「こころの薬箱」-SMaPG-軽い読み物

精神科・心療内科専門医・臨床心理士グループStress Management Power Group(SMaPG) at 品川心療内科の情報発信

2008年10月

ミーイズム 自己中心主義

「看護師に添い寝を強要する」「大部屋で同室の人の迷惑になる行為を平気でする」「治療のために絶飲食にするよう説明しても『おれは食べたいものを食べる。おれは客でおまえらはサービス業だから、客のいうことを聞け』と従わない」−医療現場で患者が身勝手な要求

これを「ミーイズム」と表現している。自己中心主義。ジコチュー。

「どういう応対をしているんだ!」。閉店時間間際の神奈川県内の大型スーパー。食品売り場のレジ前で、40歳前後の男性客が大声を張り上げた。

 きっかけは傍目にはささいなことだった。会計待ちの列に並んでいる途中、客をさばいた別のレジの店員が、すぐに「こちらへどうぞ」と案内しなかったのだ。急ぐがゆえの叱責だったはずが、男性の怒りはいっこうに収まらない。店の責任者を呼び出すように告げ、店員10人ほどを横一列に並ばせて、怒りをはき出した。店のスタッフは1時間以上にわたってひたすら頭を下げ続けた。

 トラブル処理にあたった社員は「応対に落ち度があったのは事実。だが、突然、あまりのけんまくで長時間怒鳴られたため、店員はかなりショックを受けていた」と打ち明ける。

 東京都内の飲食店。中高年の男性客が、勘違いから予約の1時間以上前に訪れた。店はまだ準備を始める前。フロント近くの待合席でしばらく待ってもらうよう告げると、「予約しているのになぜ通せない」と言ってテーブルを拳で叩きながら怒鳴り始めた。女性店員(30)は「一方的に自分の都合を押しつけるばかりで、開店前だという事情など全く聞く耳を持ってくれなかった…」。

 税務署の窓口で女性職員を怒鳴りつけ、平身低頭のスーパーの店員に延々大声を張り上げる−。ときに自分勝手にも思える言動を繰り出し、周囲と摩擦を引き起こす…そんな「新老人」の登場を書いた作家、藤原智美さんの『暴走老人!』(文芸春秋)。話題作になった。

 東京・高田馬場の日本心理相談研究所。所長で、心理コンサルタントの河田俊男さんが中高年層を中心にキレやすい大人が増えてきたと感じるのはここ10年。雇用の先行きに不透明感が漂い、情報ツールが急速に普及した時期と重なる。河田さんは「メールなどで即座に回答を求められる機会が増え、仕事の評価も成果主義に変わる。ストレスが蓄積しやすくなる一方で、会社には余裕がなくなり、発散する機会は減っている」と指摘、職場などでため込んだストレスを公共空間で爆発させる構図を浮かべる。

 サービスを受ける消費者の権利意識の高まり、身体的な問題…キレる原因は多分に複合的だ。作家の藤原さんは、日常生活を送る地域社会で、見知らぬ人に感情を爆発させる高齢者が多いことに着目する。「勝手な行動を抑止する役目も果たしてきた地域コミュニティーは崩壊寸前。歯止めがなくなり、エゴが露出しやすくなっている」(海老沢類)

 言ったもの勝ち、やったもの勝ちの風潮がはびこる現代社会。兵庫県のある小学校では、こんなエピソードもある。中学受験を控えた6年生の親が「うちの子は塾通いで疲れているので、授業中は寝かせておいて」などと“注文”をつけてきた。「それは間違っている」という教諭の言葉は無視し、ついには「学校の勉強は試験に関係ないから」と子供を通学させなくなったという。

「うちの子は箱入り娘で育てたいから、誰ともけんかしないように念書を書け」(保育園)

 「成績が下がったのは授業が悪いせいだ」(中学校)

 「運動場でけがをしたのは誰かに押されたせいだ。うちの子は転ばない」(小学校)

自分の子供のことしか考えず、ほかのことはどうでもいいという発想がある。小野田教授は、そんな考え方を「自己中心主義」ならぬ「自子中心主義」と呼んでいる。

 「自子中心主義」が蔓延(まんえん)する背景には親の不安が隠されている、と小野田教授は指摘する。すなわち、仕事に追われてストレスを抱えている、少子化で「育児を失敗できない」プレッシャーを受け続けるなどの親の姿が浮かんでくるのだ。

良識を逸脱した言動に対して、トラブルを避けるために過剰防衛したり、看過したりすることで、社会全体がおかしくなってくる。そのツケは、子供たちにたまる。子供もはけ口が必要になり、陰湿ないじめなどにつながっていく

 飼い犬、飼い猫を繰り返し保健所や動物愛護施設へ捨てに来る“リピーター”がいる。犬・猫の殺処分数は年々減少傾向にあるにもかかわらず、ペットの命をないがしろにする身勝手な飼い主は目立ってきている。

「去年も持ってきたじゃないですか。避妊手術をしてくださいと、あれほどお願いしたじゃないですか!」

 しかし、男性は平然とうそぶいた。「自然のままに育てるのが私の主義なんだ。傷つけるなんて、かわいそうじゃないか」

「避妊費用がもったいない」「病気や老衰で介護できない」「飽きた」「鳴き声がうるさいと近所に怒られた」など、身勝手な理由を並べる人が少なくない。

 日本では子供の数よりもペットの数の方がはるかに多い。そして、“ブーム犬”という現象は日本だけのものだという。

 「自分勝手な飼い主たちと、それに乗じた一部の悪質なブリーダーのせいで、動物たちがひどい目に遭っています。死ぬまで面倒をみる覚悟があるのか、動物を飼える環境にいるのか、そういう“当たり前”のことを動物を飼う前にきちんと考えてほしい」

 「ウチでは普段から、みんな自由にさせている。だから、起きるのも食べるのもバラバラです」(50歳主婦)

 岩村室長は「今の社会は『誰かや何かの犠牲になるのはいけないこと』という共通認識がある。そのうえ、無理や我慢をしてストレスをためるのは『体に悪い』。だから、おせち料理が面倒なら作らないし、子供たちも食べたくなければ食べなくていい。それが当たり前になった」と話す。

 家族の間でも、いや家族だからこそ、面倒な衝突や努力を避け、互いに負荷をかけない生活をするという暗黙の了解が成り立っているようだ。

東京・原宿にある「占いの館」。今の仕事を辞めて、好きな写真の世界に飛び込むべきか悩む千葉県の女性会社員(23)は、約30分の相談を終えて満足そうだ。「私の思っていた通りのことをいってもらえた。背中を押されたようで元気が出ました」

 だが、実の両親には、この悩みは話さない。「家族は私のことに深入りしてこない。『自分の好きなようにやれば』という感じなのですから」とつぶやいた。

 二十数年にわたり、タロットや手相などの占いをしている菅野鈴子さんは「原宿の母」の愛称で親しまれる。その言葉通り、母親のような気持ちで『幸せになってほしい』と占う。最近は女性だけではなく男性客も多い。

 世間は安易な癒やしにあふれている。“気”の流れを良くするマッサージや前世占いなど、軽いノリでスピリチュアルブームが広がっている。流行歌でもナンバーワンよりもオンリーワンをたたえ、そのままの自分を大切にすることが良しとされる。

 昨年創刊した女性向けのスピリチュアル雑誌「Sundari(スンダリ)」編集部の森田紀子さんは「生き方に選択肢がありすぎて迷っている女性が多い。いろんなことを求めても誰からも批判されない状況でもあるがゆえに、逆に迷いも多くなる」とする。

 仕事で失敗したときや恋愛で迷ったとき、自分である程度答えは出ていても、最後の決断をするときに、雑誌の占いを見たり、スピリチュアルなものに触れて勇気づけられたり、癒やされたりするのだという。

 一方、家族問題に詳しい聖徳大学の岡堂哲雄教授(臨床心理学)のもとに、最近「この子、何か変なんです」と子供を連れてくる親が増えたという。まるで評論家かなにかのように10代の子供を“分析”し、面倒を避けるように早々に来所する。

 岡堂教授は「子供がつらそうな顔をしていたら、いち早く気づいて、当たり障りない話をしながら、つらかったことを聞き出して心を癒やすのが家族の役割。ところが、そういったエネルギーを使いたがらない親がいる」と嘆く。

 子供と向き合わない親の姿勢が、極端な形で表面化するのが、ネグレクト(育児の怠慢及び拒否)だ。平成18年度に全国の児童相談所で対応した児童虐待相談件数は3万7000件にのぼり、児童虐待防止法施行前の11年度の約3倍、統計をとり始めた2年度の約34倍と年々増加。特にネグレクトの増加が著しい。

 18年1月、埼玉県熊谷市のショッピングセンターに、3歳の男児が置き去りにされた。男児は、静岡県で母親(25)と父親の3人暮らし。だが、母親は3カ月前に、インターネットで男と知り合い、家出。「子供の面倒を見たくなかった」とショッピングセンターに男児を残し、姿を消した。

 同年12月には、埼玉県和光市内のアパートの火災現場から、2歳の男児が焼死体で見つかった。母親(24)は、早朝から友人とスノーボードにでかけ留守。男児は1人で自宅に残されていた−。

 似たようなことは以前からあった。たとえば夏場に親が乳幼児を車内に放置したままパチンコにふけり、乳幼児を熱中症で死亡させてしまうような事故。とはいえ、その身勝手さの度合いは増しているように思える。時代を反映して、最近では託児所を設けるパチンコ店も現れたのだが…。

 「がまんするのは精神衛生上よくない」「楽しめるときに楽しもう」と言ってもらえると、気が楽だ。だが、それは容易に「好きなことだけする」「いやなこと、面倒なことはしない」に転換する。

 教育現場や心理カウンセリングの現場では「自分を大切にする人は、ほかの人も大切にできる」といわれる。本当にそうなのか。最近、この言葉が、どうにも気になって仕方がない。(村島有紀)

 《メモ》 スピリチュアルブームの一方で、国民生活センターには開運商法に関する相談・苦情が急増。平成12年度の1265件から18年度は3058件と、6年で2倍以上になっている。70代の高齢者と並んで被害が多いのが30代の女性。「インターネットでスピリチュアルカウンセラーに相談したところ、病気が治るといわれて40万円で神棚を購入したが治らない」(関東地方の30代女性)▽「スピリチュアル関連のセミナーに行って、除霊をして“気”を高めるシールを購入したが効果がなかった」(東海地方の30代女性)などの相談が寄せられている。

採用後、すぐに辞めてしまう教員が少なくない。大阪府の場合、1年以内に退職した教員(死亡、免職含む)は平成15年度が11人で採用者数の0・86%、16年度19人(1・38%)▽17年度21人(1・13%)▽18年度28人(1・56%)−と、少しずつだが増えている。目立つのは、保護者対応などに悩んで鬱病(うつびょう)などの精神性疾患にかかったケースを除くと、現実と理想のギャップを克服できずに教壇を去るケースだという。

 あるベテラン教員はこう指摘する。「現実と理想が違ったとき、多くの人は現実を理想に近づける努力をします。ところが最近は、現実に目をつむって自分を正当化してしまう人がいる」

 「自分が主役」。そんな考え方から抜けきれず、社会に出て戸惑う若者が増えている。

 こんな例もある。「完全週休2日制」を掲げた企業に就職した女性は、入社してすぐに「だまされた」と怒り出した。週2日の休日は確かにあった。しかし、いずれも平日だったのだ。女性は「週休2日=土、日の休み」と思いこんでいて、そういう生活を頭に描いていた。就職したのは、土日が稼ぎ時のブライダル業界の会社だったが、入社前に休日について確認することもなかった。

 「単に情報不足と社会常識がないだけですが、自分のことを棚に上げて『話が違う』『だまされた』と怒る若者が増えている」

 「お互い様の面もあり、かつてなら新入社員にも『まあ、会社なんてこんなもの』と我慢する抑止力が働いたものだが…」

 それが今は、自分が納得できないことは「許せない」となり、「即、辞める」というケースも目につくという。

教授が指導するその大学院生は、いつまでもあいさつに来なかった。そこで「常識がない」と叱責(しっせき)すると、その院生は「常識はある」と猛烈にかみつき、「あいさつに行かなければいけないことはわかっていたけど、行きたくなかっただけだ」と強弁した。

 「あいさつが必要だと理解しているから、常識はあるということらしい」。白井教授も苦笑せざるを得なかった。

 自分がどう思うかが基準であり、他者からの客観的な視点はすっぽり抜け落ちている。「そんな若者は『常識がない』というより、大人とは『常識が違う』と考えた方がいいのでしょう」

バブル崩壊後は企業に余裕がなくなり、研修期間の短縮など、人材育成にかける手間や費用は激減している。にもかかわらず、企業は新入社員に従来と同レベルか、それ以上に高度な質、量の仕事をこなすよう求める。「ソフトランディングさせず、いきなり厳しい現実に放り込んでも、適応するのは難しい」

 社会の意識も様変わりした。「今や、親も簡単に『嫌やったら辞めたらいい』という時代。『すぐに辞める』『常識知らず』と若者を非難する前に、世間というものを知る手立てを大人社会は若者に与えてこなかった」。本人、企業、社会の責任は同等だというのが、神瀬さんの見方だ。

「いまの大人たちは果たして聖人君子なのか。人間は自分も含めて自己中心的な生き物と思う方がいい。若者だけを批判するのは、そう考えられない大人の傲慢(ごうまん)さ、余裕を失った社会の表れともいえます」

