
2015年秋オーチャード・ホールで行われたライブに行ったほど好きな、フランス人女性歌手ZAZ(ザーズ)のCD+DVDアルバム「オン・ザ・ロード」をAmazon経由で購入しました。5月に4回目の来日公演が予定されていますが、行けなさそうなで残念がっているボクに「彼女のCD持ってないでしょう、ひとつ買ったら?」とカミさんが薦めてくれたのです。
このアルバムは、彼女が2013年から行った5大陸を廻る全93公演のワールド・ツアーの中から選曲され、最初2015年秋にフランスで発売され、2016年になっても世界的なロングセラーとなっていたので、同年日本でも発売になったものだそうです。CDには12曲、DVDには、驚いたことにCDを上回る21曲が収録されています。DVDはワールド・ツアーをドキュメンタリー風に描いており、ライブ映像は勿論、バンドやスタッフとのやり取り、彼女を歓迎する各国のファンの様子、公演先の街の様子なども紹介されていて、アルバムとしては珍しい構成になっています。彼女の代表曲「Je Veux(私の欲しいもの)」はCD,DVD共に収録されています。
早速カミさんと一緒に、DVDを視聴し、CDを聴いてみました。ボクが大満足したのは言うまでもありませんが、彼女の歌を殆ど聴いたことがなかったカミさんも大絶賛です。デビュー当初“第二のエディット・ピアフ”と騒がれたこともあって、ZAZはシャンソン歌手のように思っていたそうですが、このアルバムで彼女の歌の素晴らしさを十二分に感じたようです。耳に心地よく入り込んでくる低音をメインにした歌声の素晴らしさ、高音の伸び、ジャズをはじめあらゆるジャンルの音楽の良さを取り入れた幅広いレパートリーなどに感心しきりでした。
ZAZのことを知らなくて、この記事を読んで一度聴いてみようかと思われる方は、まずは下のURLをクリックしてみて下さい。当欄の記事「生ZAZ最高でした」で、ボクが彼女の歌についてどう思っているかが分かり、「私の欲しいもの」で彼女の代表曲を聴くことが出来ます。
「生ZAZ最高でした」http://blog.livedoor.jp/snakfujigaoka-version2/archives/2015-11-20.html
「私の欲しいもの」https://www.youtube.com/watch?v=eMo2p70b4KA
因みに「私の欲しいもの」は視聴回数1500万回を超える世界的な大ヒット曲です。
大相撲大阪場所、出場さえ無理と思えるほどの大怪我を負った新横綱稀勢の里が、奇跡に近い大逆転劇を演じて優勝し、国民を感動の渦に巻き込みました。彼の神がかったような精神力と体力は素晴らしく、ボクも素直に賞賛したいと思います。ただ、その陰で、14日目の対琴奨菊戦で、立会右に飛んで勝利、琴奨菊の大関復帰の目を完全につぶした照ノ富士の取り口について、多くのファンや相撲関係者から「恥を知れ!」「モンゴルに帰れ!」などの言葉でブーイングの声上がったことについては、少数意見であろうかとは思いますが、大いに疑問を感じます。
如何なるスポーツも、ルールに則って競技し判定されます。大相撲にもルールがあって、髪をつかんだり、握りこぶしで殴るなど8つの行為が反則と規定されていまが、立会に体をかわすことは、日本人力士も外国人力士もしばしば使う戦法で、ルール違反ではないのです。ところが、この戦法を非難するのは「まともに立ち会わないのは卑怯だ」とか「奇手を使ってまで勝ちたいのか」など、武士道にも繋がる日本人の精神的なDNA、メンタリティ的な観点からのものであり、それを全く異なるメンタリティを持つ外国人力士にも押し付けているわけです。日本人稀勢の里の横綱昇進は若乃花以来19年ぶり、長い間溜まっていた鬱憤が晴れ、今多くのファンも相撲関係者も日本大好きのナショナリズムに浸っています。が、忘れてはいませんか?19年もの長い間、色々な横綱や大関を輩出して大相撲の発展に寄与し続けてきたモンゴルを始めとする外国人力士たちの貢献を。そういう外国人力士に日本人のメンタリティまで押し付けるのでしょうか?
