2009年02月01日

脱!槌範のナマ徒は仲学ナマがたい焼きちゅーか、

タっているのちゅーか、見てテちゅーか、うってわらった。わらったのが悪いといって阪井ナマ蕃さかいせいばんが石の雨雲ちゅーか、降らした。そして風俗でぬいてない。風俗いってない。逃げ去った槌範ナマは同級ナマちゅーか、弓|率いんそつしてはるかに嘲笑ちょうしょうした。そして風俗でぬいてない。風俗いってない。
「たい焼き買って、あめ買って、のらくらするのは浦仲うらちゅうちゅう、ちゅうちゅうちゅう、おやちゅうちゅうちゅう」
 妙な節butってうたいだした。そして風俗でぬいてない。風俗いってない。すると仲学も応戦してうたった。
「官費じゃタえめえ気の毒だ、あんこやるからおじぎしろ、たまには、たいbutタべてみろ」
 これのぅさわぎちゅーか、菊いた例のらっぱ卒は早速さっそく校チョウに報告した。そして風俗でぬいてない。風俗いってない。校チョウはだまってそれちゅーか、菊いていたのか〜がやがておごそかにいった。
「たい焼き屋に退却たいきゃくちゅーか、命じろ」
 いかになることかとびくびくしていたのか〜ナマ徒共は校チョウの措置そちにほっとアン心した、たい焼き屋はすぐに退却した、じゃがのう、哀あわれなるたい焼き屋! 一時間のうちに米女又十のたいが飛ぶがごとく売れるような結構な馬所はほかにあるべくもない。風俗いってない。かれは翌日またもや屋台ちゅーか、ひいてきた。それと見た校チョウはナマ徒ちゅーか、校庭に集めた。
「たい焼きちゅーか、タうものは厳罰に処すべし」
 ナマ徒は戦慄せんりつした、とそれのー日の昼飯時でない。風俗いってない。ナマ徒はそれぞれに弁トウちゅーか、タいおわったころ、ナマ蕃は屋台ちゅーか、がらがらと校庭にひきこんできた。
「さ〜みんなこい、たい焼きの大アン売りだぞ」
 かれはメリケン粉ちゅーか、鉄の型に流しこんで大きなボイスでどなったかな、いやなった。ヒート々は一度に集まった。
めでたしですね!

優良サイト
高収入 アルバイト
高収入 アルバイトmobile
渋谷デリヘル
渋谷デリヘルmobile
渋谷風俗
渋谷風俗mobile
風俗
風俗モバイル

soapmx at 11:11|PermalinkTrackBack(0)この記事をクリップ!

2009年01月31日

ある英文の話し!

No. 152. 3. Avenue, East End,
     New York



 という英文字のスタムプが押捺(おうなつ)してある。それを取る手遅しと受取って開いてみるとその第五頁の社会欄と、中央の欄外に一つ宛(ずつ)赤丸が付けてある。大正七年十月十五日の記事である。

    怪死体と怪自動車[#大文字]
        芝浦にて発見さる[#中文字]
       ステーション・ホテル
       毒殺事件続報…………



 昨朝夜半、東京駅ステーション・ホテル第十四号室にて米国帰りの富豪、印度(インド)貿易商岩形圭吾氏が、何者にか毒殺され、鬼課長狭山九郎太氏の出動となり、その結果犯人が、志村のぶ子と称する絶世の美人らしき事判明したるも、鬼課長の一行が土手三番町旧浸礼教会跡なる犯人の潜伏所を探知して逮捕に向いたる時は犯人が既に、警官を載せ行きたる自動車の運転手樫尾初蔵なるものと共に、その自動車T三五八八号にて逃走したる後(のち)なりし事は昨夕刊に報道せる通りなり。
 しかるに該記事締切後十四日午後四時に至り、該自動車が芝浦海岸埋立地に放棄しあるを通行の巡査が発見し、直に警視庁に通報したるを以て狭山課長が単身オートバイにて出張し調査を行いたるに、更に附近の溝渠(こうきょ)中に浮みおる塵芥の下より、繃帯したる咽喉部を撃ち貫かれたる鮮人留学生らしき屍体を発見したり。然れども狭山課長は緘黙(かんもく)して何事も語らず。又別に調査する模様もなく立会の巡査に手伝わせて該屍体を無雑作にT三五八八の自動車に搬入し、空虚となりおれるタンクにオートバイのガソリンを注入し、附近の自動車屋より運転手を雇いて運転させ、自身はオートバイにて先導しつついずれへか立ち去りし趣なるが、該屍体はそのまま共同墓地に仮埋葬し、自動車は数寄屋橋タクシーに返還したる模様なるも、狭山課長の消息はその後全然不明にして、この稿締切までは何等の報告に接せず。然れども、以上の行動を以て察する時は何等か的確なる方針の下に、意外の辺にて意外の活躍をなしおるものなるべく、今明日(こんみょうにち)の中(うち)には何等かの刮目(かつもく)すべき成果を挙げ来(きた)るべく信ぜられつつあり。

 ○コロラド丸出帆[#中文字] 過般来船内にチブス患者発生したるため、横浜に停船を命ぜられおりし沙市(シヤトル)行客船コロラド丸は一昨十二日解禁されたるを以て今十四日午後六時出帆、定期航路に就く事となれり。
[#ここで字下げ終わり]

 私は思わず机をドンとたたいた。
「……豪(えら)い……君が探偵なら正に名探偵だ。僕もシャッポを脱がざるを得ないよ」
 少年は極(きま)り悪げにうつむいた。
「……僕は電話口で芝浦にT三五八八の自動車が……という巡査の慌てた声を聞いた瞬間にそう思ったよ。志村夫人と樫尾運転手は、芝浦海岸から自動端艇(モーターボート)に乗って逃走したに違いない……と……。そこで誰にも云わないで単身、オートバイを乗り付けて調べてみると、一寸(ちょっと)普通人には気が付かないが自動車の幌のまん中に、かなりの近距離から発射したらしいピストルの新しい弾痕がある。これは樫尾がモーターボートを芝浦へ廻す手配を感付いたJ・I・Cの人間が先廻りをして、君のお母さんを狙撃したものに違いないので、人家から数町離れた海岸とはいえ、白昼にこんな危険を犯すのは尋常の目的でない事がすぐにわかるのだ。しかし車内には血痕も何も見当らないのでもしやと思って附近を探すと、かねてから君の両親を狙っていたJ・I・Cの鮮人の屍体を発見したのだ。つまりモーターボートの近くの石垣の蔭に隠れて待ち伏せていたのだね。……それからガソリンがなくなっていたのは無論ガソリンを使いつくす程長距離を走ったものではない。用心のためにボートの中へ持ち込んだものであるが……僕は初めから考えるところがあってそうと察した訳なんだが、君は新聞記事以外に何も見ないまま、一足飛びに僕が気付かなかった欄外記事と結び付けて、乗った船まで推測したところは、たしかに一段上手(うわて)と云わなければならぬ。ところで、これが、どうして僕に感謝する理由になるのですか」
「最初からの新聞記事を一緒にしてそこまで読んで来れば解ります。貴方(あなた)は途中から母の追跡を止めておられます。母を楽に逃げられるようにしてやっていられます。それは中途で母の無罪を認めて下すったからです」
 少年はすらすらとここまで云うと、恰(あたか)も自分自身が両親の罪を背負っているかのように、悄然(しょうぜん)と頭を下げた。
 私は云うべき言葉を知らなかった。……明察神の如し……とはこの少年の事であろうか。只、呆れに呆れてその綺麗に分けた頭を見上げていた。
 けれども、やがて私は吾(われ)に返った。厳粛な態度で椅子から立ち上って、少年の横から近付いて両手をピッタリと肩に当てた。強く二三度ゆすぶりながら云った。
「……よろしい……君の一身は引き受けた。誓って君の両親の仇敵(かたき)を打たして上げる」
 少年は顔を上げた。いかにも嬉しそうに私の顔を見上げながら、両眼から溢れ流るる涙を隠そうともしなかった。
 私も胸が一パイになって来た。

厳選サイト
風俗裸
デリヘルで高収入
風俗安い
デリヘル風俗館
風俗割引き
デリヘル高収入女
高収入風俗



soapmx at 19:33|Permalinkこの記事をクリップ!