《メモ》 厚生労働省の調査によると、中学、高校、大学を卒業した後、3年以内に離職する割合は、それぞれ約7割、5割、3割で推移しており、いわゆる「七五三」といわれる現象がある。また、財団法人社会経済生産性本部が今年度の新入社員を対象に「働くことの意識」について調査したところ、「職場でどんなときに一番生きがいを感じるか」との設問で、最も多かったのが「仕事がおもしろいと感じるとき」(24.3%)、続いて「自分の仕事を達成したとき」(23.3%)▽「自分が進歩向上していると感じるとき」(19.1%)▽「自分の仕事が重要だと認められたとき」(12.2%)−などがあげられており、「自分中心の充実感」というキーワードが浮かんでくる。

平成13年、東京都と埼玉県の小学校4〜6年の児童約1100人を対象にした調査では、女子の約69%が「今よりやせたい」と回答。その理由として「見た目がいいから」と答えた女子は82%に上った。この傾向は男子にもみられ、男子でも41%が自分を「太っている」と思い、45%がやせたいと回答。女子の4割にはダイエット経験があり、その方法として甘いものや油の制限、運動のほか「おなかいっぱい食べない」と答えた子は26%に達した。

 やせ願望とダイエット志向が中高生から小学生へと低年齢化する現状について、深谷さんは「メディアで流される細身=美という大人の価値観をすり込まれている可能性がある。特に成績や友人関係に漠然とした不満をもつ子は自分を変えたいという願望があり、やせることですぐにでも新しい自分になれる、素晴らしい人生が開けるという期待もある」と分析する。

「ダイエットの本を読むだけで幸せな気分になる。今の私は仮の姿。スレンダーでキレイな”本当の自分”を見たいからやめられない」と楽しそうに語る。

 初めての減量経験は高校1年。当時流行した卵だけを大量に食べる減量を続けていたら、じんましんができた。大学時代は、同じ研究室の友人3人が過度な減量で生理が止まった。昨年大流行した、軍隊式訓練でやせるという「ビリーズ・ブートキャンプ」は1日で挫折した。それでも話題の方法があれば試したくなる。

 この女性のように、「やせなければ」「自分の体形をなんとかしなければ」と強迫観念のように思い込む人は珍しくない。

 「現代の日本人にとってダイエットは、年齢、性別を超えた国民的関心事で、生活の一部になっている。特に若い女性には毎日の単調な生活に目標やアクセントを与えてくれるイベントともいえる」

 『ダイエットがやめられない』(新潮社)の著者で、10年間にわたり雑誌の特集にかかわってきた片野ゆかさんはこう指摘する。最近は生活習慣病やメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)対策への関心が高まり、日本人の「やせ願望」は中高年男性から高齢者にも広がっているという。事実、以前ならほめ言葉とされていた『恰幅がよい』『貫禄がある』といった表現を使う人は少なくなっている。

 過剰なまでの「やせ願望」を反映して、この20年で日本女性の体格はどんどんスリム化した。

 片野さんは「男も女もいまや中身より外見で評価される時代。海外に比べてやせ願望が極端に高いのは、かわいらしさや若々しさに価値観を置く日本独特の文化の表れでは」と話す。

 「いつまでも自分の理想のきゃしゃな姿でいてほしい」という身勝手な気持ちから、娘が中学の運動部に入るのを強硬に反対した父親もいるという。

 見た目優先主義とエスカレートする健康志向のなか、将来の世代を産み育てる若い女性ばかりでなく、子供にまでやせ願望が浸透する日本。海外では、やせ過ぎのファッションモデルが若者のダイエットを助長するとして、ショーへの出演を規制する議論が高まったが、国内ではこうした動きは見られない。

 深谷さんは「細身=美という大人が勝手に作り上げたイメージを押しつけられ、その基準に当てはまらない自分に焦燥感を抱く子供は少なくない。ただでさえ、今の子供は昔に比べて食欲が落ちている。社会の過度な痩身志向に歯止めをかけなければ、成長期の子供たちの心と体をゆがめてしまう」と警鐘を鳴らしている。

疲弊する医療現場
ダイエット志向
すぐ辞める若者
衝突避ける家庭
身勝手な飼い主 
“自子中心”の保護者
キレる大人たち 増え続ける“暴走”

以上をミーイズム=自己中心主義でまとめている。

*****
豊かな社会、そこそこ食べていける社会、
社会や役所に文句を付けていれば何となく自分を正当化できるように思う社会、
それをマスコミが後押しする社会、
しかしマスコミはすぐに飽きてしまう。

自己実現の目標が本格的に達成されることはなく、
わがままを合理化して、他罰的になり、そこで成長が止まってしまう。
現実を変えないし、自分を変えない。
何も変えないままで、やめる、退却する、閉じこもる、手軽な空想的な打開策に走る、
そこで成長が止まる。
なぜだろう。

成長が止まるということは、そこでエネルギーがきれているということだ。
仕事で忙しいのかもしれないし、
もともとエネルギーレベルが低かったのかもしれない。
あるいは、エネルギーがあっても、間違った方向に延びているのだろう。
他罰的で非共感的で、それゆえ自分は損をして、結果として被害的になる。
被害的になるとさらに他罰的で非共感的になる。
そこで悪循環が生じる。

心理学の領域は相変わらず水力学モデルでちょうどいいらしい。

エマニュエル・ドッド 保護主義を語る

朝日新聞朝刊の目次欄に、
「社会全体を考えない自己愛的な行動が経済危機をもたらした」
とある。「自己愛的」って、社会全体を考えないということと
結びつかないと思う。
書いている人は仏人口統計学・歴史学者トッド氏とある。
人口統計学と歴史学は自然に結びつきそうで
ちょっと違うようで微妙でもある。

「北米、欧州、極東に保護主義的な経済圏をつくって立て直せ」
との意見。
私は保護主義的とはいわないが、
北米、南米、アフリカ、欧州、東アジア、中央アジアに分けて、
共同体をつくり、経済だけをコントロールするのが一案だと思う。
そして世界銀行の業務を少しだけ拡大して、
各共同体の代表が任務に当たるようにする。

それを保護主義的などというから過度に刺激的になる。

通貨を固定して固定相場制にするだけでずいぶんと違う。
それだけでいいのだが、今となってはそれが難しい。
マルクとフランがどうして妥協できたのか今も分からないが、
元とウォンと円とが妥協できるかというと
なかなか難しいように思う。
そこで妥協するくらいなら徹底的に戦えとか言い出しそうだ。

*****
資本主義では、発展しつつ拡大しつつ、というのが合い言葉になるが、
いつまでもそんなはずもない。
マーケットが期待する成長の速度は達成できないことも多く、
今回のようなことになる。

実体経済の5パーセントの範囲でマーケットが機能するようになどと
すればいいのだが、
当然、リバタリアンはその業務規定を逆手にとってマーケットに挑むことになる。
困ったものだ。
どうしよう。というわけで、みんな困っている。
社民主義が何かの答えを持っているわけでもないし、共産主義が答えを持っているわけでもないと思う。

フリーマーケットはどこまでフリーなのか、その制限をつけたとすると、
そのぎりぎりのところで、またしても暴走が始まるだろうと思う
人間はそのように考えるものなのだ

仕方がないので、欲をかいた人間は、損をすることもあると
いつも発信しておくことが大事だろう

*****
エマニュエル・ドッド氏によれば、概略、次のようである。

米国は解決をもたらす存在ではなく、問題をもたらす存在である。
(無論、昔からそうだった。しかし黄色人種を激しく差別して搾取するフランスよりも好きだ。日本がフランス語主義にならなくて良かった。)

社会全体を考えずに自分のことばかり大事にする自己愛、自己陶酔の意識だ。
(社会全体を考えずに自分のことばかり大事にするのは自己愛の本質ではない。自己陶酔と言い換えられては困る。不正確。利己主義といえば通じる。)

フランス5月革命。禁じることを禁じる・自由がすべて。
(相変わらずこの話。)

こんな考えが経済にも広がっていったのが現在の結果だ。
経済を動かす連中が好き勝手に振る舞う。国家は動かない。
(それでいいはず。なにを今更言っているか。自由の実験をして、人間の理性に欠陥があったら訂正すればよい。それだけのことだ。金持ちが没落するのは昔からあったことだ。同情はいらない。)

自己愛的な行動が行くところまでいってしまったのだろう。
(自己愛的ではなく、利己的という意味だろうが、人間は、最初から利己的で、一貫しているのだから、それでいい。利他主義を他人に押しつけるくらい醜悪なものはない。)

ウルトラリベラリズム(行きすぎた自由主義)に基づいた常軌を逸した考え方自体が権力者だった。
(意味不明。)

いい資本主義はうまく統制され、悪い資本主義は国家の関与がなく無秩序だ。
(フランス人は、だからフランスが統治する、と結論したいらしい。こんなことを言い出すくらいなら、ドイツ人とけんかをしていてくれた方がまだましだと思う。)

資本主義の悪い面ばかりが残った。
(そんなものではないと思う。それも人間の一面だということだ。
私は冷静に受け止める。子どもでもあるまいし、自由主義がすべての悪の根源だみたいに言うのは、どうかと思う)

米国は15年も20年もの間、借金で暮らすことができた。
(それは経済学的なレトリックというものだ。現実のアメリカ人は決してそうでもない。まじめに働いている人は多い。もっと言うなら、20年間借金で暮らすことができた米国は信用があったわけだ。信用して貸していたのは誰か。そして利息を取っていたのは誰かということになる。貸した方も借りた方も責任がある。)

世界は一極でも多極でもなく実際は無極になりつつある。人々はいつか神は存在しないと気づく。
(そんなことはない。神のレトリックを持ち出すセンスも賛成できない。なりつつあるというが時間の要素を指定していないので曖昧な言明である。)

中国や日本が輸出国としてやってこられたのは米国の過剰消費のおかげだ。
(たぶん。)

米国は8千億ドルの貿易赤字。米国が生産しているものはカネであり、腐った証券。にもかかわらず消費を続けるのは反道徳的だ。
(良かろう。フランスも、反道徳的な核兵器と原子力発電をやめよう。腐った証券と腐っていない証券の見分け方を教えて欲しい。この人は言葉を操るだけだ。敢えて言えば米国が生産していたものは信用である。それは商売になる。当然である。)

米国が消費を続けられなくなったとき、需要不足に陥る。
(たぶん、中国が大量消費を始める。その前に、生活様式の転換をして、理想の方向を転換したいものだ。)

中国の経済システムは非常に脆弱。
中国の輸出総額は国内総生産GDPの40%。
日本や韓国を真似た結果。明らかに不自然。
輸出によって13億人を養おうとしても、中国は崩壊しかねない。
(歴史の発展が国によって違うのだから、不自然といわれても、困る。何も犯罪を犯したわけでもない。経済システムが安定するかどうかは、歴史の発展過程によるもので、また、2000年代にふさわしいあり方があるはずで、それはみんなで考えるべきだ。正直、中国はそれでも控えめにしていると思う。フランス人が13億人いて、中国に住んでいたらどうなっていたかと思う。そうでなくて良かった。)

中国は内需志向にすべきで、15年くらいかけて転換する。本来平等志向の強い中国にはその方があっている。中国は自分の畑をまず耕すべきだ。
(本来平等志向が強いなどと何の根拠があるのか分からないが、私には中国の全歴史は奴隷の歴史のように思える。しかしアメリカ式生活をしようとは思わない方がいいし、誰かがアメリカ式生活をしようと思うのを利用して儲けることもやめた方がいいとは思う。)

技術者や科学社の育成で米国は欧州やアジア各国にはるかに後れをとっている。経済を引っ張るのは弁護士ではなく技術者だ。
(技術者が大事というのは賛成。でも、アメリカがはるかに後れをとっているとは思えない。この人には何が見えているのだろう。)

欧州は保護主義的な障壁を確立し、域内貿易を優先すること。
(すでにそうではないのか?よく分からないが。世界が一体になる前に少し練習して、というところだ。)

欧州圏、北米圏、極東圏の三つによって再編された経済こそが有益。
(朝日新聞がインタビューにいったからこんなことをいうだけで、そのうち欧州が米国を助けてやると言いたいらしい。)

日本、中国、韓国は共通経済の可能性を探る機関を設立した方がいい。
(簡単じゃない。いろいろな損をするけれど、それを上回る得が各国にあるかどうかだ。日本と韓国は得をする点もあるが中国は得があるか。さっきまでこの人は中国は持たないと宣告していたはずで、どうするのか?)

