2012年02月07日
2012年02月06日
今週のメディア
朝日ニュースター 「ニュース解説 眼」
月−金(毎日) 2300−2310
再放送
月〜金 朝 7:00〜7:10 (NEWS MORNING内)
昼 0:00〜0:10
午後 4:00〜4:10
他にも再放送の時間があるようです。
月−金(毎日) 2300−2310
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2012年02月05日
2012年02月04日
2012年02月03日
美しさとは
潔さだと思う。
そして、無駄のなさ。
心持ち。
素直さ。
直截さ。
だからピュアなものは美しい。
シンプルなものは美しい。
それは私心がないということ。
よく見せようという醜さがないこと。
ゴテゴテに見える芸術作品は美しくない。
ごちゃごちゃしているアジアの町は美しい。
だから、美しさとは形ではない。
真剣に生きているということ。
自分に誠実であること。
そして初めて、愛する人に誠実であれる。
社会に対して誠実に生きられる。
それが美しさだ。
そして、無駄のなさ。
心持ち。
素直さ。
直截さ。
だからピュアなものは美しい。
シンプルなものは美しい。
それは私心がないということ。
よく見せようという醜さがないこと。
ゴテゴテに見える芸術作品は美しくない。
ごちゃごちゃしているアジアの町は美しい。
だから、美しさとは形ではない。
真剣に生きているということ。
自分に誠実であること。
そして初めて、愛する人に誠実であれる。
社会に対して誠実に生きられる。
それが美しさだ。
授業とは何か
学校における授業とは何か。
教育とは何か、といってもいいが、少し違うかもしれないので、まず、授業の話をしよう。
それは、学生のためにと思い全力で授業することにより、自分が学ぶということだ。
自分が学ばない、得るもののない授業なんて、学生が学べるはずがない。
教育もそうだとおもう。
相手を教育するということは、それにより自分も育たないと、成立しない。
講演。文章。エッセイ。小説。テレビのコメントも本当はそうありたい。
聞き手のためにということを徹底することで、自分のためになる。
同時に、自分のために全力で話してこそ、聞き手、読み手の心が反応する。
これが一体化しないと、それらはすべて失敗だ。
なかなか成功する授業も講演も小説もない。
テレビでこれを実験するのは、制約条件が多い。
しかし、それをやってこそ、おもしろい番組ができる。
授業は学生のためならず。
教育とは何か、といってもいいが、少し違うかもしれないので、まず、授業の話をしよう。
それは、学生のためにと思い全力で授業することにより、自分が学ぶということだ。
自分が学ばない、得るもののない授業なんて、学生が学べるはずがない。
教育もそうだとおもう。
相手を教育するということは、それにより自分も育たないと、成立しない。
講演。文章。エッセイ。小説。テレビのコメントも本当はそうありたい。
聞き手のためにということを徹底することで、自分のためになる。
同時に、自分のために全力で話してこそ、聞き手、読み手の心が反応する。
これが一体化しないと、それらはすべて失敗だ。
なかなか成功する授業も講演も小説もない。
テレビでこれを実験するのは、制約条件が多い。
しかし、それをやってこそ、おもしろい番組ができる。
授業は学生のためならず。
2012年02月02日
美しいもの
朝、いつもよりも遅くなる。
ラッシュまでは行かないが、通勤の人々や通学の学生たちとすれ違う。
部活の朝練に向かうような女子高生とすれ違う。
彼女は、スカートの下にグレーのぶかぶかのスウェットを履いていた。
「美しい。」
美しさとはなんだろう。
スカートとスウェットの組み合わせは、これ以上ないと言うぐらい醜いモノだ。
しかし、彼女の姿は美しかった。
これが美か。
ラッシュまでは行かないが、通勤の人々や通学の学生たちとすれ違う。