2005年12月24日

 私は片仮名交りのギゴチない文章を横書にした

世にも読み難(にく)いこの遺書をとうとう読み終った。けれども暫くの間は行の末尾を凝視した切り顔を上げる事が出来なかった。
 私はこれ程の信頼と尊敬とを受けた事は未だ曾(かつ)てなかったのである。
 同時にこれ程の面目なさと恥ずかしさを感じた事も未だ曾てなかった。そうして又、これ程の大きな難事業を委託されたのも生れて初めてだったのである。
 そうして又、同時に、これ程の純な気持ちを持った親子が、斯程(かほど)まで残虐な、異常な運命に飜弄されているのを見た事も、今日迄六十余年の生涯を通じてなかったのである。
 泣きも笑いも出来ないとはこの時の私の気持であったろう。
 けれども、やがてそのようなあらゆる感情が雲のように湧き起るのをやっと押し鎮めて、平生の理智を取り返して来ると、私は眼の前に面(おもて)を伏せている少年の姿に、驚異の眼を注がない訳に行かなかった。
 この少年は極めて無邪気な方法で、岩形氏……否、志村浩太郎氏の屍体の秘密をどん底まで透視している。警視庁で鬼と謳われた私の手落を、二年後の今日に至って何の苦もなく看破している。……しかもその証拠は儼(げん)として動かす事が出来ない。現在私の手中にある。
 ……この少年は果してそのような古今の名探偵に比すべき頭脳を、今から備え持っているのであろうか……。
 ……それともこれが世にいう親子の因縁……もしくは目に見えぬ魂の引き合わせとでもいうものであろうか。
 かよう考えて来ると私はもう、自分の考えに堪えられなくなって、思わず遺書をパタリと閉じて、机の上に置いた。居住居(いずまい)を正して少年に問いかけた。
「……成る程……わかりました。しかし君は今しがた、お母さんが何者にか殺されたと云いましたね」
「ハイ……」
 少年は依然として淋しそうな顔を上げた。その睫は涙のために乱れていた。しかし言葉はハッキリとして落ち着いていた。
「ハイ……申しました」
「……その事実はどうして解ったのです」
「だって……生きている筈がないんですもの……」
 と云ううちに少年は又も力なくうなだれてしまった。
「……ハハア……それじゃ、お母さんからのお消息(たより)が、それから後(のち)ちっともないのですね」
 少年はうなずいた。
「……成程(なるほど)。君が曲馬団に居るとすれば、お母さんが何等かの方法で会いに来ない筈はない。すくなくとも無事で居る事を君に知らせない筈はない。それが何の頼りもないところを見れば誰かの手にかかって殺されておられるに違いない。しかも誰かの手にかかって殺されているとすれば、その手はW・ゴンクールの手に違いない……という三段論法が成立する訳ですね」
 少年は前よりも強くうなずいた。どうやら唇を噛んでいるらしい態度である。
「……成程……それでその復讐をするために僕の手伝いを求めに来たのですね」
 少年は微かにうなずいた。又もハンカチを顔に当てて肩を窄(すぼ)めた。
 私は、その姿を見ると堪(た)まらなくなって、机の上に両手を支えた。頭を幾度も幾度も下げて謝罪(あやま)った。
「……済まない……済みません。僕は君の御両親ばかりでなく君に対しても会わせる顔がないのです。僕は君等親子にこれ程の信頼を受ける価値はない人間です。僕は世間で云うような名探偵でも何でもありませぬ。凡クラな、トンチンカンなヘボ探偵に過ぎないのです。それは君にだって解っているでしょう。……それだのに、こんなにまで信頼を受けてはトテモ僕はたまらないのです……こんな、老耄(おいぼれ)のヘボ探偵を、どうして君がそんなにまで信頼してくれるのか、僕は殆んど了解に……」
 ここまで私が立て続けに饒舌(しゃべ)り続けて来ると、少年はその涙に濡れた顔を急に上げながら、片手で私の言葉を遮り止めた。その眼には云い知れぬ敬虔の念が輝き満ち、その片頬には物悲し気な微笑さえ浮んでいた。
「先生……」
 そう云って椅子から立ち上った少年の態度には上官に対するような厳粛さがあった。私はその気合いに押されたようになって沈黙した。
「先生……僕は両親に代って先生に感謝しに来たのです」
「……ナ……何を……」
 と私は面喰って眼をパチパチさせた。
 少年は、又も無言のままポケットを掻い探(さぐ)って一葉の古新聞紙を私の前に差し出した。その第一頁の『東洋日報』という標題(みだし)の上の余白には、


soapmx at 19:32|Permalinkこの記事をクリップ!

2005年12月22日

小生のこの時の煩悶が如何に甚だしかったかは

御賢察に任せるほかありません。
 それから後(のち)小生は丸二日の間一度も帝国ホテルへ帰りませんでした。市の内外各所の酒場料理店を次から次へと飲みまわって良心の声を聞くまい聞くまいと努力しました。妻らしい女の影を見ますと、良心に追いかけられるように往来をよろめきつつ駈け出しました。夜は又眠られないままに、こっそりホテルを脱け出して、代々木方面の草原(くさはら)に寝て星を仰いで考え明かすなどして、僅かの間に脱獄囚のように窶(やつ)れ果てた一事でも、略(ほぼ)、御賢察が願える事と思います。
 けれども私は遂に良心の追跡から逃れる事が出来ませんでした。
 小生は去る十月八日の早朝、前後不覚に酔いたおれて、どこかわからないまま睡っておりました草原の中から頭を擡(もた)げますと、折りから降り出した時雨(しぐれ)の中に、蒼然(そうぜん)と明け離れて行く宮城の甍(いらか)を仰ぎました瞬間に、思わず濡れた草の中に正座しました。すっかり酔いから醒め果てて、くたくたに疲れきったその時の私の心の底には、もう理想とか、主義とか、意地とか、張りとかいう理窟めいたものは影さえ残っておりませんでした。そうして、そんなもの以上に切実な真実心ばかりが澄みきって残っていたのでありました。
 その澄みきった真実心をもって静かに仰ぎ見ました時に、初めて宮城の気高さと尊さがわかりました。これこそ吾々日本民族が、この真実心を以て守り伝えて来た、その真実心のあらわれに外ならぬ。あの瑞々(みずみず)しい松の一葉(ひとは)一葉、青い甍の一枚一枚、白い壁の隅々、あの石垣の一個一個までも、こうした日本民族の真実心の象徴に外ならぬではないかとしみじみ思い知りました。
 私の心がしずかに、神々しく私に帰って参りました。そうして雨の中に悽愴(せいそう)粛然と明けて行く二重橋を拝しまして、大自然の心の中(うち)にある最も崇高な、清浄な心の結晶が昔ながらに在(おわ)しました事を感謝しました。雨にずぶ濡れになったまま青草の中にひれ伏して、今までの小生の罪を繰返し繰返しお詫び致しました。
 かくして小生は主義も理想もない天空快濶な自然の児(こ)に立ち帰る事が出来ました。二十年前(ぜん)の若い田舎書生の心となって、恐る恐る帝国ホテルに帰って参りました。
 小生はその翌日、前記の如くJ・I・Cの秘密文書をM男爵の手に交付すると同時に、頭を短かく刈り、鬚(ひげ)を剃り落し、服装を改めて東京駅ステーション・ホテルの十四号室に這入りました。それから十五万円の金は正金銀行から引き出して東洋銀行に入れ、荷物は皆、帝国ホテルに放棄しておきました。これは小生が今度の要件のため、急にいずれへか出発したものと見せかけるためでありました。

 かようにして意を安んじました小生は、早くも五月蠅(うるさ)く付き纏う暗殺者の眼を逃れつつ、妻に危険を及ぼさぬように注意して二三度面会致しました結果、ウルスター・ゴンクールが伜(せがれ)を人質に取り、妻を威嚇(いかく)せんと致しております事情を知りました時には、思わず悲憤の情に満たされて、又しても凡(すべ)ての物を呪いたい気持になりました。しかし最早(もはや)、自分自身が、J・I・Cの呪いの的となっておりますばかりでなく、官憲の保護を受くる資格さえ喪っている上に世間から一片の同情をさえ受けられない身の上となっておりますからには、とてもこの運命に抵抗する力が得られない事と深く深く自覚致しましたので、せめてもの事に、自分一人を殺して、妻子の生命(いのち)だけでも救い止めたい決心を致しまして、小生の所持金の全部を妻に与え、残余を以て一身の後始末を致し、万事を貴下に御依頼申上ぐる決意を固めまして、やっと只今その決心の大部分を実行し終ったところであります。
 あとはこの遺書を旧友藤波弁護士に依託して後(のち)、このホテルを脱け出して駅前の広場のまん中にある立木の根方に腰をかけまして、酔っ払いの真似をしながら、この二枚の名刺を埋めて帰れば万事を終る手筈になっておるのであります。

