2021年1月31日礼拝説教の要約「働き人募集中」マタイ9:35-10:15

 イエス様は十二人の弟子を呼び寄せて、「天の国は近づいた」と福音を宣言すること、病人をいやしことなどこれまでご自分がしてきた働きを委ねられた。その働きに送り出すにあたりイエス様は「帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない」と命じられた。ルカ福音書では「何も持って行ってはならない」(ルカ9:3)と言われている。
10年程前、約一ヶ月アメリカとブラジルで生活をする時があった。着替えや食料品をはじめ、あれやこれやとスーツケースに詰め込んでいたら大変な量になり、重たくて移動に苦労した。心配で詰め込んだ多く物はほとんど使わなかった。

 これから出かけて行く先で、何がある分からない不安に備えたのがわたしのトランクの大きさになった。わたしの抱えていた大量の荷物は不安の表れだった。主イエスが宣教の旅に弟子たちを送り出すにあたり、「何も持って行ってはならない」と命じられたことは、弟子たちに無謀な旅を強いる言葉ではなく、不安を抱えて出かける必要ない、ということだ。「何も持って行かなくても、旅先ですべては満たされる」必要なとき、必要なものを神様はちゃんと備えてくださる。「働く者が食べ物を受けるのは当然である」様が与えてくださる。だから心配せずに出かけなさいということだ。教会の宣教の働きは、自分たちの力、自分たちの備え、自分たちの財力で進めるのではない。もちろん、お金がいらないとか、奉仕者は不要だとか、そういう意味ではない。宣教の働きは、一切を主に頼って、主に求めて行うことだということを、イエス様は弟子たちに教えられたのだ。

 国立のぞみ教会は今年、宣教開始60年を迎えた。なお小さな群れである。力も、お金もそれほど十分にあるわけではない。コロナのこともあり、計画を立てることもままならない。いま、私たちが大切にしなければならないことは、杖を用意し、袋をこさえ、お金を持つことではない。私たちがいま聞かなければならないのは、旅には何も持って行ってはならない、という主の派遣の言葉だ! そうでなければ、だれが「病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払」う働きなどできようか。そのような力は私たちにはないし、自分たちの力でイエス様の働きを引き継ぐことなどできない。

 しかし、イエス様が小さな弟子たちにそれに打ち勝つ力を与えてくださっている。「イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった」。主イエスが授けてくださった権能こそ、教会が派遣される根拠なのだ。このことを心に刻みたいと思う。

 「町や村を残らず回った」主イエスがご覧になったのは「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」姿であった。弱り果てている一人一人に、主なる神の愛を、主の恵みを、主の祝福を届けるには、働き手が少ない。働き手が必要だ、と主イエスは弟子たちを招き、遣わされるのだ。

 コロナ禍のいま「弱り果て、打ちひしがれている」人は少なくない。いま「神様の愛があなたと共にあるよ」「大丈夫だよ。一緒にいきましょう」と愛を分かち合う働き人が必要なのだ。そう、イエス様が弟子たちに授けた権能とは、特別な権力などではなく、「愛する力」なのだ。いまこそ、教会が主イエスの愛の働きをなしていこう。

【説教動画】



【説教録音】



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