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コンテストは勝負だけにあらず。

では、勝ちをこだわるべきではないのか。そうではない。徹底的にこだわるべきだと私は考えているし、これまでもそう実践してきた。重要なのは、結果に対しては自分の執着をすてて素直に尊敬をもって受け止めることである。誰だって勝てば嬉しいし負けると悔しい。それに負けると傷つく。だが、勝負に執着しすぎて結果に批判的になるのはいただけない。自暴自棄になる人もいる。しかしそれは愚かだ。どんな勝負も結果が出る。その結果を尊敬できないならば最初から出る資格などない。自分に厳しい結果にこそ、判断した審査員に敬意を払えるかが重要なのである。負けたときにこそその人の人間性が晒される。

私はこの大会は完璧に負けた。入賞すら逃した。厚かましいと思われるだろうが、私が入賞もしないのはまずない。過去67回のコンテストに参加した中、全く入賞しなかったのは今回を含める8回だけだ。それだけに何が起こっていたのかを自分なりに考えた。
 

まず、単純に考えれば私の敗因はシンプルな話だ。私は「すごいスピーチ」をできなかった。だから負けた・・ピリオド。


話す順番を決めるくじ引きでトップバッターになった時、私は自分の運を疑った。しかし次の瞬間にこう自分に問うた。

「もし、ダランジャナ(世界チャンピオン)さんが1番目にスピーチをしたら負けるだろうか? いや、負けない。やはりぶっちぎりで勝つだろう」という答えが浮かんだ。

「すごいスピーチ」には、順番という要素は副次的でしかない。「これで勝ったらドラマチックやないか!」と自分に語りかけて私は笑った。あえて笑ったのである。


私はこの6ヶ月の準備期間に心がけたのは「すごいスピーチ」を作ることだった。「すごいスピーチ」とは、その場にいる聴衆のほとんどの人に感銘を与えるスピーチである。これは、聴衆の気持ちを動かし行動させることだ。

私は「すごいスピーチ」の条件は二つあると考えた。一つはスピーチのコンテンツ(内容)である。この作り込みをどこまで追い込めるかが一つの鍵となる。そしてもう一つがスピーチのデリバリーである。単なる話し方だけではなくいかに聴衆とやり取りをして双方向のコミュニケーションができるかが重要になる。この二つが合わさってスピーチが完成し、この二つがベストの状態で合わさったときに初めて「すごいスピーチ」をすることができる。その点を踏まえて、自分のスピーチを自己採点したい。


● 今回のコンテンツ:(私の採点:45点/50点中)

テーマ:不安

それを”What if I fail?”という問いにした。スピーチの中で繰り返し使ったこの言葉は、不安の象徴であり私がこれまで何回も勇気を出そうとした瞬間を阻んできた”問題児”でもある。そして、”不安”は誰もが共通している。ここ数年私がスピーチのテーマとして選んでいるのはいつも”不安”なのだ。昨年の英語のスピーチでは、水に向かう恐怖から泳げないという不安を克服するストーリーだったし、日本語のスピーチでは突如訪れたチャンスのの背景に不安があること(これを「弱虫くん」と表現していた)を発見し向き合った話だった。

何をテーマにするかは「すごいスピーチ」を作るときに毎回苦しむ。人に訴えるためには、自分の中から湧き出る強いものが必要だから。毎回のテーマを考え、そこからメッセージをつくり、どのエピソードを使うのかで悩んでしまう。膨大な時間がかかるのだ。今回のスピーチでは、3~4ヶ月はこれを考えていた時期になる。

準備:最初の原稿から練り上げるプロセス

はじめに原稿ありき。原稿ができてこないと考えることはできない。この春の英語スピーチの第一原稿は1月末にできている。そして合わせて日本語もほぼ同時期に作成した。原稿を仕上げていく過程は、第一原稿ができてから気が遠くなるぐらい繰り返していく。ここが苦しいところになる。練習の機会、クラブ予選から始まり、それぞれのコンテストをこなしながら、たくさんの人の意見やフィードバックを聞きながら、それを参考に考えていくのだ。いただいた意見は全部、まず受け入れて考える。それをどう消化するかが一つの挑戦である。考え、迷い、選び、また悩む。スピーチはどんどんと変わっていく。変わるたびに良くなるという単純なものではない。もちろん、作り手としてはそれをよくしていくことを考えていく。

