2012年06月30日

世界株式市場急騰

欧州の対策を受けて急騰。ダウは270ドルもあがった。

しかし、まあ、このくらいの対策は出るわな。

本当に金融市場は信用ならなさが定着した。

今後も乱高下するだろうが、全く意味はない。

欧州の困難はこれからも長期に続き、米国と日本はまあまあ良い状態が続くだろう。  

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2012年06月29日

あり得ない

一体改革法案 輿石氏、再修正を提案。

という報道だ。

あり得ないだろう。

意味不明になってくる。

こうなってくると、いかに党のまとまりが最優先と言っても、野党の収まりもつかなくなるし、政策が実現する可能性がかなり低くなってしまう。

どういうことなのか。

それでも、小沢グループが離党するなら、完全に非は小沢グループ側にあるといいたいのか。

そんな複雑な戦略とも思えない。

更に混沌とし、更に民主党への失望(というより あきれ度合い)が高まるだろう。  
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2012年06月28日

美への渇望

ストレスがある。

自分は何かを求めている。そして得られない。

このもどかしさ。

自分は何を求めて彷徨っているのか。

ネットサーフ。

facebook. twitter. 友人とのメール。

ふと気づいた。

それは、美への渇望。

美とは、岩田騎手の男泣きも、池添騎手の男泣きも、含まれる。

美しい女も。北鎌倉の家も。軽井沢の別荘も。

すべて求めているものは美。

美しいものにひかれる。

いや 美そのものにひかれている。

今のストレスは自分の文章の醜いこと。


美とは何か。

自分が消えること。

透明になること。

だから透明は美しい。

美の中で死にたい。


  
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2012年06月27日

ゼミ生と戦場へ

今年から始まった授業で、日中韓のトップビジネススクールが合同で行うものがある。いろんな経緯があって私が担当することになったのだが、今年は日本の食ビジネスをフィールドワークで見学し、ケース分析を行うというものだ。学生たちはcross cultureでグループを組み、徹底した分析と議論も行う。

教員ももちろん3校で、うちからは、私のほかに中国出身の教員も動員し、強力な布陣だ。

昨日は、ビデオで三校で合同授業。討論はなかなか難しいが、一応終わった。

学生たちの努力は大変なもので、昨日は、何か、戦闘の第二ステージが終わったような気分で、学校の一階にあるパブへ。

私が飲みに行くことはほとんどないので、ゼミの学生3人には珍しがられ、少し盛り上がり、みなで憂さを晴らす。

私は、キリンのノンアルコールビール。

美味しかった。

久しぶりにかなり酔った。  
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吉野家のうなぎ

もう2週間近く前になるか。

吉野家でうな丼を提供し始めた。もうそんな時期である。今年は、うなぎの高騰で吉野家でも100円アップである。ただし、質はそこそこで、いつも行く1000円のうな丼ランチの店の方がずっといいな、と思っていたら、そちらの店は1500円に値上げされていた。

これではいかんと、吉野家でうな丼を食べようか迷いながら、新宿の吉野家の店内に入った。

狭いカウンターにいるお客さん4人のうち3人が黒いどんぶり。そう。うな丼である。

みんな食べたいんだな、うなぎ。

ニュースで値上がり値上がり、と騒いでいて、老舗で店を閉めるところも出てくるといわれると、ひいきの店を支援に行くか、自分でも食べたくなってくるというものだろう。

しかし。

なくても生きていけるんだよね、うな丼、うな重。

宇多田ヒカルの うな軽という言葉はまさに言いえて妙で、吉野家にも1500円うな丼ランチにも当てはまる。

今年はうなぎなしでいいか。

みんなが忘れたころに食べようか。

  
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2012年06月26日

消費税増税法案に反対する理由

行革や年金、子育てが進まない、ということが消費税増税法案に反対の理由なのであれば、さっさと消費税を通して、それらの法案も迅速に取り組む、ということではないか。

消費税を止めたからといって、それらが動くわけではない。それらが動かないから、仕方なく、消費税先行に見える形になったのだから。

あるいは、年金、子育て関連法案が不十分で反対なら、消費税にだけ賛成して、後の法案に反対するのが筋だろう。

だから、反対する勢力は、反対することが自己目的化しているに過ぎないと考えられる。

私は、それには反対だ。

したがって、消費税増税に今回は賛成する。

消費税増税は必要だが、歳出削減の方が優先順位が高い。しかし、それは公務員の給与とか、議員歳費などではなく、年金2割以上のカット、年金制度の抜本的改革、ということである。

国債発行を減らすことが喫緊の課題であり、そのためには、歳出の大幅削減が一番で、その次が消費税増税だ。

そうなると、現時点では、消費税増税の枠組みを決める。(増税自体ではなく) これが精一杯の次善の選択肢だ。

  
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民主党

奇妙な宣伝活動だ。

一部の議員を除いて、今回の騒動でテレビのインタビューに答えている議員たちは、基本的に反対派で、かつ極めて幼稚な人々だ。

民主党の議員のレベルがここまでひどいのか、ということを改めて宣伝するのに極めて効果的な一週間だった。

橋下グループは橋下以外なるべく姿を現さないようにしている。選挙までに一度も見たことも話を聞いたこともない人が候補者となるのではないか。そして、その方が票が集まる(減らない)という考えなのだろう。

戦略的に動けない党と独裁の党とはかなり差がある。

興味深いが、興味深がっていいのか。

  
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2012年06月25日

オルフェーヴルと宝塚記念について

いろいろご批判を受けたので、それでは、率直に書こう。

まず、馬券については、ギャンブルとしては負けたが、予想は外れたとは思っていない。これこそ、予想された外れるシナリオのひとつであり、それが実現した、というだけのことだ。オルフェーヴルの取捨を間違えたのであるが、そこをギャンブルしたのであるから、そのギャンブルに外れた、というなので、非常に納得のいくギャンブルである。

次に、出走についてであるが、これも、依然天皇賞には100%出すべきではなかった、と思うし、7割の出来なら、どんなに強い馬でも出すべきではない。相手がどんなに弱くて、勝てるとしても、調教代わりにレースを使うのは常にリスクを伴う。アメフトの練習試合でも、中途半端な気持ちでやれば、必ず怪我をする。ぎりぎりの勝負のときの方が怪我はしない。

だから、一流馬になればなるほど、経済的価値からいっても、レベルの高い世界での、少しの手抜きは命取りになる可能性が高いことから言っても、8分の出来以上でないとレースに出すべきではない。

だから、本当に7分の出来、という判断なのであれば、出すべきではないし、それよりも出来の悪かった天皇賞は出すべきではない。天皇賞は、そもそも、いろんな審査があったのだから、もともとどんな状態でも、あるいは100%の出来でもない限り、出すべきではなかったのだ。

一方、7分の出来というのがリップストラテジーあるいは自分の逃げ場を作っておくということであるか、いずれにせよ、適切ではないし、調教師としての責任を果たしていない。

この考えは、レース後も、まったく変わらない。

一方、池添には何の罪もないし、素晴らしかったと思う。阪神大賞典では、怪我をさせないことを優先させた結果であり、天皇賞はプレッシャーの中でベストを尽くそうとした結果であり(状態がいまいちであり、今後のことがあるから、逃げ馬を追いかける選択肢はオルフェーヴルにはなかった。ほかの騎手の責任である)、昨日はレース展開も距離もはるかに恵まれた条件の中で、またもやベストを尽くしたのであり、そして、雄たけびは、オルフェーヴルが誤解されていることを解消したことへの喜びであり、素晴らしかったと思う。


  
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2012年06月24日

オルフェーヴル

素晴らしかった。

そして池添も。

私は、オルフェーヴル以外の予想はあたった、と言い訳をしたいところだが、今日はオルフェーヴルがすべてであって、しかも、素直に予想すれば、これは当然の結果だけに、反省しないといけない。

