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 山崎豊子が描く物語は、どれも骨太である。不屈の主人公たちに対して、作者の山崎は悪魔のように、彼らに試練を与え続ける。まるで、主人公と山崎が、身を削りながら勝負をしているように思えてしまう。私が好きな『不毛地帯』の壱岐正も、『白い巨塔』の財前五郎も、強くしぶとく試練に立ち向かっていく。そして、この物語の恩地元も、へこたれることなく生きていく。

 私はこの物語は、映画から入った。あの渡辺謙が主演のものだ。恩地元。労働組合の組合長であり、首相フライトをストで止めた「アカ」とラベルを貼られた男。徹底した差別人事で、海外をたらい回しされてしまう。それでも、会社を辞めずにがんばる男、恩地元。やっと日本に戻ってきたら、史上最悪の航空事故、御巣鷹山へのジャンボ機墜落の事故がおこる。恩地はその被害者対応係として、修羅場のような仕事に向き合っていく。

 私は、3時間にもおよぶ長編映画であったが、時間を忘れて食い入るように見て、心を激しく揺さぶられた。観賞後、何と言葉に表していいのかわからずにいた。そこに描かれていたのは、人間のいやらしさであり、組織の怖さである。それと同時に、人間の高貴な姿勢であり、不屈の精神も感じた。だから、その原作も読みたくなったのだ。では、感じたことをいくつかあげてみたい。

● 悲惨な場面の描写

 この物語は、JAL123便の御巣鷹山の事故を下敷きにしている。御巣鷹山での事故の状況が、これでもかこれでもかと続いていく。映画でも大きな衝撃を受けたが、実際の遺体などを見せるわけではなかったが、小説では仔細に描きこまれ、その生き地獄のような様をリアルに想像した。たびたび出てくる「部分遺体」という言葉に、言葉を失くしてしまう。残された家族が、縁者の亡骸を探すために、何人もの部分遺体と遭遇していくのは想像するだけで脚が震えてきてしまった。

 山崎は、その取材のことをこう語っている―「今回は取材、執筆共に非常に忍耐と勇気のいる仕事でしたが、その許されない不条理に立ち向かい、書き遺すことは、現代に生きる作家の使命だと思いました。日々、精神的不毛が深まる中で、”明日を約束する”心の中の沈まぬ太陽を読者の方々と共に持ち続けていきたいというのが、作者の心からなる念いです。」(p94、『作家の使命 私の戦後〜山崎豊子自作を語る[作品編]

 これまでは念入りに取材をする作家ではあったが、山崎が描き出す物語はあくまでフィクションだった。しかし、この作品ではこれまでとは違い、事実を伝えるために物語という手法を試みている。それは、「現代に生きる作家の使命」だと感じたからであり、山崎の中から、人としての怒りが溢れ出たのだろう。本の冒頭にこう但し書きがしてある。

 「この作品は、多数の関係者を取材したもので、登場人物、各機関・組織なども事実に基き、小説的に再構築したものである。但し御巣鷹山事故に関しては、一部のご遺族と関係者を実名にさせて戴いたことを明記します。」―これはフィクションではないのだ。忘れてはいけない人災であったと認識をするものなのである。

● 世界で最も危険な動物!?

 映画は丁寧に小説を再現していた。5巻にわたる大長編ドラマが、見事に3時間という枠の中で映像化されていて驚いた。しかし、ひとつだけ、それもテーマに関わる象徴的なところが違っていた。恩地がニューヨークの動物園で『世界で最も危険な動物』という檻の前にくる―「恩地の脳裡に、ニューヨークの動物園の『鏡の間』で見た痛烈な言葉が浮かんだ。鉄格子を填め込んだ檻の向うに鏡があり、人間の上半身が映る仕掛けになっていた。その鏡の上には、『世界で最も危険な動物』と記されていたのだった。」(p314、会長室篇、下巻)

