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 200ページほどの新書なのに1000ページを超える哲学書以上のインパクトがある。今の社会をどう生きるか。幸せとは何か。人生で何を大切にして生きればいいのか。そんな哲学的な問いかけがある。がつんと殴られたぐらいのショックを感じた。私はこの本から人生で選ぶ決断をしっかりしないといけないと叱咤された思いがするのである。

 押井守といえば、日本のアニメ界の巨匠でありカリスマである。彼がつくる世界には徹底したものを感じる。『攻殻機動隊』で描かれた未来の姿はインターネットが当たり前になるはるか前からそんな世界を見事に活写していた。『スカイ・クロラ』でははじめて近未来でのラブロマンスを描いていた。私は押井がつくる映画の映像が好きだ。とにかく美しい。醜いものも、破壊されるものでさえ、そこに美が宿っていると思う。

この本は映画監督押井守の哲学の書である。押井は言う。「優先順位に従って生きることが幸福だとする」だと。その言葉は冷徹なぐらいにロジカルである。具体的である。幸福はみんなの思いや考えの中にある、なんてふわふわしたことを言わない。そして、こう言う。

「幻想は人を不幸にする。これが僕の考えるテーマである。リアルに目覚めた人間だけが、結局は幸せになれる」(p56、第1章幸福論)。私はこの言葉から冷や水を浴びせかけられたように感じた。夜のイルミネーションに彩られた世界にうっとりするような自分がいないだろうか。押井は、そんな幻想的な世界を見せてくれても、その意図は明かりが消えたあとの荒廃を見せるために、幻想の技を違うに違いない。なぜなら「幻想は人を不幸にする」という強い思いがあるからだ。

 押井は言う。人には3つの層があると。それらは、「社会的な自分」「家族との自分」「固有時の自分」である。特に3つ目の「固有時の自分」は大切である。「これは吉本隆明の言葉だが、人間同士の相対的な関係をすべて取り除いて、たとえば夜中にひとりでボーっとしているときの意識だ。ひとり公園でたたずみ、まるで宇宙と―あるいは神か、それとも絶対的な存在と対話をしているような意識になることがある。要するにコギト(自己意識)である」(p68、第2章仕事論)。

 人はこの3つの層を意識して切り替えながら生きてゆく。切り替えるためには、それぞれの層が、自分の中にしっかりと根付いていてはじめて使い分けができる。その層のどこかがしっかりしていないと生きていくのが大変になるというのだ。たとえば、押井はこういう説明をしてくれる。会社が3年以内にいやになるひとは、自分の中で「社会的な自分」というものを確立できずに、この部分に「家族との自分」や「固有時の自分」を持ち込んでいるのではないかと。社会用の人格が育つまでに、普通では3年かかると述べていて、それができなければ、社会生活は始まらないというのだ。(p70部分を編集要約、同上)

 この3つの層の使い分けが重要である。だから、それらを上手く使い分けができなかったり、混ざり合ってしまうと、押井の言葉で言えば、選択できないために不幸になるということだ。だから、「家族にすべてをさらけ出すように、仕事の仲間に自分のすべてを見せる必要はないのである。黙っていてもすべてが通じる老夫婦のような関係を、同僚たちと結ぶ必要もない」。そして押井は続ける。「その代わり、仕事仲間やスタッフを説得することは重要だ。同僚を説得し、上司を説得する。そして最後は部下を説得する。『黙って俺について来い』と職場で宣言するわけにはいかない。この仕事にはどんな要素が必要で、何が重要かを、論理的に共有することは重要である。(中略)職場では、社会向けの自分の人格を使い、ロジカルに行動して、成果を上げることだけを考えるべきである」(p8687、第2章仕事論)

 ふと考える。私は今の生活の中で、「固有時の自分」に向き合う時間があるだろうか。一人になっていても、タブレットPCやスマホで他人との希薄なつながりを求めていないだろうか。ふと思い出す。大学生のころなど、用もなく近くの川べりを散歩して芝生に身を投げ出し、大空を見ながらぼんやりとではあるがいろんなことを考えたりした。それなりに「固有時の自分」を意識できた時間だった。今はどうか。恐ろしいぐらいに「固有時の自分」を喪失しているのではないかと思えてきた。

 押井の視点は常に言葉に戻る。この本の中で政治についてもコメントしている。そして、政治家に求められているものもずばり言葉だという。「特に大切なのが説明能力である。政治とは言葉である。説明義務も果たせないような人間が政治をやる方がどうかしている。それは、巧言令色でも、弁舌さわやかに辻褄を合わせることでもなく、言葉の内実として、政治の方法を語れるかどうかということだ。幸福論でもそうだったように、政治とはまさに優先順位のことだ。僕たちの人生が有限だからこそ、人生においては優先順位を決めて、自分で決めた選択肢を勝ち取りに行くことが幸福なのだと先述した」(p124、第4章政治論)。

 映画人である押井は、自分の専門領域の映画づくりについてこう述べる。「僕は、映画づくりには監督の、個人的でも構わないが、何か強烈な思い、哲学、情念が必要だとおもっている。それがないと監督のいない作品になってしまう」(p184、第6章映画論)。この考え方に押井守の哲学を感じる。そしてこの考えは何も映画づくりだけに通じるものではない。自分が行う仕事に対して「何か強烈な思い、哲学、情念」を持つのがプロになるための棘の道に違いない。生きるとは常に、優先順位を考え、選択する勇気を持ち、それを言葉でロジカルに人に説明していくことである。それをやり続けていくのが幸福なのである。そして、「あとがき」で、「結局は、言葉の問題だと思う」と閉める。

 

 今、2017年が暮れようとしている。そのタイミングでこの本に出合ったことをありがたいと思っている。私は今年をふりかえりながらこう問いかけている。私はこの1年、どれだけの優先順位を意識し、どれだけの選択をしてきただろうかと。そしてその選択を遂行するためにどれだけの説得をしてきただろうかと。もし優先順位を考えるまでもなく選択をしていたら、考えるべき選択肢が少なすぎるのだろう。もし欲張ってあれもこれもと思って絞り込む選択をしなかったら、自分の中の「強烈な思い、哲学、情念」が欠落していると考えるべきだろう。そして、もし選んだものを遂行するときにたいした説得も必要ないものならば、オリジナリティーにとぼしいものかもしれない。私は今、来年の生き方を見つけたと感じている。この本から今、考えるべき点をもらうことができた。すごい本である。そして私は思う。押井守はまさにプラグマティックな哲学者に違いないと。

 

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