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 「どの言葉も、執筆者たちがいのちを注いで発信した、魂の記録です」。

 読み終えた時、魂に震えを感じながら「推薦のことば」に記された上記の言葉を思い起こした。「アーメン」である。この本は、香港における「いま、ここで」信仰を告白して生きる者たちの証言集であり、読者はこの本を通してキリストを主と告白することの意味を深く考えさせられるだろう。誤解を恐れず言えば本書は「香港における宗教改革を記録している」と私は思う。

 この本には私が15年以上交友を続けている香港のW牧師が登場する。彼はいま仕えていた教会を辞し、香港を離れた。大きな、圧倒的な圧力があるのだ。その中でW先生はこれまで運動に関わってきたことを振り返り「何も後悔することはない」と語りながら、次のように言っている。

 教会が問われなければならないのは、「いかに存続するか」ではなく、「なぜ存在するか」である。まず、我々は、「教会がなぜ存在するのか」を明らかにしなければならず、そうすることで、初めて「いかに存続するか」が分かるようになるはずだ。(78頁)

 W先生が問いかけているように、この本には「教会とは何か」という問いが通奏低音として響いている。そこには香港の教会のこれまでの教会の形、信仰の形への問いがあるのだ。その問いに信仰告白的に答えているのが「香港2020福音宣言」なのだと私は受け止めた。

 この問いは決して香港の諸教会の問題ではない。私は本書を「祈りの約束として、香港の状況を知り、祈りを新しくするために読む」つもりでいた。しかし、読み進めるうちに、祈りを新しくしつつも、「信仰告白的事態」に直面している香港のキリスト者たちから私たちの教会のあり方について、我々の信仰にあり様について、問われ、教えられる思いでいっぱいになった。

 いま、私にはマタイ福音書10章が説教する聖書テキストとして与えられている。イエスによって12人弟子たちが選ばれ、派遣される箇所だ。主イエスは弟子たちを派遣するにあたり迫害を予告された。ある者は捕らえられ、訴えられて法廷に立たされることも告げられている。その迫害の中で人々を恐れるなと主イエスが繰り返し弟子たちを励ます。そのような箇所である。

 私は、この本を読みながら、マタイ福音書10章に記されていることがまさにいま香港で起こっているとしか思えなかった。特に、本書127頁以下に収められている「セントラル占拠運動」の発起人の一人である朱耀明牧師の法廷での「最終陳述」の出来事は、主イエスが「引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である」と言われたことが成就しているとしか思えなかった。朱牧師は言う。

 まさにこの時、私の心が私にこう語りかける。法廷のこの被告席は、牧師の生涯において最も崇高な説教壇であり、死の陰の谷から霊的な高嶺へと導いてくれる場である、と。(127頁)

 圧倒的な圧力の前に希望を見失ってしまいそうになる。しかし、「人々を恐れるな」と言われる主イエスの御言葉に従って、恐れを乗り越えて主に従っているキリスト者たちがいることを教えられた。

 この本は、信仰を告白して生きる者たちの証であり、「魂の記録」である。そして何よりも、この本は、希望の書である。なぜなら、神がいまも生きて働かれ、一人ひとり語りかけてくださることがこの本に証されているからである。

 ぜひこの本を手にとり、一人でも多くの人に読んでいただきたい。私たちの信仰が新しくされる経験をするだろう。本書を訳してくださった松谷曄介牧師に心から感謝したい。






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