エコノミストは考えないことで給料をもらっていた。
(確かにそうかもしれないが、たぶらかすような舌足らずなことを言わない方が世の中のためになる。そのためなら給料を払ってもいい。)

人と人の世の中は案外悪くない

今私たちが生きているこの世の中で
悪いニュースが流れない日は一日もない

幼い子が脱水で死に感染症で死に栄養失調で死に虐待で死んでいる

子どもの目で見て大人が嫌いになりそうな話があまりにもたくさんありすぎる

しかしそんな中でも
人と人との世の中はそんなに悪いものでもない

温かい人がいるものだ
正義の人がいるものだ
優しい人がいるものだ

いろんな人がいるもので
自分が困ったときにはそんな人たちに出会うようにできているのだ

*****
子どもたちの未来のために
お話を残そうではないか
日本語を残そうではないか

子どもたちがその話を読んで心を耕してくれるような
そんな話を残そうではないか

そして困った人に出会ったら
残念ながらとりあえず何もできることはないとしても
また事情が変われば何かできるかもしれないし
とりあえず今聞いている落語のテープを聴いてもらうこともできるかもしれない。

それは亡き人が独自に編集した落語のテープで、
晩年はそれを聞いて寝付いていたとのことだった。

そんな状況を考えると
私はなにか道路のような、トンネルのような、通路のような、そんな感じ。
その人の心をそっくりそのまま伝えるパイプのような感じ。

それなら私にもできるはずだ。

対人恐怖症と社会不安障害

対人恐怖症と社会不安障害:
伝統的診断から社会不安障害を考える
笠原嘉
Taijin-kyoufu-shou(対人恐怖症)の研究がわが国で
森田正馬によってはじめられたのは1920年代である.
ニューヨークのLiebowitz,Schneier氏らが社会不安障
害(social anxiety disorder:SAD)(DSM-IV)の前身
であるsocial phobia(DSM-)を新しくつくったのは
1970年代である.social phobiaのもとになったのはイ
ギリスのMarks Iで,1950年代だったと思う.これらの
間に多少の違いはあるにしても,人前で過度に緊張し不
安になり,そのことを必要以上に苦にするタイプの悩み
であることに変わりはない1).
今日,SADという病名を使うことは世界的視野をもつ
という点でもちろん喜ばしいことだが.わが国で診断し
治療しようとすれば,約五十年の歴史のある対人恐怖症
の研究史を忘却すべきではないだろう.文化結合的な側
面も否定しがたいし,森田療法という精神療法の力も借
りるとよい,と思うからである.
以下,対人恐怖症の研究史をざっと振り返る.
◆1.1920〜30年代の対人恐怖症
1)森田の研究
森田正馬の「森田神経質」2)研究はわが国のオリジナル
な精神医学業績の一つとして特筆すべきものだが,その
なかで記された「対人恐怖症」という中心概念は,今な
お生きている.
表1.森田療法の標語
●症状をあるがままに
●常に何かをする生活
●形を正す
●気分本位をやめる
●愚痴を言わぬ
●病気の中に逃げ込まない
●完全欲にとらわれない
●自信をもとうとしない
(森田正馬,1975 2)より引用)
森田神経質はわが国の神経症研究のはじまりでもあっ
た.治療法から生まれた疾病概念である点でも興味深
い.また,多軸評価としてI軸(症状)と脅(性格)
を含む点も面白い.つまりI軸は対人恐怖で,脅瓦録
田神経質である.臨床症状と人格をセットでーつの概念
にした試みは,後にErnst Kretschmerの「敏感関係妄
想」くらいしか例がないのではないか.
治療について,森田は“ヒポコンドリー基調→精神交
互作用→とらわれ”という日常心理学的で単純かつ理解
しやすい構図をつくった.ヒポコンドリー基調とは,身
体の好不調を気にする性向を指し,いろいろ気にするう
ちにそれが徐々に症状になり,とらわれてしまう.いか
にして身体への注意を外すか.このあたりは認知療法の
一端に十分組み入れることができるだろう.「ライフス
タイルを変えさせる」ことが目標である.そのために彼
が作った標語を表1に示す.注目すべきは,「症状をあ
るがままに受け入れよう」,「常に何かをするような生活
をせよ」という言葉であり,これはライフスタイルに言
及しているともいえる.「形を正す」とは,何かをきち
んとやることであり,明治時代の人の独特の感じが表れ
ている.また「気分本位をやめる」,「愚痴を言わない」,
「病気の中に逃げ込まない」.「完全欲にとらわれない」,
「自信をもとうとしない」なども面白い.少し逆説的で
あるが,「自信をもて」ではなく.「自信をもとうとして
はいけない」.これは自信をもとうとするから症状を悪
くすると考えるのである.
2)力動精神医学の研究
また当時,精神分析がわが国に流入しはじめたころで
あった.そして専門家も赤面恐怖などを取り上げてい
る.たとえば山村道雄は,「赤面恐怖への精神分析研
究」3)という業績を発表した.その当時の精神神経医学
会の抄録集を読むと,面白いことに森田療法と精神分析
はいつも鋭く対立していた.深層心理を考慮に入れる仮
説を森田一派は嫌ったようである.
同じ頃,海外ではドイツのKretschmer 4)が敏感関係
妄想という概念をつくった.米国精神医学が主流になり
彼の名は消えてしまったが,心理学者Theodore Milon
のつくったDSM-IVの301.82“avoidant personality
disorder”はKretschmerを取り入れた跡がある.これ
は対人恐怖と関係がある.
◆2.1960〜70年代の臨床研究一重症型への注目
1960〜70年代のわが国の臨床研究では,どういうわ
けか「重症対人恐怖」が着目された.重症とは独特の妄
想をもち,たとえば,自分から匂いが出ていて人に嫌が
られるという妄想をもつ体臭恐怖などがその典型であ
る.1961年,はじめに足立5)が「嫌な匂いを発散させて
いる」という題で症例を1例報告したことに端を発し,
多数の報告があいつぎ,自己臭恐怖という概念が広まっ
た.当時,「ボーダーライン」という概念がわが国の精
神科で流行っていた現代の米国のボーダーライン性格
障害ではなく,分裂病と神経症のボーダーラインという
ことであった.Hochが,pseudoneurotic schizophrenia
(偽神経症性統合失調症)という概念を提出したの
とよく似ている.この考えもDSMでは消えてしまっ
た.後述するが,この境界例は時々精神病的になり,特
に妄想が出現する.それをHoch 6)は「小精神病(micropsychosis)」
とよんだ.現在はbrief psychotic disorder
(短期精神病性障害)といえる.ある種のタイプ
の患者は普通neurotic(神経症的)といえる範囲だが,
時々psychotic(精神病的)になる.そのpsychosisの
状態は,自己臭であったり,自分の顔貌や目つきや雰囲
気が人に迷惑をかけると思い込んだり,人を傷つけてい
ないかと案じる.
1967年,植元と村上7)は「思春期における異常な確信
的体験について」という論文で思春期妄想症を記述した
が,これも精神病のステージが対人恐怖症の範疇の一部
にありうると考えればよく理解できる.1972年,筆者
らも「正視恐怖・体臭恐怖」8)という本を書き,[自己視
線恐怖],「重症対人恐怖」,「自己漏洩」という概念を提
示した.自分の視線が人を傷つけるという思い込みであ
り,そのため人と目を合わせられない.この記述は外国
文献になかったので,米国の知人に相談して,「目と目
を合わせることの恐怖(Fear of Eye-to-Eye Confrontation)」
という言葉をつくった9).これはDSM-IVにも
一行だけ出てくる.“blushing”“eye-to-eye contact”
“one's body odor”とあり,“taijin kyoufusho in Japan”
と書いてある.
なお,われわれはこの小著の中で,重症型を考慮に入
れて対人恐怖症を臨床的に四段階に分けた.つまり,
(振兌圓寮捗婀という発達段階に一時的にみられる
もの
⊇秧茲剖寡歉秒奮にとどまるもの
4愀弧兪枉匹鬚呂犬瓩ら帯ぴているもの
づ合失調症の前駆症状として,ないしは統合失調症
の回復期の後症状としてみられるもの
に分けた.これはこの小著のメインな主張ではなかった
が,幸い思った以上に引用され,感謝している.
治療についても当時熱心に行った.たとえば,筆者は
自由連想期間も含めて四年をかけた一重症例の精神分析
を報告した10).
同じ頃(1977),山下格は北海道での自家例100例を
丁寧に分析し,確信型と称するタイプのあることを述べ
た 11,12).
◆3.1980年代(DSM)以後
1980年代,DSMにsocial phobiaという概念が登場
した.DSMは米国と英国の概念を合わせようというの
を目的の一つにしていたもので,イギリスのMarks I
のsocial phobiaという概念をそのまま受け入れたわけ
である.
しかし1990年にニューョークでのAPAシンポジウ
ム13)においてsocial phobiaが取り上げられた際,聴衆
は少なかった.人々の関心はまことに低かったと言わざ
るを得ない.筆者はLiebowjtz氏とShneier氏からの
促しを受けて,“social phobia in Japan”というテー
マでシンポジウムに参加した.しかし薬剤の話ばかりで
あった.
1987年にソウルでsocial phobiaの日韓のシンポジウ
ムが開かれ,わが国から土居健郎や森田療法の研究家
など5名が,そして韓国側も5〜6人が参加した.この
シンポジウムは2000年にもう一度開かれた.意外にも
韓国にも視線恐怖は存在するという話が出た.
1997年にClarit,Shneier,Liebowitz 16)が,“The
offensive subtype of Taijin-kyoufu-sho in NewYork”
という論文を書いている.重症型は,offensiveで「視
線が人を傷つけたりする」ということを表しているのだ
ろう.
わが国でも2000年にlwaseらは,“Performance,
interpersonal,offensivetype”を発表している.2003
年には永田ら18)は,「治験広告によって来院した症例」
を発表した.治験広告は米国の新聞にはよく掲載されて
いる.軽症の人が多数応募してくる.自発的な来院例に
はならなくとも,日本人だけではなく他国でも患者が多
数潜在しているといえるのか.
◆4.2000年代の症例
現代の症例として,最初に中年,特に30代なかばの
婦人と,つぎに青年の重症例をあげる.最初の中年の婦
人は,子供が大きくなるとPTAへ行かなくてはなら
ず,久しぶりの社会状況が与えられたため,対人恐怖が
生まれる.よく聞いてみると,じつは若いときにも似た
症状はあったという人もいる.結婚して家庭の中にいる
間はあまり問題にならなかった.しかし,PTAなど社
会的かかわりが必要となってからはじめて出現したとい
う人もいる.筆者は「PTA症候群」と称しているが,
よくみられるケースである.この程度の患者にはSSRI
で効果がある.しばらく通院して半年ぐらいでほぼ終了
する.終了しても完治したかどうかはわからないが,ク
リニカルケース(臨床例?)ではなくなる.今のところ
筆者の所ではそのような患者が再来した記憶はないの
で,寛解するのではないかと思う.これは対人恐怖でも
比較的軽いタイプであろう.
つぎの問題は青年の重症例で,20〜25歳ぐらいの患
者で.前述した重症型,あるいはoffensive typeであ
る.筆者は今でもHoch&Pollatinという人の概念で
ある小精神病(micropsychosis)という言葉を使って
いるが,慢性状態の一時期に急性発症で妄想が起こる.
平素ばSSRIで治療し,小精神病のときには非定型抗精
神病薬の少量で,症状を収める.
社会適応は意外によく,引きこもらずに軽職に就く人
が多い.森田神経質の人は基本的に馬力があり,それほ
ど弱くはない.しかし,根治はなかなかしない.少し良
くなるとすぐ来なくなる傾向がある.昔と違って薬を使
用すれば成長が望まれるかと思い.心理カウンセラーに
1〜2週間にI回,カウンセリングを継続してもらって
いる.
social phobia研究で残された最も大事なことは経過
研究であろう.EBM(evidence-based medicine)にも
とづく公衆衛生的データから長期経過がわかると治療が
やりやすいだろう.薬物療法では,SSRIと非定型抗精
神病薬の少量を併用し処方している.しかし要は,長く
診察することではないか.本人が来たいときに来られる
ようにすることが大事だと思う.
森田療法とは生活を変えて何かを発見するためにゆっ
くり長く診る,ということだろうか.森田療法とは本来
は入院治療であり,一緒に生活し,ライフスタイルを覚
えさせることだともいえる.昔はそのように行っていた
が,現在の病棟では時間などの面で森田療法はそぐわな
い.
◆5.症状形成の社会・文化面
わが国の対人恐怖症研究の背景には明治時代以来の
「恥の文化」がある.また「西洋に追いつけ,追い越せ」
の競争の世代であった.恥というよりは「羞恥」と言っ
たほうがよいという.それらのことが現代は少し変わっ
てきたか,たとえば電車のなかで若い女性が平気で化粧
をしている.これは日本社会に恥の文化が薄れてきたこ
との一つの表れではないだろうか.すると,自省的な羞
恥も生じにくく,患者さんとしてはあまりわれわれのも
とに来なくなるかもしれない.
それから「メール文化」「携帯電話文化」は,Eye-to-
Eye Confrontationを必要としない文化であり,そこで
は対人恐怖症はどうなるだろうか.恐怖症は減るのか,
あるいはもっと深刻なタイプに変わるのか,見ていきた
い.DSMはこういうことを関係づけるのを嫌う.しか
し,文化と関係のある症状では避けられないと考えている.
◆おわりに
公式に,ということは公衆衛生学概念として,SAD
の病名を使うことに異論はないが,わが国の臨床場面で
はSADを「対人恐怖症」と言い換えることを許したほ
うがよくないか.このほうが日本人相互では直観的に通
じやすいし,文献も検索しやすく,精神療法の改良にも
役立つと思うからである.
SADはまだ未熟な概念に思えて仕方がない.1980年
以前の米国ではほとんど知られず,2000年に入るや,
今度は米国のみならず中国でも驚くほど多数存在するこ
とがわかった,という疫学的主張は,臨床家にはいかに
も不思議に思える.臨床の現場と違いすぎないか.本当
に治療を要するケースをとらえているのか.さらに研究
の進むことを切望する.
文献
1)笠原嘉:人みしりについて.新・精神科医のノート,み
すず書房,東京,1997,pp.I-22
2)森田正馬:神経質の本態と療法,白揚社,東京,1975
3)森田正馬:森田正馬全集,白揚社,東京,1974
4)山村道雄:赤面恐怖の精神分析的研究,東北帝大精神病
学教室業報,1933,p.2,69
5)Kretscbmer E:敏感関係妄想第3版,SpringerBerlin,
1950(切替辰哉訳.文光堂,東京,1961)
6)足立博,間島竹次郎,小河原竜太郎:「私は嫌な匂いを
発散させている」という患者について,順天堂医誌7:
901,1961
7)Hoch PH,Pollatin P:Pseudoneurotic forms of
schizophrenia..1949
8)植元行男,村上靖彦,藤田早苗ほか:思春期における異
常な確信的体験についてその1いわゆる思春期妄想
症について,児童精神医学と近接領域8:155,1967
9)笠原嘉,藤縄昭,松本雅彦ほか:正視恐怖・体臭恐怖
一主として精神分裂病との境界例について,医学書院,
東京,1972(笠原嘉:精神病と神経症第二巻,みすず書
房,東京,1984,pp.697-827に再録)
10)KasaharaY:Fear of Eye-to-Eyeconfrontation
among neurotic patients in Japan.ln:University of Hawaii Press,1974
11)山下格:対人恐怖,金原出版,東京,1977
12)山下格:社会恐怖-東と西.精神神経学雑誌104:735-
740,2002
13)笠原嘉,村上靖彦:再び境界例について.分裂病の精神
病理3,東京大学出版会.東京,1975
14)笠原嘉,藤田定,村上靖彦:日本の社会恐怖症{1990
の143th APAでの講演の邦訳}.笠原嘉:外来精神医
学から,みすず書房,東京,1991,pp.128-143
15)KasaharaY:Sodal phobia in Japan.,1987
16)Clarit SR,Schneier R,Liebowitz MR:The offensive
subtype of Taijin-kyoufu-shou in NewYorkCity.1996
17)lwase M,Nakao K,Takaish:An empirical
classification of social anxiety:Performance,jnterpersonal and offensjve,2000
18)永田利彦,宮脇大,大嶋淳ほか:治験広告によって来院
した社会不安障害.精神医学54:709-714.2003

