2021年5月30日礼拝説教要約「闇の中に響く賛美の歌声」使徒16:25-40

 神を礼拝するとは、神を賛美することである。教会に通い出し、教会生活を送る中で、私たちの生活の中に賛美することが始まる。ある方は、礼拝に出席し始めた後、家で家事をしながら鼻歌で賛美歌を歌っている自分に気がついて「自分は神様を信じ始めているのかもしれないと思い、嬉しいような、ドキドキした」と話してくださった。「キリスト教の礼拝の基調は、神への賛美である」(CPC礼拝書指針前文)。神を賛美するというのは、私たちの気分がよい時だけにすることではない。私たちはどのような時であっても、神をほめたたえる。それがキリスト教の礼拝の基調なのだ。

 パウロとシラスは牢に閉じ込められている中で、真夜中に「賛美の歌をうたって神に祈っていた」(25節)。激しく鞭打たれた夜だ。足かせもはめられ、牢の一番奥に閉じ込められている。体の痛みもあり眠ることなどできなかったのだろう。しかし、その中で二人は神に賛美の歌をうたい祈っていたのだ。暗闇の中に、小さな温かい燈火が灯るかのように、パウロとシラスの神をほめたたえる歌と祈りの声があったのだ。そしてその賛美の歌声と祈りを他の囚人たちは聞き入っていたという。パウロとシラスの賛美と祈りが、やはり眠れぬ夜を過ごしていた囚人たちの心に染み入ったのだ。

 60周年の記念誌が完成した。Kさんが「突然の介護生活」という文章を寄せてくださった。連れ合いの介護生活が始まり、「疲れて泣きたい気持ちの時、ふと頭にかすめたメロディ(歌)があった」。それは詩編121編を歌った「山べに向かいて」(賛美歌21-155)であった。Kさんは「この歌が私を救ってくれました。すごい! 泣きながら何度も歌いました。そうだった、神様が見守ってくださるんだ。何も心配しなくていいんだ! と。うれしかったし、心が生まれ変わったようでした」と証されている。

 子どもたちと歌う賛美に「賛美をささげることは、あなたの力です」とあるが、本当にそうだ。一人ひとりの「真夜中に」おいても、また時代的な闇の中においても賛美によって私たちが希望を見出し、救われることがあるのだ。キング先生たちも公民権運動の時に「勝利をのぞみ」を繰り返し歌った。自由を求めて声を上げた香港の路上でも“Sing Hallelujah to the Lord”が夜通し歌われたと聞いた。

 私たちは直接囚人の経験をすることはないかもしれない。だが、光が届かない暗闇の中で、泣きたくなるような時、心細い時、寂しい時、不安な時を経験する。足かせがはめられ、身動きができず、不自由さの中で生きることに疲れ果ててしまうことがある。しかし、私たちの口に、主は賛美の歌を授けてくださる。

 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(31節)。囚人たちが逃げたと思い、絶望的な状況で自殺しようとした看守にパウロが告げた有名な言葉だ。真夜中でも神を賛美したパウロたちと自分では解決できない絶望的な状況で自殺をしようとした看守の姿が対象的に描かれている。「主イエスを信じなさい」。これが真夜中の賛美のすべてだ。賛美の歌を歌うことは、「主イエスを信じる」応答の行為だ。神はあの十字架のキリストを墓よりよみがえらされた。「ハレルヤ! 神を賛美せよ!」これが私たちの礼拝の基調なのだ。「せんかた尽くれど望みを失わず」。たとえ真夜中であっても望みを失わず、祈り賛美する教会でありたい。

【説教動画】


【説教録音】


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