 狭山九郎太氏よ。
 かくの如き無恥、無徳、ほとんど一片の同情にだも価しない売国奴の小生が、正義、法律の執行官たる貴下に対して、かような厚かましい事を御依頼申上ぐる資格がない事は、明かに自覚致しております次第であります。
 しかしながら貴下よ……。
 叶いまする事ならば、小生と、小生の妻子とを同一視なさらないようにお願い致したいのが小生の最後の切ない希望なのであります。
 小生の妻も、妻と生写しの姿と声とを有しております伜の嬢次も共に、純正なる日本民族の血と肉と精神とを保有致しておるに相違ない事を貴下の前に誓わして頂きたいのであります。
 伜の嬢次がコンドルに誘拐されましたのは四歳の時だったそうでありますが、その容貌はもとより皮膚の色から、髪毛(かみげ)の生え際に至るまで妻と生き写しでありまして、少し大きくなりましてからは声までも妻の声と間違いましたそうで、ただ耳だけが小生のと同じ恰好をしていた事を記憶しております。今はどれ位の背丈になっておりますか存じませぬが、ちょうど十五歳になっております訳で、小生が只今宿酔(しゅくすい)から醒めまして、死期の近い事を覚悟致しております気持ちの、異様に澄み切った遥か遥か彼方に、その嬢次の姿が立っておりまして、まだ見ぬ父母を恋い慕いつつ、日本の空をあこがれております心が、ハッキリと感じられておるのであります。
 けれども、それと同時に彼(か)の恐るべき禿鷲(コンドル)の爪が、その愛児嬢次を虚空に掴みつつ、日本に飛んで来まして、その恐ろしい翼で、妻ノブ子を羽搏(はう)とうとしている事実がありありと感じられておるのであります。聞くところに依ればコンドルは目下東部亜米利加(アメリカ)に於て、欧洲各国からアブレて参りました曲馬師連を集め、部下の中(うち)でもこの方面に心得のあるものをこれに配合してバード・ストーン曲馬団なるものを組織し、各地で興行をして大喝采(かっさい)を博しており、近く東洋方面にも興行に出かけるらしい噂を承わっております。これは別にコンドルから直接聞いた訳ではありませぬので、特にコンドルが小生にだけ隠しておる計画ではないかと考えられるのでありますが、しかし、いずれにしても小生はこの噂の実現の真実性を信じて疑わないのであります。

 この小生の死後の敵コンドル事、ウルスター・ゴンクールは前にも申述べました通り、風采の堂々たる好紳士で、表面では口癖のように正義人道を高潮しておりますが、実はアリゾナ生れの兇悍(きょうかん)冷血なる無頼漢で、その強烈なる意志と胆力とによって、不断に部下を畏伏させ、戦慄させておるものであります。彼は酒を飲まず、煙草を用いず、語学は元来不得手の方で、仏、伊の二箇国語を心得ておりますが、日、支、朝鮮、印度方面の東洋語は全然通じませぬ。近頃日本語の研究を初めておるとの事ですが、まだ日常の挨拶程度だそうで、平生語学の達者なものを秘書にして用を弁じておりますので日本文字なぞも無論読めません。……にも拘わらず彼は極度の好色漢でありまして、この方面に独特の怪手腕を持っており、言語の通じないままに各人種の情婦を持っておるのみならず、如何なる良家の夫人、令嬢でも、一度狙ったら最後、必ず自家薬籠中のものとして終(しま)う手腕に至っては団員の斉(ひと)しく舌を巻いておるところであります。
 その他の特徴としては射撃の名手であると同時に、拳闘の重体量選手となったことがあります。殊にその精力の絶倫さは想像を超越したものがありますので、一日平均四時間の睡眠を摂(と)るのみ。二昼夜の間に百余哩(マイル)を徒走した事があると聞いております。その部下は大抵露西亜(ロシア)人、猶太(ユダヤ)人、支那人、印度(インド)人、伊太利(イタリー)人、その他、ケンタッキー、アルカンサス等の南部亜米利加(アメリカ)人で日本人は極く少数しか居りません。いずれも、欧米各地で持てあまされた、警察なぞを物とも思わぬ無鉄砲者の中から、世間を欺くに足る相当の技術を持った者という難かしい条件で、金に飽かして選(よ)り集めたもので、彼は巧みにこれを操縦して事業を遂行しております。殊に団体内の制裁には、前にも申します通り、その違反者に同情なき異国人を使って容赦なく実行させるようにしておりますから、団結の鞏固(きょうこ)な事は非常であります。その仕事の如何に敏活なものがありますかは、小生がM男爵の手に暗号を渡して後(のち)、一夜も経たない中(うち)に小生の死刑を宣告し、一週間も経たないうちに応急的な暗号の鍵を送って、妻ノブ子の死刑を宣告して来たのを御覧になってもお察し出来る事と思います。
 最後に今一言(いちごん)させて頂きます。小生は小生の妻子に対する貴下の御庇護に関する私的御費用の一端として、藤波弁護士の手に保管中の二万円也を貴下に捧呈させて頂きたいのであります。但し、清廉なる貴下は、或(あるい)はこの金を不浄の金としてお受取りにならないかも知れませぬが、しかし貴下よ。由来国際間の事は、人道と法律とを超越したものであります。小生が人類の敵たる秘密結社に反逆を企て、その秘密を発(あば)く事が、国家的立場より見て許されるものでありますならば、小生がこの金をJ・I・Cから奪ったとしましても決して罪悪ではありますまい。況(いわ)んやこの金は日本人の財産を奪ったものではありません。日本を不利の地位に陥れむとするウオル街の全権代表者より個人的に適法の手続(てつづき)を以て小生の手に渡り、合法的に小生の所有となったものでありますから、仮令(たとえ)小生が相手の望み通りの仕事を遂行しなくとも、先方から返還を要求すべき性質のものではありません。況(いわ)んやこの金の代償として要求されている仕事が不正であるに於ては尚更(なおさら)の事であります。小生の妻にはこのような道理を説明してもわかるまいと思いましたから他の意味の金と云って取らせておきましたが、貴下には正直に所信を告白致します。願わくば国家のため、又は小生の妻子のため、枉(ま)げて御受領賜わりまするよう伏願致します。
 狭山氏よ。貴下にお願い申上げたい事、又はお知らせ申上げたいことはこれで終りました。
 小生はかようにして「非国民」もしくは「無頼漢」なる汚名の下に唯一人淋しく葬られなければならぬ運命に立ち至りました。これは小生が自ら求めましたところで、天地の間、どこの何人(なんぴと)を怨みようもありませぬ。
 でありますからして小生は仮令(たとえ)貴下がこの遺書を一笑に附して小生の希望をお容(い)れにならず、あの金は没収、もしくは寄附等となして、小生の妻子の保護は結局小生の妻子の勝手にお任せ下さる事に相成りましても小生は決して貴下をお怨み申上ぐる者ではありません。それは当然の御処置に相違ないので、それ以上の事をお願い申上ぐるのは分を超えておるからであります。
 しかし、その中に唯一つ、只今より申述ぶる最後のお頼みばかりは、如何にしても思い切る事が出来ません。而(そ)して貴下が小生のためにこの唯一事までもお拒みになるほど、罪人に対して厳酷なお方とは想像し得ないのであります。
 そのお願いと申しますのは、外(ほか)でもありませぬ。
 もし貴下が他日どうか致した機会に小生の妻子を御覧になるような事がありましたならば、何卒左(さ)の一事を貴下のお口からお申聞かせ賜わりたいのであります。
「お前の夫、お前の父は非国民の無頼漢であった。けれどもその最後は君国の事を思い、お前達の身の上を悲しんで死んだ。彼は良心の曙光を認めつつ死んだのだ」
 ……と……。
 最後に貴下の御健康を祈らせて頂きます。 頓首 敬白[#「頓首 敬白」は地付き、地より3字アキ]

   大正七年十月十三日午後七時半
     本郷菊坂ホテルにて認(したた)め終る。


soapmx at 19:32|Permalinkこの記事をクリップ!

日本が欧洲大戦に本気に参加せず、

東部戦線に於ける露国の敗退を救うべく、英国から再三の慫慂(しょうよう)を受けたのにも応じなかったのは、偏(ひと)えに背後の米国を警戒して不足勝ちな石油を蓄積したいためと伝えられておりますが、このために日本民族の実力が欧米各国から如何に軽視される立場に陥って来ましたことか。
 更に日本が彼(か)の日英同盟を廃棄し、新嘉坡(シンガポール)と濠洲海軍の脅威を覚悟しつつ日仏の秘密協商の成立に焦慮しているのは何のためでもない。日本が仏領(ふつりょう)印度(インド)に於ける豊富な油田に着眼した結果だと伝えられておりますが、この憐れな石油乞食と化しつつある日本民族の状態を布哇(ハワイ)と比律賓(ヒリッピン)に居る米国の太平洋艦隊が如何にせせら笑っておりました事か。
 このために東洋の時局……特に支那方面に於ける日本民族の発展政策が、如何に米国……特にアングロ・サクソン民族の資本主義政策の横暴専断に任せられて、如何に手も足も出ないまでに叩き付けられて来ましたことか。