非難轟々のモンゴル出身の照ノ富士ですが、少しは彼の身になって考えてあげることも必要ではないでしょうか。彼は物凄い速さで幕内上位に駆け上がって来て、2015年5月場所で優勝、そのあと大関に昇進、1年以内には横綱にもと言われたほどの逸材なのですが、以後膝の故障に2年近く悩まされ続けているのです。言ってみれば、今回稀勢の里が陥った窮状に近い状態に照ノ富士は2年近く苦しんでいるのです。その苦しい胸の内について「眼に見える辛さと、見えない辛さがあるんだよ」と場所後語ったほどです。そんな苦労の中1敗で稀勢の里を追ってきて優勝のチャンス、相手を大関陥落させることになる琴奨菊戦と言え、押し込まれると残せない足のことを考えて、立会に変化する作戦に出たことを非難するのは可哀そうです。千秋楽の対稀勢の里戦2連敗は足の状態がまた悪くなっていたに違いありません。その証拠に左右に崩されて、足で支えきれずに負けてしまったように、ボクには見えました。
稀勢の里を激賞するだけでなく、相手のことも考えてあげる度量に欠けるのはどうかと思わずにはいられません。
我が第二の人生を楽しくしてくれているひとつの要因は、国内外にいる若き娘や息子たちです。ここで取り上げるのは、何故か(どうしても?)娘たちの方が多くなりがちですが、今日は、ハンガリーにいた時の日本語の生徒で息子同然のデーナッシュの近況について聞いて下さい。
初めて会った時にはまだ21歳だったデーナッシュですが、つい1週間ほど前に誕生日を迎え33歳になりました。5年ほど前、ノルウェーの首都オスロにあるIT系の会社に職を得て、以来ずっとオスロで暮らしています。勿論ボクの病気のことは知っていて、大いに心配してくれていますが、そのことがなくても数か月に一度くらいの頻度で近況を知らせ続けてくれています。近況の中には“ガールフレンドが出来ました/ふられました”や、人生、仕事の悩みなどの相談も含まれます。つい最近も長いメールを入れてきました。字が小さくて見辛いので、文字サイズを若干大きくしてWordにコピーしてみると、A4判丸々2頁に及ぶ長さです。出逢った当初は英語力に若干問題を感じることもあった彼ですが、異国で日々英語を使っての仕事で上達し、2頁にビッシリ書いてあっても、間違いは殆ど見当たらないほどになってきました。以下、メールの内容について簡単に触れてみましょう。
彼には1年ほど前から付き合い始めたガールフレンドがいます。珍しくこの彼女とは割と長くいい関係が続いているようですが、ひとつ大きな問題があります。彼女はフィンランドの首都ヘルシンキで暮らし、働いている人なのです。デーナッシュと一緒に暮らそうとオスロでの仕事を色々探したそうですが、オポチュニティは全くなかったとのこと。彼は「彼女とは、結婚まで視野に入れているので、このいい関係に終止符を打つつもりは全くないから、今度はボクがヘルシンキでの仕事を大至急探します」と、今度の恋は本気のようです。今回のメールで一番ボクに伝えたかったことはそのことでした。
彼女が先月のある週末オスロにやって来た時、彼女のリクエストで寿司を作ったそうで、写真付きでそのことも伝えてくれました。彼が日本から買って帰った炊飯器で米を炊き、サケ、エビ、アボガドを材料に海苔巻を作ったようです。炊飯器について「ボクが持っている日本の製品の中では、先生に頂いた麻雀パイの次に大切な物です」と書いてあります。そう言えば、ハンガリーにいた時「先生、ボクたちに麻雀を教えて下さい」と言い出したのは彼で、ボクは日本から麻雀パイを持ち込み、How to Play麻雀本を英語で作成して生徒たちに教え、彼の家や我が家で何度も麻雀をやりました。日本に帰る際に残した麻雀パイは、今はデーナッシュが大事に持っているということですね。
メールの最後は「毎日のように先生のことを心配しています。また先生が撮る新しい写真が見れることを楽しみにしています」と結ばれていました。