メディアで何を言われても、牧場や厩舎スタッフはがんばったのだろう。われわれは、いや、私は勝手なことを言って、恥ずかしく、また無責任であったことを恥じなくてはならない。

しかし、である。

やはり、天皇賞は使うべきでなかった、と思う。

馬券をはずしても、これだけ嬉しかったレースはなかなかない。だから、脱帽し、反省し、感動すればいいのだが、池添には感動し、脱帽しても、やはり釈然としないものが残る。

天皇賞は、特殊なレース。また、いったいったの日本の無意味な競馬で無視すべきレースだったに過ぎないとすれば、オルフェーヴルは一度二着になっただけ、しかも、それは強さを見させた二着だったから、われわれが騒ぎすぎてあほだった、ということなのだろうが、しかし、である。

彼もプレッシャーで言動がおかしかっただけなのだろう。そして、そのプレッシャーを与えたのは、われわれなのだろう。

やはり、人間というのは、いや、私は、愚かなのだ。

人生とはこうやってただ過ぎていく。  
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2012年06月23日

宝塚記念

馬券を買うべきかどうか悩むが、予想は淡々としよう。

オルフェーヴルには印はつけない。出てくるべきではない。

それ以外のレースと考えると、かなりの好メンバーだが、だからこそ、自然に普通に強い馬を選べば良い。

まずは、ルーラーシップ。強さともろさが同居した馬だったが、角居師が言うように、ここに来て身体がしっかりしてきたか。信頼できる調教師のコメントを信じて、ここは本命。

ウインバリアシオンも、同じくらい強い可能性がある。岩田に変わって落ち着きが出たのか、調教にも変化が見られたようだ。馬も大人になったのだろう。人馬共に条件が揃ったので、最後方からまくりではなく、正攻法のレースもできるとみて、こちらも本命。

そして、ショウナンマイティ。前走安田記念に出てくれば本命だったが、ここでも見劣りしない。勝ちもありうる。

この三頭が強いとみるが、後は、フェデラリスト。前走一番人気で人気を落としているから、馬券的にはこちらを買いたいが、前走でショウナンマイティとの関係を見ると、やはり後者を買いたくなるのは仕方がないか。

そして、トゥザグローリー。ただ、この馬は底力に欠けている気がする。今年は夏負けがないということで狙い目かもしれないが、この調教師は当分買いたくないので、福永は好きだが、切る。

エイシンフラッシュも怖いが、やはり勝ちは重いということで(ウインバリアシオンもそうなのだが。。。。)、ここは目をつぶる。

アーネストリーは、展開云々といっているが、やはり世代交代ではないか。

ウイン、ルーラーの単。

それと、前述三頭の三連単ボックスに、フェデラリストを少しからめて。  
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オルフェーヴル 宝塚記念

なぜ出すのか。

分かるが反対だ。

この馬が悲痛な運命を歩むことになってしまったのは、人間のエゴからである。

阪神大賞典は、びっくりしたが、僅差2着。そう考えれば、なんてことはない。再審査というハードルだけくぐり抜ければ良かったのだ。

それなのに、調教師やメディアが右往左往して、彼の運命を変えてしまった。

私も、他のファンも、そしておそらく池添もオルフェーブルを信じたのに、調教師やメディアが彼を信じなかった。そして、自分の都合で、自分の不安を抑えるために、オルフェーブルにいろんなことを課した。

足りなかったのは、自分の精神力と信頼する力だったのに。



そして、今回出走させるのも、彼の都合だ。

今年の凱旋門に出すために。

今回の調教師のコメントはこうだ。

「絶好調時に比べるとまだトモのつくりなどは寂しく思えるが、前走時よりいい状態で臨める。今回はメンコを外す。」

じゃあ出すな。

前走も出すな。

ゆっくり彼を肉体的にも精神的にもリフレッシュさせる良い機会だ。

日本馬初の凱旋門賞に最も近い馬かもしれない。しかし、そんなタイトルも人間社会の都合だ。


僕はオルフェーヴルの無事を祈る。

彼の馬券は買わない。



  
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2012年06月22日

無意味なダウ250ドル下落

これは普通なら、事件どころか、大暴落騒ぎだ。

しかし、特に何でもない。

フィラデルフィアの指数が悪かっただけだ。

焦点は、スペインから米国国内景気に移ったと言われているが、これはもう2週間前からそうだ。

まあ、そういうストーリーで動かし続ける、いや、先回りをして細かく儲けるということなのだろう。

一方、今後の下落方向であるのも事実だ。

原油、金の下げがそれを示している。

みんなリスク回避を続けるだろう。

とくに欧州、ということではなく、投資一般にだ。  
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2012年06月20日

金融市場と財市場の分離

今更言うことでもないが、連携は今後は大きく低下していくだろう。

財市場を活発にするために、需要を増やすために、金利を下げ、融資を拡大する、というメカニズムは弱くなっていく。

金融市場は金融市場として独立して動く。

だからQE3をやっても、需要も増えないし、ましてや失業も減らない。ただ、株式市場が盛り上がり、国債の暴落が先送りされるだけだ。

設備投資も雇用も、金利や金融市場の状況ではなく、財市場そのものの将来の見通しに左右され、それは金利が影響する割合は低下していき、バブルでもない限り、資産市場での含み益が消費を増やすことにはならない時代となっていくだろう。  
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21世紀のケインズ 労働市場 本質は名目と実質の違いではなく「期待と不確実性と賃金」

宇沢の本については、前に触れたが、どうも価値観が入りすぎている。

失業は重要だが、ケインズは組合を重要視していたわけではない。

(ここからは私の議論になるが)名目賃金と実質賃金の問題は、名目と実質という言葉の表面的な意味に惑わされてはいけない。

問題は、将来は不確実で、それはインフレ率もそうであるし、何よりも将来の需要が不確実であることによっている。

つまり、金融投資、実物投資と同じで、経済が底へ向かっているときは、どんな賃金水準でも雇用を増やすことはない、ということである。名目賃金の硬直性のみならず、そもそも解雇することにはコストがかかり、それはカネだけでなく、経営者のエネルギーもそうであるし、仕事を教えるという、会社としても労働者としても、ある程度の文脈投資(その企業やビジネスに特有のやり方、他の職場ではそのままでは役に立たない)が必要であるが、すぐ解雇になるのであれば、それは手控える。手控えると仕事ができないから、仕方なく、不況なのに人手不足で、中小企業なら、社長と家族だけでなんとかしのぎきる。注文も、またすぐなくなるかもしれないから、最小限で対応する。

こういう状態では、実質賃金も名目賃金も、どちらにせよ、賃金が下がり続けても、労働需要が生まれない、ということだ。

しかし、それならば、実質ではなく、名目である、ということにこだわり続けたのは、名目で説明するとわかりやすいからである。

インフレ率がもっとも経済学者たちが反論できない、明らかな不確実性の例であるからである。

将来の需要への期待が不足する、と言っても「期待」はかなり議論の分かれるところである。(ちなみに、ここでわかりやすいとか、あやふやなものである、という実体は関係ない。伝統的な権威のある経済学者たちを論破すればいいので、本質からずれてきても、わかりにくくても、些末であっても、完璧に論破できればいいということなのだ。それがケインズのスタンス。)

明らかに将来不確実なのは、インフレ率。しかも、生産は、今投資して、今雇用して、しかし、生産が完成し、売り出すのは数ヶ月後。ここに不確実性がある。物価水準が不確実であれば、それは投資も雇用も手控える。だから、インフレ率の不確実性が、投資、雇用控えを生み出すのである。

だから、その意味でデフレはインフレよりも問題があるのである。

だから、ケインズは、一般理論の中でも、期待を強調し、実質と名目の違いを主張した。つまり、名目と実質の違いは、インフレ率の差、一般物価水準との差ではなく、今と将来の差なのである。

