2020年11月15日主日礼拝説教要約「主われを愛す」ルカ10:23−42 
朝山正治牧師

 「よきサマリア人のたとえ」。読めば誰でも、初めて読む人でも、わかる話である。今日の話のポイントは、「愛」である。愛とは、抽象的な概念ではなく、具体的な行為、実践である。私たちは、神様に愛されて、人生の意味を与えられ、希望を見出した。私たちは、その神様の愛を伝えたいと思う。どんなに悲しい時、悔しい時、苦しい時、絶望的な、どうしたらいいか途方に暮れている時であっても、神様は変わらず、生涯、あなたを愛しておられる。私たちが出会う人たちに、そのことを伝えたい。聖書を読み、日々祈っている者として、私たちが出会う人々に、その背中を叩き、「神様は、愛なんですよ。神様は、あなたを、愛しておられるんですよ」と伝えたい。そしてそれを何とかして実際的に、具体的に伝えるために、「教会に行ってみてください」、「教会に来てください」と、私たちは呼びかけることができる。教会では、礼拝が行われ、説教が語られるだけでなく、そこには生活がある。教会で生活し、知らず知らずのうちに、空気を吸いながら、全存在的に神様の愛を受けて育っている。
 
「せんかた尽くれど、望みを失わず」。全てのものを失って、何もないところでこそ、証しができる。桜美林学園の草創期に清水安三から大切な言葉として受けた「望み」を教会の名とした。私たちには、いろいろな苦しみがある。絶望がある。誰を信じていいのか。そんな、どうしていいかわからない時でも、希望を失ってはならない。私たちが教会に召されたのは単なる偶然ではなく、神様の大きな愛の一端を証しするためである。神様の愛を知った者としての生き方を始めよう。

【説教動画】

【説教録音】




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