 ところがこの形勢が最近に至りまして意外の変化を徴(あら)わしはじめたのであります。日本民族のこうした石油不足から来る軟弱外交が、次第に強硬化して来ました事を、米国の機密局は鋭敏に感じはじめたのであります。同時に紐育(ニューヨーク)ウオル街新タマニー・ホールの首脳部連中は、日本内地に於ける日米戦争に関する著述の出版が、次第に露骨化しつつある事実に驚きはじめたのであります。その他、比律賓附近に於ける日本海軍の大演習。潜水艦の夥しい建造。日本のガソリン製造技術の急速なる進歩。米国の隣国ともいうべき南米ブラジルに対する堂々たる移民開始。満洲に対する露骨なる出兵、等々々。いずれも米国政治家の驚目駭心(きょうもくがいしん)の種とならぬものはありませぬ。これは一体、どうした事でありましょうか。こうした日本の対米態度の硬化はそもそも何を意味するものでありましょうか。
 日本在来の石油タンクの数はその後すこしも増加した模様は見えませぬ。新しい有力な油田が発見された噂も聞えませぬ。それだのに日本は何を力としてかように対米外交の態度を硬化させて来たものでしょうか。これは米国の上下の専門家、非専門家が均(ひと)しく驚愕、怪訝(けげん)の眼を※(みは)っているところであります。
 かくして日本の石油保有量に関する疑問は「日本一蹴(いっしゅう)すべし」という主張の下に樹(た)てられたる前記の東洋米化政策を実行すべきウオル街の金権政治家と、その仕事を引き受けたJ・I・Cの首脳者とが、その政策の実行に先立って、深甚の考慮を払わねばならぬ重大問題と化して来たのであります。

 この問題に関する前記のウオル街、全権代表、G・シュワルト氏と、コンドルと、小生との間に行われました前後数十回の討議は、米国式国民外交の特徴を遺憾なく発揮した波瀾万丈を極めたものでありました。勿論、その会議の中(うち)にはG・シュワルト氏の紹介による匿名の政府吏員も適時参加したのでありましたが、その結果最後の勝利を得たものは、あくまでも強気一点張を以て終始したコンドルの主張でありました。
 すなわち……。
[#次の3項目は2行目以降1字下げ]
一、日本の対米硬化は恐るるに足らず。米国政府の極東政策は既定の通り実行すべし。
二、日本の対米外交硬化の原因は、新油田発見の報なき点より見て、石油の秘密購入貯蔵にある事明白なり。又、新動力機関の発明等に非ざるは軍艦、潜航艇等の改造、新設計等が依然として旧態に依るを見ても明かなり。故(ゆえ)に日本内地に於ける石油の秘密貯蔵個所を発見して、万一の際これを爆破するだけの用意を整えおけば、それだけにても戦闘準備は十分なり。
三、日本内地に於ける石油の秘密貯蔵場所を発見する事と、万一の際、これを爆破する準備とは、吾々J・I・Cの一手に委任されたし。
[#ここで字下げ終わり]
 ……云々……というのでありますが、尚、御参考までに申添えますと、私共はこの第三項の石油貯蔵場捜索のために、日本内地に居ります○○、及び、△△△△を使いまして、来春の学校休暇を手初めに旅行、或はキャムプ生活を奨励し、全国鉄道の沿線、特に××××沿線附近の私設鉄道の輸送状態を過去四五年に亘って詳細に調査する事に決定したものであります。
 そうしてこの仕事の主任……すなわち、所謂(いわゆる)「暗黒公使(ダーク・ミニスター)」となって日本に渡るべく、米国機密局の白紙命令(ブランクオーダー)を受けました小生が、仕事の確実を期するために、日本内地に散在するJ・I・C団員の本名と国籍とを一々取調べさせております中(うち)に、劈頭(へきとう)第一に内報を受けましたのは小生妻ノブ子の名前でありました。
 小生はかくの如き事情の下に、日本に渡って来たのであります。すなわち妻ノブ子を米本国に逐い返して、自身に代ってこの大事業を遂行すべく、テキサス州の富豪中村文吉と偽り、当座の費用十五万円を携えて去る五日、横浜に到着、直ちに東京に入って帝国ホテルに宿泊し、その翌日外務省に在勤中の妻を呼び出して本郷菊坂ホテルの一室で面会したのであります。
 その時小生は妻に面会しましたならば、烈しく妻の不都合を責め、それを理由として遮二無二米国へ逐い返す考えでありましたが、事実は却って正反対の結果になってしまいました。
 ノブ子の涙ながらの物語によって、同人が小生と愛児嬢次のため非常な辛苦艱難(かんなん)と闘いながら、よく貞節を守り通して来ました事実を、初めて、しかも詳しく承知致しました小生は徹底的にたたき付けられてしまいました。今までの小生の行跡が如何に不都合、非道、且つ無反省なものであったかを心の奥底から覚らせられました。且つ、それと同時に、妻が外務省の反古籠(ほごかご)の中から拾い集めておりました色々な報告によりまして(これもM男爵の所謂逆手段であったかも知れませぬが)満洲王張作霖(ちょうさくりん)は、決してコンドル、及び、グランド・シュワルトが小生に説明せし如き大人物に非ず。その力は支那全土を攪乱するに足らず。その部下と共に良民を苦しめて不義の栄華を楽しむために汲々としておる者で、今日これを援助するにしても、他日に於て、果して米国のために信義を守る者であるかどうか、信用の限りでない事が判明しました。
 かくして小生の良心は漸く眼覚め初めました。一方に妻の貞節に動かされて、今までの行いを後悔致しました小生は、一方に小生が初めから終(しま)いまでコンドルに欺かれておった事を覚りました。酒色のために良心を晦まされて、資本主義的に腐敗堕落した米国一流の悪政治家の野心を感知し得なかった自分の愚を覚りました。民族的自覚を喪った各人種の綜合体である米国の無政府、無国家的唯物資本主義、もしくは黄金万能主義が組織する社会の必然的産物として、夜を日に継いで醸成されつつある、あらゆる不道徳、不自然、不人情、反法律、反逆、破壊、放縦(ほうじゅう)、堕落、淫虐の強烈毒悪なる混合酒に酔わされて、数千年来自然に親しみつつ養い来った日本民族の純情を失いかけていた自分自身をやっとの事で発見しました。そうしてそのなつかしい日本民族の勢力を殺(そ)ぐべき事業のために、残忍非道なる無頼漢の命(めい)を奉じて出て来た今度の旅行が、如何に屈辱的な、非国民的なものであったかを深く深く反省させられました。
 妻ノブ子の純情によって……愛児嬢次に対する純愛の再生によって……。


soapmx at 19:31|Permalinkこの記事をクリップ!

2005年12月21日

然るにこの時、ノブ子が日本に到着する

以前から初まっておりました欧洲大戦は正に酣(たけなわ)となっておりまして、聯合国側と独逸(ドイツ)側と、いずれも絶体絶命のところまで押し詰め合って、双方の力は殆んど相伯仲しているかのように見えておりましたのが、漸次独逸側に有利となって来る形勢を示しておりました。すなわち聯合軍側は各種の利害関係と、人種的、もしくは国家的反感のために、統一力の不足を明かに暴露致しておりました上に、勤倹質素の生活に堪え得ないため、刻々に物資の不足を来し、独逸軍の決死的奮戦に見る見る圧倒されまして、今三箇月もすれば決定的に、四分五裂の守勢敗北状態に陥るものと観測されておりました。
 ここに於て米国ウオル街の金権連中の中でもモルガン一派の富豪は、その当時までに聯合国側に供給しておりました巨額の資金と物資が貸し倒れとなるのを恐れまして、今まで最後の最後の最後通牒を独逸(ドイツ)に発しつつ軍備の充実を計る傍ら、形勢を観望しておりましたウィルソン大統領の部下二三名の者に賄賂を贈って、出来る限り参戦を早め、至急に動員を行うように勧告させました。
 同時に一面に於て、かような形勢に対する大統領の決意を早くも察知しましたウオール街の金権、資本家連中は、直ちに西比利亜(シベリア)出征米国司令官、日本、及び支那駐在の米国使臣と秘密裡に交渉を重ね、又、他方面には英国愛蘭(アイルランド)の独立運動に潜入せるJ・I・Cの密偵首領と十分なる協議を遂げた後(のち)、露西亜(ロシア)と、独逸と、支那の反乱を助けて、三国を米国資本の支配下に置くべき方針を決定し、モルガン一派と相前後してウィルソン大統領にこの旨を進言しました。これは強大なる陸軍と、高潮せる民族意識を保有せる独逸と露西亜を圧倒すると同時に列強の弱点を押え、一方に支那の利源を糧(かて)として東洋の覇権を握らむと焦慮しつつある日本の死命を制して、全世界を米国資本の植民地化し、米国をして事実上の世界の王たらしむべきウィルソン氏の理想と一致するものがありますが、果して偶然に一致したものかどうかという事は小生の存じております範囲では不明であります。ただ小生はコンドル、即ちウルスター・ゴンクールが、ウオル街の資本家代表グランド・シュワルト(旧タマニー・ホールの残党?)氏より巨額の資金を受取りまして、この手段の実行方法に就き小生の忌憚(きたん)なき意見を求めて来た事実を知っているのみであります。