部活の朝練に向かうような女子高生とすれ違う。
彼女は、スカートの下にグレーのぶかぶかのスウェットを履いていた。
「美しい。」
美しさとはなんだろう。
スカートとスウェットの組み合わせは、これ以上ないと言うぐらい醜いモノだ。
しかし、彼女の姿は美しかった。
これが美か。
2012年02月01日
共喰い
すばらしい。
というのともちょっと違うか。
よくできている。
やはり、これなら文句なく芥川賞だろう。今までの作品よりも遙かに完成度が高い。作品としてまとまっている。
彼の作品の欠点である、読者が感情移入しにくい、という点がここでは感じられない。
今までの作品では、蛹が、私は感情移入できた。私は蛹になった。
共喰い、は、やはり新人賞といっても、完成度の高い作品で、やはり、彼はこれで一区切りつくことになると思う。
というのともちょっと違うか。
よくできている。
やはり、これなら文句なく芥川賞だろう。今までの作品よりも遙かに完成度が高い。作品としてまとまっている。
彼の作品の欠点である、読者が感情移入しにくい、という点がここでは感じられない。
今までの作品では、蛹が、私は感情移入できた。私は蛹になった。
共喰い、は、やはり新人賞といっても、完成度の高い作品で、やはり、彼はこれで一区切りつくことになると思う。
本日の議論 FRBと日銀の金融政策 TBSラジオ
TBSラジオで、22時からの番組で(おそらく出演は22時半頃から)、インフレターゲットなどについて、論争します。
パーソナリティは、荻上チキ、外山惠理。
議論する相手は、高橋洋一 嘉悦大学教授。
実は、その前に、財務省を辞めたメンバーで議論をする飲み会があり(初対面の人もいる)、元財務省議論デーになりそうです。
そこで、ここでもう一度インフレターゲットの整理を。
小幡の意見は
今回のFRBの政策は、インフレターゲットというよりも、これまで日銀がやってきた妥当な物価水準の発表に近いもの。何ら新規性はない。
FRBと日銀との違いは、現時点ではない。
あえていえば、バーナンキの方が派手好きで、話題になるのを好む。白川氏は大胆に政策を打ち出すが、顔もしゃべりも地味。
ただ、バーナンキは副作用が明確でなければ、副作用が出るまで、政策ととことん試してみよう、というスタンス。
白川氏は、副作用が明らかにあり、効果が明確でなければ、その政策を実行するのは無責任という考え方。
個人的な考え方の違いもあるが、アングロサクソンと日本人という文化的なバックグラウンドの違いもある。
パーソナリティは、荻上チキ、外山惠理。
議論する相手は、高橋洋一 嘉悦大学教授。
実は、その前に、財務省を辞めたメンバーで議論をする飲み会があり(初対面の人もいる)、元財務省議論デーになりそうです。
そこで、ここでもう一度インフレターゲットの整理を。
小幡の意見は
今回のFRBの政策は、インフレターゲットというよりも、これまで日銀がやってきた妥当な物価水準の発表に近いもの。何ら新規性はない。
FRBと日銀との違いは、現時点ではない。
あえていえば、バーナンキの方が派手好きで、話題になるのを好む。白川氏は大胆に政策を打ち出すが、顔もしゃべりも地味。
ただ、バーナンキは副作用が明確でなければ、副作用が出るまで、政策ととことん試してみよう、というスタンス。
白川氏は、副作用が明らかにあり、効果が明確でなければ、その政策を実行するのは無責任という考え方。
個人的な考え方の違いもあるが、アングロサクソンと日本人という文化的なバックグラウンドの違いもある。
田中慎弥 インタビュー
今朝の朝日新聞、文化面 30ページに田中慎弥氏のインタビューが載っている。
すばらしい。
取材は断った方がいいと思うが、このようにたまにすばらしいインタビューもある。これで、多くの人が今までの変な取材から真実に戻ってくることが出来る。
だから取材は受けた方がいい場合もある。