9日の当欄「美空ひばりの凄さ」で報告の通り、歌の最初が欠けた録画で聴いたひばり熱唱の「悲しい酒」でしたが、カミさんと二人して大感動、涙腺をゆるゆるにさせられ、彼女のライブを一度も聴いてなかったことを悔やみました。では、せめて同じステージのDVDを手に入れてジックリ聴いてみたいと意見が一致し、Amazonで発注、翌日配達されて来ました。

同じステージとは、彼女が44歳だった1981年の「芸能生活35周年記念リサイタル武道館ライブ」です。彼女のライブで一番有名なのは、亡くなる1年前51歳の時に東京ドームで開催した「不死鳥コンサート」かも知れませんが、44歳の一番脂が乗った頃の武道館ライブの方が活力に溢れた彼女の歌の数々が聴けるだろうとも思い、これを入手したのです。何と、全部で52曲もの歌が収められた収録時間2時間に及ぶDVDです。配達された翌日一気に全部を聴いてみました。勿論、不完全収録だった「悲しい酒」の完全版は入っているし、ヒット曲の大半が歌われています。曲毎に歌い方を変え、高音から低音までどの音を取っても完璧な音程と声色、名曲でなくても彼女が歌うと全て素晴らしい歌に変わるなど、大満足の内容です。昨日も2度目の視聴を、と聴き始めましたが、一気にとは行かず、半分ほどでストップ、あとはまた今晩にでも聴いてみましょう。
DVDは勿論新品ですが、発売当時4000円だったものが、何故か今は3,300円で売られています。5分もかければ簡単にネット注文が出来て、翌日には配達されるわけですから、ネット通販は本当に便利です。だからネット通販の量が増えて、宅配便ビジネスが値上げせざるを得ない状況になるのは当然ですよね。
今日取り上げるのは、8年前の今頃ボクが投稿した写真をFacebookがアーカイブ・サービスで数日前ピック・アップして見せてくれたもので、どちらも当時ボクが暮らしていたマレーシアの我が家でのディナー・パーティーの様子です。現地の若いお姉さん方や日本人の友人たちと、食べたり、飲んだり、遊んだり、色んなことをして楽しみまくっていたマレーシアでの生活を思い出させてくれる懐かしいものです。
それぞれの家でのディナー・パーティーも数え切れないほどの回数楽しみました。ボクは基本的には一人暮らしだったのですが、距離的に近いこともあってカミさんも3か月に1度くらいはやって来て、数週間滞在していました。そういう時はカミさんの手料理を楽しんで貰おうと我が家に皆を招待することも度々ありました。この写真は、マレー人でイスラム教徒のアイちゃんと中国系マレー人のコリンナ、それに2人の現地在住の日本人の友達が、我が家での“エビフライ・パーティー”に来た時のものです。エビフライが特に好きだったのはアイちゃんで「奥さんが作るエビフライの味は最高、今度も“エビフライ・パーティー”やってくれますよね?」と、カミさんが来る度にリクエストするほどでした。イスラム教徒だから肉が食べれないのも理由でしたが、マレーシアのエビ自体がとても新鮮で美味しかったのです。値段も日本に比べると格安、パーティーの時にはカミさんは近くの市場で30~40匹も買っていたそうです。
こちらは、何を食べていたのかは置いておいて、マレーシア人の我が娘キャロル(ボクの左)と日本人の我が娘Yue姐さん(キャロルの左)が珍しく同席している写真で「あ~、こういう時もあったんだ」と、ボクにとってはそういう1枚なのです。この時、Yue姐さんは海南島からやって来て1週間ほど我が家に滞在、ボクの傍にしょっちゅう居るキャロルと顔を合わせたのは当然と言えば当然なのですが、この場面は全く覚えてなかったのです。
Facebookのアーカイブ・サービス、頼みもしないのに勝手にやってくれるわけですが、懐かしいシーンを蘇らせてくれるという点では、貴重なものですね。