認知(行動) 療法, 対人関係療法

Pro 9 .M ed .2 7 : 2 0 0 5〜2 0 0 8 , 2 0 0 7
認知(行動) 療法, 対人関係療法
切池信夫
大阪市立大学大学院医学研究科神経精神医学教授

はじめに
うつ病の精神療法として, 軽症から中等症に対して
認知(行動) 療法と対人関係療法の有効性が検証されて
いる. そして, これらの治療法は薬物療法との併用に
ても効果がある. 本稿において, これらについて概説
する. そして最後に, 最近, 長期に抑うつが持続する
慢性うつ病に対して有効であるといわれている認知行
動分析システム精神療法について簡単に触れる.

認知(行動) 療法
認知行動療法(cognitive behavioral therapy : CBT )
は, 軽症から中等症のうつ痢の急性期, 継続期, 維持
期, さらには再発予防においても有効であるといわれ
ている. そして, 個人精神療法として開発されたが集
団療法でも行え, 最近ではコンピュータを用いた方法
も開発されている, この治療法は, 人間の認知のあり
方が感情や行動に影響し, 影響を受けた感情がさらに
認知や行動に影響を与えるといった悪循環を形成して,
うつ病を生じるという理解に基づいている. したがっ
て, この治療法は, 非適応的な認知のあり方に働きか
けてこれを適応的なものに変え, 問題への対処を援助
することによりうつや不安を改善するという, 短期の
構造化された精神療法である.
認知療法を創始したBeck 1,2) は, うつ病患者におい
て, 自己に対する否定的な考え, ⊆囲に対する否
定的な考え, 将来に対する否定的な考え, という否
定的認知の3 徴を認めた. そして, これらより生じる
歪んだ認知や思考を, 表層の自動思考と深層のスキー
マに分けた. 自動思考は, ある状況で自然に自動的に
生じる思考およびイメージを指し, スキーマは生まれ
もったものや過去の人生体験に基づき形成された患者
の基本的な人生観や人間観を反映した確信で, 本人に
は気づかれていない.
こうしたスキーマや自動思考により認知の歪みを生
じ, これが感情や行動に影響し, 自分自身に対する非
現実的な見方をして気分を悪化させ(うつ状態) , これ
がさらに非適応的な思考や行動を生じるという悪循環
に陥る.
認知療法は, この悪循環を断ち切るために認知過程
の歪みを修正する. これには否定的な自動思考やス
キーマを明確にし, この認知の歪みを検証し, これに
代わる柔軟性のある適応的な認知とスキーマを形成し,
これらを基に適応的な考え方や行動に習熟していき,
抑うつ症状を改善させる.
1 . 治療関係
認知療法における治療者と患者との関係は, 共同的
経験主義(collaborative empiricism) と呼ばれている.
患者の問題をともに協力して試行錯誤しながら解決し
ていくというスタイルをとるので, 患者と治療者との
間には信頼関係の確立と維持が特に重要である. 治療
者は, うつ病の認知モデルについてよく理解し, 療法
の訓練を受けている必要がある. そして治療者には,
温かさ, 共感, 正直さに加え, 協力と指導的役割が必
要である. 一方, 患者にも認知療法についての十分な
理解に加えて, この治療に対する高い動機づけと宿題
を行うという姿勢が求められる. 治療者は患者と患者
の抱える問題を十分に理解し, これを基に介入のため
の患者独自の最も効果的な目標を設定し, 最適な介入
法を選択する. そして治療者は, 患者に自ら答えをみ
つけ出していくような形の質問, いわゆるソクラテス
的問答をする. この中で治療者は, 患者が自分の意見
を述べやすい雰囲気を作り出す配慮も必要である.

2 . 治療の実際3)
まず患者の問題やストレスを同定する. これには1
枚の紙に思いつくものを列挙し, この中から重要で解
決可能な問題を解決する目標として優先順位を決める.
次いで非適応的な自動思考を, 「コラム法」にて柔軟で
適応的な思考法に変えていく. 「7 つのコラム法」では,
第1 のコラムには出来事が起きた状況, 第2 のコラム
にはそのとき生じた感情, 第3 のコラムにはそのとき
自然に浮かんだ考え( 自動思考) , 第4 のコラムにはこ
れを支持する根拠, 第5 のコラムにはこれの反証, 第
6 のコラムには自動思考に代わる柔軟で現実的な考え
(適応的思考) , 第7 のコラムには考え方を変えて気持
ちがどのように変化したかなどを書く. 治療者は適切
なアドバイスを与え, この作業が円滑に進むようにす
る. そして, 問題解決法の技法や自己主張訓練などを
試行する. さらに, 根元的前提であるスキーマや自動
思考, すなわち考え方の癖を修正していくよう指導す
る. これをホームワークの形で試行し, 標準的には週
1 回45分間, 12〜16 回のセッションで行われる. これ
を時問制約のある一般診療の中で行うのは困難なので,
ホームワークとして実際の生活場面で行うよう指導す
るだけでも効果がある. 表1 に, うつ病患者によくみ
られる認知の歪み( 自動思考) を示した(具体的に知り
たい場合は文献3 参照) .

表1 よくみられる認知の歪み
1 ) 自己関連づけ(personalization )
悪い出来事をすべて自分の責任にする.
(例) 子どもが希望校に進めなかったのは, すべて自分の養教育が悪かったと思う
2 ) 二分割思考(dichotomous thinking)
常に白黒をはっきりさせ, 中問の灰色がない.
(例) 完全でないと失敗と考える.
3 ) 選択的抽出(selective abstraction)
自分が関心のある事柄にのみ目を向けて, そこから結論づける.
(例) 木をみて森をみず
4 ) 過大視(magnification ) 一過小視(minimization)
自分の関心のあることは人きくとらえ, 自分の考えや予測に合わない郡分はこと
さらに小さくみる.
(例) 自分は話べただと思っているため, スピーチがうまくいかなかったときばか
り思い出し, 内容が良いと褒められたことを取るに足らないことと思う.
5 ) 極端な一般化(overgeneralization)
少ない事実から一般化する.
(例) 2 回ほど続けて失敗すると, 自分の人生は失敗の連続だと考える.
6 ) 情緒的な理由づけ(emotional reasoning )
そのときの白分の感情から現実を判断するなど.
(例) 落ち込んでいるとき, すべての状況を希望のないものに思う.
7 ) 肯定的側面の否定(disqualifying the positive)
(例) 自分の大きな長所を否定して, たいしたことないと無視する.
8 )〜 べき思考(should statements)
〜すべき,〜しなければならないと考える.
(例) 主婦は完璧に家事をこなし, 子どもを育てるべきだ.

対人関係療法
対人関係療法(interpersonal therapy : IPT) は, うつ
病は遺伝, 早期の人生体験, 環境, ストレス, 人格な
どが複雑に相互に絡み合い生じるという理解のもと,
現在の対人関係上の問題に焦点を当て, これを解決す
ることによりうつ病を改善するという短期の精神療法
である4).IPT は, 配偶者, 親, 恋人など, いわゆる重
要な他者(significant others) との対人関係に焦点を当
て, 過去でなく現在の直近の問題を扱う. その中で人
間関係の喪失, 社会的役割の喪失や変化, 社会的孤立,
社会技能の拙劣さなど, うつ状態の誘因となるような
対人関係要素を重視する. しかし, 患者のパーソナリ
ティは治療の課題としない.
1 . 治療関係
治療者は温かさ, 共感, 正直さに加え, 協力と教育
的な助言者としての役割が必要である. 治療者は楽観
的で支持的であり, 中立でなく患者の味方であるが,
友人ではない. 治療関係の中で退行を避け, 転移を扱
わない. 患者が治療者に依存的になり過ぎるのも避け
る. 患者には, この治療の導入により, 自分の対人関
係上の問題を見直そうとする動機づけが必要である.
2 . 治療の実際1)
IPT の治療目標は, 抑うつ症状の軽減と, 症状の発症
と関連した対人関係上の問題を扱う, 治療は大きく分
けて3 つの相に分かれている.
1 ) 初期のセッション( 1〜4 回)
うつ病について話し, うつと対人関係の流れとを関
連づける. そして, 対人関係における中心的な問題領
域を同定する. そして, 対人関係療法の概念を説明し,
治療目標について合意を得て治療契約を結ぶ.
2 ) 中期のセッション( 4〜6 回)
4 つの主要問題領域として,
“甍(grief) ,
対人関係における役割上の不和(interpersonal role dispute) ,
L魍笋諒儔(role transition) ,
ぢ仗祐愀犬侶臟(interpersonal deficit) ,
などがある.
「悲哀」は, 重要な他者の死による喪失後, 「喪の作
業」がうまく進まず, 異常な悲哀の感情となって抑う
つ症状を呈する. したがって, 失った人に対する感情
を素直に表現させ, それに対する過大または過小の価
値評価を是正して, 正当な関係に再構築し直すことに
よって, 新しい人間関係を築いたり活動を始めたりで
きるようにする.
「対人関係における役割上の不和」は, 対人関係の中
でお互いが相手に期待する役割にずれがあり, これに
より生じる問題が解決しない状態をいう. そして, 不
和の程度に応じて, ,互いがずれに気づいていて積
極的に解決しようとしている「再交渉」の段階, お互
いがずれに気づいているか, それを解決する努力を諦
めて沈黙している「行き詰まり」の段階, お互いのず
れが取り返しのつかないところまできている「離別」の
段階, の3 段階に分けられている, そして, 各段階に
プライマリケアにおけるうつ病診療の実際
応じた治療を行う.
,虜童鮠弔涼奮に対しては, 関係者たちの気持ち
を落ち着かせて問題解決を促すよう援助し, の行き
詰まりに対しては, 相手に対する思いやりやずれを明
確にして, 再交渉が可能な状態になるよう援助する.
そして, の離別では, 別れが適切に行われるよう喪
の作業がうまく進むよう助ける.
「役割の変化」は, 妊娠や出産などの生物学的な形で
生じる場合と, 入学, 卒業, 就職, 昇進, 退職, 結婚,
離婚など社会的な形で生じる場合があり, それぞれに
おける対人関係上の問題を治療の対象とする. 新旧の
役割の良い面と悪い面について吟味し, バランスのと
れた見方ができ, 新しい役割に伴う困難な問題の同定
と解決を助け, 古い役割から新しい役割に速やかに適
応できるよう援助する.
「対人関係の欠如」は, 満足すべき対人関係をもてな
い場合や破綻している場合に生じる対人関係上の問題
に焦点を当てる. このタイプの問題が一番難しく, 問
題を解決するというより人間関係をもとうとするよう
援助する方が妥当といわれている. 過去における重要
な人問関係や現在での特徴的な対人関係のパターンを
同定し, これを改善していくよう援助する.
3 ) 終結セッション( 2〜4 回)
治療の終了について話し合い, 終了は悲哀のときに
なる可能性のあること, そして患者が1 人立ちできる
という認識をもてるようにする. すなわち, 患者が治
療外での生活をうまくやっていけるよう援助すること
が治療目標であることを強調して伝える.
その他, 特殊技法として探索的技法, 感情表現の奨
励, 明確化, コミュニケーション分析などがある(詳細
は文献4 を参照) .

