2021年7月25日主日礼拝説教要約「心を強く」ヤコブ5:7-20

 「兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい」(7節)。この手紙を受け取ったキリスト者たちはローマの厳しい迫害の中で、小さな群れとして苦闘しながら生きていたのがこの手紙の読者たちであったと思う。
 
 私たちは今、直接的な迫害を経験しているわけではない。しかし、コロナ禍にあって忍耐を強いられる中で生きている。教会の活動も計画変更を余儀なくされている。子どもたちの夏のキャンプもデイキャンプに切り替えた。オリンピックは開催されているが、我が家の娘の部活はコロナのために休止中だ。そのような中で「忍耐」や「辛抱」という言葉を聞くと苛立ちさえ覚えてしまう。しかし、御言葉は「忍耐しなさい」と語りかけるのだ。
 
 ヤコブは忍耐のモデルとして農夫の忍耐について語る。「農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです」(7節)。収穫を待っている間、農夫が目にしているのは、乾き切った大地だ。パレスチナは雨が降らない乾季には、川の水も干上がるほど。大地もカラカラになり、命を育めるのか不安になるくらい荒れ地になる。けれど、一度雨が降ると、一斉に草が芽生え、花が咲き景色が変わる。農夫は雨が降った先には目にしている景色とは「まったく違う景色が広がる」ことを農夫は知っている。知っているからその乾いた、命が失われてしまっているような乾いた大地を目の前にしながらも、失望せず収穫の時を待つことができる。

 イエス・キリストを信じるキリスト者は、農夫のように「別の景色を見ながら」待つことができるのだ。いま目の前には、金持ちが力をふるい、小さな者、弱いものは何か理不尽に奪われ、我慢だけを強いられる、息苦しい景色が広がっているかもしれない。でも、忘れないでほしい。まったく違う景色を神はあなたたちにみせてくださる。しかも、それも、すぐそこまで来ているのだ! ヤコブはそう告げているのだ。

 私たちは目の前の現実に目を奪われてすぐに「不平を言う」者たちだ。かつてイスラエルの民がエジプトを脱出し、神の約束された「乳と蜜の流れる地」を目指す旅でも、人々は繰り返し不平を述べた。しかし、神の民が不平を漏らす時も、神はその民を約束の地へと導いておられたことを私たちは忘れてはならない。

 ヤコブはヨブの物語の結論を告げる。あの苦難のしもべヨブの物語の最後、あの重く、深く、そして長い問いの先に「主が最後に答えられた」。主は「慈しみ深く、憐れみに満ちた方である」。私たちは神様の深い慈しみを聖書の物語を通して繰り返し知らされている。神様の救いの物語を教えられている。出エジプトに始まり、主イエスのキリストの十字架に至る壮大な、神の救いの物語を私たちはすでに知らされているのだ。

 私たちは主イエスの生涯において、あの十字架と復活の出来事において、「神の深い慈しみと憐れみ」をあますところなく示されていることを知っている。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれた、イエスの叫びに神は答えられた。それがあのイースターの出来事だ。死の先に、なお「復活の命がある」ことを、闇の中に「光が輝いている」という「別の景色」を私たちは見て生きる事ができるのだ。

 「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい」(13節)。希望を失わず、心を強くして、祈り賛美して歩みたい。



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