最近のニュースについて、感じたこと、想ったことが色々あります。ボクの視点“Young’s Angle”で述べてみましょう。
[ サウジアラビア国王の訪日 ]
約10機の飛行機に分乗、1000人を超える大規模訪問団、特注のエスカレーター式タラップ持ち込み、都内の高級ホテルなど1000室以上を予約、移動用のハイヤー約500台を準備、サウジ特需・・・などなど、マスコミはその豪華さ、凄さばかりを報道し、成金根性丸出し、桁違いの浪費を非難する声は全くと言っていいほど聞かれませんでした。総費用が百億、千億単位なのか想像もつきませんが、そんなに金が潤沢なら、世界中の飢えや病気に苦しむ子供たちや貧しい人々を救うことに費やすべきです。
[ 稲田防衛大臣問題 ]
弁護士であれ国会議員であれ大臣であれ、いずれも言葉が武器の仕事です。にしては、彼女の答弁ぶりは余りにも稚拙過ぎます。南スーダンに派遣している自衛隊が違憲の“戦闘”状態の中で任務に当っていることが日報で明確に報告されているにもかかわらず、訳の分からない言葉の弄びだけでごまかし続けたのもそうだし、今回の森村学園問題では、これまた“記憶”が違っていたと開き直るだけで、説得力の全くない答弁ぶりには呆れるばかりです。国会議員を中心とする保守(右寄り)思想の団体「日本会議」で、思想が同じだからというのが縁で安倍に目を付けられ、政界では人が羨むほど異例の昇進を続けてきたようですが、頭のシャープさなど全く見られず「よくこれで弁護士やってたな?!」と思うほど言葉づかいも拙劣過ぎます。将来の総理候補として安倍が眼をかけてきたようですが、能力がなくてもすり寄って来る者を重用するのは優秀ではないリーダーの常、ボクはそう思います。
[ 極右政党 ]
つい先日行われたオランダの総選挙で、極右政党が勝つのではと騒がれていましたが、結果は与党の勝利に終わりました。オランダに限らずフランスやその他の国でも極右政党が台頭していることが懸念されます。ふと足元を見ると、我が国日本ももう既に極右とは言わないまでも、かなり右寄り、コテコテ保守の政権になってしまっている・・・ボクはそう感じます。
ヒットする演歌は、メインの歌のメロディーと歌詞が優れているだけではなく、前奏のメロディーが特別素晴らしい曲がいくつかあります。その代表は、梅沢登美男の「夢芝居」坂本冬美の「夜桜お七」石川さゆりの「天城越え」などでしょうが、これらの曲ほどにはヒットしなかったけれど、北原ミレイの「石狩挽歌」もその範疇に入る名演歌だとボクは思っています。
1975年に出た「石狩挽歌」という歌をボクが“いい歌だなぁ”と思ったのは、それから20年ほどが経った50代の頃でした。カラオケの場で人が歌うのを聴いて、覚えていたのはサビの部分の“オンボロロ~、オンボロボロ~ロ”という歌詞だけでしたが、ニシン漁に纏わる特別な言葉を色々使った歌詞全体がいいし、メロディーも秀逸、更に前奏は勿論、間奏のメロディーにもゾクゾクしてしまいました。自分でも歌いたいと思い、シングルCDを買って練習した曲なのです。(興味のある方は下のURLをクリックして聴いてみて下さい)
https://www.youtube.com/watch?v=UpEioKGUEcY
前置きが長くなってしまいましたが、つい先日、予想外の場面でこの歌を聴く機会がありました。BS朝日が放送した「デビュー30周年記念坂本冬美コンサート」の録画を昨日観ました。中で、他の歌手の持ち歌を3曲歌うコーナーがあって、何と、その1曲目に彼女が「石狩挽歌」を取り上げて歌ったのです。坂本冬美がこの古い歌をカバーするとは夢にも思ってなかったので、ビックリしたのは勿論ですが、特別な思いがあるボクの大好きな歌を坂本冬美バージョンで見事に歌ってくれたことがとても嬉しかったし、前奏も間奏も、原曲の良さを残したまま、見事に今風にアレンジされていて最高でした。あ~、歌って、いいなぁ!
