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毎回、コンテストのスピーチをした直後、出場者へのインタビューが行われる。今年のインタビューセッションで私が最初に聞かれた質問、「コンテストに挑戦し続けているモチベーションをどう保っているのか?」だった。私はこれまで67回に出場を重ねている。ここなでこだわるのは不思議がられるところだ。

そもそも、私は1992年にトーストマスターズへ入ってから、出場できるコンテストには全て挑戦してきている。当時、日本語クラブだけで「全国ディベート大会」なるものがあった。それが私の最初のコンテストだ。そこから2018年5月現在で、26年の活動の中で67回の出場になる(※)。これまでたくさんの人がコンテストに挑戦をしているが、私ほどしつこく挑戦している人はいない。インタビューでは、モチベーションの維持など考えたことはなく挑戦できる時はやろうと決めているだけと答えた。それが正直なところで、”It’s matter of a decision.”と言えると考えている。

このこだわり編では、大きく分けて二つのことを述べる。まず、なぜ私はコンテストにこだわるのか、もう一つは、コンテストに挑む時、何にこだわるか。


■■■ なぜコンテストにこだわるのか?

一言でいえば、コンテストは通常の例会よりも学びが多いから。

私は26年間、トーストマスターズの活動を続けてきた。しかも、仕事でほとんど活動的なかった数年以外は積極的に活動してきたのは、関西人の言葉でいえば「やらな損やで!」という思いだ。

ざっとその理由をあげてみた。少し説明をしよう。

● スピーチがうまくなれるから

 通常例会では、マニュアルを進めていくために、どんどんとスピーチを進める。それは良いことだと思うが、一度作ったスピーチを何回も考えたり、作り直したりしない場合が多い。ところがコンテストになると、一つ作ったスピーチを何回も修正をしていく。無駄なものを省き、もらったフィードバックを考え、どんどんと改善していく。そのプロセスを通じて、スピーチを磨きあげるのだから、スピーチが良くなる。

デリバリーについても同じで、練習すればメンバーや仲間からいろんなフィードバックをもらう。自分では気づかないところまで教えてもらって、その改善に取り組んでいく。コンテストの場合はそんな練習を繰り返していく。その結果としては、どんどんスピーチがうまくなっていく。それがコンテストに挑戦する最初に考える理由だ。

● 自分と向き合うことができるから

スピーチとは「自分の話を語って聞き手の話をする」ものだ。話す材料は自分のことである。だからこそ、スピーチをよくするには、自分と向き合うことが求められる。これが意外と辛い。自分の強い思い込みもある。いい話題だと思っていても陳腐な場合もある。逆に、自分ではつまらない話だと思っていることが実は人には面白い話だったりする。自分と向き合うとは、他人の視点を入れて考えていくことである。コンテストのスピーチはここを徹底して考える。

自分の経験談も、メッセージを伝えるために必要な情報だけに絞り込み、余計なものは省く編集作業が重要になる。ここで勝手に話を創作してしまうと、スピーチに嘘を入れることになるからダメである。スピーカーのインテグレティが問われる反則だと言える。ただ、これは検証できない。スピーカーが自分と向き合って考えるところである。辻褄が合うように架空の話などは問答無用である(トールテールのような架空を競うものは別)。私は自身、以前あるファイナリストのスピーカー(今の英語のインターナショナルコンテスト)から「ばあちゃん死んだ話ね、あれ嘘なんです」と耳打ちされて驚いてことがあった。スピーチは常に聴衆に対して誠実かと問い続けねばならない。それは自分にとっても誠実であるかという問いであり、自分と向き合うことなのである。

● 結果がはっきりでるから

コンテストは必ず勝者を決める。その場で宣言されるのだ。ちょっと乱暴な言い方だけど「あなたはダメでした!」と公言されるのだ。これは通常の例会のベストスピーカーとは次元が違う。勝てば嬉しいが負ければ悔しい。それに負けるとダメージも受ける。結果に不満を感じる場合もあるだろう。過去その結果に納得いかないとコンテスト後、荒れていた人もいたし、結果に憮然として終わった途端にさっさと帰る人もいる。正直いえば、私も昔はその結果にあらわに不満を表したり、「審査員が悪い」と思ったことも一度や二度ではなかった。