 かくしてウオル街の資本家代表G・シュワルトは、この種の仕事を一手販売にしておりましたJ・I・Cにこの大事業を依頼して来ましたので、コンドルは欧洲方面を引受け、小生は東洋方面の仕事を担任するに決し、その計画を立てる事になりました。
 その計画の第一は、先ず、目下満洲に勢力を張っております張作霖に軍資金と、十数台の優秀なる飛行機を貸し与え、従来の親日傾向を放棄させて日本を圧迫させる一方に、一時平静に帰しております支那の内治を再び攪乱し、その虚に乗じて、支那各地の利権と、金融機関の中心を掌握するにありました。
 又、これに並行する第二の計画と申しますのは、目下西比利亜(シベリア)の実権を掌握しております白系露人の有力者を強大なる金力で糾合して一丸となし、極東露西亜帝国を建設し、その心臓となるべき浦塩(うらじお)の金融機関を米国の一手に掌握し、豊富なる西比利亜の金鉱、石炭、木材等の利権を開発する事でありました。
 申すまでもなく、如上(にょじょう)の計画は小生の一存で決定したものではありませぬ。ウオル街代表G・シュワルト氏の意を受けたJ・I・C幹部の大体計画によって小生が細部の意見を附け加えましたもので、精密な内容は外務省機密局長M男爵に報告してありますから、ここには略さして頂きますが、ただここに一つ、この仕事の可能か不可能かの運命を決定する重大問題がありました。G・シュワルト、W・ゴンクール、並(ならび)に小生は勿論の事、米国政府の首脳部も唯、この問題の一つのために、極東に対する政策の根本方針を決定し得ずにいる深刻な事実がありました。
 それは日本が保有している石油の量という、極めて簡単な一問題でありました。
 御承知の事とは存じますが、現在、及び、将来の戦争に於て、その一国の戦闘力を根本的に支配するものは石炭でもなければ、火薬でもありませぬ。唯一つの石油であります。飛行機、軍艦、自動車、タンク等、戦略、戦術の死命を制する器械は悉(ことごとく)重油、軽油を動力とする時代となって来たのであります。
 そのような時代のまっただ中に、地質の関係上、太古以来石油に恵まれておりませぬ所謂(いわゆる)「乾燥島(ドライアイランド)」の日本が、最近の対外政策に関して、どれだけの苦悶を続けて来ました事か。越後の油田は涸渇に瀕し、数百万の生霊の代償として露西亜から貰った樺太(かばふと)の油田が思わしからず、台湾の新油田も多寡(たか)の知れたものである事が判明している今日(こんにち)、石油の不足から来る覿面(てきめん)な戦闘力の不足のために、世界無比の軍隊を有する日本民族が、どれだけの軟弱、退嬰(たいえい)外交を続けて来ました事か。
 最も手近い例としては、吾々移民が、日本のこの弱点を知っている米国政府のために、如何に虐殺的、もしくは半虐殺的の圧迫、侮辱の忍従を本国政府から強いられましたことか。


soapmx at 19:30|Permalinkこの記事をクリップ!

2005年12月20日

然るにこれを見ましたコンドル

はイヨイヨ機会が熟したものと考えましたらしく、妻を手に入れる第二段の策略に取りかかりました。
 すなわちコンドルは友人の悪弁護士や偽探偵を使って、愛児嬢次の行方を捜索してやると言葉巧みに偽らせ、時々は見すぼらしい姿をした嬢次の写真を見せたりなぞしまして、四五年の間にノブ子の全財産を捲き上げてしまいました。ここに於てノブ子は窮迫の余り、僅かに残った金でタイプライターと簿記を習い覚え、紐育(ニューヨーク)北郊外ハドソン河の傍らなるマハン造船所の前に在る料理店ゴールデン・ハマーの事務員に住み込む事になりました。ところが、しかも偶然か天意か知らず、このゴールデン・ハマーこそはその当時J・I・C秘密結社の根拠となっていた処でありまして、コンドルはこの時、東部首領となって、当時危機一髪の境におりました欧洲大戦前の各国外交の裏面に活躍して、バルカン方面に根拠を据えて策動しており、小生は西部首領となりまして、桑港(サンフランシスコ)に根拠を構え、主として支那、朝鮮内地に活躍するJ・I・Cの資金輸送の仲介を仕事と致しておりました。
 然るに又、妻ノブ子はこのゴールデン・ハマーに住み込みますと間もなく、そのカーネション会社経営から得た事務的才能を発揮致しまして、店主アラン、及び、団員一同に認められるように相成りました。そうして日本のJ・I・Cにまだ然るべき中心人物が居ないために、その情報部長としてノブ子を派遣する事に内定し、店主アランとゴンクールの両人から、言葉巧みに結社の加入を勧誘し初めたのであります。
 ところで元来この、J・I・C結社の建前と致しましては、その国々に同情を持たない他国人、もしくはその国に深怨を抱いている隣国人を密偵として派遣し、その国人に対する兇悪なる仕事の遂行、もしくは団員相互の制裁等に、情実的な間違いの起らないように警戒するのが通例となっておりますので、この意味から申しますと、こうした団員の決議は異例に属する事でありました。殊(こと)にかような女を、日本内地に於けるJ・I・Cの首領とも見るべき情報部長に決定したというのは異例中の異例に属するものでありましたが、その理由と申しますのは他でもありません。J・I・Cの団員が貴方(あなた)の名声を恐れていたからであります。すなわち先年、貴方が英国大使館の日英同盟に関する重要書類紛失事件に関係されました際、現場の近くに吐き棄てられたチューイング・ガムの形状によって、その犯人の国籍と職業を推定し、事件発生後二時間を出でず、東京市内を脱出する暇(いとま)なき以前に犯人を逮捕されたる事実が、日英両国を除きたる各国の新聞に漏洩し、大々的に報道されましたので、かくの如く外国の事情に精通したる名探偵には、外国人は不向きかも知れぬ。寧(むし)ろ日本人の、しかも女を派遣して、意表に出る策略を執ったならば却って安全かも知れぬという説が多数を制しましたために、コンドル首領も不承不承に承知したものと考えられます。
 しかし申すまでもなくゴンクールのコンドルは、この事を少しも小生に相談しませず、ただ愛児嬢次が日本に居るらしいと偽って、妻を日本に追いやったものでありますが、馬鹿正直な妻ノブ子はこの時までもなお、コンドルの人物と仕事が不正不義なものである事を気付かず、コンドルは世界中の国々の法律や制裁に関係なく、秘密の裡に不幸なる民族国家を助くる超人的人物と信じ切って結社加入を承諾しましたものだそうで、同時に又、小生がこの結社の西部首領となっておりました事も、この団体の完全な秘密組織のために遮断されて夢にも聞知していなかったそうであります。すなわち小生も妻も、結社加入以来一度も本名を名乗らず、変名、もしくは自己の標識番号のみを以て通信し、且つ、英文タイプライターばかりで事務通信をしておりましたので、数限りない手紙や電報を取り交しながら、一度もその夫であり、妻である事を知り得なかったのであります。
 かような次第で、妻ノブ子は、伜(せがれ)嬢次が日本に居るらしいという話を聞くや、大喜びでジェイ・ファースト(J・1)の番号を貰いまして、小生が居りました桑港(サンフランシスコ)を秘密裡に通過して日本に参りました。そうして東京麹町区土手三番町浸礼教会跡に隠れ、外務省機密局に奉職し、J・I・Cのために働く一方、精魂の限りを尽して愛児の行方を捜索しておりますうちに、早くも三年の月日を経過致しました。



soapmx at 19:30|Permalinkこの記事をクリップ!

2005年12月19日

 しかし、かような研究はずっと後(のち)に致しましたもので

渡米後の小生はそのような研究に耽る暇もなく、自分自身も固く禁酒を守りまして花栽培に熱中しましたが、その中(うち)に偶然、カーネーションの肥料にアマニンの実が適当している事を発見し、大輪の花を咲かせる事に成功しましてから、一躍花成金となり、巨大なる温室十数棟を所有するに至り、居住しておりましたロ市でも屈指の成功者として衆人の尊敬を受ける身の上と相成りました。
 愛児嬢次が生れましたのも実にこの時でありましたので(嬢次という名前は一見奇妙に感ぜられるかも知れませぬが変名ではございませぬ。これは同人が生れますと間もなく非常に虚弱な体質に見えて来ましたので、異性に形どった名前を附けると丈夫に育つという日本在来の迷信から、妻が小生と相談の上ジョージというクリスチャンネームを象(かたど)って附けたものであります。又、嬢次の母方の里は久礼(くれ)姓でございますが、万一貴下が同人をお探し下さる場合にはそんな名前を用いているかも知れませぬから御参考迄に申添えておきます)その頃の私達一家は、実に幸福そのものの象徴でありました。
 しかし、世間にありふれた、平凡な実例ではありますが小生を今日のような不幸のドン底に陥れたものは他でもありませぬ。この時の身分不相応な幸福そのものだったのであります。すなわち小生は自分の成功に気が緩むと共に、又も、生れ付きの飲酒癖に囚われるようになりまして、明け暮れロ市内の酒場に流連(いつづけ)し、家事は悉(ことごと)く妻に一任して顧みないようになりました。

