2020年11月22日主日礼拝説教要約「主にあって生きる」コヘレト12:9-14

 「すべてに耳を傾けて得た結論。『神を畏れ、その戒めを守れ。』これこそ人間のすべて」(13節)。人生を悩み抜き、多くの格言を吟味し、研究し、編集したコヘレトの達した結論が「神を畏れ、その戒めを守れ」ということだった。それはどういう生き方を指すのだろうか。

  NHK「こころの時代」でコヘレトの言葉を講義している小友さんはこのコヘレトの言葉の背後に非常に強い終末思想を持っていたクムラン教団に対する批判があると指摘されている。クムランの人々は「神を畏れ、その戒めを守る」ために町を離れ、非常に禁欲的な生活を送っていた。しかし、コヘレトは「わたしは知った/人間にとって最も幸福なのは/喜び楽しんで一生を送ることだ、と/人だれもが飲み食いし/その労苦によって満足するのは/神の賜物だ、と」(3:12-13)と記している。

 「神を畏れ、その戒めを守れ」。このコヘレトの言葉を私たちにその生き方で示してくださったのがイエス様だ。イエス様の時代もエッセネ派という厳格な人々が荒野で生活していた(洗礼者ヨハネはその流れにあるのかもしれない)。しかしイエス様は町を離れて生きた方ではない。むしろ町や村を巡り歩き、人々に出会われ、触れ合い、福音を宣べ伝え、癒や、飲み食いしながら神の国の喜びを教えられた。

 先週、85歳になられた朝山牧師が説教をしてくださった。後から私は録画されたその説教を聞いた。朝山先生は、キリスト教信仰はつまるところ「みなさん愛ですよ、愛」と語られた。とても心に響いた。昔、日本中会の初代牧師であった吉崎先生は90歳を過ぎた頃だったと思うが、中会50周年の記念大会の時、挨拶に立たれた。先生は、たった一言「神は愛なり。ありがとう」と言われ壇を降りられた。大先輩の牧師たちが晩年にそろって「愛」を結論的に語ることは偶然ではないのだと思う。

 イエス様はもっとも重要な掟は「神を愛すること」と「隣人を自分のように愛する」ことの2つに要約されると言われた(マルコ12:28以下)。「神を畏れ、その戒めを守る」生き方は、神を恐れてビクビクと生きる生き方ではない。神がキリストを通して、あなたを愛してくださっているその愛を信じ、自分を愛し、そして人と一緒に生きるということだ。神を畏れるとは、神を愛することであり、隣人を愛することだ。
「これこそ、人間のすべて」とコヘレトは言う。愛を離れて人間は生きていけない。神を愛し、自分を愛するように隣人を愛することなしに人間は人間にはならないということだ。これこそ外してはならない一点だとコヘレトは言っているのだ。

 有名な「マルタとマリア」の物語(ルカ10:38以下)がある。イエス様は「必要なことはただ一つだけである」と言われた。私たちは「多くのことに思い悩み、心を乱す」者たちだ。しかし、主は「必要なことはただ一つだけ」と言われる。マリアが選んだのは、「主の足もとに座って、その話に聞き入っていた」ことだ。主イエスを礼拝し、主の言葉を聴き、主の愛に生きる。これこそ、わたしたちのすべてなのである。

【礼拝動画】(録音状況があまり良くありません)



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