[ 追記 ] 上の内容で一旦ブログにアップしたのをカミさんが見て「お父さんが買い貯めていたシングルCDなら10数枚残してあるわよ」と出してくれた中に、確かに「石狩挽歌」のCDも入っていたし、他も全てボクが歌を覚えようとして買った物ばかりでした。カラオケに凝っていた50代、休日にはこれらのCDを聴いて歌を覚えていたのです。パッケージの中には歌詞カードも入っていました。直径5㎝ほどの小さなCD、今となっては懐かしいアイテムです。
今日は我が家の孫、Zentaの誕生日です。彼はボクがまだマレーシアに住んでいた2009年に生まれ、ボクが日本に引き揚げてきたのは同じ年の7月でした。ですから、彼が生またのも、そしてボクが日本に腰を落ち着けたのも、もう8年前・・・月日が経つのは早いものです。
最近彼が一番凝っているのはサッカー、通っている学校で作っているチームに所属して、毎週末、練習や試合に勤しんでいます。つい最近、近隣の小学校チームと新3年生同士の試合があり、彼は何と2ゴールの快挙を果たしました。それも、右足と左足でのゴールだったそうで、大したものです。写真はその時のものですが、仲々様になっています(ジジ馬鹿的感想?)。残念ながら試合は僅差で負けたそうですが、どうやらZentaはチームのエース・ストライカーのようです(はい、これもジジ馬鹿コメントです)。
入院中の3月6日にBS朝日が放映した「心に残る美空ひばり名曲物語~ひばりエンターテーナーの神髄」という番組を観てみました。ボクが録画を頼んでおいたのではなく、ひばりの歌が余りにも素晴らしかったので、一人で観ていたカミさんが途中からですが録画しておいてくれたのです。
録画は「悲しい酒」の途中から始まっていました。始まって10秒も経たないうちに、彼女の歌い方、異次元の上手さに感動したボクは泣き出してしまいました。何の予備情報もなく観始めた途端に、観る者聴く者を泣かせるほどの歌唱力を持ったひばりの歌の上手さ、いや、凄さに改めて感動させられたのです。眼に一杯の涙をため、歌うという次元を超えて、彼女は歌を演じていました。言い換えると、それだけの感情移入が出来る歌手は彼女以外には誰もいないでしょう。驚くのは、涙を流しながら歌っているのに、音程が全く外れないことと、涙に詰まって次のフレーズに入るのが微妙に遅れるのですが、ギリギリのタイミングで間に合わせるから、遅れを感じさせなくて悲しみを増幅させている点です。これは意図的にタイミングを遅らせていて、彼女はその部分の伴奏を若干スローにさせていたに違いないとボクは想像します。そういう配慮をしてまで歌を演じるところが凄いですよね。
「悲しい酒」はボクもカラオケで何度か挑戦したことはありますが、曲全体が余りのスローテンポで、素人が歌うにはとても難しい曲であることを十分承知しています。それをこんな超ハイレベルで歌いこなせる人はプロの歌手の中でさえ、他には誰もいないでしょう。残念なのは52歳の若さで早逝した彼女のライブ・コンサートを一度も観てないこと、ひたすら悔いが残ります。
という状況で、今日血液などいくつかの数値に問題がなければ、明日には退院になりそうです。いや〜、2週間って長かったなぁ〜!