認知行動分析システム精神療法
認知行動分析システム精神療法(cognitive behavioral analysis system of psychotherapy:CBA SP) は,
入院するほどでないが抑うつ症状が数年にわたり持続
し, 完全には改善しない慢性うつ病のために, 臨床実
践の中で練り上げられた精神療法である5) . ここでい
う慢性うつ病は, DSM -犬望箸蕕垢,
‖腓Δ追太障害(慢性) , 気分変調性障害, 5な
変調性障害が先行した大うつ病性障害, ぢ腓Δ追太
障害(部分寛解) , ヂ腓Δ追太障害(反復性) , エピ
ソードの間欠期に完全回復を伴わないものに相当し,
抑うつ症状が2 年間以上続いている.
1 . 治療について
この治療法は, 人生早期の対人関係の学習が現在の
対人関係に不適応的に働き, 自己主張できず受身的,
服従的, 無力で苦渋に満ちた人生状況により症状を生
じ, 現在の治療者一患者関係の中で自己主張的な態度
に修正していき, 自信にあふれ, うつ気分から解放さ
れた状況に変化させていく. 治療の手順として, 治ら
ない, 変わらないと諦めている患者に対して変化への
動機づけを行い, それを強化する戦略, 状況分析, 状
況分析の修正段階, 治療者一患者関係の中で過去の対
人関係を修正していくこと, 治療効果の判定などより
なっている.

ミンスキー 心の社会

抜粋して紹介すれば以下の感じ。個人的には予測と検証のプロセスについてヒントが欲しい。

ーーーーー
ミンスキーのいっている発達というのは, 知識が増えていくというよりは,むしろ知識をコントロールするための知識が増えていくというふうに考えたほうがいい。

ミンスキーの考え方というのは, ひとつひとつの単語がコントローラーになっているというもの。ひとつひとつがエージェントの役割をしていると考える。いわば何かの情報処理を実行するプロセスの役割を担っていると考える。

特に重要なことは, T H E …… と読むと, この単語の意味だけではなくて, 次に何がくるかということを予測( ミンスキーは期待といっています) する, 例えば, T H E のあとには名詞がくるだろう, そういうことが, T H E を読んだ時点でわかってしまう。

期待という考え方は, 視覚系においても成り立つということを, ミンスキーは強調しています。例えば, 立方体の箱を見る。そのときに, それを回転させたときにどういうふうに見え方が変わるだとか, あるいは自分が動いていくと見え方がどう変わるかということを我々は動かなくても予想することができる。それがわかるためには, 何かを期待できるための知識をもっていなければならない。そういうことと, さっきのT H E のあとに何がくるかという知識をもっていることは, 枠組みとしては同じことであるというふうに考える。従って「期待」ということができるためには, 相当量の知識をかなり構造化してもっていなければならない。

フレームというのは, 例えば大きな四角いものがある, というだけでは何だかよくわからないが, そこが教室であるとわかれば, 黒板であるということがわかる。教室に関するフレーム構造の知識をもっていれば, その中にこういう夕イプの四角いものがあれば, それは黒板であろう,そういう期待をもつことができる。こういう考え方をします。

ーーーーー
このフレームに相当する部分はかなり高度な状況判断で、
「状況意味」と呼んだりする。

どのようにして形成されるのか、どのようにして壊れるのか、よく分かっていないが、とても大切なものだろうということは繰り返し言われている。

ーーーーー
脳と精神の医学第3 巻第3 号1992 年7 月
『心の社会』( ミンスキー) をめぐって
安西祐一郎
1990 年10 月26 日に開催された第8 回
M I N D S 研究会(東京, 全共連ビル) において,
マーヴィン・ミンスキーの著書, 「心の社会」
(安西祐一郎訳, 1990 年産業図書刊) に関して,
訳者自身による解説, 論評がおこなわれるとい
う貴重な講演が行われた。その記録をここで紹
介する。
演者安西祐一郎教授は1969 年, 慶応義塾大
学工学部を卒業, 1981 年カーネギーメロン大
学助教授, 1985 年北海道大学文学部助教授を
歴任, 1988 年より慶応義塾大学理工学部教授
(電気工学科) の現職にある。
本講演会を開催したM I N D S 研究会(世話
人: 中村道彦, 丹羽真一, 豊嶋良一。事務局:
埼玉医大精神科) は分裂病の情報処理障害をテ
ーマとする集会であるが, 神経生理学, 認知心
理学とニューラルネットワークの情報処理とい
う三つの領域が重なりあった分野に関心を向け
ている。この分野は将来, おそらく二十一世紀
には, 精神医学のための基礎科学として, 大き
く精神医学に貢献するとおもわれる。こうした
背景があって, コンピュータサイエンスと認知
心理学の分野での日本の第一人者である安西祐
一郎教授の講演がもたれた次第である。なお記
録中に誤りがあるとすれば, 編者豊嶋良一の
責任であることを, おことわりしておく。

1 . 心の情報処理モデル
3つのアプローチ
『心の社会』の原題は, The Society of Mind
といいます。心の情報処理モデルを作ろうという
試みというのは, コンピュータサイエンスが
1930 年代から40 年代にかけて勃興して以来の,
計算機関係, 特にソフトウエア関係の人たちの夢
だったわけです。1950 年代に,その夢に対して
「人工知能」という名前がつけられまして, それ
からその分野はいままで三十年以上それなりに発
展してきたわけです。
非常に大きく分けて三つのアプローチがあると
思います。ひとつは, サーチということ。これは
精神医学関係の方にはまだあまり関心がもたれて
いないかも知れませんが, サーチというのは, 意
識的な思考をするとき, 例えば人間が何かの問題
を解くときに答えを見つようとすると, 必ず, こ
うじゃないか, ああじゃないか, と一種の探索み
たいなことをします。その探索を基本的な概念と
して, その探索のメカニズムをコンピュータの上
に実現する, そういうアプローチがあります。
こういうと非常に簡単一試行錯誤をコンピュー
タでやるのは簡単なことですからーに思われるか
もしれませんが, これのまわりに多くのいろんな
概念が形成されて, ひとつの大きなジャンルを作
っているわけです。これで有名なのは, カーネギ
ーメロン大学のハーバート・サイモンという方で
す。サイモンさんは人間の意思決定の探索モデル
でもってノーペル経済学賞を1978 年に受賞され
ております。そのくらい大きなひとつの分野にな
っているということです。
二番目は, ロジック。これは論理学からモデル
を考えるというアプローチです。たとえば, スタ
ンフォード大学にジョン・マッカーシーという人
がいて, この人が形式論理学を用いて心のいろん
な機能を表現しようという試みを三十年以上にわ
たってつづけております。また, 第五世代コンピ
ュータプロジェクトという, 日本の通産省の十年
間のプロジェクトでは, 人工知能のシステムを,
このロジックをベースにして作ろうとしています。
例えば, P が真であってP→Q が真であれば, Q
は真である。これは論理学の推論規則ですけれど
も, こういう論理学の規則を使って, 人間の知能
のモデルを作ろうという試みが, どのくらい難し
いものであるかということはちょっと想像すれば
おわかりいただけると思います。数学関係の非常
に頭のよろしい方々が一所懸命やっている分野で
あります。
三番目が, 精神医学にも関係してくるネットワ
ークの考え方です。これを神経に近いレベルでい
いますと, いわゆるこューラルネットワークとい
うのがあります。例えば, 小脳の運動学習機構と
いうのが, パーセプトロンといわれる神経回路網
のモデルでもって近似できるというようなことが
わかってきているわけです。その他のさまざまな
ニューロンのシステム, ニューロンひとつではな
くてニューラルネットワークの機能がどういうも
のであるかということを情報処理モデルによって
あきらかにしたい。これがニューロコンピューテ
ィングといわれている分野のひとつの流れです。
これは, 心, つまり脳の情報処理モデルをネット
ワークの概念によって明らかにしたいというひと
つのアプローチです。