ただ、私がそんな考えに囚われている間は、私は成長しなかったしコンテストで結果を出せなかった。その考えから離れることができたのは「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」という野球人、野村克也氏の名言による。「負けに不思議な負けなし」と思ってふりかえってみると、当たり前だが足りないところが見えてくる。自分の思い上がりも気づく。それから私は新たに挑戦していけるマインドを得たのだった。そんな気づきが出てくるのもはっきりと結果を突きつけられるからである。

● 自分が成長できるから

 あらゆる理由は「成長」するという言葉に収斂されるだろう。しかし、ここであえて「成長できる」とあげた理由は、スピーチを直していく作業が「迷い」の連続だからである。例えば、クラブでスピーチの練習をしたら、クラブのメンバーがいろんなフィードバックをくれるだろう。そのどれもは善意によるコメントなのだ。改善点もいろんなアイデアが出るだろう。スピーカーとしては、それらの指摘はありがたい。しかし、それは混乱のはじまりでもある。

 言われたコメントを全部取り入れると、ほとんどの場合は、とんでもなくバラバラなスピーチになってしまう。あえて言えば、言葉のフランケンシュタインのようなものだ。

それに何よりも困るのが、相反するコメントだ。あの人はこの点を評価したが、この人は絶対になくした方が良いなどと言われ、わからなくなり迷うのだ。

私は以前はそんな場合は自分が納得する方をとり、納得できないのは無視してきた(もちろんありがたく感謝をしてであるが)。しかし、最近はその相反するポイントにこそ、重要なことがあると、できるだけ考えるようにしている。結果としては、納得する方法を受け入れるかもしれないが、考えた末両方の考えをとらないかもしれない。ただ、相反するがゆえに、考えてみるポイントがあるとその矛盾を受け止められるようになった。それを私は考え方の成長といいたいのである。

いかなるフィードバック、論評も、その人の視点を教えてくれる。分析に間違いはあっても、感じることに間違いはない。誰もが聴衆としては等しく平等である。それを受け止めることにつながる。相反する点も、何が正しいかではなく、そう感じる人もいれば、ああ感じる人もいるということなのだ。受け止めてどう消化し、止揚するかはスピーカー次第なのだ。

● 自己肯定感が高まるから

人前で話をする。それもコンテストに勝ち進むと聴衆の数も増えていく。今回の私の場合であれば、こんな規模である。

 クラブコンテスト(20人ぐらい)

 エリアコンテスト(50人ぐらい)

 ディビジョンコンテスト(100人ぐらい)

 ディストリクトコンテスト(500人ぐらい)

コンテストでのスピーチは、5~7分と限られた時間ではある。それでもこれだけの人の前でスピーチをするのである。その間、大げさに言えば、自分のショータイムなのだ。トーストマスターズの世界チャンピオンの一人、ダレン・ラクロイ氏がスピーチする時はこんな気持ち「ステージタイム、ステージタイム、ステージタイム」だと言うのもうなづける。そんな経験を積んで行けば、成功体験を積んでいくことになり、自己肯定感は高くなっていく。平たく言い換えれば、自分に自信がついていくのである。

● 競争は面白いから

これはゲームに夢中になるのと同じように、人は競争に駆り立てられる。競争だから、勝ち負けがある。勝てば嬉しいし負ければ悔しい。またやりたくなる。競争だから競争相手がいる。誰かと競う合うわけである。良いライバルに恵まれるとさらに競争に力を入れていく。コンテストも何回も挑戦していくといつも顔をあわせる人がいる。そんな仲間は、一種不思議な友情でつながっているようにも思える。「また、会ったな」「今回は、負けませんよ」なんていいながら、切磋琢磨できるのも楽しい。人は遊びには興じる動物、ホモ・ルーデンス(ホイジンガ)だからだろう。

● 世界へつながっているから

これは英語のコンテストだけの話だが、世界大会につながっていく。私もコンテストにずっと挑んできたものとして世界大会へ出場したい。トーストマスターズの世界大会のチャンピイオンになるということは、世界で34万人(2018年)のトップになるということだ。ただ、賞金があるわけではない。名誉と大きなトロフィーぐらいだろうか。それでも、大きな舞台で一度は日本を代表したいという夢がある。


■■■ コンテストに挑む時にこだわっていることは何か?

