2020年11月8日主日礼拝説教要約「それでも、種を蒔け」コヘレト11:1−6

 「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見出すだろう」(1節)。青年時代に教会でよく耳にした言葉である。教会の伝道や奉仕活動とこの聖句が結び付けられてメッセージが語られた。パンを水に流す行為は無駄に思える。教会の伝道の働き手応えをなかなか得られず、働きが徒労に終わっているように思える時にも「月日がたってから、それを見出すだろう」という言葉に励まされて奉仕に励んだ。この聖句を読むと今でも同じ思いになる。

 しかし、改めてこの箇所を学ぶと1節の言葉は海上貿易を意味しているらしい。海外とパンを通じて貿易をせよということか。2節は「七人と、八人とすら、分かち合っておけ」と続く。遠くにパンを流すこと、身近な7、8人とパンを分かち合うことが勧められている。なぜなら「国にどのような災いが起こるか分かったものではない」からだ。だから、リスクを犯してでも海外との貿易を行い、身の回りの人と、パンを分かち合っておけ! そうコヘレトは勧めているのだ。すごく現実的な話しだ。「空しい」「空しい」って繰り返していたコヘレトは単なる悲観主義者ってことではなく、非常に現実を見て生きている人だと思う。

 先週の研修会において講師の松谷さんから「これだけ社会が、自分たちだけ生き残れば良いと自国中心となり、閉じられていく世界になっていく中で、教会がどうあればよいのか。そこに宣教の課題があるのではないか」という問いが投げかけられた。「あなたのパンを水に浮かべよ」「7人、8人と分かち合え」というコヘレトの言葉が響いてくる。パンとは、命である。貿易で考えればパンとは富と言えるかもしれない。また、飲んで食べることこそ幸いであると語るコヘレトにとって、パンは喜びと置き換えることができるかもしれない。あなたの命を、あなたの喜びを分かち合え! コヘレトは未来を見極めることができない、不確かな世界の中で、そのように生きることを勧めているのだ。教会の宣教の課題としていうならば、「福音」を分かち合って生きるということだ。

 あなたのパン、あなたの命、あなたの喜び。私たちにとってそれは「キリスト」にほかならない。キリストの与えてくださった命。キリストが私たちに与えてくださった喜び、キリストが私たちに分かち合ってくださった命をいまこそ分かち合って生きよという勧めに聞こえてくる。

 「朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。実を結ぶのはあれかこれかそれとも両方なのか、分からないのだから」(6節)このコヘレトの言葉を読みながら有名な競謄皀藤粥В欧慮羝斥佞頭に浮かんだ。「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」。世界が激しく激動する中で、巨大な力がうごめく中で、御言葉を宣べ伝えること、キリストを宣べ伝えること、それはあまりに小さなことに思えるかもしれない。「水の上にパンを流すような」徒労に思えるかもしれない。しかし、教会の使命は、どのような時にあっても、キリストが私たちに示してくださった神の愛を、神の救いを、神の喜びを、証し、伝えることだ。ここに人間の幸いがあり、共に生きる喜びがあることを告げよう。徒労に思うことがあるかもしれない。それでも、種を蒔け。のぞみを失わずに!

【説教動画】


【説教録音】


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