2020年11月1日礼拝説教要約「今日を楽しめ」コヘレト8:8-17

「今は、人間が人間を支配して苦しみをもたらすような時だ」(9節)。コヘレトの言葉が記された時代背景をピンポイントで特定することは難しいようだが、エジプト王朝とシリア王朝が覇権を争った時代との指摘もある。戦争が繰り返された時代。権力争いと腐敗、重税が課せられ貧困にあえぐ人々が多くいたと言われる。「戦争を免れる者はない」(8節)との指摘はそのようは時代背景を映し出しているようだ。

 インターネットを介して「香港を覚えての祈祷会」が行われた。香港の若い女性牧師G先生が証をされた。教会のユースパスタ−として青年たちと共にデモの現場に立ち、デモが暴力的にならないように若者と警察の間に立ち、人々を諭しながら懸命に働いた。しかし、若者たちは傷つけられ、逮捕される。巨大な国家権力が容赦なく人々を飲み込んでいく様子をみながら彼女は「燃え尽きた」。預言者エリアがイゼベルに命を狙われ逃亡していた時に「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください」(列王上19:4)と願っていったが、それは彼女の自身の言葉となった。なぜイゼベルのような力が許され、正義は失われるのか……。もう牧師は続けられない。心は空しさでいっぱいになったという。

 「今は、人間が人間を支配して苦しみをもたらすような時だ」。権力による抑圧的な有無を言わせない構造がある。コヘレトはその中で言う。「にもかわらず、わたしは知っている。神を畏れる人は、畏れるからこそ幸福になり、悪人は神を畏れないから、長生きできず 影のようなもので、決して幸福にはなれない」(12-13節)。

 「にもかかわず」。とても小さな言葉だ。しかし決定的な言葉だ。「コヘレトの言葉」を読み解くキーワードのようにも思うし、私たちの信仰にとっても非常に大切にしたい言葉だ。目に映る世界の現実は「空しい」。へベルの世界が広がっている。にもかかわらず神を畏れる生き方こそ、幸いであるとコヘレトは語るのだ。

 G先生は空しさの中で、神に文句を言いながら過ごす日々の中で、創世記1章に記される天地創造の物語を読んだ。「神はこれを見て、良しとされた」。繰り返されるこの言葉に、先生は「良いか、悪いかの判断は、人間の主権でなく、神の主権であることを新しく教えられた」と言われた。そして、「今すぐに神の主権に従えない、自分を造り変えてください」という祈りに導かれたと証しされた。厳しい現実の中で空しさに打ちのめされながらも「にもかかわらず」神を畏れて生きようとされる一人の証に魂が揺さぶられる時だった。

 「それゆえ、わたしは快楽をたたえる。太陽の下、人間にとって飲み食いし、楽しむ以上の幸福はない」(15節)。「飲み食いし、楽しむ」とは、人間のもっとも根源的な基本的な喜び。日々の命をつなぐもっとも基本的な行為だ。主イエスの食卓を想う。徴税人、罪人と言われた人々と囲まれた主の食卓だ。イエス様の時代も「人間が人間を支配する」時だった。明日をどう生きたらよいのか、「ヘベル」の中に生きる人々が大勢いた。その中で、イエス様は共に食卓を囲む喜びを教えてくださった。今日、礼拝で久しぶりに私たちは主の食卓を囲む。あの主イエスは生きておられる! 私たちは「人間が人間を支配し苦しみをもたらす時」を生きる者たちだが、「にもかかわず」、主にあって喜びをたたえて生きるのだ。「せん方尽くれど望みを失わず」(競灰螢鵐硲粥В検法K策が尽きたとしても、「にもかかわず」のぞみを失わない! ここに私たちの教会の土台がある。この希望を、のぞみを証しよう!

【説教動画】



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