特に作家の場合は、作家同士の対談や、すばらしい編集者との対談で、輝いているものもある。
田中氏は、このブログは読まないはずだが、僕は、あなたの過去の作品を読んで、今度の作品を読んで、過去の大作家の名作も読んで、そして比較しています。いや、比較ではないな。それぞれ、まっさらにただひたすら読んでいます。そう。芥川賞は単なる新人賞。それも社会現象を作るための。でもそれもまた必要。あなたのインタビューで、喧噪も増したが、あなたの作品を読んでみようという人も増えた。それで感じる人は、もともとのきっかけが汚れと誤解に満ちていても、ちゃんと真実を捉えるはずです。
インタビューはすばらしい。是非読んで欲しい。
作品は、賛否も、好き好きも分かれるだろう。でも、読まないことには始まらない。
すばらしい。
取材は断った方がいいと思うが、このようにたまにすばらしいインタビューもある。これで、多くの人が今までの変な取材から真実に戻ってくることが出来る。
だから取材は受けた方がいい場合もある。
特に作家の場合は、作家同士の対談や、すばらしい編集者との対談で、輝いているものもある。
田中氏は、このブログは読まないはずだが、僕は、あなたの過去の作品を読んで、今度の作品を読んで、過去の大作家の名作も読んで、そして比較しています。いや、比較ではないな。それぞれ、まっさらにただひたすら読んでいます。そう。芥川賞は単なる新人賞。それも社会現象を作るための。でもそれもまた必要。あなたのインタビューで、喧噪も増したが、あなたの作品を読んでみようという人も増えた。それで感じる人は、もともとのきっかけが汚れと誤解に満ちていても、ちゃんと真実を捉えるはずです。
インタビューはすばらしい。是非読んで欲しい。
作品は、賛否も、好き好きも分かれるだろう。でも、読まないことには始まらない。
2012年01月31日
2012年01月30日
アシックスのマラソン足袋
三村氏のシューズ
三村氏は、アシックス定年後、独立し、その後、アディダスと専属契約を結んでいる。
いろいろ双方に言い分があるだろうが、ここではそんな議論はしない。
新しいシューズである。
興味があるが、気になるのは、三村氏はアッパーの素材のところにしか名前が出てこないこと。それとこの写真では、インソールが写っていない。これは全然シューズを分かっていないメディアの宣伝だ。あるいはアディダスも分かっていないか。
私が一番重視するのは、インソールのフィット感。
マラソンソーティマジックをずっとレース時も、その後も、普段履きですら愛用しているが、最大の快感はそのフィット感。
ジョギングシューズが、オフロード用のタイヤなら、このシューズはF1レース用。地面の微細な凹凸がシューズからそのまま伝わってくる。裸足で地面を捉えているような感覚で走れる。それは多くのジョギングシューズあるいは注スピードの長距離レース用でも見られる、発泡スチロールのようなインソールがないからだ。あれはクッション性は高まるが、感覚を殺す。
なので、アディダスのインソールが見たい。
このサイトの説明では、レース用と練習用を同時に発売しているようだが、インソールが同じなら、それはナンセンス。確かめてみたい。
いろいろ双方に言い分があるだろうが、ここではそんな議論はしない。
新しいシューズである。
興味があるが、気になるのは、三村氏はアッパーの素材のところにしか名前が出てこないこと。それとこの写真では、インソールが写っていない。これは全然シューズを分かっていないメディアの宣伝だ。あるいはアディダスも分かっていないか。
私が一番重視するのは、インソールのフィット感。
マラソンソーティマジックをずっとレース時も、その後も、普段履きですら愛用しているが、最大の快感はそのフィット感。
ジョギングシューズが、オフロード用のタイヤなら、このシューズはF1レース用。地面の微細な凹凸がシューズからそのまま伝わってくる。裸足で地面を捉えているような感覚で走れる。それは多くのジョギングシューズあるいは注スピードの長距離レース用でも見られる、発泡スチロールのようなインソールがないからだ。あれはクッション性は高まるが、感覚を殺す。