2 . エージェント
心のモデルの基本
ところが, 例えばプルキンエ細胞がどうしたと
かがわかったからといって, 人間の知能がわかる
わけではありません。認知心理学でいま応用分野
になっているのは, 学校の学習, 教育の問題です。
例えば, 小学生の算数の応用問題を考えてみて,
りんごが五個あります, 梨が三個あります。全部
でいくつありますか, というような問題がありま
すね。こういう問題を人間がどうやって解くのか,
ということを考えたときに, 神経回路網で考えて
いたのでは, ほとんど何もわからない。そうしま
すと, 神経回路網ではなくて, もうひとつ上のレ
ベルの, 心のレベルの何らかのモデルが必要です。
サーチとかロジックというのは, 心のレベルの
モデルなんですが, ネットワークという概念につ
いても, 心の情報処理モデルというのを考えるこ
とはできる。いろんなノードがあって, その間が
結合している。そのノードとその間の結合関係で
もって心の情報処理機能を説明したい, こういう
考え方が出てくるわけであります。
これがこのミンスキーの心のモデル, 「心の社
会」という考え方です。
例えば, 神経回路網風に言うと, 興奮性のコネ
クションや抑制性のコネクションがあります。こ
ういうことを考えたということになるわけですが,
心の情報処理ということを考えると, このノード
がいったい何をやっているか, あるいは, この結
合が何をやっているか, ということが非常に大き
な問題になってくる。ノードがひとつのニューロ
ンに対応するようなことしかできないとしたら,
これで心の情報処理モデルを表すには, おそらく
莫大なモデルにならざるを得ない。そう考えると,
ひとつのノードというのは, 心のモデルを考える
時には, かなりの情報処理機能がないと困るとい
うことになる。これが「心の社会」のなかでいわ
れている, エージェントになるわけです。
エージェント, つまり代理人。ひとつの擬人的
なメタファーなんですけれども, かなりのいろん
なことができる能力をもったノードをエージェン
トと呼ぶ。
それから, エージェントの集まりを考えていく
ことにします。ただ, 心の社会というミンスキー
のモデルの特徴というのは, このエージェントが
心をもっていない, ということなんです。これが
全くの擬人的なメタファーとしてこのエージェン
トを一人の人間と考えてしまうと, この中に心が
あって, ここにまたエージェントがいっぱいある,
ということになってきます。これは当然, 哲学で
昔から知られている無限後退, 心のなかの小人と
いう話です。心のなかで何かを見ているときに,
心の中に小人がいて, それが見ているという考え
方をすると, その小人のなかの心ということを考
えていかなければいけないから, 無限後退に陥る,
という矛盾があるわけですけれども, そういうこ
とと同じことになってしまいます。
ミンスキーは一元論に近い考え方です。心をも
っていない, かなり単純だけれどもニューロンよ
りははるかに複雑な機能をもったある小さな情報
処理システムを考えて, それをエージェントと名
付けるわけです。けれども, この心をもっていな
いエージェントたちが非常にたくさん集まると,
我々が外から見ていて心の機能だと思えるものが
発現してくる。ですから, 心というのはエージェ
ントたちの集まりによって発現してくるエマージ
ェントプロパティーである, といえます。
心の機能というのは, 何かひとつ, 例えば, 精
神科で問題になる「自己というもの」が心の中に
存在しているのではなくて, いろんなエージェン
トたちのお互い関係しあった活動によって現れて
くる何かが自己として我々に認識されている, と
いう考え方をするわけです。
3 いろいろな心理機能とエージェント
心の情報処理モデルをネットワーク的な考え方
で作っていこうというアプローチの親玉がミンス
キーという人なんです。このあいだ, 日本国際賞
というのをもらった人で, M I T に人工知能研究
所と, メディアラボラトリーというのがあり, そ
この教授をしている人です。
心の情報処理モデルを考えようとしたときに,
いろんなやり方があるわけですが, 心の機能の一
部分, 例えば, 言語なら言語というのを取り出し
て, 言語のモデルというのを考えていく。あるい
は, 記憶のモデルというのを考えていく。記憶だ
って, もちろん中にはショートタームの記憶と口
ングタームの記憶といろいろあるわけですが, そ
の一部分だけを取り出してそのモデルを考えてい
く, というのが普通のやり方だと思います。とこ
ろが, ミンスキーのソサエティ・マインドモデル
というのは, 心のいろんな機能を包括的に取り扱
えるような, 非常にグローバルなモデルを考えて
いるわけです。そういうことをしようと思うと,
ものすごくたくさんの機能を扱わなければならな
い。
例えば, 自己, 個性, アイデンティティーとい
うような人格心理学的問題, それだけではなくて,
例えば, 問題と目標一認知心理学では問題解決と
いわれている分野ですがー, そういうことも当然
扱わなければいけないし, あるいは記憶, 空間の
認識, 意味の学習, 意識, 感情など, コンピュー
タの人工知能をやっている人たちではほとんど誰
もやっていない問題も扱います。発達, 推論, 言
語の問題も扱います。特に言語の問題を扱うとき
に, 例えば, コンピュータに日本語の文章を入力
して, その意味を理解させようとしたときに, 何
が大きな問題になるかというと, 文脈とあいまい
さです。例えば, 道案内をするロボットを作りた
いときに, 永田町の駅にはどう行けばいいのです
か, とロボットに訊ねたとき, その文の意味を口
ボットが理解するには, ロボットとしてはどうい
うメカニズムをもっていなければいけないか。い
ろいろありますが, ひとつには, どういう場面で
もってそういうことが言われているかということ
が, 意味を理解するのに非常に大切になります。
それが文脈ということです。言葉というのは意味
があいまいである, というのが本質的なんですが,
そういうことも考えなければならない。
それから, ちょっと特殊な言葉がでてきます。
例えば, エージェントと他のエージェントがどう
いうふうにコミュニケートするのかを考えたとき
に, いろんなやり方がある。例えば, あるエージ
ェントは決まりきった情報を常に他のエージェン
卜に与えるということをする。そういうエージェ
ントに名前がつけられていて, 「ノーム」と呼ば
れていますが, こういうのは全部ミンスキーの造
語です。このノームがさらになんとかノームとい
う風にいろいろ名付けられています。エージェン
トのコミュニケーションの仕方, エージェントの
扱う情報によって, いろんな言葉を定義して, そ
れでモデルを作っていくわけです。
それから, 検閲エージェント。これは「センサ
ー」です。センサーというのは, フロイトが検閲
機能という言葉で使ったのと似たようなことです。
あるエージェントの働きを別のエージェントが抑
制するような働きができるようになっている。そ
のときに他のエージェントを抑制するようなエー
ジヱントのことを, センサー(検閲エージェン
ト) というふうにいっています。ジョークという
のはフロイトもずいぶん研究したものだと思いま
す。「ジョークというのはどういう役割をもって
いるのか」ということを検閲エージェントの働き
でもって説明しようということです。こういうこ
とは, いわゆるロジックの人工知能とか, そうい
う分野では全く扱われていない問題です。
あとは, 比喩の問題。例えば, 二歳くらいの子
供でも, 丸い財布があったとして, その財布を食
べる格好をして, 僕ハンバーガー食べちゃうんだ
よ, と言うことがあります。これはひとつの比喩
です。そういう比喩の使用は相当早くから発現す
るわけです。比喩の役割はどういうものであるか。
ミンスキーは, 比喩の役割を非常に重視している,
と言えると思います。
ミンスキーの『心の社会』は三十章あって, 各
章だいたい八つとか十個くらいの節に分かれてい
まして, それがすべて1 ページになっていて, 見
やすくなっています。実はそれは, 各ページが工
ージェントになっているというメタファーを使っ
ているわけです。一頁を読んだのでは, 心のこと
は何も書いていない。エージェントが心をもって
いないのと同じように, 一頁読んだのでは, 心に
ついて何もわからないけれど, 全体を眺めると,
心になっている一一こういうモデルになっていて,
そういう比喩を使って本にしてあるわけです。こ
の本は節の数が370 くらいあります。非常に大雑
把にいって, エージェントが370 個くらいあって,
その間がいろいろに関係づけられていて, これ全
体で心の社会のモデルになっている, そういう本
です。
4 . 階層的になったエージェント
複雑な機能を保証
この本の内容の中心をなすのはエージェントと
は何者か, ということです。よく我々が使う言葉
で『積木の世界』というのがあります。これは,
例えば, 生理の人や病理の人が細菌とか, ニュー
ロンとか, 非常に小さなものを使って, 一般的な
論理を生みだすのと同じように, 人工知能をやっ
ている人は, 現実の世界を使うよりも, 人工的な
非常に簡単な世界でもって, そこで知能というの
がどう働いているかということを研究するわけな
んです。そこで典型的につかわれるのが「積木の
世界」です。世の中に積木しかない, 積木を, 例
えば, ロボットが場所から場所へ移すにはどうし
たらいいか, というようなことを考えるわけです。
バラバラになった積木を積み重ねるという問題
を考えてみます。そういう問題をやるのに, ビル
ダーといいますが, 積木を積む, そういうエージ
ェントを考えます。この作り屋さんが積木を積む
ためにはどういうエージェントを働かさなければ
いけないか。「はじめる」, 「加える」, 「終わる」
一何か仕事を始めるためのエージェントと, 積木
を加えていくためのエージェントと, 終わるため
のエージェントー, この三つがなければならない。
この三つを働かせないといけない。こういうふう
に, エージェントというのはこれはものすごく
簡単な例で, 本当はもっと複雑ですがー, 階層的
な構造になっている。上のレベルのエージェント
と下のレベルのエージェントがいる。それが重要
です。
この「加える」というエージェントだけをとっ
てみても, その下がさらに分かれていて, 例えば,
積木を見つけて, それから手に持って, それから
置く, と分けることができる。手にもつ, という
のにも, その下に, つかむとか, 持ち上げる, と
かに分けることができる。手の下の「つかむ」と
いうエージェントが働くためには, 筋肉がどうい
うふうに働かなけれぱならないか。「つかむ」た
めには, 人間の場合, 指の筋肉を動かすためのエ
ージェントが別々に必要で, さらに筋肉と関節と
を協調的に制御するシステムが必要です。そうい
うふうにどんどん階層的にこまかくなっていきま
すが, ひとつひとつのエージェントをとってみる
と, 心の全体の機能とは全然関係がない。例えば,
指の関節を動かすだけ, そういうような小さな働
きしかしない。そのいちばん下のほうは特に小さ
なはたらきしかしない。上になるに従って, 例え
ば, 作り屋, ビルダーというエージェントという
のは, これはかなり大きな, 積木を積むという仕
事をする, こう考えるわけです。
階層的になったエージェントは, エージェント
全体でもって積木を積むという仕事をしているわ
けです。この仕事の機能に注目したときに, この
エージェントの集まりに「エージェンシー」とい
う名前をつけます。エージェンシーというのは,
エージェントという個別的なものではなく, エー
ジェントの集まりが何かの機能を代表していると
きに, その機能のことをエージェンシーといいま
す。
構造としてはこれだけのことで, エージェント
の中身が何かということは, その個々の機能に依
存しているわけです。エージェントとエージェン
トの間の結合, これはもちろん神経の結合ではな
く, 機能が関係しているということです。機能の
関係というのは, これもメタファーですが, コミ
ュニケーションという言い方をして, エージェン
ト間のコミュニケーションをとっているという考
え方を使います。
これが基本的な心の社会の考え方で, 非常に簡
単な考え方だと思われるようですが, こういうモ
デルでもってロボットを作ろうとすると, すべて
をプログラムでもってロボットに入れておかなけ
ればならないのですから, たいへんなわけです。
プログラムは「作り屋」がやることをいちいち細
かくやらなければならないのですから。
5コンピュータサイエンスヘの影響
ちょっと脱線しますが, ミンスキーの心の社会
の考え方というのは, エージェントがたくさんい
て, その間のコミュニケーションがとられている,
そういう情報処理モデルを考えたときに, 個々の
エージェントとか, 個々のコミュニケーションは
非常に簡単なんだけれども, それ全体の動きを見
ていると, 非常に複雑。これだけのことを, コン
ピュータサイエンスのほうに取り出したモデルを
マルチエージェントシステム, あるいはマルチエ
ージェントモデルといいまして, これはコンピュ
ータサイエンスのほうの今最先端の話題になって
います。これはやはりミンスキーのこの考え方か
ら出発して, それをコンピュータサイエンスのほ
うで洗練させているわけです。「心の社会」とい
う本はコンピュータのほうでも大きな流れの源流
になっています。
コンピュータのほうではネットワークシステム
というのが流行していまして, 例えば, いろいろ
な研究施設にコンピュータがバラバラに置いてあ
る場合, それらをネットワークで結んで, 情報交
換が自在にできるようになっています。そういう
システムを計算モデルとして考えるときには, ひ
とつひとつのコンピュータをエージェントと考え
て, その間のコミュニケーションを考えればいい
わけで, それはマルチエージェントシステムでも
ってモデル化することはできる。これがコンピュ
ータサイエンスの最近の流れです。
さきほど, サイモンさんがノーベル賞をとった
といいましたが, サイモンさんのサーチモデルと
いうのは, ひとつのシステム, ひとつのエージェ
ントが試行錯誤的な探索をするモデルになってい
ます。だからこれは, サーチメタファーです。こ
れに対してミンスキーの考え方, あるいは分散的
なエージェント間のコミュニケーションというモ
デルのことを, ソサエティメタファーといってい
ます。だから, 脳とか心のモデルという意味だけ
ではなく, コンピュータネットワークの分野でも
ソサエティという考え方が出てきています。組織
論的な社会学者とかの考えを取り込もうという動
きがずいぶん出てきています。
6 記憶
この本では記憶の問題をこのモデルでもって,
どう片づけるかについてもふれています。記憶と
いうのはコンピュータだと普通は, アドレスとデ
ータとあって, アドレスを何番地と指定すると,
データがここに入っている。これがたくさん並ん
でいる, これがノイマン型コンピュータの記憶で
す。ミンスキーのモデルでは, 記憶というのをも
っと分散的なモデルでもって扱う。どういう記憶
の仕方を考えるか比喩的に言うと, 例えば自転車
の修理の仕方を記憶するというとき。手に赤いペ
ンキを塗りたくってしまって, それで自転車を修
理すれば, 修理した部分は触ったときにすべて赤
いペンキが付く。これを頭の中に写し替えて考え
ると, 何かを記憶しようとしたときに考えた(意
識的に考えなくても記憶は残りますが) ときに,
いろんな情報を使ったり, いろんなエージェント
を使ったりするわけです。使われた小さなエージ
ェントたちにみんな赤いマークが付く。ある仕事
をしたときに, どのエージェントを使ったか, マ
ークしておく。するとマトリックスができるわけ
です。このマトリックスのことをK ライン( K
はk n ow l ed g e , 知識のK ) という。これもミン
スキーの造語です。こういう形でもって記憶がな
されるというふうに考えます。
これもずいぶん簡単だと思われるかもしれませ
んが, 例えば, 同じ仕事を二回やったときにどう
いうふうに強化されるかとか, どういうふうに検
索されるかとか, そういうことは別に考えなけれ
ばいけない。K ラインというのは, 心の社会の
理論のなかでもかなり重要な概念になっています。
これもちょっと脱線ですが, このK ラインと
いう考え方を使ってこれまでとは全く違ったコン
ピュータを作ろうということがM I T で行われま
した。演算装置が六万台以上のコンピュータとい
うのが作られました。コネクションマシンという
名前ですが, それは日本では今一台しかありませ
ん。そのコンピュータのもとの考えになったのが
このK ラインです。
記憶に関しては, 工学屋ですと, 入力と格納,
記憶データの保持, 検索(出力) , こういうこと
を考えるわけですが, 心理屋は, たとえれば, 保
持されているときに, 記憶の性質はどう変わるか,
そういうことも考えなければならない。特に認知
心理学のほうで問題になるのは, 「忘却」という
現象です。忘却が物理的なものなのか, それとも,
他の情報が入ってくることによってインターフェ
レンス(干渉) が起こって検索できなくなるとい
うことなのか, これはずいぶん議論があって, 私
は両方だと思いますが, インターフェレンスとい
う考え方のほうがむしろ強いかと思います。忘却
を心の社会のモデルの上で実現する。そうすると,
やはり, インターフェレンスの考え方でいくわけ
です。
あるところがマークされる, ということは, 何
かの情報が記憶されたということです。別の情報
が記憶されると, その上にかぶせてまたマークさ
れてしまう。そのときに, ( ここがミンスキーら
しいところなんですが) , もちろんかぶせて, 赤
の上に青を塗ったから青になってしまった, とい
うそういう簡単なことではなくて, 今までにマー
クされたエージェントと, それから新たにマーク
されるエージェントの間にコンフリクト, 「争い」
が起こる。赤と青とどちらが勝つか, そういうこ
とです。この争いのメカニズム自体を神経科学的
にいっているわけではないのですが, エージェン
ト同士の争い, それから妥協, という考え方をし
ます。
例えば, エージェント同士を仮に抑制性の結合
で全部結ぶと, どこかのエージェントが優勢にな
ると, 抑制性ですから, ここが活性化されればさ
れるほど, 他が抑制されますから, 他が負けてく
る, ということになります。こういうメカニズム
を利用するわけです。
7 . 発達
ミンスキーは発達に関する節のなかで, ピアジ
エに言及してまして, ピアジエの有名な量の保存
に関する実験, つまり, 高さの違う二つのコップ
に同じ水量を入れておいて, どっちが水が多いで
すか, と聞くと, 高いほうをいう。これは, まだ
発達段階にあり量の保存ができない状態, 成長す
ると, ちゃんと言えるようになる, という劇的な
実験結果をピアジェが出しましたが, これは結局
高さという次元と, 幅とか広さという次元の, ど
っちを優先するか, その優先順位がほぼ生得的に
決められているからと説明しています。
そうすると, そこに高い, というのと, 細い,
という次元があり, どっちの次元を優先するかと
いうことになります。どっちを優先するか, とい
うことが, どっちも優先しないとなればいいので
すが, それがないと, どちらかを優先してしまう
ことになります。それが小さい子供の場合である
わけです。発達というのは, マネージメント, 管
理エージェントがその間に入ってくる, それを発
達であると考えるわけです。どっちも優先しない
ように管理する。それが挿入されるのです。これ
をひとつの例として, ミンスキーのいっている発
達というのは, 知識が増えていくというよりは,
むしろ知識をコントロールするための知識が増え
ていくというふうに考えたほうがいい。管理エー
ジェントというのがそのひとつの現れだというわ
けです。ミンスキーはそれをパパートの原理とい
っています。パパートというのはそれを言い出し
たM I T の先生の名前です。
エージェントの間の通信機構みたいなもの, そ
れをコントロールするためのエージェントが発達
するというのが, 発達のいちばん大事なところで
す。これをもうちょっと一般化して考えると, コ
ントロールとか, プロセスという概念です。こう
いう概念は, 神経生理学からは出てきにくい考え
方です。なぜなら, この概念は時間に関係したダ
イナミックな概念であり, 見ていて見えるもので
はないからです。つまりまったくの仮説的なもの
で, こういう概念でもって現象を見れば, 説明で
きるということだけです。ひとつの時間的なメカ
ニズムがどういうふうに発現してくるのかという
ことをみつけるのは非常に難しい。メカニズムを
明らかにするのは, やはりコントロールとかプロ
セスという概念が大事になってくる。
エージェントというのは, ネットワークのひと
つのノードというよりは, ひとつのプロセスと考
えるほうが適切です。エージェントが動いて, 実
際なにかの情報処理を実行するということが重要
です。
言葉の例。ミンスキーの考え方というのは, ひ
とつひとつの単語がコントローラーになっている
というもの。ひとつひとつがエージェントの役割
をしていると考える。いわば何かの情報処理を実
行するプロセスの役割を担っていると考える。例
えば, T H E …… というのを読んだとき, T H E
というのが定冠詞だということがわかるのではな
く, T H E というのは, 何か特定のものをさす意
味をもっているから, T H E のあとには何がくる
べきかとか, そういうことを推測するとか, そう
いう情報処理を実行するのがT H E という単語で
あると考える。特に重要なことは, T H E …… と
読むと, この単語の意味だけではなくて, 次に何
がくるかということを予測( ミンスキーは期待と
いっています) する, 例えば, T H E のあとには
名詞がくるだろう, そういうことが, T H E を読
んだ時点でわかってしまう。
8 . フレーム
構造化された知識
期待という考え方は, 視覚系においても成り立
つということを, ミンスキーは強調しています。
例えば, 立方体の箱を見る。そのときに, それを
回転させたときにどういうふうに見え方が変わる
だとか, あるいは自分が動いていくと見え方がど
う変わるかということを我々は動かなくても予想
することができる。それがわかるためには, 何か
を期待できるための知識をもっていなければなら
ない。そういうことと, さっきのT H E のあとに
何がくるかという知識をもっていることは, 枠組
みとしては同じことであるというふうに考える。
従って「期待」ということができるためには, 相
当量の知識をかなり構造化してもっていなければ
ならない。その構造化された知識, あるいは知識
の構造のことを, ミンスキーの言葉でフレームと
いいます。フレームというのは, 例えば大きな四
角いものがある, というだけでは何だかよくわか
らないが, そこが教室であるとわかれば, 黒板で
あるということがわかる。教室に関するフレーム
構造の知識をもっていれば, その中にこういう夕
イプの四角いものがあれば, それは黒板であろう,
そういう期待をもつことができる。こういう考え
方をします。
フレームの考え方というのは1975 年にミンス
キーが出したものです。いまは人工知能のシステ
ムで, フレーム的な知識構造をもっていないもの
のほうが珍しいくらいです。
非常にたくさんのエージェントを非常にうまく
結合して, 他のエージェントを抑制する検閲エー
ジェントや自分との結合を抑制する抑制エージェ
ントでコントロールがなされています。エージェ
ントというのは, もともと機能に関する概念であ
って, 物理的な構造の概念ではありませんが, 八
つのエージェントを立方体の頂点に置いて, 六十
四個のエージェントができる。その64 個のエー
ジェントをさらに立方体の頂点に置いたものを考
えていくと, どんどん何度も繰り返していくと
6̃ 10 回で十億くらいはすぐいってしまう。だか
ら, 割りにコンパクトな結合関係でもって十億の
エージェントを構造化することができる。全部が
全部につながっているとしたら, その結合は莫大
なものになるが, ミンスキーの考え方というのは,
エージェントの塊があったら, その塊から別の塊
との間の結合というのはかなり粗である, という
ものです。
9 . 心のモデルをめざして
埋めるべきギャップ
さらにミンスキーが書いているのは, こういう
構造はどういうふうに進化してきたかということ
です。脳の構造はおりたたみ構造をもっていて,
その間の結合関係を理解することは可能である。
はじめはエージェントたちの塊はそれほど多くは
なかったけれど, 折りたたまれると, 近くの結合
ができるようになる。そういうことが結合を非常
に複雑に進化させてきたのではないかと言ってい
ます。
心の社会のモデルというのは, 一番結びつきや
すい生理学の仮説, 当然機能局在論になります。
つまり, ひとつひとつの細かい機能をエージェン
シーみたいなものと見なせば, いまの話がダイレ
クトに結ぴっくのではないか, と考えます。ただ,
それはちょっと飛躍があり, まだ神経生理学の機
能局在仮説というのは, かなり細かいレベルの話
になっています。機能局在でよくわかっているの
は, 神経生理のほうだと, 視覚系の機能というの
はかなり判っているわけです, 視覚第一次野あた
りの構造というのはかなり判ってきていると思い
ますが, 今日の話と視覚系の細かいところの話に
はずいぶん飛躍があると考えられる。ミンスキー
の話というのは, 意識がどうしたとか, 感情がど
うしたとか, そういうかなりハイレベルな話をし
ていまして, 細かいところの話というのは「心の
社会」にはほとんど何も書いてありません。
ところが, レペルという考え方がまた別にあっ
て, エージェントの階層の下のほうでは, 視覚系
の局在化されたいろいろな機能を考えることがで
きて, それをうまく階層にして積み上げていけば,
あるところで「見え」( あるいは形態の概念的な
理解, これがリンゴだとかいう) というものが現
れてきて, それがさらに「期待」に結びついてい
て, それで実際に我々が空間を認識しているとき
の空間の理解ということになってくるのではない
かと思われます。
ミンスキーの本では, 神経生理の非常にハイレ
ベルのところと, 今の心の社会の非常にローレベ
ルのところのギャップは埋められていない。ここ
をどう埋めるかということが, これからのひとつ
の課題と考えられます。これが埋まれぱ, もしか
したら脳と心というのがある程度結びついてくる
かもしれない。まだまだここにはギャップがあり
すぎて, その結果ミンスキーの心の社会論という
のは, 神経生理からすると, 単なるお話に過ぎな
い。ただ, ミンスキーはもちろんそういうことは
知っていてやっているので, いずれは自分の考え
ているエージェントという概念の範躊に, いま神
経生理でやられているようなモデルが入ってくる
だろうということは考えの中に入っているだろう
と思われます。
もうひとつは, 機能局在ということになると,
どこかの部位が壊れるとどういう症状が起きるか
という問題になる。これについては, ミンスキー
はほとんど何もいっていません。これも, 難しい
のは, 何か障害を受けた人の行動が, ある局部的
な損傷だけでもっておこってきているものなのか
どうなのか, これは実はよく判らないわけです。
心の社会論でも, エージェントたちの間の結合関
係というのは非常に複雑で, ひとつのエージェン
トの機能が低下したときに, 他のエージェントに
どういう影響があるかというと, これはいちがい
には言えないことです。ただネットワークの絵を
かいて, ひとつが消えたから残りはどうなる, と
いう話ではすまない, もっと深い部分で考えてい
かないといけないと思います。