実質賃金とは、今の物価水準との比較ではなく、今の名目賃金と生産物が完成して、その製品を売り切る時の物価水準の差なのである。だから、不確実なのだ。

ここに、期待と不確実性と物価水準とは離れた、実質と名目の違いが有機的につながるのである。

だから、ケインズからリフレという金融政策による物価の上昇を生み出す政策をインプリケーションとして(含意として)引き出すのは、無理があるだけでなく、誤っているのである。

なぜなら、インフレ率を無理に高めるのは、将来のインフレ率に関する不確実性を増すことになるからである。

ゼロインフレ率で安定している方が、インフレ率が2から4%の間でぶれるよりも、望ましいのである。

だから、ケインズは金融政策ではなく、財政政策、しかも、穴を掘って埋めるという例示をした。その理由は、前述の文脈投資がいらないからである。無駄な仕事でも何でもいい、投資もしなくていいし、教え込まなくても良い、何か最もらしい仕事をさせて、それにより、賃金を払い所得から需要が回り出せばいい、ということなのだ。だから、むしろ、役に立つ仕事、と考えていたら、誰もが躊躇する。躊躇しなくていいのは、単純労働なのである。

こうなるといろんなことが見えてくる。

ケインズが言っている、名目賃金が下落し続けるときは、むしろ雇用が減ることもある、というのは意味不明に見えるが、この考え方で行くと、明瞭だ。

名目賃金が下落し続ける状態とは、需要が減り続けている可能性が高い、その証左だということになる。それが期待、将来不安から生まれたものであっても、結果として名目賃金が下がっていれば、それがシグナルとなって、みんながさらに雇用を控える。

それがケインズの意図、本質なのである。

  
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ゴーン来校 

御来光みたいだが、すばらしい講演だった。

なんと言っても彼はセクシーだ。

あのルックスはパワーと相まって、凄みのあるセックスアピールとなる。

そして、言うことは極めてまとも。当たり前すぎると言ってはいけない。

当たり前のことの中にしか真実はない。

それをあのセクシーさで力強く攻め込まれたら。

すっかりやられてしまった。



しかし、講演の話に、一つ異論がある。

言語は非常に重要だが、本質ではない、という話である。

コミュニケーションは極めて重要、そのために言語は非常に重要、しかし、本質ではない。

非常に構造の異なる言語を学ぶことは重要だ。特に若いうちは。

しかし、同時に本質ではない。私は、英語もフランス語も中東の言語もしゃべるが、私は私で変わらない、と。

着るものと一緒だ。着替えても自分は変わらない、と。

違うと思う。

Perfumeのリズムときゃりーぱみゅぱみゅのリズムの違いですら(同一人物なのに)、私の発想は変化する。

着るモノで気分が変わり、発想も行動も変わる。

その変化は、相手にも変化をもたらし、変化は社会に広がり、世の中が変わる。

**

きっとこの違いは、やはり日本的な思考と欧州的な思考の差だと思う。

自然はコントロールできる、克服すべきモノである。そして、自分がいる。我思う、故に我あり。

しかし、日本には、自然が先にある。我の思いは自然から作られている。自然が変われば、我の思うことは変わり、我も変化する。自我とは危ういモノであり、そんな自我の確立を図るのではなく、自然に生かされる柳のような自分であることが重要なのだ。

そう。自分というモノ、が重要なのではなく、今の自分の状態が重要なのだ。

世は移ろい、危うい。そのときそのときが真実なのである。

***

昨日はそんな質問をぶつけたかった。

  
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思考回路

今、ケインズ理論、いや21世紀の新しい理論体系の議論を試みているのであるが、今日からきゃりーぱみゅぱみゅを聴きながら考えている。

これまでは、恋愛論を語るときは宇多田、経済学はPerfumeであったから、新たな発想が生まれるかもしれない。

MBAの授業で、シカゴMBAやダートマスMBA、LBS MBAなどの学生にきゃりーぱみゅぱみゅのPVを見せたときは、ドラックをやっているときの脳内映像のようだと言われた。

21世紀はドラッグの時代が本格的にやってくるから、それでいいのだ。


  
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21世紀のケインズ 第七章 なぜ雇用が最も重要か 第二節 労働市場 再び余談 我々もケインズから自由に21世紀を論じよう

宇沢の一般理論の解説本を読み直している。

何度目だろうか。

しかし、今回、発見は多い。

この数年、自分は進歩がないどころか、退歩しているかと思っていたが、宇沢の本に関しては、今初めて気づいたことが多くある。

まずは、宇沢も他のケインジアンと同じ誤りに陥っている。

アメリカンケインジアンは、ケインズの本質を分からず、勝手に都合の良い、算数で整理しやすいものに置き直し、大学生や政治家などの子供たちにわかりやすいようにグラフという名のお絵かきと算数で説明して、一躍社会的地位を上げた。

しかし、宇沢は自分の価値観に基づき、かなり強引な解釈をしている。

彼は、親友の本を訳したときに、誤訳を指摘され、「それはそうなんだよ。だって読んでないんだから。」と答えたという伝説を持っているぐらいだから、何ら驚くべきことではないが、彼の価値観の背後の時代を感じる。

だから、我々は二つの方針の両立を図る。

1.ケインズの一般理論を字面通り解釈したものを示す。

これは意外とやられていない。

2.一方で、21世紀の文脈で意味のある体系化を図る。これはケインズが一般理論で言ったことを離れて、ケインズの本質的な考え方を学びつつ、我々の新しい理論体系を確立することを目指すことになる。

そして、私としては、1と2が区別できるように、文章の中で明示することとしたい。ただし、1の観点が失われることは往々にしてあると思われる。

しかし、実は、それこそがケインズで、時代により、経済状況により、理論は変わるべきであり、政策提言は全く異なるのが当然だ、というのがケインズの考え方でもあったからである。経済政策は本ではなくパンフレットで、という言葉は有名だ。

再び、しかし、同時に、一般理論はそうではなかった。ケインズはこれまでとは異なり、本格的な自身の体系を示そうとした。それが一般理論であり、対象読者は、経済学者と明言している。彼らを論破するために、彼らの理論がいかに間違っているか示すために書いたと明言している。

だから、我々も、その体系を正確にまず理解すると同時に、我々の21世紀の新理論体系を示すことを目指そうではないか。

  
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閑話 21世紀のケインズ このシリーズの考え方

ちょっと考えがまとまらないものも、思いつくまま、書いてみることにする。いつか再構成が必要になるだろうが、これまでのエントリーもばらつきは大きいので、いずれにせよ、覚え書きと言うことで、容赦いただきたい。

むしろ、温かい読者の皆さんに、一緒に考えていただくことを希望する。私としては、ブログ上の講義を行うという意図であり、しかも、私の授業は、学校でもそうなのだが、自分の考えがまとまらないまま、学生にぶつけ、みんなで教室でライブで考える、ということを理想としている。

おつきあい願いたい。よろしくお願いします。



  
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2012年06月19日

愛と経済学 第三章 マニアとオタクと貨幣と金融市場

マニアはより幸せになるために、カネを入手し、トレードのマーケットを作り出し、その結果、短期的な快楽を得、長期的な不幸に陥った。

資本の所有者は、ただ財産を腐敗から守り、減耗することを予防し、陳腐化しない財を選ぶことでは満足しなくなった。利用しながら資産を維持しようとした。土地を貸与し、小作人から収穫を得るようになった。しかし、その土地は、将来の収穫からしか利益が得られない。今で言うファンダメンタルズでしか、その土地は価値を持たない。しかも、それは今、何のメリットももたらさない。将来の収益を期待して、下男を支配し、農奴を支配することぐらいしかない。

