受洗の証

 キリスト教との出会いは、小学生の時でした。毎週日曜日の朝、友人と近所の教会学校に通い、分級が終わると併設の幼稚園の園庭で走り回っていました。神様を信じ、かといって強く求めることもなく、引越しを機にあっさりと教会から離れ、やがて記憶も薄れていきました。

 それから四半世紀近くがたち、子どもの保育園探しをする中で、キリスト教の幼稚園で長時間保育をしていることを知りました。幼き日の楽しい日曜日のこと、心を穏やかにしてくれる賛美歌の響き、友人と喧嘩をした夜に神様に長々とお話ししたこと、そんな淡い日々が蘇ってきました。息子の幼い日々にもそんな支えがあれば、と思いS幼稚園を訪れるとすぐに、親子揃って心が踊り、「ここに通いたいね!」と言い合いながら帰りました。  “息子のために良い幼稚園を選べてよかった”と思っていましたが、私にとっても、かけがえのない3年間になりました。先生たちやお母さんたち、そして何より子どもたちから、大きな愛の中で歩むことの歓びを教えられ、私自身が生き直しているようでした。

 息子の卒園後まもなく、私は病いを得ました。幼い子どもを思えば悩ましいことですが、一方で病いによって、自由な心、家族との関係、友人たちの支え、今まですぐそこにあって気づかなかった本当に大切なことに気づかされ、不思議にも解放されるような思いがありました。そんなときに、息子に導かれる形でのぞみ教会とのつながりを得て、やがて唐澤先生との学びの時間を与えていただきました。“たまたま”幼い頃に教会学校に通っていた、幼稚園を“選んだ”、“運よく”良き友人に恵まれた、……今まで偶然や運と自身の判断で歩んでいると思ってきたけれど、一つ一つの出会いや大小たくさんの出来事にいつも神様の恵みと導きがあったのかしら、とはっとさせられ、日々の豊かさに感謝と歓びを感じるようになりました。

 そんな自身の急な変化に戸惑い、信仰と心のありように距離や不安を感じながら、唐澤先生との学びの時間をもつうちに、ある日思いがけない瞬間に受洗へと心が向けられました。迷う私・不安な私もまた神様の計画のうちと、それまで頑なだったものがほどけていくようでした。

 今日までを回り道をしながらゆっくりと歩めたこと、その道のりにたくさんの恵みを散りばめてここに導いてくださったことに感謝して、どんなときも神様が共にいて支えてくださっていることを心に覚えながら、これからの日々を歩んでいきたいと思います。


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