現代の大学生における自己愛の病理

現代の大学生における自己愛の病理
生地 新

心身医・2000 年3 月・第40 巻第3 号
〔抄録〕
大学の保健管理センターに来談する学生たちの中で, 自己愛の病理が周題となるケースが増えてきたという印象がある. 典型的なケースは自己愛人格障害であるが, 摂食障害, スチューデント・アパシ一などでも理想化された自己像が問題となることがある. 彼らの万能で尊大な自己像の背後に, 傷ついた無力な自己像が隠されている. 今回は, 摂食障害の女子学生と自己愛人格障害の男子学生の症例を検討し, その自己愛の病理を明らかにし, 精神分析的精神療法の立場から考察した. 自己愛の病理を示す例の個人精神療法においては, 初期には穏やかな陽性転移を維持し理想化を引き受け, その後, 自己愛的な自己像を明らかにし, それを徐々に手放し現実的努力によって自尊心を向上させる方向へ導くという手順が有効と思われる.
■ Keywords : 自己愛, 精神病理, 精神療法, 摂食障害, 学生

はじめに

わが国で大学生のメンタルヘルス上の問題が注
目を浴びるようになったのは, 1971年に笠原1)が
スチューデント・アパシーという概念を紹介した
ことが一つのきっかけと考えられる. それ以前に
も大学生の自殺や無気力などのメンタルヘルス上
の問題は存在したが, 学生の内面の問題が注目さ
れるようになった背景には, この時期が学園紛争
や全共闘運動が終焉した時期であったということ
が関係していたと思われる. 政治の季節が終わり,
目的を見失った若者の姿の典型として, スチュー
デント・アパシーという概念は, 大学の保健管理
センターや学生相談室を中心に広く受け入れられ
た. それから四半世紀の時が過ぎ, 現代の大学生
の特徴を端的に表すキーワードがあるとしたら,
それは「自己愛的」という言葉ではないかと著者
は考えている. 著者が大学の保健管理センターで
非常勤の学校医として仕事をするようになって7
年になるが, その短い間でも, 学生たちの悩み方
がかなり違ってきたという印象をもっている. そ
の印象の中心は「自己愛的」ということである.
かつてのスチューデント・アパシーも遡ってみれ
ば自己愛の問題をはらんでいたといえるが, 最近
来談する学生の多くは, 他者の存在を実感できず,
自己愛的な空想の世界を生きているようにみえ
る. 本稿では, そうした学生の臨床例を示し, 治
療的な対応の仕方について考察したいと考えてい
る.

山形大学におけるメンタルヘルス活動の概要

著者の, 学生のメンタルヘルスに関する活動の
場である山形大学保健管理センターについて簡単
に述べる。当センターは, 常勤のスタッフは内科
医1 名, 臨床心理± 1 名, 看護婦3 名, 事務官2 名
という体制である。メンタルヘルスに主に関わっ
ているのは, 常勤の臨床心理士と, 嘱託の臨床心
理士 1 名, 精神科の学校医2 名である. 精神科の
学校医はそれぞれ月1 回センターに出向くだけ
で, その間に精神科医による対応が必要な時は,
山形大学の附属病院に直接連絡がある. メンタル
ヘルス関係のマネジメントは, 常勤の臨床心理士
が一手に引き受けているという状況である. 新入
生に対しては, 心身の自覚症状をチェックする健
康調査を行い, その調査で精神的な健康面の相談
を希望する学生には, 5〜 6 月にかけて臨床心理士
または精神科医による面接を施行している. 心身
医学的には. 所長である常勤の内科医や精神科医
以外の学校医との連携が今後の課題と思われる.
メンタルヘルスに関わる自発相談は, 平成9 年度
では年間75 名で, 男性が44 名, 女性が31 名で
あった. 学部別・性別の内訳は, 表1 に示したとお
りである. この数字には前年度からの継続のケー
スも含まれており, 新規のケースはもっと少ない.
新規のケースは, 年間約40 件で, そのうち精神科
医に依頼されるのは約10 件である.
平成9 年度の相談例のうち, 医学的な診断がな
された例の診断名の内訳を表2 に示したが, 神経
症が最も多く, 精神分裂病, 摂食障害, 境界型人
格障害という順で, 狭い意味の自己愛型人格障害
は1 例のみである. ただし, このような医学的な
疾患分類とは別に, 自己愛の病理が問題となる
ケースはもっと多いと思われる. 具体的には, 摂
食障害, 境界型人格障害, いわゆるスチューデン
ト・アパシーなどのケースでも, 自己についての
自己愛的空想や自己愛的な性格傾向が問題となる
ことは少なくないと思われる.

症例
【症例A 】神経性食欲不振症. 女性, 初診時年齢
18 歳
実家の家族構成: 母方祖母, 父母, 年子の妹, 5 歳
下の妹の6 人家族である.
生育歴: 幼少時は, 主に母親が養育していたが,
仕事に出ている時は祖母が世話したということで
ある. 母親の記憶によれば, 幼少時の発育・発達
には特記すべきことはなかったという. また, 小
中学校の頃は, 自己主張は少ないが, 頑張り屋で
几帳面・完全主義の傾向もあったという. この頃,
父親の勧めで柔道を習っていた. 「父の期待に応え
られるような男の子になりたいという願望を小学
生の頃から抱いていた」と患者は治療の中で述べ
たことがある. 母親からの情報によれば, 中学生
の頃に, 家族外の信頼していた男性に体を触られ
るという性的な外傷体験があったという.
現病歴: 高校2 年生の頃, 学校で食品添加物の
研究をした頃から, 食べ物の成分が気になるよう
になり, 食事量が減少した. 睡眠時間を減らして
勉強したり, 自衛官になるという目標を立ててい
たが, 体重は35 k g まで減少してしまった. このた
め, B 病院婦人科を受診し短期間入院した. 退院
後また体重減少し, 6 ヵ月後にC 病院神経科に入
院し, 4 ヵ月で体重回復し退院した. しかし, 再び
体重減少し, 大学受験後, 再入院した. 経口栄養
剤とI V H で体重回復したため1 ヵ月で退院とな
り, 進学のため大学の保健管理センターとD 病院.
精神科に紹介された.
治療経過: D 病院には2 週に1 回外来通院し,
何とか体重は維持していたが, 急なキャンセルが
多く, 1 年後, 無断キャンセルの後に連絡がなく治
療中断した. その後, 実家に帰省した時にはC 病
院に通院していたが, 19 歳3 ヵ月で体重が30 k g
まで減少して, C 病院に1 ヵ月入院後, D 病院から
の通学を目的に転院となった.
転院後, 一時体重2 5 k g まで減少し, 中心静脈栄
養施行後, 身体的な看護を受けている過程で経口
摂取が可能となった. その後退院し, 保健管理セ
ンターと大学病院で面接している.
入院中と退院後の精神療法の中で, 次第にA の
理想化された誇大な自己イメージが明らかになっ
た. たとえば, 「自分は完璧な正しい人間だと思っ
ていた」「やせていることで人にない優れたものを
もっていると感じられる」「自分は自分も他人も完
全にコントロールできると感じていた」といった
ことが語られた. 治療が進展する中で, 「今まで周
囲の人を自分の思うように動かせると思ってきた
けど, 先生は違う」ということを語るようになっ
た. 退院の2 ヵ月後の面接では, 「自分は自分の醜
いところを見ないようにしてきた. 悪いことをし
ても観念で処理して何も感じないできた」「自分の
中に膿がたまっているように感じてつらい」と
語った. 気分が落ち込むことも増えてきたが, そ
の一方で生きているという実感が少しずつ感じら
れるようになったと言うようになり, 面接をキャ
ンセルすることも少なくなった.
治療の中では, A の自己愛的な自己イメージを
理解し, それを壊してしまう不安に共感しながら
も, そのような自己イメージが現実の世界で人と
触れあうことや自分の能力を高めることを邪魔し
てしまっていることも繰り返し指摘した. 現在は,
無力な自分, 自分の中の悪ということに少しずつ
直面できるようになっている.