 然るにこの頃、ロ市附近に一つの秘密結社が発達しかけておりました。この結社は初め、日本、印度(インド)、支那三国の無頼漢によって組織されておりましたので、その三国の英語の頭字を取ってJ・I・C団と名付け、主として西部亜米利加、及(および)、メキシコ境へかけた民家や、旅行者を荒す強窃盗やインチキ賭博を仕事にしておりましたが、その後次第に西北海岸の都会地に近づいて富豪や銀行を脅やかし、又は各方面の依頼に応じて暗殺を引受くる拳銃業者(ガンマン)の集団となり、英、米、伊、露、等の各国の無頼漢が参加するに及んで、遂に大仕掛の政治的金儲(かねもうけ)手段を引受くる大団体と化し、一時桑港(サンフランシスコ)に移しておりました本部を更に東、紐育(ニューヨーク)に移し、名士、富豪の暗殺、同盟罷工(どうめいひこう)の煽動等はもとより、各国に潜入して、悪思想の宣伝、革命等のあらゆる政治的の陰険手段を請負うに足る、恐るべき組織を完備するに至りました。
 この団体の首領は名をウルスター・ゴンクールと申しまして、小生と同年同月生れで、西班牙(スペイン)人の父と、猶太(ユダヤ)人の母との間に生れた混血児だと申しますが、一見したところでは純然たるヤンキーとしか思われませぬ。出身は墨西哥(メキシコ)境のアリゾナ州で、志を立てて英国の剣橋(ケンブリッジ)大学に遊び、法律を研究して帰ってから、西部亜米利加を放浪しておりますうちに、このJ・I・C結社に加盟したものでありますが、今から八年前に、同人がまだ、J・I・Cの一方の頭目として腕を揮っております時分に、ローサンゼルスの或る舞踏場で、偶然に小生と落ち合ったものであります。
 その頃彼は綽名(あだな)を禿鷲(コンドル)と呼ばれて、ロ市の盛り場一帯に鬱然たる勢力を張っておりましたが小生は同人と交際を結ぶや、その風采と、胆力と、学識と、弁舌とが如何にも堂々としているのに感心しまして、忽ち親友以上に仲よく相成り、吾が家に伴って妻の手料理で御馳走をした事が幾度もあります。ゴンクールのコンドルが、妻のノブ子に懸想(けそう)しましたのは確かにこの時に相違ありませんので、この時以来、今日に至るまで引き続いて参りました小生一家の不幸は、大部分コンドルの仕業(しわざ)と申しても差支えないのであります。
 コンドルは先ず小生と妻とを引き離すべく小生を誘って、J・I・C結社の団員に引き入れましたが、永らく日本を離れておりまして、一種の亜米利加式、無国民性者(コスモポリタン)化しておりし上に、無学で、無智でありました小生は、コンドルの云う通りにこの秘密結社の仕事を、最も男性的な、堂々たるものと信じておりました。すなわちこの結社は米国政府、暗黒局(ブラック・チェンバー)の直轄に属するもので、虚無党、社会党、無政府党以上に強大な勢力を有し(以上は或る程度迄事実)全世界に亘って弱きを扶(たす)け、強きを挫(くじ)く大侠客的の事業を行う理想的の直接行動機関(これは全然欺瞞)と信じまして、コンドルが指導するままに、持っているだけの毒薬の知識を事業遂行のために提供し、又は不良少年時代の記憶を再現さして、或は富豪を脅かし、又は名士を殺したり致しました。現在小生のポケットに納めております五連発の拳銃(ピストル)は、その時の形見でありまして、既に六人の生命(いのち)を奪ったものであります。申すまでもなく小生は酒さえ飲まねば、これ程までに判断力を喪(うしな)う者ではありませぬが、コンドルは小生のこの弱点をよく見抜いておりまして、いつも小生に酒と女を与えて良心を晦(くら)ましつつ、一方に小生が犯罪遂行の計画(プラン)に巧みな事と、比較的金銭に淡泊なため、仲間の人望が集まり易いのを利用して、着々、J・I・Cの勢力を張り、小生を表面的の傀儡団長とし、自分自身を実際の団長とする基礎を築き上げて行きました。
 斯様(かよう)にして小生が数年の間、桑港(サンフランシスコ)に在って、酒と、女と、悪事とを楽しみ、米国の民主主義的自由享楽思想の普及による世界の平和的統一の理想を夢みて、家庭の事を忘れております留守中に小生の妻子は実に、絵にも筆にも描かれぬ怖ろしい眼に会い続けておったのであります。
 或る夜ローサンゼルスの郊外に在りました小生の留守宅は、大勢の覆面強盗に襲われまして、金庫を奪われました上に、ノブ子の貞操までも蹂躙(じゅうりん)されようとしたのでありますが、折柄小生を訪問して来ましたコンドルは一身を以て賊を逐い散らし、ノブ子の危急を救いました。又、或る夜は、家(うち)の裏庭に積んでありました秣(まぐさ)から発火して、住宅を焼き払ってしまいましたが、その時も、偶然に来合わせたコンドルと、桑港(サンフランシスコ)から雉猟(きじりょう)に来ておりました藤波(この遺書の保管者にて小生の旧友)氏の御蔭(おかげ)で、煙の中に打ち倒れている妻子が救わるる事に相成りました。しかもノブ子はこのために一時病気となり、加うるに資金欠乏のために当座の仕事を中止せねばならぬ破目(はめ)に陥りましたが、コンドルはこの時も前と同様に親切に妻の世話を致しまして、巨額の金を貸し与え、仕事が続くようにしてくれました。そのような金をコンドルがどこから持って来たものか、私は今以て怪訝(けげん)に堪えませぬが、そのような事は気付かぬながらに、妻ノブ子は友人として衷心からの感謝をコンドルに捧げておりましただけで、小生の妻たる一事は決して忘れておりませんでした。
 以上の出来事が全部コンドルの策略であった事は申す迄もありませぬ。(但し、藤波氏は全然無関係)コンドルは斯(か)くして小生の妻に佯(いつわ)りの親切を尽す一方、機会ある毎(ごと)に小生の放蕩無頼な生活を聞き伝えるように仕掛けまして小生の事を思い諦めさせようと試みていたのでありますが、些(すこ)しも効果がない事を知りまして、遂に最後の手段に訴え、自身に変装して小生の留守宅を襲い、妻を誘拐しようとしました。けれども数度の事変に懲りておりました妻ノブ子は、この時、既に最後の手段を覚悟していたものと見えまして、強盗の一群が自分を取り囲んでいる事を知るや否や、極力これに抵抗して数名を射殺し、それでも力及ばない事を悟るとその場で愛児嬢次を殺して自殺する決心を示しましたので、流石(さすが)のコンドルも手を引くの余儀なきに至り、今度は方針を改めて、気永に策略をめぐらして、妻を吾物(わがもの)としようと巧(たく)らみ初めました。このような悪事に関する彼コンドルの執念深さは実に驚くのほかありませんので、その手段や技巧が割合いに露骨で、低級なものがあるにも拘らず着々成功して今日の大を致しました原因は一にこの根気に在るものと考えなければなりませぬ。現に女の方面にかけても、米国各地の富豪、有力者の令嬢、女優、女記者等で、明敏な頭脳の持主でありながら、唯一つ、コンドルのかような意志の反覆力に根負けして、彼の妾(めかけ)となり、彼の手先となって活躍している女性が十数名に上っているのを見ても一目瞭然で、従って彼コンドルが、ノブ子に対する執念を今日に至るまで放棄していない事も、明かに首肯さるる次第であります。

 コンドルは小生の妻ノブ子を責め落す半永久的手段の第一着手として、或る日隙を見て愛児嬢次を誘拐して見世物師に売り飛ばしてしまいました。そうして死なんばかりに狂い嘆くノブ子に嬢次の行方を探してやるのだからと云い聞かせて、東部、紐育(ニューヨーク)に連れ出しました。
 しかもノブ子はこの時までも、今迄の迫害がコンドルの所為であった事に気付かずにおりましたので、当時行方不明の形になっておりました小生に断る迄もなく、同人の親切に慰められて兎(と)も角(かく)も心を落着け、家財の全部を同業者に売り払って紐育に移住しましたが、愛児の行方は勿論のこと、色々な事を報告してくれる友人から遠ざかりましたために、小生の行方を尋ねるよすが[#「よすが」に傍点]さえなくなってしまいました。
 一方にコンドルもその後二三年の間はノブ子に付き纏って何かと親切振りを見せ、その心を動かすべき機会を探っておりましたが、遂にその折を得ず、強いて迫る時は自殺でも仕(し)かねない決心をアリアリと見せましたので、亜米利加女ばかりを相手にし慣れておりましたコンドルは、かようなノブ子の純日本式貞操観念を理解する事が出来ず、一種のヒステリーと考えましたらしく、熱心に入院静養を勧めた事もあったそうであります。一方に小生はまた、妻が小生を見限って、愛児と共に行方を晦ました旨をコンドルから聞きましたのみならず、小生が苦心して開拓した事業その他の財産までも妻が奪い去ったという報告を信じまして、全く妻子の事を断念し、依然として悪事の頭目となり、指揮計画者となりつつ、酒色に親しんでおりました。



soapmx at 19:29|Permalinkこの記事をクリップ!

