかった。あふれる感動が得られたのは人生におけるかけがえのない収穫。

そして今(Et Maintenant)



孤独という言葉が語られるとき、よく出されるのが、「男は会社以外で人間関係を築くのが苦手。それに対して女性は、ママ友とかご近所付き合いなど会社以外でも人間関係を作れる」的な論調です。

でも女性のほうが人間関係を作るのが得意というのは本当でしょうか?
日経の9月14日の記事にもそうしたことが書かれているのですが、一方2018年2月19日の「英、孤独担当相を設置」という記事の中に、OECDの調査で「友達や同僚と過ごす時間があまりない」と答えた割合で女性もメキシコに次ぎ2位とあります。男性はもちろんトップです。

孤独でもサバイバルできるオリンピックがあったら、日本の男性は間違いなく金メダルで女性も銀メダルは確実です。この孤独の中で長生き国民というのはどう理解したらいいのかわからない。
孤独リスクはたばこや肥満より悪影響なのに長生きなんて!?

さて、男性の孤独、女性の孤独。
私はよく銀座ライオンへ行きます。

ここ、ビールは抜群にうまいのですが、値段もそこそこなためでしょうか、若い人たちよりジジババが多い。本当にじじぃとばばぁです。

中年層もいない。
いるのはじじばばと外人です。(特に銀座7丁目店)

銀座店に限らず、つるんでやってきて酔っぱらって大声を出しているグループの典型がじじぃ軍団です。

聞こえてくる会話から想像できるのは、結構な大企業から昔の電電公社などの退職者連中。
それと大学や高校の同窓会っぽい連中。
この人たちお金の面でリッチです。
心の面でも欠落感は少なく見えます。

なぜか?

昔の日本の会社、そして、今でも財閥系など由緒正しい企業。そうしたところでは、それなりに終身雇用的な制度があり。会社内で家族的な関係を築いています。そうした組織に属していれば、会社人間でいても結構付き合いが死ぬまで続き孤独とは感じずに人生を過ごせるのではないでしょうか?

対して女性。
比較する視点がちょっとずれる感じもあるのですが、「ママ友」なんて共感より競争じゃないのでしょうか?
「近所付き合い」など、男性が会社という家庭や地域の外の世界に逃げを作れるのに対し、地域に縛られ、周囲から監視されている女性の方が心地よいのでしょうか?

孤独だけの話ではないと思うのですが、「男性がこう」、対して「女性があぁ」というのはおかしな話で、この時代、こういう学歴やキャリアの男性と同じ条件の女性を比較してあぁだこうだいうのはいいのですが、時代、地域、学歴、キャリア、などなどできるだけ条件を同じにして比較しないと、話が外れまくっちゃう。

ライオンでは、カップルもよく見かけます。
もちろん白髪、しわしわです。
会話はぼそぼそです。
そのカップルたちの飲みっぷりと喰いっぷりが実に見事!

大ジョッキでエビスを飲み。
唐揚げとローストビーフを平らげる。

絶対に死ぬまで、ビールを飲み、脂ぎったものを食い続けてやる!


この写真展で受付の人からパンフレットをもらいました。何種類かまとめてもらいそれを家に帰ってあらためてみると、雲南以外に、本郷、谷根千の展覧会のパンフレットもはいっていました。

最初のページで目に付くのは、白い割烹着のおばぁさん。
都会の下町のおばぁさんです。
こんなおばぁさんがいる町はいい街です。

実は、私も文京区で生まれ、育ち、谷根千もガキのころの遊び場でした。
小学校のマラソン大会は不忍池でした。

貧乏家庭でしたので、勉強は、団子坂上の鴎外図書館でした。

しかし、今、東京を離れ、近県で老醜さらす身で、その周囲のおばぁさんは日差しを避ける帽子をまとう方々です。
そうした方々は、長年農業に従事し目立たないけど地域の中心になってきた人たちです。東京近隣とはいえ時々言葉がわかりくいときがあります。言葉が通じにくくても、私にはわかります。この人たちがいたから地域が続いてきたのだ。

尊敬の念です。

この尊敬の気持ちは、写真にもあった都会、下町の女性に対しても感じられます。
白髪、白い割烹着。
半端なじじぃの私にはとてもあらがえない。

じぃさんはさまよい、ばぁさんはとどまる
のかもしれない。




早死にする人も少なからずいる中で、せっかく高齢者になれたのですからこれを利用しない手はない。などとせこい考えで、高齢者割引などを調べているのですが、そもそも、年齢にかかわらず無料で鑑賞できる施設がある。

六本木にある「富士フィルムスクェア」はその代表です。

昨日(2018年9月)、古屋行男さんの「中国 雲南」という展覧会を見てきたのですが、これが実によかった。

今の日本、2018年の日本じゃなくて、平成になってからの日本ですが、これが妙にのっぺらぼうで抗菌的になったのと比べるとこの写真展で紹介されている雲南は、ほとんど昭和30年代の東京。

ガキどもがじっと見つめているのは猫、その猫はネズミを捕まえている。
若いおかぁさんはおっぱい丸見えで赤ん坊に乳を与えている。
垢で薄汚れた顔や手足。

でも、はなたれ小僧の輝く目。
おいぼれじじぃの穏やかなまなざし。
乳を与えるおかぁさんの嬉しそうな目。

撮影が今から10年以上前、1990年代のようですので、スマホ全盛の今とは違うのかもしれませんが、この写真に写っている世界。
実にムンムンで、臭く、酸っぱく、半日いると、今の日本人なら確実に腹をこわすに違いないと思える人間臭を感じました。

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