権力は別のところにある。

彼は、支配力を増すことにより、幸福になろうとした。

その一つの方向が、領土の流動化による、権力闘争である。物理的な戦争により支配地を増加させたり、政治的な策謀戦争により権力を掌握しようとした。

もう一つの方向が、経済支配力の増加を目指した。土地の流動化につけいり、これにより、土地を取得して、資産を増加させるだけでなく、その売買による利得を得ようとした。市場が生まれ、資産は急速に増加することとなった。

しかし、増加に失敗し、財産を失う人々も生まれた。人々は一旦不安定化したのであれば、より高い水準を追求すること自体に快楽を覚え始めた。これはマニアからオタクへの道であるが、賢明な現代日本のオタクと異なり、その加速度を高めるために、経済的手段に頼った。

それが貨幣の流通の拡大であり、金融投資の拡大であった。

そして、彼らは資産の時価の増大という短期の快楽を得、長期の不安定性による不幸を得るようになった。

その不幸とは、資産が減ることによる恐怖からの不幸ではなかった。それならば、取引を止めればすむことであり、ヘッジをかければすむことであった。

そうではなかった。彼らは加速することでしか快楽を覚えなくなり、ひたすら加速を求めるようになった。

資産が倍になれば、三倍になることを求めた。

三連単で百万馬券をとっても、100円でなく200円買っておけば200万だったと後悔するようになった。

これによる、いかなる投資、投機からも幸福を得られなくなった。常に何らかのチャンスは逃したことになるからである。

いかなる瞬間も実現し得ない最大のチャンスの成功の帰結を求めた。しかし、理論的には最大の成功は実現しないことが明らかだったから、幸せになった人はいなかった。

こうして、バブルは激しく生まれた。

なぜなら、バブルの最中にあることだけが、興奮と快楽をもたらすことに気づいたからであった。

なぜなら、バブルの最中は、最大のチャンスは実現しなくて良かった。チャンスの存在自体、それに乗っかる自分の存在、それで十分であり、いや、それこそ、無限の成功の可能性を秘めたものであったからであった。

バブルは終わりさえしなければ、人々は夢見るという気楽に浸り続けることができたのである。

だから、バブルは必然なのであった。  
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愛と経済学 第三章 補論 オタクとマニアの違い

マニアはほしいコレクションを入手することにより幸福を得るが、オタクは、垂涎のコレクションに憧れる状態にうっとりすることで幸福を得る。

脚注: マニアと言うべきか、単にコレクターというべきか迷うが、現時点ではマニアと呼ぶ。  
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愛と経済学 第三章 不思議な愛のトライアングルとオタクの関係 なぜマニアは不幸になり、オタクが生まれたか

好きであることの二重の一致と愛することの二重の一致が同時に起こることは難しく、しかし、自分を捨てれば、好きと愛は成立しうる。

それは、自分を捨てれば、二重の一致の必要がなくなるからだ。

他者が人間でなく、あるいは人間に限らず、動かないモノ、静的なモノであれば、二重の一致の困難はなくなる。

ここで静的であるとは、意思を持たないということである。

一方的に好きになり、それを愛することは簡単で純粋であり、大きな幸福をもたらす。

自分を捨てることにより、自分が幸せになるのである。

これがオタクであり、アイドルであり、コレクターなのである。

しかし、コレクターにも困難がある。

流通市場が下手に発達したために、カネを出せば、手に入る、入手不可能なマニアレアアイテムが存在するようになってしまったからである。

初回限定版は、売れる間に予約することによって入手可能であった。過去の初回限定版は、人々に知られるまであるから、そのときにファンであった人々に買い占められ、二度と世に出ることがなかった。

ところが、流通市場というものができてしまい、また貨幣というものが存在するようになり、入手可能性が出てきてしまったのである。

マニアと呼ばれるコレクターは幸せでなくなった。

カネさえあればさらに幸せになれるのに、カネを入手することが自分には困難であるからであり、自分の能力が上がれば、カネが得られる可能性があるからである。

マーケットと貨幣により、自分が生じてしまい、不幸が訪れたのである。

そこで生み出されたのがオタクである。

オタクはカネでは動かない。

絶対的な何かが必要だ。

知識であり、体験であり、それは不可逆的であり、取引不可能であり、移転不可能である。

それゆえオタクはすばらしいのである。  
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21世紀のケインズ 第六章 なぜ雇用が最も重要か

雇用が一番重要である。

だから、ケインズは雇用と利子・貨幣の一般理論、としたのである。  
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2012年06月18日

愛と経済学 第二章 愛のトライアングル 第二節 好きな人を愛してはいけない

お互いが好きであることにより、お互いを愛し合う。

これは本当の愛ではない。

持続可能性のない、刹那的な愛である。

自分が好きな相手が自分を好きである。

この時点で、奇跡の二重の一致だ。

貨幣のない物々交換と同じで、奇跡の欲望の二重の一致だ。

これに愛も重なる。

好きな人が自分を好きである奇跡が、自分が愛する人が自分を愛する奇跡と重なる。

二重の奇跡は一致しない。

一致することは奇跡以上の奇跡だが、愛は持続を要求する。ここで必ず破綻する。

不安定均衡だ。

ナイフエッジの愛だ。

真の愛とは、愛されるから愛する。愛するから愛される。

これは構造的に持続可能、いや持続的に愛が深まる、真の愛だ。

だから、好きなことをよりどころに愛してはいけない。

愛するから愛するのであり、愛されるから愛するのだ。  
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愛と経済学 第二章 愛のトライアングル 

好きと愛と自分。

この三者は連立し得ない。

  
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愛と貨幣

同じ構造だ。

原始的な貨幣。あるいは貨幣の原始的形態。互酬性に基づく取引。これこそ愛。

  
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愛と経済学 第一章 愛と貨幣

愛とは貨幣である。

互酬性。これが貨幣の原始形態。

無償の愛。しかし、愛されることを欲する愛。

それこそが互酬性に基づく貨幣だ。  
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AKB スキャンダル ダメージコントロール

むしろプラスになる可能性もある。

一部で報道された過去の交際が話題となっているが、これはむしろ一部のファンには、夢と希望を与えることになり、むしろ熱狂的なファンの熱狂度が上がる可能性もある。

人気商売は、ダメージコントロールが重要で、政治家も、再びAKBを見習う必要があるかもしれない。

ビジネスケースとして興味深く推移を観察したい。  
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ギリシャと日本

やはりギリシャは愚かではなかった。

そもそも人間も社会も愚かであるが、致命的な愚かさを発揮するのは、緊張感がないとき、あるいはパニックのときだ。

ギリシャは、もちろん緊迫している。しかし、この問題は、長期戦なので、いまパニックというわけではない。それは欧州にとってもそうだし、ギリシャにとってすらそうだ。

したがって、まともな賢明な選択となる。

いまだにまだギリシャがユーロ離脱のリスクがある、とたわごとを言うエコノミストがいるが、それはエコノミストと呼ばれる人々、あるいは金融市場関係者の多くがいかに愚かで無知であるかを示している。

君らが侮蔑する大衆は、昨日の池上さんのテレビを見て、ユーロ離脱はギリシャ側からはないことを知っているよ。

池上さんよりもエコノミストが劣っている理由が、意図的なポジショントークならまだいいのだが、そうではなさそうなところに、金融業界に対する絶望を感じる。

池上氏と意見がいつも近いのは、まさか彼がこのブログを読んでいる、ということではないと思うが、それにしても、まっとうなギリシャ解説だった、昨日は。

日本も野田首相は賢明だから、淡々としかし懸命にやるべきことをやっている。

再稼動、消費税引き上げ、ねじれにおける野党との妥協。

非難するなら来い、という凄みを感じる。

支持率も野田首相としては、最低水準となった。

さあ、ここから日本の勝負だ。

ただ、ギリシャのような緊迫感がないのが最大の問題で、国民全体の行動は賢明になるとは限らない。

一方、民主党の議員たちは、次の選挙に向けて必死なはずだから、彼らが賢明でない行動をとることは普通はないのだが、そうはなっていない。

じたばたしても勝ち目はない。

野田批判をすれば、それは自民や維新の会に票が流れるだけで、執行部批判をした民主党議員への支持は最低となるだろう。それは離党しても同じだ。

だから、選挙にわずかでも望みを託すのであれば、野田首相と心中するしかないのだ。

それが政党政治というものであり、とりわけ二大政党制に近い状況ではそうだ。

党首と心中する以外に道はない、というのは政党政治のリスクであるが、そのリスクをとることが、党の公認を得るということなのであり、政党政治を行ううえでの常識というよりも、しつけであり、しつけがなっていない議員は落選するだけだ。

