赤ん坊の頃には何も出来ない
おっぱいを飲んで、ゲップをして、ウンチをするだけである。
しかしそれでも、おっぱいの飲み方がいいとか、
けっぷの仕方がいいとか、これは大物だとか、いわれて育つ。
家族とはありがたいものである。

家族から離れて世間に出ると、
家族の言い方というものは、
実に自己愛育成的ないい方であって、
世間の中ではとても通らないものであると分かる。

同時に、自分を褒めていたのは、
自分がすごいからではなく、ただ単に、
自分が子供だったから、孫だったからということに気付く。
ここで、これまでの自尊心にはまったく理由がなかったのだと気がつく。

あの人たちの子供であること、孫であることは、
全然たいしたことではないことくらい、
子供にも分かるのである。

自尊心を保つ方法はいろいろあるが、
ひとつは集団に同一化する方法である。
そのほか、勉強が出来るとかスポーツが出来るとか、あるならば、話は早い。
そうでない場合は、自分に適した集団に組み入れられて、
構成員となり、その集団の能力と自分の能力を同一視して、何とか
自尊心を保つことになる。

集団の構成員にもいろいろいて、実際にその集団を成立させているリーダーもいれば、
ただ単に所属しているだけという人もいる。
その場合には、自己愛備給になるはずはないのだが、それでも幻想の中で自己愛備給になっている。

だから子供たちはグループを作るし、
スポーツ団などを作ったりもする。
グループの中でいじめられていても、外部に対しては空威張りする。
そのようにして自尊心を保つ。

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自己愛人格障害と
境界型人格障害の合併例は多い。
理念型としては、
母親も同様のパーソナリティ障害で、
1歳近辺が境界型、
3歳近辺が自己愛型ということになる。
当然、合併する。
治療の場合は、まず境界型病理の方が対処し易いので、そちらからはじめて、
自己愛型はその次ということになる。

治療者は
治療期間中、
ダメ、
ガマン、
大丈夫、
をいい続けることになる。

この人たちは、威張っているくせに、叱られてしまうととても弱い。弱いので激怒してしまったりする。

年をとると治療も難しい。
35歳も過ぎると、
この先いいことがないようだと分かってしまうので、
自分を変える意欲がなくなる。

すると閉じこもりになって、治療的介入を拒む。
ますます対策は遅れてしまう。

DVについてどのように考えるかは大切であるが、
骨折させるなどのDV例はむしろ、将来、犯罪に関係していくほうが多い。

DVというよりも、一見普通に見える、育児の中の、微妙な問題。
そこにパーソナリティ障害の原因があると考えられる。

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どの親も、子供には期待する。
出来ればいい子になって欲しい。
欲をいえば、大物になって欲しい。

そんなとき、ダルビッシュのスライダーがあれば、大物だ。
野球のピッチャーは大いにナルシストだと思う。
冷静に儲けを計算したらバッターの方がいいと思う。
それでも、ピッチャーで挑戦したいのは、
子供の頃の自己愛の延長なのだと思う。

ピッチャーを過去の栄光への引きこもりとは誰も言わないが、
しかし構造としてはそのようである。
バッター転向は一種の栄光との決別である。

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親を喜ばせられないつまらない自分をどのようにして受け入れられるだろうか。
ひとつは、自分の遺伝子を確認することである。
親戚を見回して見て、
自分の遺伝子なら、このあたりだろうと、現実的な見当をつけることである。

もうひとつは、傑出することの内容をどんどん割引することである。
ほとんど誰も感心がない鉄道の知識を持っているという自信。
トリビアルなオタク。
それがその人を支えたりする。

引きこもり、かつ、オタク的な活動に専念し、
自分の自尊心に立てこもる。

その場合、幻想的であれば幻想的であるほど、
現実との接点がないから、傷つけられないですむ。

パソコンやケータイの中での人びとは思いっきり背伸びをしている。
現実のありのままの自分ではなく仮想的な自分を演じる習慣が身についている。
コンピュータ上の自分を演じているとき、
ダメも
ガマンも
大丈夫も
ないようだ。

自己愛性人格障害を培養するには格好の培地である。

多分いまでも、SNSなどで、比較的温厚な雰囲気の中で、
人間関係が醸成されて行けば、
自分の位置を相対化して、受け入れることができるようになるのだろう。

しかし一部、「つまらない自分」「only one でない自分」を受け入れることが出来ないとき、
自己愛性の病理は花開く。

その場合、三島由紀夫でも、太宰治でも、
有り余る才能があれば、自己愛の傾向も、正当なものだ。

むしろ、他の何にも増して自分の才能を愛したからこその
芸術であるともいえる。
いろいろな被害を実際に受けた人はいただろうが。