なので、アディダスのインソールが見たい。
このサイトの説明では、レース用と練習用を同時に発売しているようだが、インソールが同じなら、それはナンセンス。確かめてみたい。
野口みずきと三村氏の信頼感
2012年01月29日
野口みずき
もう一つの宿題である。
私は、野口みずきは個人的にも大好きだし、マラソンランナーとして最も高く評価している。人間としても大好きだ。彼女がアテネでのゴール後、アシックスのシューズにキスをしたのを僕は一生忘れない。
しかし、北京五輪では、直前に故障発生して回避。それ以後、故障が続いていた。このインタビューを読むと泣けてくるが、しかし、今回は軽傷と言うことだが、やはり駄目なのではないか、と悲観的になってしまう。
北京五輪の時にも書いたが、野口を最後に、日本の女子選手はマラソンでメダルを取れないのではないかと思っている。それは女子のマラソンのレベルが上がり、近代化されたからである。
これまでの推移を見ると、まず、有森裕子が活躍した。しかし、彼女はアスリートとして肉体的には平凡で、ただ、自己実現願望が極端に強く、それだけで成功した。自分を褒めてあげたい、という発言はそれを象徴している。
ちなみに、小出監督(当時)は、鈴木博美は才能だけ、有森は上昇志向だけ、Qちゃんはその両方を持っている。と言う趣旨の発言をしている。私が付け加えたいのは、高橋尚子は、走るのが好きだった。それはすばらしいことだった。しかし、有森も高橋も練習に夢中でシューズに注意を払わなかった。有森は足が痛くてジョギングシューズで走ろうとした、高橋はアテネレース直前にシューズの変更を要求した。しかし、野口はシューズを愛し、すべてを総合的に判断した。
さて、ランナーとしての特徴は、有森は、ひたすら効率よくペタペタ走るだけ。速くはない。スタミナがあり、スタミナ勝負なら、結果を出したいと言う強い気持ちと相まって、好レースに結びつく。
高橋は、ひたすら体重を軽くし、効率的にロス無く、スピードを維持して勝ちきる。効率的なスピードランナーだが、このスピードはマラソンにおいてしか通用しない。逆に言うと、女子マラソンのレベルが上がってくると通用しなくなる。
野口は現代マラソンに対応できる唯一の選手だ。スピードとパワーがある。積極的に筋力をつけた最初の女子ランナーではないか。高橋はひたすら無駄な筋肉は落とした。有森も高橋も、ゴールシーンでは、骨が透けて見える状態だった。
野口は、短身ながら、筋力をアップし、ストライドを伸ばし、スピードの変化に対応できるパワーを身につけ、ダッシュ、スピードの変化を自分でつけられる身体になっていた。
イギリスのラドクリフの登場で、パワーのあるスピードが重要であることは明らかになったが(あごも振り子のように使って足をたたきつけて走る。まるでトーカイテイオーのような走り)、女子マラソンも近代化したということだ。
こうなると、努力だけでは勝てない。才能も科学的なトレーニングも重要になってくる。
日本の女子が活躍したのは、その前の時代で、とにかく練習を積み、練習量と当日の根性で勝ち上がっていった。だから、女子の監督は、マラソンには素人同然でも良く、女子選手をその気にさせる宗教家でよかった(むしろその方が良かった)のだ。
しかし、これはリスクも伴う。
練習をしすぎるのだ。走りすぎる。
日本の女子選手は、速いと言う才能ではなく、異常にがんばれる、という才能で勝ち上がっていった。海外の選手には考えられない、すべてを犠牲にしたトレーニングだ。日本女子のトップは妊娠することもないし、その後レースに復帰して一線で活躍することも難しい。精神的にも肉体的にも折れてしまうのだ。
だから、レース当日まで、故障が発生し無ければ、異常な練習量の分だけ、ライバルに差をつけ、勝つ。それがいままでの勝ち方だった。