● なぜ両言語にこだわるのか

私は毎回、日本語と英語に挑戦する。これは私が日本語クラブから活動をはじめたから、まず日本語のコンテストには出場すると考える。出発点はすごく単純に考えた。コンテストの日が同じである(たいてい日本語と英語は同じ日)ので、それなら英語も挑戦しようという安直な理由からだ。

コンテストに参加すると学びが多いのなら、両方に参加するとさらに学びが多いだろうと考えた、欲張り爺さん的な発想から出ている。それに、同じスピーチをやらないと決めている。というか、言語が違うとどうにも同じスピーチにならない。他人がやったケースを見ているが、どうにもしっくりとこない。ただ、何回をやってみても結構大変である。作るスピーチが倍になる、練習も多くなる、そして何よりも練習の力点をどう入れるかが悩みどころとなる。即興性の強いものはその点は楽である。論評にしろ、テーブルトピックにしろ、準備も必要であるが、その場での瞬発性、即答性が問われるのは楽である。しかし、準備スピーチなどの事前にしっかりと作り込むものは、どうこなすかが毎回挑戦である。

私の場合はかなり以前から、日本語と英語に挑戦することがコンテストに出ることだったので、はじめから一つの言語に決めるのには違和感がある。それだけの話だ。ある意味、私は欲張り爺さんなんだろうと思う。だから、こだわるよりもそれが普通になっているのが実際のところだ。最近の傾向として両言語に挑戦する人が多いのは嬉しいことだ。日本語コンテストのレベルが年々上がってきていると思うのは参加者が増えていることによるだろう。

● コンテストに挑戦するときの条件は

私がコンテストにか挑戦するのは、簡単な話でスケジュール次第だ。所属するクラブ、エリア、ディビジョン、そしてディストクトと全ての日程が空いていれば参加する。ファイナルのコンテストまでのどこかが予定で埋まっていれば、その年のコンテストはやらない。サポートする側にまわる。途中までは日程が合うからと出場する人はいるけれど、他人がそうすることを否定はしないけれど、私は絶対にやらない。なぜなら、でる限りは最後まで行き勝ち切るというのは当然だと考えるからだ。

● どこのクラブから出場するか

私も複数のクラブに所属しているのでクラブコンテストには全部エントリーする。ただ、どこかで勝てば他のエントリーは棄権する。それが私なりのエチケットだ。勝ち上がっていく時に、強いコンテスタントとできるだけ当たらないように、どのエリアで戦うかと考える人もいるが、私はそれはしない。勝ったところがその年の私が勝負する道だと決めている。

ただ、そんな私も数年前に一つのクラブで勝ちながら他のクラブコンテストに出たことがある。しかし、その一度だけでそのあとはやめた。その理由は、他のメンバーにがっかりさせたくないからだ。いくつものクラブで勝ってあとでどれか一つを決めたら、当然ながらクラブで繰り上げ当選してエリアに出場できる人がいる。でも自分が出なければ最初からその人がエリアに行くわけで、その状態というのは人にがっかりさせていると思うからだ。また、私のこだわりからすると、何枚も持っているカードから選ぶのが潔くないように思えて好きになれない。まあ、こんなところに、勝負師になりきれない自分を認めはするが好きになれないのだから仕方がない。

● マインドにこだわる

プロスポーツ選手がメンタルトレーニングをするのは有名な話だが、私もコンテストに挑む時にメンタルトレーニングにこだわる。どんなに練習でがっちりとできたとしても、その本番でのパフォーマンスで力を発揮できなかったら話にならない。そのために、どうメンタルを整えるかが重要である。そのために、フローやゾーンといった状態の勉強から、その具体的なメンタルの作り方、アファメーションなど、準備もするし繰り返し実践していく。

今回も当日の舞台から、聴衆に向かって話しているイメージは何回も繰り返し実践してきた。そういう訓練は実際に舞台に立った時にも、安心して話すことにつながる。私が特に参考にしているのは、「本番に強くなる」(白石豊著、ちくま文庫)、「メンタル・マネージメント」(ラニー・バッシャム、メンタルマネージメントインストチュート)、「ゾーンの入り方」(室伏広治著、集英社新書)など。また、姿勢や呼吸法については、簡単なヨガから能楽師の姿勢の取り方など学んでいる。それがマインドを作ることにつながるからだ。