彼らは本当に愚かなのか。  
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2012年06月15日

ギリシャは関係ない

ギリシャ問題は、過去の問題だ。何の関係もない。

選挙結果がどうなろうと、ユーロも金融市場も揺るがない。

もし株価が動くようなら、それは単なるお遊びだ。

問題は、スペイン。それも銀行問題。スペイン国債が7%になろうと直接は関係ない。問題が、銀行を再編する資本が足りなくなるということで、いかに早く、そして抜本的にスペイン銀行の仕分けができるか。

良い銀行は、早く次のステップへ。地銀を中心に処理せざるを得ないところは切り離して。いや、むしろ、前者が少数派の大銀行だから、こちらを先に切り離すべきだ。どこかの別の国の銀行が買収するのが一番良いのだが、政治リスクが怖い。

政治は、この二つを早く切り分け、先に進まないといけない。財政はいずれにせよ、破綻する。  
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2012年06月14日

21世紀のケインズ 第六章 ケインズの書かなかった成長論

経済成長はどこから生まれるか。

ケインズは、これは書かなかった。

ケインズには期待も動学もないと言われることがあるが、これはどうやったらそうなるのか分からないくらいの誤りだ。ケインズほど期待を強調した人はいなかった。ケインズこそが期待について真の意味で理論に盛り込んだと私は思っている。合理的期待形成とは、期待から逃げるための手段であり、その後、期待を追い出して、マクロ理論は数学的に美しくなり、実体を失った。

一方、動学の方も同様で、私の師匠の岩井克人は不均衡動学を打ち出したが、その流れは続かなかった。そして、動学とは呼べない均衡動学がマクロを席巻し、こちらは合理的期待形成以上に美しくかつ幅広く発展し、現在のマクロ経済学を形作った。そして、それは動きのない動学、ダイナミズムの感じられないダイナミックセオリーとなった。ケインズ本人は期待ほどには動学は明示的には示さなかったとも言えるが、逆に言えば、不均衡状態自体が動学そのものだから、そんなことを明示する必要もなく、古典派に対抗したこと自体が、静学対動学、あるいは静態経済の分析と動態経済の分析と言った方が良いかもしれないが、そのような対立軸で理論を展開した。

さて、ケインズの成長論はどこにあるのか。

とりあえずはなかった、と言っていい。

しかし、それでは理論として不十分である。

そして、経済成長論は最も重要な問題である。

だから、21世紀のケインズの理論としては、避けては通れないのである。

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21世紀のケインズ 第五章 ケインズの流動性選好と雇用

流動性選好と雇用がケインズの一般理論の要だ。

古典派は、財市場だけであり、財市場は表舞台だが、そこは表層であり、深層は
、資産市場における流動性選好と労働市場における失業にある。

それこそが問題なのだ。

なぜなら、経済は、資本と労働を投下することにより生産が行われるからであり、生産されたモノを消費するからである。

生産が低下するとは、経済の拡大をもたらす、資本と労働が有休してしまうということであり、経済の発展を阻害する根源である。

なぜ生産が低下するかというと、有効需要が減るからである。それは流動性選好によるもので、投資のタイミングを待っている。その結果、投資は控えられ、経済は縮小均衡となり、資本収入も労働収入も減り、消費も減る。縮小均衡における、逆乗数効果である。

だから、ここで一発、無駄な公共事業を行い、政府が無駄な支出をすることによって、それが無駄な投資であり、生産力の上昇をもたらさなかったとしても、それをきっかけに、投資が、底打ち感から動き始め、生産が再開し、雇用が生まれ、それが消費になれば、有休だった労働と資本が動くことにより、経済は再拡大をはじめ、物価水準がどうであれ、経済は実質的に成長するのである。

有休していた資本と労働が経済に動員されることにより生み出された付加価値、GDPの増加が、無駄な公共事業の支出を上回れば、無駄な公共事業は有効需要を生み出すことにより、経済を復活させた立役者となる。

これがケインズの財政政策である。

穴を掘って埋める無駄なモノでさえ、経済の役に立つ状況があり得る。だから、政府は財政政策を行うべきであり、もちろん、どうせやるのなら有効な公共事業を行った方がよい。無駄なものですら役に立つのだから、有効なモノであればもっと役に立つ。

しかし、大恐慌において大事なのは、一刻も早く有休となっている資本と労働を動員することであるから、本当に有効な公共事業はどれか考えているよりも、とにかくやることが重要なのである。

しかし、経済が回り始めれば、無駄なモノは直ちに止め、有効な事業だけをやるべきなのである。  
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出張 京都

京都へ出張。

それでブログ更新が滞ってしまった。すみません。

世の中には、いろんな准教授がいるようで、私の処にも多数問い合わせが来ましたが、今後の人生の指針の一つとしたいと思います。  
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2012年06月09日

腰古井 梅酒

ここは親友の実家の酒蔵である。

nhkのニュースで大吟醸梅酒をやっていた。

うまそうだ。

飲みたくなった。

千葉県勝浦市の酒である。  
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2012年06月08日

21世紀のケインズ 第五章 投機から失業への飛躍ではなくリンク

相場師ケインズの流動性選好こそが、ケインズの財政政策の本質だという議論が多くの人に理解されないのは、なぜだろう。

ひとつには、彼らには先入観があり、相場師が嫌いなのである。

同時に、ひどい場合には、ほんとうのケインズを知らないどころか、ケインズは正義感の強い左派の政治家みたいな経済学者というイメージを持っている。

ケインズは相場師で耽美家であり、遊び人なのである。

そのような偏見を捨てて考えれば、相場師ケインズの流動性選好こそが財政出動であることほどシンプルな議論はない。
  
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2012年06月07日

AKBはやはり甲子園だ

AKBの総選挙。いまだに理解できない,、ひどいCD販売手法だ、と思っている人も多いだろう。

しかし、ビジネス上の効果がどうであれ、彼女たちもファンも真剣だし、総選挙はかけがえのない舞台となっている。

それは、昨日の生放送あるいはワイドショーなどで報道されている、彼女たちの順位発表直後の舞台でのスピーチを見ればわかる。あのイベントは、彼女たちの一年間の結晶であるこのスピーチに感動するためにあるのだ。

私はアスリートの試合直後のインタビューにいつも感動する。そのためにスポーツを見ているといっても過言ではない。

昨日の総選挙においても、同じ種類の感動をした。

彼女たちは、甲子園を目指す高校球児とまったく一緒なのだ。

本気で全力で気持ちをむき出しにしてがんばってきた一年。そしてそれをそのままぶつけるスピーチ。

あのスピーチに感動しても嫌悪感を抱いても、どちらでもかまわないが、一見の価値はある。なぜなら、あのスピーチが本物であることだけは間違いがないからだ。

政治家の演説、テレビ出演にはそれがない。

彼女たちの総選挙を見習ってほしい。

そして、本当に見習うべきは、われわれだ。

AKB総選挙に賭けるファンの情熱。これが総選挙を意味のあるものにしている。

あの総選挙は、まったく意味のないことを全力でやり、それをまったく意味もなく見返りもなく全力で応援する。価値のまったくないことを全力でやることこそ、大きな価値があることを、AKB総選挙は教えてくれる。