それだけではもはや勝てない。速さという才能がこれに加わらないといけない。ラドクリフにはそれがかけており、レース当日に精神的に折れやすく、圧勝か棄権かだ。
さて。
この日本女子戦略の最大の欠点は、故障である。限界以上まで追い詰めているから、一旦壊れると元に戻れない。1カ所けがをすると、それまでの無理がすべて噴出し、他のところも壊れてくる。もし、一部の痛みを我慢してトレーニングを続けていると、たいへんなことになる。これが、野口の北京であり、高橋もそうだった。高橋は名古屋を走らなかったことで、精神的にも、監督との関係もおかしくなり、すべてが空回りしてしまった。
だから、日本女子選手は、一旦故障すると戻ってこれない。回復不可能である。
野口はタイプが違い、頭もいいので(高橋も頭はいいが、別のタイプだ。そういえば有森もある部分では頭がいい。ちなみに、マラソンは走っているだけと思われるが、非常に頭を使う。頭の良くない選手は勝てないから、三人とも頭がいいのは当たり前だ)、何とか回復するかと思ったが、北京の時の経緯を見て、駄目だと思った。
高橋の座右の銘、「走った距離は裏切らない」という言葉を野口も口にしていたからである。
彼女たちは不安だ。もともと練習だけが彼女たちのアドバンテージだ。だから、不調になればなるほど、練習量を増やしたがる。距離を走りたがる。オーバーワークだ。
「走った距離は裏切らない」は明らかな誤りだ。
その言葉は、自分の身体を裏切っている。
身体というパートナーを裏切って、自分の心の不安のために、身体をいじめている。
もともと身体は神からの授かり物だ、というカトリックの精神のある欧州選手の方が強いのかもしれない。不安に対しては。欧米の女子選手は、そしてアフリカの選手でも、出産してからも、レースに勝つ。
自分を安心させることが目的となったトレーニングはマイナスだ。
我々も同じだ。
原子力も何もかも。
いやこの話は止めよう。
だから、野口も、もう戻れないのではないか、私は心配である。
神に祈ろう。
私は、野口みずきは個人的にも大好きだし、マラソンランナーとして最も高く評価している。人間としても大好きだ。彼女がアテネでのゴール後、アシックスのシューズにキスをしたのを僕は一生忘れない。
しかし、北京五輪では、直前に故障発生して回避。それ以後、故障が続いていた。このインタビューを読むと泣けてくるが、しかし、今回は軽傷と言うことだが、やはり駄目なのではないか、と悲観的になってしまう。
北京五輪の時にも書いたが、野口を最後に、日本の女子選手はマラソンでメダルを取れないのではないかと思っている。それは女子のマラソンのレベルが上がり、近代化されたからである。
これまでの推移を見ると、まず、有森裕子が活躍した。しかし、彼女はアスリートとして肉体的には平凡で、ただ、自己実現願望が極端に強く、それだけで成功した。自分を褒めてあげたい、という発言はそれを象徴している。
ちなみに、小出監督(当時)は、鈴木博美は才能だけ、有森は上昇志向だけ、Qちゃんはその両方を持っている。と言う趣旨の発言をしている。私が付け加えたいのは、高橋尚子は、走るのが好きだった。それはすばらしいことだった。しかし、有森も高橋も練習に夢中でシューズに注意を払わなかった。有森は足が痛くてジョギングシューズで走ろうとした、高橋はアテネレース直前にシューズの変更を要求した。しかし、野口はシューズを愛し、すべてを総合的に判断した。
さて、ランナーとしての特徴は、有森は、ひたすら効率よくペタペタ走るだけ。速くはない。スタミナがあり、スタミナ勝負なら、結果を出したいと言う強い気持ちと相まって、好レースに結びつく。
高橋は、ひたすら体重を軽くし、効率的にロス無く、スピードを維持して勝ちきる。効率的なスピードランナーだが、このスピードはマラソンにおいてしか通用しない。逆に言うと、女子マラソンのレベルが上がってくると通用しなくなる。