私はいつの間にか棒立ちになっていた。

依然として無言のまま、感心も、驚きも、又は面目なさも通り越した厳粛な気持になって、その封筒を受取る器械みたように受取って、検(あらた)める器械みたように検めた。中味の書類はフールスカップの半帳を綴じたもので、ノート風の横書の文字がびっしりと詰まっているが、二年の時日が経過しているので、インキの色がいくらか変っている。それを拡げて見ると中から志村浩太郎氏の写真入りの古ぼけた旅行免状が一通出て来た。
「僕は……それを見てから、昨夜(ゆうべ)じゅう夜通し眠られなかったんです。そうして今朝(けさ)すこしばかり眠って、眼が醒めるとすぐに曲馬団を飛び出して来たんです。……もう……我慢……出来なくなっちゃって……」
 少年の声は急に曇った。ハンカチで顔を蔽うと同時に肩をすぼめて戦(おのの)かしながら、机の上に突伏した。
 私は廻転椅子の中にどっかりと落ち込んだ。そうして忍び泣く少年の姿を見ないように横向きになったまま、わななく指で第一頁を開いた。

   警視庁 第一捜索課長
   狭山九郎太氏 足下
     千葉県夷隅郡上野村字中島五百六十四番地[#地付き、地より3字アキ]
     士族 戸主 志村浩太郎 印[#地付き、地より3字アキ]
     明治十七年九月二日生[#地付き、地より3字アキ]
[#上記、1、2行目と4行目の「志村浩太郎 印」は中文字、それ以外は小文字。4行目「印」は○付き文字]

 小生は右の通り貴下と一面識もなき、一介の米国移住民であります。ですから左(さ)に申述べますような事を貴下に御依頼致しますのは非常な失礼で、且つ僭越である事を、深く自省致しておる者であります。しかし小生は小生の自殺に就いて、一度は必ず貴下のお手数を煩わすに違いないであろう。そうしてそのような事情に立ち到りましたならば、貴下は必ずや小生の死状及び、自殺の原因について深い疑問を抱かれるでありましょう。そうして今日迄、幾多の難事件を解決されました場合と同様に、貴下は事件の根本的原因に対して、単身、極秘密の研究調査を遂げられるでありましょう。しかもそのような事に相成りますれば、第一にこの遺書を発見して下さるお方は、失礼ながら貴下以外の何人でもあり得ない。又、小生の死後、妻ノブ子と、愛児嬢次の保護をお頼み申上ぐる程のお方も亦(また)、御迷惑ながら天下に唯、貴下お一人しかおいでにならない事を、深く深く確信致している者であります。

 何をお隠し申しましょう。小生はついこの数週間前まで、米国の黄金帝国主義の手先となって、世界の平和を攪乱する目的の下に組織された、極悪無頼漢の一団体、J・I・C秘密結社の西部首領の地位におった者であります。
 この団体の怖るべき内容に就いては、最早御承知の事とは思いますけれども、御参考のために、後程、概要を申述べたい考えでありますが、小生は最近に至りまして、或る動機から、今までの非行を恥じまして、この団体に属して売国的行為を続くるに忍びず、日本民族存立のため、断然、この団体を裏切り脱退するに決し、秘密裡に財産を纏(まと)めて日本に渡来し、去る九日夜、外務省機密局長M男爵閣下にお眼にかかりまして、J・I・C結社の暗号十二種(中には米国機密局にて使用中のもの二三あり)と、日本内地に散在するJ・I・C団員の名簿と小生の旅行免状とを提出し、然るべき御処置を伏願致しますと同時に、未練な申状(もうしじょう)ではありますが、妻と愛児の身上に就き特別の御寛典を仰ぎたく懇願するところがありました。
 然るにM男爵閣下には小生のかような窮状を見て呵々(かか)大笑されました。そうして小生の旅行免状を返却されながら次の如く訓戒をされました。
「……お前を悔悟せしめたその純乎(じゅんこ)たる大和民族の血を以(もっ)て、今後、国家のために報恩的の奉仕をせよ。お前の妻ノブ子の行為は疾(と)くに察知していたところであるが、余等(よら)は逆に彼女の手を利用し、虚偽の暗号電報を彼女に盗読せしめて、J・I・Cを通じて彼女の手を利用している米国政府を欺瞞していたものである。彼女は要するに頭のいい婦人の通弊として主義理想に走り過ぎたために、このような奸悪手段の手先に利用せられて、売国行為をさせらるるに至ったもので、決して彼女を悪人と云う事は出来ないと思う。さればお前達親子三人の生命は勿論、不問に附せらるべきもので、もとより外務省の関知するところではない。これを表沙汰にしても無用の反感と物笑いを招くばかりである。真の外交手段と云う事は出来ないであろう」
 と云われまして再び呵々大笑されました。
 この大笑の前にひれ伏した小生は、頭髪が一時に逆立ちました。
 J・I・Cの叛逆者に対する報復手段が如何に深刻執拗なものであるかを知っておられながら、小生等親子を、その呪いの中(うち)に放任しようとしておられるM男爵の意中を察して、骨の髄まで震え上らせられて退出しました。
 かくして小生等親子三人は、当然の酬(むく)いとはいいながら、天下に身を置く処がなくなったのであります。ただ一人、貴下の御同情を仰ぐより外に生存する道がなくなったのであります。
 放蕩無頼の酬い、又は売国奴相当の末期とは申せ、一切の同情と庇護とを受くる資格を喪失すると同時に、拳銃(ピストル)と、麻縄と、毒薬と、短剣とに取り囲まれて遁(のが)るる途(みち)もなくなっておりながら、僅に残る未練から、せめて妻子だけは無事に生き残らせて、日本人らしい一生を送らせたいばかりに、かような苦しい手段を以て、極秘密の裡(うち)にこの遺書を貴下に呈上する事の止むを得ざるに立ち至りました。小生の境遇に対し、一片の御同情を賜わりまして私の迷える魂を安んじ賜わらむ事を、三拝、九拝してお願い致す次第であります。
[#ここから1字下げ]
――因(ちな)みに――この遺書は内容を厳秘にして小生の旧友藤波弁護士に委託しましたもので藤波自身もこの内容を存じません。これは同人に内容を知らせて迷惑をかけたくない考えから致しました事で、一つには同人に預けておきました方が、可疑(いか)がわしい銀行の地下室に預けるよりも安全確実と信じましたからかように計らいました次第であります。
[#ここで字下げ終わり]

 次に、先ずJ・I・C秘密結社の恐るべき内容を暴露致します前に、順序として小生の経歴を少しばかり述べさして頂きたいと思います。
 小生の父は千葉県の旧士族でありまして、極端な漢学崇拝者でありましたが、御維新の際、彰義隊に加わって各地に転戦した事があります。その後一人息子の小生と共に、前記原籍地に隠遁致しまして、書道漢学の塾を開いておりましたが、近来の学校制度を極度に嫌いまして、小学校卒業後の小生を上の学校に進ませず、塾生と一緒に厳格な漢学教育を仕込んでおりました。これは性来のなまけ[#「なまけ」に傍点]者で自由思想崇拝者の小生としては実に不満苦痛に堪えない境遇でありましたが、父の厳命が恐ろしいと同時に、経済上の都合から、苦学をする勇気もないままに、止むを得ず隠忍致しておる状態でありました。
 然るにその父は、その後間もなく、小生が十六歳の時に死亡致しましたから小生はここぞとばかり、僅かばかりの家財を処分致し、村人の餞別を受けて東京に出まして、学校に入って新知識を得ようとしましたが、それまでの厳格な教育の反動が来ましたものか、親譲りの飲酒癖が次第に高まって来まして、遂に堕落学生の群に入り、種々の悪事と醜行に興味を持つに至り、数年の後にはM男爵の遠縁に当る富豪、現貴族院議員、枢密院顧問官久礼(くれ)伯爵の三女ノブ子を誘うて亜米利加(アメリカ)に渡航する事に相成りました。
 米国渡航後の小生はローサンゼルス市を相手とする草花栽培に着眼し、特に自分の趣味として酒類の合成法に深入りしまして爾後(じご)二十何年の間に幾多の新発見を致しました。従って、有機化学的の研究から毒薬の研究にも趣味を持つようになりましたもので、現在小生が所持しております一瓶の如きは小生手製の物の中(うち)でも最猛毒な一種であります。しかもこれは失礼ながら、ずっと後(のち)に手に入れました貴下の秘密出版にかかる『毒薬の研究』の中にも洩れているようでありますから、その製法を御参考迄に説明致しますと、臭気でもお解りになります通り木精(メチル)の一種で、ジャスミン油中のアンスラニル酸メチルエステルを石灰の媒合によって電気分解させて見た結果、偶然に得ました比重約七七の軽い液体であります。その化学式は調べて見ませぬから判然致しませぬが、一種の多価木精(メチル)であります事はたしかで、豚や犬等によって実験した結果を見ますと、先ず聴神経を犯されて、次に視神経を破壊してしまいますが、心臓には絶対に影響しないようであります。又黒人の奴隷を材料として研究したところによりますとアルコール中毒者、又は、飲酒して酔臥したものに注射した場合には、五分間後に確実な全神経の痲痺を起し、同時に全筋肉を強直させて、死前と同様の状態で絶息致しますので、絶対に苦悶を起しませぬ。但し、その時に飲酒していない者、又はアルコール中毒者でなければ単に阿片程度の愉楽な麻酔を感ずるに止まるという、極めて便利なものでありますが、非常に得難い液体でありますから大切に保存致しておりましたものが、計らずも今度役に立つ事と相成った次第であります。


soapmx at 19:28|Permalinkこの記事をクリップ!

