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 私たちが苦境に立たされたり問題に遭遇した時、どう対応するか。ひとつは思考が停止してしまい、何もできずになり、その問題が無かったとして過ごそうとすることだ。時間が経てばなんとかなるという他力本願な反応と言えるだろう。もう一つはすぐにでも対応することである。もたもたしていてはいけない。まず行動を起こしながら考えていけばいいという勇ましい反応である。しかし、この本が薦めてくれるのは、どちらでもない行動の技法である。

 それは「しない」方法だという。説明をみてみよう。

”私たちに必要なのは、岸にしがみつこうとする手を放し、取り巻く世界の自然なエネルギーに乗ってみることだ。学び、そして成長していくために、海の潮に、川の流れに、その動きに身を任せてみる。エネルギーを受けれて、リードに従ってみる。本書では、これを「しない(Not Doing)」と呼ぶ。” (p22、CHAPTER1 流れに任せる、PART1「しない(Not Doing)という選択)

 冒頭部分での説明であるが、一読すると、何もしないでやり過ごす方法と同じように思えるがそうではないようだ。目を閉じるのではなく、目をしっかりと開いて見ることが求められる。まるで、スター・ウォーズのヨーダの教えのように聞こえる。

”しないというのは、物事をやりこなす方法を狭い視野でみないための防御手段だ。押すことでもなければ引くことでもない。逆らわず、ゆだねて、ともに歩いてみる。そうすることで力みがとれ、自分がかかわっている状況に対して意識が開く。”(p23、同上、同上)

 確かに、私たちは行動を急ぐあまりその状況をよく観察しないで対応することが頻繁に見受けられるのではないだろうか。その行動が正確な分析をもとから考えられていないため、新たな問題を生み、もとの問題をさらに複雑にしていく。

 次の例は、私はどうしても見過ごしがちなケースだ。あの3・11、東日本大震災とそれに伴う福島原発で起こった出来事の中に見る、この「しないこと」の実践事例だからだ。福島の原発事故と言うと、私が思い出すのは、第一原発のメルトダウンや建屋の爆発、原子炉を冷却するための海水放射などを思い出す。しかし、ほとんど同じような状況でありながら、同じ被害を出さなかった第二原発のことを私は詳しく知らなかった。

”技術的にいえば、第一・第二原発が直面していた試練は同じだった。電力を供給する電源の大半を喪失した状態で、何とか原子炉を冷却しなければならない。第二原発も被害が深刻でえ、海水が流れ込み、電源を喪失し、原子炉が危険な状態になっていたが、第一原発と同じ運命をたどることは免れている。ハーバード・ビジネススクールの教授ランジェイ・ガラディらの論文「そのとき、福島第二原発で何があったのか」(『ハーバード・ビジネス・レビュー』2014年11月号)によれば、この結果をもたらした勝因は第二原発所長の増田尚宏と、彼のもとにいたチームが、出来事を整理して把握する意味形成のプロセスを踏んだ点にあった。即座に行動を起こしたくなるプレッシャーに、増田は屈しなかった。あえて一歩下がり、入ってきた災害情報を吟味し、危機の内容をチャートにまとめていった。このチャートがあったために、チームは状況を冷静に評価し、事態が進行する中でとるべき行動を判断することができた。”(p 210、PART3「ない」を受容する力ーネガティブ・ケイパビリティ)

 死に至る恐怖、刻々と発生する状況、そんな中で意味形成を重んじたことの凄さは、この本が教えてくれる「しないこと」の力である。ここを読みながら、私はもう一つのよく似たエピソードを思い出した。それは、アメリカの同時多発テロにより、マンハッタンが破壊された後のインフラ復旧計画のための大きなノートである。私がマインドマップのインストラクターをしているために入手できた資料だった。それはマンハッタンのインフラ復旧をできるだけ早く行うミッションを請け負ったチームが作成した、現状を把握するための巨大マインドマップだった。全体の起こっていることを鳥瞰できる図が、的確にミッションをはたすための「しないこと」の力だったように思えたのだ。第二原発の増田所長が、「入っきた災害情報を吟味し、危機の内容をチャートにまとめていった」ことが誰もがそこから全体を把握できて、追い詰められた危機にもかかわらず、所長は必要な対策を取れたと思えるからだ。

”・・・不確実な状況に不安を抱くと、人は最も一般的な防御反応として、急いで行動を起こそうとする。知らないものと対峙しているのは居心地が悪いので、考える時間をとらずにアクションを起こすのだ。”(p 82、CHAPTER2「しなければ」という執着、PART2 やみくもな行動の機能障害)

 的確な対応をするために急がない。できるだけ何もしないで、状況を分析してからはじめて何をどうするがわかる。何もしないとは、何も考えないのではない。むしろ、行動を控えながら、考えて抜いていく。そして何もしないのが居心地が悪いのは、考え抜く行動こそが居心地が悪く、苦しいからに違いない。

 しかし本書はそんな「何もしないこと」を強く訴えてくる。そして、それがあらゆるところに創造的な結果をもたらすと教えてくれる。次のエピソードは、作家というクリエーターがいかに「何もしない」時間から、自分が描きだす世界を紡ぎ出すかを教えてくれる。

”物書きの目の前にある白紙のように、退屈には、絶大な可能性がある。何も生まれてない、何も起きないという状態が自分の中を通過していくうちに、ふと、新しい発想や想像がわき出てくる。小説家のF・スコット・フィッツジェラルドは、執筆の初期段階で退屈の時間を迎えると考え、「濾過機で濾すように、澄んだ作品が生まれて来る前にはまず退屈を通る、もしくは通さなければならない」とエッセイで書いた。”(p200、PART3「ない」を受容する力ーネガティブ・ケイパビリティ)

 次の古代ローマ人のエピソードは、私には驚きであり、そしてその知恵の深さに考えさせられた。全ての道はローマに通じる、と豪語したローマ人がである。合理性で人が考えるよりも、その道を自然に行き来する動物の知恵にあやかるほうが、全ての道がローマに通じるというわけだろう。

”高度な数学的知識を持っていた古代ローマ人も、その知識で道を設計したのではなく、ロバに山間をのんびり歩かせ、砂に残る足跡をヘンゼルとグレーテルのようにたどって進路をつくったといわれている。道を見つけるのは自然の方だーー人の役割は、それに沿って歩いていくことだ。”(p24、流れに任せる、PART1「しない(Not Doing)という選択)

 「しないこと」の力を再認識して、いざという時まずは冷静にそれを見つめる姿勢を持つようにしたい。それを自分の小さな頭だけにとどめず、紙の上に書き出しながら少しでも客観的に見る行為を忘れずにいたい。そして実際に慌てるような局面に陥った時に、なんとか踏み止まるように、「しないこと」を学んでおきたい。世の中の流れが、早くなり、なんでもスピード重視になり、なんでも結果をすぐに求められる時、全ての成果がファースフードのようになりかねない。そして自分の人生さえも、全てが牛丼のような速く、安く、美味いレベルになってしまいかねない。あわてない、時間を見つける、あえて離れて見る、そして時には無責任に投げ出すのも必要かもしれない。「しないこと」とは、何なのか、またどう自分の生活や活動に関わりを持たせていくのか。まずは紙に書き出しながら考えてみるのがいいように思えてきた。



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