野口は現代マラソンに対応できる唯一の選手だ。スピードとパワーがある。積極的に筋力をつけた最初の女子ランナーではないか。高橋はひたすら無駄な筋肉は落とした。有森も高橋も、ゴールシーンでは、骨が透けて見える状態だった。
野口は、短身ながら、筋力をアップし、ストライドを伸ばし、スピードの変化に対応できるパワーを身につけ、ダッシュ、スピードの変化を自分でつけられる身体になっていた。
イギリスのラドクリフの登場で、パワーのあるスピードが重要であることは明らかになったが(あごも振り子のように使って足をたたきつけて走る。まるでトーカイテイオーのような走り)、女子マラソンも近代化したということだ。
こうなると、努力だけでは勝てない。才能も科学的なトレーニングも重要になってくる。
日本の女子が活躍したのは、その前の時代で、とにかく練習を積み、練習量と当日の根性で勝ち上がっていった。だから、女子の監督は、マラソンには素人同然でも良く、女子選手をその気にさせる宗教家でよかった(むしろその方が良かった)のだ。
しかし、これはリスクも伴う。
練習をしすぎるのだ。走りすぎる。
日本の女子選手は、速いと言う才能ではなく、異常にがんばれる、という才能で勝ち上がっていった。海外の選手には考えられない、すべてを犠牲にしたトレーニングだ。日本女子のトップは妊娠することもないし、その後レースに復帰して一線で活躍することも難しい。精神的にも肉体的にも折れてしまうのだ。
だから、レース当日まで、故障が発生し無ければ、異常な練習量の分だけ、ライバルに差をつけ、勝つ。それがいままでの勝ち方だった。
それだけではもはや勝てない。速さという才能がこれに加わらないといけない。ラドクリフにはそれがかけており、レース当日に精神的に折れやすく、圧勝か棄権かだ。
さて。
この日本女子戦略の最大の欠点は、故障である。限界以上まで追い詰めているから、一旦壊れると元に戻れない。1カ所けがをすると、それまでの無理がすべて噴出し、他のところも壊れてくる。もし、一部の痛みを我慢してトレーニングを続けていると、たいへんなことになる。これが、野口の北京であり、高橋もそうだった。高橋は名古屋を走らなかったことで、精神的にも、監督との関係もおかしくなり、すべてが空回りしてしまった。
だから、日本女子選手は、一旦故障すると戻ってこれない。回復不可能である。
野口はタイプが違い、頭もいいので(高橋も頭はいいが、別のタイプだ。そういえば有森もある部分では頭がいい。ちなみに、マラソンは走っているだけと思われるが、非常に頭を使う。頭の良くない選手は勝てないから、三人とも頭がいいのは当たり前だ)、何とか回復するかと思ったが、北京の時の経緯を見て、駄目だと思った。
高橋の座右の銘、「走った距離は裏切らない」という言葉を野口も口にしていたからである。
彼女たちは不安だ。もともと練習だけが彼女たちのアドバンテージだ。だから、不調になればなるほど、練習量を増やしたがる。距離を走りたがる。オーバーワークだ。
「走った距離は裏切らない」は明らかな誤りだ。
その言葉は、自分の身体を裏切っている。
身体というパートナーを裏切って、自分の心の不安のために、身体をいじめている。
もともと身体は神からの授かり物だ、というカトリックの精神のある欧州選手の方が強いのかもしれない。不安に対しては。欧米の女子選手は、そしてアフリカの選手でも、出産してからも、レースに勝つ。
自分を安心させることが目的となったトレーニングはマイナスだ。
我々も同じだ。
原子力も何もかも。
いやこの話は止めよう。
だから、野口も、もう戻れないのではないか、私は心配である。
神に祈ろう。
田中慎弥氏の作品への不当な批判
まあ、よってたかって、みんな好き勝手言い放題だ。
社会経験が無いから、世界が狭い。それでは小説は書けない。
狭かったとしても、それは小説にはプラスにもマイナスにもなり得る。
おまえは、田中氏ほど、深く掘り下げて考えたことがあるか。