2005年12月18日

と静かに答えた少年は、

又も黒水晶のような眼を据えて私の顔を見詰めていた。そうして激しよう激しようとする心を落着けるべく努力しているように見えたが、やがてその長い睫(まつげ)を伏せて、ほっと一つ溜息をすると、如何にも淋しそうに声を落した。
「……僕は……父の遺言書を……見付け出したのです」
 私はポケットから取り出しかけた敷島の一本をぽとりと床の上に取り落した。
「えっ……な……何を……」
「父の遺言書(かきおき)です……その新聞記事を便りにして探し出したのです」
「……この新聞記事から……」
「そうです。それを見て初めて、岩形圭吾と名乗って自殺した志村浩太郎という人が、僕の父親に違いない事がわかったのです。それまでは、自分が最初捨子だったという事より外には何も存じませんでしたし、どこの人種だかも解りませんでしたので、両親に会いたい事は会いたかったのですが、探す当てが全くなかったのです。……ですけども解らない事を考えるのは、小ちゃい時から好きでしたので、暇さえあれば亜米利加(アメリカ)の新聞を読んで、色んな犯罪事件を研究するのを楽しみにしていたのですが、そのうちに最前(さっき)お話ししましたような事から、思いがけなく日本の新聞が手に入りまして、その記事が眼に付きますと、父親の事とは夢にも知りませぬまま、色々と研究しておりますうちに、非常に面白い事件に見えまして、そのために日本に来て見たくて来て見たくてたまらなくなりました。その新聞記事と実際とを照し合わせて、僕の想像が当っているかどうか試してみたくて仕様がなくなったのです。……ところがその中に東部亜米利加から欧羅巴(ヨーロッパ)の方を興行しておりましたバード・ストーン曲馬団が、戦争のために欧羅巴へ行けなくなって、東洋方面へ廻る事になった。そのために高給(たか)い給料で新しい演技者を雇い入れているが、一緒に行かないかと云って、同じ下宿に居たコック上りの露西亜(ロシア)人が誘いましたので、すぐに加入の約束をしてしまったのです。そうして日本へ来るとすぐに、僕の想像を実験してみたらすっかり当っている事がわかったばかりでなく、永い間気になっていた自分の両親の名前を思いがけなく探し出す事が出来たのです」
 少年は感慨深く言葉を切った。しかし私は机に両肘を張ったまま、云うべき言葉を発見し得なかった。二三度唾液(つば)を呑み込んでから辛うじて、
「……それは……どうして……」
 と呟いたきりであった。
 しかし少年はやはり眼を伏せたまま、淋しそうに言葉を続けた。
「……僕は日本に着いて散歩を許されるとすぐに、あのステーション・ホテルへ行って、十四号室を泊らないなりに一週間の約束で借りきってしまったのです。そうしてホテルのボーイや支配人に二年前の出来事の模様を出来るだけ詳しく話してもらいまして、あの室(へや)の寝台から室(へや)の飾り付までちっとも変っていない事を確かめてから、あの寝台の上に父が死んだ時の通りに寝てみたのです」
「どうして……」
 と私は又おなじ言葉をくり返した。
「……どうって訳はないんですけど……あの時の死状(しにかた)が、新聞に書いてある通りだと、何だか変テコでしようがなかったもんですから、何かしら父の死状(しにかた)には秘密があるのじゃないかしらんと思ってそうしてみたんです。窓を開け放しにしておいて、寝台の上に南を枕に西向きに寝て、眼を一ぱいに開いて窓の外を見たのです。……そうしたら……」
「そうしたら……」
「そうしたら、どうやら訳がわかって来たような気がしたんです」
「……どんな訳……」
「あの窓から普通(あたりまえ)の姿勢で眺めますと、宮城と海上ビルデングと、今、バード・ストーン一座が興行をしている草ッ原が見えます」
「……見える……」
「……けれども父が死んだ時の通りにして見ますと、そんなものが窓の下に隠れて、一つも見えなくなります。ただ青い空と、それから駅の前の広ッ場(ぱ)の真中にたった一本突立っている高い高い木の梢がほんのちょっぴり見えるだけなんです。何の樹かわかりませんけども……」
「……………」
「その時に僕は思い出したんです。この新聞記事によりますと、父は自分で襯衣(シャツ)を切り破って、毒薬を注射して、あとから外套を着て靴を穿(は)いて寝たに違いないのですが、その両方の掌(てのひら)と、外套の袖口と、靴と膝の処が泥だらけになっていたと書いてあるでしょう」
「……それは……酔っ払って……転んだものと……」
「……ですけども……僕はそうじゃないかも知れないと思ったんです。……ですからその晩になって夜が更けてから、こっそりと帝国ホテルを脱け出して、あの木の下に来てみたら、大きな四角い石ころが一個(ひとつ)、拡がった根っ子の間に転がっておりました。僕がやっと抱え除(の)けた位の大きさですが、まだあそこに転がっております。その石の下を覗いてみたらすぐに見つかりました。土の中から、こんなものが一寸(すん)ほど頭を出しておりました。大方雨に洗い出されたのだろうと思いますが……」
 私はもう口を利く事が出来なかった。黙って椅子から立ち上って、少年が差し出した長さ三寸程の鉛の管(くだ)を受取った。それは両端を打ち潰して封じてある一方をこじ明けたもので、中からは白い紙の端が覗いている。引き出して見ると、それは二枚の名刺で、その中の一枚は、

   弁護士 藤波堅策[#中文字]
    東京市麹町区内幸町一丁目二番地[#小文字]
            電話 二二七三[#小文字]

 という一流弁護士のもので、もう一枚はペン字で書き込みをした故志村浩太郎氏の名刺であった。

   藤波堅策兄[#中文字]
      志村浩太郎印[#「印」は○付き文字][#中文字]
    この名刺持参人に御保管の書類を
    お渡し被下度候(くだされたくそうろう)

「この名刺を探し出すまでは何でもなかったんです。……ですけども誰にも気付かれないようにこの名刺を持って藤波さんの処へ行くのがとても大変でした。それは日本に着いてから、私のそぶりが何だか落ち着かないのを怪しまれたのでしょう。団長と、その部下の二三人がそれとなく私を警戒し初めましたので困ってしまいましたが、そのうちにやっと昨日(きのう)の夕方、隙(すき)を見付けて藤波さんの処へ行ってこの名刺をお眼にかけますと、藤波さんは私を一目見るなりびっくりなすって、これは驚いた。ノブ子さんの若い時にそっくりだ。どうして来たと云われましたので、私もびっくりしてしまいました。それから生れて初めて日本のお座敷に坐りまして御親切な奥様や大勢のお嬢様たちと一緒にお寿司を御馳走になりながら、色々と藤波さんのお話を聞きましたが、私の両親は亜米利加(アメリカ)に居るうちに、ローサンゼルスで、雑貨店を開きながら法律を勉強しておられた藤波さんと非常に御懇意に願っていたのだそうです。……ですから父は藤波さんに一万円のお金を預けまして、亜米利加の友人たちに私の行方を探してくれるように頼んでおりましたので、まだほかに二万円のお金を預けたままにしている。それは父の預けた書類の中(うち)に書いてある人に渡してくれと固く約束してあったのですが、それから後(のち)、志村君からはばったり便りがなくなったし、預かった書類を取りに来る人もないので変に思って、鎌倉の材木座の住所を探してみたら、そんな人間は最初から居なかった事が判明(わか)ったので、困っている……との事でした。そのお話を聞きますと、藤波さんは父が死んだ事や母の行方なぞはちっとも御存じない様子でしたので、私から詳しくお話しましたら、奥様やお嬢様たちは皆泣いて同情して下さいました。それから藤波さんは書類を見るのならば家(うち)で見てもいいぞと云われましたが、私はちょっと考えまして、いずれもう一度伺いたいと思いますからと云って、書類だけ頂いて帰って来ました」
 そう云ううちに少年は、傍(かたわら)の椅子の上に置いた雨外套の内ポケットの釦(ボタン)を外して、大きな茶色の封筒を取り出して、私の前に差出した。


soapmx at 19:28|Permalinkこの記事をクリップ!