今回の準備を段階をふりかえって「いける!」と自分の中で確信めいたものを感じたのは、本番(5月のディストリクトと呼ばれる日本の決勝戦)の1週間前だった。しかし、準備が遅いということはなく、1月末から何回も繰り返し、クラブ、エリア、ディビジョンをやり続けながら確実にブラッシュアップできた。このフェーズでの私の準備で、26年間の中でもベストの状態だったと言える。

戦略:勝つ可能性があるのか。

戦略とは大げさだがどう考えて勝負に行ったか。トーストマスターズクラブの英語コンテストは、英語のネイティブも当然ながら参加してくる。英語を母国語とするスピーカーとの競り合うことを考えると言葉の運用能力では圧倒的に負けている。だからこそ、内容の「斬新さ」や「分かりやすさ」をとことん考えていく。その中で自分の「強み」を分析し、意識し、どの方向性にパフォーマンスを持っていけば勝機があるのかを考えた。そこを考えないと、私は風車にただ突進するドンキホーテにしかならない。このようにコンテンツを作るフェーズにおいては、私はできる限りのことをやりきった。もちろん改善の余地はある。ただ、ほぼ満点を与えることができたと思っている。となると、敗因の大きな要素はもうひとつの点、デリバリーにあると考えられた。さて、どこに大きな課題があったのか。


● 今回のデリバリー(私の採点:30点/50点)

強みとして考えた「つながり力」

私が考えた強みは「聞き手と強くつながれること」だ。これは単にアイコンタクトがしっかりとれるとかでなく、話を個々人と話しているようにつながれるのが私の特徴であり、強みである。今回も何回も練習をしていく中で「言葉を全てすっと入ってくる」とか「まるで私個人に話しかけてもらえたような気がした」「目の前で話してもらっていると感じた」というコメントをもらっていた。

私の体感でも、2016年トーストマスターズクラブ秋の全国大会の舞台でテーブルトピックという2分足らず即興スピーチではあったが、観客とのやりとりをして言葉を発することができた。その状態を再現できれば私にも勝機がある。それができれば「ぶっちぎれる」と考えた。それが私の戦略であり私の唯一の勝てる可能性だと考えた。その状態を作り出すために「すごいスピーチ」を作って、メンタルの状態を整えていくのが必須条件だった。

当日、私は話す順番が1番手になった。そして1番になったらどうやるかは事前に決めていた。それは7分に全てのエネルギーを注ぎ込むというものだ。順番が後だと、その場の流れを肌で感じながらそれに乗っかるようなところがある。しかし1番手は流れを作る側だ。

名前がコールされ、舞台中央に立って一拍の間をとって話し始めた。最初はゆっくり目に話をしてゆき、Mr.Kの声では少し低めの声、そして「彼が頼んできたんだよ・・・私にだよ・・・マダム・コンテストチェア、皆さん、えらいこっちゃ、英語でファシリテーションってやったことないんだよ!」とここまで一気にまくす。でも、彼は私の力わかってくれてるし、うまくいったらと気持ちが弾むが・・・・もし失敗したらと・・気持ちを落としていく。もしかしての3連ちゃん目の「関西弁の英語が。。。」のところは予定通り、馬鹿受け。そしてどんどんと最後まで進めていける。聴衆のリアクションはとても良かった。これまでいうほど受けなかった。「何回も何回も何回も何回も」と繰り返すところも受けた。話をしていて気持ち良かった。そんな勢いに乗りながら、ブンブンと飛ばして行ったと思う。そして、最後の「SAY YES ANYWAY」まで、準備をしていた通りに、見事に話すことができた。また、それを観客とのコンタクトを持ちかなりのレベルでできたと思った。最後の言葉は会場のかなりの人が声を出してくれた。終わった。安堵の元、司会者と握手をして袖に退場した。しかし、私はそのとき、若干の違和感を持っていた。観客とのつながり感がいつもよりも希薄に感じた。具体的には舞台にいるときに、毎回、5、6人の顔はしっかりと意識できているのだが、このとき私は数人の顔しか意識できていなかった。だから「あれっ?」と思った。しかし終わった高揚感はそんな些細な違和感など吹き飛ばしてくれた。私がこのことを意味を考えるのは、大会後2日ほど経ってからだ。

