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 本を読むために読むべき古典である。この本を読んでみて思うのが、私たちは学校教育の中で、しっかりと本の読み方を学んだだろうか、という素朴な問いである。教育は、教科書とともに行う。だから、本の読み方はいちばん最初に習っているはずだ。しかし、本の冒頭から愚直に読むやり方以外は思い出せない。私はできが悪かったので覚えていないかもしれないが、この本に書かれているような体系だった読み方は、教えてもらってなかったように思うのだ。ここに書かれている方法を意識して実践すれば、間違いなく本の読む方が変わり、理解が深くなるだろう。そんな中で、気になるところをあげてみた。

●分析読書をするために

 この本では、読書を「初級読書」「点検読書」そして「分析読書」という三つに分類した上で、「分析読書」が大きく学びにつながるという。そして、この本の主題は「分析読書」である。

 その分析読書とは何かー「分析読書とは徹底的に読むことである。読み手として可能なかぎりのきわめて高度の読書法である。(中略)分析読書では、読み手は本の内容に関し、系統立てていくつもの質問をしなくてはならい。(中略)分析読書とは、取り組んだ本を完全に自分の血肉と化するまで徹底的に読む抜くことである。(中略)‥分析的に読むとは、本をよくかんで消化することである」(p30、読書のレベル)

 これは精読とも呼ばれるものである。その内容をがっちりと理解することを意味する。評論家の佐藤優も「本は精読するもの」であるといい、精読に価するものを探すために速読をするという。この本の「初級読書」も「点検読書」も、「分析読書」できる本を探すための方法といえる。 では、「分析読書」とは、どのように読んでいくのか、5つの規則を紹介しよう。

 ▶︎第一の規則ー「読書は、いま読んでいるのがどんな種類の本かを知らねばならない。これを知るのは早いほど良い。できれば読みはじめる前に知る方がよい」(p68)ーこれは本の種類により、読み方を変える必要があるからだ。たとえば、小説であるのか、評論であるのか。自伝であるのか、論文であるのか。それをしっかりと意識するのが第一歩である。

 ▶︎第二の規則ー「その本全体の統一を、二、三行か、せいぜい数行の文にあらわしてみること」(p88)ーこれは、「著者の意図、著者が言わんとしていること」を探ることである。まさにその本の核を探すアンテナを立てることが、その本の主題を理解することにつながるからである。

 ▶︎第三の規則ー「その本の主要な部分を述べ、それらの部分がどのように順序よく統一性をもって配列されて全体を構成しているかを示すこと」(p89)ー構成を示すとは、その論理の道筋をとらえることになる。全体の構成が、その本の主題への思考の地図である。その主要な部分とそのつながりをつかまえることは、全体の内容理解に不可欠である。

 ▶︎第四の規則ー「著者の問題としている点は何であるかを知る」(p105)ー著者のいいたいことを理解したか。それを明解に言い表すことができるのか。著者の問題とはいうまでもなくその書の出発点であり、その本が書かれる存在理由である。

 ▶︎第五の規則ー「重要な単語を見つけ出し、それを手がかりにして著者と折り合いをつけること」(p111)ー重要な単語とは、その本の主要な考えを読み解く鍵である。それをどれだけ理解しているかを意識する。全てを著者と同じように理解することは不可能である。だから、どれだけ理解できて、どれだけ理解できていないかを考えてみることだろう。

 「分析読書」の五つの規則をあげたが、規則にそっていくだけで、本への精読度が深くなると思う。これらの規則は、しっかりと読むための質問であり方法である。知っていて実践すれば、その成果は大きくなるだろう。

●読書は学びの基本である

 そもそも、なぜ読書をするのが望ましいのか。答えとして考えられるのは、新しいことを学べる、間接体験ができる、また、楽しく時間をつぶせるなどだ。しかし、読書は良くないこともある。弊害だってある。たとえば、読書は人の考えに影響をあたえる、それも大いに洗脳しうる力を秘めている。また、読んでいる間、思考を著者にあずけてしまい、なんにも考えない道具になる可能性だってある。だから、ショーペンハウアーは「読書はしないほうが良い」(『読書について』)とシニカルに語り、松岡正剛は「読書は毒である」(『多読術』)とささやく。そんなリスクやマイナスがありながらも、プラス面を考えると読書はしたほうが良いと考えられる。それは、学習することができるからであり、読書こそ、学習の基本であるからだ。佐藤優は、てっとり早く「経験する」ことができる貴重な方法(『ひとたらしの流儀』)だと説く。

 「学生時代には誰でも、教師の手ほどきで難解な本に取り組むものである。だが、自分の読みたいものを読むときや、学校を出てから教養を身につけようとすれば、たよるものは教師のいない読書だけである。だからこそ、一生のあいだずっと学びつづけ、『発見』しつづけるには、いかにして書物を最良の師とするか、それを心得ることが大切なのである。この本は、何よりもまず、そのために書かれた本なのである」(p25、読書技術と積極性)