自分の内面を突き詰めたことがあるか。
自己の内部を突き詰めるには、外部との接触はマイナスだ。掘り下げるための経験は他では得られない。
私は、むしろ、田中氏の作品は素直でわかりやすく、誠実な作品だと思う。記者会見の人柄そのままだ。
表現は、練りすぎていてわかりにくく、好みではないが、今の彼のスタイルはこれだ。このスタイルの良さもある。重く我々の心に絡みついてくる。
芥川賞選考委員のコメントにも理解不足のものも見られた。過去の作品(切れた鎖)についてであるが、引用すると、
「過去と現在、母と娘などの書き分けが上手く出来ていないので、誰が誰だかさっぱり解らなくなる。」
ということだが、この作品ではそれがポイントで、夢と現実、鎖の音の幻聴か現実か、母かその母か、娘かその娘か(美佐絵と美佐子だが、美佐ちゃんと呼んでいるので、どちらか区別がつかない。そこがみそだ。)、現在の話か過去の話か、それとも夢か、母の体験か、その母の体験か、すべてが重なっている。世代を追って、同じことが繰り返されている。そこが鍵なのだ。ちなみに、分けたいときは、お祖母ちゃん、となっている。
ただし、その狙いが意図通り効果を発揮しているかは確かに賛否が分かれるところで、もう少しわかりやすく重ねることも可能な気もする。
ただ、その重厚感、粘着感が彼の作品の特徴で、それはそれとして批判するのではなく、そういうものとして受け入れるしかないだろう。
選考委員にそう言われるのは、第三者から見ても、少し寂しい。
蛹はそのような紛れのない作品で、余計な日常が入っていないから、田中氏が思う存分ねっとりと暴れることが出来ている。こういう作品を今後も期待したい。
円城氏が安部公房が好きで、読み手も安部公房を彷彿とさせる、と言っているが、田中氏こそ、私には、安部公房を彷彿とさせた。
安部公房も久しぶりに読んでみるか。
社会経験が無いから、世界が狭い。それでは小説は書けない。
狭かったとしても、それは小説にはプラスにもマイナスにもなり得る。
おまえは、田中氏ほど、深く掘り下げて考えたことがあるか。
自分の内面を突き詰めたことがあるか。
自己の内部を突き詰めるには、外部との接触はマイナスだ。掘り下げるための経験は他では得られない。
私は、むしろ、田中氏の作品は素直でわかりやすく、誠実な作品だと思う。記者会見の人柄そのままだ。
表現は、練りすぎていてわかりにくく、好みではないが、今の彼のスタイルはこれだ。このスタイルの良さもある。重く我々の心に絡みついてくる。
芥川賞選考委員のコメントにも理解不足のものも見られた。過去の作品(切れた鎖)についてであるが、引用すると、
「過去と現在、母と娘などの書き分けが上手く出来ていないので、誰が誰だかさっぱり解らなくなる。」
ということだが、この作品ではそれがポイントで、夢と現実、鎖の音の幻聴か現実か、母かその母か、娘かその娘か(美佐絵と美佐子だが、美佐ちゃんと呼んでいるので、どちらか区別がつかない。そこがみそだ。)、現在の話か過去の話か、それとも夢か、母の体験か、その母の体験か、すべてが重なっている。世代を追って、同じことが繰り返されている。そこが鍵なのだ。ちなみに、分けたいときは、お祖母ちゃん、となっている。
ただし、その狙いが意図通り効果を発揮しているかは確かに賛否が分かれるところで、もう少しわかりやすく重ねることも可能な気もする。
ただ、その重厚感、粘着感が彼の作品の特徴で、それはそれとして批判するのではなく、そういうものとして受け入れるしかないだろう。
選考委員にそう言われるのは、第三者から見ても、少し寂しい。
蛹はそのような紛れのない作品で、余計な日常が入っていないから、田中氏が思う存分ねっとりと暴れることが出来ている。こういう作品を今後も期待したい。
円城氏が安部公房が好きで、読み手も安部公房を彷彿とさせる、と言っているが、田中氏こそ、私には、安部公房を彷彿とさせた。
安部公房も久しぶりに読んでみるか。