【症例B 】自己愛人格障害. 男性, 来談時20 歳
実家の家族構成: 父方祖父母, 父母, 妹1 人の6
人家族である.
生育歴: B からの情報によれば, 幼少時は主に
母親が養育していたが, 仕事に出ている時は祖父
母がみていた. 幼少時の発育や知的発達には特記
すべき問題はなかったらしいという. しかし, 幼
児期から嫁姑の問題などで母親が精神的に不安定
であったようである. 母親はB に八つ当たりする
ようなことも多かったという. このため, 小学校
中学年の頃からB は親, 特に母親に反抗的になっ
ていた. 中学・高校時代は成績も良く, スポーツ
も万能なために, 学校での評価は高く楽しかった
と本人は回想した. また, 中学の頃から女子にも
てたということである.
現病歴: 大学は, 何となく決めたが, 入ってみて
がっかりしたという. 入学してからサークルで知
り合った女性と交際するようになり, 同棲に近い
生活をしていたが, 2 年の冬に感情の行き違いが
増えてきて別れた. B は, 関係をとり戻そうとし
たが拒否された. このため, 抑うつ的となり死に
たい気持ちも強くなって, 保健管理センターに来
談した. そして, 臨床心理士のカウンセリングを
受けていた.
治療経過: 保健管理センターに来談した1 年
後, 精神科の学校医から抗うつ薬の投薬と隔週1
回の支持的精神療法を受けるようになっている.
その頃は, 別の女性と交際を始めていたが, 前の
女性のことが今でも頭にあること, 性的な関係が
あっても, 自分の内面をみせることにためらいが
あり, 安定した関係にならないことが話題の中心
であった. その1 年後から現在まで1 年間, 週1 回
の精神分析的精神療法を受けており, うつ状態に
なることはなくなり, 現在の交際相手との関係も
比較的安定しているが, 「体験をダイレクトに感じ
取れない」「自分のことを笑い話にしてしまう」と
いうことが治療の中心テーマになっている.
この学生の診断は, 自己愛型人格障害としたが,
参考までにアメリカの精神医学会の診断基準であ
るD SM -IV の基準を表3に示す. 診断基準だけ読
むと, こんな人がいたらとてもいやな人物だと誰
もが思うかもしれない. しかし現実のB は, 人
当たりはよく, 感じのよい青年といえる.
この学生の精神療法の過程での自己愛に関連す

表3 自己愛型人格障害の診断基準(DSM -IV)
301.81自己愛型人格障害
誇大性, 賞賛されたいという欲求, 共感の欠如の
広範な様式で, 成人早期に始まり, 種々の状況で明
らかになる.
以下のうちの5 つまたはそれ以上で示される.
1 . 自己の重要性に関する誇大な感覚
2 . 限りない成功, 権力, 才気, 美しさ, あるいは
理想的な愛の空想にとらわれている
3 . 自分が特別であり, 独特であり, 他の特別な地
位の高い人たちにしか理解されない, または関
係があるべきだと信じている
4 . 過剰な賞賛を求める
5 . 特権意識, つまり, 特別有利な取り計らい, ま
たは自分の期待に自動的に従うことを理由なく
期待する
6 . 対人関係で相手を不当に利用する
7 . 共感の欠如
8 . しばしば他人に嫉妬する, または他人が自分に
嫉妬していると思いこむ
9 . 尊大で傲慢な行動, または態度

る発言の例を列挙する. 最初の頃は「みんな馬鹿
にみえてしまいます」「僕は何をやっても許される
と思っていました」などと言っていた. 最近は,
「ジコチュー( 自己中心) とサービス精神とあるん
ですけど. なんか, 一人だけ高みにいるような感
じがあるんですね」「人がつまらない優越感にひ
たっているのをみると馬鹿にしたくなる. でも,
そういう自分に気がつくとむなしくなる」「僕は,
体験をのみ込みやすく加工してしまうんです. 独
我論のままというか」といった発言が聞かれるよ
うになった. まだ, 自分の感情を直接感じること
を避けて斜めに構える態度は, 大きくは変化して
いない. しかし, 夢の報告などを通じて自分の中
の「どろどろしたもの」を直視しようとする態度
も育ってきている.

考察

1.症例の精神病理について
A は, 小さい頃, 母親に素直に甘えたという記
憶がないという. 母親自身, 「自分の母親としっく
りいかなくて家から離れたかったが, 結局家の跡
を継ぐことになってしまった. それで自分の母親
との問題に気を取られて, この子に注意が向いて
いなかったかもしれない」と回想している. 母親
自身が青年期的な葛藤から抜け出せずにいて, 自
分を家に縛りつける存在である娘をあまりかわい
いと思えなかったようである. A には, 女は弱い
というイメージがあって, 母親を内心軽蔑し, 父
親に同一化しようとしてきたと考えられる. しか
し, 第二次性徴の発現や性的外傷体験によって,
父親への同一化が困難になった時期に発症してい
る. つまり, 彼女は女性としての自分には価値が
ないと感じることを回避するために, 「やせていて
完璧な強い自分」という理想化された自己イメー
ジをつくるために減食したと考えられる. そして,
その自己イメージを守ろうとして, 治療的な働き
かけに強い抵抗が働いたようである.
B は, 幼少期に母親が不安定であったために,
母親への甘えの感情を隔離してしまい, 怒りも他
の女性に甘え利用することで中和していたようで
ある. そして, 男性である父親を同一化すること
ができず, それでいて自分の無力感を否認し, 自
己愛的な自己像を維持していたと考えられる. そ
して, 本気で交際していた女子学生が離れた時点
で, 自分の中の無力感や低い自己評価が露呈し抑
うつ状態になったと考えられる. その後, 支持的
なカウンセリングでうつ状態からは回復したが,
何でも知性化したり笑い話にして, 優越感を保ち,
他者と深い情緒的交流ができない状態で安定して
いたのだと思われる。B の治療では, 治療者側の
自己愛的な逆転移も治療の進展を妨害したと思わ
れる. その逆転移は, 知性化された話題にのって
しまうこと, 優越感を共有してしまうこと, 話を
面白がってしまい背後にある深い無力感や怒りに
気づかないこと, などの治療者の態度に示されて
いる. このような逆転移に気づき, 誠実に傾聴を
続けることで変化が起きつつあると思われる.
これらの症例で明らかになったように, 万能感
に満ちた尊大な自己像のさらに背後に, 傷つき無
力な自己像が隠されていることが多いものであ
る. そして, そのマイナスの自己像は, ありのま
まの自分が受けとめられ見守られているという感
覚, つまり「甘え」の感覚の乏しさと関連してい
ると著者は考えている.

2.自己愛的な病理の増加の背景について
このような自己愛的な青年の増加は, 親の養育
態度や子育て文化の変化や科学技術の進歩に伴う
錯覚, 子どもを取り巻く社会の価値の変化などが
関係していると著者は考えている. 現代の日本の
社会では, 子どもたちは, 身体を通じた手触りの
ある体験や規範や伝統を伝えられるよりも, 親の
自己愛の延長として期待され, 「過保護に」育てら
れる傾向があるように思われる. 少子化がこの傾
向を助長しているとも思われる. そして, 科学技
術の進歩やエンターテイメント産業の肥大化は,
子どもたちから「歯ごたえ・手触り」の体験を奪
い, バーチャル・リアリティの体験ばかり提供し
ている. 幼児期からテレビゲームやビデオが当た
り前のものとして普及したのは, 今の大学生の年
代からである. その一方で, 微妙な「甘え」を察
知し合う文化が過去のものになりつつあるという
ことも, 自己愛の病理の増加に関係があるだろう.
現代の親子関係は, ひどくべったりした相互依存
関係か, ものを介した情緒に欠けた関係が多く
なってきているようにも思われる. こうした状況
の中で, 子どもたちは自己愛的な空想の世界に閉
じこもるようになっているようにみえる.

3.自己愛と身体
心身医学の臨床においては, 著者は, 自己愛の
対象あるいは自己愛の住みかとしての身体という
観点が重要だと考えている. 単純化していうなら
ば, 各疾患における身体に関連する自己愛の病理
は次のようにまとめられると考えられる. 摂食障
害では「完璧にコントロールされた美しい身体に
なり続けたい」という願望が病気の背後にある.
また, 醜貌恐怖では「整形して美しい容姿になれ
ばすべては解決する」 という思いこみが, 自己愛
型人格障害では「自分は美しい容姿・身体をもっ
ている」という過剰な自信が, 同性愛では「理想
の同性の身体と一体化したい」という願望がある
と思われる. もちろん, 他の神経症や心身症の背
景にも自己愛の問題が隠れていることもある. 治
療に抵抗する患者の場合, 自己愛という問題も念
頭に置くとよいと思われる. 有名なA 型行動パ
ターンも自己愛的な傾向に関連しているといって
よいだろう. 見方を変えれば, 自己愛的であるこ
とは, むしろ現代社会では適応的であり, 現代青
年の多くに共通した心理ともいえるだろう. そし
て, むしろ自己愛的な生き方が破綻した人が, 抑
うつや心気症, 心身症に陥りわれわれのもとに
やってくるという考え方も成り立つかもしれな
い.

4.自己愛の病理への対処の仕方について
現代の精神分析の世界では, いくつかの自己愛
の捉え方がある. Kohutは, 自己対象転移の理解
や共感の重要性を強調した. Kernbergは, 明確化
と直面化を技法の中心とし, 原始的防衛機制の解
釈を重視した. イギリスのクライン派のSteiner
は, 患者が逃げ場としている自己愛的な空間とし
てのPsychic Retreats の取り扱いを重視した. い
ずれにしても, 技法的には, 基本的には解釈が中
心と思われる.
著者自身もこのような精神分析のさまざまな理
論の影響を受けながら, 自己愛的な青年に対処し
てきた. そして現在の著者のこのような自己愛的
な症例に対する治療指針を述べておきたい. これ
は, あくまで試案であり, さらに推敲が必要と思
われる.
まず, 自己愛的な抵抗の丁寧な取り扱いと一貫
した誠実な態度が大切である. 具体的には, 問題
が起こるつど, 詳細に検討して本人にその問題を
フィードバックすること, 知性化・否認など治療
を無力化する自己愛的な態度を柔らかに指摘する
こと, 自己愛的な空想の内容を明らかにし, さら
に空想のもつプラスの機能と発達阻害の側面の両
面を指摘すること, 自己愛的な態度の背後の無力
感・怒り・抑うつに共感すること, 自己愛的な抵
抗や空想の由来についての解釈をすること, 自己
愛的逆転移を自覚することなどが, 技法上重要だ
と思われる.
しかし, 時にはより積極的な教育的な態度も必
要になると著者は考えている. つまり, より適応
的な目標(夢) ・適応的な思考方法を学習するよう
に援助する必要性もあると考えている. そのよう
な介入を通じて, 著者は, Winicottのいう「空想
すること(fantasying)」から「夢見ること(dreaming)」
への移行が進むと考えている.
具体的には, 知性化・空想から現実的な達成感
の獲得方法の模索の援助をすること, 現実的な行
動の奨励(正常な食習慣・登校・アルバイト・人
づきあい・おしゃれ) , 成熟した対象関係・真剣に
問題に取り組む態度のモデルを提示すること(治
療者自身がそのモデルになることも多い) , などが
技法上重要だと思われる.

おわりに
現代の青年にとって, 悩むこと, 自分の内面を
みることは格好悪いことであり, 自己愛的な自己
像を脅かされることを嫌がる. そして, 変化への
強い抵抗を示す. このような青年が心身症の仮面
をかぶってわれわれのもとにやってくることはま
れなことではない. そのような症例で, 根気強い
丁寧な精神療法以外には反応しないことかあると
著者は思っている. 最近の精神療法の流行は, 短
期間の開題解決指向の方法だと思われるが, そう
した技法で対処できない問題もあることを知って
おくことは重要である. 最も大切なことは, どん
な技法であれ, 治療をする人が自己愛的になりす
ぎないことであろう.

文献
1) 笠原嘉: 大学生に見られる特有の無気力につ
いてー長期留年者の研究のために. 全国大学保
健管理協会誌7 : 6 4 , 1971
2) 高橋三郎, 大野裕, 染矢俊幸(訳) : DSM -IV
精神疾患の分類と診断の手引. 医学書院, 1995
3)Kohut H:The psychoanalytic treatment of
narcissistic personality disorders.,1968
4)Kernberg O:Borderline conditions and path-
ological narcissism.Jason Aronson,New
York,1975
5)Steiner J:Psychic retreats:Pathological
organization in psychotic,neurotic and
borderline patients.Tavistock,London,1993
3)Winicott DW:Playing and reality.Tavistock,
London,pp31-43,1971
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