私はほぼ確実に舞台でスピーチを披露できた。そういう自信はある。それこそ忘れることもなく、最初から最後までできた。最初から最後まで聴衆の笑いを感じながらできた。間違えるところも、言葉を噛むところもなかった。正直ここまでしっかりとできたのが信じられないぐらいに語れたと思った。ただ、私は気負いすぎた。1番であることに気負いが過ぎたことが私の中のバランスを少し歪ませていた。それが「つながっていない」感覚だった。

私は自分の番が終わった後、7人のスピーチを落ち着いて聞くことができた。他のスピーチはどれも素晴らしいと思ったし、大いに笑い、大いにリアクションできた。その中で、私が入賞するとは思えなかった。また、入賞とかどうでもよくなった。いつも良いコンテストに出た時は結果などどうでもよくなる。ただその場に出られたことを感謝していた。


発音に問題あり!

結果が出た後、一人の友達からこう囁かれた「勝ちにこだわるなら発音を直したほうがいい!」と。また、帰ってからいただいたコメントを読む中、ベテランでありスピーチ経験の豊富な人からも「ミスプロナウンスがあった」ことが書かれていた。あと、もう一人の友達からは「途中また忘れたかと思った」というコメントももらっていた。過去、私は舞台上で忘れた経験があるからだが、今回はあえてポーズを長くとっていたところがあったがそう連想させたようだ

この3つのコメントから「あれっ?」と考え始めた。実は私は26年間、67回コンテストに出る中で、英語のコンテストは34回出場している。それまで英語の発音についてコメントされたことは一度もなかった。今回は2人から指摘された。

これはどういうことか?。発音とは細かいところだがそれが気になったというのは、キーワードの発音を私がミスした?大げさに表現した発音がうまくできなかったなど考えてみた。しかし、そんな表面的なことではなく、話の内容に巻き込めてなかったからではないか、と思えたのだ。実際にスピーチに巻き込まれると、細かいミスなど気にならなくなる。

私の発音が以前と比べると変わったというよりも、私のスピーチの内容に入り込めなかったと考えたほうが納得できた。そして「また忘れた?」とも言われたときも、長くとった間が狙い通りに聴衆に自分の場合を考えさせたなら、「忘れた」とは繋がらないはずだ。その仮説に至ってはじめてわかった気がしたのだ。スピーチが終わった直後の「つながっていない感」が私の中にあったのを思い出した。


気負いすぎ、力入りすぎ!

私はトップバッターを意識したあまり、自分からの発信を強く意識して、いつも以上に観客とのやりとりができなくなった。十分に準備をし、計算したスクリトは予想を超えて、聴衆の反応を引き出したのは事実だ。しかしもう一歩進んで、その場にいる人たちとのつながりをどう作れるかという私の唯一の勝利の可能性だったが・・・・できていなかった。


自己採点は、合計75点。私の考える入賞圏内は、80点以上、優勝は90点以上という見方をしていた。悔しいが見事なる完敗である。


負けてこそ新たなる出発

負けに不思議な負けなし、という言葉がよみがえる。そして、その気持ちの微妙なバランスを崩してしまった自分の未熟さを恥じる。ただ、勝機も見えている気がしている。今回の経験はまちがいなく、これまでのベストの状態であった。それをもっと積み上げていけるとも考えた。人はコンテストに勝つからチャンピオンになるのではない。人はチャンピオンになることを決めた後にチャンピオンになるのだ。ただそれがどのタイミングになるかはタイムラグがある。私のチャンピオンへの道、インターナショナルスピーチコンテストへの道は、まだまだ継続していく。