 映画ではその檻のむこうに、百獣の王、ライオンがいたのだ。動物園という囲いにとどめられているライオンは、危険な動物ではなく、「牙」を抜かれた動物でしかない。それを、組織の中で飼い殺される人間に喩えている。ここにとらえているテーマは同じだが、視点の差がある。映画の恩地は、そのライオンに自分や不当に扱われている仲間をなぞらえている。被害者的な見方だ。

 しかし、小説の恩地は、もっと大きな見方をしている。恩地は心の中で「 利権構造と、人間の物欲は、真実と正義を埋もれさせてしまうのではないだろうか」と怒りを持っている。この視点は加害者に焦点をあてている。私はここに、山崎豊子のテーマを感じる。人間が企業という組織の中で動き始めるとき、最終受益者の顧客ではなく、どうしても組織や自分たちのための効率を追求してしまうことに、著者は問題提議をしたかったにちがいない。だから、映画でのこの場面の解釈に、山崎豊子はどうして納得したのだろうか、と疑問を思うのである。

             ◇

 人生は山あり谷ありである。それをどう生き抜いていくかが問われてる。山崎豊子の世界にふれると、そんな荒波に立ち向かうための疑似体験をさせてもらえる。読者は、主人公になり、その立場を追体験してゆき、その苦しみや喜びを想像することで、「経験」を重ねていけるのだ。佐藤優は、「さまざまな人生を代理経験する。自分が実際に体験しなくとも、本当によい小説や映画に触れることで疑似体験できる」と読書をすすめている。私は、そんな疑似体験をする小説として、ぜひとも山崎豊子がつむぐ物語をかぞえたい。恩地元は、人として生きるこだわりを捨てずに、最後まで突っ張りとおす。その生き方は、真似なんか簡単にできないだろう。だからこそ、疑似体験してみる意味もあるのだ。それに、恩地のこだわるものが、今の世の中で、私たちが簡単に忘れてしまったり、見過ごしたりしている価値観を見つけることができるのではないだろうか。自分の信条をまげずに、たとえそのために苦境におちいろうと、それを貫いてゆくのは、生きていくなかで大切なことである。だめなものはだめといえる強さにあこがれもする。私たちは、人との繋がりの中で生きている。それは、「世界で最も危険な動物」に日夜囲まれているのである。そんな事実を、物語にふれて思い出すことは意義があることだろう。山崎豊子の世界はほんとに骨太である。だから、厳しい現実を疑似体験できるのである。

 ー目次情報

『沈まぬ太陽(1)アフリカ篇・上』

第1章 アフリカ

第2章 友情

第3章 撃つ

第4章 クレーター

第5章 影

第6章 カラチ

『沈まぬ太陽(2)アフリカ篇・下』

第7章 テヘラン

第8章 ナイロビ

第9章 春雷

『沈まぬ太陽(3)御巣鷹山篇』

第1章 レーダー

第2章 暗雲

第3章 無情

第4章 真相

第5章 鎮魂

第6章 償い

第7章 紫煙

第8章 怒り

第9章 御霊

『沈まぬ太陽(4)会長室篇・上』

第1章 新生

第2章 朝雲

第3章 黒い潮

第4章 曙光

第5章 波紋

第6章 狼煙

第7章 弔鐘

『沈まぬ太陽(5)会長室篇・下』

第8章 風

第9章 流星

10章 射る

11章 迷走

12章 幾山河

あとがき

主要参考文献

取材協力者リスト

ー奥付情報

書名:『沈まぬ太陽』

著者:山崎豊子

発行所:新潮社(新潮文庫)

発行日:

『沈まぬ太陽(1)アフリカ篇・上』

 平成1312月1日発行

 平成211110日43刷

『沈まぬ太陽(2)アフリカ篇・下』

 平成1312月1日発行

 平成21102540

『沈まぬ太陽(3)御巣鷹山篇』

 平成14年1月1日発行

 平成21102540

『沈まぬ太陽(4)会長室篇・上』

 平成14年1月1日発行

 平成21102542

『沈まぬ太陽(5)会長室篇・下』

 平成14年1月1日発行

 平成211025日43刷