人生も社会もそうあるべきなのだ。

スポーツもだからこそ美しい。

政治家も有権者も、そのような捨て身の全力の姿勢で政治と向き合わないと何も得られないのである。

得ようとすれば得られない。

これが真理だ。  
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AKB 総選挙

NHKの7時のニュースでも報道。

すごいね。  
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21世紀のケインズ 第四章 相場師ケインズの流動性選好

流動性の罠については、第三章に昨日書いたが、最後のところはやや飛躍がある。

プラスの流動性選好とマイナスの流動性選好を混乱して議論している。厳密に言えば、上手くすり替えて議論をつなげてしまっている。

そう。流動性選好にはプラスのものとマイナスのものとがあるのだ。

プラスの流動性選好とは、金融市場が普通の状態でのものであり、いわば平時の流動性選好だ。つまり、第三章でも触れたように、ケインズ自身の意図は、金利が下がりすぎて、債券価格が高くなりすぎており、値下がりを待ってから買おうという投資家がすべてなので、いくら貨幣が増えても、現金から債券の買いにシフトしない、という現象である。

これは極めて健全な行動だ。値段が高すぎるから買わない。そりゃそうだ。

これをなぜ、流動性の罠、などと呼んだのか。それは金融政策の側の都合であって、金融緩和が効果が無い、という自己の視点に問題を置き換えてしまっているからである。価格が上限に達しただけで、それに何の不思議があろう。金融緩和政策が効かない、と言う話も、そもそも常に金融緩和政策に依存した投資をしている投資家も、それを常に望んでいる金融市場も、それがおかしいのであり、緩和バブルである。バブルにおいて、バブルになっているモノ(債券)に投資しないのだから、それは罠とは正反対のまっとうな行動であり、結果である。

しかも、ケインズの時代のように、その上限が(金利の下限が)2%なら、まだ余地があるのに下がらない、ということだろうが、ゼロ金利であれば、もはや理論的に下がりようがないから、罠でも不思議でも何でもない。

ほんとうの問題は、正反対の流動性選好だ。

すなわち、債券価格が極端に暴落し、不当に安すぎる状態になったときに、そのときに、流動性を選好する。それが問題なのだ。

すなわち、債券価格が暴落して、利回りは極めて高くなっている。その債券を満期まで持っていれば高い利回りが実現する。その発行者のリスクもそれほど高いわけではない。だから、普通に考えれば買いなのだが、誰も買わない。債券よりも貨幣、現金を持っていたいと思う。つまり流動性選好が存在する。そうすると債券は買い手が現れず、ますます暴落する。

これが危険なマイナスの流動性選好だ。逆バブルと言っても良い。安すぎるのに、なぜ買わないのか。倒産などのリスクがあるからではない。ファンダメンタルズよりも安いのだ。だから、目をつぶって買っておけば、平均的にはプラスのリターンが出る。それなのに買わない。なぜか。

まだまだ下がるからだ。

更に下がったところで、債券を買いたい。さらなるそういった代チャンスのために現金で待機しているのだ。

本来は2000円の価値のある株が1200円まで下がっている。明らかに買いだ。800円儲かる。しかし、それでも買わないのは、1200円が明日には1000円、あさってには800円まで下がる可能性があるからだ。800円で買えば、1200円儲かるし、機会費用ということでは、1200円で買っては400円損をする。

このさらに400円儲けることを狙っているのが流動性選好なのだ。1200円よりも下がるのは確実。800円まで行くかどうかわからない。しかし、1000円まで落ちたあと、戻ってあがってしまったら、そのときこそ買えばよい。1100円で買えれば、1200円で買ったのよりはましだ。これが、相場師の底を確認してから買う、というセオリーである。

これがマイナスの流動性選好であり、相場師ケインズの流動性選好である。

これをケインズは実際には問題視している。流動性選好の時には、債券の利回りが低下して張り付くケースを述べているが、彼の本質は逆の暴落局面にある。

それが大恐慌のときに起きたことであり、この相場師的な発想を金融市場から実物財市場に適用して、大恐慌、デフレ、失業の問題を捉え、公共事業により、買い出動を行い、相場の底打ちを、ほかの実物投資家、企業、事業者に実感させようとした。これが真の意味でのケインズの財政政策なのであり、相場師としての財政政策なのである。
  
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2012年06月06日

21世紀のケインズ 第三章 第三節 ケインズのいう流動性の罠

この文脈で言えば、ケインズの本質は、投機的需要による貨幣需要が無限大となる、ということにこそあるのだ。

ケインズは相場師だ。

そして、ここは投機的需要の話であり、実物投資の話ではなく、債券投資の話である。wikipediaには、実はもう一文が挿入されており、そこだけがケインズ自身の議論が関わっている。

「ケインズの見識によれば「ジョンブル(イギリス人のこと)は大抵のことは我慢するが2分の利子率には我慢できない」ため、経験的に2%の利子率を下回るような債券は売れ行きが極端に悪くなり流動性の罠が発生する。これは投資家の貨幣に対する取引需要を名目金利が下回ってしまうためであり、2%という高すぎる債券価格(低すぎる利子率水準)のもとでは、人々は債券価格の下落(金利の上昇)を予想して貨幣で資産を保有するようになり、貨幣供給が増しても貨幣保有が増すだけで、資金は債券購入に回らず、市場利子率はそれ以上低下しようとはしなくなるためである(→流動性選好説)。」

そう。ケインズが言ったのは罠ではなく、流動性選好なのである。

そして、彼の主張の本質は、この文にあるとおり、貨幣の投機的需要なのである。

どんな相場師でも知っているように、下落局面での逆張りはナンセンスであって、買い戻すのは、下落が激しければ激しいほど、底を確認してからで十分間に合うのである。

その底の確認を待っている相場師達の状況。それこそが、あえて言うならば、ケインズが言う可能性のあった流動性の罠なのである。

そして、その底打ちを確認するための起爆剤が、穴を掘って埋める一見無駄な公共事業なのである。

ここに資本市場と財市場がつながり、金融市場と実物市場がつながり、投機と実需がつながり、そして、労働市場、雇用および失業の議論へつながっていくのである。
  
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21世紀のケインズ 第三章 第二節 流動性の罠とは何か

世間がいう流動性の罠とは何か。

多くの人が混乱している。

一般的な定義は、すなわち、ケインジアン的な教科書、あるいはケインズの本質を分かっていない人々の定義は、利子率が下限に達し、それ以上流動性を増やしても、人々はそれを貨幣で(流動性で)持ち続けてしまい、すべての金融緩和は貨幣保有量の増大となり、投資すなわち実体経済を刺激することはできない、というものである。

wikipediaの記述はなかなか面白い。引用してみよう。

定義においては、

「金融緩和により利子率が一定水準以下に低下した場合、投機的動機に基づく貨幣需要が無限大となり、通常の金融政策が効力を失うこと。」

と記述されている。まともだ。正確に言うなら、一般的だ。

しかし、その解説部分は、遥かに興味深い。

まず、

「景気後退に際して、金融緩和を行うと利子率が低下することで民間投資や消費が増加する。しかし、投資の利子率弾力性が低下すると金融緩和の効果が低下する。そのときに利子率を下げ続け、一定水準以下になると、流動性の罠が発生する。」

と書いてある。個々で興味深いのは、投資の利子弾力性とあるが、この投資とは何か、ということである。

続いて、

「利子率(名目金利)は0以下にならないため、この時点ではすでに通常の金融緩和は限界に達している。金利が著しく低いため、債券の代わりに貨幣で保有することのコストがゼロとなり、投機的動機に基づく貨幣需要が貨幣供給に応じて無限に増大する。」