 学校を卒業し、社会に出て仕事をやるようになると、学ぶことが多くなる。そして、学ぶことが大げさだが生きるために必要になる。先輩が教えてくれたりする場合もあるが、その先輩たちさえわからないことがあれば、自分で勉強するしかない。そのときに、読書が習慣になっているひとと、本を読まないひととの差は歴然とする。なぜなら、読書が習慣になっているならば、読む本を自分が読みたい本から仕事のために読むべき本に変えればいい。ところが、読書する習慣がないならば、仕事の本を読むことが自体が苦痛になってしまう。

 そんな習慣をつけるには、漫画でさえよいのだという評論家もいた。読むという行為は、漫画であろうが、本であろうが、どちらも読み手の積極的な関わりを要求するからだ。佐藤優に言わせると、有事のときにサバイバルできるのは、読書で間接体験をつんだものになると断言している。ここまで言われると、読書は生き残る方法となるのだから、しないわけにはいかなくなる。

● 文学を読むために

 本の読み方はジャンルによって変わる。知識を得るための読書と、楽しむための読書は当然ながら読み方が大きくかわる。楽しむための読書とは、文学(フィクション)をどう読むかということだが、その世界に深く没入していくことが鍵になるー「何かを経験するには感覚と想像力を用いなければならない。一方、何かを知るためには判断力と推理力、すなわち知性をはたらかせねばならない。(中略)フィクションは主として想像力に訴える。そこから一番大切な『べからず』条項が生み出される。すなわち、『文学の影響力に抵抗してはならない」。(中略)物語を読むときは、物語が心にはからきかけるにまかせ、またそれに応じて心が動かされるままにしておかなくてはいけない。つまり、無防備で作品に対するのである」(p201、小説、戯曲、詩の読み方)

 人が物語に魅力を感じるのは、その影響力に巻き込まれていくからだろう。その世界の中で、登場人物と一緒に事件を体験していく。あるいは、登場人物その人になって活躍する。そして、そのヒロインと恋に落ちていく。読書家だった俳優の児玉清は、本の中のヒロインに惚れ込むのが本を読む醍醐味のひとつと自らのエッセイ(『寝ても醒めても本の虫』)で述べている。まさにフィクションを読むことが、人にたくさんの経験をさせてくれるのだから、そこに読むための理由がある。知識を得る以上に、肝力を得られるにちがいない。佐藤優が小説それも古典をすすめるのはこんな理由からにちがいない。


 それにもう一つ、フィクション(小説)を読む大きな理由があると私は思うのだ。それは、行間を読み込んでいくことを学ぶことである。行間を読めないと小説は楽しめない。小説は、ストーリーである。だから、文脈を語っていく。そこには、簡単に言語化できるものから、言語化しにくいものまで含まれている。言葉と言葉の間や、言葉の裏側に潜んでいるものをさぐっていく感性が鍛えられると思うのだ。それは、人と人とが関わりを持っていくときに、必要な気配りであり、配慮につながる。相手を敬うことは、言葉ではわからないことを探ることとつながるだろう。

 私たちは、今やPC端末やスマートフォンなどを当たり前に使い、何でもすぐにインターネットに検索をして調べている。友達とのやりとりもフェースブックやラインに代表されるツールでやりとりする。全て言語になったレベルでのやりとりであり、言葉以外のところは問題や話題とされないのである。しかし、実際には言葉と言葉の間に、潜んでいるものがあるはずだ。それを私たちは忘れているような気がするのだ。でも、小説を読むことで、そんな簡単に言葉にならないが存在しているものを探る感性が鍛えられる。いや、もしかしたら、言葉とは言葉にならないものをさぐる手段でしかないのかもしれない。だから、言葉だけで人とのつながりが限定されると、おかしなことになってしまうと思う。

 今の世の中は、人と人をつなぐコミュニケーションのテクノロジーは様々なものが出てきて、そんなツールを器用に使いこなしているが、実のところ、人間関係はますます希薄になっているように思える。それは、言葉と言葉の間を読むことができないことが要因のひとつではないだろうか。私たちはあまりにも、テキストだけで人とやりとりすることに慣れてしまい、言葉の間や裏側に隠れているものを忘れてしまったように考えるからだ。そう考えれば、小説を読んでいくことが、言葉と言葉の間を想像する力を鍛えてくれるにちがいない。すぐにではないが、読書が人と人とのつながりを強めてくれることにもつながろう。そんな希望をもって、私は今(2014年11月28日)、年末年始にじっくりと読む長編小説を何にしようか考え始めている。


ー奥付情報

著名:『本を読む本』

著者名:M.J.アドラー、C.V.ドーレン

訳者:外山滋比古、槇未知子

発行年:1997年10月10日第一刷発行

    2008年4月19日第31刷発行

発行所:株式会社講談社(講談社学術文庫)

備考:この本は、1978年6月、日本ブリタニカ株式会社から刊行される。