ジンクスもこだわる。たとえば、私はコンテストに時に必ず空手の極真館のTシャツを着る。これをきてコンテストに出て負けたことがない(今回はそのジンクスは破れたが)からだ。また、幸運のボールペン(これは論評チャンプになった時に幸運を感じたもの)を身につける。会場に向かう道などもこだわったりする。それらは全てはジンクスである。だが、少しでも、自分気分良く過ごせるように細かいことまでこだわっていく。

● その日の流れにこだわる

コンテストでも試合でも、その日の流れとがある。勝負というのはそういう流れの中でおこなわる。だから、その日の流れに自分が乗れるかどうかが運を引き寄せることにつながってくる。そのために私がこだわるのは、できるだけ早い時間に会場へ行く。それはその日の流れを感じられるように思うからだ。それこそスタッフが集まる時間で、会場が開場されるタイミングで行くことが多い。何もない部屋からスタッフが準備をしていく。そこに人が集まってくるとなどの変化をみている。そこで何かの風を感じる時もあるし、何も感じない時もある。ただ、そんな中に身を置いていくのが、その場で行われる勝負への関わり方だと私は信じている。

当日はいろんなことが起こる。たくさんの人と会えば、ご挨拶をしたりちょっとした言葉を交わしたりする。その中には、積極的なこともあれば、消極的に捉えてしまうような言葉もある。その全てを肯定的に解釈するようにする。しっかりと頭の中で言語化された肯定的なメッセージを自分の中に入れていく。大げさにいえば、あらゆることが自分を応援するように働きかけてくれるようにマインドを持っていく。そこで吹く風でも降る雨でも同じである。そう思えるかが大きい要素だと思っているし、当日気まぐれに現れる女神を掴むことにつながる。


■■■ コンテスト、コンテストと言ったけれど・・・

トーストマスターズは例会が一番の基本活動になる。教育のための活動であり、それはメンバー全員のためのものであるからだ。その例会を活性化していく大きな刺激剤として、コンテストもあると考えるべきだろう。

トーストマスターズクラブでは、これまで春と秋に大会を実施し、それぞれスピーチコンテストを実施してきたが、2018年から秋の大会はない。これにより例会での教育をもっと専念するというインターナショナル本部の方針のためによる。

だから、コンテストが年1回になったことになるが、私のコンテストへのこだわりがこれからもなくならないだろう。しかし、本稿をここまで書いてきた改めて思ったのは、自発的に学んでいくというトーストマスターズ活動こそ、もっともこだわりを持って続けていきたいのだとわかったことである。

学ぶことは素晴らしい。そして、それが人とともに学ぶことでそこに大きな喜びが感じることができる。それに、学ぶことが未来に可能性を託すことにもつながる。コミュニケーションとリーダーシップを学ぶのは、未来の可能性を学ぶことだ。それがかの活動の原点であり、やりつづける意味であり、こだわるべきことなのだろう。もちろん、それ以外にもたくさんの方法をあるということを考えた上で、この活動にこだわっていきたい。そして来年のコンテストにも。

本稿が一人のコンテストにこだわりを持っている人の考えでしかなく、決してそこまでやりきれないということで挑戦しない人が出てこないことを祈る。むしろ、そんなに色々と考えながら挑戦しているのを知って、自分もやってみたいと思ってもらえることを願ってこの文章を書いているの。


(※)コンテストにこだわってきたが、ディストリクトの役員を、6年間(まだディストリクトに認定されていない時代)およびカンファレンス実行委員長2年(まだ、今のような形がなく、英語も日本語も別々でコンテストをやっていた時代に、4つのコンテスト、ワークショップ、5つの海外からのゲストを招いて大阪で2002年に実施した)を起こっているので、この8年間は当然ながらコンテストには出場していない。それに3年間は仕事で活動していない時期がある。だから11年間はコンテスト出場はない。実質15年間で67回の出場してきたのが現時点である。