とある。今度は貨幣需要の話に置き換わっている。そして、投機的需要とある。この投機的需要とは何か。投機的需要は、ケインズ自身が使った言葉である。それはあくまで投機であり、実物資本投資の利子弾力性とは異なる。

そして、このような記述で一応締めくくられる。

「この過程においては、マネーサプライをいくら増やしてももはや利子率は引き下がらず、民間投資や消費を刺激することが出来なくなるため、将来への期待に対する働きかけを除いて通常の金融政策は効力を喪失する。反面、クラウディングアウトは発生せず、財政政策の有効性は高まる。」

この15年の日本の状況を意識した(しすぎた)記述であり、政策の有効性の話になっている。

そして、おまけのような注釈があって、説明は終わる。

「ただし、流動性の罠は超短期に限らず長期債などの資産が全て貨幣と代替になって初めて起きるのであり、政策金利がゼロ制約にあったとしても、長期債の買い入れなど金融政策にはまだ余地があることとなる。」

この筆者は、日銀を批判するため、あるいは米国FRBなどの量的緩和を期待して書いているのだろうが、筆者の意図を超えて、この記述は含蓄がある。

投資の利子弾力性とは、価格効果の話だ。そして、あくまで、古典派的な世界、市場における価格メカニズムが機能している世界の話である。あるいは、この価格メカニズムが機能しなくなった状態を罠と呼んでいるのである。

しかし、それは投資の利子弾力性がゼロになったことによるのか、それとも、利子が下限に達したことによるのか。混乱が見られる。

真実はどちらでもない。言い換えるならば、ケインズ理論の本質は、それらのどちらにもない。

  
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21世紀のケインズ 第三章 流動性の罠は存在しない

流動性の罠というものは存在しない。

はじめから存在しない。

ケインズは、流動性の罠という言葉を一度も使っていない。

  
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2012年06月05日

ケインズ記念日

今日はケインズの誕生日。

21世紀のケインズが生まれるのはいつになるか。  
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21世紀のケインズ 第二章 第二節 ケインズが一般理論というタイトルをつけた理由

ケインズは、新しい政策を生み出し、その結果、社会が直面していた危機を救うことができる可能性があった。しかも、その中で、ライバルの経済学者達を論破し、新しい理論体系を構築することができる。その知的興奮に彼は酔っていたのであった。

これは、私の解釈であるから、歴史的な検証としての意味はない。しかし、ケインズ理論の理解には重要である。

彼の言う乗数効果はケインジアンの言う乗数効果ではなく、不均衡にスタックした経済を動かすことに意味があった。それが、穴を掘って埋める作業であり、それが経済を動かすきっかけとなる手段、政策手段である。そして、その結果、経済水準が上がるのは、失業というものを解消することによってであり、それがマクロ経済の拡大を生み出すのであった。

ここに、資本市場と財市場と労働市場が有機的に結びつき、経済が浮上する仕組みがあった。これこそが、ケインズの一般理論であり、古典派の理論が一般理論でないのは、資本市場と労働市場を財市場と有機的に結びつけていないからであった。古典派の理論は、資本も労働も、一般の財と同じように扱える、それらも含んで財として、財市場の分析だけをすれば済む場合に限っていた。それが特殊な場合であり、ケインズは、そうではなく、3つの市場の有機的な関係を取り込んだ一般理論を構築しようとしたのであった。

だから、タイトルは、雇用・利子および貨幣の一般理論、なのである。利子および貨幣が資本市場の分析であり、雇用は労働市場、それらが財市場を通じて、有機的に動く。その動態をを分析しているのである。  
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21世紀のケインズ 第二章 本当の乗数効果 

ケインズ理論というと、乗数効果だと思っている人がいる。

あるいは、意図的に、そのように捉えて、財政支出を正当化しようとしている場合がある。

乗数効果が実際にあるかどうかは、そのときの経済次第であり、長期的には財政負担が逆乗数効果をもたらすから、相殺され、長期には中立的な結果をもたらす。

この長期の中立性を強調したのが(短期にも成立するとしたのが)、新古典派的なマクロ経済学者達であり、短期の影響が中期にも残ることを強調したのが、ケインジアン(ケインズの経済学を引き継いだと思い込んでいる人々)というのが、一般的な理解であるが、ケインズ自身は乗数効果はどうでもよかった。

ケインズはケインズを慕う弟子の熱意に負けて、妥協し、乗数効果を強調することとなったのである。

一方、ケインズ自身はどこに関心があったかというと、乗数効果の過程にあった。

乗数効果の過程でどのようなことが起きているか。そもそも、どうして乗数効果が生じるのか。

これが彼の不均衡動学への関心の表れであり、経済が不均衡状態で均衡しているのを動かすことが出来る可能性はあるのか、という政策的な関心、提言へつながっているのである。

だから、いわゆるケインズ的な乗数効果やその水準には、彼は関心はなく、財政政策を正当化することにはなったが、当時は、財政政策というものは存在せず、それはいわば発明であり、政策提言としての新規性に興奮していたのであった。

  
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2012年06月04日

21世紀のケインズ 第一章 第二節 2

相場師とは誰か。投資家である。

中央銀行に国債を売ったのは誰か。彼らの一部である。国債を追加的に買う、ということは国債は値上がりする。

ここで早くも古典的な経済理論と離れる。なぜなら、正当派経済理論や伝統的ファイナンス理論では、需給で金融資産の価格は変化しないからである。

しかし、現実の金融市場は大きく異なる。買いが出れば、価格は上がる。理論的にも、行動ファイナンスは、需給で価格は動くと考えている。ここでは、行動ファイナンスの議論はしないが、私は、ケインズこそが行動ファイナンスの始祖だと思っている。

それはさておき、短期金利をゼロ近傍に固定し、短期から中期への金利もできる限りゼロに近づけ、タームストラクチャーもできる限りなだらかに、リスクプレミアムも小さくするために、長期国債の買い入れも行い、それにより、短期金利の低下の効果を確実にする、というのが日銀の方針だが、これはすなわち、中期の国債の値上がりを狙っていないという建前であっても、確実に値上がりする。長期金利も低下し、残存期間が10年に近い国債も値上がりする。

セントラルバンカーや経済学者にとっては、これは長期金利の低下として捉えられ、国債金利の低下に応じて、市中銀行(民間銀行)が、融資を増やすかどうかは、その銀行次第であって、中央銀行の国債買い入れの直接の効果としては現れないし、間接効果も、銀行の融資姿勢あるいは実体経済における投資機会によるから、マネーが増えることにはならない、ということになる。

マネーの総量が増えなければ、素朴な貨幣数量説を採ったとしても、ベースマネーの増加が、財一般の価格上昇すなわちインフレをもたらすことにはならない。だから量的緩和ではインフレは起きない、ということになる。これが経済学者の議論。

一方、セントラルバンカーの議論は、インフレを起こすかどうかはともかく、これらの金融政策により、タームストラクチャーのフラット化、リスクプレミアムの一層の低下により、企業や家計の借り入れコストを低下させ、活発な投資活動が行われるようになることを目指す。長期金利の低下が実体経済の活性化をもたらし、それにより、実体経済の成長が強いものとなり、結果として、賃金上昇などを経由してモノの値段が上がりはじめ、マイルドなインフレが実現する、という考え方である。ただし、これも、いくら低い金利で資金調達できるとしても、将来が不透明で損が出そうなプロジェクトには投資できないし、住宅ローンが組みやすくなっても、将来の雇用、所得が心配なら、そもそも住宅は買わない、という問題があり、それは実体経済の問題であり、金融政策の射程ではないという議論になる。

