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 私は研修講師という仕事がら「リーダーシップ」という言葉をひんぱんに聞くし、リーダーシップ開発を狙うプログラムを作成したり実施したりもする。そこでいつも考えるのは、良いリーダーとは何か、ということだ。この本の著者、ジェフリー・フェファーはスタンフォード大学ビジネススクール組織行動学を専門とする教授である私が驚いたのはこの人はここまでリーダーについて言い切るんだということだった。私も自分の会社員としての経験からもぼんやりとは認識していたが、この本を読んで、「やっぱりそうだったんだ!」と膝を打ちたくなった。ただ、私は講師として今後、リーダーシップをどう指導すべきか迷い始めているのも事実だ。

 フェーファーは言う、「リーダーシップを論じるときに、精神の高揚を求める自体が、私に言わせれば気が滅入る。データに基づいて論じるべきだ」と。しつこいように語られるリーダーシップ神話に嫌悪感を隠しはしない。そして、この本の出発点としてこんな問いを投げかけてくる、「感動的なリーダーシップ神話はこれまで何か成果を上げることができたのか?」と。強烈な問いかけである。

 

リーダーシップ神話は百害あって一利なし!

 第1章の「リーダーシップ神話は百害あって一利なし」で、フェーファーは辛辣にこう言い放つのだ、「人々の行動を変えるにはさまざまな方法があるが、感動は有効な手段でない。理由はいくつもある。まず、感動はたしかに人々に強い衝動を与え、心を揺さぶり、何かへと駆り立てるが、長続きしない。高揚感はあっというまにしぼんでしまう」(p80)と。

 優れたリーダーの神話的なストーリーは数ある。それは大切に伝えられ、会社の理念を象徴するストーリーとして繰り返し、社員に刷り込まれる。経営理念は毎朝、呪文のように唱えていく会社もある。そして、社員は盲目的になっていく。私はジョージ・オーウェルの「1984」を連想してしまった。ビックブラザーではなく、ビックリーダーがいつも見てるよというわけである。

 しかし、それが組織の行動変容には繋がらないと言う。行動を持続的にするには効果的なのかもしれない。しかしリーダーシップ開発を考えるときはいつでも、組織の行動変容という考えがある。もっと簡単に言えば、社員がより積極的にリーダーになろうとしたり、他のリーダーがいたときに状況を見てフォロワーになれるような組織がそれまでとは違って活性化する状態に変えていのが狙いである。しかしフェーファーは悲観的にこういう。

「行動を変えるためにのこうした方法の大半は『動かぬ証拠を突きつける』という単純かつ強力な原理に基づいている。だから他人の行動を変えたいのなら、計測可能な目標を設定し、目標達成を約束させ、毎日の行動を計測してひんぱんにフィードバックし、必要に応じてインセンティブを設けることが効果的である」(p83)

 リーダーシップを発揮できる組織にするためには、PDCAを効果的に回した方が結果が出るということだ。そしてこう言い切る著者は、それが事実に基づいていると教えてくれる。

 

リーダーシップに信頼など必要ない

 第5章では、「信頼 上司を信じてよいものか」という中で、信頼なんてものはまったくリーダーであることとは関係ないと言っている。

「だが私は、こと企業に関する限り、信頼が成功に欠かせないとか、リーダーシップに不可欠だとはもう考えていない。なぜならさまざまなデータは、企業における信頼の欠如を如実に示しているからだ。それでも会社は回っているし、リーダーも同様だ。信頼に値しないリーダーが制裁を受ける例はきわめて少ないのである」(p188)

 この章では、数々の信頼を大切にした企業家が、信頼とは無縁の企業にやられてしまっているケースを紹介している。特にIT関連の会社のお互いのやり取りは、凄まじく野生のジャングルでのサバイバルを連想させる。野生ならば強いものが生き残るだろうが、IT社会では信頼という概念がない奴が生き残るようだ。中でもあのマイクロソフトのビルゲイツの例など、私たちは彼に人格者のような印象を持っているのではないだろうか。今の引退して社会貢献活動をしているゲイツ氏ならば信頼という言葉を体現しているのかもしれない。しかし企業家としての彼は信頼から離れたところにいた代表的な事例になっている。

 

さらなる真実に耐えろと!

 第8章では、「リーダー神話を捨て、真実に耐える」とあり、ますます気持ちが萎えるような現実を示してくれる。これは心理学であり、グループダイナミクスかもしれない。いや、これは悲劇を通りこして喜劇なのかもしれない。笑うでもしないとこの現実を直視できない。

「・・・現状は、誠実で謙虚で信用できて部下思い等々、多くの人がリーダーの資質と考えるものを持ち合わせていないリーダーが大勢成功しているだけではない。実態はもっと悪い。第1章で論じたように、理想のリーダーだといわれている人たちは、実際にそのように見えてしまうのである。これは、人々がリーダーの発する自信満々な雰囲気やオーラに魅せられてしまい、彼らが実際に何をしているかをチェックしようとせず、彼らの部下になることがどういうことかを考えようともしないからだ。おとぎ話を信じたがっている人々は、真実から目を逸らし、自分の価値観を覆すような証拠は積極的に見たいとする」(p276)

 光るもの必ずしも金ならず、というが、人前で自信満々に振る舞うリーダーを目の当たりにすれば、その眩しさにいろんなものを見てしまうだろう。そこ中には理想的なリーダーである資質を見てしまうかもしれない。好意的に解釈してしまうこともあるだろう。都合が悪いことは相手が隠すのではなく、こちらからあえて見ないで好意を抱いていることもあるのだろう。

 だから、フェーファーが言うように、現実を見ないといけない。実際はどんな成果が出たのかと。実際は何を行なったのかと。そうすれば、少なくともそのリーダーその人を見ることができるかもしれない。

 

 よく考えてみれば、リーダーがロクでもない輩でもいいだろう。問題は、その組織なり企業がなすべきことをできるように、そのリーダーが関わることができれば、それがリーダーシップを発揮していると言える。誰もリーダーに聖人君子のようなことを求めていない。リーダーにはその組織が活性化するように働いて欲しいのである。しかし、この本を読むと、これまで読んできたり、実践しているリーダーシップ研修はこのままでいいのかと考えてしまう。聖人君子みたいなありもしない仙人のような理想を求めるのではなく、人を動かすのにたけた詐欺師の技に時間とエネルギーを削いだ方が、組織の中でリーダーシップが発揮されるのかもしれない。この本は、リーダーということになんとなく違和感が残っていたことを、しっかりと引っ張り出してくれて、その正体を見せてくれた。ここで問題なのは、この本を読んだ読書がそれをどう受け止めるかによる。見たくないから見たことも忘れると言うのもある。しかしリーダーの実像をみてなおかつ組織の中でリーダーシップを現実的に発揮させることを求めることもできる。いずれにしても言えるのは、リーダーとは綺麗事ではすまされない凄まじさがあることだ。誰もから信頼を集めるリーダーなんてものになろうと思うならば、いつまでたってもリーダーになれない。いや、だれかにさっさとリーダーをかっさらわれているのだろう。



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