今回はじめて同じ作者の本を連日選んだのだが、これは昨日の『アンダーグランド』の本と、合せ鏡のような関係があるからである。それに、私が青森への出張の「行きの友」が昨日の本であり、「帰りの仲間」がこの『約束された場所で』であったから、ここで「立ち読み」としても取り上げておこうと思ったのだ。

 この本のインタビューの対象は、オウム真理教の信者である。幹部ではない、一般の信者である。その人たちに村上春樹が訊いていくのである。ただ、被害者のときとは違い、村上自身が質問を切りこんでいくところが随所に見られる。それは、オウム真理教がたくさんの犯罪をおかし、人を殺めてきたことを、どうとらえているのかを問うているからでもある。

 冒頭で、村上がなぜ、『アンダーグランド』のあとに、この本を書くことになったかをこう語る―「日本というメイン・システムから外れた人々(とくに若年層)を受け入れるための有効で正常なサブ・システム=安全ネットが日本には存在しないという現実は、あの事件のあとも何ひとつ変化していないからだ。そのような本質的な、重大な欠落が我々の社会にブラック・ホールのように存在している限り、たとえここでオウム真理教という集団を潰したとしても同じような組成の吸引体―オウム的なるもの―はまたいつか登場してくるだろうし、同じような事件がもう一度起こるかもしれない。」(p12)-そんな危機感がひとりの作家をかりたてたようだ。

 これは、ジャーナリスティックな大衆が理解しやすい砂糖を加えたストーリーではない。むしろ、作家として、信者である人間を熟視している記録である。このやりとりから感じるのは、そこに登場した信者は、だれもが真正面に人生を考えていて、普通の社会人よりも健全に思える点である。さらに、ストイックともいえる。純粋すぎるのかもしれない。だからこそ、心の中にブラック・ホールができてしまい、オウムを呼び込むことにもなったのだろう。

 この本の最後で、村上春樹は、心理学者の河合隼雄と対談をしている。そこから、現代の社会抱える病理、そしてオウムが出てきた背景を考察している。気になった観点をひとつとりあげたいのだが、それは、善悪の問題である。

 世の中には、善悪がある。また、それを両極にすえれば、間にもプチレベルでの善悪があるだろう。それはどこからくるのか―「それにはまず悪とは個人的なものなのか、あるいはシステム単位のものなのかというところからはっきりさせていかないといけない。」(p212、村上春樹)-個人かシステム(集団)か、それを知らなくちゃいけないというのである。これは、そんなに簡単にどちらともいえない複雑さを含むだろう。何か、個人の中にある悪と、システムの中になる善が結託したときに大きな邪悪になるようなこともあるだろう。また、それとは逆に、個人の中にある善が、システムの中になる悪により、簡単に色がそまっていくこともあろう。どちらも考えられて、またその二つも相互に反応し合っているのがリアルなところに思える。

 そこで、善悪をどちらが危険かといえば―「善悪を二つに割ってしまって、これは善、これは悪というのは、へたをすると危険なことになります。善が悪を駆逐するというか、そうすると善は何をしてもかまわないということになってしまいます。それがいちばん怖いことです。」(p213、河合隼雄)-これは、とても納得できるである。というのも、悪意を持つ人には、こちらが隙をみせなければある程度ではあるが防御できる。しかし、善意の人は、こちらのことなどお構いなしに、人の家に平気で泥だらけの靴で、土足であがりこんでくる破廉恥さがある。善意はなんでもゆるされるという横暴さがあるのだ。

 だから、善だけじゃだめだと。悪も合わせもたないといけないのだと―「だからね、本物の組織というのは、悪を自分の中に抱えていないと駄目なんです、組織内に。これは家庭もそうですよ。家でも、その家の中にある程度の悪を抱えていないと駄目になります。そうしないと組織安泰のために、外に大きな悪を作るようになってしまいますからね。ヒットラーがやったのはまさにそれですよね。」(p243、河合隼雄)

 ここでいう、「組織の中の悪」って何だろうかと考えてみると、それはいつも悪口の対象になる陰険な上司であったり、なかなか働いてくれない部下の能力不足なんていうのも、一種の「悪」になるのかもしれない。相手の脚を引っ張って自分が昇進しようと願ったり、実際にそんな行動に出るのも「悪」のだろう。その「悪」の毒がよほど強くない限り、その組織はその「悪」の毒を解毒しながら機能していくと考えられそうだ。

 この本から私が感じたのは、何かのきっかけがあれば、私だってその組織に入っていた可能性があると、自分ごとに思えたことだ。社会の中には、たくさんの矛盾がある。たくさんの悪事もある。小さいのもあれば大きいのもあるだろう。たくさんの見過ごされていることもある。そんなことをしっかりと見つめていたら、自分ひとりじゃ受け止められないし、自分の心に中にブラック・ホールが出きてしまう。いや、これは、「空気さなぎ」ができてしまうのだろうか。夜、寝ている間に、私の部屋にはリトルピープルが出てきているのかもしれないなんて妄想が広がってきた。生きるとは、簡単ではなく、生きにくいものなんだろう。だからこそ、そこに意味を見つけていかないと生きていけないのだろう、ほうほう。