今日の説教はもう少しシャープにすればよかったかなと反省するところあり。あれもこれもと欲張りすぎた感じかな。

 もちろん自分で自信を持って語ることのできた説教が必ずも会衆に届く説教であるとは限らないし、まったくもって駄目だったと落ち込む説教でも、聞き手から思いもよらないレスポンスがあったりする(説教者のあるあるだろう)。自分では反省するところの多いと思っている今日の説教からも積極的なレスポンスも確かにあって、励まされているのも事実だ。

 私は録音されている自分の説教を必ず聞くようにしている。自分の中でうまくできなかったなと思う時の説教を聴くのは気乗りがしないが、聴くと「これは不要だったな」とか一人の聞き手になるとよりよく分かる。自信のない部分で急に早口になったり、端切れが悪くなったり、自分の癖もよく分かる。時には、自分で思うよりは悪くはないのではないかと思うことある。自分の説教を聴くことで学び、感じ得ることは多い。このことが自分の説教者としての成長にどのように影響を与えているのかはわからないが、自分なりの小さな研鑽として続けている。

 説教者としての歩みも15年を数えた。力不足を感じることだらけだし、いよいよ説教の難しさ、また責任の重さや怖さを覚えるものである。自分の立ち位置、根のある言葉を語ることなど問われることは今も多くある。しかしまた同時に説教することの「面白さ」を15年の経験を経て、少しだけ思い初めたこの頃でもある。

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