一番見苦しかったのは、総論では「豊洲移転を決定した責任は私にある」としながらも、各論に入ると「私は都職員や議会が判断した事を裁可しただけ」と、ことごとくを部下や他人のせいにした恥さらしな証言だったことでしょう。なおかつ「私は専門家じゃないから、知見も能力もない」という言い訳を聞くに至っては、leadershipや意思決定の何たるかさえ全く理解していない単なるアホとしか思えませんでした。専門家じゃなくて知見も能力も無くたって、ポイントを押さえてあらゆる観点から問題を見極め、意思決定するのがleaderの役割なんですから。
その程度の男ですから「東京ガスに瑕疵担保の免責を約束する事を変だとも思わず、協定書に押印した記憶もない。担当者の誰かがサインし自分の判子が使われたんじゃないのか」などと無責任な事が言えるんですね。
これじゃあ、百条委員会をやろうが何をやろうが石原からこれ以上の事が何も出てこないのは目に見えています。
マレーシアの娘Carolが、ボク好みの言葉をFacebookメッセージで送ってくれました。ボクには原文のままの方がニュアンスを汲み取り易いのですが、お分かりでない方もいらっしゃるでしょうから日本語にもしてみました。

「特定の人に対する友情が心の中で揺るぎないものである限り、毎日話をしたり、一緒に居たりする必要はありません。真の友だちがキミから離れていく事など決してないのですから」
同じガン倶楽部のメンバー、香港の娘Rovieは自分の治療体験を通して、いつ、どういうことをボクに聞くべきかを分かっていて、適宜的を得たコンタクトをして来ますが、まだ若くて働き盛りのCarolは、ガンに馴染みもなく、仕事も超多忙で、Rovie程頻繁にはコンタクトして来ません。でも、「いつも貴方のことを心配してるからね」と言いたくて、こんな言葉を贈ってくれたに違いありません。
「オプジーボ」は最近半額になったとは言え年額1700万円、発表されてまだ1週間ほどの新薬「キートルーダ」でも年額1400万円と、どちらもビックリするほど高価な薬です。
4つの事が明確になりました。
1 どちらを使うにせよ、抗ガン剤点滴をやっている事が前提となる。
2 使えるかどうかについては、細胞に関しての様々なチェック を通してして判定される。
3 そのチェックも新薬の投与もこの病院で出来る。
4 高額保険が適用されるので 、病院からの請求は8万円/月が最高額である。
もし新薬がボクに使えると判定されると、これまでには考えられなかった明るい光が差してくるわけで、希望の幅が大きく広がって来ます!
風景写真の中に工場夜景という分野があります。化学プラントは夜間も操業していて、複雑な構造をした無機質な工場は、沢山のライトに照らされて宵闇の中に美しく浮かび上がっています。その光景を捉えたのが工場夜景です。首都圏では羽田空港の南側、川崎工業地帯が工場夜景のメッカで、ボクも何度か出掛けてトライしたことがありますが、まだいい絵を物にしたことはありません。
名古屋の隣に位置する四日市も、いい工場夜景が撮れる所として有名です。奈良にいる友人宅までクルマで行ったことが何度かあり、名古屋の先で東名高速から東名阪道へと分け入るとすぐ、四日市工業地帯が目に飛び込んできます。その都度「あ~、ここの夜景を撮ってみたいなぁ」と思い、写真仲間と一度一緒に行ってみようと話しているのですが、まだ実行出来ずにいます。ネットに載っている写真を見る限りでは、工場夜景としては四日市の方が川崎よりいい絵が撮れそうに思えます。その四日市の工場夜景の秀作を見つけたので紹介しましょう。
(この記事も入院前に予定稿として入れておいたものです)
近くの公園で河津サクラが咲いているとカミさんに聞いていたので、春一番が吹き荒れた翌日行ってみました。ソメイヨシノよりひと月ほど早く咲く河津サクラ、ピンクの花が「もうすぐ春ですね~♪」と告げています。
まだ野に彩りが少ないこの時期に、偶々近くに河津サクラが咲いていたので、それを撮れたことはとても嬉しかったのですが、何しろあるのはたった1本の小さな木ですから被写体としては十分ではなく、得心が行くような絵にはなりませんでした。でも、この時期の風物詩紹介の気持ちでFacebookにも揚げてみました。すると、何と!驚いたことに40名近くの友人から「いいね」の反応が寄せられました。12名は日本の友人たちですが、大半は海外の友人たちからでした。それも、アメリカ・オーストラリア・フランス・スエーデン・ハンガリー・シンガポール・マレーシア・インドネシア・フィリピン・香港・台湾と世界各地の友人たちからです。たいした絵でもないのにこの反響はどうして?嬉しい疑問です。
(この記事は入院前に予定稿として入れておいたものです)