しかし、相場師はもっと単純に考える。

長期金利が低下し、国債価格が上昇した、ということは、自分の持っている資産、ポートフォリオの一部である国債の資産価値が増大し、時価資産総額が増加したということである。そして、投資家全体で考えると、誰かが中央銀行に国債を売ったのであるから、民間投資家が持つ国債の枚数(あるいは額面総額)は減少している。しかし、値上がりをしているから、時価総額は増えている(可能性が高い)。あるいは手に入れたマネーの額面を足せば、確実に総資産の時価総額は増えている。資産総額が増えたのなら、国債以外の資産、通称リスク資産への配分も増やそうということになる。そうすると、リスク資産の買いが増加するから、これも値上がりする。したがって、リスク資産全体の時価総額も増大する。

このとき、国債もリスク資産(株も社債もすべて含まれる)も、値上がりしたのなら、合理的な投資家なら、すべて売り払うはずではないか、というのが正当な経済理論に見えるが、そんなことにはならない。なぜなら、国債金利が低下しているということは、すべてのリスク資産に対する金利、教科書的に言うと割引率も低下しているので、新しい値上がりした価格は、低くなった金利、割引率に見合った妥当な価格になるのである。

こうなるとすべての運用資産が、リスク資産も安全資産も、同じように期待利回りが低下することになるから、どの資産も売らない。ポートフォリオの組み替えは起きない。ポートフォリオの時価総額は増えるのである。

そうなると、個別の企業においても、マクロ経済全体においても、時価で見た、負債比率、すなわち、負債と株式資本の比率は低下することになる。それはおかしいから、負債が増えてバランスすることになる。ミクロ的には、担保価値が上がるから、銀行融資をより多く獲得できることになり、それを金融資産にも実物資本にも投資することになる。したがって、広義のマネーは増えるのである。

さらに、金利全体が低下しているから、企業や家計という個別の経済主体、そしてマクロ経済全体でもリスク許容度が高まっていることになるから、さらに借り入れを拡大し、投資を増加させることになる。

ポイントは、資産価格は、売買されるフローで決まるため、ストック全体が売りに出ず、その時価総額が上昇し、経済主体は、その資産を保有し続けたまま、追加的に新しい投資を行うようになる、ということである。そして、それはレバレッジの上昇によって裏付けられるのである。そして、このレバレッジの上昇は、金利低下からの必然的現象であるばかりではなく、金利が変化しない場合であっても、リスク資産価格が需給により上昇し、時価総額が増加することにより、時価で見たレバレッジが上昇しない場合であっても、融資総額は増えることになるのである。

これにより、マネーは増大するのである。
  
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21世紀のケインズ 第一章 第二節

なぜマネーが増えるか。

池尾理論は、中央銀行がベースマネーを増やすには、国債、あるいは何らかの金融資産を買い入れなくてはいけない。無償で配るわけではない。そうなると、広義のマネー総量は増えない。紙幣あるいはベースマネーは増えたかもしれないが、市中(民間経済あるいは金融市場)にある国債(あるいは金融資産)は減っているので、広義のマネーの内訳、ポートフォリオは変わっても、トータルのマネー総量は増えない、という考え方だ。

これはまっとうな金融の経済学者としては正しい。しかし、相場師から見ると正しくない。

twitterの指摘で、経済学者としてのケインズよりも相場師のケインズの方が好きだ、というコメントがあったが、いみじくも、この議論の本質、およびケインズの本質を突いている。

ケインズは彼自身が意識していた以上に経済学者よりも相場師であったのであり、それ以上に、現実の金融市場も経済社会も、経済学者ではなく相場師によって構成されているのである。

我々は皆、学者である前に相場師なのだ。

そして、それがケインズのいう本当の「アニマルスピリッツ」なのだ。  
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21世紀のケインズ 第一章 第一節

まず、池尾和人氏の量的緩和はインフレを起こさない、という議論を検討しよう。

これは絵があるとわかりやすいのだが(テレビでも使われていた。池尾氏のどこかのネットの記事でもあった記憶がある)、要は、マネーを出すと言っても中央銀行のオペレーションとは、お札を輪転機で刷りまくって、空からばらまくわけではなく、ベースマネーを出す代わりに国債を買うわけだから、マネーの総量は、中央銀行がオペレーションをしただけでは増えない、という議論である。

これにはいくつかの反論が可能である。

まず、バーナンキの言うヘリコプターマネーという反論がある訳だが、つまり、ヘリコプターから紙幣をばらまけば、嫌でも経済におけるマネーは増える、だから、マネーを増やすことができない、というのは中央銀行の無能ぶりを露呈しているだけで、ちゃんとした中央銀行ならどうとでもやりようはある、という反論である。

バーナンキや、その他の米国東部の多くのマクロ経済学者も、過去において、日銀に対してなぜか批判的、あるいは侮蔑的であった訳であるが、今や同じ状況に陥っており、冷静に見ると、一連の日銀の議論や実際の政策対応は、よく考えられた苦心の結果であることがわかる。実勢の政策効果、結果として実現した経済のパフォーマンスに関しては賛否両論あるであろうが、ゼロ金利も量的緩和も、成長基盤融資も、何から何まで、日銀が世界で最もinnovativeであったことは間違いがない。

さて、ヘリコプターマネーに対する池尾氏の反論は、ヘリコプターマネーを現実に行うとすれば、それは財政政策であって、金融政策ではない、というものである。

いわゆる財政ファイナンスの領域に入っており、それをするべきか否かは、中央銀行の存在意義そのものを問うものであり、実行するとしても、それは財政政策に他ならず、政治的なものでかつ財政の立場で議論すべきものとなる。

したがって、ベースマネーの供給が対価を伴わない、あるいは金融資産を吸収しないものであれば、それは量的緩和でも金融緩和でもなく、金融政策としての議論を離れる、ということになる。

さらに踏み込んで言えば、そんなことをやるべきとは一般には考えられない、ということだが、池尾氏は慎重にもそういう議論はしていない。

では、バーナンキのヘリコプターマネーの議論が無意味、あるいは有害だとすると、意味のある「池尾マネー総量不変説」に対する反論はどのようなものであろうか。

それは 「それでもマネーは増える」という議論である。  
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21世紀のケインズ 第0章

私は自称、千葉のケインズである。

自分ではケインズを誰よりも分かっているという認識ではあるが、これにはすべての人が異論があると思うので、千葉という限定をつけてお茶を濁しているが、本当は、私は21世紀のケインズを目指したい。

ただ、それこそ、人には言えないので、ここでは、21世紀のケインズの議論を展開する、と銘打って、議論を展開したい。

それはケインズ的な理論と言うよりは、20世紀にケインズ自身は本当は言いたかったことで言えなかったこと、それを現在に置き直して理論を構築してみよう。

***

君は、先週のBSフジのプライムニュースの池尾和人を見たか。

金融政策におけるマネーの議論を君は聞いたか。

これはアゴラでも展開されている議論である。

しかし、これは誤っていると私は思う。

また、池田信夫氏は先日の記事で、ケインズの一般理論とは、新古典派の特殊な場合だと断言しているが、これも間違っている。

両者の誤りを、これから新しい理論を展開する中で、明らかにしてみたい。

アゴラの両巨頭にチャレンジするこの企画は、かなり危険なものだが、私が排除されるか、私の理論の破綻が明らかになるまで、連載を続けてみたい。  
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2012年06月03日

小沢氏は離党しない

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安田記念

先週のエントリーが、競馬の大先輩の上海馬券王の怒りを買ってしまったようで、今週は控えめに予想したい。

ただし、一言。

私の専門はかつてはバブル。今は愛。だからあの馬は外せない。

安田記念は、音無師のダノンヨーヨー。それと、5番のラッキーナインに指名された9番のフィフスペトル。  
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2012年06月01日

また悪夢を見た。

昼に。

電車に乗り遅れる。

南房総に行くのに。

荷物を宿に置き忘れる。

遅れた。  
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